武士としての評価は全く高く無かっただろ。
細川家で厄介になってた時もたった300石しかもらってねーし、結局仕官しなかったのは事実。
ただ労役の義務の無い、家臣として雇ったわけでもない客分に合力米で300石もポンと渡して殿様との謁見や鷹狩りも許すんだから、
武芸者としては目ん玉飛び出るくらいの高評価。
林羅山のような学者、烏丸光広のような公卿からも絵を通じて高い評価を貰ってる

人物としての社会的ステータス、評価は高かっただろう。
逆に国政に携わるような人間ではないと思われていたのが実際の所だろうな
まあ明石の町割りとかはやってるし、息子たちは高官になってるけどさ