【海賊】 水軍スレ 【安宅船】
信長の鉄甲船があったとかなかったとか
そんなことについて語ろうぜ >>260
放送禁止用語なので大河に出られないでござる
あと珍兵器で行くと村上水軍が設計していたスクリュー船とか つttp://www.tanken.com/wako.html
アイデアだけで実際には作られなかったのかもしれないが、
村上家の水軍書には書いてあるらしい >>265
やはり日本水軍は世界に比べオリジナルを進んでるね
盲船の絵もあるw
船逆さま重石付けてジャックスパロウの海底散歩見たいな感じかな 大坂の陣で九鬼守隆が鉄甲船6隻と三国丸という大安宅船を使っていたようなのだが
どなたか詳細求む ↑子孫の河野兄弟が徳島ヴォルティス・FC岐阜で活躍している
四国にナスカの絵みたいのがあって息吹島に村上水軍の財宝があるらしい。たたりもあるらしい あの番組はトンデモ論多いから気をつけろ
まぁ村上水軍の財宝ってのは元から諸説あるけど >>274
ナスカの絵ってあの巨大な寛永通宝か
あれ見ても銭形平次のOPしか思い出さんぞw 白石一郎の、ウィリアム・アダムスが主人公の小説に缶詰なんちゅう代物が出てきた
ねーよ…(´・ω・`) ノンフィクション歴史小説なんか古今東西存在においてしない 和船も帆柱を切り倒すことなんてあったのか。
マストが何本もある西洋の船だけかと思ってた >>288
ズバッ
「ギャーーー!!!」
「安心せい峰打ち・・・スマン持ってくる刀間違えたwww」 西洋船の場合、切り倒してもいいように木材を積んでいた。
一方何も積んでいない和船は・・・ 帆柱を切り倒さないと、
最善の努力をしなかった
とみなされ、海難証明書
をだしてもらえない。 偶々「その時歴史が動いた」の村上武吉の回のビデオがあったから観た
関ヶ原の時伊勢湾で暴れ回っていたとは知らなかった
熊野灘は何事もなく通過出来たのかな?
あと阿波を占領したってのも初耳だ 広島・因島も水軍ですよね?
因島はかなり歴史古いんでしょうか? SS蒼穹とか一番デキが良い移植じゃないか。下さい。 >>295
阿波や毛利吉成領は毛利氏の占領下に入っているし、
四国では村上元吉らが死んだ後も、関ヶ原の敗報が届くまで
村上水軍・河野衆による加藤嘉明領への侵攻が続いてた模様。
安宅水軍は、蜂須賀家にすべて吸収されてしまったのかな?
安宅町なんて地名にも残っているようだが、 毛利水軍を叩き潰し、石山本願寺への支援ルートを断った九鬼水軍が戦国最強だな
実際、九鬼嘉隆は関ヶ原の戦いで東軍側については戦功をあげたが、江戸幕府が始まった後に、九鬼水軍の力を恐れた徳川家康によって、海に面していない地に移封されるなど晩年は不遇だった。
それでも九鬼氏は水軍としての誇りを忘れないために、小さな湖で訓練をし続けた。 こんなサイトがあった
http://japan.yi-sunsin.com/03ship/02_01.jsp
亀船ってこんな重そうなのに櫓が18丁しかないのな。
動くのか? 復元模型だと16丁しかないぞ
動いたとしても相当な鈍足だろうな 九州征伐で秀吉が水軍(小西・九鬼・脇坂・加藤嘉)を動員したが
こいつらは何をしたんだ?
小西が肥後半国25万石を拝領してるし(佐々改易の後だが) >>308
海軍みたいな水軍があると思っていること自体が間違い。 横浜市歴史博物館で、2009年5月10日まで、
「海賊-室町・戦国時代の東京湾と横浜-」
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/ >>312
それに今日行ってきたよ。案外人が来てて驚いたw
展示物はそんなに多くは無いが、北条、里見、正木、さらに秀吉などの書状は良かった。
虎朱印は実際見るとぐっと来るものがあるなw
あと、個人的に何よりよかったのは、売店に水軍関係の書籍が実に充実していた事w
近くの人はあのためだけでも行って見るのもいいんじゃないかな?
大学時代にたまたま知己を得た先生から直接聞いた話です。
この先生は家系をたどれば河野水軍に行き着き、
祖父の代には子爵だったという家柄のお方でした。
調べればすぐわかるんですが、一応ここではI先生とします。
私がお会いしたときはすでに引退しておられましたが、
現役の時にはベストセラーになったものも含め
何冊も本を出された経済学の大家でいらっしゃいました。
そのI先生がイギリスで講演をなさった時のお話です。
イギリスの空港について入国審査の列に並んでいると、
スーツ姿の男がスッと横に来て、「ロード・I、どうぞこちらへ」と言うんだそうです。
「いや、入国審査をしないと」と答えると
「ええ、しかし貴族の方には専用のゲートがあります」
と言いだすので先生は面食らってしまいました。
「何かの間違いでしょう。私はただの一般市民です」
「いいえ、あなたは子爵です。たとえ日本で貴族制度がなくなったとしても、
ここイギリスでは子爵の家の方は子爵なのです」だそうで。
これ河野なんて人の話? >>317
ここでもいい?
村上吉充は関ヶ原後に毛利家を離れて加藤嘉明領の伊予国野間郡佐方村に移って帰農(廻船業?)しています。
この村に子孫が残っていて近くに菩提寺が残っていて位牌とか系図があるんじゃないかと思います。
来島通則については詳しい資料をみたことがありません。
「玖珠郡史談」に掲載されていた系図についての記事では天正8年生まれ、慶長5年京都で死亡と
手元のメモにあります。
そもそも大名の実子が福島正則に仕えている位なので庶子の可能性が高いのではないでしょうか。 >>317
続き
村上彦右衛門吉清は通総の弟とされています。
来島氏の菩提寺、大通寺に残る系図では通康の成人した男子は
通幸(通之、得居氏、半右衛門)、通総(通昌)、吉清(彦右衛門)、通久(又右衛門)
の4人がいます。
寛永諸家系図伝によると吉清は寛永15年76才で没ということなので永禄5年の生まれでしょうか。
通総と1年違いなので実際には吉清が早く生まれていても庶子で弟とされたのかもしれません。
ちなみにちゃんとした系図や史料には通年の名前は出てこないと思います。 来島氏や村上水軍については不明な点も多いですが、「愛媛県史」の史料や
河野氏、瀬戸内海を扱った研究書を読むと断片的ですがいろいろわかります。
あくまで地方史の世界なので「伊予史談」「玖珠郡史談」あたりを丹念に読むのも手です。 >>318-320
大変詳しくありがとうございました。参考にして自分でも調べてみたいと思います! 堀内氏善率いる熊野水軍に属した人物で
堀内氏善の親兄弟以外で諱のわかる人物っていますか? 信長の鉄甲船と朝鮮の亀甲船が対峙して戦闘すれば歴史に名を残した亀甲船の勝利なの? そりゃぁ鉄甲船じゃ渡海ムリだワナ。あんなの河口に置くだけの船だから。
でも信長なら他の方法取ってるだろ
例えば陸路で港を全部抑えてしまうとかさ。そうすりゃ亀甲船もへったくれもない。 つーか信長の鉄甲船なんて存在自体怪しい。
ぶちゃけ存在しなかったと考えたほうがいい。
話がループしてるのはご新規さんが増えたからからなのか >>327
上のほうでも話されてるが、結局は数。単純に毛利の水軍より多くの船団を織田が用意出来ただけの話。 しかも、織田(九鬼)水軍が劇的な勝利を収めて
以後、毛利水軍が近づけなかったみたいな印象あるけど
局地的勝利に過ぎず、その後も本願寺には水路で兵糧は何度か運び込まれてる。
最後の方で補給が行えなくなったのは、水上を封鎖されていたとか
織田水軍が強かったとかいうわけではなく
陸路の方で秀吉勢が優勢になってきて本願寺の支援どころじゃなくなってきたから 信長が巨船を作ったのは確かなようだが、宣伝に使われただけで実戦には投入されなかったと
考えられる。何故なら九鬼家に、その巨船を運用した記録も戦術も、一切残っていないからだ。
たとえ限定された戦況でのみの物でも、実用に足るものであれば、何らかの形で伝承されるのが
当然なのに、それが無いと言うことは、実戦にはまったく役に立たなかったと言う証拠だと言っていい。 宣伝=プロパガンダって事だろ。
夏休みの宿題は終わったのか? ・鉄甲船はヨーロッパのガレオン船より強かったよ派
・鉄甲船はあったよ派
・巨大な船はあったけど鉄貼りではなかったよ派
・鉄貼りではなかったけど大砲は積んでたよ派
・鉄貼りでもなかったし大砲も積んでなかったよ派
・第二次木津川口海戦そのものがなかったよ派
・鉄甲船はあったがただの飾りだったよ派←new! ちょっとでも戦果があれば、鬼のように宣伝しまくる織田家において、殆ど黙殺されているって事は、
まあ、存在自体がなかったかまったく役に立たなかったかのどちらかだわな。 要は日本の水軍では世界史に名を残す勇ましい朝鮮の亀甲船にはまったく歯が立たないってことだね
実際ボロ負けだったし。 >>339
早く病室に戻らないと先生にしかられるぞ? >>339
当時の朝鮮や中国の史料では亀甲船の活躍の描写なんて極小なんだが?
世界史どころか自国史でも微妙な扱いをしてたのに、
第二次大戦後になって突然降って湧いたよう大々的な扱い。
さすがアジアを始めとして北米南米欧州アフリカ豪州の各地で
「ウソツキ」と呼ばれ忌み嫌われる人種の言葉ですな。
嫌われすぎにもほどがあんだろw
せっせと国技の「捏造」に精を出しておけよw 亀甲船はともかく、日本水軍がボロ負けだったのは事実だけどな
それよりも特筆すべきは、朝鮮に渡った武将の致死率。
戦死はもちろん、向こうの食いもんがマズかったのか病気で死んだ奴が多過ぎw
有能な後取りや家中を支える武将がバカスカ死んでるからな・・・ >>343
この当時の外征は基本的に戦死より病死のほうが多い。
ナポレオンのロシア遠征とか調べてみな。 >>343
日本水軍がぼろ負けって、朝鮮役の事しらなすぎ。
なんかドラマとかのイメージだけで語ってるでしょ。 >>339
朝鮮水軍は閑山島海戦において
推定兵力1500人前後の脇坂安治の水軍相手に
8980人もの損害を強いるという大活躍をしたしな
ボロ負けと言われても仕方がないよな >>345
「不滅の李舜臣」のことか
あれはネタ的には見ておく価値はあるかも知れない
ttp://www.youtube.com/watch?v=ReN8bAbJNzQ&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=wruucp8HkGc&feature=related なら、何故日本軍の兵站が確保できなかったのか?餓死・凍死者が続出したのか?教えて下さい。
十分な兵力と武器を有し、指揮官も優秀で、兵站も確保されていたなら
撤退する理由がないと思うんですが。 気候(日本で言うと北海道レベルの寒さ)
輸送路(荷駄輸送に適していない道だらけ)
水(風土病)
ここらへんじゃない?
兵站については朝鮮半島南岸には届いていたでしょ
ただ、そこから先の陸路輸送が滞っていた
もし制海権を日本が失っていたとすれば撤兵時に大混乱と大損害を受ける
はずなんだけど、それに関しては滞りなく撤兵している ・気候
そんなもん戦前から情報はあったはずなんだから(宗やら波多やら現地へ前から行き来してる連中はいるわけで)
準備はできたはず、なのにそれが防げなかったという事は物資が滞った証拠じゃないの?
じゃなきゃ、華々しい活躍をしたはずの日本指揮官が無能って事になる。
・水(風土病)
これも十分な物資があればある程度は防げるよね。食料事情が芳しくなく
寒さも防げず、体力が落ちたところにもってきての病気の蔓延でしょ?
大将とか御家の後取りクラスもバタバタ病気で死んでるし。
・輸送路
それも考慮して戦略練って兵站考えるのが将の務めでは?日本国内だって山道ばっかりのとこは腐る程あるわけで。
それを考えずにどんどん侵攻して兵站を絶たれたりしてるし。
別に制海権を完全に取られたとは思っていないが、(実際主力武将は行き来してるわけだし)
主に非戦力の輸送船団はバカスカ沈められてるし(つまり護衛するだけの余力水軍の能力・戦力がない)
撤兵時にも大損害とは言わないまでも島津とか苦戦を強いられてるよ。
楽々撤退できたわけじゃない。
また、撤退時は主力をほぼ全部載せてるわけだから、戦力も整ってるけど
戦中の輸送船は主力武将は戦地(陸)で戦ってるわけだから、そんなに戦慣れしてない連中が任に当たってた事が多い
だから輸送が滞ったんでしょ。陸地では連戦連勝だから、朝鮮・明など弱い弱いと兵站担当の官僚が舐めてかかった結果。 朝鮮の役については専門スレがあるからそっちで頼むわー 朝鮮の役の水軍衆の活動についての話ならスレ違いではない 江戸時代じゃなくて戦国時代の軍船の史料ってあるの? 絵として戦国時代の船は伝わってないだけ
文章で表現した史料なら色々とある