【海賊】 水軍スレ 【安宅船】
>>803
つべこべ言ってねえで
おまえがたった1つ、来島が当主兄弟戦死後も
戦果を挙げ続けたって記述を1つ出せばいいだけの話だろ
感状なんてよほどの失態をやらかさない限り
「参加賞」みたいなもんでももらえるわけで
敵の記述とか、加増とか、そういった具体的な裏付けも無しに
来島軍は当主死亡後も軍として活躍し続けたとか何を根拠に言えるんだ >>804
既に色々書かれているのでは?
軍役を果たせば感状が貰える
果たせないと叱責を受ける
更には召還されて改易される場合もある
軍目付同士が監視しているので感状の乱発なんて無理
それに来島は先発帰国組から外れて残留組合せの水軍戦力だからな
関ヶ原でも活動していたし 戦力にならないと大友みたいに潰されたり中川みたいに減封されるから島津みたいに震え上がって戦うしかない で、その感状にはどこの合戦でどれだけの戦功をあげたって書いてあるのかな
結局おまえのは「感状がある」だけの1点張りだけ
敵の資料にも
味方の資料にも来島の具体的活躍はない
朝鮮の役で改易されたのなんて無断逃亡とか、軍令違反とかばかりで
ただ単に兵力をを失ったから改易、なんてケースは聞いたことがない
そして関ケ原の話はここでは関係ない
朝鮮の役で、どれだけ結果を出したのか?って話をしてんだろ。話を逸らすな
大友は敵の虚報を信じて仲間を見捨てて無断撤退したから
中川は合戦ではなく鷹狩り中に暗殺されたのを戦死とごまかそうとしたから
明らかな「失点」があるから改易(or改易されそうになった)になっただけ
勝敗は時の運なわけで、明らかな命令違反や戦以外での失点ならともかく
拠点を失ったり、兵力を消耗したからといって改易された大名などいない
だから参加賞で来島は感状をもらっただけ。
大名格であり、初戦で当主が戦死した事以外、大きな失点がないのだから
その後、戦功を上げるか上げないかなんて問題ではない
生きて帰っただけで感状くらい出るだろ。まがりなりにも大名なんだから 「数百の兵を率いて、当主死亡後も戦で活躍した」
と、おまえは主張したのだから、感情をもらったとか曖昧な話ではなく
それを具体的に裏付ける証拠を出せよ ま、来島通総の戦死後も来島水軍は来島吉清に引き続き率いられ
藤堂高虎や加藤嘉明や脇坂安治や菅達長らと同程度には活躍したってことだな 今話題になっているのは来島水軍が壊滅したかではなく
活躍したかに変わったのか 並の活躍というか豊臣政権の期待には答えていたってことね
来島も朝鮮にいる間は築城ゆら援軍やら輸送やらに従事し続けていた
日本は大抵代わりが効くからな
大名が死んでも代行が立つし
軍が壊滅すると代わりの武官が動員される 壊滅=戦力として当てになるほどの残存兵力がなかったという話(>>782)を
「その後も諸合戦で数百の軍勢を率いて活躍した」って(>>773)(>>784)言い出し
その後、根拠がないと見るや「活躍した」から「健在した」(>>781)に言い換えたり
コロコロ言うこと変わってるのは当主戦死後も来島大活躍派のおまえな >>811の言うように単独部隊として当てにできなくなったので
より大所帯の部隊に編成しなおされ(吸収され)
築城や輸送の一部に関与したって「感状」くらい出るだろうし
それを根拠に「来島は当主死亡後も合戦で活躍しただろ!」って
話にはならないって事を言ってるだけなんだけど
頑なに「感状があるってことは合戦でも当主死亡後も戦功をあげたってことだろ!壊滅なんかしてない!」って
言い張ってるアホがいるってだけの話 壊滅=全滅ではないし
1兵残らず死んだ状態を指す言葉でもない
実質全体の3割が戦闘不能になった時点で壊滅と判断してもいいくらいだしな
もともと数百の来島勢が当主討ち死にするような乱戦に巻き込まれて
ほとんど兵損がなかったと考える方が難しいだろ >>813
出ないよ
他の村上水軍や毛利は以下の水軍指揮官にも感状は出ていない >>815
陸戦じゃないから指揮官がピンポイントでやられたとでも?
その根拠は?
基本、陸戦だろうが水上戦だろうが、配下は指揮官を守ろうとするし
指揮官が先陣切って敵陣に突っ込んだりはしないで後方で指揮を執るもの
たまたま指揮官の乗った船だけが孤立して、死んだとでも言いたいのかよ
妄想を膨らませるのは結構だけど、根拠を提示してくれよ
>>816
村上や毛利配下の水軍指揮官は「家臣」
来島は「大名」
その違いも何度も言ったはずだが? 大名格にはその上役である豊臣政権が感状を出すのが当たり前だし
各大名の家臣に感状を出すのは、その上役である大名が出すのが当然
村上や毛利水軍に感状を出すのは毛利の役目
来島は少なからず1万石の「大名」としての家格があり
秀吉政権の中で特別扱いを受けている(早期に秀吉に転属したので)
大名格で大きな失態をやらかしたわけでもないのに
感状すらもらえなかったって例があるなら出してみなよ >>818
当たり前じゃないよ
貰えた大名と貰えない大名がいるから
同じく軍役が果たせずに更迭されたり減封された大名もいるし、軍役を果たして使い続けられた大名がいる
明確に違うよね? だいたい壊滅していないから来島吉清が指揮を引き継いでいるわけで
ま、脇坂ぐらいは活躍しているだろうよ 脇坂なんて海戦で大敗して重臣や水軍幹部を失っても戦力を維持して戦い続けてたよ 鳴梁海戦は軍勢が崩されて敗走したわけで、なく逆に前進した戦いだった
それに小型船に乗った状態で遠戦志向の朝鮮水軍の大型船に近づいた訳だから通総は恐らく狙撃による戦死だろうな >>819
だから、例を出せよ例を
おまえが出した改易されたような大名は
明確な失態があったから懲罰を受けてるんだろ
何も失点がないのに、感状すらもらえなかった大名がいるなら名前出してよ
>>820
だからそら誰かが引き継ぐのは当たり前だろ?1人残らず死んだわけじゃねーんだから
その後の具体的な活躍(戦功)があるなら提示しろって言ってんだろ?
>>822
脇坂の話はしてない
>>823
普通に考えて大大名は大型船で速度が遅く
小早中心の少大名・与力連中は速度の早い船で先陣を務めるというのが当然で
突出した機動力重視の小勢が被害を出し
後に大型船が加勢して押し返した、(もしくは朝鮮軍が数の圧で退いた)と
見るのが妥当だろ
狙撃されたなら狙撃された、と軍目付の記録にでも残るでしょ普通に そもそもそんなピンポイントで狙撃等で死亡しているなら
敵兵なり、お供の兵なりから「死に様」が伝わってるはずだよね
敵からしても大将首(手柄)なわけだし
家中の家臣からしたら「どんな死に様だったのか」は伝えるべき話だし
それが「戦死」としか伝わってないんだから
乱戦の中で少なくとも通総の船(及びその周囲の護衛船)は沈められて
誰もその死に様は見届けていないって事じゃねえの >>824
脇坂の場合はまさに水軍で大ダメージ受けた例ですよ、閑山島海戦
それに来島とかなり一緒に戦っているし
九鬼も結構叩かれたけど続けて戦線を維持している
鳴梁海戦では藤堂高虎や毛利高政も負傷していて小型船で突入した部隊に参加している
政権からの感状って褒賞に繋がるものだからそんなに乱発できないもんだと思うぞ >>824
進出が間に合わなかった水軍武将は貢献にならなかったから貰えてない そもそも当時の海鮮で船が沈むことは希なんだけど
小早なら全滅しても損失は十数人以下
集団で押し引きする陸戦とはだいぶ様相が違う >>822
脇坂の時は秀吉の命で、各大名の大船が船頭・水夫込み与えられた >>829
武器弾薬は支給されたけど水夫までついていたかは不明のはず
それに武器弾薬の支給は脇坂だけでなく水軍大名全員宛 >>830
7月15日付渡海大名宛秀吉朱印状に保有する大船を、水夫・船奉行を付けて
脇坂・加藤嘉明・九鬼にわたすことを命じている 九鬼は文禄は出陣したけど慶長は行かなかったんだっけ? 慶長2年に九鬼嘉隆から守隆へ代替わりしたから、その影響かもしれない >>831
そうだね、諸大名後持つ船の中から大船を抽出して船頭と船奉行を付けて支給していた模様 文禄の役での越冬による病死・凍死で、日本水軍は人的な面で壊滅している >>828
なのに文禄では兄が
そして慶長では大名である自身が戦死したわけで
率いてる人数は600だから小早が20艘くらい沈めば損害率は三〜四割越えということになるのかな? >>826
来島も脇坂も九鬼も藤堂も毛利も豊臣政権下の「大名」だって事を忘れてる
大名支配下の与力・家臣・国人ならともかく
「大名」クラスで合戦に従軍し、感状すらもらえなかった奴っているのかよ
(失態を犯して改易されたような連中を除いて)
>>827
そら不参加ならもらえるわけねーだろ
>>837
十分「壊滅」の定義に当てはまるじゃんかな
総大将が戦死して全体の3割が負傷・死亡で戦闘不能となれば
通常は合戦の続行などできないわけで >>838
被害ったって多めに見て七百人中で三十人くらいじゃないの?
同時に藤堂高虎や毛利高政にも矢が命中したり海に落ちたりしているけど事後の軍事行動は制限されずに追撃しているわけだし
そもそも文禄の役で来島通之が戦死したときだって続けて軍役を勤めていたし 壊滅的被害が出るのは相手が戦場を支配して敗走した場合などのこと(残敵掃討になった場合)
閑山島海戦や巨済島海戦はこのタイプ
鳴梁海戦では日本の水軍に被害が出ているが海戦後の戦場を支配していたのは日本側で負傷者の救助や回収をしている
小規模部隊の派遣であり戦場を支配していたことから大被害にはなり得ない
状況は第二次木津川口の戦いに似ていて
戦場支配の点では木津川口で負けた毛利水軍より鳴梁で叩かれた来島水軍の方が軽減要素がある
少数の鉄甲船に撃たれて被害が出て突破はできなかったけど毛利水軍の活動は海戦後も衰えず石山城に補給を継続していた 朝鮮渡海用の船舶が六端帆船基準で壱岐−対馬で500隻、水主4000人、搭載量12000人分位なので
名護屋−壱岐、対馬−釜山で3倍くらい居たのかな?
西国の一人役分くらいは水主のような気がするよね
五島氏で14000石、700人の内訳は戦闘員200人、人夫300人夫、水主200人(28%)、船17隻
島津12000人の内、人夫2000人、水主2000人ぐらい >>839
藤堂や毛利の動員数と来島の動員数が同じ規模ならな
>>840
だから小早と関船の速度差だろ
通常の野戦と違うのは
戦功した小部隊の小早勢が孤立して大打撃を受け
後からきた関船が押し返して敵軍が退いただけ
大乱戦の中での討ち死にではなく
先行部隊が壊滅しただけ
そしてその先行部隊に大名とはいえ小禄の来島勢がいたわけで
(資金力の問題で編成は小早中心)
後方で備えていた大大名の藤堂や毛利と比較するのが間違ってる 当時の海戦は効果気力がひどく低くて戦場への滞在時間が限られているのと
明や朝鮮の水軍は倭寇対策で接近戦を避けるから決定打が出ない
他の海戦でも船を失ったとしても泳いで漂着してから生還するケースが多いのはこのせい
巨済島海戦で朝鮮水軍が大ダメージを受けたのは逃げた陸地側が日本陸軍の支配地だったため 海賊できないと人的資源は一水軍で3000人(三千石)も居ない感じだね 来島通之とか来島通清は誰だかはわかるけど
この2人は来島は名乗ったっけ 死んだ祖母は来島の人間やが色々と話聞いとけば良かったな >>845
通之は秀吉から公文書で「くるしまきゃうだい」呼ばわりされているな 村上武吉の次男である村上景親の正室は平岡房実の娘で側室の星州李氏の両班の娘だったというが
家督を継いだ村上元信は両班の息子の方なんだな オーダニやWビシなどのやきう報道でやたらと世界ガー世界ガーと煽るのがメディアの傾向ですが、バスケサッカーなど本当に『世界』で活躍する選手をまともに報じない理由が分かってきた。
それらをまともに報じてしまうと、やきうの世界的不人気、大会の薄っぺらさが露呈してしまうからなんだなと 村上水軍最強は能島?来島?
一番ぱっとしないのが因島 一般人の性犯罪は糾弾するのにジャニーズややきう選手の性犯罪には言及しない。
ロシアスポーツのドーピングは糾弾するのにドーピング検査をまともにやっているかどうかも分からないやきう界は言及しない。
なのにやきう選手の活躍は大々的に垂れ流す。
そういうダブルスタンダードが嫌いなんですよ 不倫で無期限謹慎になりCMが差し替えられる女優がいる一方、婦女暴行沙汰を起こしても練習参加が許され記録映画はそのまま上映される野球選手がいる。 「女性の人権が~」と叫ぶ連中が山川問題になるとダンマリなのは余りにも異常だ REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 海戦に強い安房里見を対朝鮮に使わなかったのはどうなんだろうね?