【徳川四天王】 榊原康政
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>>6さん!ありがとうございます。
さて、
榊原家代々は、何藩何万石ですか?
老中などの幕閣には、ならなかったように記憶していますが。 酒鬼薔薇 夜酢魔詐
さあ関ヶ原の始まりです(以下略 「佐久間軍記」には、こういう話が載ってる。
小田原の役が終わった後、康政は小田原城に伝令として赴いた。
それを敵と勘違いした佐久間兄弟が鉄砲で狙ったのだが、それに
まったく動じる様子もなく、「家康からの使いです」と言った。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E8%BB%8D%E8%A8%98/%E4%BF%9D%E7%94%B0%E4%BD%90%E3%80%85%E6%94%B9%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93
『然所ニ榊原式部大輔康政尋來ル。?使ト心得。鐡炮ニ火ヲハサム。康政不驚家康ノ使也。仰ノ趣ヲノヘント云々。』 >>14
なんだおそれ?
何の捻りもないし、それがどうしたと言う話しだけど( ^ω^) 何といっても榊原の韋駄天走りだよな
姉川ではあっという間に川を渡って朝倉軍の横に回りこみ、
三方が原では崩れた鶴翼のバックアップにまわり、
長久手では味方の先鋒を追い越して豊臣軍を追撃
でも第二次上田攻城戦のように足止めされるとちとつらい 武功だと多分四天王で一番挙げてるんじゃないかな
高天城攻めとか含めて
一番地味で知名度無いけど 徳川家の四天王のうち、
酒井忠次は、徳川家の家老職だったから別格だけど、
他の四天王のうち、井伊直政は、徳川家の外交関係を担当していたそうだが、
後の本多忠勝と榊原康政は、
徳川家では、どういうポジションにいたの? 榊原は大久保と共に秀忠の傅役
本多は…この人は超一級かつ戦略級の武人、
ただし外交に無理解という訳ではない >>19
康政も連絡役みたいなことをやってたようだよ。 康政について書かれた本ってないんだよね。
都内の大書店で検索しても、そこそこ大きな図書館で検索しても、
読みたいと思える本がない。PHP文庫の小説はいらね。 酒井忠次…徳川十六神将筆頭
本多忠勝…東国無双。ご存知、ゲームで大暴れ
井伊直政…赤備え。ひこにゃん
榊原は・・・地味だなぁ・・・ 腸が腐って死んだと言っていた。
関ヶ原遅参が印象悪すぎ。
本多忠勝ってゲームで大暴れしてるの?
信長の野望では、榊原の方が足軽隊の移動スピードが速くて
重宝してるんだけど
城攻めとかでね アクションゲーの方だろう
特に無双では最強キャラという位置づけ
実際性能も凄まじい 前田けいじとか真田幸村とかの人気は、
ゲームの影響によるもの。
ここは戦国時代板だからいいけどね。 四天王のうち、徳川家康から偏諱を受けたのは康政だけ 伏見で玉砕した鳥居さんが天命を全うしたら四天王に入れたかな
そうなると外れるのはヤス、榊原ヤスか? 史料すくねえ
藩翰譜の列伝くらいしかないとかどういうことだよ
館林藩爆発しろ
ちなみに某ゲームでは
なぜか居眠りキャラという扱いでした
そんな逸話あったっけ
ttp://www.alicesoft.com/rance7/inf_tokugawa.html 徳川に奉公しても知行貰われへんねん
よく忠誠尽くしたよな
たった10万石でよぉ 少ないだろ
てめぇの一族にはポンと50万〜100万石くれてやるのに
命懸けた部下には最高でも10万石
とてもじゃないけど割りに合わないね >命懸けた部下には最高でも10万石
訂正するなら今のうち >>38
>てめぇの一族にはポンと50万〜100万石くれてやるのに
これも訂正するなら今の内 >>34
つ『寛政重修諸家譜』 『改正三河後風土記』 『徳川実紀』 『岡崎市史別巻 徳川家康と其周囲』
史料とは違うかもしれんが、『家康の臣僚 武将編』なんてのも。
日本の史書は列伝作らないから、関連事績から自分で抜書きするしかないんだよね。
家で残してく家譜とか知行目録関係は、高田(本)・館林(複写)の両図書館に納められたと思う。
自分が見たのは館林の方だけど、確か康政の事績を綴った本があったはず。 10万石が客観的に多いか少ないかは分からんけど、
榊原康政自身は不満だったようだね
まあ、その不満の内容も、知行が少ないからなのか
幕府から遠ざけられたからなのか分からんけど 比較基準はいろいろあるけれど
たとえば秀吉の大盤振る舞いに比べると家康がしぶいのは確か
政治的にはそれで正しいんだがな
「はらわたが腐って死ぬるとお伝え申せ」と言っちゃうほうの気持ちもわかるけども 関ヶ原後に水戸二十五万石の加増を断ったという話もある 仮に武功派メンが自分たちで遠慮したんだとしても
こーとししてそーくにらるの類であることに間違いはないのよね これまで文武官の境界が曖昧だったのを開幕後、整理するようにしただけでしょう >はらわたが腐って〜
一方、秀忠の見舞いの使者に対しては
病身であるにも関わらず正装でしっかりと応対する康政さんであった。
家康に対してはともかく、徳川家に対してはあんま不満はなかったんじゃないかなーと思う。 >>46
文官って中国じゃないぞw
行政活動をする武士はあくまでも武士。 >>32
石川数正と大久保忠世がいるからな
メンバー入れ替えがあるとしたら大久保忠世が入るんじゃないかな
ところでこの人次男なんだな
兄は信康事件でワリ食って引退したのか 四天王といっても活躍した年代や年齢、家筋などから酒井は別格。
秀吉講和前の徳川家最終決戦体制によると
大久保忠世は人質の監視
一番、酒井忠次
二番、大須賀康高
三番、本多忠勝
四番、榊原康政
以上五千
旗本脇備併せて八千(脇備は水野忠重、鳥居元忠か)
後陣、平岩親吉(半分は石川家成指揮)五千
総予備は井伊直政、一万 平岩親吉ってすごいついてないよな
信康の守役→信康切腹
甲斐郡代→関東転封
家康の子仙千代を養子に→死亡
自分一代で終わって家名も断絶 不人気age
関が原遅参が、400年後のゲームでの出番に影響するとは、
本人も驚いてるだろう。 >>56
それでも凄いのは最後まで神君の信頼を失わなかった事。
俺が神君だったら、信康事件で既に左遷確定。 関が原に遅参したばかりに10万石でおしまいか
なんのために命をかけて頑張ったのか 忠勝だって10万石で終りだよ
家康の家臣は10万石が最高値
ケチケチ家康 家来格で10万石とかって凄いと思うけどな
大名レベルやん >>64
信長の場合は、後で追放するし。
一時的に使ってるだけ。
榊原康政の側室の花房氏って宇喜多家臣だった花房職之の縁者あたり?
それとも北条家臣にもいたらしい花房氏の縁者?
喜連川義親の正室になった康政の養女の花房氏も元はどこの娘なのかな? なんかの小説読んで以来
文章やら筆蝕やらが達者――――ていう印象しかない 榊原って姉川合戦や小牧長久手合戦で活躍してるのに地味だよね >>68
昔読んだ徳川家康の学習まんがでは、本多忠勝、井伊直政、酒井忠次と一緒に、
なぜか表紙を飾っていたのが石川数正だったw
で、中身でも康政の出番は「織田信孝を自害させるなど、目に余りますな」と家康に
言った一こまのみという、どこぞの内藤修理さんみたいな扱いだった >>66
宇喜多の内紛のときに仲裁に入ったのってその縁かな
なんかこの人って実績もあるし、徳川家臣団を語るのにはずすことは出来ないんだけど、
目だった逸話も小牧のときの立て札と晩年の「腸が腐れて…」って話しかないよな
豊臣政権だと中村一氏や堀尾吉晴見たいなイメージ >>64
だから彼等とその眷属は衰退したのさ。
そもそも、そんなことしてたらキリがない。土地は有限、人は幾らでも湧いてくるしな〜 >>64
つーか信長や秀吉は組織形成や仕組みが未熟だから、
家臣に巨大な領土と権限を与えて個人芸で支配してもらわないといけない。
家康の場合は家臣に巨大な権限を与えなくても良い組織を作ってる。
そこの違いにすぎんよ。 みんな豊田市でやってる榊原康政展行った?
行ってきたけどよほどの榊原さんのファン以外は遠方から行く価値ないわ。
学芸員ももっと気合入れて豊田市外からも遺品をかき集めてくればいいのに。
一緒に見てきた岡崎の本多平八郎展はすごくよかったけどね。 >>69
あれで戦国に興味を持ったんだ・・。
なのに小平太が好きになったのはこれいかに。
「腸が〜」っていうのは個人的には50年以上つきあって生涯をささげた
家康に愚痴ったんだと信じている。 康政がもっと頑張れば、
秀忠は関ヶ原に遅参しなかったのだろうか?
>>79
元々の理由が利根川の増水で使者が遅れ、家康の転進命令が届かなかったのが原因
よって気象条件が変わらない限り秀忠は遅参する >>81
そもそも中山道を平定しつつ合流、というのが最初の方針 秀忠の功名心なのか、三河者たちの真田への復讐心を抑えられなかったのか
どちらにしても康政の力不足と見られるんだろうね・・・ 地味な印象しかなかったけど
実はけっこう頭脳派というか知勇そろった人だよね
本多・榊原・井伊で井伊直政ぐらいしか外交できないとか印象もってたけど
司馬遼太郎にだまされてたぜ… 司馬には「三河以外の国は存在しないと思っていた男」とか言われたんだっけ 忠勝はよくわからないけど
榊原康政は上杉担当の窓口だったとかどっかで見た
宇喜田騒動の一件や長男の嫁が加藤清正の娘だったり以外と豊臣の若手?から頼られてたのかも
司馬さんは宇喜田騒動について悪意たっぷりで書いてたが >>66の質問に対する答えがないから正確な事はわからんけど
宇喜多の花房家から嫁もらってその縁で頼まれて宇喜多騒動に関わったってのが濃厚なのかね? 宇喜田騒動のとき伏見在番だったらしいね
手をひいてほしい家康が「謝礼金目的だ」と周囲にいって
康政をわざと怒らしたという逸話は創作なんだろうけど
宇喜田騒動の顛末を語られるとき、けっこう事実のように語られるよね
まあ面白くて家康らしい逸話だから仕方ないけど
ずっと仕えてる主君にこんな不名誉なこと言われたら、康政騒動とか起きそうだ >92
『慶長記』に「扱様あしき」ということで関東に下向されている
事態が悪化したので解任されたのかもしれない 徳川四天王で一番優秀なのは酒井じゃね?
長篠の奇襲、羽黒の戦いなど。
>>84
それを咎めるなら長篠の戦いの馬場山県内藤も・・・
実際は反対してないなんて言われるけど「今回の合戦を危ぶむものもいる」と勝頼の書状があるから反対派はいたのだろう。
あの突撃は明らかに死に場所を求めた突撃。 忠勝も康政も、あれだけ働いて10万石・・・
勝組の中の負組に思える。
貞昌なんかワンチャンスで10万石だぜ・・
(色々苦労したと思うが) 「無」の旗をなびかせて・・・戦場を疾駆して10万石
家康ってケチだねぇ
合理的に言えば、3・4万石で有事に寄騎同心で増やすで良いんだけどね
【7】【7】【7】 塩 木 容疑者、七つの誓い。全力「近所迷惑」宣言!! 【7】【7】【7】
1.全力「違法駐車」!!
日本全土が駐車場。まわり道してください。通報は堪忍してね。
2.全力「ドアバン」!!
大地をとどろかせ「違法駐車したよ!」とお知らせ。
3.全力「飲酒運転ほう助」!!
塀を壊しても逃げるが勝ち。2004年のテロ事件です。
4.全力「住居侵入」!!
用事のふりして敵情視察。プライバシーが盗まれる!
5.全力「バーベキュー」!!
他人の空き地で飲んで食って騒いで…。片付けは?
6.全力「子連れ」!!
チヤホヤされたいお年頃。イザというとき盾になります。
7.全力「セコロジー」!!
すべては横着のために。楽できれば、他人が困ろうとかまいません。
親の罪を一身に背負って生誕777日記念、これからも塩 木 容疑者は地域に密着して他人様に迷惑かけます!!
>>106
せめて初期スマイレージに於ける福田花音にしてくれw 康政は関が原後水戸への加増を断ったって話もあるな。
榊原家は忠政系と康勝系が入り乱れ子孫が相当やらかしてるが康政の功で改易されてないんだからそれだけで万々歳だ。 個人の戦闘力では忠勝>>>直政>康政だけど
指揮官としては康政=直政>>>忠勝なんだよな
なのに忠勝&直政がインフレしすぎて康政が地味な扱いに・・・
どう考えても井伊直政は贔屓されて四天王格に入れられた雑魚武将
元々、家康の寵童上がりだし赤備えまで付けて貰って至れり尽くせり。
本多忠勝は信長・信玄・秀吉も絶賛した武将。
酒井は石川数正が抜けた後の穴をよく埋めた。
榊原は三河者の典型じゃね?良くも悪くも只の武辺者。
何にしても、本多忠勝以外は他家にも掃いて棄てる程いる程度だと思うが。 10万石単位の知行を問題なく支配できるノウハウを持つ人間が掃いて捨てるほど居るとか、頭おかしいだろ 秀忠付きになったのが残念だな
関ヶ原で戦ってほしかったよ >>115
桶屋の倅が24万石〜46万石の大録で、下賎の身から集まった
連中も軒並み10万石以上。
金吾のような低脳も50万石。なってしまえば何とでもなるとしか
思えんだろw 家臣さえしっかりしてれば、金吾でもなんとかなるだろ。 にわか大名が何とかなるなら、譜代がいる大名は大丈夫ってことだろ 徳川家の元になった松平家と同格だった酒井家が3万石どまりに対し、
松平家に仕える郎党だった榊原家が10万石
大出世ですな 元々が大身で、養わなければならない人員を多く抱えていた貞昌と比較して
一体何を導き出そうとしているのかわからん
スタート地点が康政と同格の者との比較でなければ意味ないだろ 榊原って苗字の人知ってるけど
その筋の子孫だったりするんだろうか 榊原は知多、西三河では結構多い
愛知(知多、西三河)では珍しい苗字ではない >>118
そう考えると木村吉清に30万石は大失敗だったね
ヒデキチやっちまったなぁ
あ、佐々みたいにわざとなのかあれ >>103
本多 榊原、鳥居は優遇された方だよね
子孫がお家騒動おこして
外様なら下手すれば改易だろうなって事案でも
先祖の勲功ってことで赦免されてる 4万石から関ヶ原の功で10万石。さらに24万石になって
譜代のナンバー2まで上り詰めて報われてないとかわいてるのかと思う 縁戚関係を結んでいた大須賀家嫡子から養子として迎え、家系を繋いだ
元々康政の子孫である男児を大須賀家に送り、
想定外なことに榊原家の男系が絶えそうになったから
大須賀家から康政の子孫を招く結果となった
血統的には康政子孫である点は問題ない 小牧長久手では後世に残る檄文で敵を挑発して深入りに導きこれを討ち
関ヶ原前夜の大坂抗争勃発時には西上中の部隊をわざと停止させて瀬田の関所を閉じて一般民衆の滞留を自軍の大軍に見せ掛けて一気に解放
京に入ったら食料を買い占める周到さで大坂の反家康派を威圧、五奉行の屈服と三成の出家に導く 三河掌握時、家康自身が率いる軍団の他、
酒井忠次、石川数正にそれぞれ独自の判断で動かせる軍団を編成させた
そこに新しい領地・遠江の大物・小笠原長忠(武田に降った後の惣領・信興と混同されがち)が
率いる第四軍団が編成された
高天神城の戦いで小笠原が武田軍に降った後は、
大須賀康高が格上げされ、新・第四軍団を編成することになる
旧小笠原家臣などのうち徳川方に残ることを選択した者も編入されている
軍団長の大須賀に対し、副団長とでも称すべき役割を担ったのが榊原康政
康政にとっては、酒井忠尚に仕えている時期から既に、大須賀康高は先輩である
康高の相方を務めるのは、自然な流れなのだ(康高が舅でもあるし)
康政とは同年齢で仲も良かった本多忠勝を相方とする設定をよく見かけるが、
自分の認識では、康政の相方は康高に思える 康高の子供は女児が多い上に、
息子は出家したからな
大須賀家の後継者に孫が必要だった
となれば、手近にいる康政に嫁にやった娘の子を、
後継者に迎えたい、となる流れは自然なこと 江戸時代榊原政岑がはじめ大須賀高胤と名乗ってたりするわけだが
こうやって何度か忠次が榊原復帰後も旗本として大須賀氏を復帰させようとしてたりするのかな 四天王の中で一番身分が低いところからスカウトされて成り上がり
初陣(16歳)で仏罰は俺がひき受けると言って先陣駆けたり
それで家康から褒められて康の文字貰ったり
秀吉disりまくって10万石の賞金首になったり
直政と険悪だったのがいつのまにか心の友になってたり
地味地味言われるが別に地味なポジションではないよな
ライトな歴史モノ(小説やゲーム)での扱いが良くないせいだろ 同い年で華やかな本田忠勝の影に隠れてる感じがするな 血筋的には足利氏庶流仁木氏の一族ってことで四天王では一番上 >>127
ツイッターで池田ヲタのツイート読んでからぶっちゃけ光政は
名君なのか迷君なのか迷いだしてる俺がいるw
それはそうと康政も光政が母ちゃんをえらく大事にしているのを見て
草葉の陰で喜んでいたろうな 山陽の要地 姫路から、雪深い越後国高田に懲罰的転封をされたのはかえずがえすも・・・ 武功があるのに文官の時代になってみずから身を引いた人? >>149
藩内の一門に大須賀姓がひょっとしたらいたかもしれない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています