◇◆◇西国の名門大名 大内氏◇◆◇
義隆って江戸時代くらいに生まれてれば有能な殿様なのにな・・ 大内公夫って何者?
大内姓のまま生き残った子孫いるの? 「塚原卜伝」の大内義興役者は吉見さんというんだね、面白い。吉見一豊って戦国っぽい名前。細川俊之は室町っぽい名前w 西国一の名門・大内氏が
何故に京文化に傾倒していったのか・・・一時期は京都を凌駕していたらしいが 大内氏は華麗だね。貿易のせいか平家と重なるわ。
この家の数代の興亡を大河ドラマで見たかったな。昔の大河で、だけどね。 対外貿易で巨万の富を得て中国・九州北部を含めた
西国一の名門が何故・・・ミステリーやね >>740
お金があるから文化が栄えたんじゃないの。 勿体ないよな〜朱印船かなんかで荒稼ぎしてたんだろ?
交易独占って儲かるんやね 大寧寺の変が発生しなければ南蛮・朱印船貿易も牛耳っていたかもしれないな。 >>742
大河は無理でもBS時代劇ではいけそうだな
世紀末ウィーンのような華麗で愛憎入り混じるドロドロのドラマを希望する 大河の毛利元就で義隆が侍女に手を出したのが正室にばれて揉めるという
昼ドラ的なシーンがあったな
義尊が生まれる頃まで晴持が生きてたらお家騒動になりそうだ。
晴持が義尊の中継ぎか後見人になれれば話は別だろうが。 陶の息子に嫁兼人質として嫁いだ相良武任の娘はどうなったんだろ 嫁いだん?
一笑に付されてお流れになったのかと思ってた 晴持が生きてても義長みたいに実家に戻されるのがオチだな お公家様×姉ちゃんのブランド力でも戻されるもんだろうか 大内家って家督をめぐってよく兄弟と争ってるから
義隆が溺愛してても家臣達は戻ってもらおうと考えるんじゃないかな >>765
石高換算というのは大寧寺の変や倭寇討伐で渡来銭の輸入が滞った後、
言い換えると通貨不足を米で代替する時代の考え方なので
大内が健在だった頃は石高に換算する必要がなかった。 調べたんだけど大内氏ってやりようによって信長が台頭する以前に天下を統一できたんじゃない?
全国の大名で最も経済力があり
(フロイスやザビエルが日本で最も栄えていたのは山口って記述に書いてある)
日明貿易でのコネで鉄砲を大了入手する事も可能だっただろうし
(信長は堺を手に入れるまで鉄砲は戦場で殆ど使ってない)
兵農分離も大内領よりも途上地帯だった尾張で出来たから
大内もやろうと思えば出来たんじゃないの? このスレを「天下」で検索したら
大内がかつて「天下人」と呼ばれた時期があったこと
そしてどうしていわゆる天下統一が出来なかったことも分かる・・・はず、きっと。 そもそも信長以前の時代に天下統一を意識する人がいたかどうかが疑問だな
極端な事を言えば鎌倉時代から小国に分裂してたようなものだし 天下ってのは天子の下つまり畿内を指す
天下人は畿内の覇者って意味だべ 天
―――――
←天の下かつ殿の上
―――――
殿
こういうこと・・・(・∀・)!? >>770
いくらなんでも本国が周防山口じゃ遠すぎるよ。
義稙見捨てて国に帰ったのも、どこかの尼子さんが本国を強襲するとかいう話があったからだし。
同じ可能性を言うなら、三好長慶のほうがあったと思う。 大内は小京都にまでなった本拠地で貿易利権だけ守れれば
よかったということだろうな
そりゃそうだ。何で貴重な人も金も使って自分御領地でもないもの守らんとアカンのかと。 少弐や大友と早いうちに同盟組めれば後顧の憂いなく東進できたんだろうけど
>>779
それをするには、九州にちょっかいを出しすぎた。
大友政親(宗麟の大伯父)なんて、大内氏に捕まって処刑されているし
義長(宗麟の祖父)への反乱も後ろで糸を引いていたし。
義鑑と縁組できてようやく小康状態って感じで簡単にはいかなかったろうね。
大友の長老、吉岡長増は、大内と争っていた豊前の行政責任者。
大内と手打ちしてから宗麟の家督相続まで、なぜかずっと無役、
10年以上干されていた。
同じく重臣の吉弘鑑理の領地は国東・豊後高田で大内とは海を挟んで
目と鼻の先、しかも父親は大内との戦で討ち死にしている。
こんな影響力の強い二人が、大内に対してどんな感情を抱いていたかを
考えると完全に無理だな。
おお、よく知らんが名前だけ聞いたことあるぞその2人。 >>781
宗麟の時代、豊後の二老とか三老と呼ばれた重臣だよ。
大友家は突出した実力者を作らないようにしていたけど、
そんな中でも影響力とか功績の大きい重臣だ。
大寧寺の変は公然と挙兵準備していたと言われるけど
これは創作? >>832
東大寺の関係者が、大内義隆と陶隆房の関係が悪化しているのを
心配していたという古文書が残っているんだよね。 陶氏の領地にもともと東大寺の荘園が含まれているので
それを返上することで揉めたという説もあるね たしか周防は東大寺の知行国という事情もあって>>785の
ように東大寺の耳に入った模様。
>>787
そいつは興味深い説だ。
今まで聞いたことがあるなかで説得力があったのは、
相良武任の重用に対する反発説。
しかも相良武任は、大内氏の大名権力を強化しようと
していたためわりを食うことになる陶氏などの有力者が
反発したというもの。
ちなみに大友氏の二階崩れの変の原因でも、似たような説がある。
・大友義鑑 肥後への政策を変更。菊池氏と仲良くしたい。
↓
・そういうわけで菊池氏から取り上げた領地を菊池氏に返還する。
↓
・そんなわけで家臣にやった領地(旧菊池領)は没収な。
↓
・家臣たち反発
↓
・大友義鑑 反発する家臣を更迭、加判衆総入れ替え。
↓
・だったら代替わりさせてやる。
隆房は勇名を轟かせた親父越えをしたくて大寧寺の変を起こしたのではないかと思ってる 「キル穂は周防の守護大名だったようです」で大内義隆が好きになった
ふざけた内容なのに謎の感動を味わえる迷作
意外にも歴代の大内家もしっかり調べてあったよ
ちなみにそこでは痴情のもつれだったw>大寧寺 大友義鑑の妻になった大内義隆の姉は浮気をするので
送り返され、内藤氏の妻になったそうだな。 最近は新解釈的な発想から異様評価されて
漫画とか笑ってしまうような描かれ方をしている同系列の大名今川なんか
京っぽいド田舎を作っただけで、歴史的にも文化扱いされる大内家とは比較にならないよね
普通に考えれば、ね NHKドラマ「塚原卜伝」では勘合目当てで上洛したみたいな描写だったけど実際どうだったん? 大河ドラマ・大内義隆あってもよさそうなのにな
波乱万丈で最高だろうに 最終回で陶隆房が「敵は大寧寺にあり」と叫んで攻め寄せるんですね
で、義隆がにょろにょろ言って自害と >>796
あってる。
元々応仁の乱の参戦理由も細川の交易利権の奪取が目的だし
足利義稙再擁立も幕府・細川の交易利権の確保が目的。
別に貧しい土地に侵攻して天下統一する気なんてさらさら無い。 それだけおいしい利権だってことだよね>勘合貿易
元値の数倍〜数十倍の利益がでたそうな
プレミア付きすぎだろ 尼子とは殴りあいしつつも、鉄の輸出では提携してたり奇妙な関係だった。 新品同様の「大内氏史研究(マツノ書店・復刻版)」がバザーで1000円で売ってた
書き込み、線引きなどないことを確認して速攻で買ったw 細川や大内って戦国時代を語る上で重要な勢力なのに全く研究されていないよな。
せめて山口大学の学者は毛利だけでなく大内も研究すべきだ。 大内の治世は遊行の為に重税が課せられて領民が困っていたと言われるのが通説だけど
毛利の治世も関ヶ原以降に付いてきた家臣を養うために七公三民で大内以上に過酷だった。
<全国藩別百姓一揆発生件数>
01 盛岡(南部) 97件
02 広島(安芸) 69件
03 秋田 65件
04 荻(長州) 61件
05 金沢(加賀) 57件
06 宇和島 56件
07 徳島(阿波) 42件
08 鳥取 38件
09 松山(伊予) 36件
10 会津 35件
11 庄内 32件
12 仙台 31件
13 高知(土佐) 29件
14 福山 29件
15 名古屋(尾張) 28件
16 岡山 27件
17 新庄 24件
18 延岡 22件
19 上田 22件
20 熊本 21件
青木虹二著「百姓一揆の年次的研究」 弘中は当時の山口県史資料にある書状を見ても隆兼しか見あたらないのに
なぜ隆包に /
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
http://www.karilun.com/img_shop/15/ss52_1368685958.jpg
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
弊社としましても今後メールでのやり取りを差し控えたく、浪速建設様
と同行の上でお会いさせていただきたい所存です。
■http://rfi.a.la9.jp/hn203/kb/kb-main3.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/hn203/ansec/animal.html
/ 信長の野望の最新作では優遇された点と冷遇された点がある。
・優遇
1551年時点だからギリギリ大寧寺の変発生直前である。
中国地方の城が大幅に増えた。ただしライバルの城も増えた。
大内 本城4 支城7 武将23 人口139310 石高2692 兵数19137
(石見:支1 周防:本1支2 長門:本1支1 豊前:本1支2 筑前:本1支1)
尼子 本城4 支城3 武将10 人口99685 石高2321 兵数14416
(石見:本1 出雲:本1支1 伯耆:本1 備後:本1支1 美作:支1)
大友 本城2 支城6 武将16 人口89661 石高2493 兵数13295
(豊後:本1支3 筑後:本1 筑前:支1)
毛利 本城1 支城5 武将19 人口53806 石高1207 兵数8738
(安芸:本1支4 備後:支1)
龍造寺 本城1 支城3 武将8 人口44537 石高1027 兵数6196
(肥前:本1支3)
・不遇
官位、役職の廃止
家宝は大内筒2級、青磁松本2級のみ。瀟湘八景図は持っていない。遠眼鏡もビードロ杯も自鳴鐘も無し。
毛利が傘下ではなく同盟扱い。佐東銀山や神辺も領有している。
龍造寺が従属ではなく同盟扱い。
山口の人口がたった2万2179人。
戦国伝という汎用イベントで南蛮貿易を推進せよ、灰吹法を導入せよ、西国探題(≒長門守護)を自称せよ
というのが発生するけど、全部1551年以前に大内は通過している出来事なんだよな。 大内支城が多いな。革新では中国地方はスっカスカだったけどな 城は増えたけどよく見ると有名大名の毛利と宇喜多の領国意外は
露骨に扱い悪いことに気がつく。特に尼子と山名は悲惨。
本城1、支城0 因幡
本城1、支城1 美作、備中、長門、但馬、伯耆、出雲、石見
本城1、支城2 備後(毛利)、周防(大内)
本城1、支城4 備前(宇喜多)、安芸(毛利)
石見は高津城だけで山吹城は尼子の領有
周防は山口館と徳山城と周防高森城
長門は指月(萩)城と櫛崎城
豊前は城井谷城と小倉城と中津城
筑前は立花山城と鷹取山城で秋月城の秋月文種は独立しているね
石見の本城が銀山の監視の意味合いの強い山吹城というのはちょっと変。どう見ても小京都の津和野でしょ。
長門の本城が櫛崎城じゃなくて指月城なのはもっと変。萩城はまだ存在しないじゃないかw
ちなみに島津なんか薩摩1国だけのくせして支城が8個もあって露骨に優遇されている。 山口県は戦国ネタにしても幕末ネタにしても売り出し方が下手すぎる。
これもひとえに多くの県民が出身偉人に対する無教養なのが原因だ。
それを思うと嘆かずにはいられない。
他の地域は郷土の偉人のためにNHK大河ドラマの誘致合戦を行っている。
http://bushoojapan.com/book/2013/10/05/7033
安倍晋三の働きかけでNHKが38年ぶりに長州を扱ってくれたものの
吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文と主役になりえた人物を差し置いて吉田松陰「の妹」という糞企画に。
これに対しても地元は喜ぶだけで全く異議を唱えない。
近年メディアに流されて地元の偉人をテロリスト呼ばわりする無知蒙昧な輩が増えている。
彼らほどではなくとも多くの県民は20年前に会津で起きた観光史学に関心を向けず
八重の桜を見てやっと事態の異常に気づいて抗議し始めた程度の認識力。
新時代を切り開いた先祖達が泣いているぞ。 山口は田舎だからな。全国的にこういう傾向がある。
要は日本の教育レベルの低さにある。
中津城?あんなのクロカンが左遷されたときに造った城だが、ひょっとし60年代にはあるのかw コーエーw 中津城は萩城をモチーフにしているから
中津が売りに出した時に山口県と萩市で買い取って移設すればいいのにな。
天守閣があるとないでは観光の目玉としての価値に雲泥の差がある。
世界遺産になるかどうかわからない遺構だけでは萩を観光地として売り出すには弱い。 実は本来の大内氏の嫡流は、牛久藩で有名な山口氏のほう。
足利義満の時代に有名だった
大内氏当主の大内義弘の男系の直系の子孫が山口氏。
大内義弘が乱を起こして鎮圧された後
大内氏の当主の地位は、最終的には義弘の弟の大内盛見に移った。
この大内盛見の子孫が、大内義興、大内義隆と
戦国大名としても活躍。
でも、この大内氏は最終的に滅亡し
ずっと前に嫡流から外された山口氏のほうが生き残ったのは歴史の皮肉。 と言っても、なぜか盛見の長男の教弘が持世の養継嗣になって家督相続したもんだから、
教弘が持盛の次男なんじゃね説と教幸が盛見の次男なんじゃね説があるみたいね
あの辺系図と家督が錯綜してて良く分からんちん
あと、柿並の方はまだ分からんでもないけど、任世が実は生きてましたって話は
どの程度信憑性があるんだろうか