信長の鉄甲船について、ひとつふたつ疑問点があります。
その@、装甲になるほどの大面積の鉄板を作ることが出来たのでしょうか?
当時は水車動力のハンマーも無く鉄を延ばすには手打ちしかなかっと思うのですが。
(秀吉の時代には鉄張りの大盾があったらしいけど)伸びの良い銅版のほうが現実的とおもう。
そのA当時の船を平底と信じている方が多いけれど、家光が竜骨を禁止したのなら
それ以前には竜骨を持った船が沢山あったと言うことになり、最先端技術をそなえる軍船に
竜骨が取り入れられていなかったというのは、なんだかおかしいような気がする。
皆さんはいかがお考えですか?