雑兵足軽の実状
14世紀の春日権現験記絵でも未だ歩兵が大鎧を使用しているが
此れは何時頃廃れたのかだが http://jyouhouya3.net/2010/06/post_363.html
>火縄銃を撃ってから次の発射までに要する時間が早くて30秒。で、射程は100mくらい。足軽たちはこの100mを30秒以内に駆け抜けられるかが生死の分かれ目だった。
日本お火縄銃は一斉射撃はせず散発的に発射されるから
一発放たれてから突撃しても損害は出るのかだが webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046171
右の薙刀を持つ兵は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
>荷宰料(足軽)
と言う事なのかだが
此れは備には4名居るが
薙刀では無く長巻を装備していた可能性も有るのかだが 雑兵物語では弓は鉄砲を装填している際に放てと有るが
2町(220m)の遠距離射撃では弓はこうした援護射撃は困難と言う事だろうが
1560年辺り迄は鉄砲の多い勢力が弓をアウトレンジする為に
2町以遠からの射撃を多用していた可能性は有るのかだが
220m辺りで銃を撃ち合い
次は110m辺りで弓の撃ち合いと成った後
近接戦に移行していたと言う可能性も有るのかだが
其の前に石の投げ合いはしていたのかだが
地形の問題で射撃距離が110m以内であれば
鉄砲の装填時に弓を放っていたという事なのかだが webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046177
雑兵物語を見ると足軽は籠手は標準装備なのかだが
槍足軽以外籠手は無い可能性も有るのかだが
歩行侍も脛当は無いが
実際は装備していた可能性は有るのかだが city.kikuchi.lg.jp/pub/25832_filelib_b44ac16364a0711e6a9467392a41727b.jpg
上の蒙古襲来絵詞の様に歩兵の鎧の縅糸も
模様が有る例が有るのかだが
騎馬武者にさえ無い例が多いが
こうした模様が有るのは精鋭部隊の歩兵だけなのかだが
騎馬武者用の模様の有る胴丸を奪った物の可能性も有るのかだが http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/45889458.html
>上杉家は謙信以来、足軽は軽装が基本。
陣笠かぶってればマシな方というぐらいの軽装。
逆に武田家は足軽といえど重装で、兜と手甲は必須。
時代もあるだろうけど各家によって経済状況や戦術思想が違うので、それを反映して武装も当然ながら違う。
上杉軍は車懸り等機動力を重視しているから
軽装なのかどうかだが
垣盾は野戦では使用したのかだが 雑兵:兵
足軽:下士官
足軽大将:曹長
侍:尉官
侍大将:大佐
総大将:大将 http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/223
狩猟用には160cm程度と
満州弓より短い半弓が使われたのかだが
此れが実戦使用された可能性は有るのかだが
村の自衛用程度なのかだが 上杉は越後75万石
武田は甲斐15万石
兵を使い捨てにできた上杉 越後40万石無いけどな。しかも揚北衆は同盟国と考えるべき
織田で言えば徳川も加算してるようなもん 戦国時代について質問です。雑兵物語に、最初に戦うのは御侍衆のやりからだぞ、とありますが、侍が短いやりで突撃したあとに足軽が長いやりで上からたたくのですか?逆だと思ってました 長柄足軽は主に防御的な兵科で、たとえて言うと生きてる柵や塀です。
侍が有利に戦うためのサポート役で積極的な攻勢には出ませんし、
史料上も長柄足軽が武功を立てた例はごく少ないです。 最初は鉄砲と弓矢を敵陣に放ち長柄部隊を浮足立たせ、
その隙を騎兵や槍術に長けた侍衆が斬り込むってのが基本的な攻め方 端の方なんか指揮らしい指揮こねーから空気読んで進んだりしたもんだよ
人気の無い所で雑兵同士がカチ合ってもお互い取る物も無いからスルーしたりさ