日本軍の兵站は最初っから貧弱だった。
朝鮮水軍の活動でさらに苦しくなったのは確かだが、どのみち
朝鮮からの徴収、もしくは略奪なしでは、食っていけない状況だった。

これは外征だからと言う理由だけでなく、豊臣軍の兵站は日本国内の戦争でも
言われているように強力なものではなく、小牧長久手でも九州でも小田原でも、
兵糧不足に陥っている、ギリギリのものだった。

日本国内で軍の兵站をフォローしたのは商人による商業流通だったのだが、朝鮮国内では
それが通用せず、日本軍は初期に持ち込んだ食料を食い尽くすと、たちまち飢えに苦しむ事になった。