李舜臣将軍、露梁海戦決戦意志込められた「最後の手紙」初公開
送稿時間| 2016/09/30 10:05
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明軍に渡す...撤退する倭軍への先制攻撃を主張

(ソウル=聯合ニュース)イ・ヨンジェ記者=
李舜臣将軍が壬辰倭乱最後の決戦である露梁海戦を控えて、自分の作戦計画を込めて明軍に送った文書が30日初公開される。

国防部はこの日午後、国防部軍事編纂研究所と全南大李舜臣海洋文化研究所の共同主催で全南大麗水キャンパスで開催される国際学術大会で李舜臣の最後の簡札を初めて公開すると明らかにした。

簡札は竹彫刻の竹簡や木の彫刻である木札に書いた文章、広い意味では、紙や絹に記録した手紙も含まれている。

今回の学術大会で公開されている李舜臣の簡札は、1598年11月露梁海戦を控えて作成されたもので、明の監軍・王士gに伝達されたが、彼の子孫が「章安王氏宗譜」に収録して現存することになった。

この簡札で李舜臣は朝-明連合軍の攻勢で順天倭橋城に孤立した倭将小西行長の退路を開けないことを明軍に説得し、彼の撤退を支援するための水軍を先制攻撃しなければならないという主張を繰り広げた。

李舜臣は明水軍将帥劉テイ(劉綎)と陳リン(陳璘)が小西の懐柔と賄賂によって倭軍の撤退路を開ける案を苦心していることを見抜いていた。

当時、日本軍は豊臣秀吉が息を引き取って、残した遺言に基づいて撤退を進めており、海の安全な退路を確保するのが急務だった。

これをよく知っている李舜臣は、朝明連合軍の指揮権を握った明軍に小西の懐柔に乗らないように説得して倭軍を倒すための決戦を促したのである。

今回発掘された李舜臣の簡札は現存する壬辰倭乱・丁酉再乱史料である“朝鮮王朝実録”、“李忠武公全書”、“乱中日記”、“李コ馨文集”などでも見つけることができなかった史料で、歴史的な価値が大きいというのが国防部の説明である。

キム・ギョンロク軍事編纂研究所上級研究員は、「李舜臣将軍の簡札は、朝明連合軍作戦に消極的だった明軍を説得して日本軍の退路を遮断、殲滅しようとしていた作戦の意志を示す史料」と説明した。