>>234
『多聞院日記』の書かれた時代には
「テツハウ」は火薬兵器全般を指す言葉ではなくなっている。
この時代に「テツハウ(鉄砲)」と言った場合は火縄銃のことで
炸裂弾は「焙烙」と呼ばれるようになって
もはや「てつはう」とは呼ばれなくなくなっている。
また>>235に書いてあるように「トヲラヌ用意」という表現も併せてみると
『多聞院日記』の「鉄の船也、テツハウトヲラヌ用意事々敷也」は
火縄銃の銃弾貫通防止を目的とした「鉄の船」といえる。