【国人】伊賀・甲賀衆を語ろう IV【士豪】
ニューポート大学とやらの大学院で博士号をもらって大学教授になってる人もいるんだぞ。
八巻正治・教育学博士の輝かしい実績
http://hrr.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10634/5876/1/HirogakuDaigakuinShakaiFukushi_3_57.pdf
弘前学院大学大学院社会福祉学研究科社会福祉学研究第3号(2008)
(前略)
第1部研究論文
(中略)
八巻正治弘前学院大学大学院社会福祉学研究科教授・教育学博士(障害者福祉論〉
(攻略)
注・八巻正治氏への教育学博士号はニューポート大学より授与されたものである。
2000年03月27日 『米ニューポート大学』より 『教育学博士(Ed.D.)』の学位を取得
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kikikirinnoki/taxpayers/academism/diploma_mill_aiueo.html
このページではイオンド大学・パシフィックウエスタン大学・クレイトン大学などの
非認定大学の経歴を「本人の履歴」に掲載している(していた)教育者、著名人などを掲載します。
八巻正治教授のコメント
『日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。ディプロマミルと同一視されるのは、とても不愉快だ』
八巻正治教育学博士のコメント、最高です。 うちの実家や近所の家の蔵の中には、刀や槍やらが未だ死蔵されているのですが
やはり、伊賀や甲賀の旧家の蔵にも武器が隠されているのでしょうか?
うちの実家エリアの場合、幕末維新の時代にも刀、槍にこだわった郷士の村なので、
武器が戦中、戦後を乗り越え温存されてたりしますw >>291
大有り。価値もわからず蔵に死蔵。
伊賀上野の城には寄贈された天正伊賀の乱の伊賀方のボス
藤林の鎧・槍が飾ってある。
伊賀越え時に家康を護衛した忍者郷士の鎧も飾ってあったな。
これは忍術博物館 服部正就(三代目半蔵)の幼名って分からないかね?
通称が源左衛門なのは知ってるけど 焼き上がりの風合いには、それなりに類似性があるけど、
土質の差はどんな?
あと、当時の窯業従事者数はどうだろ
人数によって、作陶規模も大体決まるんじゃないだろうか 土質は同じ
規模は甲賀(信楽)の方が大
近代になって六古窯が提唱された際、
伊賀は信楽に内包する前提で数えられた
信楽と伊賀の差なんて、美濃と瀬戸の差よりも更に小さい 信楽は江戸時代に生産規模が大幅に拡大したことから、
戦国時代〜織豊時代における甲賀と伊賀の差は、今ほど大きくなったと思われる
まあ>>297で言っている「差」は、生産規模の差じゃなくて、
製品の作風の差のことだろうけど
美濃と瀬戸の差を比較対象にしている点からして 伊賀焼も信楽焼も同んなじ古琵琶湖層の粘土を使ってるわけだけど、某有名陶芸家曰く、信楽焼が土をそのまま使うのに対して、伊賀焼は土を一回濾してから使うらしい
したがって伊賀焼の方が表面の粒子が細かくなる
耳ありが伊賀焼で耳なしが信楽焼とか言うけど、最近はみんな結構自由に陶芸やってるからその限りではないらしい 忍者ってよりも伊賀も甲賀も特殊な武器を使ったり火縄銃の技量が高かったり
などの傭兵集団だったぽいけどな
根来とか雑賀なども同じようなもん 忍び込んで偵察したり火をつけたりと根来や雑賀に比べりゃ十分忍者っぽいけどな
小説や漫画の忍者と比べてるなら知らん 忍者と言えば苦無・シコロ・手裏剣等様々な鉄製の武具や道具を使うイメージがあるけど、これは伊賀や甲賀が鉄を豊富に産出できたからなのかな?
忍者に伝わる独自の製鉄技術なんかもあったのだろうか その理屈だと備前あたりは特殊な武器の宝庫になってるな 伊賀に赤目の滝ってのがあるけど、赤目って鉄鉱石のことらしい
近くに鍛冶屋って地名も残ってるし、鉄器を製造してたのは間違いないと思う 武士が居住してたところには基本的に鍛冶に関する地名はあるが 伊賀忍者が徳川家康の忍で、甲賀忍者が石田光成の忍で、関が原の戦いで甲賀忍者は
滅びてしまったんだよ。甲賀忍者は全員伊賀忍者に吸収されてしまったんだ。 伊賀も甲賀も関ヶ原の時代には徳川傘下になってんじゃなかった?
1600年代にはとっくに群雄割拠が鳴りを潜めてるから諜報活動も乱破も全国行脚して飛び回るほどの忙しさはないと思う
伊賀の乱辺りで忍が重用される時代は終わった 伊賀も甲賀も雇用主の六角が消滅してるのに、勢力が衰えない筈がない 筆者が、まことのことを書くと
「まことって誰?」
と、トボけ、正体がバレるのをひどくおそれている。 巷のHPや書籍で明記されている伊賀十二人衆の名前の出典って何でしょうか?
校正伊乱記には明確な12名の名前が見受けられなかったのですが、
わかる方がいたらお願いします。 戦前戦中の、陸軍中野学校では忍術の授業があったらしい 少々ものをお尋ねします。私の四代前に江戸住まいの「松本 某」という伊賀者がおりました。
共通の先祖であろう伊賀の松本一族に関する史料や情報があれば、何でも構いませんから
教えて頂きたいです。どうぞよろしくお願いします。 307>>
”甲賀忍者は全員伊賀忍者に吸収”〜は間違っていると思う。
江戸期の島原の乱に甲賀忍者が出兵しているから。 江戸時代末期における幕府直参伊賀者史料をまとめてみました。
公開は9月1日から1ヶ月間ですので、興味のある方はお早めに。
http://fast-uploader.com/file/7091339681884/ >>319
いきなりどうした?その説明じゃあ、ウイルスばら撒きにしか見えない怪しさだけど。
何をどうまとめたの? >>320
ごめんなさい。確かに内容の説明が抜け落ちてました。史料の中身は以下の通りです。幕臣伊賀者
関係者の方々に、何かの参考になればと思ってアップロードしました。どうぞよろしくお願いします。
東京にある氷川稲荷神社(練馬区大泉町5−15−5)に対し、嘉永2(1849)年に幕臣伊賀者が
寄進をした際の「由来書」と、「碑文名簿」から判読できる人々の姓名、役職、それから当時の住所
などを、安政3(1856)年度に調査された「諸向地面取調書」と照合し、結果を記載しました。 >>321
乙です。317がまだ見てるといいけど。 https://youtu.be/9_ZJK76ikQo
甲賀卍谷で弾正屋敷の演出「まあまあといったところか 」発生のバグリスク絆 子供の頃、伊賀対甲賀と対立させたり、伊賀流と甲賀流は別物と煽っていたが、実は
同じ流派で地域が隣同士で敵同士ではないと後で知った。正体も地侍であり、首領
クラスの百地氏等は国人領主であるとことでスパイやゲリラ戦要員として雇われていた
ということなら極めて現実味のある話である。違いとしては甲賀は伊賀と違い上忍である
国人領主支配ではなく中忍である上級地侍の合議制であるということくらいとのこと。 地図見たら分かるけど、伊賀甲賀は普通に上下だからなぁ
ただ伊賀は伊勢と奈良を結び、甲賀は安濃津等から近江を結ぶ印象はある 戦国時代に限るのであれば、伊賀甲賀の違いは六角氏サポーターか否かで分かれそう
というか甲賀付近は何であんなに六角氏支持してたんだろ、謎だ 柘植の創価インポハゲ
しつこい、くどい、ねちこい、妬む、
同性愛、友達少ないから友達になった人に毎日迷惑長電話、50歳半ばで定職なし、パートに行ってもすぐに辞める、
おだいもくと信心と脳味噌と髪の毛が足りませんwww 世間で思われている伊賀と甲賀のイメージが逆の様な
【歴史解説】徹底比較・伊賀忍者・甲賀忍者!!【MONONOFU物語】
https://youtu.be/Jb5MLWFJGRk
https://i.imgur.com/gUFeqIn.jpg 主とまでいっていいかは微妙だけど
まあ協力的ではある 東京帝国大学法学部教授、枢密院顧問官美濃部達吉、幕府御側御用取次薬師寺筑前守元真は、甲賀組公儀お庭番出身である。