雑兵足軽の実状
>>503は所詮、家から出た事のない引きこもりニートが知ったかぶりをしているだけのレスだからなあ。
戦国時代にそのまま当てはめられないんだよね。 >>491
長槍隊は横長に並び、号令や陣太鼓で進退。
槍先を揃え、エイ、エイ、エーイと掛け声でリズムを取り全員一斉に振り下ろした。
この雑兵物語に酷似した戦法は、江戸後期の武田流槍術の操練にも残っているよ。
和槍は材質上ボヨンボヨンしなるから、長槍となると突きの目当てがしにくそう。
敵を叩くための木槌がついてる槍もある。 >>508
>チンピラ
そう、チンピラ。
大体専業武士の下っ端がお行儀の良い連中の集まりだとでも思ってるのか。
>当なことばかり書き散らしているわけか
自分が適当なことを書き散らしているからって他人がそうだとは思わないほうがいいぞ。 大坂の陣と戦国時代の軍制は大きく違うだろ。
支配体制も装備も異なるのに。 足軽の武器 鎧のフル装備って何kgくらいの重さだったの? >>513
フル装備なら結構な重量あるだろ。大阪の陣のとき家康が、出陣の時から鎧着込んで張り切ってる足軽見て、
「ああいうのが出てくるから太平の世はダメだ」と言ったとかどうとか。
案の定その足軽、行軍三日目くらいにへばっていたとか。 >>514
でも、実際足軽が駄馬や伴をつれていってるわけじゃないし、着ていくか持って行くかしかないよな。
持って行く方が疲れないんだろうか? 通気性とかをあまり考慮してない物は、着てるだけで疲れるし 長槍と通常の槍を同じ使い方だたと思っている人って結構いるのね。
>>516
剣道着を着て何十キロ先の会場に行くのと、会場で剣道着着るの差だと思う。
不可能だったのを承知の上で、応仁の乱の後に出た足軽廃止論が、もし実施されていたらどうなったんだろう。 >>523
軽輩のものから徐々に一騎打ちみたいな戦争形態になるんじゃね?
この時代にも戦から帰ってPTSDとかになるやつっていたの?
黒田の兵が左近との戦いを思い出してうなされるてたみたいだけど PTSDよりも医療の未発達による破傷風などによる死亡や怪我の悪化のが問題なんだぜ。
あと、
・大量破壊兵器の実戦投入
・殺すべき敵と殺してはならない民衆のジレンマ
は20世紀以降の戦場に現れるストレスで
それ以前は大量破壊兵器も人道未発達なので民衆を殺してもそこまで問題にならない。
無かったわけではないと思うが、戦場でのストレスは20世紀以降と以前では段違い。 うむ。それに実は当時の合戦は死亡率も低いし、しかも動員されても、実際に合戦に至る事も稀だったし。 528は人を殺したPTSDじゃなくて、殺されるかも知れない
恐怖によるPTSDの事を言ってるんじゃないの? 足軽の具足は御貸具足で統一されてたようだが
その下に着る具足下衣ってのも統一されてたのか?
それとも自前で各自色形がバラバラ? >>530
鉄砲が普及するまでは落ち武者狩で殺されるほうが戦場で死ぬより多かったんでないの? PTSDになったら当事はキチガイ扱いで追放か幽閉か抹殺か。 連投でスマソ。
小早川秀秋はPTSDに当たるんじゃないかえ? PTSDと言うのは便利な病気で、取りえずどんな症状でも、それに当てはめる事ができる。 足軽って江戸時代だと士農工商それ以下のどこに入るの? >>537
いわゆる同心が足軽。
八王子千人同心のような半農半士から、
町奉行所の同心とかももれなく足軽。
江戸時代同心は粋でいなせで江戸の女性から人気のある職業だったんだが、
幕末の出陣のときに彼らが足軽だと知ってがっくりした女性が多かったとかなんとか。 騎馬レベルの士分はそれこそ高嶺の花だろうからなあ。 足軽は士じゃなくて卒だよ?
士農工商の士と農の間の身分。
だだし、藩によって立場が違う。
>>540の言うように徳川幕府が雇っている足軽は士分に準ずる立場にある。
臨時雇いではなく常雇いで世襲制。 >>540
>>543
幕府=将軍様からお扶持を頂いている足軽も、八丁堀の町方同心も、どちらも
あくまでも臨時雇いの扱い。
諸組同心には【ご譜代席】と【お抱え席】の2種類があり、【ご譜代席】ならば
当主が死亡或いは隠居すれば子供乃至その身寄りが家を継げるが、【お抱え席】は
あくまでも『番代』と称して、新規お召し抱えの扱いを受ける。
ところが、町方同心に至っては【お抱え席】どころか、単年度契約扱い。
毎年大晦日に支配与力の屋敷で、「長年申し付ける」という口頭辞令(?)をもらって
幕府から翌年度も再契約してもらう形式を幕府崩壊まで続けていた。
尚、幕府では足軽という身分は同心よりもまだ下。
そんなわけで【同心】の年俸は30俵3人扶持〜15俵1人扶持。(功績・年功によっては
その人1代限りで100俵くらいまで加増されることもあるが)
その他に何がしかの役料(役職手当)が加算されることも。
【足軽】はもっとお給料が安い。
>>544
与力は旗本扱い。すると旗本の下がいきなり臨時雇いになるわけ? 戦国時代には流れの足軽と言うか、傭兵部隊みたいなのがいるね。
それが、兵力の足らない時、主力部隊を出さない戦場で使われてる。
長篠のあと家康が遠江を回復する時、こう言う傭兵部隊雇って諸城の回収やらせているね。 何処も戦争やるときは臨時雇いを募集してるみたいだけどね。
条件から見ても結構必死だよ。
有名な戦争中は白米食えますよを筆頭に、
給料はずみます、手柄立てれば褒美上げます、正規採用への道もあります、
前科ある者は赦免しますとか、
強盗働き(つまりは忍びの真似事)出来るやつ優遇しますとか、
結構笑える。
傭兵といえば、陣借りで正規採用を狙う奴いるし。
有名な武士だと、関ヶ原の時の可児才蔵がまさに陣借り。
首をとりまくったこともあって、正規採用されてる。 >>548
ちょ、すっげぇ面白そうw
どこの大名がどんな条件とか原文付きで紹介してくださいお願いします >544
幕府の足軽というと御徒じゃないほね、御徒は同心だし・・。
幕末の歩兵は中間小者扱いだし。 >>551
お徒士はお目見以下ですが、後世の下士官相当の「下士」です。
同心はそれよりはるかに身分の低い兵相当の「卒」です。
どちらも騎乗が許されず、お目見以下という点は同じですし、諸組同心にも出世の道が
まったく無いわけではありませんが、お徒士よりもはるかに席次は下です。
そもそも「下士」と「卒」では全く別の階層ですよ。
幕末の兵賦で集められた「歩兵」は幕府直属の中間や小者以下で「小揚の者次席」です。
もっとも、「歩兵」が旗本層の陪臣である中間・小者といい勝負の扱いってのは事実です。
>>550
藤木久志って頭の悪いサヨ電波学者だっけ? >>553
著者の思想的傾向くらい、自分の中で取捨して読めよ。ガキじゃないんだから。 553がガキの可能性だってあるだろw
ま、読んで批判するならともかく、
読まないで批判するような奴が頭のよしあし論じるなんて冗談にもならんがな。 藤木の著作の場合、内容は眉につば付けながら読まないとな。
上杉謙信略奪説みたいな電波も飛ばすし、
刀狩じゃ憲法九条論に結びつけちゃうんだもん。
しかも読者の多くが無批判にこれらを受け入れてるので厄介極まりない。 陣借りはまぁ、今の派遣だなぁ…他人の褌で相撲をとるわけだが、しかし現代はほんとうに平和な安息な時代だなぁ(´・ω・`) >>556
「食うための戦争」論は、確かに面白いことは面白いけど、
戦争は政治の一手段という、支配者側の論理が抜け落ちてる感があるしな。
謙信の関東侵攻は掠奪目的説って、結構突っ込み所が多いイメージだが、
学者さんで反論してる方って誰かいたかな? >>558
どの学者も一定の評価はしているけど、スタンスとしてはそればかりではないって
感じじゃない?
略奪はあっただろうけど、それはあくまで合戦の結果起こった事で
主目的ではない、って感じの 戦国期の雑兵足軽たちの兵糧って、誰が負担してたか知ってる人います?
本人達?そのスグ上の組頭?全部大名が負担ってことはないだろうけど。
ちなみに戦国期なので、天正以降は対象外でお願いします。 >>561
3日分ほどは自弁。後は大名からの支給。 支給も貰うし略奪もする、ついでに隙があれば味方からも強奪 ”略奪”の定義がきまらんとなんともいえないのでは?
指揮官の命令に従って現地徴収するも”略奪”になるのなら、
最近まで世界中で行われてきたし…… 561ですが、どうもありがとうございます。
基本は、数日分が自己負担なんですね。 帝國陸軍と同じだろうなぁ・・。
召集地までは自弁、あとはお国。
戦地では携帯口糧が1週間分。
なくなったら輜重隊が運んでくるまでは現地調達。 掠奪、押買を禁止する制札は多い。
為政者側は占領して統治する土地の治安を乱す行いは好まなかっただろう。
侵略的にも防衛的にも国人領主や寺社勢力を敵に回すのは得策ではない。
やはり一部の問題児集団が暴威を振るっていたと見るべきじゃないかな。 現地での物資徴収が一般的だった当時では、基本”押買”を全面禁止してはいないと思うよ。
つまり統治がどうのこうのは,、あまり考慮されない時代だったかと。
"押買"というのは基本的に現地での軍事物資調達の意図があってのこと。
ちょっと古くなるけど、芝山を三銭で押買した山名持豊の配下ですら侍所の権限を元に行ってる。
だから足軽だけじゃなく武将が指揮してるから、それゆえ”制札”の効果があったのよ。
ただ”制札”があったとしても、そこに抵抗するだけの武力がないと効果はなかったみたい。
関ヶ原の伏見城攻めの時、醍醐寺では制札だけではなく檀家の農民を集めて抵抗し
西軍150名程度を追い返した。
まぁ、帰りがけに日野郷の竹を根こそぎ持ってってるんだけど。 源義経は足軽の略奪等は公開処刑にしたから武士から信望を失った
というのは本当ですか? >>572
義経が京都で朝廷から一般市民に至るまで支持されたのは
そうやって雑兵足軽の狼藉略奪を防いだからでないのか?
義仲の雑兵足軽どもの狼藉略奪がひどかったのに対して。 民衆守れば部下から不満
部下を守れば民衆不満
腹痛くなりそう >>573
頼朝軍で義経とおなじ立場の範頼のことも思い出してあげてください。
義仲が気の毒なのは、上洛した時ちょうど飢饉で、
食料挑発で都の食糧事情を圧迫しちゃったから、ってのもあんだよなぁ…… 浮浪的な悪党を、足軽として組織化させ戦闘集団として活用したのは、応仁の乱〜享徳の乱。
>>581
応仁の乱はまだゲリラ部隊で正規軍に組み入れられていない
また、組み入れられても当初は徒侍の集団的な色が強い
一般的イメージの各種兵科に組織化されたのは相当後でしょうな >>582
大田道灌の足軽戦術の衝撃は大きかっただろうね。 正規兵として雑兵や足軽が組み込まれたのは、
天正ぐらいからなんだろうか。 正規兵とは何か、と言う問題もあるが、長柄足軽の集団運用は、天文年間には既に広く
行われていた模様。 槍の運用は南北朝くらいから盛んになったという説もあるな。 なるやつもいるんじゃないの?
農民でやる奴はいないと思うが。 どうだろう?いるんじゃないの?とイメージで思ってた。
なんやかんやで人間の需要はある農家はあるだろうし。 ところで最近就職難で大変だが、
足軽への就職ってどうなんだろうな。
簡単にできるイメージがあるんだがどうだろう?
現在で言うとどの職と難易度が近いかな?
期間工とか? 時期や地域に等によってだが基本的には中小企業の正社員クラスかな。
期間工や派遣クラスは人夫として雇われる感じ。 じゃあそこそこ厳しいね。
それなりに面接対策しないと受からないレベルってことか。
とりあえず志願すれば即採用って感じに思ってたけど。
そもそも足軽に採用試験みたいのあるのかな。
関係ないけど新撰組は採用試験は
なかったみたいだね。
妻子を遠くに住まわせるという条件があるくらい。
槍足軽は簡単、鉄砲・弓は技能職なので要相談、旗足軽は力持ちでかつ名誉な職なので一番難しい
これとは別に経理的な技能職として荷宰領等がある 募集年齢は15〜55歳ぐらいで、足軽契約が成立すると税や賦役免除の特典や
食料金銭の支給があったそうだからアメリカの登録予備役兵に近いイメージかな。
本職は当然農業。 なるほど、
槍足軽は営業、
鉄砲・弓は開発、みたいな感じか。
とりあえず槍なら放浪者でもすんなり採用されそうって
ことかな。
旗足軽ってそんな重要な職だったんだ。
新米がやらされるような荷物持ちかと思ってたよw
しかし、当時は読み書きできるやつあまりいないだろうから
読み書きできるってだけで引っ張りだこだったんだろうな。 >>597
浮浪者や山賊やってた奴がフラッと採用試験受けるの可能かなと
思ってね。
その場合は、耕す土地を与えられて半農ってことになるのかな?
当時は慢性的な人材不足っぽいから簡単に採用されそうぽいんだけどね。 流民みたいのはなれんよ。たしか
命以外失う物無いから戦場ではすぐ逃げるし陣中で狼藉放火されたら戦う前に負ける。
その点村の中でそれなりの地位にあるものは、隣人捨てて逃げたら村八分で生きていけんから
それなりに戦う。
大名が出した身分のしっかりした者以外はつれてくんなという書状は幾つか残っているらしい
まぁ農民にしてみれば身内で働き手が死ぬと困るから流民を家の者だって偽って送り出したり
云々っていう駆け引きは常にあったみたいだけど 何、流民はなれないのか!
住所不定だと就職できないのと同じか。
いや、30歳職歴無しだと正社員になれないのと同じか。
せちがらすぎる。
しかし、流民になったらどうすればいいんだ?
とりあえず人夫としてなら採用されるのかな?
それで信用積めば正社員の足軽になれるかな? >まぁ農民にしてみれば身内で働き手が死ぬと困るから
>流民を家の者だって偽って送り出したり
あ、この手は結構使えそうだなw
片っぱしから訪問してみるか、
庄屋の家でも訪問して誰か入用な農家を紹介してもらえばいいのかな。
とはいえ信用されないとダメか。難しそうだ。
まず農民になればいい。農民募集見たいのはどこでもやってたはず そうか。農民になればいいのか。
敗者でも復活できるとこがいいな。
しかし、織田軍は常備軍じゃなかったっけ?
織田軍の採用基準も同じなの?
農民使えないんじゃないの?
>>598
旗は自隊の位置を示しすもの
これがないと自分が何処にいるのかすら解らなくなる
よってこれが決して倒れないよう、力持ちに持たせるわけ
旗が乱れると士気が低いというくらい >>604
> しかし、織田軍は常備軍じゃなかったっけ?
それはいわゆる「俗説」
実際の織田軍は兵農分離なんて皆無。むしろ戦国時代でも後れた組織体系だったのが
信長の軍隊の実態。 信長直営軍が常備軍
織田領内の国人軍は従来の組織
ではなかったっけ? まあ、大抵のどこの大名でもそうだが、いわゆる侍クラスは常備してる。
でも、雑兵レベルは侍クラスの地元から集めてるっぽい。
公記の本願寺戦の記述から。