【木刀】宮本武蔵を語る【サイコー!】
平田無二斎と宮本無二之助は別人ですが何か?by綿谷雪
>>204 未だ分からないというのが現状
>>203 存在したことは間違いない。
細川氏家臣の沼田氏が寛文12年(1672年)に編集した文書『沼田家記』に
無二の子、武蔵が慶長18年(1613年)頃に行った巌流島決闘の記述があり、
ここに無二が登場する。巌流島決闘で武蔵側が一対一の約定を違え、
武蔵の弟子達が巌流島で小次郎を撲殺。
怒った小次郎の弟子達の追撃から武蔵が遁走、
当時門司城代を勤めた沼田延元に保護を願い、
沼田延元は武蔵を城内に保護した後、鉄砲隊で警護し、
豊後に居住する無二のところまで送った、との記述である。 >>203
実在の人物だよ
小次郎という名前じゃないけどね
佐々木巌流という人物が実際に武蔵と舟島で決闘したのは事実
ただおじいちゃんだった説が強いけど
当時の書物に齢十八で剣の指南役に〜というくだりがあって
実は七八の七の字が禿て十になったのではと言われてる 今更なんだけど新免武蔵守藤原玄信の武蔵守って勝手に名乗ってたの? あたりめーだ
正式なものだったらむしろ超エリートじゃねーか 東京創元社の短編の賞の受賞作で
巌流島ネタなのがあって
「これこれこういう文献ではこれこれこういうことになっている」てのをずらっと並べて
最後はムリヤリに辻褄のあった真相を推理するんだよ。
犯人がトリックつかったことにしてw
今度、その巌流島ネタも入っている作品集が出るんで
出版社のサイトの作者コメント読んでみたら
「これ書いた後で○○という文献の存在を知ったんだが
それでは巌流島の決闘は××ということになっていて
どうやっても辻褄合わねえよ・・・orz」みたいなことが書いてあってワロタ >>208
逆だよ。
小次郎の通称はいちおう信憑性があるとされてて
むしろ佐々木の姓が疑わしい。芝居ネタともいわれている。
巌流は号なのか流派名なのか判断の分かれるところ。 >>206
武蔵史料の中では「沼田家記」と下関の民間伝承を編纂した「西遊雑記」が恣意的じゃないという意味で
信憑性高そうに思えるけど、どっちも複数で小次郎撲殺説なんだよね
吉岡一門との死闘にしても眉唾っぽいし最強の剣豪と呼ぶにはあまりにも胡散臭すぎる 最強は誰かと言うと結論は出ないだろう。
だから実績で語るなら、柳生宗矩とかだろうね。
戦場でウンコしてたら背中を切られて失神した事がある。 正直
氏名不詳の巌流の某や
すっかり寂れて染物屋に寂れた元室町兵法所より
後世まで伝承された流派の祖になった高田又兵衛や夢想権之助の方が
剣豪的には格上じゃね? ×すっかり寂れて染物屋に寂れた元室町兵法所より
○すっかり寂れて染物屋に鞍替えした元室町兵法所より
あと
地味なところでは塩田流小具足術の塩田浜之助なんかも。
>>209
> 今更なんだけど新免武蔵守藤原玄信の武蔵守って勝手に名乗ってたの?
オリンピックの書にそうあるが、
本人が「守」とまで自称ていたかは不明じゃないの?
ただ、武蔵と名乗っていたのは事実だろう。
いわゆる百官名というやつだな。
これとても、朝廷が本来の機能をしていれば許されるものでもない。
実際、明治維新直後に禁令が出たことがあり、
このとき改名した人が結構いる。 ここではこの本はどう見てますか?
宮本武蔵―「兵法の道」を生きる (岩波新書) 長年の疑問…(突然失礼)
武蔵の父・無二斎が用いたという当理流十手術…
本当に戦国(室町)時代に実在していたんだろうか?
していたとすれば、どの流派から派生したんだろうか…
個人的には…当理流ではなく、香取(神道)流の当て字…と疑っている。
(香取神道流に二刀の技がある…ただそれだけの理由で…事実上根拠なし) 武蔵は強いわ。五輪の書の一部分だけ真似しただけで調子良いもん 佐々木の爺さんを木刀でフルボッコにした極悪人のスレはここですか? 武蔵二人説が一番有力だっけ?
芸術家と剣術で二人で一人の創作人物 後年の武蔵は食い扶持に困らなくなったから
俗世を離れた芸術家として目覚めてもおかしくない
案外、公家とかと同様の境地かとw 宮本武蔵は乱世を彷徨ってはいない。
事実を捻じ曲げるCMはなんとかならんのか。 集団生活している以上は、国民全員を一人きりで幸せにしてあげられないのならば、人間一人だけ強いなんて事はないし、蹴落とされます。武蔵さんも例外じゃない。強い奴も世の中沢山います。ただおまえらも俺も最低だ ところでニ天一流って槍や長刀も扱ってたのかな?
大坂の陣で長刀を使ってたという記述もあるし、
武蔵個人は使えたんじゃないかとは思うんだが、流派としてはどうなんだろ? 武蔵は勝てる相手としか勝負しなかったと本で読んだ記憶がある。ヒクソン グレイシーと同じやな 宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-【押井守・脚本】
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/animovie/1245514011/
↑の映画によると、武蔵は馬上戦闘を想定して二刀流にしたそうな。
で、彼自身は馬を使う武将・軍師を目指していたそうな。 武蔵が生きていた頃使われた有力な戦術に印地(投石)
とサイ棒がある。サイ棒の応用は佐々木小次郎の時に
やっている。しかし彼が何かを投擲したという記録ってない
みたい。わざわざ特記するほど珍しい技ではないから
書かなかったのか、それとも意図的に消されてるとか
ゃなかろうか。
−−宮本武蔵の五輪の書が愛読書だと伺いました
「宮本武蔵が好きなんだよ。
人とのかかわりあい方を、剣と剣との交わりを通じて解釈して捕らえることができるのが五輪の書だ。
剣を交えるときの忍耐。相手の出方を待ったり、ストライクするときのやり方、ということが、
生活の中の交渉に役に立つ。人と人が交わることが交渉だ。
例えば好きな人が、男でも女でもいたとき、相手とのロマンスであったり、声をかけてみようということも交渉といえる」
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/090820/its0908200415001-n5.htm 播州宮本村にいってきたけど、手作り看板しかなくてワロスww 武蔵は「生まれるのが遅かった剣豪」ってよく言われるけど、
1・2世代前の剣豪(ト伝、伊勢守、石舟斎、一刀斎)のことを考えると、
早く生まれたとしても、結局どうしようもなかったんじゃないかね。
一定以上の石高を得たら、郎党を率いて戦うことも期待されるわけだが
逸話なんかを見る限り、そういう方面の機微は持ち合わせてなさそうだし。 >>242
そいつらがいようがいまいが関係ない
武蔵の時代にだって柳生や小野がいたわけだから。
そもそもそいつらが確実に武蔵より上だって言える根拠はどこにもないし
むしろ後年の武蔵や柳生が提唱した理念の方が兵法としてははるかに洗練されてる そのクラスの連中でも大して出世してないんだから、
そもそも武芸者としての腕の高低は出世とあまり関係ないのでは、ということなんじゃないか?
塚原・上泉・柳生は元々武将だから単純比較は出来ないけど、
伊藤は武蔵と同じで牢人だけど特に出世してないしさ。
というか、そもそも武蔵は本当に出世願望あったのか? 司馬りょーは出世願望あったっていうけど
あいつの言うこと信用に足らんしな
小笠原なんかは武蔵を欲しがったけど、武蔵は辞退して伊織を代わりに推挙したわけだし
後年の武蔵は各国大名にも人脈があった事が記録から明らかになっているし、仕官のクチなんてその気になればいくらでもあったんじゃないか。
若い頃は栄達心があったのかもしれないが、名声を得るうちにどうでも良くなっていったのかもしれない 武蔵の場合、史実を追っていると出世する気があるように見えないんだよ。
後年の武公伝やニ天記で出世しようという姿が書かれているのは、
それを書いた執筆者の価値観が反映されただけじゃないのか? 武蔵自身が起こした書物を見ると
弟子たちが残した伝記に比べて自己の戦歴を誇る向きがあまりにも少ない
巌流島の戦いをあまり語らなかった事なんかは有名だが
どうも世間一般によく言われる自己顕示欲の強い武蔵像とは隔たりが感じられてならない 千日の稽古をもって鍛とし
万日をもって錬とす
ぜんぶひらがなでよんでもらえませんか 自己顕示欲が強くて虚言癖のある剣豪って武蔵じゃなくて小野忠明の事だよな
武蔵に勝った、宗ノリに勝った、と息を吐くかの如く嘘を吐くw うちの剣道の先生八段に武蔵と勝負したら勝てますか?と聞いたら、勝てるわけないだろと、殴られた >>250
言ったのは本人じゃなくて弟子なんだし、そこは割り引いてやろうぜ。
武蔵だって後付で弟子が結構好き勝手言ってるんだし。
ま、当時の状況を考えたら気持ちは分からなくも無いけどな。
格で言えば、大名になった柳生とは比べ物にならないし、
強さの評判で言えば、武蔵よりもマイナーだし>小野
その二つに勝ったっていう話が作られたのも、コンプレックスの裏返しだろうしさ。 でも、最後に勝ったのは一刀流だぜw
維新の原動力にもなって、剣道に進化したのは一刀流ww
新陰流もニ天一流も幕末には衰退しきってミジメwwwwwwwwwwwww >>253
剣豪スレでも同じようなこと書いてフルボッコにされてたな。
バカかお前。
維新の原動力ってどういう寝言だ?
一刀流がそんな大層なもんだったら廃刀令なんて出ねーよ。
玄武館だって維新後一回潰れてるくらいなのに。
坂本龍馬が江戸に出てくる理由のひとつくらいが関の山だろ。
あと、わかっててやってるのか気づいてないのかどっちか知らんが、
剣道の竹刀も防具も新陰流が大元だぜ?
剣道の意義になってる「活人剣」も柳生宗矩が確立したものだし、
むしろ一刀流が剣道に与えた影響って技法くらいしかないぞ。
その技にしても、直心影流の影響が結構あるしな。 本日の日経新聞朝刊40面(文化面)の「私の履歴書」細川護熙28回に、こう書いてあるよ。
巌流島で武蔵に木刀で打たれて小次郎は絶命したというのが通説だが、領主である細川家の記録には
小次郎は脳震盪を起こして気絶しただけで、その後蘇生したのを見た武蔵の弟子らがこれは大変だととどめを刺した、と。
武蔵に関する記録は細川家に残る記録が唯一の公文書である >>256
今更過ぎるな
日経編集はとりあえず手始めに原田夢果の著書でも読め このスレの人たちは押井守原作脚本の「宮本武蔵 双剣に馳せる夢」
見た?
それほど歴史に詳しくない俺でもちょっと違和感あったんだけど。
このスレ的にはどうなの? >>259
無茶苦茶。
「武蔵は武将になりたかったので、馬に乗って戦う為の馬上剣法として二刀流を編み出した」とか
トンデモってレベルじゃねーぞ。
馬上なら槍使えばいいだろ。
武蔵自身、状況に応じた武器を使えって言ってるのに。 つーか、武蔵は出世しようと思えばどうにでもなったんじゃないのかねえ?
生まれからして赤松に連なる公家の末孫とも言われる新免、その話が虚か実かはともかく、武門の出として決して悪くはない
諸藩譜代大名らとの交流も篤く、林羅山ら知識人層の評価も高い
経歴を見れば単なる兵法家ではなく名士としての評価もされていたことが十分推察できる。
本当に出世欲に塗れた俗世間的な男だったのかねえ? その辺の混乱は、武蔵本人の記述・言動と、
後世の人間が書いた創作した話が混同されてるのが原因だろうな。
武蔵本人の行動を追う限り、いわゆる出世欲があったようには到底思えん。
だからこそ余計にトンデモさが浮き上がるんだ>押井版武蔵 養子の宮本伊織は母ちゃんが小原城主の一族だし
伊織の実弟の玄昌は母ちゃんの実家を継いで法眼まで出世したくらいだし
ハングリーな出自だったとは
とても思えないよね。
というか、武蔵自身にも年を経るにつれて心境の変化があったのだと思う
尾張に逗留していたころに柳生の門人と試合をした事を顧みて、
「無分別な事をしてしまった」と自嘲するエピソードがある。
この話が真実か創作かはともかく、十三で有馬喜兵衛を殺し、十六で秋山、と他流試合を重ねて行く所から、
若い頃はそれなりに自己顕示欲の強い青年だったのかも知れん
後半生で名声を得てからはもう、すっかりそういう臭いは抜けて行くわけだが
仕官を求められても伊織を代わりに推挙したりして、半分隠居状態みたいなもんだしな。
まあトンデモの先駆者は間違いなく司馬遼太郎の真説宮本武蔵だと思うけど。
司馬りょうは武蔵の残した芸術を「自身が認められないフラストレーションをぶつけた結果」とか言ってるからな。
難癖と言うにも酷い。 若い頃は若者らしく血気盛んで、修行を積んでいくに従って、心境が変化していった、というのは納得できるな。
そうでもなければ戦場に出たりもしないだろうし。
しかし、どうして武蔵ってこう毀誉褒貶が激しいのかね。
別に武蔵が完全無欠の超人だと言うつもりはないけど、
それにしたって殆ど言い掛かりに近い誹謗中傷が多過ぎる気がする。 名声が高いが故に、踏み台にされるってのはよくある事だろ。
うちの先生は武蔵よりすごい、と言えば、とりあえずわかりやすいからな。
柳生宗矩と並んで引き合いに出される筆頭だし。
で、柳生の場合は政治家でもあるから俗物呼ばわりもしやすいけど、
武蔵はそういう意味では超俗的だからな。
だから、くだらないことにケチをつけるくらいしかないんだろ。 >>266
>>名声が高いが故に、踏み台にされるってのはよくある事だろ。
うちの先生は武蔵よりすごい、と言えば、とりあえずわかりやすいからな。
武蔵の批判屋と言うのはそういう話を鵜呑みにして、
「武蔵伝説は嘘だった」「武蔵は弱い」と短絡思考に走るからな。
奥州の無敵流を称した武蔵とか
徳川家臣の無敵流・武蔵とか
どー考えたって武蔵玄信の事じゃねーべ
小野忠明や村上吉之丞の話もとても信憑性があるとは言い難い
しかもそう言うのはまだ良い方。
ネットでは沼田家記の記述が誤読されたのか何なのか知らんが、
「武蔵は小次郎を弟子と数人がかりで寄ってたかって殺した」なんて妄言を未だにちらほら見るよ
もはや捏造レベルじゃん、って
けど武蔵って大阪の陣にも島原の乱にも出てるんだな。
無双状態だったんだろうか。 大坂の陣はわからないが、島原では敵の投げた石に当たって退散。 >>263
てゆーか
理応院スペック高すぎだろ
・宮本武蔵の兄嫁
・三つ年下でも義理姉
・小原城主(大原城主?)のお姫様
・子供たちは美形揃い
・次男は小笠原藩家老、四男は法眼 >>267
単なる逸話や創作を
「信憑性は薄いが、そういう話があるという事自体、
武蔵という人物を考える点で参考となるのではないだろうか」とか、
わけのわからん理屈で捏造を正当化する馬鹿もいるからな。
少しズレるが、そういう意味で武蔵と同世代だと、小野忠明は最悪に近い。
あれほど逸話が捏造と自流派弁護に満ちた剣士も珍しい。
DQN同然に相手を不具にしたのを武勇伝扱いにするとか、
柳生に勝った、武蔵も逃げた、とかありもしない勝ちを捏造した挙句、
そういう話が出るくらい強かったのだ、とか、クズというか、ゴミにも程がある。 >>島原では敵の投げた石に当たって退散。
これをまるで失態であるかのように語る馬鹿どもも居るから困りものだな
戦傷を受けると言う事はそれだけ前線に居たと言う事。島原の時点で武蔵は50越えの隠居爺だ。
普通「老齢でありながら最前線に出て奮闘してた」だろ?
なぜ「武芸者としてあるまじき失態」とかいう真横に行くような発想になるのか?
大体、戦傷と言うのはそもそも論功になる。
ゲームと同じような発想してるんじゃないかね。じゃあ必死に戦って武運拙く討ち死にした人間は「ゲームオーバー」とでもいうのか?
勇敢に戦って生還したら普通は英雄だろう。
アホと違うか。 >>271
まあ、>>253みたいに、江戸時代初期の剣士同士の比較に
何故か200〜300年後の幕末や現代の話を持ち出す奴もいるしなあ。
その理屈でいいなら、毛利輝元は家康より凄いって理屈も成り立つだろうに。 今の剣道でも竹刀二本使ってもいいらしいと聞いたが
これはガセネタかな。
>>272
負傷しながら敵を多数討ち取って大活躍したとかならともかく
城壁登ろうとしたら石が脛に当たって退却、結局何も戦果を挙げられず何日か寝込んでいたというのだから
十分に失態というか間抜けというか…( ーωー)
しかも武蔵は仕官の望みを捨てきれずいたとこに戦であるということでえらい張り切っていた
老齢の身でありながら参陣し仕官の望みをかけて突撃したのに百姓の転がした石でこの有様
武蔵の夢はここに潰えたお
寝込んでいたのは痛みだけのせいではなかったかもしれないお( ^ω^) >>276
お前も武蔵が出世したかったとか言ってるクチか
まあこのスレの流れを見るだけでわかる事だから特に言うまでもないと思うが、
出世が理由ならこの時点で武蔵がわざわざ戦なんて出るまでも無い
武蔵と小倉藩は個人的にも関係深い、伊織の仕官のきっかけでもあるし。しかも笠系大成付録に旗本一番と名前があるから、この時点で並の扱いでは無い
で、投石で負傷したと言う事は、城は陥落間近であったと考えられる
まあこの辺から考えてみそ
>>274
片手だと有効打取りにくいからやる人は少ないけどな >>271
そういや柳生に勝った、武蔵に勝ったと言う逸話は多いが、
「あの小野忠明に勝った! うちの師匠は凄い!」ってのはあまり聞かんな
所詮、ヨタ話にすら上らない程度の認識だったのかしら 柳生と戦ったとか槍の法僧院と戦ったなんてのは創作なんだよね? かなり遅い時代の文献にならないと出てこないんで
そのへんは信憑性低い。
ソースの確かさなら
やっぱ高田・夢想が二強かなあ。 >>278
そもそも島原の乱自体、総勢15万以上、幕軍側の上使が討取られ、死者は8,000人に上るという大激戦だったね しかし、武蔵の合力米300石というのは随分と厚遇に思える。
五公五民で600石相当、四公六民だと750石相当、しかも軍役無しなら、必要経費は馬と小物が数人で足りる。
武蔵の可処分所得って今の金で幾らくらいになるのかな。計算方法によってかなり幅が出ると思うが。
仮に一石2両、一両20万円で単純計算すると総収入は年間1億2千万円になるが。
下世話な話題ですまん。 >>284
必要経費は七人扶持十八石で賄えてるんじゃね?
300石って純粋な収入かと。
下手したら兵庫助や忠明より収入は多かった可能性があるな >>285
ま、俸禄の半分以上は家来の扶持に消えるとも言うから正式な家臣よりは裕福でしょう。
武蔵のような客分の軍役負担はどういう形になるのか。正式な家臣はいろんな資料や研究があるが
客分の武芸者の負担はどうなのか?
算盤片手に小まめに帳面をつける武蔵というのも変だし、憶測しかないのかな? >>286
武蔵に関しての経理は弟子でもある塩田浜之助が管理していたとも言われるが
塩田であるかはともかく、細川の人間がやっていたと言うのは間違いなさそう
客分という事は形としてはあくまで細川家に逗留している間の滞在費という形だから、労役等の義務はなかったように思う
忠利に請われて何度か御前試合をしたり会談したりという逸話は残ってるが、それって労働じゃないだろうし
司馬武蔵は真説ならぬ珍説だよな
どうしてあれが「武蔵の現実の姿」などと絶賛されているかわからん
我欲を捨て去った仏法僧のような吉川武蔵と対極的な武蔵を論じているだけで、極論、トンデモの典型というのは変わらない
訳知り顔で司馬武蔵のステレオタイプなイメージそのままの武蔵を実像として語る人間にこそ
「小説を真に受けるな」と言いたい。
あれは小説と言うより論文と蘊蓄だが >>279
「ウチの先生最強!最高!」ってやりたいなら2番目を倒しても意味ないだろ?
そういうことだよ。
とりあえず、小野忠明の逸話に柳生と武蔵が両方出てきて、
柳生と武蔵の逸話には小野忠明が出てこないことが全てを物語っているかとw
まあ、一刀流の人間はその辺を都合よく解釈できるのかもしれないけどねww >>271
前に一刀斎マンセーで
武蔵の逸話は一次資料が見当たらない、身内評価ばかりだから信憑性が薄くて剣豪としての腕を評価するべきでは無いなどとさんざん講釈垂ながら
柳生十兵衛が忠明に弟子入りしたのは歴史的事実だとか平気でぬかす香具師を見たぞ
所詮、批判好きな連中はその程度の見識しか持っていない 五輪の書って読んで見たいんだけど、文庫で売ってるの?
中身ってさどんな事書いてんの?
私はこうやって吉岡一門を倒しました
とか自伝みたいな部分もあるのかね? >>291
俺も文庫でしか読んだことないから偉そうなことは言えんが
巻ごとに分野が分かれてて序文があって、箇条書きで要点が簡潔につらつら書いてあるような感じ
原文ママだとわけわかんなかったから諸般の本の訳と一緒に照らし合わせて読んだけど
文庫でよければ、市民図書館や大学図書館とかにあんじゃね?
俺は大学の図書館で借りたけど 岩波文庫で売ってる。
ただし武蔵の戦歴で紹介されているのは有馬喜兵衛と秋山某くらいで
内容は「実戦ではこうやって戦え!俺はこうやって戦ってきた!」というマニュアル本。 五輪書と兵法家伝書を読み比べてるんだけど、
内容も通じるとこがあったり、見解が違うところもあったりで、
そのまま武蔵と宗矩という当時を代表するニ剣士の違いが出ていて
なかなか面白いよ。 五輪の書で読み解く〜みたいなのは
パチモンだからだめだぞ! >>254
五輪書は読んだことあるけど、兵法家伝書ってのはどんな内容なんだ?
通じるところってのはどの辺? >>296
この辺がわかりやすく書いてある。
長いけど読みやすい。
【やる夫で学ぶ柳生一族(外伝その3・前編1)「解説・兵法家伝書(進履橋・殺人刀)」】
http://tagenmatome.blogspot.com/2009/10/blog-post_18.html
個人的には同じような感じで五輪書の紹介もやってほしい。 「至高のライバル」
互いがいたから、互いに偉大になれた。「伝説的ライバル関係」といえば!
http://sentaku.org/social/1000017335/ 一般的には武蔵といえば小次郎だろうけど、
現実の武蔵にライバルなんていたのかね。
実力的にどうこうというより、武蔵の意識上の問題なんだけど。 司馬の真説宮本武蔵読んだけどいまいちわからないな。
結局吉岡とは戦ってるのか?武蔵に関する史料ってどれくらいあるんだろ?
なんか120歳まで生きた老人の話を一番信用してるみたいだが。
もっと記録残ってないもんかねえ。 間違いなく吉岡とは戦っているだろ。
何しろ江戸時代最高の剣豪エピソード収集ヲタ
日夏繁高が「勝ったのか負けたのか、諸説あり過ぎてどれがホンマかわかんねー」と
サジ投げたくらい諸説飛び交ってたんだから。 日夏繁高って調べたら江戸時代前期から中期の人物らしいが
江戸時代中期でもう諸説飛び交ってたのか。てことは実際はともかく
江戸時代中期から武蔵は有名人だったって事なのか 日夏繁高の『本朝武芸小伝』で
武蔵の扱いは他の武芸者よりも大きいから
武芸者業界ではすでに超のつく有名人だったのは間違いない。
一方、源徳修斎の『撃剣叢談』はけっこう辛らつ。
まあこの人は誰に対しても考証癖全開なんだけれども。