【黒田】後藤又兵衛(基次)を語る【大坂の陣】
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黒田如水に見いだされ、朝鮮出兵や関ケ原で活躍し「黒田八虎」にまで上りつめたものの、
世継ぎ・長政との折り合いが悪く、黒田家を出奔して乞食同然に。
そして最期は豊臣方の武将として大坂の陣で散った波瀾万丈の名将・後藤又兵衛(基次)について語りましょう。
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【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】
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戦国時代の浪人の暮らし方について
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164205357/ 朝鮮で武者働きしてた長政を高見の見物しえたのは本当かな? 幸村ともソリが合わなかったようだし、扱いにくい性格だったんだろうな 大名になれる能力があるのになれなかった理由は性格にあるかもな。 秀頼公には先陣を務めることで、家康公には合戦初日に死ぬことで御恩に報いよう
ってなぜ家康の誘い断ったんだろうか 豪傑が豪傑らしい最期を遂げたからそれはそれでいいじゃないかな
大名になれても福島正則のようなのは御免だ >>14
真田が道に迷ってる間に孤立してあぼーんって死んでも死にきれねー 豪傑らしく死にたいのなら養う家族や家来なぞ持つべきじゃないな 浪人してた時は、他家からのお誘いはかなりあったようだぞ。 後藤惟明の息子と書いてる本見つけたが本当?
松浦隆信の孫ということになるが >>23
幾ら何でも珍説では?
美作にいた後藤氏の一族とでも考えた方が自然では。 でも、あのまま仕官してても、だらりんと余生を送っただけだけどな。 又兵衛は武田勝頼と並ぶ男の中の男だな。
多分、いい男でもあったんだろうな。
真田大戦記で又兵衛が長政を討ち取ったのは嬉しかった。
又兵衛、俺が持ってた漫画日本の歴史では2こましか出てなくて
しかもなんか山賊みたいな雑魚顔だったから
又兵衛って名前ともにどうしても大物のイメージがもてなかった・・・
出番抜粋↓
又兵衛「うらーこの又兵衛が道明寺より一歩もとおさーん!!」
鉄砲連射
又兵衛「ぎゃー」
足軽「伊達の鉄砲隊もきた。俺たちも逃げよう」
これだけ 手塚治虫の『後藤又兵衛』での又兵衛はかなりかっこいいんだがな
戦国最後の武士、って感じの豪傑で
又兵衛好きなら探して買っておくべき >>13
本当に長政が朝鮮で敵兵に組み伏せられるような事態があったか疑問。 >>32
それ見たことあるw
泥棒髭で髪もくしゃくしゃのやられキャラだったw
又兵衛テラカワイソス >>40
あのシチュエーションは創作くさいが「長政ならありえるかも・・・」と思ってしまう。猪武者で有名だし
>>42
やっぱり大将の器じゃない小物なんだろうな、長政はw 長政と又兵衛の険悪エピソードは、大坂の陣後、黒田家に類が及ぶのを避けるために、
ちょっと過剰に言われている部分もあるんだろう
川越のちっこい資料館に又兵衛の兜あったよ。髪の毛のやつ。
大河のOPでも使われてた。
地元だからたまたま入ったんだけど、後藤又兵衛基次とか書いて
あって予想外だったのもあって感動した。 >>46
川越の、なんて資料館?
うちから遠くないから、こんど行ってみるわ。
ところで、大佛次郎が書いた「乞食大将」て、
勝新太郎が又兵衛役で、映画化されてたのね
ふつうに知らんかった 剣術指南役の基次は、長政を幼少の頃から厳しく育てるように父官衛兵より
頼まれ、逆恨みの長政に仕返しをされてしまいました。
酒は飲め呑め・・の主役こそ基次じゃ!
>>47
川越歴史博物館だった(直リンはしないけどHPもあった)
家近い割に行ったのが数年前でウロ覚えなんだけど、
喜多院のすぐ近く。成田山の目の前(行ったらすぐ分かると思う)。
骨董市やってる日に行ったら結構賑わってるし資料館以外にも
楽しめるよ。
で、髪の毛のやつじゃなかったです、基次の兜。近くに髪の毛のがあって
ごっちゃに記憶してたみたいです…。
小さい博物館だけど、サスマタとか捕縛系のものとかあって面白い。
川越藩のお姫様の簪とかもあった。各階でテーマごとにわかれてて、
人も少ないしじっっっくり見れるw
拝観料が安いのに、スタッフのおじさんたくさん説明してくれるよ。
自分も何であそこに基次の兜があるのか次行ったら聞いてみる。
いくつかある兜のどれかが、大河独眼竜政宗で使われてたと説明文
があったのは多分記憶違いではないw
>>48
又兵衛って黒田家に仕官した時期がはっきりしてなかったのでは? 百里太兵衛なんかより、又兵衛よ。又兵衛はおやじのときから黒田家の家臣よ。 >>51
オヤジの謀反に連座して、一度黒田家を離れてるけどなw >>51
母里も孝高の代からの家臣で長政には孝高の命令でついてた
悪いが播磨時代から大小の戦で活躍しまくった栗山や母里と又兵衛じゃ
孝高への貢献度は全然違うんじゃね?まあ歳も違うしな…。
どっちが強いかとかすごいかとか言われたら比較の基準がわからんから
どっちか知らんけど
ところで>>51は>>48と同じ人?
又兵衛が黒田家に仕えるようになったいきさつははっきりしないみたいだから
置くとして最後一行の意味が本格的にわからんのだがどういうこと? >>49
おぉ、詳しくサンクス
うちは西武線沿線だから川越にはたまに行ってるんだが、まさか又兵衛の遺品があったとは
今度いってきますわ
しかし、なんで川越にあるんだろうね
小田原攻めの時とか川越で何かあったのかね いろんな小説で「又兵衛は下戸」みたいな表現があるけど、そういう資料はあるのか? >>58
俺が知識ないのが悪いんだけどさ、それって冗談ではなくマジな話なの? 記載があるが、目はナツメ形、輪郭は瓜実顔で赤みがかかり顎髭がベルト部分まであったらしい。 >>54
鉄砲で胸を打ちぬかれた。
>>21
そのエピソードを知っているのか・・・
IFは禁物だが、もったいないの一言だな。
又兵衛に譲ればよかったんだな、多分。 大坂方では長宗我部盛親に次ぐ有名な大将だったでおk? このひと、生年とかも含めて前半生は実は良くわかってないんだね。
播磨攻めのときすでに南山田城主で篭城していたっていう説は
どの資料にあるんだろうか?
もしそうだとすると如水に引き取られたっていうより下って、後はずっと黒田
の家臣、だったということになるんだろうか? >>70
又兵衛単独があるのに俺のがないのはおかしい!!
といわんばかりのスレ立てだなw
親父と同居でもよかろうに。 >>68
仕えてた大名の家格では、宇喜多>黒田かな? >>72
知行3万石の家老と侍大将という違いもあるしね。 関ヶ原以降で出奔あるいは改易された時の石高
長曽我部 25万石 の大名
明石 3万石の家老
後藤 2万石の家老
塙団右衛門 350石 侍大将
毛利勝永 6万石の大名の息子で他に自領1万石を持ってた
真田信繁 5万石の大名の息子
氏家行広 2万5千石の大名
地図見てたら、大分県の山の中に後藤又兵衛の墓って表記見つけたんだがこれ何? 関が原東軍で、大阪の陣で豊臣側についた大物って後藤くらい? 家老になったのは関ヶ原あとだっけ?
関ヶ原後の知行は井上九郎右衛門の次に高くて2番目みたいだが
結構優遇されてるんだよね。
出奔の理由は長政との不仲がよく言われるけど実際は
どうなんだろう
>>75
小嶋太門という又兵衛の研究をしていた方の本によると
又兵衛の墓の一つのようだが、その墓によると死んだのが
95歳なので本物というには疑わしいみたい 信長の野望では戦闘能力が高くて使い勝手のある武将の1人 >>75
大分県北部な。
山と田んぼしかない所にポツンと又兵衞の墓がある。
全国、他にもあるのかな? 『夢幻の武人(もののふ)―後藤又兵衛異聞 』
魁 龍太郎 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
武人として誇らしく生きることを願い、戦国きっての武勇者と呼ばれた男、
後藤又兵衛、その鮮やかな散り際を描く圧巻歴史小説。
PHPから12月の新刊でこんなのが出ているんだけど、誰か読んでないか?
ヤンマガのセンゴクに登場するだろうから期待
1次四国征伐〜九州では仙石の部下だったからな
同じ時期に水野勝成も偽名使って仙石の部隊に入ってるしw >>87
ぱらぱらと読んだだけなので違っていたら申し訳ないが
話は関ヶ原が中心で又兵衛対左近?のような感じ。
黒田関係だと長政より官兵衛との関係が書かれてたと思う。
殆ど関ヶ原の話で最後に大坂の陣が少し書かれてる程度。
個人の自費出版のようだが文は読めないことはなかった。
又兵衛で関ヶ原中心って読んだことないし左近も好きで興味はあったが
1000円以上出して買うほど欲しいとは思えなかったので見送った。 >>89
レスthx
アマゾンで見かけたんだけど、書店まわってもぜんぜん売ってなかったもんで、
知りたかったんだ
そうか自費出版だったか
島左近vs後藤又兵衛か
司馬遼太郎好きな人間にとっては夢の対決だな
ちょっとそそられる
関ケ原中心なのに長政は官兵衛よりからまないのかw
しかし大坂の陣が少ないのか
もういろんな人が書いているから省いたのかね
ありがとー、買うかどうかちょっと検討してみるわ
地元の家に後藤又兵衛が大坂へいく前か娘を預けたという話があるらしい
その家は又兵衛の槍を持っているらしい
又兵衛の武勇を慕ってできた話かもしれないけど本当だったら
彼が少し身近に感じられちょっと嬉しいな >>91
そういう話もあるんだ
地元ってどのあたりか差し支えなければ教えて欲しい
又兵衛って結構子どもがいて渡った大名のとこに預けたりもしてるみたい
自分の持ってる本では11人も子どもがいた
出奔中に新しい妻ももったようだから、預けた話も意外と本当かもしれないね 91です。日本語間違ったので訂正します
地元の家→地元にあるとある家
日本語変ですみません。
>>92
すごい田舎なんですが福岡県の行橋(豊前あたり?)というとこです
その家の名前を言っていいかどうか悩んでいますが
「行橋」「後藤又兵衛」とググったらニュースの記事としてちょっと出てきます
ただもう期限が切れたので全部は見れません
切れ端から
「明治時代、聴雨という人が又兵衛の槍を見るために行橋の何何家を訪ねた」
という文です。
娘を預けたという話は父から聞いたものですので本とかはわかりません。
大名家ではないです(武家だったらしいですが)。
本当に田舎の話なのであんまり参考にならないかと思います
田舎者なので興味を示してもらったのがつい嬉しくてまどろっこしい
説明をしてしまいました。失礼いたしました >>93
ありがとうございます。
そこは当時細川領だったのかな?
又兵衛出奔の際は大人数で一族も連れての
ものだったらしいので本当の娘ではなくても
一族の子を預けて槍をあげた、とかも考えられますよね。
又兵衛の槍見てみたいなあ マタベエって武神のようなすげぇイメージ持ってたんだけど、マタベエが所有してた鎧兜を数点見て萎えたよ(汗
明らかに長政や黒田二十四騎の鎧のが大きい。
小男だったんだなぁと。。。
まぁ大将として指揮が卓越してたから問題ないんだろうけど。どなたかマタベエの身長とか外見とか知ってる方いますか? >>96
ぢゃあ、お前は赤備えの山県昌景が小男だから萎えるのか?
そんなに大男がいいのなら、藤堂高虎でもマンセーしてろ。 >>96
>大将として指揮が優れてたらいい
全身傷だらけなんだぞ舐めんな
まあ、空気読まずに言うなら美作とか母里とかデカくて武功もすごい奴は結構いるよな
>>97
お前が小人だからってそんなキバるなよW
お前みたいなコンプレックス持った小男がいるからシークレットブーツが売れるんだろうなWWW 99=100=ID切り替えて荒らすのが趣味な精神障害者 あー最上のアレか
あからさまに叩きしかしてないから分かりやすいわ >>104
母親方の血筋をさかのぼると直結で又兵衛に辿り着くんだが
そこは鳥取県だ
昔いいともで又兵衛の子孫とやらが出てきたが
地域も違えば全く知らない椰子だったww
水を差すわけじゃないが、家系図は江戸時代に結構捏造されてるし、
ひどい奴だと名字が同じってだけで○○の子孫だと言うらしい
俺の同級生に水野忠邦の子孫がいたが卒業式に髪ピンクに染めて担任に連行されていった >>106
子孫がDQNという因果関係は関係ないのではwww 江戸時代の作り替えだろうが何だろうが基次の子孫とか
素直に羨ましい それなりに論拠があるならロマンがあっていいけど、明らかにアレだったらどう反応していいか分からない。
そういう時の無難かつ無関心な(それ以上話を続けさせない)流し方ってどうすればいいのか……。 そういえばいいともで真田幸村の子孫というのが出てて、
幸村の子の誰のしそんかというと幸昌だったw フットボールアワーの後藤輝基って、一族で基が通字らしいがさすがに関係無いか。 またべえの甲冑みたら萎えるよ。
甲冑だけでもすごく小さいし本体だけならかなりの小男だと分かる。でないとあの甲冑は着れない。
身長185、70キロの俺なら簡単に組み伏せて首を掻くだろう。 肉体はどんどん進化するからな。沢村栄治も140キロ出てたかどうかだし、戦国時代の人間どもは現代人の前じゃ小人同然だよ。 >>114 >>115
ただ体が小さいからと言って
現代人が勝てるとは限らん
戦国時代に使われた鉄砲や槍の重さや
数十キロの甲冑を着けて徒歩で長距離移動したり
長時間戦ってる所からして
普通の現代人が挑んだらまずやられると思うが。 メタボの運動音痴とチビのボクサーが喧嘩をしたら、どちらが勝つかということだよな。 戦国時代の槍やら鉄砲なんて
現代人が持って使うだけで大変だからな。
さらに甲冑まで着けて
何時間も命のやり取りして走り回るなんて
電車移動ばっかしてる現代人にはまず無理そう。 確かに体の大きさや体重は純粋な身体のみの戦闘力に於いて非常に大きいな。
だが、それを埋める為の武術であり武器なわけなんだがな。
単純な身体能力のみなら人間は生物の中ではかなり弱いわけなんだから。
例えば幼い子供であろうとそれなりの口径の銃をまともに扱える技術と中〜大口径の銃を与えれば、猛獣や格闘家を殺す事も可能になるんだから。 後は鍛え具合も問題だろう。
戦国時代の人間は「徒歩」で山やら川やら森やら移動して
戦ってたわけだし、鎧着けて武器振り回すだけで相当な筋肉を使うし
平時は平時で肉体労働。
現代人とは体の鍛え方で比べ物にならんような。
実戦で鍛えられた筋肉と筋トレで鍛えられた筋肉じゃ
前者のほうが戦闘じゃ強いらしいし。 お前らは小人だし人を殴ったこともないから分からんだろうが身長185、空手をやってる俺から見れば160そこそこの小男を捻り潰す事なんか訳無い。
現在の科学的、合理的に突き詰められた格闘術と戦国の体術なんかとを同じにするなよ素人がw >>122
戦国時代の合戦で素手で戦う事なんか
まずないと思うが……。
実戦じゃ「殴り合い」の経験より「殺し合い」の経験がモノをいうだろう。
全身に鎧着けてる相手を倒すための剣法として、普通の「剣道」とは違う
「介者剣術」なんてものがあるわけだし。
全身に武具を着けて武器を持って襲ってくる相手を倒す事に
長けてないと、戦国武士は倒せないだろ。
軽い道着を着て、同じく道着の相手と素手で渡り合う事前提の空手で
戦国武者に挑むってのはなんか畑が違うと思うぞ。 >>122
普通に俺も格闘技経験者だがな。引退したが。
10〜20センチ程度の身長差なら多分今でも楽勝だし、それなりに名も売れてた方だよ。
それでも格闘技術は失伝するし、経験則の格闘技術は生体科学や合理性を超越した面があるってのを否定できない。
だから、経験者ならばこそ負けるとも勝てるとも言い難い存在がかつての武将だったりすると思うんだが。
同じ土俵に立ってない者に対して勝てるとか負けるとか言える様に僕も強くなりたかったものだね。
しかも刀槍や鎧兜で武装したような人間に対して、平気で勝てるって言い切るなんて凄いなぁ。本当に。 >>122
包茎くん乙
せめて、あまりの臭さで生きる悪臭公害と呼ばれていることに気づく程度の
知能があればよかったね。 >>124
感心せんで貶すべきだろw >>122は自分がタイムマシンに乗って
戦国時代の戦場にでもいったら、相手を簡単に一捻り出来るとか
とんでもない妄想壁が激しいおバカさんなんだからw
洗練された現代の格闘技術とか言ってるが所詮決められた枠の限定条件の中だけでの事だからな
一対一の素手で技の優劣を競い合うだけのスポーツしかやった事の無い現代人と
殺傷能力のある武器を持った殺人プロフェッショナルとでも言うべき戦国時代の武人
を並べてどっちが強いかなんて比べる事自体おこがましい 黒田長政「もう、なんで又兵衛ったら懐いてくれないのよ!もうキライ!さっさと出て行ってよ!
でも・・・誰かのものになるのも嫌だし・・・絶対に仕官させないんだから! >>128
>>122の稚拙なレス読んで皮肉だと気付く相手と思うかい?
こういう奴には皮肉ではなく直接的に言った方が効果的 日本在来の馬は小さいからな。おそらく戦国時代の大人は今の小学生くらいだろうな。栄養が足りないし。 俺様だよ!
お前ら弱い小男だから戦国武将に憧れをリンクしたりゲームを信じ込んでゲーム脳になるのは十分わかるよw
俺がいくら強すぎても鎧武者に殴り掛かる程頭弱くねぇよw馬鹿か?お前らw
俺様が言うのは一対一で取っ組み合いすると仮定すれば100パー簡単にすっころばして首をへし折れるだろう。お前ら武将や他人にリンクして日頃の惨めな日常から逃げるのも大概にしとけやww >>132
当時の男性平均身長は160pだそうだよ。小学生ってなんだよ。
モンゴル帝国の馬も日本の馬と変わらんし、
特に判断にはならんのじゃ。
>>133
もはや釣りとしか思えなくなってきたw
一対一で取っ組みあい、って時点でどんな状況なんだとw
合戦か? なら相手は全身鎧着けて武器持ってるぞ。
敵が武器で攻撃してくるから取っ組みあい以前に殺されるぞw
平時か? それでも戦国武士は刀を帯びてるから
やっぱり取っ組みあい以前に斬られるぞ。
武士が刀を帯びないなんて戦国時代はまずありえんから。
>>135
容量の狭い脳ミソだな。
だからお前は出世できないどころか職にもつけないニートなんだよw
>>136
その辺の格闘家を名乗る奴やM1グランプリに出場する一回戦程度なら訳もなく捻り潰すだろう。 >>137
具体的な反論なさすぎてワロスw
有名かどうかを聞いたんだがw >>138
この俺様に喧嘩を売る馬鹿はオンドレかぁぁ?あっ?
その筋じゃ有名だぜよ!
ぶんまわして押さえつけてオナニーでもさせてやるか?
俺様のガチムチな筋肉でも見ながらシコらされたいんかオゥ!? >>139
ホモ界隈での知名度なのかよw
>>140
ブロントさん乙w >>140
普通だと自覚してる通り100キロはいたって普通だよ。どんなしょぼいアピールだよ。馬鹿か、お前?
>>141
戦場では俺様のような一騎当千の将がいてもお前らのようなくだらない平卒から一気に陣容が崩れるものだ。仮にお前が戦国に行けば畑で芋でも作らすか。 まぁ何度も言うように小男の後藤基次ていどなら黒田家を出奔して潜伏中にひっ捕まえて取り押さえて首に縄をかけて犬コロの真似をさせるくらい訳ないぜ。
長政の前に引きずり出してオナニーでもさせるかな。 >>142
ブロントさん、知らんのか。
少なくとも武器持って戦う合戦場なのに
素手でのやり取りを前提にしてる将の采配なんか従いたくないっす。 >>143
多分斬られて終了だと思う。
相手は刀持ってるから。 >>134
てつはうの豪音を耳元で聞いた事があるんか?
オゥン!?
お前のような荒らししか出来ない弱虫が敵前逃亡して軍を混乱させるカスなんだよ。
まぁ、俺様の一喝で軍は静寂を取り戻すだろうが。
それほどの腕力と精神力とさらに人望を兼ねる俺様でも戦国で天下を取るのは割と難しいだろうな。 >>144
刀くらい軽く左から右へ受け流して目玉を付いてくり抜いてやるさ。
まぁ、戦国なら確実に一軍の将である俺様が実際格闘する時は負け戦だからありえないんだがな。
お前は俺のカバン持ちから稽古してみるか? >>147
素手で刀を受け流すってw
殿の采配ではその部隊は一戦で壊滅にござるなw
落ち武者狩りで狩られぬように気をつけなされw >>148
嫉妬は良くないぜ?
まぁ、お前は戦が始まったら山の上から観戦してる商人といったところか。
俺の流れ押し寄せる采配でも見物すればイイさ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
| . : )'e'( : . |
` ‐-=-‐
/ \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) うわー、こっち見てるよ >>149
合戦に負けは付き物でござる。
家康公を見よ!
頼朝公を見よ!
俺様なら天下どころか海外まで統一したであろうにこの時代に生まれたのは天の悪戯だろう。 >>151
この俺様は大軍の一兵卒の動きまでくまなく見てるさ。
戦国で生まれたならば腕力、声望、人望、桁外れのモンスターである俺様には当たり前のことだがな。 後藤又兵衛いいねまさに男らしい。豪傑という表現がよく似合う。
大阪夏で真田幸村と別行動(真田がわざと遅れたっぽい)になったのは
それぞれの散り方の美学の違いか?大局観は同じだし。
いままでくすぶってて、やっと花のある舞台に立てた幸村との違いというか。 >>154-156
俺様に対する嫉妬や妬みはイカンぜよ!
お前らが俺様の軍にくれば馬糞をかたずける仕事も満足にはできないだろう。
それ以前にショボ過ぎて戦には連れていけないな。
世が世なら大納言である俺様に逆らう馬鹿はぶんまわすぜ!? あのーw
先の大戦でも五尺三寸の日本兵は180cm越えのボクシングやレスリングで鍛えていた
米兵を銃剣でころしまくってたんですけどw 大阪の陣で夜討ちしたあとに後藤見参とかいいのことしたこの人だっけ?(後世の創作かもしれんけど)
大阪方の武将って自意識過剰な人が多いなw 再現VTR、鉄砲連射を胸に受けても
馬から落ちなかった又兵衛カコイイ >>69
もろ祖父の地元だ。よく城跡で遊んだよ。又兵衛の城だったのか・・・ 鳥取城の近くに後藤又兵衛のお墓があるお寺があります、そのお寺の近くに住む中学の時の歴史の先生に聞いたら最後は鳥取に落ち延びてきて死んだらしいです。 大分県耶馬溪にも墓がある
他にもあったような?
一体いくつ墓があるんだろう??? 当時の火縄で重症なら相当数伊達の弾受けたんだな・・・ 当時の火縄だって一発あたりゃ重傷だろ
あんなコロンとした鉛玉が鎧ではじけるなどして体をズタズタにするんだぜ
どうしても一発喰らわにゃならんとしたら近代火器の一発で楽に死ぬるか貫通して助かりたい 後藤又兵衛について書かれた小説でお勧めのものを教えてください! 刺客が送られて仕官もさんざん邪魔されて
長政に何やったんだろう 徳川の賊の位牌のある神社を全て破却しよう。
そして賊の死体を全て焼き払え!
徳川に死を! >>172
火縄銃は単純な威力だけなら現代のライフル銃とほとんど変わらない
連射性能とかに難点があるだけ 黒田家の医者に診てもらうことになった、家の嫁。
気をつけないと・・・ >>175
そばで敵兵に殺されそうになってるのを鼻糞ほじりながら見てたそうな。 >>175
人格が破綻している
三成とは違った嫌われ者 細川との関係が原因てのが本当のところっぽいね
又兵衛の二男を小姓にしたり、関ヶ原後の加増とか見る限り、
又兵衛と長政の不仲逸話は黒田家側のプロパガンダだと思うなあ >>182
幕末では加賀前田と同じく大藩だったのに空気
細川や浅野や池田とかの大藩も目立ってないが、一応何か出てくるんだが
幕末黒田藩の話題って全く聞かない 立花家が黒田家と細川家の間に立って仲裁してれば丸く収まったかもね。 >>182
又兵衛が誓紙で誓ったにも関わらず細川と手紙のやり取りを続けてて
長政も堪忍できなかったんだろうね。
他にも又兵衛の長男は罪を犯してしまい、又兵衛の懇願にも関わらず結局追放されたり、
次男の小姓のことがあったりと逸話のように元々仲が悪かったというより、
悪い出来事が重なっていって修復できなくなったんじゃないかなあ
追放された又兵衛を呼び戻してるのは長政だし、仲がこじれる前は又兵衛のことを
自分の第一の家臣として信頼していたと思う。 >>174
風野真知雄の『後藤又兵衛』が面白かった気がする ひょっとしたら又兵衛と長政の仲は悪かったんじゃなくて
悪く見せる必要があったってことなんじゃね?
つまり関ヶ原みたいに徳川と豊臣に「両張り」して
いたということ。
大阪の陣は徳川の圧倒的優勢としても、豊臣家も
勝ち目が無い訳ではなく、秀頼の器量も未知数。
死兵と化す可能性の有る浪人を多数抱える以上、
一発逆転もありえない話でもない。
そこで、大阪の陣で徳川が敗れる万一を考えて、
豊臣家への繋ぎになる人物を送り込むことを長政が考える。
流石に豊臣の逆転劇は可能性が低いうえ、黒田家の一門が
加担すると、下手に大封を得ているだけに、
戦後幕府に難癖を付けられかねない。
そこで、一門ではないが、如水の代からの臣である
又兵衛を「感情的な物別れ」に装って追放する。
そのまま、大阪に向かうと疑われるので
又兵衛はアリバイ作りに細川家に仕える素振りを見せ、
細川家がその気になって召抱えようとすると
感情的に装った長政が「奉公構い」で邪魔をして
大阪以外に行けない状況を作り出す。
正直まどっころしいが、黒田家が細心の注意で
幕府の追及を極力かわせる形で「両張り」した、
と見ると又兵衛入阪はしっくりくるんだよな。
>>187
自分もそういう妄想をしてみたことがあるw
ここに長政とは縁戚であり、関ヶ原後は黒田家に匿われていた明石全登もグルだったと考えると
更に信憑性が出てくるかもしれない 個人的にはないと思うけど、なかなか面白い考えだね。 又兵衛の傲岸不遜なキャラと普段からの長政とのやり取りを考えると、そんな器用な真似できる奴には思えないけどね。
面白いけど。
あと、関ヶ原前夜から家康の為に尽力してた長政が両張りする理屈なんてなさそうだし、
長政ならあの時点でどうやっても豊臣家は詰みで降伏以外に手がないってみえてそうだけど。 そうかも知れんが、下馬評が覆されることなんて
スポーツの世界でも良くある事で、まして生死を賭けた戦い
であれば、さらにその可能性は高くなる訳で、
それに関ヶ原の「両張り」が如水と長政で手分けしての
「両張り」なら、ありえない話ではないんでは?
如水=西軍(毛利)、長政=東軍(徳川)で
関ヶ原が長期戦になると睨んで、如水の九州勢を
率いての大阪入り。
おそらく如水も長政も東軍勝利(少なくとも三成の単独勝利は無い)
と見ていただろうから当主の長政は東軍に着いた。
しかし長期戦となった場合、東軍の旗色次第で毛利が秀頼を
担いで関ヶ原に出陣してくる可能性が有り、そうなった場合
東軍の中枢に入った長政の身が危ない。
その場合に備え、如水が北九州を押さえて実利を確保の後、
「豊臣恩顧の重鎮」として瀬戸内を通って秀頼の元に参じる。
この策は東軍が例え関ヶ原に勝っても、毛利が大阪篭城で
徹底抗戦に及んだ場合も使える。
結果的には関ヶ原は短期決戦となり、家康が毛利を
懐柔しきったので、必要なくなった。
如水と長政の密議に又兵衛が同席していれば、大阪の陣の際も
万が一を考えての「両張り」を又兵衛が進言してもおかしくない。
まあ、あくまでも仮説・可能性の話だけど。
毛利の支援で挙兵した大友と戦ってて、如水=西軍は無いと思うよ。
東軍の細川や加藤とも協力してるし センゴク、そろそろ荒木村重謀反、若い又兵衛出てきそう
期待上げ 後藤さんがあそこで戦死したことで次の日の決戦は厳しくなったね
かといってあそこで退却してたらそのまま雪崩れ込んできたわけだしなんとも 又兵衛をKOEI的に評価してみた
統率85武力93知力78政治60魅力75
特技:槍神 山本尚治【ヤマモトナオハル】
京都の土豪。
元々、三好方に協力していたようだが
(その前は細川晴元に協力しているので、ここは京都という地の難しさでしょうか・・・)
父・俊尚の時には足利義昭・織田信長に味方をするようになる。
義昭と信長の不和のとばっちりで、父・俊尚が自害に追い込まれ、一時身を隠す。
浅井・朝倉攻めに参加し、帰参を許され、その後の比叡山攻めに参加している。
義昭が信長に反旗を翻すと静原城に立て籠もり、明智光秀軍の猛攻に3か月以上持ちこたえる。
(一乗寺山城にこもったという説もあります)
光秀の調略により降伏、以後、光秀に従うようになる。
(信長公記では調略によって生害、頚は北伊勢東別所まで送られたとあります)
本能事の変後も光秀に味方し、山崎の合戦にて戦死。 又兵衛の遺児が、山内一豊に250石で仕えたっていう伝説があり
その家系が象二郎の家系だってことだそうな
事実かどうかは分からんけどね
なかなか面白い兜被ってたんだな
長政ほどじゃないけど 後藤又兵衛は日本人がイメージする最もステレオタイプな『戦国武将』の典型かもしれないな。 又兵衛が馬に跨って『後藤又兵衛もとつぐぅ〜』と名乗りながら大阪城に入場してる
時代劇って何だっけ?
このシーンだけ妙に印象に残ってるw
だいぶ昔で、大阪の陣がメインで幸村が主人公のような感じだった記憶 て、今気づいたが、ここ、とんでもねー過疎板だな・・・
まあ、気長に待つかw の次男が土佐に追放されてその孫が開墾の功があったで郷士100人衆になったが
底から後藤象二郎が出てきたんだろうか
ちなみに後藤又兵衛の長男は播磨に追放されて 永禄3年(1560年)4月10日生まれって大日本史の記録?
子孫から聴取したのかな? 後藤家は本来、黒田家より格上。別所・小寺家と同格。
赤松家が衰退して、戦国大名化したのが別所・小寺。一緒に衰退したのが黒田。
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/h_goto_k.html
地元に後藤ゆかりの地名とか残っているし、子孫も住んでいるよ。 × 一緒に衰退したのが黒田。
○ 一緒に衰退したのが後藤。
すまんそ。
センゴクに親父の後藤基国がちらっと出てきたけど、別所の城持ち重臣クラスだから
後藤又兵衛の立場も超微妙だったはず。
基国の子だと後藤家の本家筋の嫡男て事になるんだよな。
地元では基国は伯父ではないかという説もあるみたいだが
そのくらいで収まっても黒田より名門の出である事には違いないのか。 そりゃ黒田家家臣には黒田より名門出の家なんていくらでもあるしねえ でも、1560年生まれ説なら、三木城攻めの際は初陣も済んでいるころだから、
黒田側についているのも?なところがあるし、幼いときから黒官に長政と兄弟同然
に育てられた云々も?なところがあるんだよな。 黒田は備前や播州の黒田では名門になれないから
近江の黒田を名乗ったのかな? >>218
一緒に戸次川の戦いで壊滅して
黒田軍に加わったのも一緒なんだっけ?
夏の陣で双方の先鋒となったが 朝鮮出兵で朝鮮人に殺されそうになってるのに助けないって
よっぽど長政の事嫌いだったんだろうなw
どこが嫌いだったのか知りたいねw >>220
そのへんは出奔後作られた話。
後藤又兵衛がどんな人間だったかを表す一次史料は、実はほとんど存在しない。 むしろ、数少ない一次史料からは、出奔頃までは良好な主従関係だったようだね 仕官横やりってなんでだったのかな
黒田家の機密事項に関わってたから?
それとも、黒田家に帰ってきて欲しかったから?
自分はちょっと長政やりすぎって思っちゃうけど、どんな事情があったのか知りたい 別にファンとアンチってだけの話しじゃないからな
超マイナーコンテンツがラキスタやハルヒ見たいなメジャーを越えるとこまで育ってきたのに
これのお陰で旧来のアイマスファンや職人たちが分裂して馴染めないのが去って
新規ファンを増やすはずだったPS3版やアニメが多少延命させてもほとんどオワコン bakumatsu.info/?pid=36682829
又兵衛Tシャツ買ったお
姫路出身の俺にとっては、尊敬する郷土の英雄です
他には黒田孝高、母里友信を同じく尊敬している 後藤基次 統率85 武勇88 知略57
って低すぐる・・・
真田信繁 統率98 武勇108 知略89
がこのくらいあるなら
後藤基次 統率96 武勇110 知略82
くらいないとおかしいで
夏の陣では信繁より基次の方が士卒の間でも評価・人気とも高かったし
>>233
光栄は知名度重視で、考証は適当だから。 信繁が高すぎるなあまりにも
基次は独自戦法もないし >真田信繁 統率98 武勇108 知略89
>がこのくらいあるなら
後藤基次 統率99 武勇111 知略91
水野勝成 統率96 武勇114 知略90
少なくともこれくらいないとおかしいな
しかし信繁が高すぎるを何とかするのが先か
ただこれくらい無いと家康本陣壊滅の再現とかさせられないんだろうな いや、知略って戦術も含むから戦術値は高い
夏の陣での布陣如かり 真田信繁 統率94 武勇92 知略83
後藤基次 統率91 武勇95 知略88
こんなもんだろ
勿論そうだが戦術の場合は現場の職人の経験的な物がより大事だろうから
いわゆる知略と言う印象はどうもね・・・・
ゲームの数値なら尚更知略は低くて良いんじゃないか?その分統率武勇上げれば 無職寄せ集めと正規軍じゃもとから力の差は歴然、完敗も当然の結果
その中で「よく頑張ったで賞」を貰えただけすごいでしょ?と言う話に
勝ち負けを持ち出すのはロマンが無いな
連携不足は又兵衛だけの責任でもないし 後詰を計算に入れてるなら狭いところに押しこむ形は悪く無いと思うな
遅れても数時間の予想だったのでは まあ例え夏の陣で西軍が勝ったとしてもあの首脳陣ではなw
関東には勝てない そもそも大野なんて小物が差配してる時点でお先真っ暗!
片桐も悪いけど役者不足。
調整役でそこそこの実力があった加藤(清)が死んだ時点で豊臣は完全に詰んだ。
福島正則(笑) 豊臣秀頼・・・野田佳彦
淀 ・・・蓮舫
大野長治・・・前原誠司
松永久秀・・・鳩山由紀夫
荒木村重・・・菅直人 正直スマンカッタ(・∀・)
豊臣秀頼・・・野田佳彦
淀 ・・・蓮舫
大野長治・・・前原誠司
ここはぴったりな配役(・∀・) 正直ボキャ貧すぎて
ネトウヨ発症してまだ日が浅いんだろうな
としか思えないよ 河内方面を進んだ木村重成も進軍に手間取ってるんだよな
こうなると紀伊方面に突出して死んだ塙団右衛門て
実は味方が遅かっただけで本人は優秀だったんじゃないかとすら思うな 母里友信 統率71 武勇90
も低すぎるな
統率91 武勇97は欲しい
まあ地元妻鹿出身なんで欲目かもしれんが >>254
塙団右衛門は小部隊を率いての奇襲や夜襲は得意そうだ。 血達磨さんは水野の鉄砲隊に寡兵で突っ込んじゃった猪武者的なイメージがあるが、
実際はどうなんだろうな >>257
本町橋の夜襲を指導したのは又兵衛らしい 後藤又兵衛って大阪の役が開かれるまでは真田信繁より有名だったんだな。 浪人衆の知名度は長宗我部・毛利・明石・後藤が入城前の真田より上っぽいね。 本人の功名では後藤がダントツで
後は親とのセットだからな ほぼ3分の1の兵力の福島相手に
互角の形勢だったってだけだからな 全軍率いてたわけでもないし、そこが突っ込む所かね
それより関ヶ原で親父の代わりに軍を率いてたとも言われる大谷息子は
そこまでの評価じゃなかったみたいだな 明石は宇喜多の指揮を執る軍師的存在だったというのが一般認識だと思う
豊臣の指揮を執った黒田のように
大谷息子はまだ今の二十歳にもなっていないから
指揮を執ったのはやはり平塚では無いだろうか 四国でも朝鮮でも関が原でも秀家が自ら采配を執ったとでも言いたいのかなこの人>>267 黒田は資料的には先鋒の将だろ。
軍師的な立場で豊臣の指揮を執った事は無い。 軍師が先陣で落とせるとこ落としたらいかんのか?
毛利輝元の両川は?
武田勝頼の四天王は?
龍造寺の鍋島は?
あと正勝や半兵衛も普通に先陣やっていたような?
全部無し? 意味分からんそこに挙げたの誰も軍師的人物じゃねーじゃん
何が言いたいのか?? おっと、四国攻めの正勝は見方によれば軍師的ともいえるな。 >>272
結局「先陣を努めたら軍師じゃない(キリッ」
で良かったのかな?
とすると郭嘉や法正なんかも軍師じゃないわけか
色んな見方があるもんだな ひょっとしてあれかな?
総大将の横で軍配振ったら
数万の軍勢がすぐさま反応して手足のように動くと信じているとか?
せいぜい伝令か旗本の将しか動かせないぞ はぁ本格的に意味分からんわ
じゃあ軍記講談小説マンガ以外で黒田が主体となって豊臣軍の作戦立案でもしてたと言う資料をどうぞ つまり有名所の高松城水攻めも中国大返しも
如水の進言は無かったと言いたいのかな? 官兵衛が仮に軍師だったとしても、
又兵衛となんの関係もないだろ 黒田官兵衛に関しては三国志の軍師の姿を想像させるような一次資料は一切無く
後世の書物にしかない軍師黒田像は誤りで、前線の有能な一武将と捕らえるのが妥当であろう
ただし中国戦線から統一までの期間に区切るならライバルと言うべき
宮部継潤の方をより評価したい
とか言ってたのは谷口克広だったかな アホは説だ
信長に小寺家をお助け下さいと頭下げてるのに自家の軍は安全な場所に避難なんて有り得ないわけで
むしろ助けを乞う立場の上に地理を最も知っている立場から前線指揮官にならざるを得ないのは当然のこと
ましてや高速道路や新幹線で日帰り出張なんてものが出来る時代でも無いのに
軍師・参謀が前線に滞在していたら変だとかいうような発想自体が変だ
まあ前線で指示を出してとんぼ返りというような日程も確認できるけど
現地での視察や聴取すらせずに又聞きの情報だけで指揮してて勝てると思っているのかだな 結局は、個々人の「軍師」の定義によるんだろうけど、
豊臣家が主体となる派兵で、作戦の策定に関わる軍事的な権限を
黒田孝高が与えられていた時期はある。それを「軍師」と呼ぶか?
呼んでもいいとおれは思うけどね
正規の役職として確実にそう言えるのは、九州征伐と文禄の役
九州征伐時は正式の役職として軍監として派遣、中国勢の監督と全体的な
作戦の策定に関わっている。
小早川や吉川と合議で作戦を決定して、実際の戦闘方針を決めている
というか先鋒が多いから、軍師的な役割は担っていない、という理屈がわからん
毛利に対しては、出兵時期の調整から、動員が遅れた場合には
督促する職権も与えられており、作戦の策定の際も権限は大きい。文禄の役の時も同職。
「軍監は軍師じゃない」というなら、ああそうですかとしか言えないが 軍監は目付けであって指揮権はなく、総大将の様に全軍に命令を下す身分では無い その指揮権が無いはずの軍艦が
独自に動いているのはどう判断すればいいんだ? >>287
九州征伐では、仙石みたいに軍監のくせに総大将っぽく振る舞って
四国軍壊滅させたアホもいたように、指揮権の混乱があったことは確かだけど、
九州征伐の例外的事例をもって、軍監に指揮権がある一般化するのは
大間違いでそ。 >>288
九州や朝鮮を例外として通説を否定するのは
もっと根拠が必要ではないかな? 軍監つっても本部派遣将校くらい意味で職権的には公範囲に渡るからな
参謀長や軍師に当たる軍奉行から監査官にあたる小目付けまでさまざま
参謀と言うなら当時の合議制といわれる軍制なら侍大将クラスでも参謀だし
軍監=軍師と簡単に言うのは、ちと乱暴すぎる >>287
指揮権があるという表現は御幣を招くな
一般的に指揮権が有りは指令官を指し軍師という役職からは外れる とりあえず、ID:TydicMY4は突っ込みが自身の無知をさらけ出すだけに
なっていることすら気づいていない模様。自分が無知なのを自覚して、
お勉強して出なおすこと。 >>293=294かい?
とりあえず軍師という言葉を
厳密に現代の参謀長や幕僚長に当てはめるのは無理がある >>295
自演扱いですか
それはいいとして古代中国や近代とは違って戦国時代には
狭義の軍師の職制が無いので完全には当てはめれないのは当然ですね
そういう定義なら如水や軍監は軍師では無いこと御自分で言ってるようなものですが 究極の実力・成果主義の時代の中で
日本史上比類なき成功を収めた豊臣家の組織運用が
少なくとも平和な時代のガチガチの縦割り式上位下達軍隊・官僚的システムだったは無いだろうな >>298
無知だ馬鹿だとしか言えないなら掘った穴の中にでも言うように >>299
軍監がなんなのかすら知らずに「軍師軍師」叫ぶのは気持ちいい? でも、迷惑だから消えてね。
できればこの世から消えてね。 >>300
いきなり横槍で無知だの馬鹿だの消えろだの言い始めたお前が消えた方が
恐らくは世のためだろうな 2週間半経って、ID:TydicMY4がまた湧いてきたのか? こんなに過疎ってるんだから、多少スレ違いでも、ここでやっても
問題ないと思うけどな
別に荒らしというほどのもんでもない気がする 大坂の陣が数年後の大河になるならスレももう少し盛り上がって欲しいけどな
真田史観のいけ好かないやつで終わってほしくないところ 大坂の陣大河なんて、嫌な予感しかしない
真田中心だろどうせ 現代の幸村像は美化されまくってその分を又兵衛とかが割食ってるからな
NHKや脚本家には他の武将にもスポットライトが当たるように頑張ってもらいたいもんだ >>309
偶然見たシエだと幸村の扱いすらいいかげんだったけどな。
役者は天地人の城田よりよっぽどマシだったが。
葵徳川三代でもそんなに出番なかった記憶がある。
「CHACHA」っていうトンデモ歴史映画で大砲陣地に突っ込んで爆死してたのは又兵衛だったっけ? 風野真知雄の「後藤又兵衛」読んだけど微妙だった。
この人の小説は基本面白いと思うんだが、
学研ナントカ文庫っていう文庫の特性が良くないのかなぁ。 >>314
学研M文庫は娯楽性よりも「史実っぽい歴史小説」を欲しがるからなあ。 >>313
チャチャって映画、元宝塚の女優が主演のやつだっけ?
宝塚贔屓の浜村でさえフォローできず「まぁ、映画ですからねぇ」としか言えなかった作品w
見てみたいwww >>316
一応製作費10億かかってるらしいんだが、
妙にスローモーションとか使うから、戦闘シーンの緊張感のなさが凄い。
戦闘の経過にも史実もクソもないし。
あとはカントク的にバイオレンスを目指したらしいが、
血しぶきというか、鎧の間から紫の水がゴボゴボ出てくるから失笑してしまう
ttp://www.sengokudama.com/contents/meishou/02/index.html
又兵衛をやってたのは平岳大だね
>>317
読んだ、イケメン若者風の幸村なんか散々やり尽くされてるんだから
禿・歯抜け爺の方が斬新だと思うがなw 又兵衛もこれの特攻隊のイメージよりは
乞食大将のイメージの方がまだ合ってるかなぁ。 大坂方で実は生き残ってた説の奴は何人いるんだかw
淀、秀頼、幸村、又兵衛、細川興秋、すぐ思いつくだけでコレだけ居るわ まあたいてい何らかの生き残った説があるが、確か榊原家の史料だと、真田、後藤、明石あたりは
大阪落城後すぐに逃亡説があったらしく、捜索が行われてる 基次にもあったのか
つまるところ徳川は首実検してないってことか >>324
首実検はしてる。いわゆる偽首、身代わり説だな。 竹島を不法に占拠し、竹島の領有を捏造して、竹島に近づく漁民を虐殺したのです。
この竹島大虐殺で44人が殺害、3929人が拿捕されました。
竹島は日本固有の領土であり、日本国民が竹島へ往来するのは自由のはずです。
しかし韓国軍は漁民の進入を拒み、何の罪もない漁民を銃撃し、殺害したのです。
漫画センゴクで活躍してるのは嬉しいけど、角刈りキャラなのだけが残念 今回は負けても、次は勝てば良いって言ってたらしいね。 >>1からして突っ込みどころのあるスレが多いな戦国板は
>黒田如水に見いだされ
又兵衛は如水にとっては自分が土牢に閉じこめられてる時に寝返ったんで
放逐した不忠な家臣の小せがれ
呼び戻して子飼いの家臣にしたのは長政だぞ 大河のプロデューサーのインタヴューの印象では、
又兵衛かっこいい目の役どころででそうだよ
長政より武名をあげて妬まれる的な 大河だと塚本高史だとさ
役者としては嫌いじゃないんだけどなんか違うんだよなぁ
まぁ来年も最近流行りのイケメン大河みたいで 後藤又兵衛のイメージキャラクターデザインを募集【平成25年8月29日掲載】
http://www.city.kasai.hyogo.jp/04sise/11osir/osir1309/osir130901b.htm
黒田官兵衛24騎のひとり「後藤又兵衛」をイメージキャラクターでPR
平成26年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも登場する黒田24騎のひとり「後藤又兵衛(ごとうまたべえ)」は、加西市に縁のある武将です。
一説には山下町出身とあり、市内にも末えいの方が多くおられます。
「乞食大将」や「軍師二人」でも有名な後藤又兵衛の魅力をPRするため、イメージキャラクターのデザインを募集します。
■テーマ
勇猛果敢な一騎駆けの猛将、戦国時代の英雄であり、豪壮、実直なイメージ
■応募資格
年齢、プロ・アマ、個人・グループは問いません。どなたでも応募できます。
■賞品
最優秀賞1点には、図書カード3万円分をプレゼントします。
優秀作品2点には、ふるさと加西の特産品をプレゼントします。
■募集期間
平成25年9月30日(月)まで
■応募方法
応募用紙に必要事項を記入のうえ、次の申込先に直接お持ちいただくか、郵送またはメールでご応募ください。
?後藤又兵衛イメージキャラクターデザイン募集要項と応募用紙
(PDF形式:http://www.city.kasai.hyogo.jp/04sise/11osir/osir1309/files/osir130901b01.pdf)
(WORD形式:http://www.city.kasai.hyogo.jp/04sise/11osir/osir1309/files/osir130901b02.doc)
※キャラクターのデザインについては、任意のA4白色用紙でも応募できます。
■提出先
〒675-2395兵庫県加西市北条町横尾1000番地
観光まちづくり協会事務局(商工観光課)
mail:shokokanko@city.kasai.lg.jp
問合先 地域振興部 商工観光課
TEL:0790-42-8715 FAX:0790-43-1802 mail:shokokanko@city.kasai.lg.jp 個人的には10年くらい前の役所こうじみたいな役者が合ってる気がする 来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/ 某ゲームシリーズに又兵衛が出るけど・・・
すごく残念なキャラにされているから泣きたい。
大谷吉継のときもひどすぎって言われていたけど
又兵衛までこんな風にされるときが来るなんて。 見てきたらほんとクソみてえな扱いだわ。
まぁどういう扱いでもあのシリーズだけには出てほしくなかったんだけど
これから又兵衛ゆかりの地の祭りとかにコスプレしたBASARAオタが押し掛けるんだろうなぁ・・・ アレのパクリ元はいい扱いをしてくれるだろうから
出してくれれば多少ライト層の印象が相殺されそうだがなあ
まあ大河で良イメージならそれで
アレはマジで許さんわ BASARAから後藤又兵衛好きになったンゴ
見た目アレだけどいいキャラだったぞ こんな過疎スレにもBASARAアンチかよw
BASARAに史実通りのキャラとか期待する方が馬鹿なのに、史実とゲームをごっちゃにしちゃう厨二脳はホント醜いねえ
文句あるなら自分でゲーム作れば? 歴史ブームの火付け役とやらにおいて後藤又兵衛がどのような人物として描かれているのか参考までに
ま、ゲームの設定ですので深く気にせずお楽しみくださいな(遠い目)
・かつて令無視して行動して失敗して それを周囲に笑われたのが原因で歪んだ性格になってしまった
・鋸の要領で敵を切る技など猟奇的な技がそろっている
・大阪の陣や長政との確執についてはふれられない、というか両方出てこない
・官兵衛の事を内心馬鹿にしていて半兵衛の事を尊敬している
・非常に執念深い性格で又(股間)に隠し持った閻魔帳に恨みを持った相手の名前を書き連ねている
・現在復讐リスト最上位は伊達政宗で政宗の事を付け狙っている
以下紹介文より
「又兵衛は少し歪んだ性格のため攻撃には狂気の色がにじみ出ています」
「一部の技ではボタンの長押しや追加入力でさらにジワジワといたぶる事も可能です」
「目が合った敵にはとりあえずギリギリと処刑しましょう!」 最初はちょっと引いたけど実際に遊んだら憎めなくて良い子だったぞ
今では一番好きなキャラだしな
なんだかんだで史実とかけ離れてる部分もあるけどこのゲームで出てこなかったら又兵衛の事好きになってないと
思うよってマジレスするわ >>345
あの又兵衛もどきを「憎めない良い子」とか言うような奴には史実の後藤又兵衛を好きになってほしくない まぁあっちは又兵衛の事興味盛ってくれるのかもしれんが
後藤又兵衛の人間関係や見せ場を放置して狂気だの歪んでるだの書かれた挙句に
史実通りのキャラとか期待する方が馬鹿とか開き直られて
多分こっち側の大半は戦国バサラにかなり悪いイメージを持ったと思うし
ここまでされて憎めない奴とか言われても正直納得できない ここで語られる史実の後藤又兵衛とやらも
講談で脚色された後藤又兵衛なんだから別にいいんでね
正直同属嫌悪としか。まぁ場所だけわきまえてくれればいい >>348
そういう言い方が厨なんだよな。
講談で脚色された後藤又兵衛だけが語られてる訳じゃない。 >>344
このキャラが後藤又兵衛である必要なくね? 設定が創作なのが問題なのではなくいわれもないのに猟奇趣味扱いするのはたとえゲームのキャラ付けにしてもやりすぎだろうとそういう話だろ >>352
浪人時代があったから、それを超拡大解釈したのがバサラの又兵衛なのだと思われる。はぐれ者っていうところ。 浪人→はぐれ者→>>344
はぁ?
浪人したぐらいで道明寺そっちのけでこんな設定付けられるとか侮辱もいいとこだわ
又兵衛ならいくらでも取り上げるポイントはあるだろうし
浪人である事を拡大解釈するにしてもわざわざこんな悪意に満ちた解釈する必要がどこにあるんだよ >>355
知らねーよ。直接カプコンに言ってくれよ。 こういうところで この話題は荒れるだけだ
ゲームのスレなりtwitterなり、発売したばかりの今なら他に語る場所なんて幾らでもあるので住み分けお願いします >>359
それで、このスレで明らかに不興を買ってるゲームの動画なんか貼って何のつもりなのか
叩かせたいのか宣伝したいのか 水野勝成くらいブラックなら
ああいうキャラもまだ解るけどな
一時期官兵衛の下に居たし 史実又兵衛も好きだけどBASARA又兵衛も好き
BASARAは別物として見てるけどそれにしてもお前ら嫌いすぎだろ 別物として見てるなら史実又兵衛スレでバサラ又兵衛の話を持ち込むのはおかしいだろう? 先週ぐらいから大河でも出てきたな
まだ子役だから分からないけど、 扱い良いといいなー 最近大仏次郎著の乞食大将を読みました。又兵衛が主人公の本。
古書店ですごい状態だったのを発見して買った。
文章とか漢字がちょっと古くて読みづらかったけどおもしろかった。
保存をどうしようか今悩み中。
結構痛んでいるので・・・でも手元に残しときたい。
絶版していてなかなか手に入らない本だし。 今までのも含めてさっきまでのも含めてボキャ貧はネトウヨなんて使ってる奴だな
民主党に例えたら右翼とか発想が貧困すぎる
認定厨のネトサヨネトチョンネトシナ発症してまだ日が浅いのか
てめぇとか図に乗るんじゃねぇよ。捏造偏向歪曲するんじゃねぇよ。生きてる価値ねぇからさっさと死ねカス^^
ねぇねぇてめぇとか何で生きてるの〜^^死んでも誰も悲しまねぇからよ〜^^さっさと死ねよ〜^^さっさと死ねカス^^ 又兵衛の逸話がどこまで事実かなんてわからないけどどうもDQNのイメージ抜けないw
主君に対してもちょい生意気というか 戦国武将列伝の後藤又兵衛はなかなか面白い。まさか、秦桐若出てくるとは思わなかった。水野勝成とか出てくる可能性が高いな クラッシックプラグマティストアブラカレー
クラッシックプラグマティストアブラカレー
クラッシックプラグマティストアブラカレー 今の大河見てて長政と又兵衛の仲は良好みたいだから
>>185や>>187みたいな考えで展開するのもありだな 姫路に後藤神社があって、子供の頃、そこの公園で…よく遊んだな… 後藤又べぇ の名前は知っていたがそんなに有名人とは・… まことと筆者の中間が、普通の人間。
と、筆者は思う。
たとえば、バレなければ、人は平気で悪事をする。
しかし、筆者には、それが軽薄であった。 長政が仕官の邪魔しなければ大阪入城もなかっただろうが 大坂夏の陣で討ち死に 後藤又兵衛の最後を記す史料発見 (NHK)
後藤又兵衛は、その勇猛さから「槍の又兵衛」と称された武将で、
大坂夏の陣で豊臣方について、大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田信繁らとともに戦いましたが、
伊達政宗の鉄砲隊に撃たれて最期を遂げたとされています。
見つかった書面は横35センチ、縦27.4センチで、
又兵衛が討ち死にしたときの様子が13行にわたって記されています。
それによりますと、又兵衛の下で戦っていた武将、金万平右衛門が、ひん死となった又兵衛の首を、
秀頼から又兵衛に与えられていた刀で落とし、秀頼に刀を返したと記されています。
また、その際に首を持ち帰ることができなかったため、
又兵衛の折れた旗を討ち死にの証拠として秀頼に差し出したなどと記されています。 このスレでも1回話題にのぼってるんですが
通説では又兵衛の父は「後藤基国」だと大日本史や国史辞典にあるらしいんだけど
一方で基国の子ではなく基国の兄?の「後藤基信」の次子であって、
三木城落城の際に基国が逃した8歳の子供(甚太郎・後の後藤基親)が
同じく黒田家に仕えたのでこれと又兵衛(基次)が混同され
基国の子という誤りが拡がっている・・・という説も見つけたんですが
どっちが正しいんでしょうか?
基国と基信の関係性とかも系図なんかでまちまちなんで
よくわからんのですが・・・ ちなみに基信の子説は
小嶋太門って人の本(「後藤又兵衛の研究、2014年・人間社」)で見たんだけど
同著の中でも序盤では基国じゃなくて基信の子が正しいって書いてあるのに
後半では基国の子だって紹介しててわけわかめなのです >>378
厳密にいえば長政が池田利隆に噛みつかなければだろうね
今残る又兵衛の末裔は継室が産んだ子の系統と言われているけど
この継室の実家は池田家家老(後に鳥取藩筆頭首座及び米子城代家)の
荒尾家家臣筋で荒尾は恒興正妻の実家でもあるから利隆が大久保長安事件の
余波などでいまいち強く出られないのもあってか長政に折れてしまったけど
これがなければ大阪城入城もなかったろうし岡山か鳥取かはわからないけど
池田の藩中でそこそこ出世したんじゃないかな 明石全登なら、宇喜多家家老だけど、後藤って別に家老ってほどでもないしなあ 黒田は宇喜多と違って家臣の層が厚いから(*´∀`*) 槍の又兵衛が何故黒田家を離れたかご存じの方は
おられますか。 >>384
大阪初登場時も○○守とかじゃ無く「元黒岳家臣」だったしな。 でも又兵衛って退去するまでは黒田家の家老に次ぐ位置にいたんじゃないの? 又兵衛の墓はなんであんな公園の片隅で申し訳なさそうに建ってんの?
不敏でならない。なんなら俺が寄付で豪華に建て直したい位。 90年代初頭のNHKの まんが日本史で、大阪に入城した武将で名前が出るのは
真田幸村、後藤又兵衛、塙団右衛門の三人
明石とか毛利勝永とかを差し置いて、
なぜ塙団右衛門なのかが理解に苦しむw ウチの近所の寺に祀られてるんだよね
首塚もあるし
子孫が県内にいるし案外ホントかも 城井城攻めでの陣羽織の話が好き
後藤又兵衛が捨てた陣馬織の切れ端を
同僚の城戸乗之助に拾われて面目を失った 241 ◆Dq0510MAKI 2019/03/14(木) 13:26:03.58 O
この所後藤真希と刺繍の入ったハロプロ時代のFCで購入したニット帽をかぶっては病院に行ってた
そして刺繍の所を指差して見て見てってやってたが流石にもう恥ずかしくてかぶれなくなってしまった
なんというか誇りからの転落である事は間違いない
けれど浅田真央ちゃんが仮に不倫したとしても彼女のストイックな挑戦する気持ちトリプルアクセル世界選手権何度も優勝って事実は変わらない
だから今は落ちても過去は変わらない
だからこそテレビにすぐ出れてたのにそれは残念よ
今や売れない地下アイドルになったモーニング娘。19よりたやすくテレビに出れてたのに勿体ないね
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1552231533/241 長政と基次が合わなかったが忠之、光之も旧臣て対立してるもんなあ 後藤又兵衛は戦死したけど、真田信繁軍は伊達政宗軍を一時的にせよ撃退したのだから
凄いと思う。もし、真田信繁軍の兵力が充実していたら、伊達政宗軍は完全に敗走していた。
よく、徳川家康が都合よく死亡したら、今度は伊達政宗が天下を取っていたのでは、
という意見も散見されるが、それはあり得ないと思う。
真田軍が豊臣家を守るために立ちはだかるだろう。加藤清正軍や立花宗茂軍も真田軍に味方するだろう。
ただ、このようにして書くと、真田家を保護してくれた伊達家には申し訳ないから、
真田家は伊達家に感謝すべきだとは思う。 真田信繁のセンスからみれば、豊臣国松もぜひ保護してほしかったよね。
そしたら、真田信繁の妻子とともに伊達家に保護されるはずだから、豊臣の血筋は残ることになる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています