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【国人】伊賀・甲賀衆を語ろう IV【士豪】
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/06/30(金) 20:39:08ID:NWYF5afx
前スレに引き続き、伊賀・甲賀衆や周辺諸勢力について語りましょう。
関連ネタも奨励します。

●過去ログ●
【森田】伊賀国人衆を語ろう【浄雲】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1075671167/
【地侍】伊賀・甲賀衆を語ろう U【郷士】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1094889257/
【国人】伊賀・甲賀衆を語ろう V【土豪】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1132381827/
0186人間七七四年
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2009/03/18(水) 17:18:21ID:mmrbpdLF
>>185
実在したようだがそれが何か?
0187人間七七四年
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2009/03/20(金) 15:25:22ID:xVFnuZH/
鎧がどこかに展示されていましたね。
0188人間七七四年
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2009/03/20(金) 23:11:48ID:xmoYoIrh
いったのはずいぶん前なので記憶あいまいだが
上野城にある忍者屋敷の説明では忍者≒火薬技術者的な説明されてた気がする。

どんでん返しや地下室などの仕掛けがあるのは研究室を隠すためとか
煙玉や狼煙などを忍者が使うイメージはその辺から来てると説明されてて妙に納得した覚えがある。

あとこじつけっぽいが雑賀、伊賀、甲賀、敦賀とかの賀がつく地名には山伝いに交流があり火薬技術を伝えたとか
たしかに伊賀甲賀を火薬技術の集積地ってすると雑賀(鉄砲)→伊賀、甲賀(火薬)→敦賀→北近江(鉄砲)ってつながりが出来る気もする。
加賀も加えると一向宗の影が見えてすげく興味深くないですか?
0189人間七七四年
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2009/03/23(月) 13:45:02ID:aDoh3T+7
柳生の場合、

 1:親類に奥原や多羅尾なんかの忍者扱いされてる地侍や土豪がいる
 2:関が原の時の後方支援
 3:宗矩が大目付になったこと

あたりが一緒くたになった挙句、
創作作品での影響で忍者説が出ただけじゃね?
それに近い活動をしたことはあったかもしれないけど、
基本的に柳生(この場合だと石舟斎宗厳か)は武将になるんじゃないかな。
0190人間七七四年
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2009/03/24(火) 17:10:28ID:5xh04OHV
新陰流の門弟が全国にいたので、そちらの方が有用だったのでは?
0191人間七七四年
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2009/04/04(土) 12:52:37ID:3V/IMJIl
>>188
賀のつく地名云々は甲賀の忍者屋敷も同じ事言ってたな
0192人間七七四年
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2009/04/06(月) 20:23:16ID:a3KP0vbl
>>190
それはどっちかといえば宗矩の代になってからだしなあ>全国の門弟
というか、戦国当時の剣術流派の師弟関係って
今思われてるほど強いものじゃなかっただろうし。
0193人間七七四年
垢版 |
2009/04/18(土) 22:48:40ID:9HrBdwQo
しかし、幕府のお墨付きってのはデカいと思うよ。
0194人間七七四年
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2009/04/29(水) 14:48:56ID:vGFrkEc2
とりあえず・・・柳生は忍者じゃないよね?
0196人間七七四年
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2009/04/29(水) 16:39:08ID:M50nh+dZ
そもそも忍者とか侍とかの身分自体がそうがっちりしてなかっただろ。
必要に応じて技能もってるやつを使った程度じゃない?
0197人間七七四年
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2009/04/29(水) 16:47:35ID:A+eQoqzd
とはいえ、あえてでも分類しないと話が続かないでごじゃりまするがな
0198人間七七四年
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2009/04/29(水) 17:53:27ID:L05OLb4I
そもそも忍者という身分なり役職があったわけではないから、区分できないよね?
0201人間七七四年
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2009/05/05(火) 01:26:00ID:X++4Onv1
【今度は忍者だ!】伊賀忍者のルーツは朝鮮半島 服部半蔵は新羅人の子孫 

1 :名無し募集中。。。:2009/04/22(水) 08:53:32.07 0
新宿は元々韓国人学校があって東京駐在員がたくさん居住した地域だ。
今はこの一帯が看板だけでなく事実上、東京で最大のコリアタウンだ。行政区画で新宿区百人町にあたるこの地域と
韓国の縁が何百年かさかのぼるということを最近ある日本人の知人から知った。百人町という名前は
江戸時代にその近所に100人の幕府精鋭小銃部隊が住んでいたことに由来すると彼は説明した。
当時、徳川幕府の護衛兵として抜擢された三重伊賀の忍者らがこの一帯に居住していたと言う。

伊賀の忍者がツツジを植えてこの地域は江戸から20世紀初めまでツツジの名所でもあった。
これを記念して新宿区は1972年ツツジを区花に決め、今も毎年4月末「大久保ツツジ祭り」が開かれている。
伊賀の忍者はどうしてツツジを植えたのだろうか。文献によれば日本にツツジが広がり始めたのは
9世紀に入った平安時代と言う。知人はこのツツジが韓半島移住民を通じて入って来たと信じていた。

伊賀の忍者は韓半島移住民の子孫なので故郷をしのんで他郷の東京にツツジを植えたというのだ。
実際に伊賀で忍者の指導者を輩出して来た服部家は新羅系移住民である秦氏の家系として知られている。
伊賀地域には韓半島移住民が多かく、伊賀焼きというこの地域の伝統陶磁器や酒製造術なども一緒に伝来されたと言う。

1990年代中盤に復活して「忍者祭り」で有名な伊賀市の敢国神社の「黒党」という祭りは服部家の祭祀だ。
この祭りで祭る三大神の中で少彦名命は移住民の秦氏が祭った神で金山媛命は冶金術と関連が深い神だ。
鉄や冶金術が伽揶を中心に日本に伝わったことはよく知られている。
三重出身の忍者がすでに数百年前に大久保駅の近くにコリアタウンを作っていたということだ。

伊賀の忍者がツツジを名物として残したように大久保韓人通りが日本人の胸に良い韓国のイメージを
植える発信地になるように期待する。

http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200904/h2009042002373984900.htm

0202人間七七四年
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2009/05/05(火) 01:28:51ID:khgVVVot
>>201
伊賀には渡来人の子孫が多かったけどね。
だから何?としか思わん。
0203人間七七四年
垢版 |
2009/05/05(火) 16:33:52ID:kcmYImZn
忍者関連のスレに貼りまくってるな
0205人間七七四年
垢版 |
2009/05/07(木) 01:51:19ID:myivBdrf
実家のご本家が伊賀上野出身だわ。
0206人間七七四年
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2009/05/19(火) 12:26:23ID:zeqM08nG
何でも半島発じゃないと気に入らないらしい。
0208人間七七四年
垢版 |
2009/05/21(木) 14:24:32ID:k1c0W5Gy
荒山徹ファンとしては「朝鮮忍者?壇奇七人衆のことか!」とか言っちゃうところだな。
あそこまでいくなら、これはこれで有りと思えるようになる。

(参照:やる夫で紹介する歴史伝奇「魔風海峡」)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1240743842/-100

無駄に起源とか主張するから馬鹿にされるのにねえ・・・。
0209人間七七四年
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2009/05/28(木) 07:08:40ID:5R4kqFwV
>>207
全く同感。
常に隣国への嫉妬や批判によってアイデンティティを保しかないってことは
自分らに何もないことを認めるようなもの。
0210人間七七四年
垢版 |
2009/06/11(木) 18:32:02ID:HbE1upSO
そんなこと言ったら火病っちゃうよw
0211人間七七四年
垢版 |
2009/06/17(水) 14:50:15ID:9ym19lHE
別に誇るほどのものではない
0212人間七七四年
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2009/08/31(月) 17:20:02ID:SwkCVJ41
誰もいないから手裏剣の練習してみる

  ∠. ̄~\/
.〜/ 【】【】【】 スッ 
 | l`・ω・l卍 
  ヽ  ̄ ̄つ
 / し─J



  ∠. ̄~\/
.〜/ 【】【】【】 シュッ
 | l`・ω・lミ   ―=≡卍
  ヽ  ̄ ̄∪   
 / し─J
0213人間七七四年
垢版 |
2009/10/04(日) 23:56:25ID:EFJDtvYZ
甲賀衆の基本的人事用法は下記のようになります。

「因口の間」
偵察する地域の人間になりすまし、情報収集をする。

「内良の間」
敵国の人間を味方に引き入れ、敵国の情報を収集する。
その第一は、女を使って敵の高官と関係を持たせる。
後に敵国の女であることをばらし、「内通を疑われれば今の立場を失う」と脅して利用する。

その第二は、広報にあたっている僧侶を買収して、利用する。
学僧のうち、もっとも優秀な僧は君主の子息の教育係につけられる教育者である。
次に優秀な人材は経済官僚として登用されて、国の運営に携わる。
また外交僧として他国との折衝にあたる。

それらに漏れた僧たちが読経、説法、よるべき寺に在籍できないような僧であれば、辻説法をおこない、読経し、民衆から食を恵んでもらうことになる。

当時、エリートと言われた学僧ではあるが、その階層における第一階層、教授枠、第二階層官僚枠に漏れた僧侶、広報枠の僧侶は、上位僧に対して、コンプレックスをもっていることが多く、反権力志向にはしることがった。
特に、最上位である教授枠に対する批判は、嫉妬と受け止められかねず、自らの自尊心を保護するために、一段上の枠である、官僚僧にたいして批判の声を上げることがある。
これら不満勢力を組織化してシステマティックに統合したのが一向宗であるが、このように、敵国内で、自分の実力にコンプレックスを持ちながら、自分の能力的劣性を認めることは自尊心が許さない虚栄心が肥大化した学識者に狙いをつけて、懐柔する。
その方法は、本来の目的である敵国の滅亡という目的を明かさず、まず、相手へ尊敬と美辞麗句で称賛した上で、自分たちの上の階層の僧侶、官僚僧を批判することが「正義である」と吹き込みます。
「今、この国に問題があるのは、官僚僧が腐敗してるからです。」
「あなたのような偉大な人が活躍できないのは、官僚僧が腐敗しているからです。」
「彼らを批判し、糾弾し、弱体化させることが、正義なのです。」
「彼らを失脚させ、あなたのような人が人々から称えられることが正義なのです。」
とそれらコンプレックスをもっている人たちの妬み心を「正義の戦い」と言い換え、嫉妬による暴走を激化させ、本人も気づかぬうちに敵国を崩壊に導きます。
この工作は、一向宗によって、三河で積極的に展開され、徳川家康はこの思想工作に大変苦しんだようです。


「反徳の間」

敵の工作員を買収して味方につけます。
また、敵に故意に寝返ったふりをして敵の内部に入り込み、情報を収集します。
また、味方に偽情報を流し、それを敵の密偵に聞かせ、敵に報告させます。

「死長の間」
自らの死によって情報を伝えることです。
(楠乃小玉 注釈:武田軍に捕まった徳川軍の伝令、鳥井強右衛が武田に寝返って嘘の情報を籠城する味方に伝えると約束し、実際には援軍が来ると籠城する徳川軍に伝えたため、武田から貼り付けにされた実例があります。)

そのほかには、自分の笠のひもに偽密書を織り込んだり、着物の中に偽密書を織り込んで、わざと敵につかまります。
最期まで口を割らず、殺されることによって相手を信用させ、偽密書が事実であると相手に信じ込ませます。


「天生の間」

敵国に潜入し、情報を収集して生きて帰る。
因口の間との違いは、因口の間は、相手の国の人間が言っていることをくまなく調査し、そのまま本国に送る仕事です。
その情報の重要性の分析は本国の上級の人間が行う。

天生の間は、相手国の経済環境や米の売買、武器、弾薬の売買、木綿の売買や武将同士の確執や出世や失脚など潜伏した偵察員が判断し、本国に危機的状況があれば本国に通報する。
この場合、情報を判断するだけの知的水準が要求され、貴重な人材であるため、できうる限り生還することが望まれる。

これが、甲賀衆の基本中の基本の活動内容です。
死長の間はめったに起こることではなく、敵に捕まったときのために、自分の着物に偽情報を縫い込んでおくとか、笠のひもに織り込んでおくということは、甲賀衆の心得であって、生きて帰ってこられれば、それにこしたことがないということです。
0214人間七七四年
垢版 |
2009/10/04(日) 23:58:17ID:EFJDtvYZ
そもそも甲賀衆の起こりは源義経です。
この人は、近江源氏、通称山本義経です。
彼は鈴鹿峠で平家の物流を混乱させるため、ゲリラ戦を行っていたゲリラ戦のプロですが、彼を背後から支えたのが、京都の一部の神社勢力、中臣氏です。
平家から目をつけられるのを避け、その存在を隠すために、通称、カラス天狗と呼んでいたようです。
これは、源頼朝を支援する熱田神宮の意向があったように思います。

ちなみに、伊賀衆の起こりは楠正成。
楠正成の撹乱戦術と情報戦術を北畠氏に伝え、それを北畠氏が配下に伝え教育したのが起こりであると、当時の甲賀衆は認識していたようです。

本来は、志能便と書いて、物流業務に深く携わっていたようです。
情報収集はその業務の一部にすぎません。
中臣氏は、あくまでも資金援助や、教育、軍略の学習に携わっただけで、実際に偵察活動をしたわけではないです。
いわば、スポンサーみたいなものですね。
実際に活動していたのは、山本義経らです。
0215人間七七四年
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2009/10/05(月) 00:47:39ID:/kv32cEV
しのびの種類

「郷導」
偵察先導部隊です。
土地の者を懐柔して使う場合もありますし、地形を偵察したり敵の位置を索敵したりして本陣に知らせます。
おもに地理的誘導を役割とする集団です。

「外聞」
密偵が集めてきた情報を集積し、分析し、判断を下します。
非常に高等な技能と修練と教育を必要とするので、誰でもなれるものではありません。
また、本当に的確な判断を下せる人材もそう多くなかったので、有能な人材は重宝されました。

「細作(密偵)」
実際に情報を探り、いろいろな情報を集めてくる実践部隊です。

「工人」
これは、戦場において撹乱工作をしたり破壊工作をする部隊です。
堤防に穴をあけて堤を決壊させたり、城で兵糧に火をつけて火災を発生させたり、暗殺もします。
この人たちの活動範囲は戦場限定で、その時だけ手裏剣をもったり、弾幕、煙幕をもったりして、黒ずくめにしている人たちです。
特殊部隊であり、工兵です。
この役職の人以外、黒ずくめの忍者の格好をする人たちはいなかったようです。

「盗人」
これは、風魔が得意とした戦法で、戦災孤児を集めてきて、小さい時から「お前たちの家族は敵国に残忍な方法で虐殺されたんだよ。」と教育し、ある程度育ったら、敵国に侵入させ、盗みや破壊工作を行わせます。
盗みや押し込みをする方は、自分たちが「被害者だ」と教えこまれていますので、どんなひどいことをしても、良心が痛みません。
大概は、役人に捕まえられ、処刑されてしまうので、使い捨てです。
甲賀衆や伊賀衆など偵察教育に非常に多くの金をかけて分析能力を身につけさせた人たちは、人材の無駄使いになるので、このような方法は使わなかったようです。
0217人間七七四年
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2009/11/10(火) 06:28:36ID:mk8NVeBq
戦闘要員じゃないんだよね。
0218人間七七四年
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2009/12/07(月) 22:48:44ID:kPaMCeEV
近代以降の「甲賀忍者」像は基本的には想像の産物。
近世『甲賀古士」の創作した由緒や術法書はこれはこれとして
その歴史的文脈のなかで検討すべきものでしょ。
近世甲賀郡が五万石くらいの大名に一円支配されていたら
彼らも浮かぶ瀬があったでしょうに・・・。
『無足人」く゛らいにはとりたててもらっていたかな。
0219人間七七四年
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2009/12/07(月) 22:49:45ID:kPaMCeEV
万川集海のほんとの成立年代をどこにするのかな?
0220人間七七四年
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2009/12/27(日) 11:57:48ID:KAqN0YFw
江戸期に入ってからだよね
0221人間七七四年
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2010/03/07(日) 09:31:19ID:nq5tyEXz
忍者なんていませんでした。
0222人間七七四年
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2010/03/14(日) 17:56:43ID:Id9QTyD9
>>221
忍者ってバレた時点で忍者失格じゃないの?
0224人間七七四年
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2010/03/20(土) 19:17:36ID:bcCu8EJ7
>>223
余計怪しまれるでしょw
0225月孔雀
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2010/03/20(土) 22:21:07ID:L5sp2GTD
日本猿と遊んでた方が、普通の忍者より凄くなるよ!by利政。
0226人間七七四年
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2010/03/21(日) 07:31:57ID:5JvWPWKP
アホか。
0227月孔雀
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2010/03/21(日) 15:17:22ID:UpDm/lQk
アホと呼ばれたので、お前は、馬鹿>226
0228人間七七四年
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2010/03/27(土) 20:42:10ID:kQQED6F0
>>227
バカも追加してやる。
0229人間七七四年
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2010/04/04(日) 12:59:01ID:DDp5fa67
藤堂高虎が好きなんで、関連の本読むと
伊賀者との関わりが相当濃いよね?
カッコいいっす。
0230人間七七四年
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2010/04/04(日) 19:38:34ID:Sa3KmiUT
>>229
あの地に藤堂家を配置した理由が理由だからね。
0231人間七七四年
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2010/04/05(月) 17:18:57ID:ius2db4G
伊賀者使って羽柴直江鍋島で日本分割
0233人間七七四年
垢版 |
2010/05/01(土) 17:42:48ID:JiZ0Qiac
>>231
ゲームの話はどうでもいいよ。
0237人間七七四年
垢版 |
2011/01/27(木) 02:54:52ID:RuAv67pa
age
0238 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
垢版 |
2011/08/14(日) 00:28:34.45ID:eCGv2vYH
age
0239人間七七四年
垢版 |
2011/08/14(日) 14:30:34.80ID:ksAF1Dig
服部出羽守が華麗に上げ
0240人間七七四年
垢版 |
2011/10/08(土) 18:35:14.86ID:bewimx0q
服部氏はもともとはハタオリ部からきてたんだっけ
今風にいうとアパレル関係の業界の人ってことだな
当時の服飾業界の仕事を通じて全国からの情報が入ったんで情報系の
仕事にも進出して成功したってことだな
同じく楠流忍法の楠正成も運送屋の親分だったんで
同じようにそっちに行った口だな
甲賀忍者も近江の人なんで、近江商人で営業に回ってたんだろうな
上忍とか下忍とか考えたらみんなサラリーマンやら派遣だよな実際
そういえば服部さんとこの部下が日本で始めてストライキしたんだっけ




0241人間七七四年
垢版 |
2011/11/13(日) 02:58:41.93ID:VYeV+KKe
エレ片のノブヤボトークww
0242人間七七四年
垢版 |
2011/11/13(日) 14:58:03.13ID:XSeu9vrk
すみません、教えてください。
素朴な疑問です。

ぶっちゃけ、伊賀と甲賀はどっちが強いのでしょうか?

同じくらいとかは無しでお願いします。
0243人間七七四年
垢版 |
2011/11/13(日) 19:38:00.95ID:fxuCLXth
強いってワケが分からないんだけど
これがゲーム脳か
0244人間七七四年
垢版 |
2011/11/14(月) 14:11:02.12ID:CyQcLQ4P
伊賀、甲賀の10人勝負で、伊賀が勝ったので、
やはり伊賀忍者の方が強かったのでしょうか。
0246月孔雀
垢版 |
2012/01/09(月) 11:49:17.00ID:iD8EKR2+
くノ一の話しよーぜ
0247人間七七四年
垢版 |
2012/02/01(水) 19:33:38.27ID:eOTVf2b5
ナンバープレート裏山
0248人間七七四年
垢版 |
2012/03/03(土) 21:49:33.72ID:DoOd2IRv
te
0249誘致中
垢版 |
2012/03/13(火) 22:19:24.46ID:lskFXV7e
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
0250人間七七四年
垢版 |
2012/03/16(金) 18:45:24.08ID:zFlSJdye
>>246
伊賀は女は一生村暮らしか忍者になるしか道は無かったが
甲賀の女はわりと村から出て行けたらしい。というか
甲賀にはあまり抜け忍という概念が無かったらしい。
なので多分、伊賀の方がクノイチ多そうwww
当時の関所は女に甘かったらしいし、
甲賀の女はわざわざきつい忍者やらなくても
どこか他の村や街で幸せになれるw
0251人間七七四年
垢版 |
2012/03/16(金) 19:58:14.28ID:to2zNuBT
>>242 >>244
普通に伊賀。個人同士の技量の差は知らないが規模が違う。
伊賀国は普通に国。甲賀は近江国の南のほんの一部分。
伊賀はいわば自治国であり、甲賀は近江国に従属していた郡。
伊賀丸ごとすべてが忍をやっていたかというとそこは疑問だけど
伊賀国は戦国時代に有力大名が居なかっただけで、20万石とも実は5万石とも。
対する甲賀は8000石とか9000石とか。格が違う。
近江一国(六角氏)と伊賀一国がいくさしてもどっちが勝つだろう?っていうレベル。
0253人間七七四年
垢版 |
2012/03/16(金) 21:17:07.05ID:VMaYQn5G
>>251
>伊賀丸ごとすべてが忍をやっていたかというとそこは疑問だけど

疑問も何も、ほんの一部だろ。
忍者の数を、甲賀と伊賀で比べないことには意味が無い。
0254人間七七四年
垢版 |
2012/03/16(金) 21:28:16.63ID:FkUXzQIv
里の女は基本、村から出ないと思うよ。
禁止されてるわけではなく、出ていっても身寄りは無いわけで、野垂れ死ぬか野党に教われる。
抜け忍の概念があったとされる伊賀は論外として。
しかし基本、伊賀も女の仕事は忍以外にも沢山あった。
わざわざ忍やるやつなんてあんまり居なかったんじゃね?
ただ、関所は女を容易に通したらしいので歩き巫女を装い、敵地を偵察する女の忍は横行したようだ。
出雲阿国が忍者とされる作品が結構あるけど
これは彼女が歩き巫女だったからだよね。
歩き巫女っていうのはいわゆる女の旅芸人で普通は神社に所属しているけど
ほとんどが無所属で自称、歩き巫女。阿国も自称とされる。
旅芸人であり、旅芸人を生業として敵地を調査したため当然、容姿の良い者が選ばれる。
だから女忍者はある程度の容姿が必要だった。
これが、くの一=かわいい、だと思う。
0255人間七七四年
垢版 |
2012/04/15(日) 22:35:04.76ID:D63IkWHL
散所って結局なんなの?
0256人間七七四年
垢版 |
2012/04/15(日) 22:50:28.16ID:D63IkWHL
散所ってもてない男も受け入れてくれるの?
0257人間七七四年
垢版 |
2012/04/15(日) 23:58:25.08ID:wUsxIH3N
>>251
伊賀は所詮、独立豪族
甲賀は望月を中心とした武士を形成してる

ゲリラ戦なら守った方が勝つだろうが、白兵戦なら甲賀の圧勝

ちなみに甲賀は中忍、下忍で上忍は棟梁のことな
0258人間七七四年
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2012/04/16(月) 23:02:02.99ID:Ebet/+0Y
http://megalodon.jp/2012-0416-2259-58/mainichi.jp/select/news/20120416mog00m040015000c.html
伊賀忍者:ワシントンで「忍術」披露 2千人が歓声
2012年04月16日

「日米桜寄贈100周年事業」で訪米している「伊賀忍者特殊軍団・阿修羅」が
14日(日本時間15日)、首都ワシントンで忍術パフォーマンスを披露、大歓声を浴びた。
ワシントン公演3日目を迎え「全米桜祭り」の屋外ステージに登場。計2回の公演に約2000人の観衆を集めたという。

同行している伊賀上野観光協会(伊賀市)の森本聡志・企画兼施設係長(32)が阿修羅の活躍をメールで伝えてきた。
それによると、桜祭りは、ホワイトハウス近くのペンシルベニア通りで開催。屋外会場は観光客でごった返した。
阿修羅のメンバーは武器を手に、激しい動きの殺陣を披露。
司会の合図で、「MIE!」「IGA!」の掛け声が一斉に響き渡り、盛り上がったという。

体験コーナーも特設され、約3000人が手裏剣打にチャレンジ。
森本係長は「あまりにも人が多く、写真撮影に苦労しました。
大変な盛り上がりで、幅広い年代にPRできた」と成果を伝えてきた。

阿修羅はワシントン到着後、日本大使館を表敬訪問。
13日夜(同14日)には、ホワイトハウス近くの国際スパイ博物館で2回公演。
会場はいずれも観客170人で埋まり、一つ一つの実演に大歓声が上がったという。.
0259人間七七四年
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2012/05/18(金) 17:05:34.91ID:3WSXixmY
いいね
0260人間七七四年
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2012/06/03(日) 19:04:33.33ID:4OmaneKu
「情報のやりとり」で時代を渡り歩いた人たち
0261人間七七四年
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2012/06/11(月) 02:39:58.95ID:fvxs281x
ドラマでお馴染みの山中大和守俊房と山中内匠長俊は実在の人物
0262人間七七四年
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2012/06/14(木) 21:36:52.45ID:BQ1uAtf3
甲賀郡中惣と甲賀五十三家
0263人間七七四年
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2012/07/25(水) 00:18:05.03ID:HoCnHXK8
ho
0264人間七七四年
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2012/08/03(金) 21:39:50.16ID:YfhUgoEk
伊乱記の第二次伊賀の乱で筒井方として登場する中ノ坊忠政は確たる資料で実在を確認できるのでしょうか?
どなたかお詳しい人お答えください。おねがいします。
0265人間七七四年
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2012/08/05(日) 22:37:08.55ID:zaJt+69H
多羅尾氏
0266人間七七四年
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2012/08/08(水) 16:42:55.75ID:2b3/cHzf
後北条も元は幕臣の伊勢氏だから風魔小太郎も伊賀から来たんじゃないの?
0267人間七七四年
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2012/08/10(金) 16:38:32.94ID:ZfC0qa9S
風魔は馬の流通に関わった商人集団だった可能性があるらしい
0269人間七七四年
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2012/09/12(水) 02:08:35.46ID:TKVujguL
>>264
おそらく大和の筒井氏の重臣だった中坊氏の出自なんだろうけど
よくわからない
伊乱記によると、伊賀にも中ノ、或いは中ノ坊を名乗る一族が伊賀の
比土にいたらしい、もしかするとそこの出かもしれない
筒井定次の伊賀転封で筒井氏に同調した伊賀の土豪も多いからね
0270人間七七四年
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2012/09/12(水) 02:20:32.82ID:TKVujguL
伊乱記によると、永禄〜天正あたりまでの伊賀の惣国は
以下の十二人で運営されていたらしい

長田   百田籐兵衛
朝屋   福喜多将監
木興   町井左馬充貞信
河合   田屋掃部介
音羽   音羽半六
島ヶ原  富岡忠兵衛
依那具  小泉左京
比土   中林(村?)助左衛門(中氏、中ノ氏)
布生   布生大善
柏原   滝野十郎吉政
下阿波  植田豊前光信
西之沢  家喜下総

喰代(ほおじろ)の百地丹波、東湯船の藤林長門、千賀地の服部半三、
上之庄の森田浄雲といった万川海集や忍者もので有名な連中は
他国でも有名な傭兵供給源・傭兵家業の大家で、
国内では上記の国衆とは違った位置・階級に属していた人々だったのでは
0271264
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2012/09/12(水) 04:59:07.90ID:3Jvs7ct1
答えてくださる方いないと思っていたのですが、詳しい返答ありがとうございます。
0272人間七七四年
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2012/09/23(日) 01:24:04.97ID:OxDmu+wU
伊賀流忍術ってのは継承している特定の宗家がいるの?
なんか昭和になってからいきなり出てきた気がするんだけど。
0273人間七七四年
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2012/09/24(月) 07:57:40.24ID:HcsweoUR
宗家なんてはなっから捏造じゃないかと思う。
甲賀の方の藤田西湖も、本物では無いし。
0274人間七七四年
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2012/09/26(水) 07:14:36.82ID:tePx4hkL
そもそも伊賀流甲賀流って江戸時代くらいに作られた言葉じゃない?
忍術は基本的には家伝だから、あえて名前を付けるなら◯◯家家伝忍術とかって名前になると思う

今甲賀流を名乗ってる川上先生のところは芥川家の忍術とか教えてるし本物じゃないかな?
武神館の方は九神流とか忍びが実際に学んでた武術を教えてるけど、それを以って忍術を教えてると自称するのはちょっとおかしい気がする
そもそも忍術って道場の中で学べるようなもんじゃないしな
0275人間七七四年
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2012/09/27(木) 04:48:21.87ID:W84SxMrL
>武神館の方は九神流とか忍びが実際に学んでた武術を教えてるけど、

んんん?どうやって忍びが実際に学んでたってわかったの?
それと川上さんはいわゆるニンジャトーを振り回してる動画があるんで
あの人もいつの時代にもいる自称最後の忍者だと思います。
0276人間七七四年
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2012/09/27(木) 06:28:51.00ID:tZN6jY6R
>>274
>忍術は基本的には家伝だから、

その根拠は?
流派化はしないと思うけど、親から子供に伝えるものということも聞いたこと無いけど。
0277人間七七四年
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2012/09/30(日) 14:23:42.33ID:qp8qkfvH
万川集海を回し読みしてたぐらいだから家伝なんて実際は無いね。
0278人間七七四年
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2012/10/28(日) 05:39:52.60ID:zH8rvbqk
ここに書き込む人は荒垣恒明についてどう思う?
0279人間七七四年
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2012/11/01(木) 23:15:12.99ID:nSc5cobd
「日本中世史の再発見」とか「定本北条氏康」に寄稿してる人だよね?
でも東日本の忍者の活動についてが主で伊賀・甲賀とは関係ないんじゃ?
0280人間七七四年
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2012/11/06(火) 06:34:29.95ID:Gq6FSvue
風魔・大藤は紀州の乱波ということがウィキに書かれていたが・・・
0281人間七七四年
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2012/12/14(金) 09:19:32.02ID:0stlBvxZ
伊賀甲賀は江戸時代に伝説化しちゃったから子孫も本当のところはよく知らなさそう。
忍具のひとつも残ってないところからして怪しい。
0282人間七七四年
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2012/12/14(金) 11:41:34.62ID:Fz+BDfNC
今も残ってるような家だと現場で働いてた者じゃなくて、
それなりの家の当主だろうしねえ。
逆にそういう道具はないのかも。
0283人間七七四年
垢版 |
2012/12/30(日) 13:18:16.15ID:mAuHOuD1
百地家でさえ火縄銃しか残ってない。
0285人間七七四年
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2013/02/07(木) 10:19:20.01ID:jf6Jmx39
川上仁一はどう思う?
突然出てきて21代目らしいんだけど系譜は公表しない。
たぶん、戸隠流みたいに突っ込まれてボロが出るからなんだろうけど。

生徒はやはり外人だらけで、流派の系図や史料なし。
伴家忍之傳研修所
http://www.eonet.ne.jp/~bankeshinobi/
0286人間七七四年
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2013/03/11(月) 16:29:10.23ID:T/wb13GV
age
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