毛利元就って明らかに実力未知数だよね P35
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
弱小国ばかりの西国にあって、統治能力ゼロな隙だらけの大国を切り取った
からって何か評価の対象にでもなるのかなあ?
戦国末期の有力大名は全て東国(武田 上杉 北条 織田)にある以上これらの
大名と直接関わらなければ、評価のしようは無いのではないでしょうか? 尼子に反乱されまくりで統治能力ゼロの糞爺がどうかしたって? >1
その弱小国相手にすら何度も戦で大敗をして
相手が寿命で死ぬか、降ったと見せかけて騙まし討ちにするかで
元就が目だった活躍なんかしてないのは有名だよ
厳島だって河野家(村上水軍は当時河野家所属)が陶軍を破ったのが本当のところだし
晩年の支配領土だって四方八方で叛旗を翻されて
実質完全支配してた領地なんて50万石くらいしかなかったんじゃないかな? つまり吉川氏、高橋氏、尼子氏、武田氏、内藤氏などは
隙だらけの大国に対して指をくわえて見過ごした
未知数以下なわけだね>>1 光栄の元就の評価はすごいよな
知略 政治が全武将No.1だけどあれは妥当なの? 政治なんか評価されるようなことは一切やってない
毛利家の年貢の高さは、もはやお家芸の域で長年、民を苦しめて来たし
海賊衆に利権をやるから仲間についてくれという懐柔策をするくらいだから
信長のような新しい為政者とは真っ向から逆を行く旧来の政治家
頼みの石見銀山があったから何とか国としての形を留めただけで、要は資源頼みの政治
しかも、その銀山争奪にかけて本城氏如きの弱小豪族に何度も大敗して
最後は銀山の利権をあげるから味方についてくれと頭を下げる始末。
その後、味方についた本城氏を、ものの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁だけど、実際は「ただ約束を破った」だけ
>>10
政治NO,1?
妄想でもしてんのか?
>>11
君、おもしろいな
「味方についた本城氏を、ものの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁だけど」
本城の件で謀略家としての評価を受けてるなんて
ボクは知らなかったなぁ〜 一代で自力で領地を何十倍にしただけで凄いと思うが。
信玄なんて甲斐1国ほぼ相続しながら信濃と駿河、周辺国の1部を増やしたくらいだし。
>>14
なぜ信玄比べるのかは分からないが、元就が信玄より上なのは同意 そもそも相手が最悪の詐欺師って回りも知ってるのに相手が騙されるのが凄いんじゃない?
その状況を作れる事とかさ >>17
それを言うなら、武田信玄もだな。
やっぱこの両雄はすごいよ。 信玄の場合は味方に引き込んでから約束破って謀殺とかないだろ
逆に真田とかでも旧今川家臣でも重宝して活用してる。
まさに人は城、人は石垣、人は堀なんだよ
元就は、その時利用するだけで最初から約束破って殺す気満々だからな
人はプレハブ、人は仮設住宅、人はレオパレスなんだよ [45:名無しさん@お腹いっぱい。≪sage≫ (2006/09/08(金) 21:40:01 ID:C4toyUnG) AA]
だから当時の評価では毛利元就が英雄だった。
これはマジ。信長の家臣や信玄の家臣などがこぞって元就こそ真の英雄と述べている。 スタートが守護大名と国一揆の盟主という違いがあるから
対応に差があるのは責める材料にならんよね 元就が本当に未知数でも、織豊系の家臣大名よりははるかにマシだろ。
信長・秀吉と関係が深かっただけで100万石とか、家康の娘婿というだけで大封とか。 一国人から中国の覇者になった毛利元就は
誇張、講談を差し引いたとしても余りある偉業だろ?
相手の弱点や隙をつくのは兵法の基本
「謀り事多ければ勝ち、謀り事少なければ負け」
非難に全く値しない、むしろ凄い
常に周囲にアンテナを張ってなければ出来ない芸当だ
息子達も優秀、一族の結束も素晴らしい >>24
元就の無能さは過去にさんざん議論されて結果が出てたね。
元就は家康並みに長生きしたくせにあの程度。しかも息子達が成長する人生半ばまではショボイ存在だった。
地域の長老になった事で、たまたま養子話が相次いで来るまでマジ弱弱。
対武田戦などたまたま流れ矢が当たっただけで、あんだけ話を捏造(安西軍策には軍略など皆無で元就が単に血気に流行ったようにしか書かれてない)
>>1
馬鹿じゃねえの三本の矢の話なんて講談なのは誰だって知ってるだろw
お前こそ知ったかぶりはやめろよ
お前、本城の件だけで鬼の首取ったみたいに
毛利関連スレを荒らし回ってる奴だろ?
卑怯とか子供かよ
正々堂々、一騎打ちってか?ww どの人物にもいえるが無能で生き残れるかってんだよ…
>>29
元就を擁護してる人間は
三本の矢の逸話がどーして生まれたかも知らないで自称・元就厨だからw
これだから、元就擁護の人間は
いつまで経っても具体的な批判には話を濁すしか出来ない低能って言われるんだよw >>29
とにかくお前が必死なのは良くわかったww 元就を無能呼ばわりしてる奴は、同じ状況で大内・尼子を倒せるほど有能なのか? >>34>>36>>37
いや〜さすがは毛利厨w天晴れwww
一人自滅して
まるで関ヶ原時の輝元、広家を見ているようだwww 煽るアホが若干居るが
毛利元就を評価する奴が大多数なのが改めて証明されたスレだな 特定大名アンチが何を基準に貶めたいのかが意味分からんのよ。
お前の生活の何に損があるんだと。
仮にも会社を経営しているくらいの人間が言うならまだ理解できるけどさ。 毛利や伊達ってマンセー史料たくさん残してるよな。
上杉・武田・北条・今川・徳川・佐竹とか
いろんな史料をつき合わせて矛盾修正もできないし。 >>44
えっと…武田のどの史料と比較検証しるのか説明しれ
ぷっ >>44
武田、北条、佐竹も十分にマンセーしてるお( ^ω^)
徳川、上杉に至っては中国史に勝るような誇大妄想でもはや気狂いの類だお┐ (;´ω`) ┌
まあ、徳川は全国の頂点に立つ立場から政治的に不可欠な要素であったの言えるけど
上杉←こいつはただの見えっ張りの馬鹿 2ちゃんねるは毛利マンセー厨多いよな。
厳島の戦いとか元就は何もしてないんだけどな。 >>1
尼子と大内が弱小ってアホか
市長か町長レベルの国人が数県の知事兼ねてる二大大名を手玉に取るって言うのが凄いんだよ
「いろんな資料を突き合わせて矛盾を修正」
この言葉を理解できないアホが多いなw
つか中国地方で見比べるに足る(国人レベルのショボイ資料じゃなく)他家大名の編纂した資料って何があるの? >>49
↑
と、信忠にほとんど燃やされて、徳川に作り直させて頂いた武田厨がほざいてみたのかな? >>48
手玉っていうか
毛利は暗殺・毒殺マンセーだから
暴力団に近いですね。 >>48
寄親寄子制度で、いい加減な統治機構が中国地方の特徴。
支配力も確立していないので、まともな行政実績はない。
国人達は地域の長老になった元就に従っただけ。
数県の知事なんて表現は失笑ものw
つか元就が尼子を利用した挙げ句に、領地増えたらたちまち裏切って大内に付くとか悪逆過ぎ。 >>44
その面子の中で佐竹みたいな田舎もん出すなよ >>52
はい、正々堂々とやって伸し上がった大名家挙げてー
どっからどこまでが許されるか説明してみてー
できなきゃ笑ってやる 大内も尼子も勝手に自滅していっただけだおね┐ (´ω`) ┌
中国地方なら宇喜多の方が上手だと思うお( ^ω^) 元就以外はカスしかいないじゃんwwwwwwwwwwwwwwwww
小早川は裏切り大王
吉川は臆病者で徳川に一杯食わされる
>>56
んん?
なるほどなるほど
…では、君はどこの家臣団有能だと思うの?
簡単にでいいから説明してみて >>56
申し訳ないですがスレ違いなので
ご退場願えますか?ww なにが、すごいってさ
ここで元就を擁護してる自称毛利厨の質w
批判レスをする人間に言い返すにも、
全部個人攻撃か罵倒レス、全く元就の功績を具体的に引き合いに出してないってところが
いかにニワカが、ただイメージ的に好きなったから擁護してます感が丸出しw
ぶっちゃけ批判してる奴の方がよっぽど具体的に元就の実績を語ってるし
なんで、こんな何も知らないニワカが元就を擁護しなければならないのか?と
元就が叩かれるのは一言。こんな歴史知らずの自称毛利厨のせいだよ 毛利ってライバル的な存在がいないからアンチすらろくに居ないのだお┐ (´ω`) ┌
加えて毛利の爺さんは中国地方に篭って一生を終えたわけだけど
他地方からしたら中国地方なんて興味ないしどうでもいいお( ^ω^) 毛利家の書は元就マンセー講談話ばっかりだし。信用できない。 >>61
信長や信玄や謙信はメジャーすぎて通っぽくない。
だから戦国屈指の版図を築いた毛利が一番なんだ。その毛利が好きな俺たちは通なんだ。
っていうのが多分に感じられる。 いるよな。そーいう厨二病の奴
自分は一味違う切り口で戦国時代を見てますから的な背伸びしたいタイプの奴
なら勉強しろよ。って話だよね
元就存命時の版図なんて、そこらで叛旗翻されて実質支配なんか出来てないし
元就死後にようやく鎮圧して実質領地化してんのに
ゲームとかだと、それが元就の領土として表現されてるから
そのまま鵜呑みにしてんだろーな とアンチ毛利は自分は一味違う切り口で戦国時代を見てますから的に酔いしれる…プッ >>54
↑
この答えまだー?
できなきゃまとめて笑ってやる
ぷっ
大体武田信玄の凄い逸話とかあんまり無いだろ
支配体制の確立は信虎のときだし、信玄はそれにのった部分が大きい。 毛利厨って武田が敵なのか。
今川義元が好きな俺には関係無い喧嘩だな。 >>1は「未知数」の意味を勘違いしているような気がしてならない 支配体制の確立は信虎って・・・
武田家が一枚岩とかとでも思ってたのか?
どんだけ家内豪族が力持ってたことか・・
小山田とか穴山とかなんて、ほとんど独立大名のノリだぞ
真田だって謙信の管領就任祝いかなんかに挨拶よこしてんし。
それくらい武田家も家中統制が難しい状況なのに上手く纏めあげたから
信玄は名将だと言われてるのであって
元就は厄介な家老を一族ごと誅殺したり、しつこいほど誓文書かせて家臣に誓わせたり
結局のところ息子を中心にさせて家臣団をまとめさせたり
支配体制の出来が信玄と元就じゃ月とすっぽんほども成果が違う >>76 >>78
まあ元就を叩き過ぎな傾向はあるが
武田関連に関しては嘘は言ってない。
信虎時代に支配体制が確立したというのはない。
信玄自身が長い時間をかけて権力拡大を目指したもの。 穴山信君が信虎の孫だという視点は忘れていないだろうな? >>79
もちろん。
そして信君が家督を継承するまでは晴信より16歳上の信友が1558年まで
当主だった事、さらに穴山氏が信虎時代には敵であったことも。 だったら高橋三代の扱い方を評価しないわけはないと思うが。 >>81
ん?俺は元就を評価しないなんていってないぞ。
>>76の武田関連の書き込みは嘘がないといってるだけで。
あと俺は>>76とは別人ね。誤解されてたかな。 >>82
うん。日付変わったから誤解してた。
>>84
似たようなもんでしょ。 信虎が城下町に家臣集住させたり、豪族を対外戦争に動員することで統制したりして、ある程度固まった権力基盤を、
絶妙のバランス感覚で運営したのが信玄だと思ってたんだが。 >信虎が城下町に家臣集住させたり
その出典はよくわからんけどさ。
戦国の早い時期に集権を図った領主は大概失敗してる。
伊達稙宗みたいな例だろうか。 >>84
よく言われる信虎の中央集権化だの固められた権力基盤だのは
信虎追放で崩れている。
実際信玄初期では重臣である豪族達の影響力は強く、
その長である板垣・甘利の影響力は特に強く、板垣の専横を表す逸話や事績もいくつもある。
信玄はこの状況の中から自身の一族や息子を有力豪族を継承させたり、
信方死後の板垣氏の粛清などに見られる豪族達から影響力の奪取、
低い身分から家臣を取り立ててそれを枢要につける事で自身の権力を増大させていった。 >>1
ツッコミどころ満載なんだが、君は素人か?ネタだよね?俺は釣られないぞ! 崩れたというよりもそれは、中央集権体制内での勢力争いではないかい?
信虎は追放されたが体制のワクそのものは生き残って、内部改革で発展する政権のパターン。 邪魔な信虎を追放して傀儡に晴信を擁立したつもりが
対村上攻めで板垣戦死などで
晴信が家中をうまく操縦し始めたってことだろ。 お家乗っ取りは信玄もお家芸。っというかどの家も当たり前にやる。
>>94
龍造寺や長宗我部ら大半の大名はやってる。 やはりスレの流れ見てると毛利擁護の厨は酷い
>>72で毛利厨が無知曝け出すと、即座に武田家の実情を指摘される
↓
>>77>>78で糞コテが自演レスで何一つ具体性のない文句だけ垂れるが
対極的に、武田家の説明をする者は具体性に飛んだ親切な説明をする
↓
が、再び>>84が小学生以下の知識を披露して失笑を買う始末
↓
後は毎度のニートトークで話題の矛先を変え、不利な状況をウヤムヤにしようと画策する
結論として、ここで毛利擁護してる毛利厨は、武田厨よりも、元就の知識に乏しい。 一々ageて煽るばかりのID:caO1Rz0oよりはマシだわな ageとか一切、無関係なことでしか反論できない毛利厨
・・これで話題を濁したいみたいです。結局いつも逃げるだけ 随分と日本語が不自由だなwwww
デフォルトで上がる仕様だから、わざわざ手打ちかsage設定しなきゃsageられない以上、一々で強調するならsage。
「一々」を「煽る」に掛けるなら「ageて」と「煽る」の間に挿入すべきだから、どっちにしろ日本語が不自由。 ていうか日本語でおkも、ここまで来ると
その「日本語でおk」という言葉も理解できるのか疑問に思えてくるわなwww
つ>>99
卑下や煽る奴も漠然的に濁してうまく批判するだけで
「誰が」「何処で」「何を」を具体的に言っていない
多分あれの事か?と思うし、単に悪意で誇張しすぎだろ、とか思うが
一々、本人に確認
↓
意見、反論
の流れが面倒なだけなんだよ
今度からきちんと「誰が」「何処で」「何を」
をきちんと書いたら具体的に突っ込んでくれると思うよ >>96
分かった分かった
信玄最強!
信玄完璧!
神だね信玄は
そして信玄を崇拝する人は素晴らしい
な?そう言えば君は満足なんだろ?
分かったからあっち行け
↓シッシッ ヾ(`ε´ )
http://speedo.ula.cc/test/r.so/gimpo.2ch.net/sengoku/1177336438/1-?guid=ON どうでもいいが、一方を貶めて一方を持ち上げるのって何か得あんの? 何がすごいって>>101〜>>106で、しつこく文句だけは言うくせに
やっぱり元就に関しては何一つ具体的な話にならないということw
てか元就厨でも何でもないだろ?コイツら・・
ただのアンチ武田とかそんくらいだろ
>>101
イチイチ相手に確認しなきゃならないとか言ってる時点でオマエが何も知らないだけだろ
手取り足取り書いてもらわなきゃググれないので反論もできない
だから、何時どこで誰がとかまで書けとか、もう自称毛利厨アホすぎw 結局具体的に書けない
反論が怖いから
だから言葉を濁すわけだなww そーいうことだなw
今まで毛利批判?してる人は皆、一様に具体的な事柄を挙げて理由としているのに
それに対して自称毛利厨の取る行動は「煽り、荒らし、個人攻撃、話を誤魔化す」こればっかり。
それどころか、「もっと事細かく誰にでも分り易いように具体的に説明してくれ」とまで言い出す始末・・
真性のアホと見たw だから具体的な事てなんだ?
前レスで良いからコピペしてあげてみ >>108
わりいわりい
それ(109)はアンチに言ってるんだけど勘違いさせたか?
アンチが漠然で具体的に言わないから反論に毛利ファンは困る
って事だ >>110
わりいわりい
そんな猿の思いつく、毎度の『論点回避』には慣れてるから
俺も自称毛利厨のレベルに合わせてレスを利用させてもらっただけだが
オマエの意図が逆用されて迷惑したか?
でもね・・毎度毎度、オマエら(自称毛利厨)のやってることって、いつも一緒なんだよねw
だから、本当に反論したいなら自ら具体的な例題を引き合いに出して主張してみな。
それが、出来ずに、ずっと、相手の主張にばかり反論するスタンスを取ってるって
ただ、知識のない人が『突っ込まれるのにビビッて逃げてる』としか映らないよ。
ま、それが真実なのだから仕方ないけど・・w
>>112
わりいわりい
ずっと張り付いてた訳ね?
で、その内容しか延々と言い返せないとなると
結局、バカが「何となく毛利好きで・・」
これが反論の動機ね。理解した
>>114
自分の事を客観的に見られるって素晴らしいですね
元総理と同格です で?
元就の功績に対する自称毛利厨の具体的な弁明が何一つ出されないのは何故なのか?
未だに、論点誤魔化して逃げる状況は変わらないんだが
いつになったら自分らから、その具体的な発表をしてくれるのかな?
もしくは、今、必死に図書館で調べてるのwwww? 論点ごまかしてるのはそっちでしょ
評価は最初のほうに書いてあるじゃん
なんだかんだ言っても一国人から中国の覇者になっただけでも凄いってさ
それ以上の評価が何処にある?
アンチは卑怯だの漠然としてるだけじゃんか
そこらへんで反乱とか何処が具体的なの?
アンタはアホですか? そこらへんで反乱というのは確かに漠然としているし具体性に欠けると思いますが…
ID:caO1Rz0oはそういうのも自分で調べて反論してほしいのだと思いますよ。
というか毛利が好きな方ならばある程度知識があるでしょうから、調べるまでもなく見当がつくのではないですか?
もっと冷静になられたほうが良いと思います。間違っていたら申し訳ない。 どっか一つの大名がすげえって考えてる初心者が居るからじゃない 元就って手紙一枚で国を滅ぼしちゃった三国志のようなファンタジーなことやってのけた大名 元就の凄さってさ孫の輝元に天下とれないと断言してるとこだと思うけどな
>>121
っていうふうに子孫が作り上げちゃった大名 流れからいつもどうりなんだけど信玄と比較するのはおかしいだろ
元就も信玄も名将だけど妙に人間らしさが好きなんだがな 答え
無能元就「そうせい」
息子たちががんばった。 8公2民と言われる伝説の圧政を敷いた事実があるからどうしても支持する気にはなれないな
政治家としても君主としての仁徳面も織田信長や北条氏康、徳川家康に後れを取り
戦術家としても上杉謙信や武田信玄、島津義弘には劣る
策略家としては一流、戦術家としても一流に近かったとけど政治家としては三流じゃないか? 豊富秀吉と比較すると策略面、戦略面は勝り政治面や仁徳面は秀吉と互角、謙信と比較すると毛が生えた程度だろな
有能な傑物には間違いないけど欠点もかなり多い
軍人としては有能だが統治者としては微妙 欠点もふくめて好きなのさ
人間臭さがあって
しかも毛利は地味、でもそこがいい
三国志でも呉が好き
なんか地味さが毛利と似てるから 政治家や人物としては嫌いな部類だけど合戦の指揮官としては戦国屈指だろね。
自身が出陣した二百戦以上の大小含めた戦歴は不敗らしいし。
信長や家康は当然として、
武田信玄や上杉謙信、島津義弘、真田幸村でも確実に勝てる見込みはないと思う。
秀吉や政宗の場合だと全てに於いて元就以下で長宗我部は論外だね。
ただ戦国当時は元就こそが英雄、これが通説みたいな意見は大袈裟だと思うのだが。 やっぱり最大の評価は子沢山
しかも全員優秀な息子達
競馬でなら種付料は破格だと思われる 競馬でいうなら元々地方競馬所属で5歳年末くらいまで泣かず飛ばず
どうみても馬肉です本当にあり(ry だったのが、6歳明けから条件戦を連戦連勝
思い出出走した地方G2に勝ち更に地方G1も連勝
明けて7歳
招待された中央重賞に勝ち、挙句の果てにはG1も獲る
ラストレースは有馬記念
5歳時に種付けしていた(競馬ではありあえないけど)直系仔馬数頭はデビューから
負けなしで早々に中央転厩 地方所属なんだけど血統は零細(大江氏)ではあるが平安鎌倉以来の
きちんとしたサラブレッド >>137
メイショウドウサンてのもいたな。
>>143
どうでもいいんだが、平安鎌倉以来のきちんとしたサラブレッドてのに違和感を感じた。
いや、言いたいことはわかるんだが。 輝元も凄かったと言ってやりたい。
先ず毛利の動員力の凄さは他の追随を許さない。
毛利一族を考えた場合、1560代から1600まで毎年のように万単位の動員を
掛けている。これを他の大名家と比較した場合、匹敵する大名家は日本史
上皆無である。最大動員数は関ヶ原で一族や配下の大名家を合わせれば、
徳川家の動員数と匹敵する8万近い動員となる。
又、海上を利用し動員より僅か一昼夜で3万の軍勢を広島から大阪へ送っ
たのは見事といえる。(家康はほぼ同距離の名古屋まで10日を要した)
以上の事から解る事は、軍勢を支える財政、運用をするシステムが戦国
時代の最高位であったことを意味する。 >>135
五歳まで〜は違うと思うよ。
出るレースは勝ち続ける、しかし、次のレースが定まらず、ハンデを背負いながら、自己条件を勝ち、そして放牧調教の繰り返し。 マキャベリを思い出すな。輝元の場合。
一匹の狼に率いられた100匹の羊の群れと
一匹の羊(輝元)に率いられた100匹の狼の群れとの
戦いについて。 北条氏は単独で5万の軍勢を動員してますが何か?
一番評価すべき点はそれだけの動員力を持ちながらむやみやたらに戦争しなかった事
七つの傷を持ち陣頭で力戦してるのは頂けないが不敗の名将と言われる猛将はただの猪武者ではないという事だ
早雲を凌ぐと言われる所以だが氏政は父親の何を見て何を学んだのか… >>143
多分145が言いたいのは他は単発動員は出来ても毛利のように連年、継続は難しい、て事じゃないかな?
月山も二、三年包囲してるし 織田なんて多方面に動員し続けてるお( ^ω^)
輝元などはその一方面担当の秀吉に駆逐されつつあったわけだしね( ^ω^) >>143
北条は合議制が出来上がっていたからねぇ、書状がないと兵は出せないし。
つか、親父から学ぶものって何かあったのか?
爺ちゃんならわかるが。
>>149>>150
毛利は豪族の寄り合い集団だから、継続的な軍事行動は難しいよね。
信長の凄いところは、多数の職業軍人を持ったってとこじゃないかな。 そもそも事前の会議による合議もなしに、豊臣が拒否った代わりに西軍総大将に祭り上げられ有頂天になり軽はずみに大阪城に入城した輝元は、その後の家臣の単独内通を呼ぶ原因であり批判される対象なのにマンセーするとはw
大阪の気が変わらない内に急いで大阪城に入城しただけだし、動員だって大阪城の金や米に依存してた宿り木や寄生虫だった。
大阪城の養分を吸い取り尽くしてから明け渡し。 とりあえず、スレタイは元就を対象にしているのであって輝元を取り上げてはいないな。 >>148
なんか勘違いしてるんだけど、関ヶ原では豊家は金を出してません。
しかも、豊臣政権時代は毛利家が豊家の財政負担をしたことはあっても逆は無いだろ。 毛利元就総合スレでも用が足りるのでは?
と思う今日このごろ… だいたい最近の地勢や江戸史観で西低東高のきらいがあるが、実際の歴史は
西高東低なんだよ。
織田家が主に動員した兵の分布図を見れば一目瞭然。特に地力が整った1570
年代以降からほぼ西に攻勢をかけてる。もうね9:1くらいの割合。
これをお前、東がめっちゃ頑張ったような扱いでやるから可笑しい。
動員回数や兵力の所在分布図規模を見れば毛利>武田+上杉が正直なとこだね。 関東甲信越は多くの他家資料を見比べて精度あげられるけど
毛利や伊達なんて比較対象がロクになくてマンセー講談レベルだけどな。
大内尼子蘆名は良質が資料ないし、おまけに大友佐竹資料とも大きく食い違ってるし。
伊達毛利は捏造資料だけ 所詮、八公二民で贅沢三昧子作り三昧のエロジジイだからなw
コイツの美談なんかあるんですか?
三本の矢は講談の創作だし何一つないよ。 やっぱり勝ち組と負け組の違いじゃないか?
歴史は勝者によって作られる
毛利なんて他の家に比べると書状など残ってる資料は群を抜いて多いと言われてるし
敵対した勢力などは全部消えてる(大友、大内、尼子、宇喜多…)
他との照らし合わせが難しいのは当たり前
批判するなら「捏造だ」とか、推測で反論するしかないわな
しかし誇張や捏造があったとしても毛利が悪い訳ではない
中国地方では一人勝ちなんだから仕方ない 美談て…ww
いい話のスレでも見れば?
逆に武田、上杉、北条の方が少なくないか?
知ってたら援護してやれよ
俺は元就の話、三つ書いたよ 1573年
長府毛利家文書
輝元が穂田元清に当てた手紙。
信長には強気な態度をとることが寛容である。
次は宇喜多直家に注意せよ。信長が敵となれば直家を先鋒として戦わせれば問題ないだろう。
兎に角毛利が織田を気にかけていることは絶対に直家には知られないように。
っとか割と輝元の方向性のない手紙が一杯あるぜ
毛利が信長にビビってるのを宇喜多直家に見事に見透かされて裏切られた毛利w
信長の先鋒が宇喜多www まぁ毛利は不運と言うか唯一方面軍に敗北した地方大大名だもんな。
秀吉相手じゃ仕方ないが関東菅領の滝川は北条軍に大破され勝家も謙信に敗北したしな。 秀吉だから仕方がないってなに?
秀吉は毛利が背後を襲わないから明智や柴田や徳川に勝ったようなもんだし
四国や九州征伐なんかも毛利が先鋒やってんじゃん。
秀吉がすごいわけじゃない。
毛利が秀吉に天下をプレゼントしたアホなだけ。
家康は信長の背後を守り天下をプレゼントする寸前までいったが、のちに自分が天下をとってる。
毛利が秀吉と敵対してれば明智も柴田も徳川も北条も伊達もいろんな選択肢が生まれていた。
信長死亡が知れ渡る前から秀吉に白旗挙げたのは毛利だけだもんな
ファンとしては本当悲しいよ情けない
他の戦国大名は皆立派だったのにな
島津、武田、上杉、北条、伊達
長曽我部も格の低さを露見はしたが秀吉軍に破れたのは仕方ないよな >>165
島津はたしか信長のことを手紙で「上様」って呼んでなかったか?
俺の記憶違いか… いや知らなかった
政宗なら知ってるが
信長も若い頃、三好長慶の事を上様と読んでいたと何かの記事でも見た事あるな
だけど島津は秀吉に脅されて二回戦って二回勝ってるんだよな 島津は仙石に勝ったのは知ってるけど
あと一回は何? >>1
そもそも元就が未知数ってww単純に嫌いなだけじゃねーかwww 違うよ、スカウターがぶっ壊れるくらい凄すぎて
計測不能って事さ おっす!オラ元就
強え奴、見っとワクワクすっぞ
ぼ・う・りゃ・く波〜〜〜〜〜〜〜 8公2民の重税に加えて今で言う闇金融すら赤子に見える過酷な取り立て
暴利を貪り尽くしていたのにも関わらす輝元の代には織田信長の一家臣に過ぎない羽柴秀吉に
終始圧倒されたのを見るとやはり元就の政治力は郡を抜いていた
武田や北条、上杉が織田家や豊臣家本隊と対等に渡り合えたのとは格が違うよな つまり……
無惨に滅ぼされた武田よりは上ってことですね
わかります 美濃隣国の武田と一緒にしちゃダメでしょ。しかも敗れたのは勝頼だし。
毛利も輝元では、滅ぼされるか臣従するかしかない。
ただ、清水宗治みたいな人材が終期の武田にはいなかった。
両川あっての家臣団だがな。
両川なけりゃ団結(笑)だけど。
8公2民の元祖鬼畜王元就は改竄にも力を入れていた訳ですなw 八公二民ってなんだよwボッタクリじゃねーか!
これだから欲の皮の突っ張ったエロ年寄りは…
子作りばかりしてねーで少しは織田信長を見習えよ! 元就非難に八公二民廚がいるよな
八公二民て根拠あるの?
ソースを教えて欲しい
輝元時代に重税掛けて「先代、元就公は〜」と文句言われてるのに
元就で八公二民だったら輝元はどんだけ搾取してんだよw 八公二民だったらとっくに地侍が裏切ってるわ
それこそどんな超人的な政治力だよ この統制力の勘違いってのはどこに起因しているんだろう。 やっぱ金だろ金
交易と銀と鉄
極端な話、九州・明の物産を畿内北陸方面に流すだけの中継貿易でも利ざやが
充分稼げるのに自領で銀と鉄まで産する >>192
そんな事、天下の元就公に通用すると思うか?
処刑だよ処刑
それに当時は毛利家に匹敵する勢力は近隣になかったしな
農民は生かさぬよう殺さぬよう そんな悪政していたら簡単に大友、尼子、宇喜多に扇動されるか手を結び
面倒な事になるんじゃ? やっぱり某関東大名のとこで百姓やりたいわ
街まで囲んで護るとはのぉ 織田や北条みたいなヘタレに一緒にすんな!
他国の農民から擦り寄られて
「一生あなた様の領民でいさせて下さい」
なんて軟弱過ぎるだろ
元就公はなぁ例え拒否られても監禁するだろう
誰一人として決して手放さない
大友は知らんが宇喜多は悪政有名だろ
元就公みたいにスケールないから領民はおろか家臣にも憎まれていたが ノブヤボ風に言うと織田、徳川、北条、長宗我部の民忠は高いはず。 最上や三好もな。
宇喜多や松永、毛利、斎藤との違いは世間じゃ奸雄扱いでも
家臣や自領の百姓には情け深い殿様だったからな。 おまえら百姓が何人飢えようともワシは飢えん!
おまえら百姓がどれだけ不幸になろうともワシが幸せならそれだけでいいんじゃ!
おまえら百姓はワシの幸せだけの為に死ぬまで年貢を納めればいいんじゃ!
ここは百姓の幸せの為の国では断じてない!
ワシ一人だけの国なんじゃ!
分かったら死ぬまでワシの為に働け働け!
元就 昨日のあんみつ姫に出て来た悪代官見て不覚にも元就公を思い出して吹いたw 小大名が乱立して、室町末期から断続的に小競り合いが続いてた地方だから
それを統治してくれる人間が出りゃ、自然と民忠は上がるんでないの?
>>204
大内の支配下だったところは、統治末期までは平穏だった。
安芸以東は確かに不安定で小競り合いが続いていたけど、毛利支配下
になっても、意外と戦乱は収まってなかったり。
でも、八公二民って誰が言い出したんだ?
そんな一次資料は見たことがないんだが・・・ 北条が5公5民なら織田や毛利はどのくらいなんだろな。 >>129>>135
みんな↑見てやって(笑)さりげなく北条厨や上杉厨が無理やり
氏康謙信>>>>>>元就にしたがってる姿が滑稽wおよびじゃないよ。
元就と比較するにあたる人物は、信長か信玄ぐらいでしょ。 元就は逆賊の陶を倒したっという見方が出来なくもないから信長のとは事情が違う。
陶の謀反の相談を事前に受けている元就が逆賊を倒したとかお前馬鹿過ぎだろ。
陶と元就は同罪だ。
しかも謀反仲間として元就を篤く信用していた陶が石見遠征に行った時にいきなり狼のように陶の留守を狙って裏切り行為を行った鬼畜が元就。
陶にしてみたら元就が裏切った理由すらわからないほど理不尽。
つまり元就は己の利益の為には真義を踏みにじり、大内、陶と主を二度相次いで裏切った悪党。
義隆と隆元、陶と元春や隆景はホモ愛人な間柄だったにも関わらず。
毛利は尻穴を売って抱き合い、体を売り充分に信用を得てから裏切る基地外一族。
だから陶の怨念や祟りを極度に恐れて自己正当化しつつ弔ったりした。 >>210
馬鹿はお前だろ
陶との関係をぐだぐだ言ってるが全く無意味
「主家殺しを打つ」と言う大義名分があるだろが
大義名分がありゃいいんだよ
それに陶からしたら裏切られた意味がわからないとか
本気で言ってるのか?
毛利が自分の力で落とした鏡山城に城代いれて毛利から取り上げたり
安芸での毛利支配力が拡大しないようにいろいろ小細工してる
陶が毛利に恨みを買う理由はいくらでもあるだろが
無知はしゃべんでくれ 結局、毛利が勝ったという事だな
お前は何がいいたいのだ?ww >>1
その水軍がどうやって陶本軍を8時間で壊滅させれるんだ?w >>1
ていうか毛利の資料はデタラメと言ってるのに
>そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
こういうとこは採用する220のご都合主義に笑えたww
それに陸戦やらなきゃ勝敗つかんだろ
水軍だけで陶を壊滅させたのか?
海戦でもしなきゃ無理だろ
220よ。無駄な事はやめとけ
お前にゃ毛利を陥れるにはまだ早過ぎる 毛利家所蔵文書は江戸期に大幅に入れ替えがなされ、毛利子孫に都合よいように作られた逸話は有名
厳島や熊見川、三本の矢の教えといった毛利の作った妄想&捏造が、敵対勢力の生存がほぼなく、他大名との接点から遠かったため、
無批判で史実とされるにいたった
恐らく、陶軍は嵐に飲み込まれて死んだんだろうな
海の上の戦だと天候が大きく影響する 熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない
橋津川対陣の逸話、三本の矢の教え、厳島の戦い。
捏造ばかりの毛利家
戦闘してはいけない停戦日に奇襲して陶を騙し討ちした戦国最強の卑怯者が元就。 熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない
橋津川対陣の逸話、三本の矢の教え、厳島の戦い。
捏造ばかりの毛利家
周りが究極の雑魚に見えるほど元就が優秀って訳か!うはwwwwwwワロスwwww >>1
だからさ、水軍味方につけても陶本軍をどうやって壊滅させるの? 水軍が敵側に付き自軍が孤立したのを知った陶配下が動揺離散したんだろ >>1
武田 上杉 北条 織田は統治能力ゼロな小国を切り取っただけの話じゃないの? まあ、それが出来ない人達が大半だから彼らが勢力を伸ばせたわけだお( ^ω^)
毛利も大国になってから勢いが衰えたお( ^ω^)
そもそも国の大小よりも国内がどれだけまとまっているかが国の強さであり
兵の多寡よりも軍がどれだけ統制が取れているかが軍の強さだお( ^ω^)
関ヶ原で内部分裂を起こし、大国大兵力を有しながら
2、3万石の小大名より役に立たなかった毛利がよい例だお( ^ω^) 毛利の場合は統制云々以前に単純に戦闘力が低すぎるだけだろう
何せ秀吉送り込まれて以来大きなチャンスもあったのにことごとく逃し次々侵略されまくりだったし
寝返った南条や宇喜多(直家急死後)にすら大苦戦してたしな
最初の勢いはただ単に大内や尼子の内訌があっただけでしょ 別所や播磨国衆が離反し秀吉窮地⇒もたもたしてて結局切り取られる
寝返ったのは南条宇喜多くらいで他は自力で侵略されまくりだしな
播磨や鳥取救援部隊も見事蹴散らされる
南条宇喜多にすら撃退される
いいとこなしの雑魚ゴミ大名
統制云々言うなら他の大名だってそこまで差ないだろ 国力や兵力に恵まれながら中央との戦いでいいとこなしなのは弱い証拠
中国はどうみてもレベルが低い 熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない
橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。
捏造ばかりの毛利家
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない
橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。
捏造ばかりの毛利家
陰徳太平記や毛利家所蔵文書は、偽書。
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。
戦前の戦国史研究において毛利や島津をマンセーし持ち上げて藩閥政治で美味しい思いをしようとしたやつら大杉。
島津や毛利を批判することはタブーだった。
その悪癖がいまに至る。 >>1
結局おまえは何も答えないんだなw
222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 16:52:51 ID:qR+OnSSG
>>220
その水軍がどうやって陶本軍を8時間で壊滅させれるんだ?w
236 :人間七七四年:2009/06/13(土) 02:22:27 ID:e2XeZNiT
水軍が敵側に付き自軍が孤立したのを知った陶配下が動揺離散したんだろ
237 :人間七七四年:2009/06/13(土) 02:24:19 ID:pL0agkEG
陶は嵐に飲み込まれて勝手に死んだんじゃね?
>>245
寡兵で進攻する馬鹿はいねえだろ
ちょっと考えればわかる
こいつは真性の馬鹿だな 毛利家が動くと天下が動いてきた。
宝治合戦、関が原、明治維新
興隆と衰退を繰り返しながら最終的に天下に手が届かなかった理由は
何だったのだろう 歴史のIFで関が原西軍勝利は語りつくされているが
宝治合戦は三浦氏、毛利氏勝利の可能性は関が原より高かったと
思われ。三浦が勝ち北条が駆逐されていたとしたら
毛利家がどうなったかには非常に興味がある。 逆にチャンスたくさんあって何ひとつできずに大減封か大敗だから情けなさ過ぎる
国力や兵力に恵まれてるのに中央との接触で醜態さらしてるから酷すぎる 輝元時代の毛利っていわばでかいだけの無害大名だから両上杉とかの旧幕府勢力とか大内とか
ああゆうのと同類だわな
いざとゆう時は役に立たないデブみたいな家 大江広元が頼朝に仕えて勃興。毛利末光が宝治合戦で敗北して越後の小豪族に
雌伏300年元就が中国に覇を唱える。中央政界に再び進出して輝元が
五大老に。しかし関が原で破れ防長2カ国に押し込められる。
再び雌伏250年。明治維新で倒幕をはたす。しかし実権が家臣に移っていた
橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い、有田中井手の戦い
捏造ばかりの毛利家 厳島の戦いや有田中井手の戦いは、毛利側史料にしかない。。
毛利の捏造だろこれ。。。。 宝治合戦で三浦が勝った場合は毛利家は安達家と同じ立場になるが
三浦氏が支配し毛利が重臣となる鎌倉幕府がはたしてどうなっていったか
どうやっても最終的勝利はおぼつかなかった関が原と違い
天下取り最大のチャンスだったんじゃね。
ここでの勝敗が引っくり返ると歴史が全て違ってくるんだよな >>256
どーだろね・・・。
その安達氏も結局数世代後には霜月騒動で討たれてるしなぁ。
>>257
関が原の場合はどちらかというと経済的原理で必然として江戸幕府が成立したが
宝治の場合は人間の意志、偶然によって歴史が決まった稀有な例の一つだと思う
三浦泰村の意思ひとつで勝敗はどう転ぶか全く分からなかった
その後の歴史が全く異なってくるという意味でありえないほどの重大な場面
つまり圧倒的兵力や国力に恵まれ強兵も持ってたのに雑魚秀吉にボロクソにやられた毛利最弱でFAってわけだ 厳島の戦いや有田中井手の戦いは、毛利側史料にしかない。。
毛利の捏造だろこれ。。。。 熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない
橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。
捏造ばかりの毛利家
結局毛利の前に武田は敗れた、といいたいのですね
わかりますよ 毛利が雑魚評価なのは戦国全体を相対的に見渡せばわかる お前ら、いくら同族とはいえ武田違いだ
巣に戻って織田と争っておけ
ちなみに三方が原は勝って当たり前、負けたら恥
その程度の戦です
信玄には弱いものいじめ以外、特にこれといって戦績ないからな
三方が原と仁科で得意げになる武田厨のなんとあわれww
しかも弱い弱いとほざいてる織田に滅ぼされたら世話ないわww
ほんと武田ダセーな 織田が武田に勝ったなんて事実ねえよw
圧倒的大軍で上村合戦東美濃攻防戦岩村攻囲戦高遠攻防戦と大敗をしまくり
長篠では勝頼の自爆があったのに1000程度しか討ち取れず織田軍は60000のうち30000討ち取られる大敗w
結局勝頼が発狂して家臣に殺されたから武田領一時的に抑えてただけw
結局圧倒的大軍持ちながら仁科以下が確定してる光秀に寡兵で殺された雑魚w 斉藤に20回負けてクーデターが起きたから城のっとれたが結局畿内勢に大敗しまくり
武田との主力決戦20回全て全敗の織田w 信長がまともに戦って勝った戦なんて一つもねえよw
相手の目に砂ぼこりが入ったか相手の兵士が穴にはまって死んだとか
そういうとかばっかだし斉藤に30回負けたけどクーデターに乗じて城のっとただけだし
戦下手だったから圧倒的大軍で寡兵の光秀(仁科以下が確定してる)にボロ負けして討たれたし
雑魚長は領土拡張率ゼロの雑魚w
武田との主力決戦10回全敗して勝頼が暗殺されたから倒したように見えるだけw
ようは幕末までのこった権利者毛利に都合いいように捏造されたって事だろ
つまり弱兵で圧倒的強さで織田徳川に勝ちまくり大損害与えまくった武田最強で確定
強兵で圧倒的大軍で南条や宇喜多にボロクソに苦戦しまくった毛利雑魚で確定 有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。
そりゃ土下座して生き残った毛利は捏造し放題だろうな 毛利って正直戦国最弱確定だろw
戦に勝ったことねえしw
相手が自分で死んでそれとっただけw 熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない
橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。
捏造ばかりの毛利家
>>274
戦に勝たなければ領地なんてとれるわけないだろ
どれだけ馬鹿なんだ 元就が武田元繁を討ち取り武田衰亡→毛利の捏造→息子で英傑だった武田光和が急死後に内紛で衰退し大内に滅ぼされる。
元就が主家の義隆の敵討ちをして大内領を正当に継承→毛利の捏造→陶の大内義隆謀殺に元就も共謀後に石見国で苦戦中の陶を裏切り背後を襲う卑怯者が元就。
尼子晴久が暗愚で元就の謀略に引っかかり粛清をしたことで内部崩壊→毛利の捏造→晴久急死後に弱年の義久が出雲国譲渡で毛利と和睦したつもりで騙されたため。
毛利が領地とったことなんてねえよw
旧大内尼子領ひきついだだけw 九州からたたき出されるあたりの手腕はお粗末すぎるな
しょせん相手の内紛にじょうじた火事場泥棒しかできねーおっさん 手伝い戦だろうと ブザマなのは毛利だろう
武田だったら周りを敵に包囲されてても九州を分捕ってたろうよ
土下座して命乞いした情けねー奴が毛利 武士の気概もないよね 長年に渡り盟友だった三村氏を裏切り宇喜多と同盟した挙げ句に宇喜多は秀吉に服属。
先がまったく読めないバカ毛利。
両川まで投入し全力で戦った挙げ句に、筑紫や秋月や宗像や麻生や立花らを見捨てて大雪の中で毛利全軍が敵前逃亡し、
道雪の鬼追撃で討ち死にしまくるだけでなく、息もつかせぬ急追で暖を取り休む暇が貰えず、
疲労と寒さで凍死者続出し負けた戦いを手伝い戦って言い換えるアホぶりが毛利厨w
西軍総大将だった関ヶ原も手伝い戦って言い訳ですか?
石田も大谷も宇喜多も立花も島津も長宗我部も上杉も佐竹も毛利のヘタレぶりに怒ってるでしょうねw 先がまったく読めないとか言ってるけど仮に三村と同盟し続けたとしても
宇喜多のように服属したかもしれないだろ
石田や大谷や宇喜多が毛利を怒る権利なんてないだろ
重要なことは相談せず決めておいて兵を動かしてもらおうなんておこがましいだろ
>>298-301
毛利が九州からたたき出され云うて、大内輝広が大友の後押しで
謀反を起こしたけぇ撤退しただけで、九州での戦闘に負けて撤退したん
じゃあるまいし。立花文書の架空の多々良浜の戦いは、南北朝期の
多々良浜の戦いがネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう。 毛利文書の架空の厳島の戦いは、南北朝期の厳島合戦がネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう 何言っても無駄だよ
武田厨は壊れたCDのように同じ事をコピペするしか能がないからね
とにかく理屈云々関係なくけなしたくなったらコピペ
これが奴らの手 >>283
下関は九州勢に占領されたことがあるん? >>282
全て相手のせいにするようですが、トロい豚毛利自らの政略や指導力や人望が欠如してるのを認めてるようなものですねw
>>303
外交力を駆使して将軍家から大内家相続認可状を出してもらうのに成功し豊前から3000の兵を山口に投入し大内残党を利用した知略の政戦略>>超えられない壁>>>匹夫の勇の毛利の屑戦術。
しかも戦術的撤退もできず、豊前覚書曰わく「其夜殊外之大雪ニ而候故落行候者骨身ニこたへ皆落行候由」な悲惨かつ必死な敗走をしてる毛利軍4万。
そもそも捏造してるのは萩藩閥閲録を編纂した毛利側の方がヒドい。
しかも毛利に見捨てられた寡兵の龍造寺軍は大友に徹底的に抵抗し、毛利敗走から3ヶ月後の今山合戦で大友に大勝し、
宗麟の名代として後詰めに来た大友親定を敗死に追い込んで筑後へ退却させてる。
この龍造寺の粘りのおかげで救われたのが毛利。
大友が政戦略で圧倒した敗軍毛利領への大友軍の侵略占領政策が実行できなかったのが悔やまれる。
まぁ龍造寺>>>大友>>>毛利って事だわな。
63 名前:仙台藩百姓祭[] 投稿日:2008/11/14(金) 18:05:03 ID:s67RGBJ5
毛利ってライバル的な存在がいないからアンチすらろくに居ないのだお┐ (´ω`) ┌
加えて毛利の爺さんは中国地方に篭って一生を終えたわけだけど
他地方からしたら中国地方なんて興味ないしどうでもいいお( ^ω^) >>287
>大友が政戦略で圧倒した
よっぽど贔屓かアンチ毛利でないと圧倒なんて言葉はでない
お前は捏造、編纂が酷い、などと言える立場の人間ではない事が証明された >>289
具体的反論がまったくできない無知低脳さん乙 >>290
どこが政戦略圧倒なんだ?
毛利の調略で国人達を押さえるのに辟易してた大友のどこに圧倒した実績があるんだ?
北九州スレにでもいけよ
無知低脳さんww っかさ、普通に考えて九州より中国地方の方が毛利にとって重要でしょ?
多少追撃で痛い目にあっても逃げる方が特。
ただでさえ成り上がりの毛利には求心力がないのに遠征を仕掛けたのが失敗だった。
ただチャンスではあったけど。
大友も大友で対応が後手後手で動きが鈍い。外交は名門の力を見せつけたって感じだが。
>>287
わしが、>>303で九州ハッタリ文書、南北朝期の多々良浜の戦いの投影を
指摘したら、ハッタリ文書の受け売りじゃけぇ、話にならんよ。
しかも兵数なんか、どう計算して毛利軍4万云う数字が出てくることやら。
毎度空虚な妄想ばっかししょうるのう。 中国線は毛利が圧倒したけど北九州戦では大友が勝ったでいいじゃない
中国戦は大内尼子の弱体化でわりかしスムーズに進んだけど北九州は大友の最盛期だし撃退されるのも仕方ない
撃退されたからったって毛利の評価が下がるわけでもなし 大友が圧倒したとかほざく奴が馬鹿がいるから話がおかしくなる 確かに具体的反論は一切せずに毛利最強を喚く厨しかいないなw
やっぱり腰抜け毛利は一連の戦役に大敗したとしか思えないな。
ここの戦域での毛利はそれ以前にも大友尼子ラインの圧力の前に屈辱的な将軍家の和睦を受け入れて九州から撤兵に追い込まれている前例もあるしな。
毛利は大友のグランドデザインたる大戦略の前に終始圧倒されている。 >>296
毛利最強なんて誰も言ってないだろうww
具体的もなにも北九州スレに行けよ
大友圧倒とかお前、頭おかしいだろ
大友は毛利領を侵略した事あるのか?
守勢はいつも大友だろが >>297
毛利侵略?なに言ってんだ敗走してボロクソになってるところを、毛利が泣きながら逃げ出した時に見捨てたはずの龍造寺様に救われたくせにw これのどこが大友の圧倒的勝利なんだ
大友は防衛に成功したんであって圧倒的勝利とは言いがたい >>299
318のような「大友が政戦略圧倒的勝利」とかほざいてる馬鹿に皮肉で書いたつもりだったのだけど?
マジで受け取られるとは思ってもみなかったよww
見てもわかるとおり、毛利にとっては大友より
尼子残党のほうが手ごわい相手なのがよくわかるね
大友は必ず隙をついて兵を繰り出すが最後は必ず蹴散らされる
毛利の進撃を阻む事は全く出来ない
立花道雪も何度も参加してるのに対毛利では全くイイトコなしです
多分、大内残党だけなら本国だけで対処出来て九州撤退はしなかったかもしれませんね
尼子残党によって大友が救われた事がよくわかるます
大友の政戦略ではなく尼子が蜂起してくれた運のお陰です 大内の養子に出した弟を宗麟は元就との盟約を尊重して切り捨てたのに、元就は約束を裏切り九州の大内領を奇襲したり、
将軍家の和睦に北九州の国人への調略の禁止がありながら元就は約束を破りまくる基地害だったから、
戦の準備が成されてない時期の大友との和睦の約束を破り攻めてる毛利のせいで序盤は大友が不利だが、
日本が真珠湾奇襲したが結局、アメリカに大敗した如く、終わってみたら毛利が九州で得た領土は寸土のみの惨敗。
劉邦が項羽を討った如く。
孫子の兵法でも小事で失敗するのは虚であり、あえて隙を見せて相手の注意を引いておいて伐つのを勧めてる。
上策とは相手の謀り事を伐ち、自分の謀り事で相手を圧倒すること。
要するに政治の延長たる戦だけが戦いでは無く、政治外交を駆使して相手を屈させるのが勝者なわけだ。
ヘタレ毛利は結局、戦略的不利を戦術で補うことに失敗したわけだ。
三国一の卑怯にして不義な裏切り者元就が惨敗し大友の圧勝だろうね。 >>286
下関が戦闘して九州勢に侵されたことは無いねえ。
>>323
大友に苛められよる九州の小豪族の要請で行ったまでのことよ。
九州、四国の苛められよるもんを助けにゃあいけんけぇ、
一方面だけ征伐出来るわけあるまいに。どこが不義なんか。
太平洋戦争で散々にやられて降伏した事例は、甲斐武田氏の方が
あてはまるじゃろうに。 なるほど。
兵の強弱はまだしも、北九州と西中国の力関係は大体わかった気がする。 はいはい捏造毛利史観だとすべて助けを乞われたからw
思いっきり領土的野心で国人を煽ってたくせに。
結果的に領土が得られず大敗したら手伝い戦になるのかよw
麻生や宗像や秋月や筑紫とかはヘタレ毛利よりも、のちに助けてくだされた島津様の方が毛利より100倍頼りになったな。
島津>龍造寺>大友>毛利なのは確実だよ。 不等号使うときは比較項目が何なのか明らかにしてからにすべき。 >>303
大内氏時代から安芸を含む中国勢が九州へ遠征したことはあっても、
九州勢が中国地方を攻めるなんか無いし、その実力もないよ。
>>331
島津?西中国勢の毛利や東中国〜近畿勢の黒田に勝てん九州ローカルの
軍団でせいぜい四国の長宗我部勢でも相手がふさわしい。 >>1
それで毛利が多大な資材と兵力の犠牲を出しまくった挙げ句に大友からどのくらいの領土を奪い取れたの?
毛利は龍造寺や秋月や麻生や宗像らを見捨て敗走した後、一度は降伏した龍造寺が毛利の困難を助けるべく再挙兵し、大友の兵を分散してくれたし、
毛利への追撃を止めてくれたのも龍造寺だし今山合戦で大軍の大友を退けて毛利を救ったのも龍造寺。
毛利が逃げた後の宗像なんて道雪からフルボッコにされて人質を道雪の妾にされてるし。
毛利に見捨てられた緒氏はみんな悲惨な目にあって、立花城督の道雪や宝満城に高橋紹雲を配置し大宰府周辺をガッチリ固めて二度と卑怯者アホ毛利が手を出せないようにした。
これで約束は破る為にあるを信条にしてる狼毛利を排除した北九州での大友の覇権が確立したわけですが。
まぁ信用ゼロ毛利の不意の奇襲に備えて筑前をガッチリ固めたから、南が疎かになり島津に破れたわけだが。 >>310
そもそも大内が北九州も支配してたのに何ワケわからん事言ってんだバカか?
中国勢力は常に九州の豊かさを羨望し、九州勢は貧困で平地が少ない中国に価値を見い出さなかっただけじゃないかねw
大友が宇和郡を奪ったりしたから中国より四国の方が魅力的な土地だったかもね。
豊後沖には今は沈んだ島々でも海外貿易が頻繁に行われてたそうだし。 とりあえず>>306だけは、人として撤回しておくべきだと思う。 九州から見事に追い出されてるな
自分から攻め込んどいて追い出されるとは どんだけ間抜けだよw 糞コテは原爆奇形広島人の毛利信者だったのか
もしくは毛利の捏造を信じてホルホルしてるチョン州人か?w オレは朝鮮人の血をいくらか引いているのをわざわざ公表している国士コテなんだが。 だいたい毛利は人助けしただけみたいな表現して捏造してるが、
毛利は自分の利益しか考えてない二枚舌外交しかしてねーし。
例えば龍造寺が、毛利上陸軍を支援すべく挙兵して大友軍を引き付けて籠城してた時に
危機を迎えた龍造寺が毛利の支援をお願いした時の元就は
「龍造寺は筑紫を滅ぼしたがってるから、立場が悪くならないように支援しないこと」と内々に指示。
結果、龍造寺は大友に降伏和睦に追い込まれた。
ウソつき元就は筑紫にも龍造寺にも良い顔をして味方ぶってるが実際に援軍なんぞ一切出さずに利用して棄てただけ。
秋月だって途中から二枚舌外交の毛利の本性を察知して、徐々に毛利を頼らなくなってたし。
秋月は島津には、なついてたけどな…秀吉の大軍にビビッたけど。 綺麗だろうと汚かろうと
外交で負けまくったのが毛利だろ アホかお前は >>322
反論にもなってないし話のすり替えだ
外交で負けまくった?
アホかお前は?
>>319
あなたは素晴らしい。
朝鮮筋目であろうが蝦夷筋目であろうが、アイヌ筋目であろうが沖縄筋目で
あろうが隼人筋目であろうが、なんであろうが、
日本人として、天皇陛下を、天地を敬い人を愛する人はすべからく日本民族
であると考えます。
、天皇陛下を敬い、人を >>258
宝治の時点では、泰村がより積極的に戦っていたとしても三浦の負けは覆せなかったんじゃないのかなぁ。
むしろタイミングとしては九条頼経が追放される前に、先制攻撃のクーデター起こす位しかなかったんじゃないかと思う。
まぁそんなIfを重ねるのが許されるのならば、
もっといえば、泰村の親父の時代に和田義盛と連合していれば、かなり高確率で北条を倒せたんじゃないのw 泰村はギリギリまで義時を狙っていたと信じたい。
全てのタイミングで北条に負けてるけど。 よくよく考えてみれば、仮に宝治合戦で毛利季光が味方した三浦側が勝っていたら、
後世、元就の存在は無かったのかも知れないんだから、不思議というか面白いよな。 毛利厨って本当に都合が悪くなれば武田に対して敵意むきだしになるんだねえ。
西国ファンから忌み嫌われてるという事にいい加減気がついたら?
武田ファンと九州のファンとの間で荒らし合ったことなんて無いんだよ。 敗戦した場合は
毛利が手伝い戦をしただけとか
助太刀してあげたとか捏造美化した挙げ句に論破されると
なんでそこまで毛利が善人な真似しなきゃならんと逆ギレw
実際の毛利は博多の富を奪い取る目的で侵略して見事に大友に阻止され敗走したんだろうが。
毛利の捏造史観から来る戦果を持ち出し大友の方が被害あったと喚き、毛利敗走した件は黙殺するアホぶり。
そもそも秋月や筑紫を再興してあげたとか恩着せがましいことを主張してるが、
毛利が秋月や筑紫を騙して挙兵させたくせに援軍を一切出さなかったから大友にフルボッコされ秋月や筑紫は滅亡したんだろうが。
大友は関係ない、大内残党が山口を襲ったからやむを得ず撤退とかアホなこと言ってるが、
そもそも宗麟の家臣で鶴崎千歳城主の吉岡越前守長増の秘計であり
豊前の城井や緒方ら3000と大内家督相続の将軍認可状をつけて山口に逆上陸させた大友の戦略に毛利は負けて大雪のなかを敗走したわけだが。 堺に比肩された大商業都市の博多>>>越えられない壁>>>>中国地方
しかも当時の豊後もかなりの商業都市だった。 >>327
元就さんが、おらんでも誰かが安芸国人領主の盟主となったろう。
元就さんはクジ運が悪うて、権力を握る立場に立っただけよ。
>>353
特に島津と武田は人身売買王国同士で、お互いの傷でも嘗めおうとるんじゃ
ろうて。
>>355
毛利側が九州の戦闘で敗戦したことなんかも無いんじゃけど。
>>356
都市じゃのうても、中継交易は美味しいけんのう。瀬戸内じゃあ
警固通交料は頂くわい。内陸の「関所」は場所が固定されとるが、
海民の「関」は自らが動いて徴収するもんじゃ。 はぐらかして解答から必死に逃げてるようなので、再度お聞きしますが毛利が多大な犠牲と資材を費やしてまで得た九州の領土はどれだけ手に入れたんですか?
費用対効果の観点から語ってください。
大友は秋月や龍造寺や島津に大敗して勢力が後退した記述ははっきりあるので、
毛利との戦いだけ必死に隠蔽してるとは思えませんがね。
毛利を追っ払った時点からが大友最盛期になったんですがね。
例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、
道雪が全軍追撃を下令し、毛利全軍が崩壊し立花城に逃げこんだ。
博多占拠どころかこんなにもミジメな状況を好転させることもできずに何言ってるんだか。
これにさらに大友が軍を割いて山口へ上陸する支作戦を展開して完全に毛利が詰んだわけだが。
そして10月12日に毛利は道雪の追撃を受けながら立花から芦屋まで敗走。
すでに道雪によって立花鑑載が降伏に追い込まれていたが、さらに毛利に見捨てられた毛利家臣の乃美兵部・桂左衛門尉・坂新五左衛門や高橋鑑種・秋月・原田・筑紫・宗像・麻生らが大友に一網打尽にされ降伏。
毛利はこんなにもひどい史上まれな大敗を喫して跡形も無く毛利陣営は崩壊したわけだ。 >>333
>例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、
この戦いの後、翌閏月(閏月はわかるか?)の5月3には立花城を毛利は落としているのでこの時点で立花城は大友方
負けたなら立花城攻略はありえない
立花鑑載は1568年7月にすでに切腹してるのでこれもありえない
乃美兵部て乃美宗勝のことだよな?
宗勝が大友に降伏したのか?これは知らないから教えてほしい
立花城を守っていた乃美宗勝・桂元重・坂元祐は無事に帰還してると思うのだが?
毛利が大敗したならなぜ長府の本陣に戻ってきてからわずか一週間の早さで大内輝弘の軍を撃ち破り平定が出来たのだ?
君の話は全く信用出来ない 500年ぐらいも前に起こった出来事にこんなに熱くなれるってお前らすげーな。
吉川文書に閏五月廿八日元春卿銃手戦功注文に閏年の記述が出てくるね。
これが立花表長尾合戦におけるものと言われている。
つまり閏五月三日に立花城は毛利に降伏しているのは明白。
勝手に「この戦いの後」とか順番を逆に捏造してんなよ。」
1568年7月に立花鑑載と毛利の清水左近将監が敗走し立花城炎上落城・1569年が始まるや大友全軍は龍造寺攻めで佐賀城を攻撃
4月17日龍造寺降伏の一連の作戦で手一杯だったので立花城は食料の備蓄もなく餓死が出始め宗麟がひとまず開城を命じてる。
大友軍は盛んに宗像・芦屋表へ出兵し毛利軍背後の船荷補給ルートを荒らし回る。
そして真の狙いの毛利軍撤退路封鎖の山口急襲作戦の指揮のため宗麟が豊後へ帰った真意を測りかねている毛利軍は大友軍の余裕を感じて驚愕。
宗麟の手配を見事に決まり毛利水軍を撃破し見事に山口へ上陸成功し退路を封鎖される危機からパニックになり芦屋港まで敗走。 道雪らが12日夜大雪の中を凍死者まで出しながら撤退する毛利を鬼追撃し、翌日昼に芦屋に道雪らが到着まで毛利はまったく休憩すらできず悲惨な落武者狩り敗走。
そして宗麟さまが田北民部に肥後勢を指揮護衛させて降伏した乃美ら捕縛された毛利兵らを安全に芦屋まで送ってあげたわけだが。 閏の事は知ってた上で時系列で並べて俺は書いてて間違ってねーだろが。
だいたい戦国板でわざわざ閏なんて書いてるやついねーだろアホか。
テメェが故意に順序を逆に捏造した事実は変わらんだろが。
萩藩閥閲録の捏造毛利史観なんて信用できねーんだよ。
立花文書や筑前国続風土記や九州治乱記など複数文書に立花表長尾合戦での道雪の活躍が記されてるしな。
立花鑑載に毛利の清水ら防長8000が籠った挙げ句に道雪に破られたのも事実だがな。
退路を封鎖される恐怖により立花から必死に逃げて、休む暇なく敗軍を山口へ向かわせるほど事態が悪化してた証拠だろがw
そもそも立花まで食い込まれているのはどうなんだろう。
大内残党の取り込みにおいて毛利と大友の比較。 つかよくよく考えてみると毛利厨の書いてることは毛利捏造マンセーアホ軍記の安西軍策にそっくりだな。
大友軍が豊後豊前筑前筑後肥後日向に幕下の龍造寺、松浦、島津からも兵を出させ12万8000で立花救援にきたのを両川はわずか4万で防いだ妄想戦記w
たしかにその妄想戦記では立花城は18日の戦いの後に毛利が落城させてるよなw
わざわざ同18日合戦とか単独の章を作って毛利マンセー記述をデッチ上げてるよな。
さらに妄想戦記では毛利撤退では道雪は追撃しなかったことにしてるしwww
お前の脳内は毛利マンセー軍記のせいで腐ってるな。 >>339
立花鑑載は軸丸右近と申す者の子なり秋月殿腹込の子とも申し候其故に此前秋月滅亡の時〜
と言うように
豊前の長野筑後守の反乱(秋月種実の弟)と共に秋月が関わってると思われる。
さらに宗麟は鑑載の謀反を許してやってる。
その後に高橋鑑種の兄を宗麟が殺して妻を奪ったために大宰府を統括していた宝満城で鑑種が挙兵。
秋月が休松合戦で臼杵吉弘の陣を夜襲し大友軍が混乱し道雪の陣へ雪崩れ込み同士討ちを誘発した大友敗軍を経て、
高橋鑑種が立花鑑載に誘いをかけて、再度鑑載が挙兵。 >>340
大毛利はこの時期、四国九州の全軍を同時に相手して寡兵で圧勝してたんだよ。
さすが両川は戦国最強! >>342
豊前と筑前で勝っただけで九州全軍に勝ったとかw
毛利厨の捏はハンパ無いな。
その後、宗麟時代の大友氏と播磨で秀吉にフルボッコと。 毛利の攻勢におののいた秀吉は泣いて逃げたわけだがw 武田信玄と毛利元就では当時(永禄年間)の京都市民
の評価では格段に信玄が上だったのだろう!
永禄年間の京都市民の間では日本最強の大名は武田信玄
か上杉謙信のどちらかといわれていた!
傍目に観ると元就の方がその2人よりも実績が上に見える。
当時の京都市民の間で『所謂東高西低』だったのであろう!
九州の朱子学的白髪三千丈は兎も角、>>345のような、架空の京都市民の
評価も出て来るのう。ありゃあ、武田信玄厨の笠間良彦氏は、
西高東低とされとるけど。戦闘技術が東から流入した事例なんか
知らんよ。 そもそも日本刀からして蝦夷民の技術をパクったことからはじまったわけだが。
大毛利のおかげで弱島津ごときが九州で覇権を握れた。
大毛利が来ると弱島津は必死に逃げ出した腰抜け。 >>345
悪いがまるっきり逆だわ。当時でいう英雄は元就。
輝元がちょろくて毛利株が落ちて上がった武田が抜いたって話し。
どの時代かにもよるな。
戦国末期なら英雄は信長だな >>348
いつ逃げ出したの?そもそも島津と毛利がいつ戦ったの?w
島津が肥後と日向北部に向けて北上始めた1575年頃に毛利は九州に領土持ってないですし。
毛利厨の脳内妄想は武田信玄厨より酷いですな。
朝鮮が近いだけあって捏造だけは天下一品。 大毛利が単なる北九州の強盗で荒らし回った挙げ句に大友に叩き出されて敗走したが、
おかげで大友も国人離反が相次いで、
それら国人が島津へ寝返るキッカケを作り大友が島津に破れる遠因になったってことでは?
島津が筑後筑前侵略において、大友の大きな抵抗にあい、小早川らが大毛利って言うか大友外交の結果、豊臣軍として門司に上陸してくると
(皮肉にも九州撤退の時に立花道雪から大追撃をされて悲惨な逃避行をした毛利が立花城救援に行かされるハメになる。)
立花城攻略を諦めて撤退したことを言ってるんじゃないのか?
まあ毛利も島津も目くそ鼻くそで、外交力を発揮した大友宗麟が凄いってことだわな 読みづれぇ文章だなぁ・・・
文章作成能力が無いのは仕方ないにしても、
それならそれで、書き込む前に推敲くらいすれば良いのに。 そうだね
彼は来る所を間違えたね
まずは日本語の勉強だ!! >>353
西国最強は大友なのは間違いないね。
島津は単なる漁夫の利
毛利は約束破るのが当たり前の大ウソつき 龍造寺、島津、毛利にまともに勝てない大友が最強とな?
漁夫の利?
弱いから漁夫の利になるような状態になったんだろがww >>380-383
北九州の強盗は、大友側で、毛利は現地小豪族の要請で大友を叩いた
だけじゃ。同じ図式は四国でもじゃけぇ毛利側は忙しいよ。
ほいで、毛利側は、立花城に籠城した将兵も落城した後大友に返還しとる。
それが「中国者の律儀」じゃ。
約束を破るじゃあ、大ウソつき呼ばわりされる筋合いも無いど。 敗走した毛利軍を追撃して海に追い落とした後、孤立した立花城の毛利軍が降伏した際に、大友は護衛までつけて毛利兵を安全に送ってあげたのだが、そこは無視か。
青牛は相変わらず都合がよいな。
そもそも毛利は旧大内領の継承とか言って野心バリバリだったくせに。
北九州で成功してたら現地小豪族も被官化しようと思って利用してたくせによく妄言吐けるな。
中国の律義とは約束は破るためにあるってことだろ。 「中国者は律儀」
実際にある言葉なのに↑は知らないらしい >>359
また、九州の嘘こきか。大友三将の戸次鑑連、臼杵鑑速、吉弘鑑理は、
麻生隆実さんに立花城より下山した浦宗勝ら討ち取れ云うとる。
じゃが、麻生隆実さんは、三将の姑息な調略で武士道を汚す行為に服さず、
毛利側に報告したわ。麻生隆実さんに対して小早川隆景さんの感状に、
「殊従豊州三老之調略状 具令披見候」とある。
まあ、九州勢は律儀や節操がのうて、勝つためにゃあ手段を選ばん性質が
強いが、麻生隆実さんは例外的に筋を重んじたのう。
約束を破りよるんは大友側で。何妄言云うとんなら。じゃけぇ九州人は
安易に信用ならんのじゃ。 宗麟は大内を攻める元就との話合いで
義長を見捨て支援しないから元就は九州に手を出さない約束をしたのに元就は一方的に破棄し奇襲上陸して少ない守備兵だけしかいなかった要害の門司城を奪ったり
その後に将軍が斡旋した和睦を破って奇襲攻撃をまたやったり、しかも将軍との和睦条件に北九州の国人を援助しない約束があったのに無視し続けていた。
北九州に野心を持ち隙あらばと約束を常に破り続けてるのは毛利側。
そもそも北九州の豪族が救いを求めたから仕方なく手伝いしてやった正義の味方って言うなら、なぜ毎回彼らを最後は見捨ててるのか?
彼らは大友にフルボッコされるわけだが。
利用した挙げ句に棄てたに等しい鬼畜行為に見えるけどね。 長年盟友関係だった三村氏を切り棄て、宇喜多と手を結び三村氏を滅ぼして備中を奪い盗った毛利が律儀なのかねぇ。
備中争乱は三村一族滅亡の悲劇として備中松山城でも幼い嫡子も殺されたとビデオ放送してるくらいなのに。
>>1
誰が言い出したんだ。
出典は何だ。
そして、それは実際の行動と符合しているのか。 だから、どこでその文言を目にしたんだと聞いてるんだ。
白馬青牛文書か?
アホめ。 自分で調べられないなら頭を下げて聞けよ
それが聞く態度が?
自分でクグレよ馬鹿め あ、そうそうお前らがどうほざこうが今現在でも実際に存在するし使われてる言葉だからさ
気にいらないなら「中国者は嘘つきだ!」と全国に風潮しまくれば?ww
知ってる人は知っている
知らない人は知らないww 全国区の言葉じゃない。単なる秀吉マンセー明治維新マンセー司馬の造語。
毛利が本能寺で追撃しなかったから秀吉が天下を取れたと言うことで中国者は律儀と言われた一方で幕末に水戸などで長州人は怜悧(ずる賢い)とも言われた。
誰が使ったのか用法すら見られないからまったく浸透してない言葉だし、どうせ毛利あたりが自分で吹聴したんじゃねーのこれ。
毛利が備中欲しさに備前の宇喜多と結んで長年の盟友だった三村を切り捨てたから、追い詰められた三村は織田と手を結ばざる負えなかっただけだが。
まぁその宇喜多に毛利は裏切られるわけだがw
長年の盟友だった三村と共同して宇喜多を討って備前に進出してたら秀吉とも万全の戦いができたかもしれんのにバカだな毛利は。 投げっぱなしの理屈になって悪いが。
安芸の国人一揆の首魁と赤松氏を傀儡にした土豪の両者には、
正統性で判断する術などないだろうに。
タイミングの話題は論外な。 宇喜多直家は元親にとっては親を暗殺した仇なのに私怨を捨て耐えるべきとか無理なこと言ってんなよ。
親が暗殺されたり殺された人間の気持ちもわからんのか?
しかも元春が小早川に「宇喜多は表裏あって信用できない」
「歴代忠孝を働いてきた三村を蔑ろにする獣にも劣る義に外れる外道行為」と反対したことから判るように三村にとっては絶対受け入れられない決定だったわけだ。
さらに三村討伐決定の際にも元春は「自分が直接元親に会いに行って説得したい」って言うが拒絶され
「信義を捨てた毛利の将来は暗い」と言ってるわけだ。
元親の妹の鶴姫以下三村一族が追い詰められ最後に籠もった常山城では女子供まで裏切り者毛利に降伏するを潔しとせずに徹底抗戦して撫で斬りされたわけだ。
これが三村が悪くて毛利が正しいだと? >>1
なにぬかしとんじゃ。
おどりゃあ、ぶちとれえのう。
自分のレスを見直してみい。 >>1
東国の主従性の色眼鏡を持って、西日本に適応しても意味があるまい。
河野氏が水軍衆から陸上がりした時点で、瀬戸内水軍衆と縁が薄うなったん
じゃ。現代でも愛媛県でも広島側に向いとる地域は関西アクセントじゃ
のうて、広島弁に近いが、伊予に近い来島と能島、広島県の因島じゃあ、
それぞれ違うわいのう。
毛利氏が、民を苦しめた根拠たぁ何なら。根拠を提示せぇや。
>>395
浦宗勝さんの史料から、「隆景卿伝」「浦備前覚書」じゃが、
立花道雪つまり戸次鑑連ら大友三将は、浦(乃美)宗勝さんの、籠城長引き
策に業をにやしとったけんのう。じゃが麻生隆実さんを唆して、浦宗勝
さんらを討ち取ろうとする姑息さよ。 >>371
おいコラ、お前こそ何をほざいとるんじゃボケが!
394に原因は毛利にもある三村の気持ちもわかると書いとるだろが!
お前の目はふしあなか!
素直に謝りゃいいんだよ
「言葉を知らない無知でした」
「備中兵乱を捏造してスイマセンでした」てなww
吠える事しか出来なくなったか?負け犬がww やはり広島人は日本最大の基地害だな。
自分たちが絶対に正しいと信じて疑わない。
ああ言えば上佑みたいなヤツらだ。
いや萩など山口人も基地会だから
毛利関係者と言うべきか。
>>374
広島人は戦闘やらしたらキチガイにもなるが、軍紀における自己抑制も
同時に強い。あんたんは、戦勝の為には手段を選ばす、負け戦さを隠蔽し、
戦後も自部隊の正当化をする九州人に云うべき台詞じゃないか。
ほいで>>405の今東光氏は、神戸育ちで両親が津軽藩士。津本陽氏は
和歌山県人。大石慎三郎氏は愛媛県人で、山口県人の意見じゃないど。 文章を方言まじりで書くやつはアホなのか?
それが専門的で素晴らしいものでも、ただのうざいレスにしかならない >>373
お前はずっと何を言ってるんだ。
俺は三村のみの字も言ってない。
あたま、ぬくいんか?
>>404
> 浦宗勝さんの史料から、「隆景卿伝」「浦備前覚書」じゃが、
これは毛利の自画自賛と捉えてもいいのだろうか。
> 立花道雪つまり戸次鑑連ら大友三将は、浦(乃美)宗勝さんの、籠城長引き
> 策に業をにやしとったけんのう。じゃが麻生隆実さんを唆して、浦宗勝
> さんらを討ち取ろうとする姑息さよ。
これは律儀な九州人、麻生隆実を褒め称えている事例だろうか。
上手く謀殺できなかった失敗例を出し、九州人の謀略の拙さを嘲笑い、
その反面として毛利元就のような手際のよさを褒め称えているものだろうか。 >>379
お前はかなり頭がぬくいようだな
今更なにいってんだかww 牛の相手はよせ
あいつはドコの板でも
ウザがられている
真性基地害 >>379
浦宗勝さんは、以前立花城の城兵の降人を丁重に扱い志賀島まで送り
届けとる。「降人をなだむるは つはもの(兵)の道なり」よ。
中国者が戦闘の礼を守る性質と九州の大友三老の姑息な礼に反する汚さとの
違いで、九州でも麻生隆実さんに限っては、つはものの道を知っておった
云うだけのことよ。
浦宗勝さんに籠城させたんは、元就さんか隆景が選んだかまで解らんが、
浦宗勝さんは、水軍衆を率いて、兵糧や軍需品の海上輸送を担っとったけん
のう。浦宗勝さんらの籠城が長引くと、大友側の在陣が長引くことでも
あるけぇ、囲む大友側の戦費を使わせることになる。
浦宗勝さん自身が戦費や状況の把握に長けておったゆえの人選でもあろう。 毛利の周辺大名はみんな滅亡や改易でいないから、毛利が作った毛利マンセー史料ばっかだしアテにならんよ。 「明らかに未知数」って日本語としておかしくないか? 因幡は池田。
出雲は越前松平。
石見は越智と亀井。
美作は森・越前松平と三浦。
備後は浅野と水野阿部。
安芸は浅野。
亀井と森を除けばみんな松平の、三浦を避ければ全て家康の子孫。
江戸時代を通して見るに、毛利マンセーな史料が周辺でのこりやすい状況だっただろうか。 立花文書は残った書状なんだから別にマンセーにならんだろ… >>384
一番権力の座にあった幕府側の史料なんかどうなるんなら。
>>420
浅野藩でも、毛利の史料の『陰徳記』に出とる百姓家は、
先祖の武勲から、浅野藩武家の養子に望まれる現象も出てきたよ。
>>421
九州の史料は、朱子学の影響かどうか白髪三千丈が激しいけんのう。
薩摩の泗川の戦いもハッタリじゃが、近代の熊本兵団や久留米兵団の
戦史も都合の悪い事例は隠蔽で、強がりや権威だけは張るわい。
日本の史料でも、その土地の郷土の人が書くわけじゃけぇ、
地域の性質や類型構造から史料を考察した方がえかろうに。 >>389
ふざけんな!
2ちゃん毛利スレ読んでると
毛利側なんて
元就マンセー歪曲ネタ本の安西軍策から
さらに捏造改良を加えた陰徳太平記からの引用ばかりだろがw 毛利側は信用できず大友・立花側は信用できると?
どっちがマンセーなんだかww 大友は美化捏造ストーリーを編纂する以前に滅亡してしもうたからなあ。
毛利は明治維新から戦前まではさらに歪曲を繰り返して、その歴史観を完全に定着させるのに成功した。 >>393
明治維新から戦前まで歪曲を繰り返し?
長州主導で全国民に定着させたという事? >>396
その微妙な知名度こそが捏造にとって都合がよい。 むしろ戦前は毛利の宿敵、山中鹿之介幸盛のほうが定着していた
江戸時代の太閤記では最も紙数をとってたし戦前の教科書にも載ってた
戦前の人なら授業で習って誰でも知ってるぐらい有名人
長州が毛利捏造するなら山中を英雄視するような事はさせないのでは? 山中は別格だろ
当時の時代背景から忠義を吹聴し
国民国家形成のための洗脳してたしな。 別に山中じゃなくても良くね?と宗茂のお父様が仰ってます そうだな
山中の代役なんぞいくらでもおりますな
伊東の家臣なんか個人的にいいな >>399
近代合理主義、特にクラウゼビッツ戦争論の洗脳じゃあ織田信長よのう。 やっぱりドラマチックじゃん
月に変わってお仕置きよって月から公認受けたり、
我に艱難辛苦を与えたまえ!我が人を欺くとも人、我を欺くこと許さずとか。
もうパクり放題。
そりゃ厨房には憧れの100万パワー超人ベンキマンですよ。 ほんとは略奪、放火、なんでもありの
単なるテロリストなんだけどな >>404
そりゃ中国毛利視点ならの話だろ
チベットやウイグルら亡国再興にかける想いを軽んじてはならん。 >>406困ったときはみんなそんなもん。所詮893 戦国時代唯一毛利だけは略奪や村に火をつけない正義の軍ですwww >>408
は?
山中がテロリストて言っただけで何故そうなる?
誰か毛利が正義の味方とでも言ったか?
過剰反応しすぎだろww >>408
軍勢狼藉の禁止は、弘冶三年(1957)十二月二日、安芸国人衆の連判状で
決められとったね。 >>410
第二次大戦後ですね。
さすが義と愛の戦士たる毛利。 長男の隆元が長生きしてたら織田に対抗できてたかな? 大して差はないと思いつつ・・・
元就・隆元・輝元と家督三代が揃う時期が長いぶん、戦略的に自由度が高まるから
多少は史実よりも強大になっていたのではないかと。 >>353
対毛利戦では大友や尼子をさんざん利用した大友。
島津の北上ではその毛利や長宗我部までも味方にする宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。
しかも大友軍はまったく戦闘参加せず無傷のまま高みの見物をし、
千石らが大敗し長宗我部の衰退のキッカケまで作る宗麟の奇策。
>対毛利戦では大友や尼子をさんざん利用した大友。
今だに「大友が尼子を動かした」とか思ってる馬鹿がいるのは驚きだね
なるほど大友が大友を利用したのかww
>島津の北上ではその毛利や長宗我部までも味方にする宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。
大友が島津に手も足も出ずに守勢を取るしかなかっただけだろ
確かに島津に勝てないので秀吉に泣きついて
土下座服従を示した宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。 2ちゃんのアホ毛利厨だけが大友が尼子残党と手を結んでないとバカな主張するよなw
そんなに大友に大敗したのが悔しいの? 手を結ぶ、と動かした
の区別もつかんとはww
馬鹿だねぇ〜 >>jabTt11T
あれ?
今度はこっちのスレで頑張るんですか?
ご苦労様です。 元就死去寸前は大友に破れ
大内に大都だった山口を荒らされ
尼子や宇喜田に東部を切り取られ滅亡寸前だった。
元就超絶無能。 美伊よぉ。 ワシャがんばっとるのに皆がいじめるんじゃよぉ。
なんとかならんものかいのう・・・。 三本の矢を束ねたら、
折れないが遠くにも飛べなかった毛利。 ぼくのひゃくせんむはいのもとなりがまけるわけないよ。
おおともやちくぜんのしるしたしりょうはぜんぶつくりばなしにちがいないよ >>422
くやしいのうwwwwくやしいのうwwww さいきょうのおおともがまけるわけないんだ
つよいからしまずにめつぼうすんぜんにおいこまれたり
ひでよしにどげざでなきついたり
さいごはもうりにすてごまみたいにつかわれることになったなんてありえないよ
おおともはつよいんだ 仮に周囲が弱小だったとしても英雄なんて運要素も含まれるんだから
あれだけでかい領土まで広げた元就が雑魚ってのはないだろう
んなこといったら政宗・早雲・道三等等といったやつらが皆雑魚になるわ 元就嫌いな奴がただほざいてるだけだから気にするなよ
2Chでは通用しても世間では通用しない奴らだから やっぱし、信長・秀吉に対し毛利側の粘り強い戦闘が伝統として、
郷土広島師団に受け継がれたんじゃと思いますよ。
なんじゃこりゃ?
信長・秀吉に対し一戦もせず。
三木・鳥取を見殺しにして運良く生き延びたのが粘り強い?
意味不明だな‥ このスレ立てる前に、いろいろな文献を調べてみようと思わなかっただろうか。
戦いを挑むのにそれ相応の準備をしてから、挑むわけだが、
無防備で戦いの仕方も知らない人間が、大衆の面前で「チェストー」
って叫んでも「なんだあれ?」と思われるだけだと思うが…。 毛利元就は陶軍を宮島で撃滅させた。
これは評価して良いだろう‥
じゃが、撃滅させたのは明らかに戦略ミス。
殺すのは陶軍の大将各の武将だけで良かった‥
その後領土の広さに比べ、動員兵力が著しく低下し‥
北九州攻略失敗の遠因となり、織田(秀吉軍)へも対抗出来なくなった。
元就が中国地方の守りに専念せよ。と語ったのは兵力不足である事を裏づけている。 尼子と大内の強大な勢力に挟まれて生き延びた手腕は評価されるべきでしょう
キツイよこれ
島津の方が楽勝なんじゃないのか、弱小九州の覇者 戦国時代初期頃、島津家は分裂状態にあり‥
戦争状態で周辺国より不利な状況にあった。
>>440
毛利は代々の安芸における一揆の盟主の家柄であり
武田が大内の支配に協力しないとわかると
毛利を保護し、海側に領地をやったりと厚遇していた。
尼子も安芸を握るポイントを一揆の盟主の家柄である毛利と踏んで好条件を提示したりしており
二股をかけて利益を得ていた毛利の肥え太り。
大内も尼子も毛利を滅ぼそうとしたことなど一度もない。
ただ自陣営側に引き入れたいだけだった。
元就はなんら策なく、ただSEXに励んでいただけ。
策はなくとも裏切り人生だけは持っていたので長女を生贄にして
裏切り急襲など、裏切りには暇が無い。 尼子と大内が自滅しただけ。
敵失を評価することはできない。
しかも陶や義久は元就を信用していたのに
完璧に裏切られたように
信義の欠片すらないキチガイをどう評価できるのか?
さらに大友に敗北し、大内残党には山口を焼かれ
尼子残党には東側を侵食されまくられ
元就死去前後の毛利の領地消失率で考えれば
滅亡の寸前の瓦解がはじまっていた。
元春の働きがなければ
義隆や義晴の死去時の瓦解開始と似た条件が揃っていた。 >>444
大丈夫、自滅の一言で簡単にかたずける君がどう思おうが世間は評価してるから >>446
毛利厨はソース皆無のマンセー捏造軍記でも読んでオナヌーしてろw >>447
お前はいつもニチャンで自慰行為だもんなww 毛利厨って基地害過ぎだよな。
元就だけでなく隆元や隆景まですげー過大評価しまくりだし。
元春だって九州で殿と言う最も軍事的才覚と指揮と統帥と組織力が要求される戦略的撤退において大失敗して立花道雪らにフルボッコされて軍隊として崩壊した挙げ句に長駆大敗走してるし。
元春って陶に掘られたんだよな。
隆元は義隆に掘られたし
兄弟そろって尻の穴がユルユル 大内仕込みのテクで兄弟同士で男色やってたっぽいな
大内義隆はザビエルに男色を非難されて席を蹴って出ていったくらい男色大好きだしな。 隆のトコだけなぜかホモと連呼します!
大内義ホモ
陶ホモ房
毛利ホモ元
小早川ホモ景 隆景って正妻に会う時、
よそよそしくて
しかも服装もしっかり正装して
辞宜までして接してたって言うから
完全に重度同性愛者だよね。
子が生まれないのも当然だ。
そもそも側室を持たないのも上記の話を聞けば
当然なことなんだよね。
これを歪曲して女性に対しても誠実だったとか書くバカは
脳が腐ったスイーツすぎだよな。
明治政府によって毛利元就は献金の功により正一位を授与された
他にも捏造した講談で人気があるが、史実では略奪ばかりで国内を疲弊させただけの大名連中も高い官位を授与されている
それに引換え、国内の商業・産業の発展に寄与し
多額の献金で朝廷や寺社を支援した大内義隆は全く評価されずに従二位のままだ
長州藩により防長の領民を、長州閥により全国に「大内義隆は暗愚、だから毛利の簒奪は正当」
という教育が行われてきたんだよな
いまだに信長の野望では毛利は大内から独立した大名だし。
>>458
陶を無能とする事で毛利を無能にしようと必死w
まあ陶は実際大した戦功もないんだがな
何にせよそんな元就にまんまと領土奪われ滅ぼされた大内尼子はド屑の集まりですね 大友ごときにボロクソに負けた毛利。
よっぽど中国地方のレベルが低すぎるんだろうねぇ。
畿内からやってきた秀吉にもボロクソ。
日本で一番レベルの低い争いをしてたとしか思えんねぇ。 輝元は?
さすがに長洲閥のゴリ押しでも暗愚輝元には贈れなかったのか さすがに家康に騙され実質改易の刑で出家した輝は難しいだろ。
なんせ周防・長門2カ国は秀就を宛名として
新たに家康が与えたもんだから
現役当主のままだった上杉景勝などよりよっぽどダメダメな結末。 輝元は劉禅以下の能力だからなぁ。
隆景に折檻体罰を受けまくってたから
頭を強く打ってしまい池沼になっちゃったんだろ。 そりゃあ毛利親子を長州閥が無理矢理、
位階を引きあげて悪しき前例を作ってしまって以来、
みんな濫発するようになったからね。
正直、毛利親子の位階が無茶な昇進した日を境に
位階制度は骨抜きにされ、戦国安土桃山時代の人物の贈は
なんらの価値もないものにされたよな。 >>1
毛利厨って元就は信長や謙信や信玄より上とか言ってたけど
実際は宇喜多や長宗我部よりも下じゃんw
元就死去前後の毛利って元就の戦略ミスのせいで
一歩間違えたら滅亡もありじゃん。 壊れたテープレコーダーさんは大変だなwwwwwwwwwww
複数スレにおいて深夜の布教活動乙でありますwww 皮肉なことに
毛利の戦略的失敗の連続が
宇喜多を育てたようなもんだからね。 毛利元就はなぜ山口を本拠地にしなかったのでしょうか?
また、支配者が代わると前政権の否定をするのが常なのに
陶隆房や毛利元就は大内の方針を継承していました。
ところが毛利輝元の代のいつ頃かわからりませんが大内の方針を全否定しています。
高麗版大蔵経(一切経)を惜しげもなく三井寺に寄進しています。
大蔵経といえば歴代の権力者が欲した貴重品。
その他にも厚狭の干拓事業も三年寝太郎というお伽話にすりかえられたり
大内の実績をもみ消すのに必死になっています。 国人衆の集いだからな
変えたらただでさえ不安定になのに崩壊するかもわからん >>470
山口を拠点にしなかったのではなく復興に失敗して出来なかった。
武田が駿府を活用できなかったのとおなじ。
大内路線を継承したのは大友氏と遺領争いを繰り広げていたことや
日明日朝貿易の利権を継承を目論む目的があった。
毛利輝元も当初は大内路線だったが関ヶ原で大減封されて防長に移ると家臣の整理を行ったが、
他所から従って来た家臣は覚悟はできているが、元々防長土着の国人衆や民は重税で苦しむことになった。
当然、裕福だった昔の大内と重税の今の毛利を比較されるので大内の大否定を計った。
一切経の園城寺(天台宗)への寄進も関ヶ原の後に行われているが
当時徳川家康のブレーンとなっていた天台宗の南光坊天海に関係する政治工作に利用されたという見方もある。
寄進は大内が神仏に手厚いという事実をもみ消しつつ、天海に取り入ることができるという一石二鳥だったわけだな。 >>466
毛利は大友戦で働いたものへの加増ができず
財政が悪化しまくってしまったようだよ。
信長との戦いも動員兵力がどんどん下がったのも財政が原因。
秀次に大金を借りていたのもそのためだそうだ。 毛利一族で優秀な奴は皆無だよな
戦国随一のヘタレ大名揃いじゃないのか?
元就は多少ましだが、後は最悪の屑しかいない
輝元なんて知性も無なくヘタレだし最悪だろう >>1
政宗がただ自筆で書いただけの書は拒否ってる。
ちゃんと神仏に誓った当時としては
臣下の身分に出すような書状形式ではなく
実質的に政宗の方が頭を下げているレベルを
要求して呑ませてる。 神仏に誓うなんてよっぽどの交渉事じゃないと書かないもんね。
例えば大名と大名との間の重大な和睦交渉で稀にやるくらいだよね。 >>474
そもそも元就以前は地方の一国人にしか過ぎなかったしな 寧ろ毛利氏にとって元就の存在自体が奇跡のようなもんだからな そうだよね。
裏切りだけが得意な無能だけどライバルが自爆しまくるなんて
運だけは良かったもんな。
あとはこの地域一円の一揆の盟主の家柄ってのはデカかったな。
おかげで尼子も大内も自陣営に加えたくて厚遇してくれたもんなあ。 なんか派手さ少ないから、今まで注目してなかったんだけど、
九才あたりで領地追い出されて天涯孤独な状態から、10カ国の領主ってのはすごいよね。
六分一殿だよ。
秀吉が全てにおいて目立ちすぎるからかな 秀吉や天涯孤独から将軍になった家康よりはショボイけどな 毛利信者が元就が大軍で負けた戦いスルーするのは何で? >>481
そもそも生い立ちが嘘くさい。
だいたい井上を悪く書いてのちに井上を謀殺する理由を作ってるみたいだし
井上によって少年元就が追いやられるとかあまりにも有り得ない話。
だいたいその期間の福原とか元就を助けず何をやってたんだって話になる。
元就は幸松丸暗殺の下手人の可能性も高いし。 長州閥が政権を握ったせいで神格化されているんだよな >>487
そこら辺りの記述自体が一次史料じゃないしね。 >>487
>だいたいその期間の福原とか元就を助けず何をやってたんだって話になる。
丁度その頃は兄興元が大内義興に従って上洛してた時期だと思ったが
多分他の家臣も付いていったとは思うけど果たして誰が行ったのやら
ちなみに外祖父の方の福原広俊はこの頃は既に死んでるとも言われてるな 毛利一族も福原一族もみんな一族揃って上洛して、
安芸には井上の息がかかった奴しか残留してなかったの?
じゃあ井上の支配されて毛利一族も福原一族も安芸に帰れなくなったんでない?
だって当主の実弟の元就まで城から追放した挙げ句に幽閉してるほどの支配を確立してんだろ。 少なくとも井上に文句言えるほど力のある人は安芸残留組の毛利一族にはいないでしょ
父親は既に死んでるし一族内の名前も分からないような人ではそんな力ないでしょうし
一族以外の家臣達は11歳の小僧とどっちにつくかという事になると井上の方につくでしょ
(と言っても見て見ぬふり程度でしょうけど)
勿論この人達は興元が安芸に帰ってくれば掌を返して毛利の方につくでしょうね
それにしても一体何処から幽閉という言葉が出てきたんだね?
追放と幽閉では全然意味が違うが
それに城と言っても当時元就がいた城は吉田郡山城ではないし >>492
そんな非現実的なストーリーは有り得ないな。
やはり造り出されたデタラメ話に過ぎんな。
興元が戻ってきたら井上から離れるなら、
バカじゃないんだから最初からそんな愚かなことをやって後難を受ける恐れを慮外するわけないだろ。
しかも大内様が明らかに激怒する話じゃねぇか。
明らかにそのデタラメ話を成立させる事は無理がある。 >>493
>興元が戻ってきたら井上から離れるなら、
>バカじゃないんだから最初からそんな愚かなことをやって後難を受ける恐れを慮外するわけないだろ。
そりゃあ家臣達は見て見ぬふりしてただけで表立って井上に鞍替えはしてないでしょ
それに横領した領地はあくまでも多治比の分家の方であって毛利本家の方ではないし 現実問題として分家だと言っても先代の息子であり
現在の当主の弟をそんな粗末にできるわけねーよ。
見て見ぬふりとか完全に妄想過ぎてワロタw
そんなデタラメぶりなら、
そもそも毛利自体の統治能力が
まったくないとしか思えないし
京から帰る場所なんてないだろ。 >分家だと言っても先代の息子であり現在の当主の弟をそんな粗末にできるわけねーよ。
毛利本家にとってはそうかもしれないが他の家臣にとってはあくまでも一領主でその限りではないけどね
>そもそも毛利自体の統治能力がまったくないとしか思えないし
当時は戦国初期で家臣と言えども各々半ば独立した領主の集まりだけどね
少なくとも戦国時代と聞いて思いつくような強固な関係ではないし
強固な関係になったのはそれこそ井上一族粛清後の話だから
>京から帰る場所なんてないだろ。
必ずしもそこまで乗っ取る必要は無いけどね
それに元々井上氏は毛利氏とは全く別の国人領主でその後井上氏が毛利氏に歩み寄ってきたようなものだから 結局、通商利権が欲しくて欲しくて仕方がない元就が
卑怯にも井上を暗殺したと言う暗部を正当化する為に
井上が悪人だったから殺されて当然とする捏造が必要とされた。
史実の井上は当時の毛利家には新参者で、
毛利家内での井上への支持も信頼もまだなく
毛利家内での地位と信頼を勝ち取るために毛利家のために多大な財政援助をして忠孝を示していたのが真実だろう。
そもそも一次史料には井上が興元が留守中に毛利家臣を支配し専横を極めて元就を迫害してたなんて裏付けはまったく無い。 >史実の井上は当時の毛利家には新参者で
それは最後に毛利氏に歩み寄った総領家の話であって
それ以外の井上庶家はかなり昔から毛利氏や高橋氏に仕えていたんだけどね
>興元が留守中に毛利家臣を支配し専横を極めて
多治比の三百貫横領しただけなのに勝手にそこまで話を誇張させないでよ そもそも三百貫横領という大事件自体が一次史料にない
完全なデッチあげな罠w
それどころか三百貫も一次史料にない。
かんぜんに元就の若い頃の話は創作であり
興元や幸松丸や弟の相合元綱の暗殺をしていた可能性が高い。
それどころか高橋氏の領地が欲しくてたまらない元就は
長女を人質に出して信用させて力を蓄えておき
用済みになった兄嫁を暗殺。
そして高橋氏奇襲し長女を見殺しにしている。 史料にないからと否定しつつも、同時に していた可能性が高い と史料準拠ではなく
ただの憶測に基づいた自論を述べるというダブルスタンダードのお手本のような姿勢は
いかがなものかと 明らかに不自然過ぎる死が相次いで起きてるし
それによって誰が一番得するか?で判断すれば
自ずから暗殺犯が元就であると容易に察することができるよな…
元就にとって暗殺実行することは、
全てを手に入れるか全てを失うかだもんな。 >>502
少なくとも興元を暗殺しても元就には何の得も無いと思うが
幸松丸が当主になったら高橋氏が外祖父として毛利家に干渉してきたんだから >>1
>弱小国ばかりの西国にあって
>有力大名は全て東国(武田 上杉 北条 織田)
は?戦国の超大国だったのは尼子大内なんですけど
どこが弱小なんだ
それを倒した元就の実績を超える武将は東国にはいない
>>504
のちに高橋氏を裏切って奇襲かけて滅亡させた悪行を正当化するために
幸松丸を利用して高橋が専横したとする捏造まで
でっち上げて毛利が必死に歪曲してるのが痛いわ。
基本的に相手が悪いから元就はやむを得ずやったが徹頭徹尾貫かれた軍記妄想が毛利厨のソースだからどうしようもない。
>>553
尼子も大内も衰退期だったが
武田も上杉もまさに勃興期だったじゃんw >>505
おいスレタイ見たらココがどんなとこが解るだろ >>506
大内は大寧寺の変以降分裂状態だったからなあ
ただ出雲遠征失敗以降大内が衰退した
とか新宮党粛清以降尼子が衰退した
というのは毛利による捏造で実際は衰退どころか領土伸ばしている >>508
当主がころころ代わるようになった国は劇的に弱体化するのは葦名を見てもわかるじゃん。
元就は代々の安芸一揆の盟主の家柄と
幸運にも長生きできただけで
その地域の長老として敬われ
おいしい思いができた。 >>506
アンチはソースすら出さないで捏造だのでっち上げだの騒ぐだけだね
しかも碌に検証もしないで自分勝手に決め付けるだけだから余計にタチが悪い
それにしてもアンチの言い分を総合すると元就に関係する人物は揃いも揃って不自然なくらいにお人好しな者ばかりみたいだね むしろ毛利厨は過去に一度たりともソースを出したことがない。
それどころか毛利厨や隆景厨はWiKiから拾って書いた自分のレスの出典先すら知らず
アンチから軍記の内容だろwと教えて頂くほどに
まったく知らないのが露呈している。
よく分からないけど凄いでよくね?
毛利氏は知らんうちに大勢力になってました 運だけで拡大した毛利領は大友に大敗北し借金だらけで破綻寸前だったけどな。 大友も二階崩れでボロボロだったところ
陶の決起で大内の北部九州の利権が手に入って盛り返すきっかけになってるし
やっぱ運は大事じゃね? もちろん大内の家督と遺産を手にしたのは大友家中の努力の結果でもある。
しかし大内義隆が滅し、大友晴英が継承しなければ大内の遺産を手にすることもできなかった。 いやいや大友が真の意味で遺産の領有化に成功したのは
遺産継承を巡り毛利が攻め込んで来たのを
軍事力で九州から叩き出してからだから大友の実力で領有したと言える。 元就って超ケチで悪質な卑怯者だよね。
高橋を滅ぼすために高橋弾正左衛門盛光に褒美を餌に内応させて
備後三吉氏を攻略して凱旋中の高橋興光を待ち伏せして殺した盛光を
謀反人とか言って殺すし
鏡山城でも城将・蔵田房信に謀反したら蔵田の家督は直信に継がせると約束しておいて
城内に手引きさせておいて、反故にして殺しているし。
しまいにこの時に毛利幸松丸を殺して弟・相合元綱まで暗殺してるし。 >>508
そこんところを毛利が捏造しても、なんの利もなくね?
>>564
上の人は大内が健在なら、当時ボロボロの大友があちらに勢力伸張するのは
難しかっただろうと言ってるようだが、まぁ何にせよ大友は頑張ったよね。
あれで晩年まで素行が良ければ問題なかったんだが。 >>518
>>なんの利もなくね?
毛利の捏造軍記の安西軍策は元就の偽書で新宮党粛清に至ったと自慢してるw
>>大内が健在なら
実際、家臣がまとまっていた時期の大内は
非常に強かったから大友は北九州で押され気味だった。
まぁ北九州の国人達の大半が大内側だったしね。
>>晩年まで素行が良ければ
宗麟の素行は非常に良いよ。毛利の捏造軍記の大ウソに騙されんなよ。
義統が無能を超えて害悪に近い人格者だったのが原因。 まあ本人がはっきり「運が良かったから」と自著してるくらいだからそうなんだろw
あえて言えば大名になった時にもそういう風に
自分を冷めた目で見れるほど客観視出来るのが
成功の秘訣、ってくらいか >>519
宗麟って焼き討ちとか過激な印象つよいけど
普段は意外と穏便なんだよな。
もう少し好戦的なら九州を統一できていただろうに >>521
非常に病弱だったから自分で軍を率いないで将を派遣するタイプだしね。
宗麟はかなり誤解されてる原因は毛利のせい。
毛利の捏造軍記だと史記の悪王テンプレに沿ったような宗麟像を作り上げてる。
宗麟が絶倫暴君で太田道灌が知略を以て将軍の猿を折檻した逸話を盗用改悪して
愚主宗麟が遊興に耽り猿を使って人を襲わせて遊んでいたが
道雪が猿を叩き潰して「人を弄ぶと罰が落ちる」と諫められたが遊興を止めなかったとか
北九州国人達が元就に助けを求めまくった理由としてウソを書いて貶して元就が助けてあげるために出兵した理由にしてる。
ちなみにこの猿の逸話をさらにパクって政宗ネタにしたのが仙台藩。 毛利って周囲全部ボロクソに書いているからなあ。
明治の長州閥のせいで歴史も修正し放題だし 実際、大友家の統治システムは加判衆が政治をやっていて
宗麟が独裁やってたわけでもねーからね。
耳川の戦いで失った加判衆の補填を義統がやらずに独裁し始めて家臣の離反と謀反が始まり
困った末に宗麟の再出馬が要請されたくらいだし。 大友宗麟は自身の武勇があるわけでもないし、戦争が強いわけでもない。
でも版図を広げられたのは頭が良かったからだな お前ら毛利の捏造、捏造って毛利、長州を過大評価しすぎじゃね?
そんなに影響力あんのかよ?
ほとんどの人間は大友なんて存在すら知らん
親戚、知人が大分にいるが知ってるほうが珍しいし知ってても名前を聞いた事があるレベル 大友、大内、尼子、宇喜多、三村等の滅亡した家々に汚名をかぶせて
毛利は悪くないむしろ正義って話しを江戸期間を通じて浸透させることに成功してんじゃん。 >>527
汚名てどんな汚名よ?
毛利が正義?
そいつらのどこが悪なの?
聞いたことないよw 会津と山口が仲がよろしくない話は聞いた事がある
なんか昔「両者和解」なんてニュースもテレビだったか忘れてたけど聞いた事あるような…
今もわだかまりがあるのだろうか? 会津若松市商工観光部長 宮崎十三八が中心となって中村彰彦、星亮一、司馬遼太郎らに
会津を正当化する小説を書かせて長州を悪とするデマを広めただけ。
山口県側が相手にしない(大人の対応)をしているうちに白虎隊がドラマ化され
世間に会津は被害者という印象がついてしまった。 >>528
脱線するからそれは置いとけ。
少なくとも戦国時代にも、毛利家にも関係ない。
日本史板のゴタゴタを持ち込もうとするな。 少なくとも尼子晴久がもう少し長生きしていたら元就では尼子を滅ぼすのは
無理だったと思うんだがどう思う?というか最期まで国人の連合体だった
毛利と着々と中央集権化を進めていた晴久体制だったら逆に毛利が尼子に
滅ぼされていてもおかしくないよな。 そりゃあそうだろ武略政略なら晴久の方が上なのは明白でしょ。
銀山争奪でも元就親子は晴久にボロ負けだったし。
月山富田城攻め大敗以降の大内が弱体化して脅威が無くなってたから
晴久も背後を気にせず安心して上洛戦を繰り広げて播磨へ進出していってたから元就は延命してただけだし。
義久がバカ過ぎて尼子は崩壊したけど、
山中鹿介ら残党軍があれほど広範囲に渡り長期間毛利を苦しめたのは
中央集権を進めて在地領主と尼子当主の間に直接の主従関係を構築する方向で晴久がしっかり地盤固めをしつつあったおかげだし。
毛利は所詮、婚姻親戚一揆連合の指導者でまとめた烏合の衆でしかないから織田軍とまともにやり合えない。 >>535 そうなんだよな。大内を弱体化させたのも結局晴久なわけだし
尼子は播磨まで勢力圏があったんだから彼が長生きしていたら信長最大の
ライバルとして歴史に名が残ったかもしれん。そう考えると本当に惜しい
とこで死んだと思うよ。個人的な意見だと彼は2代目戦国大名の中では
もっとも過小評価されてると思う。ちなみに過大評価第一位は斎藤義龍ね。 >>536
義龍が過大評価?
それはともかく、山中鹿助の再興運動は参加した諸豪族の思惑でけっこうぶれまくってるよ。
出雲の三刀屋が合流したいと申し出てきたのを、恩賞が減るのを嫌った豪族の反対で断ったり。
尼子との封建的主従関係で集まった、というのは無理があるんじゃないかね?
あくまで毛利の旧尼子系豪族への対応が悪かった、ってだけだろう。
第2次月山富田城で尼子を見捨てて逃げ出して、再興運動が始まると合流して、
結局また寝返る、とかごろごろいるし。 >>537 それにしたって戦国期に一度滅びた家の残党があそこまで粘った
ケースはないわけだからなあ。それと何で義龍に食いついた? 横槍だが義龍が評価されているという場面自体見たことないなw >>537
豪族にも利害対立はあるんだから反対されたりは当然まったくないわけじゃねーべ。
だからと言って尼子との封建的主従関係が進みつつあったことを否定する材料にはならないだろ。
斎藤義龍はむしろ過少評価だと思うが。 >>539 義龍が長生きしたら信長は美濃が抜けなかったっていう話聞かない?
家臣に稲葉山城を乗っ取られるアホ幼君の龍興にさえ
信長は苦戦しまくって、市を実際に浅井に輿入れして
浅井か斉藤への軍事的圧力を背景にして
やっと信長は秀吉のおかげで西美濃や中美濃の調略に成功して
稲葉山城攻略が可能になったほどにボコボコだったしな。
父の信秀なんて普通に稲葉山城を攻城してたはずなのに退化させてるし。 宣教師は大内義隆のホモっぷりを
悪魔の所業と罵り義隆を不興にさせた。
その宣教師が元就を
野蛮な方法で大内義隆を滅ぼした暴君元就とさらに悪人呼ばわりしてんだよな。
どんだけ最低最悪の悪党なんだよ元就って。。 毛利元就が三本の矢を豪快にまとめてへし折ってる画像あったんですけど、
誰か持ってませんか? それにしてもおまいら晩年や死後の話ばかりで若い頃の元就の話はしないんだな 所詮みんなが興味ある戦国時代は信長が生まれた以後の時代だけですから >>547
若い頃の話は捏造だらけで信憑性皆無だから語りようがない。 長州閥が政権取ったから過大評価されるようになったのだろうか >>550
毛利元就への正一位贈位なんてまさに長州閥の尽力だし・・・
幕末の藩主・毛利敬親への正一位贈位は理にかなっているが
正親町天皇への多額の献金を理由に先祖にさかのぼって贈位されているのは不自然。
(不自然を隠すために他の人気有名大名にも贈位が行われている)
なお、後奈良天皇へ莫大な献金を行い続けた従二位の大内義隆へは
死後の贈位はされていないので逆転している。 信長・秀吉より先に元就に正一位は明らかにオカシイ
長州閥のゴリ押し気持ち悪 >>549
若い頃のエピソードが胡散臭いものばかりなのは全ての戦国大名に共通して言える事だけどね
他人はおろか自分ですら若い頃の段階でまさか将来大きくなるとは思わないから
誰も事細かに記録を残してくれる人はいないから 秀吉は信長配下で軍事的に活躍するまでは謎だしね。
蜂須賀とか松下とかに仕えていた、とか草履取りや台所奉行として活躍したなんて講談
でしかない。
信長の若い頃も意外と不明。道三娘とか生駒氏とかの関係とか。平手政秀の死の理由とか。 元就の場合は本人自らが文書において過去の履歴を捏造しまくってるからタチが悪過ぎる。
そこが根本的に他大名とは決定的に違う。 >>555
で、その他大名が本人自らが文書において過去の履歴を捏造してない事を裏付ける根拠は何処にあるんだね? >>556
その他の大名って例えば誰を指してるのか明示しろよカス >>556
元就以外で本人自らが文書において過去の履歴を書状に書き記してる大名が誰なのか教えてくれないかね? >>555-607
そういう事は「そこが根本的に他大名とは決定的に違う。」と言い切った
言いだしっぺでもある>>604に聞いた方がいいんじゃないの
そうでしょ、604さん? >>559
過去の履歴を本人自ら捏造してるヤツは元就くらいと>>604は書いてるだろ。
それに対してお前は>>605において反論してるから誰のことだ?と回答が求められているわけだが? 何処をどう見ても605は604に対して質問をしてるようにしか見えないが
それなのに何処をどうしたら606や607は質問をしてる側の人に質問をしてくるという頓珍漢な真似が出来るのかね?
それにしても608を605と同一視するなんて610は余程精神的に病んでいるのだろうな >>562
ちゃんと理由が>>610に書いてあるだろ。
やっぱりお前は日本語が不自由なんだな。 その>>561の認識自体が間違いと言われてる事を理解してないなんて>>612は読解力が無いんだな 相手が飽き飽きして嫌気がさすまで
ひたすら執拗にレスする無職ストーカーって
一番最後にレスしたら勝利だと盲信してんだろうな。
そんな社会的ルールなんて存在しないんだけど。
かわいそうだけどこう言う偏執的粘着体質って脳の病気だよな… 毛利厨=在日はしつこさだけは織田厨並みの無職だからねぇ。 在日会津人は明治政府へのうらみから長州に少しでも関係のあることは貶めないと気が済まないからね。
さっさと日本から出て行けと言いたい。 元就が当主になったときの尼子を切って大内と組む決断を見たら
彼がいかに英雄だったかがわかるだろ
スケールとしては天下を取るという目標を最初から掲げていた信長に次ぐ英雄だと思う >>572
尼子を切るどころか
元就は事前に尼子から毛利当主になる許可を得て後ろ盾になってもらってるだろ…
のちには尼子晴久と義兄弟の誓いまでしてるし。 >>573
元就が家督を継いだ直後に行った決断が当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった尼子との手切れだったはず >>574
当主になる→尼子陣営で大内と戦う→晴久と義兄弟になる
→隆元を山口に送り、富田の人質を逃亡させて尼子と手切れ
の流れでしょ? 手切の時の理由に当主になった時の反乱未遂
を尼子が扇動していた事を掲げてるけど。 >>575
反乱未遂を尼子が扇動なんて書いてないだろ?
確認するから該当書状の毛利家文書ナンバーを教えて欲しい。 尼子のおかげで当主になる→尼子陣営で大内と戦う→大内が大友の援軍を連れて来るので尼子を裏切る
→義興が死んで義隆になったので大内に内緒で晴久と義兄弟になる
→隆元を山口に送り、富田の人質を逃亡させて尼子と手切れ
>>564
お前はバカか?元就以外に本人自らが文書で
過去の履歴を捏造して書いてる大名はいないと>>604で書いてるんだから、
過去を本人自ら書いてる大名がいない以上、>>605の質問に対して該当する大名がいない以上は提示できないわけで
それに対して>>606>>607>>610>>612>>614らが主張するようにお前が過去の履歴を書いてる大名をちゃんと提示し自分の指摘の論拠を提示できなければ
お前には論拠もロクになくただ単にケチを付けただけの話で追及されるや逃げまくりと判断されるに決まってるだろうが。 1ヶ月も前のレスに627はどうしてこうも必死になってるのだろうか? >>577
尼子の庇護どころか逆に元就が頭首になるのを尼子経久は相合元綱を使って阻止しようとしたんじゃなかったけか? そもそも元就と晴久が兄弟の契りを結んだのは元就が尼子と手を切り大内方へついた後の話だが >>580
尼子が相合元綱を使ってってのは捏造だから。
>>630
晴久と義兄弟になった時の元就は
明確に大内と手を切った宣言はしてない。
その後、再度尼子を裏切った後に吉川経由で元就がまた尼子と同盟しようとしたが
尼子側から毛利はもう信用できないと拒否られてる。
ちなみに同盟を繰り返すごとに毎回元就は褒美として領地を貰い続けてる。 >明確に大内と手を切った宣言はしてない。
毛利氏に限らず面と向かって縁切り宣言する奴なんて普通いないが >>582
>ちなみに同盟を繰り返すごとに毎回元就は褒美として領地を貰い続けてる。
確かに手形はもらってるけど世の中には「空手形」というのもある。
実は敵対勢力の領地で「攻め取ったらあげるよ」的なものもあるんではなかろうか。
そうそう、無主の領地なんてないと思うが。 当時としては尼子に勢いがあったにも関わらず大内に隆元を送ったのは英雄の決断だろ >>583
同盟破棄が決定するとすぐに相手に出した人質が逃亡するから宣言するのと変わらん。
>>633
空手形じゃなくて実際にかなりの加増を毛利は受けてるわけだが。
攻め取ったらあげるよと毛利が言われた土地はわずか一箇所だけ(大内から)
しかもその地を元就はそのまま熊谷にやると言って投げた。
>>634
尼子と内通をはじめてると気づいた大内が隆元を山口へ寄こせと要求しただけ。 毛利隆元を差し出した頃はすでに少弐が敗れ去り、大友も和睦して大内包囲網が瓦解していたしな。
大内側に与したのはもっと前の義興存命中の1525年くらいだっけ? 隆元が人質として山口へ送られたのは1537年だし
幕府が大内氏に上洛を要請して了承した大内氏が留守を襲われないよう人質を出させたんだろ
それにこの時隆元の他にも天野隆重や阿曽沼元秀も人質として山口に送られてるから そもそも何を以って元就は尼子のおかげで当主になれたと主張してるの?
幸松丸死後順当に物事が進んでたとしたら元就より元綱の方が当主になる可能性なんてあったの? 元就の異名の「謀神」っていつごろから言い出したの?
戦国無双3が最初? 尼子の後押しを受け大内派の家臣団に擁された幸松丸を殺害した元就 >>591
お前さー、毛利の資料は捏造ばかりとか主張にするわりに、自分は思いつきで書きこむのって、
NASAは宇宙人の情報を隠蔽してる!(キリッ)とか言ってるのに、宇宙人存在の証拠はNASAの写真
って奴らと同レベルだぜ? そういえば大内の関係者を吸収した割に分国法がないね。各地の国人衆を縛るのは難しかったのだろうか? >>1
その毛利家が中国王となり300年後天下を取ったわけだが、お前はどこの雑魚大名なんだ? アンチって誰も主張してない事をさも主張したかように捏造するのが好きだな 元就は隆元への書状で
自分はみんなから恨まれているから
いつ一家皆殺しにされるかわからないと書いているように
周囲から怨恨を買っているのを自覚してんだよね。
余程にあこぎな真似をしてきたんだろうな。
隆元の死も元就への憎しみの結果だろう。 馬鹿だな、それだけ今の時代は厳しくてシビアにしないと生き残れないぞという親父からのメッセージだろ そもそもあの手この手で他の大名を攻め滅ぼす行為は何も元就に限った事ではなく戦国時代の日本全域で起きてた事だし 誰からも恨まれずに大大名になったのが誰かいんのか? まあ隆元は元就が暗殺したんだけどな
隆元暗殺下手人をすぐに罰しなかったし。 じゃあなんで元就は隆元を暗殺した下手人をすぐ捕縛して殺さなかったの? 元就が隆元を殺すメリットが全く見えないんだが
それに、この場合は元就が殺した証拠を提示するのが筋だろ? >>604
>>653
兄弟仲悪すぎて
隆元はみんなからシカトされてたから
隆元が生きてたら毛利は元就が死んだ途端に崩壊してただろうね。 お前は矛盾してる
妄想ならソースなんか出せないだろ 毛利兄弟が仲が悪いの有名じゃん。
しかも次女は次男の嫁イビリまでしてたし。
あまりに仲が悪過ぎて元就が三子教訓状まで出さざる負えなかったし
それでも仲違いが酷くなり
最後は元就がちゃんと返事を書けと要求したが兄弟は完全に元就までシカトしてたし。 暗殺説の話が都合が悪くなったからって論点をすり替えてんじゃねえよ すり替えどころか>>659も突っ込みどころだらけだしwww そういやNHKの番組でも毛利兄弟がむちゃくちゃ仲が悪い話をいろいろと紹介してたぞ。
元春の妻と元就の次女が仲が悪すぎて
仲裁に入ったはずの隆景が激怒して元春との仲が最悪になったとか
隆景が隆元に屋敷を要求したが隆元がお前だけ贔屓目できないと拒否したら隆景が激怒して元春と一緒に隆元をシカトしたら
隆元が父にチクったとかいろいろ放送してたぞ!
NHKがデタラメを放送してたとは思えないが… 弘中隆包みたいに偉そうだと言われたのは
どの女だっけ? >>614
ブス。
それはそれとして、>>659と>>663ですでに話が変わってるの気がついてるか?www >>613
そのデタラメを放送してたとは思えないNHKが
元就による隆元暗殺説を主張してないから暗殺説は間違いという事でいいんだな >>614
人質だった長女は元就に見捨てられて惨殺されてる。
宍戸の息子を尻に敷いて三子教訓状にも出てくる暴君と呼ばれた次女の龍だろ。
龍は毛利一族から嫌われまくって墓まで不明にされた挙げ句に毛利捏造軍記ですら美談を創作されなかったほど毛利の政治に顔も口も出した。
元就は男に生まれてたら隆元を廃して後継者にしてたと言ってる。 >>617
次男の嫁のブスの話だってのがわからねえの? 龍がいびってたのが元春の妻で
さらに彼女らと仲違いしたのが隆景で
結局、隆景と元春の間まで険悪化した
元就も元春や隆景に対して怒ってて、あいつらはみんな他家の人間だから期待すんなと言ってるし。
戦国時代の覇者は信長、元就はそれに次ぐ実績だから戦国2番手の英雄と見て間違いない
信玄も謙信も氏康も元就のスケールには及ばない 北条や武田は最大版図の石高の話がよく出るけど
大友や毛利(大内)って最大版図の石高ってどのくらいなんだろう? >>620
えっwwwただ長生きしただけじゃん。
>>671
そもそも傘一揆連合で主従関係すら曖昧で
しかも寄親寄騎制度の風土であるので
直轄と同盟関係の線引きすらできない毛利領で最大石高なんて出せと言う方が無理。
毛利を大破して大友最盛期の宗麟は160万石前後だろうね。
すぐ耳川で敗北して60万石レベルまで落ち込むけどね。 東日本は経済が発達していないから石高で得意になっているけど
西日本では石高よりも経済力のほうが重要。
大内なんか通常の国持大名と比較して収益が桁違いだったからなあ。 大内の勘合貿易を継承しようとして主を滅ぼした謀反人として拒否られたのが毛利だけどな。
さらに毛利が焼いた山口を復興するのにも失敗し
やむなく博多を奪おうとして大友に大敗。
大友と尼子残党と宇喜多と織田にフルボッコされる中で
絶望の中で「お前達は天下を望むな」と嘆息しつつ憤死したのが元就。 ちゃんと山口を復興させていれば山奥の萩なんかに行かずに済んだのにな。
萩といえば、政治工作として一切経を天台宗に寄進して「三田尻」になるように保険をかけた後で
出来レースのつもりで○三田尻、△山口、×萩の伺いを幕府にたてたところ、
天台宗の窓口に南光坊天海を通さなかったことから天海の怒りを買って「萩」にされてしまったとか。 そういや山室恭子が
元就による自己正当化目的での「歴史の偽造」を告発してたが
鴨川氏も元就の家督の簒奪に同意してるな。
元就に当主になってもらいたいと書く
本家重臣15人の署名のうちに井上就在や赤川就秀ら「就」の字がつく
元就子飼いで息がかかっていた人物らが本家重臣にすでに送り込まれていた事実から
彼らが主導してこのような書状を作成し反対派にムリヤリ署名を強要したとしか思えないのでよほど元就には人望が無かったのだろうと指摘してる。 一台で築いた版図を見たら猿でも元就>晴信、謙信、氏康と判断する
アンチ元就は必死すぎて見ていて哀れだわ
古代から英雄の条件は最大版図を築いた者と相場が決まっている 寄親寄子の緩慢な一揆連合風情で版図とかwww
毛利厨が哀れでならない。
厳島でも村上水軍に泣きついてて他力本願だったくせにw 連合すらくめなかった雑魚大名に言われる筋合いはないなw 大内は時間をかけて有力者を一族に取り込んだり、利権で懐柔したり、武威で屈服させ勢力を増やしていった。
さすがにとってかわって日が浅い毛利では大内のようにはなれまい。 大内家が名門中の名門なのは認めるが、大内家が室町以来何代もかけて築き上げた事を
元就一人に背負わせるのは論点がずれすぎていると思うぞ?
それでも最大版図は元就なのだから、間違いなく元就は戦国時代の英雄の一人だな >>625
>大内の勘合貿易を継承しようとして主を滅ぼした謀反人として拒否られたのが毛利だけどな。
勘合貿易の件はその前の陶隆房改め陶晴賢に擁立された晴英(義長)の時点ですら拒否られてたけどな
>>677
その重臣15名のうち「就」が付く人は井上就在と赤川就秀だけだね
それにしてもそこまで家格が高いわけではない2人だけで丸め込むのは幾らなんでも無理だろうし
丸め込めるほど子飼いがいるのに元就には人望が無いというのも変な話だな >>632
それをやったのが戦国大名であり
元就は単なる雑然たる一揆連合止まりであり
戦国大名ですらない。
>>683
陶も元就も忘恩の徒党だから中華帝国から人倫の無い畜生以下の人間として価値のない相手とされてたからな。
本当に元就に当主になってもらいたいと望まれてたなら
そもそもそんな書状を書かせる必要性などまったく無いからな。 >それをやったのが戦国大名であり
>元就は単なる雑然たる一揆連合止まりであり
>戦国大名ですらない。
それを言い出したら三英傑を除いて誰も戦国大名とは呼べなくなるな
当然国人の盟主的存在であった大内や尼子も
>陶も元就も忘恩の徒党だから中華帝国から人倫の無い畜生以下の人間として価値のない相手とされてたからな。
そりゃあ明からしてみればそれまで担当してた幕府細川氏大内氏以外に対しては陶や毛利に限らずそういう認識だろうね
>そもそもそんな書状を書かせる必要性などまったく無いからな。
当時は戦国初期の一領主単位で利権が複雑に絡み合う時代で起請文の存在はかなり重要なのに
それを必要性などまったく無いと言い切るなんてこいつ無知にも程があるな >>634
百歩譲って(アンチのいいがかりだけど)その一揆連合でもいいから
一代で元就ほどの勢力を拡大できた大名が信長以外に居るのか? >>636
戦国初期を語る上で必要不可欠な知識を知らない知ろうともしない奴に何を言っても無駄だよ >>685
一揆連合は戦国大名ではないよ。
大内は守護大名だし
尼子も守護代から守護大名化を目指して
有力な叔父を討つなど戦国大名化を目指して権力掌握を進めた。
しかし元就はそんなことはしてないから
元就曰く「まわりの国人たちは毛利を好ましく思ってない」とまで言ってる。
単に一揆連合の盟主の家柄だと言うだけのこと。
だから毛利勢力圏と呼べるのは安芸と備後で半国くらい
あとは他人の土地 >尼子も守護代から守護大名化を目指して
>有力な叔父を討つなど戦国大名化を目指して権力掌握を進めた。
結果関係なく目指すだけで戦国大名を名乗れるなら誰だって戦国大名になれるねw >>638
>元就曰く「まわりの国人たちは毛利を好ましく思ってない」とまで言ってる。
この言葉だけを鵜呑みにして元就は嫌われていたと解釈するほうが阿呆
戦国時代、油断したらやられていく世の中だから油断するなという親からの戒めだろ
一揆連合(アンチ曰くだが)なのに嫌われていたら一揆にすらならない、お前の言っている事は矛盾している
一揆の意味をもう一度辞書で調べてきてください >>640
正室の子以外は虫けら扱いと都合良く曲解してる奴に何を言っても無駄だから >>638
ほうほう、戦国大名である尼子家の領地は全て直轄だったのですね
毛利家も一時は尼子に直轄されていたわけだ、勉強になります(プ つーか、大内氏はどう見ても一門・重臣の力強すぎじゃん。
相良を抜擢したりして、中央集権に移そうとしてたのは評価できるが、
それが完成していたとは到底思えん。 >>613
ヒアハ〜 ホワホワ〜 フワホ〜ワホワホワ〜
っていう曲が流れる番組のことですか? 毛利厨は単なる一揆の盟主の家柄と守護大名の違いも理解できずに
同一にごちゃ混ぜにしちゃうほど無知ワロタw >>645
お前の大好きな「戦国」大名は一代で元就より版図を広げられたんだな?
いいから名前を挙げてみろよw
そしてお前の言う戦国大名の定義を述べてみろ、話はそれからだ 元就の版図って安芸半国と備後半国くらいがせいぜいだろ
それ以上の石高の版図なんて
楽勝じゃん >>647
もしや元就に滅ぼされた尼子の残党ですか?w
まあ信玄や謙信あたりでも「一代」で中国八カ国の「戦国」大大名にのし上がった元就には及ばないがな 大内義隆ひとり死ぬだけで利害調整が出来ずに内部崩壊。
なんだかんだいってヤル気がないといえど名門の当主ってのは影響力大きかったんだな。 そりゃそうだろ…。
織田家だって信長信忠と死ねばその後はやりたい放題だし。
基本当主の死は敵対する勢力や野心家が勢力を延ばす最大のチャンスだし。
大内尼子長野葦名と権利移譲に失敗したり権力バランスに失敗して滅んだ家は少なくない。 >>650
お前が馬鹿なのは良くわかったから失せな、雑魚大名君w >>ID:458K8UAb
元就の最大領土は安芸半国と備後半国であるキリッ!
こんな馬鹿、初めて見ました えっ?じゃあ安芸や備後以外も元就の領土だと証明してみせろよwww
不可能だろうけどなwww
もっとも安芸や備後ですら大内や尼子から貰った領地ばっかりで自分で切り取りした地なんてほとんどないしな つーか、直轄領以外自分の領土じゃない、なんて言ったら日本中の大名が半国も領地ないと思うが。
例えば甲斐武田でも真田家・木曽家とかの領地は武田の領土じゃない、って主張なんだよね?
徳川なんて関東入府まで直轄領があったかどうかも怪しいな。 徳川宗家も最終的な直轄的な領土は静岡藩だけだしなあ。 元就は国人たちによる連盟の単なる盟主でしかない。
言わば主従関係は成立してない同格の連盟。
守護大名や戦国大名の支配領域とは根本的に違うことも知らんとは無知過ぎてワロタ 外様、譜代領は自国領じゃありませんからーって斬新すぎてワロタw
まさに天才… つーかさ、戦国大名の支配体制って「領内」の大小の武家が自分の領地と軍勢を持ったまま
大名の統治組織に組み入れられるのが普通だろ。
だからこそ、計略でそのエリアまるごと寝返ったりするわけで。
「そうじゃない」と明確に言える大名家ってどこさ?
あ、逆に本来の守護大名は幕府から領内の小領主に対する統治権を幕府から与えられてる
わけだから、すべて主従関係においている、と言ってもいいか。
ただ、それに実効性が無くなったから戦国時代なわけで。
守護大名だから領内の小領主全てに対して主君として統制できていた、とか言われても
笑うしか無い。 すげえ、アンチ元就の主張ってキチガイすぎて清清しいくらい
全て直轄領でないと認めないとか、信玄も謙信も完全にアウトだわw >>662
>「そうじゃない」と明確に言える大名家ってどこさ?
信長以降じゃないの? このアホの理屈だと織田家の羽柴や柴田の所領持ちも他大名扱いで織田家の勢力とは関係ありませーんwww
って言ってるようなもんでしょ?
マジキチ! >>664
ノブだって配下の各武将は独立採算で、自分の領地は自分で支配してるでしょ?
こいつの理論だとそれもアウトだから、織田の領地もめっちゃ狭いよ。
近畿圏でさえほとんど明智の領地ってことになるからね。 単なる一揆連合の長で序列も主従関係もない地域コミュニティの同格連合と
守護大名や戦国大名を同列視する馬鹿な毛利厨ワロタ
秀吉一人に軽く追い詰められたのも
元就の負の遺産と元春らの独立志向を背負うハメになっていた輝元時代になっても
いまだ主従関係が曖昧だったから。
>>667の意見によると、
戦国大名と呼べるのは徳川家康だけ?
あ、戦国時代は無かったの人か? >>1
加賀も本願寺顕如の言うことを聞かなかったから
まとまりがなかったなあ こいつの理論だと、守護大名の大内氏も戦国大名の尼子氏も国人一揆の毛利氏に滅ぼされたわけだな。
尼子と大内雑魚すぎじゃんwww >>667
守護や守護代という超恵まれたスタート地点に立っていたにも関わらず
安芸の山奥の小規模な国人領主という厳しい条件でスタートした元就に
蹴落とされた大内や尼子がいかにみじめで、元就がいかに天才だったか
褒めてくれているんですね、ありがとうw >>1
元就の謀略が天才的なことは良くわかった
元就が大内家の立場だったらそれこそその謀略で天下を取っていただろう
元就の恐ろしい所は、その思惑通りにことを進める才能と決断力だろうね 元就は尼子を見限って大内と手を組んだ時点で中国王になる野望を持っていた
陶が義隆を討ったとき、元就も陶と結託していた
主家である大内家を表立って討てば反発は大きいが、主家を裏切った陶を討てば
大義名分を得ながら大内家を吸収できる、まさに天才だな >>673>>727
なにバカな妄想してんだw
>>思惑通りにことを進める
グチと弱気発言ばかりの元就なのにwww
だいたい陶も毛利も同じ主家裏切り者同士であり
どっちも同罪じゃんw
それに陶を対決するか悩んでる時の元就は
なんとか大内義長をこちら側に引き入れられないかと嘆息してるように
大義の面でも陶より劣っている点を元就自身が上げているのも知らんのかw
>>675
ほんと馬鹿だなお前
質問するが、義隆を謀反で討ったのは誰で、その謀反人を討ったのは誰だ? >>1
>安芸や備後に所領を持つ最有力国人
具体的にどれくらい?
勿論元就が当主になる前の時点で サブっぽいレスだなあ
識者の論考を引いているつもりなら、きちんと出典を出す!勝手に要約しない! 中国地方は石高は低い代わりに大内の影響で貨幣経済は浸透していたからなあ。
山陽・山陰ともに水軍が活発だったのは大陸からの交易を担っていた影響なので
日明貿易が活発な頃は裕福だったと思う。 論文を引用する場合は
著者名「論文タイトル」『学術雑誌名』巻号、出版年、引用ページでお願いします。 基本的知識すらない毛利厨の事実上の降伏宣言か。
胸熱だな。 >>673
大友にボコボコに負けてる時点で三流だろ 元就なんて 本国を海で隔てられている毛利の方がに不利だろ
もっとも宗麟も最大で九州6カ国を支配下に治める英雄の一人
元就の一代で中国8カ国のスケールには及ばないがたいしたもんだな 元就が八カ国支配してたソースください。
ちなみに門司海峡はむちゃくちゃ狭いので兵站は毛利の方が圧倒的に有利だし、国人達は親毛利勢力ばかり。
大友は豊後から険しい山間を長躯、敵地を通過しないとならないので著しく大友側が不利。 >>687
盛り上がってるところ悪いんだが
戦場はどっちの勢力圏なんだ?
大友領で兵站がどうのってなりゃそれこそ無能だろ。
当時のまして日本に、陸地を砲撃できる軍艦でもないかぎり、海を渡って攻め込む側が不利なのは間違いない。
元就公をdisりたくて頭に血が昇ったか、大友が好きで発狂したのか? 戦域は親毛利国人々だらけ
(もともと大内側で大友と戦い続けてた)
毛利が制海権を握ってたから
大友は陸路で敵地を進むしか無かった。 >>689
大友が毛利領に侵攻してボロ勝ちしたってことか?
そのわりに大友領が関門海峡を越えたとは聞かないが? 無知だろうな、歪んだ歴史通からすりゃ?
どっちが攻め込んだって話で周りが毛利方なんて気の狂った説明する通からしたら。
前線基地もなく、敵が乗り込んで、近隣を制圧してからノコノコ行く馬鹿が大友って書いてるようなもんだろ?
海越えて攻め込んでるんだ、まして豊後水道を押さえてるわけでもないのに
一つ間違えれば乗り込んだ側は全滅するのが筋。
別に毛利が特に弱いわけでもない。
海の向こうから良く足掛かり作っただけでも毛利にしちゃ大したもんだ 大河でも九州での大敗は全スルーだったな
人生の最期で無様な姿を晒して終われなかったんだろうがw そこまで主張するなら筑前と豊前で大友側に付いた国人を上げてみろよ。
あと該当戦域と豊後水道なんて
まったく関係ないじゃん。
地理も理解できないのか… >>687
wikiに書いてあるんじゃない?その程度のこと
否定するなら否定するソースをよろ
ああ、お前の妄想はいらないからね? >>693
大友氏や尼子氏が主役の大河ドラマが作られるようになるといいねw 尼子なら経久が主人公でないと結局毛利物語で終わる予感
宗麟は侵略の尖兵である宣教師に完全に洗脳されているから
主人公として扱いにくいのでこれまた微妙 経久だけだと?毛利を圧倒した晴久がいるし
宗麟は宣教師に洗脳されてねーし。
大友が直轄地がほとんど無いから褒美不足な為に
寺社領の没収や海外貿易のためにキリスト教を利用者していただけ。
むしろキリシタン信者エリアの対島津徹底抗戦ぶりはすごかった。 >>695
えっ?wikiってwww
キチガイ毛利厨が捏造編集した内容を読むほど暇じゃねぇ。 >>700
気持ちは分からんでもないが取りあえず肩の力を抜けやw >>700
いや、お前の便所の落書き以下のここでのレスよりはよほど信憑性が・・w 毛利のwikiが軍記講談準拠で超爆笑したwww
アホにつける薬無いな… >>702
馬鹿なんだからほっておいてやれ、所詮負け犬の遠吠えです
>>757
煽り乙w 元就八カ国支配人にソースなんてあるわけないわな。
デタラメ捏造なんだから 尼子氏も11ヶ国を直接支配してたわけではないんだよね 信長も軍団制で直接支配した直轄地はごく僅かだからなぁ 長門、周防、安芸
備後、石見の5カ国だけだろ。
隠岐の島は尼子再興軍の策源地だし
出雲、備中は宇喜多や大友や暗に織田も後援してた尼子再興軍が優勢なまま
元就憤死したし。 安芸・周防・長門・備中・備後・因幡・伯耆・出雲・隠岐・石見の10カ国
一代でこれだけの領土に支配力をもった元就ってやっぱスゲーわ >>709
みんなが指摘してるように毛利厨がクソ以下なのが理解できたわ。 反論も何も誰もそんな主張してないだろ。
頭大丈夫か? >>712
そうだね
尼子氏の支配地域が実際は殆どが流動的だったなんて恥ずかしくて主張できないよねw 尼子は守護代から戦国大名への転換を図ったから
国人たちとの主従関係が成立しており
経久時代はまだしも
晴久時代も流動的は言い過ぎ。
晴久が元就に圧勝しまくりなのもきっちりした体制作りをしたからで
叔父を殺したりして
その勢力を解体したりしたのもその流れ。 大友がアホなことしなけりゃ尼子晴久が上できていたかもしれないしなあ 大友がアホなことしなけりゃ尼子晴久が上洛できていたかもしれないしなあ 確かに晴久はもう少し評価が高くてもいよな
信長の野望なら平均80以上はある島根の英雄だと思う >>716
意味わからん。
大友と大内の和睦のことなら
義晴の上洛要請の和睦斡旋なんだが。
>>718
やっぱり大友厨かw
なんでも大友の都合がいいように考えるその脳味噌を精神病院で検査してもらうことをおすすめする まぁ元就の死んだ時の石高なんて100万石前後レベルだから
大したことないな。
家康みたいに天下取れるレベルの75歳まで
無駄に長生きして、その程度の結果しか残せないんだから。 おいおい、さすがに元就が家康と同格とまでは思っていないぞw
家康は天才的な保守派だからなぁ、それでも毛利と島津を潰さなかった点では甘かった
300年後に恨みを爆発させて徳川家を滅ぼす事になったのだからね
徳川家に忠誠を誓わせるために導入した朱子学が、真反対の効果を生む事になるのも歴史の皮肉 チャンネル銀河の実況ってないんだな。
これから毛利元就はじまるのに 300年後に恨みを爆発
そこまで恨んで生きていたなんて見下げた奴らだな
家康生きてるうちにとっとと襲いかからんかいヘタレ もし佐野道可の代わりに大村益次郎が大坂の陣に参陣していたら
家康はあっけなく戦死していただろう >1
とりあえず
俺は毛利ファンじゃないが
当時は、尼子家と大内家と言う超巨大な家があってなぁ
>>729
大内義隆も尼子経久も
寄親寄子のいい加減な統治しかしてねーじゃん。
しかも毛利は大内か尼子にいつも保護されて
どっちかに主を変えるごとに加増してもらいまくりで
一番おいしい立場で肥え太ってただけじゃん。 >>730
お前が元就だったら、その美味しい鞍替えを一度でも行ったら
旧主家から狙われて即滅亡だなw
超大国に挟まれた弱小国家が天下を取ることがどれだけ偉大な事か
凡夫には理解できない、天才の行動のすごさは理解できない 大内も尼子も幾ら名門の家だろうが少なくとも無能な奴には加増しないからな
裏切られても尚敵にしたくないと思われるくらいだから並の器量ではないしね
でなければ目測を誤り大内に反旗を翻し結果滅亡した厳島神主家のような末路を辿るから 大内や尼子が安芸一揆の代々の盟主の家柄を滅ぼすわけねーだろアホw
そんなことしたら安芸の統治を諦めることを意味するわ。 尼子に寝がえりかましても
大内から毛利はペナルティを負うどころか
大内に戻る時に加増してもらってるしなー。
さすがに最後には尼子も義兄弟の元就は全く信用できないから、いくら親類の吉川からの斡旋でも騎下にしたく無いと言ってるが。
そういや義昭も元就は信用できないし超ケチと言ってるんだよね。
毛利って朝廷にはいい顔してるけど、幕府にはあんまりかかわり持たないようにしてるよね。
鞆まで押しかけてこられてしょうがなく相手してるうちにその気になってるけど。
ところで、いつものアンチの人がちょっと前のスレでは戦国大名や諸語大名として国人一揆
の毛利とは比べ物にならない、とか大内・尼子を持ち上げてたのに、一瞬で手のひら返した
のにワロタ >>733
裏切り者を放置する方が統治に支障をきたす
アンチは馬鹿過ぎて話にならんのう >>736
元就がクソ人格だから
大内が隆元を人質に取ったんじゃねぇか。
おかげで郡山合戦で尼子の威嚇に元就が再度、尼子に土下座しなかったから
義隆もよく元就のクソ人格を理解してたよ。
ただ武田を滅亡させた後の論功行賞で隆元を返したのはダメだったな。
義隆が隆元をしっかり押さえてれば
陶と一緒に元就が義隆を裏切らなかったかも知れないからな。
陶の背後を毛利が固めてれば陶も裏切りできん。
>>789
国人傘一揆同格連合勢力圏の傀儡御神輿の元就死去時が
100万石前後と言うのは同意だが。
当時大内には人質が隆元の他に天野隆重や阿曽沼元秀もいた事は>>588で既出なのに都合が悪いからまた無視するんだな >>738
阿曽沼と天野が尼子側に行った時に
毛利は大内側で
天野と元就が一揆同盟を結んで
大内側にして阿曽沼わや誘降させたのに
しかも阿曽沼は再度尼子側に寝がえりかましたのに
元就があまりに人格がヤバイから
彼らと同一視して扱いが一緒w
>>735
元就は和睦してもらう為に散々幕府を利用してるだろが。
幕府には謝礼しないどころか
幕府の顔を潰してすぐに和睦を一方的破棄して奇襲してるし。
それに義昭が押しかけたんじゃなくて
義昭は毛利が信長にビビっているのに失望し
東国へ移動するために
謙信と連絡を取っているのを知って
毛利の威信にかかわるので焦って元春主導で
義昭を毛利領へ呼んだだけ。
勝手に捏造すんなカス >>732
大内が厳島神主家に後継を認めず直轄下したから
武田の後援で反抗するしか選択肢が無かっただけだ。
目測も何もねぇよ。 血液型の問題
どんどん他国を侵略して領地を広げ地位を上げたがる考えはA型とO型の武将しか持っていない
B型(毛利元就、伊達政宗)AB型(武田信玄、上杉謙信)は領地の拡大には興味は持たなかった
自国の保守に力を入れて戰より趣味などに力を入れていた 元就も正宗も領土欲満々じゃねえかw
謙信だけは本当に義で動いていたっぽいけどな >>741
その件と滅亡する件は20年も開きがあって全然別物だね
幾らなんでも時系列を有耶無耶にして捏造するのは良くないよ たしか神主家の後継争いに負けたほうが吉田郡山城の戦いに呼応してその後滅ぼされたんだっけ?
後継争いに勝ったほうはどうなったの? 負けた方とか勝った方とかではなく、
そもそも大内対神主家だから。
大内は武田攻略の橋頭堡としての直轄領化しか考えてない。 毛利家って戦下手な大名なのは確かだろうなぁ
元就が自分が死んだのち、領土だけ守れみたいな事いっただけある
関ヶ原の体たらくや、毛利家の戦はどれも微妙、大友家にすらフルボッコ、秀吉隊にもフルボッコ
元就自身も戦下手っぽいしな、謀略であれだけの領地切り取ったと考えればある意味すごいけど 戦い<<<戦略な
戦略パーツの中でも金や人員を無駄に使う戦いなんて選択は下の下
戦略でどうしても片付かない問題を強引に解決するのが戦闘だ
>>748
なるほど。一族間の後継争いというよりも
大内が送り込んだ人間と争ったわけか。
小早川や吉川もそうだが、のっとりが成功するとおいしいからなあ。
乗っ取っても大きい勢力だと菊池義武みたいによそと結ぶ人もいるから油断できないが。 実際は乗っ取りでも何でもないべ。
吉川や小早川の都合で元春や隆景は動いていて
隆元や元就と険悪になっていっただけだし
元就も隆元に
「お前が怒るのはもっともだ。私ですら隆景には
何度と無く腹を立ててるんだから!元春に関してももう諦めろ」
と言ってるくらいで、
元就が「兄弟は協力して毛利本家を守り立てるよう誓約だせ」と要求しても元春と隆景は黙殺し、結局、隆元だけが署名しただけだし。 まああくまで同格の一揆連合であって主従関係ではないからね。
隆元も弟たちは私を盛りたてる気はないと元就に愚痴ってるし、
輝元時代になるとますます仲が悪くなった
元春と隆景が常に正反対の意見を強硬に主張して輝元を困らせてるし、
隆景は輝元をガチでフルボッコしちゃうし。
もうみんなバラバラだから織田と戦ってる場合じゃない。 >>749
>>謀略であれだけの領地切り取った
漫画読みすぎじゃね・・・
>>804
元就って行き当たりばったりで、いつもグチってマイナス思考なんだが。 >>754
>元就って行き当たりばったりで
具体的に何処が? 弱小勢力がいきあたりばったりになるのはいたしかたないかと >>753
アンチの大好きな「一揆連合」あの時代は全ての勢力が一揆連合ですからねw 中国地方と違い畿内東国と違い遅れてた。
1500年代中期に入る前に
もはや時代遅れの一揆連合なんて
弱肉強食の畿内東国では戦国大名によって解体されてるよ。
中国地方はいまだ
怪力乱神を語って祟りに怯える風俗があったぬるま湯地域だから一揆連合が生き残れた。
一揆勢力である武田家も北条家も皆やられてしまった
戦国大名恐るべし! しかし、元就ってすごいな。
500年経ってもまだこんなに議論されてるとは!
アンチが必死に、「無能だ〜、何もしてない!」って、わめいたとしても、
あと、何百年も語り続けられ、ドラマになったり、本になったり、ゲームになったりするんだろうね。 >>759
自殺レベルの恥ずかしい無知っぷりだなワロタ >>760
キチガイみたいなアンチが居ることも英雄の宿命なのかもなw
戦国レースの優勝は織田信、準優勝は毛利元就で決まっている >>763
お前こそさっさと現実を直視しなよ、粘着アンチクンw マジレスすると、生まれや運も実力のうちでしょ。
信玄が大名の後継者とか、秀吉は信長のおかげとか、家康は長生きしただけとか、
元就は頑張ったほうでしょ?
引き継いだ領地が20000石程度で、あそこまで広げたら英雄レベル そもそも毛利はなんで秀吉に従ったんだろうな
当時はまだ秀吉の勢力はたいした事なかったのに
毛利が下ったせいで一気に秀吉に世が動いた
毛利が下ったのは織田家にであって秀吉にではないっとか言って毛利が後ろから攻めれば
明智との戦いの際でも、柴田との戦いの際でも、小牧長久手の戦いの際でも
いつでも秀吉を葬れたのに >>768
秀吉の力量を一番戦う期間が長かった毛利家(隆景と言うべきか)が理解していたからじゃない?
次の天下人は秀吉だと思ったから、秀吉株に先行投資したんだと思う
万が一光秀が天下を取っても、将軍を庇護していたという建前と秀吉と激戦を交わしていた事実があるので
光秀政権?ともやっていけるという計算もあったのかも 本能寺の変後の追撃
柴田と同盟
これ元春が主張してたよ。
実際に、秀吉と勝家の双方に
戦勝祝いの書状をあらかじめ作っていた。
おそらく元春は光秀とも書状交換してたと思うよ。
毛利は常に元春と隆景が仲が悪い為に
結果として二股外交やってるから。 >>770
元春が追撃を主張したことは分かっている、その上で智略の事なら隆景という事で隆景の意見が通ったのだろ
元春が主張した事を実行した事を混同していては話にならないぞ?
それにあの時代、権謀術数のひとつの手段を二股外交と意図的に貶める言葉に置き換えている時点でいつのアンチと言う事がバレバレw >>771
決戦する双方の陣営用に戦勝祝いを書いておいた大名が他にいたならぜひ教えてください。
方針対立では元春が多数派工作で負けただけだろ。
この対立体質が関ヶ原の大失敗に至る病なんだな。 そりゃ両方用意しといて勝ち馬に乗るのが一番じゃん。常識的に考えろよ。
旗色片一方に鮮明して成功すればでかいが失敗したら立場が悪くなるだけだし。
無論、日和見では得られる物は大きくはならないし下手すれば不信も買うがな。
関ヶ原や大坂の陣でもそうだったしな
佐野道可とかリスクしか無いだろうに・・・ >>773
書状を双方に用意しておくような大名はいないだろ。
基本的に大内と尼子のどちらにも顔をつなげて保身を図る毛利のやり方なだけ。
>>828
関ヶ原も大名たちは親兄弟を分けるなど、
明確に旗色をわけている。
毛利みたいに西軍総大将やりながら、
裏で東軍にも書状を出し内通しておきながら
西軍内の内通者を探しだすように捜査を命じたりしない。
佐野道可も偽名で毛利との関係を隠させてるし。
そういうぬるま湯の中国地方でしか通用しないやり方が毛利を自爆させてる。
まさにコウモリ
幕末真っ向から幕府に喧嘩を売った連中とは思えない卑劣さだ 関ヶ原があったからこそ、幕末につながっているんだろ
関ヶ原で上層部の意思統一が出来ていなかったこと(これは事実)
そして安易に家康を信じて妥協して(広家、大阪城での輝元)騙されてしまったこと
その反省があったからこそ幕末は関ヶ原の二の舞は避けようと徳川家とはとことん妥協せず
上層部も常に意思統一しようという行動に繋がった
歴史は繋がっていることがよくわかる話だな テロリストだらけの長州。
薩摩と土佐がいなかったら
消滅してたバカ
無計画の一億総特攻玉砕の元祖 封建社会では恨みは世襲するんだよ
島津のチェスト関ヶ原という合言葉もいい例 >>778
実は藩主の毛利敬親自体はその時の有力家臣の意見に従い
コロコロと立場変えているから本質は変わってねえw
>>834
最近の調査では池田屋の放火疑惑は倉庫から御所を襲撃するには貧弱な武装で
幕府側の思惑(功績を吹聴するため等)誇張・捏造したことがわかっている。
禁門の変の京都大火も長州が撤退時に放火したせいではなく
会津と新選組による民家砲撃が原因と判明した。
そもそもテロを行なっていたのは正規長州藩士ではなく諸藩脱藩浪人であり、
長州=テロという主張は星亮一という作家が広めたデマ。 >>782
組織が右向け右と言ったときに全員出来るかどうかが重要
組織自体は右を向くこともあれば左も向くことがあるでしょ
部下が優秀な場合は、下手な殿様よりもそうせい公みたいな殿の存在の方が良かった 元就はスタートが一国人でしかも周囲は超大国・大国・守護・名家に囲まれてて
味方と言えば協調性皆無ですぐ裏切る安芸国人の皆さんで200回以上合戦出て結局全部飲み込んで最後まで生き残ってんだもんな
早雲や元親やクマーもそうだけど寡兵から始めて遙かな格上達を倒していくのはやっぱりドラマ性あるし格好いいと思ってしまうわ >>784
何一つとして本当のことが、
一切書いてない駄文過ぎてワロタw >>784
かなり誇張している部分はあるけど、スタート時の規模と最終的な戦力範囲を見たら
間違いなく信長の次に成功した大名であることは間違いない >838
でも華やかさはないよね
婚姻と謀略でしか領地拡大できないし、戦闘するとたいてい負けてたしw >>787
元就の勝率は戦国大名の中でも高い方です
勝率は7割以上で戦国大名屈指です ブリュッヒャーみたいに負け続けても最後に笑えば勝ち組さ >>786
また捏造に捏造を重ねてマンセーか。気持ち悪い。
>>842
ソース出せよw
>>843
元就は宇喜多直家の謀略と尼子残党の攻勢にさらされ、
ついには前線が後退しまくり
なんと備中失陥寸前まで悪化し、
毛利滅亡を憂いながら憤死しただろ。 >>790
アンチの遠吠え、いいかげん粘着はやめて他スレに言ったら?
そろそろ誰にも相手にされなくなるよ_ >>790
憤死って、、、
あの時代ではすごい長寿だろ。 >>792
あの時代の中国地方には元就以上に長寿の奴が多くいたから元就は長寿に相当しないと言いたいのでしょう ちょっとググっただけでも元就の勝率が高いことが分かるんだけど、>>790はキチガイなの? >844は前から、「元就の勝ったって記録は全部嘘で、負けたって記録は本当はもっと負けてる」って
主張してる人だよ。
常識で考えて、そんな負けっぱなしの人が巨大勢力を作り上げられるわけがないんだが。 >>792
まぁ西では宗麟に大敗し
博多が取れずに財政崩壊。
東では宇喜多&尼子残党にフルボッコされて
親毛利の備中三村滅亡寸前・・・
失意のうちに憤死したとの表現は間違いじゃないな。
>>848
大ウソはいけないなぁ。それとも出典はコーエー武将ファイルかねw
>>849
つかお前どんだけ田舎に住んでんだw
444 :人間七七四年:2011/10/23(日) 07:11:58.87 ID:DDGd8F14
20kmぐらいたいしたことないだろ。
うちの高校は深夜40km遠足とかしてたぞ。
>>797
コーエー出典って何だよ?少しでもググレは現実が見えるだろクソアンチ君
それでもお前の落書き以下のレスよりはコーエーの方がよほど説得力あるけどw >>780
無計画の特効玉砕の元祖は会津じゃん
長州は武備を近代化し、土佐浪士を使い計画通り薩摩を不参戦にした上で幕府に喧嘩売らせた ググってもソースも出典先もまったく書いてない。
完全な捏造ワロタw >>802
おはようアンチ君
完全ソース無しの電波を今日もよろしく ほう!
元就は75歳で死んだのか
あの時代の寿命は50歳くらいでしょ? >>804
元就の重臣志道広良は91歳まで生きたから全然大した事ないね
と誰かさんは言いたいのでしょう そりゃあ、元就は大した事ないよ
生涯連戦連敗、息子たちの兄弟仲も悪く、主家の毛利家を支えるつもりなどまるで無いありさま
本家が取り潰されそうになったら喜んでその遺領をもらいうけるほどの人でなしばかり
しょせんは一揆連合の酋長だから一流の戦国大名に挟まれてなすすべも無く滅ぼされる
無駄に長生きだけど、何も見るべきところの無い人生を送った人物が元就です つまりそんな毛利氏に滅ぼされた大名たちはそれ以上に糞だったわけか 何を言っているのだ、毛利家は一揆衆だけど、大内家や尼子家は守護や守護代上がりの超名門で一流の戦国大名
連戦連敗の毛利家が中国を支配しただなんて迷信を未だに信じているとかワロス 尼子経久84歳も元就に似てるよな。
この爺さんも55歳くらいに、
大内から反旗するまでグダグダ。
しかも負けまくるから勢力圏もよくわからない。
その曖昧デタラメぶりを
きっちりさせたのが、孫の晴久。
輝元は晴久を見本にすべきなのに、
隆景が暴力を背景に
間違った教育をした。 マイナーだが南条宗勝は78〜80で死んだと言われてるが、
69歳でやっと旧領回復してから運が開き、
伯耆統一に成功してんだよね。 四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。 と言うか何であの地方は一領主や家臣に過ぎない奴まで長生きの奴がざらにいるんだよ
絶対密貿易とかで中国から長寿の秘薬でも仕入れてただろ
衣食住が満足に行き渡ってれば早死にはしないと言う人はいるがそれでも他の地方に比べれば長生きが多過ぎだろうて 秀家の関ヶ原での活躍っぷりはもっと評価されていいと思う 九州どころか畿内・東国にも存在しない
西国だけに存在する酒毒なる
毒入り酒を飲んで死んだバカ以外は長生き。 畿内の足利義尚も東国の蘆名盛興も死因が酒毒だと言われてるね アル中で肝硬変? ビール腹+脂肪肝の俺は気を付けないとなー >>818
義尚は脳溢血だし、
盛興は単なる病死だよ。
それに酒の飲み過ぎで死ぬのを酒毒なんて言わない。
そんなことが書いてある一次史料はない。
これ毒殺の表現だよ。 まあ毒殺による簒奪だろうね。
家督争いは戦国時代じゃ当たり前の行為だし。 毛利は国人合議の一揆連合から脱皮出来なかったから、
柴田に勝った秀吉に対して、
天正11年12/15に安国寺が、
毛利の一方的譲歩で和睦決断するように、
輝元、元春、隆景に問題を先送りして正月に休んだりしようとしてる場合じゃないと、
強く決断を促す時に、
上方衆は10日15日で罷り出れるが、
輝元、元春、隆景らは中途までうち出すのすらも50日や30日はかかると書いて動員の遅さを挙げてる。
冷静に考えて、よくそんな鈍臭い動員で、
織田と戦う気持ちになったわ。
これでは秀吉に一方的に押し込まれるはずだし、
宇喜多にも裏切られるはずだわ。
一揆連合の首長なのに関が原西軍の総大将
西軍=一揆連合というわけですね(笑) 生年が40年近くも違う者同士を比べられてもねえ
そもそも三英傑はチートレベルだから如何なる戦国大名であろうとも見劣りするでしょ >>824
一国人の分際から一代でほぼ一地方を勢力下に治める事に
成功した元就がいかに天才だったかよくわかりました、ありがとう 毛利は治世家としては最低レベル
江戸の荒地開拓して現在まで続く大都会・首都の原型作り上げた家康は別格として
同じ100万都市の原型作り上げた伊達政宗や黒田長政と比べても政治低い。
毛利の統治で糞都市になった山口や萩・・・
対岸の福岡県を作った黒田に大きく劣る。 >>828
山口の瑠璃光寺かどっかが持ってた秘宝を奪って
よその寺(滋賀の三井寺とか)にばら撒きやがったからな。 >>808
毛利は名門の大江氏出身だよ。
先祖は源義家や楠正成に兵法教えたという伝説があったり、源頼朝の右腕だったりだね。
あと、大江氏は百人一首の中にも何人も名前がある。 >>830 wikiより
大江氏には優れた歌人や学者が多く、朝廷に重く用いられた。
中古三十六歌仙と呼ばれる和歌の名人三十六撰に、大江氏から大江千里、大江匡衡、大江嘉言、女性では和泉式部、赤染衛門らが選出されている。
大江匡衡の孫に、平安時代屈指の学者であると共に河内源氏の源義家(八幡太郎)に兵法を教えたとされる大江匡房がいる。 >>830 wikiより
1184年に河内源氏の棟梁の源頼朝に仕えた大江広元は大江匡房の孫であり、頼朝の覇業を内政面で支える。
頼朝が鎌倉幕府を開くと、広元は幕府の中枢にまで昇りつめた。
このことから大江広元の系統は、武家の大江氏として毛利氏をはじめとする武家の祖となる。 >>831
大江 匡房(おおえ の まさふさ、長久2年(1041年) - 天永2年11月5日(1111年12月7日))は、平安時代後期の官僚、儒学者、歌人。大学頭大江成衡の子。正二位・権中納言。江帥と号す。 >>832
大江 広元(おおえの ひろもと)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは朝廷に仕える下級貴族(官人)だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当をつとめ、幕府創設に貢献した。 >>831
義家玄孫の頼朝が、匡房曾孫の広元をブレインとして奥州藤原氏を滅ぼすにいたる
というのは偶然とは言え面白いな
広元が守護地頭を献策し武家政権成立→子孫の桂小五郎が廃藩置県を主導し武家政権崩壊
てのもなんだか歴史の皮肉
幕末長州が朝廷贔屓だったのは大内家やそれに倣った元就からの影響なんだろうな 毛利家が大内家の直参家臣なら大内家は天下を取ったろうな。 >>842
代々の嫡男が○元で、それ以外の男は元○って名前なんだよな
これいつまで続いたんだろ >>841
旧大内領を接収して北九州にも飛び地の所領があったから
管理しにくかったのか次の代では失ったけど >>844
北九州の領土は元就の代で失ってるよ
道雪に追撃され殿の吉川元春も敗走し大友勢に九州から追い出された 一応九州国割まで毛利家は門司城周辺は領有し続けたけどね
要衝だけど石高にすれば微々たる量 >>39
>元就を無能呼ばわりしてる奴は、同じ状況で大内・尼子を倒せるほど有能なのか?
まさしく、この一言だな。
大内も尼子も100万石級で名門一族だ
運もあるけど、チャンスを掴み取って、領土を広げたのは素直にすごいよ。 >>783
土佐の容堂公がそれだな。
なまじ優秀だったから、武市が自害して、龍馬が脱藩、、、 >>848
>銀山だけで50万石らしい
ほー石見の銀山ってさぞかし美田だらけなんだろうな(棒)
(○○万貫、ならまだしもw) >>850
50万石相当の収入があったという事だろ、そう揚げ足とらんでもいいだろw 天候による不作知らずだし、50万石に相当する田畑を有する領域への人員差配を
考えれば、銀山が10万石相当であろうとも十分に大きいわな 元就の代で百数万石で輝元が二百万石近くいったんだっけ? 贈位が行われた明治・大正にかけては長州閥の政治権力が強大であった為、
一部で不公平も見られる。例えば長州藩の祖である毛利元就に正一位、三兄弟に正三位が授与された。
これは正親町天皇即位式の功が理由とされる。
一方でその元主君大内義隆は後奈良天皇の即位式だけでなく日常的に朝廷や公卿への貢献が抜きん出ていたが
明治政府からの贈位を見送られた。この差は「毛利元就の献金は勤王だが、大内義隆の献金は
猟官運動目的であり勤王によるものではない」という見方による。
長州閥が毛利元就の下剋上を正当化する為には大内義隆の評判が悪いほうが都合が良い事情もある >>853
吉川・秀元・両小早川(秀包・隆景)・安国寺・偽毛利(旧姓森・豊前)
まで足せばそのくらいかねえ 老後の趣味で中世城郭模型を製作しています。
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
何れみなさんにお見せできる機会があると思います。
http://mirai660.net/castle/ 元就はわからないが、子孫の桂小五郎が文武両道できたから優秀なんだろうなぁ アホの元就がキリスト教禁止で、自分の領地に宣教師が入ったら即殺せと命じていた。
そんな元就が病で曲直瀬道三の診察を大喜びで受けていた。
しかし信長が天罰を喰らって肉体を完全抹消デリートを喰らったのち、
曲直瀬道三は洗礼を受けてベルショールとなったのであった。 >>854
そんなの、大内は落ちぶれたけど、毛利は、五大老、長州藩主、公爵、と繁栄したから誰もが納得するだろ?
それに下克上も、反逆したのは末だから、イメージは悪くない。 陶は毛利に謀反を打ち明けて
毛利も旧武田領で分け前を貰うために
謀反実行に同意してるんだから同罪だろ・・・ >>866
事後承諾だろ?
すぐには勝てないから、利用して勢力を拡大して、後で倒したんだろ?
賢いじゃないか? 大内家をそのまま討つと大義名分が得られず抵抗がより大きくなる
そこで大内を倒すために陶に謀反を促し、謀反人を討つ名分で陶(大内)を滅ぼした
こういう戦略が元就の凄みだろ >>867>>922>>923
根拠のない妄想ばかり書いて何が楽しいの?理解に苦しむ。 >>869みたいな荒らしって居るよね
現実を認めない朝鮮人みたいな奴がさw >>870
へぇ。じゃあ一次史料を根拠として出して
具体的内容を論拠に証明してください。 >>871
出た!一次資料廚
こういう話になると、苦し紛れに必ず出るんだよな。
言い出しっぺのお前が先に出せよ。
全部論破してやるからw つまり根拠ゼロで>>1のような願望妄想を書いていただけなのが判明www >>871
一級資料を引用してはよ論破してくれよ、朝鮮人さんw ↑馬鹿代表
このスレ自体が荒らしスレだし、さっさと落とすが良い。 このスレをはじめから読むとだな
ここ数年の戦国板の水準の劣化がすごくよく分かる
コテのぷらっとがいた頃まではそれなりにまともな議論なんだよなぁ 牛とかぷらっととか百姓がいたころなんて史料提示皆無の織田厨の妄想ばかりまかりとおってた戦国スレの暗黒時代じゃん そう?
コピペ荒らしが跳梁跋扈し、まともな議論が成り立たないスレが多い
いまの戦国板の惨状と比べると数倍ましに見えたのよ
自分は織田厨どころかむしろ毛利がかなり好きだけどね コピペが概ね史料や論文の書写をしただけの物や、同じ話題の繰り返しを避けるためにテンプレ化した物が大半なため
議論を進ませる効果はあっても、後退させる心配はない。
逆にコピペなしの昔の牛とかぷらっととか百姓の妄想短文とかは議論する上で論拠となる史料も論文もあげられていないし
議論の上で不要としかいいようがない。
昔うじゃうじゃ沸いてた毛利厨の妄想なんかがその典型だな。 そもそも牛とかぷらっととか百姓とか糞コテが沸いてた時代にまともな議論なんて言葉は存在してなかったと思うが 論破された側はテンプレを
「コピペだから議論する価値がない」
とか
「とっくの昔に論破したコピペは無視」
とかレッテル名をあげて人格攻撃を開始したり・・・
などとアホなことを言って単発ID自演で
一次史料なしの攻撃的悪口レス大量投下で逃げるんだよなw いずれにせよ菅沼遼太が消えれば平和になることは確実 引退したぷらっとは家系図については詳しかったし確か大学で
日本史専攻だったから古文書もきちんと読めてた
いろいろ勉強になったこともある
だがのようなおかしいやつと一緒にしてはいけない ぷらっとのレスでまともに古文書を引用したり史料を提示してたレスなんぞないだろ。
牛とか百姓もそうだが。 戦国板は昔からコテは叩かれる板だったけどさぁ。
でもぷらっとも牛も百姓も、菅沼遼太に比べればどう見てもまともです。
本当にありがとうございました。 ぷらっとも牛も百姓も史料を提示なんてしないし
妄想しか書かない時点で、彼らより下の人間なんぞおらん いる
だがとsubと菅沼遼太
まぁ3人とも同一人物なわけだが みんな織田チョンよりマシだったけどな。
つかお前が粘着自演で追い出したんだろwww ぷらっととか牛とか百姓とか史料を出さず妄想しか書かない馬鹿より下の人間なんぞおらん 菅沼遼太は板住人全員から嫌われていることを自覚すべき >>1
広島大学の成績1位と2位の差が圧倒的な場合と
静岡大学の1位と2位の差が僅差で1位と2位が常に入れ替わったりしてると
静岡大学の方がレベルが高く感じるが
実際は分からないだろ
>>1の理屈はそれと一緒で見てる分には静岡大のデッドヒートが面白いけど
実力はわからない、鳥無き島の蝙蝠とか言われてる人もそう 元就の晩年の事業の
ほとんどは息子隆元が
成し遂げたもの。 毛利元就は今川義元や伊達政宗と同格くらいでしょ。
そこそこの名将レベル。 切り取った領地の規模考えれば信玄よりは遥かに格上。 それまで日本有数だった大大名を2家も滅ぼしたのは快挙
しかもかなり不利な立場の安芸の弱小国人から一代で伸し上がってここまで勢力広げたのは例を見ない 火病を起こすニシチョンバカンサイ哀れよのwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
西国取れ(キリップッバカジャネーノwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
もっと身のある反論しろよチンカスマンカス
ならてめぇの批判する武田の
甲信取ってみろよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
西国ニシチョンバカンサイは池沼だらけンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>899
地道に着々と下積みを重ねチャンスが来たら一気に勢力広げた感じだね
ただやっぱり国人組合の体質をあまり改革できなくて大国のジレンマに陥っちゃったのが残念
隆元が長生きしてたら順調に改革進んでたかも 無能元就のせいで、
一揆の指導者の立場を失い、
一揆連合内で毛利が同格に地位が下がってしまった為に、
秀吉が輝元を清華成させることで、
毛利宗家の家格を殿上人に引き上げ、
当主と家臣の立場をハッキリさせてあげた。 >>899
毛利の地元って地理的にまともな産業なかったのにね
それであの成果はすごい 毛利は大内と尼子の内紛にかこつけて、謀略で火事場ドロボウを繰り返しまくってた。 同じ母親から生まれてるのに、元春と隆景はなんであんなに正反対な属性なんだろうな 毛利よりも
大内と尼子をお前ら含めて舐めすぎなんだよな
特に大内なんて瀬戸内海の利権と石見銀山持ってたんだから
普通に武装して京目指せば天下取れるレベルの大名だろ
毛利というか当時の中国地方を過小評価してる気がする いやいや、大内が滅んだのは大きい内乱あったとこを毛利に突かれたからであって過小評価なんかしてない
義隆も内政に問題あり、博多なんかの資材を有効に使ってなかったからこそ起きた謀叛
肥沃でも生かす工夫しなきゃ滅びるのが戦国。資源は最大級に重要だが、だから天下だの、それを滅ぼしたから謀神だのっていうほうが舐めてるわけ その点、尼子も同様だろうね。晴久も最初は悪くなかったが、新宮党事件では
元就の姦計にころっと騙され、自らの手で勢力を減らしたからね。
これに関しては完全に元就の作戦勝ちだろうが、やられた尼子晴久側にも問題は
大いにある。 元就の姦計は軍記ネタ。
大名が権力を一元化するために
家臣統制するわけだが
その変革期は下剋上などが頻発し不安定化する。
それに成功すると信玄や天正3年に軍役帳を作り上げた謙信みたいに昇華する。
当主にバランス感覚がなくヘタ打って失敗すると大内や尼子みたいになる。
そもそもそういった進化をしなかったのが政治行政を放棄して虐殺し略奪して回った織田や伊達や島津でズサンな体勢のままだった。
毛利に至っては一揆連合のままで秀吉が輝元を当主として保証し後ろ盾になったから有力家臣らの専横を排することができた >>913が長いので要約
「俺が嫌いな大名は昇華していない」(菅沼遼太談) 元就は大友との総力戦で負けて全軍九州からは撤退してる
便乗戦争やれなきゃ勝てないんで、結局はこの程度
未知数も何も晩年のチャンスまでは地固めしかやる事なかった辺りに元就の限界がある
地方の覇権を取った大名なら北条氏康や長宗我部元親の方が戦も政治も見応えあるよ P35.cgi (Perl,SJIS) 2015/11/18 FOX.
>&ft;1 元のスレ
../sengoku/dat/1226366549.dat
P35 毛利元就って明らかに実力未知数だよね
322038 -> 237288 (バイト)
P35 テストに夢中。これ以降書いても消えちゃうかも
信長の野望レベルの話だけど
元就は謀略に長け戦さ上手だけど政治力が高いのは納得いかん。
謀略が褒められるのは追い込まれた弱小国だったからであって
猫騙しを得意とする横綱は褒められたもんじゃない。
大国の主として愚直で誠実な治政をした長男の隆元の政治力を上げて欲しい。
息子たちの有能な武将に育てあげ、有能な家臣を見出し
近隣と良好な国人連合を築いた点で政治力も十分あるけど
信長の野望での政治力高過ぎじゃね?
本人も「領地広すぎ」「天下狙えないよ」っていってるじゃん。
たしかに武田元繁を討った奇襲を得意とする信長的側面
調略を得意とする秀吉的側面、大国の間で長年耐え
後年飛躍させた家康的側面をもつ名将とは思うが。 >>917
そもそも「政治」っていうカテゴリーがどこからどこまでを指すのかわからんから、元就の能力が高くなるのもしゃーないでしょ
外交能力だって、普通は知略とセットだけど、重視されるのは政治とかやろ? 吉田郡山城に行ってきた。
吉田に入った途端、雲が山々を覆ってて驚いた。
山霧ってここから取ったのかと納得した。
本丸へ登る道はそれなりに整備されていて平坦な道もあってお散歩気分で登れた。無料の杖もあるし。
本丸や二の丸からの眺めは木々に遮られてあまり良くないが、途中ビューポイントがあるので霧にけぶる吉田の町はそこからよく見える。
墓所も広々として閑として心地よかった。
ちなみにこの前に月山富田城に行ったんだけど、向こうもよく整備されてた。 >>921
いいねー、元就ファンとして一回いって見たいわ。 >>921
俺も今年、吉田郡山城と月山富田城の両方に行ってきたよ。関東から。
吉田郡山城は麓の資料館で毛利グッズ買ったよ。
いろいろ整備されてるね。
月山富田城は登り口が分かりづらいなあ。
上から見る景色は良かったよ。
尼子は100万石大名だったのになんであんなところが本拠地なんだろ?
もっと海側に城を作れば便利なのに。
まあ、防衛しやすいかなかな。 >>915
毛利がすごいのは、関ヶ原や明治維新など、歴史の重要なところで絡んでいる事だよ。 粟屋元親の子孫って
奇兵隊に嫌がらせしてた先鋒隊の隊長かよ
完全にヒール役じゃん >>591
これは逆。
幸松丸が姻族の高橋氏らの影響で尼子派についたから、大内派の
元就が尼子派の幸松丸を除いたと考えるのが自然。
確かに、元就が尼子派として鏡山城を攻めた記録はあるが、あくまで
幸松丸の代理だしね。また、幸松丸時代、元就は毛利家を取り仕切った
とは言い難い。 習近平が、彼にそっくりだね。
あくどく、テロ、暗殺、諜報活動に長けていること、軍事に天才的な
才能を持つこと、内政能力がいまいちなこと、本当によく似ている。 >>924
本流、庶流は違えど伊達もそうだな
関ヶ原では敵側、幕末では味方側に付いてるから面白い てか西進して九州攻略にこだわるのではなく東進してれば意外と簡単に天下獲れてたかもしれないのにな、毛利は
毛利の戦国大名としての発展は迅速で、全国的に見ても早い段階で巨大な勢力を築いている
その勢力を西進に向かわせず宇喜多を除くことに集中してれば割とすんなり畿内まで到達できた
三好・六角(佐々木)・浅井・朝倉は毛利の敵ではないだろう
その頃は織田は小勢力なので危険な芽は早く摘めたろうに レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。