雑兵足軽の実状
>>481
北条はとにかく細かいね。伝馬、軍備、検地、収税・・・。
記録魔だし。 不正を防ぐために
虎朱印(北条家)以外の命令を聞く必要はなし、って家だからな(実際には他に「武栄」やら「調」やらあるが)。
だから命令が全て文書で残るのは、後世的にとてもありがたい。 >>478
屏風の虐殺場面の上の方に下賎の身らしい二人の男が陣笠を持って逃げる姿と、
その陣笠の持ち主らしき足軽が追いかけてる様子も描かれてた。
弱った落ち武者や死体から剥ぎ取るだけでなく、勝ってる奴らからも盗むことがあるのな。 そりゃあ、盗ることができる相手なら誰からでもOKだろう。
どうせ盗人なのだから…。 >>485
雑兵=兵=盗人、犯罪者集団
雑兵に恩給や援護や追悼などしなかった平和な日本に早く戻ってほしい。
日本では死ぬとどんな人でも神様だからね
某五右衛門すら祭られているし 戦国時代の足軽の槍さばきについてお聞きします。実際に見たことがないので想像するしかないのですが。
整列中は縦に持って人に当たらないようにしていた。移動時も縦にして歩いた。突撃時は敵に向け横に寝かし、衝いた。衝くよりも相手を槍先でたたき伏せることが多かった。
これでいいですか?
次に火縄銃の扱いですが、整列時・歩行時マスケット銃のように片手で銃床を持ち、肩にもたれさせていた。戦闘時現代の銃と同じような持ち方をして行動した。装填は槍の後ろに隠れて行ない、射撃時前に出て、撃つと槍の後ろに隠れた。
こんな感じでしょうか?
また、参考になるサイトがあれば教えてください 槍は相手を叩くは間違ってないが相手の武器を払うのが一般的かも
でも上杉なんかはそれもせずに低く構え相手の下腹部を突き続けろと教えていたようです
火縄銃は詳しくないけど姉川の合戦などでは投石部隊が鉄砲隊の前後を出入りしていたと何処かで見たよ >槍は相手を叩くは間違ってないが相手の武器を払うのが一般的
雑兵物語では、
槍は突くものではない、敵の指物を狙って振り下ろせってあるけどな。 『雑兵物語』の記述は
「みんな槍は突くもんだと思ってるけど、いや違う!上から叩くもんだ!」
って感じでしょ。
つまり『雑兵物語』の著者は「上から叩くもんだ!」と主張してるけど
当時、一般的には「槍は突くもんだ」と認識されていたってことも言える。
当時槍がどう使われていたかを考える場合、むしろ当時の一般的認識の「突く」のほうが重要だと思う。 『雑兵物語』の著者の主張の「上から叩くもんだ!」は少数意見に属するってことだ。 つまり、弓のつるに折り目をつけるのが多数派ということですか。
だから雑兵物語の著者がそんなことをするなとわざわざ主張しているわけですね。
ってんなことあるかい。
こうしたら失敗するからこうしなさい、って形式のhowto本なんだから
注意を喚起するパートが無ければそれこそ作者の意図に反するんだが。
というか本当に、持槍と長槍の区別くらいつけろよ。 「こーすれば絶対モテル!」とか
「こーすれば絶対金が儲かる!」とか
世の中ハウツー本は多いけど、あんま当てにならんよw >>495
雑兵物語の舞台は大阪の陣じゃなかったっけ?
アレは、関ヶ原から平和が続いて大多数になった”戦争を知らない若者”の槍の使い方がなってない、ってことでしょ。
甲州流の三間槍とか、実際に再現してみて”上から叩く”使いかたに疑問の余地はなくなったと思ったけどなぁ。 実際に物干し竿でも長槍に見立てて振ったり突いたりしてみるがいいさ。 長槍は非常に重い。
あれを上下させる動作が鈍くなるのは避けられない。
上げて振り下ろすまでは時間がかかり、その間は、隙であり、死の時間となり、敵の突入を許す。
長槍という武器は基本的に穂先を敵に向けてこそ、防御力と攻撃力を発揮する。敵を前に穂先を上に上げるのは危険な動作。
世界的にみても、長槍は突く武器。 >>501
…長槍を”上下に振る”を否定したいなら、まず400年前当時の雑兵物語の語り手に文句言ってくれよ……
「おまえの槍の使い方は間違ってる!!」ってさ。 雑兵物語は所詮、大坂の陣にしか出た事のない農民が知ったかぶりをしているだけの本だからなあ。
戦国時代にそのまま当てはめられないんだよね。 あれは農民言葉ではなくヤクザ言葉なんだが。
そんなことも知らないのか。 >>501
>世界的にみても、長槍は突く武器。
スイス兵のパイクも歩兵に対しては振り下ろしだが? 「重いもの」を上下するから武器として有効だっつーの。 >>503
あなたの当時の社会状況の認識おかしいぞ?
この本は大阪の陣もおわってパックス・トクガワーナが始まったときに、
「このまま平和なら戦争の技術が無くなるぞ、こりゃ!?」って心配した人が、
当時(江戸初期)の”専業兵士”だった爺の”自慢話”をあつめたもんだぞ?
…実際、島原の乱ではその心配が現実のものになってたんだが…… >>504
そうなの? じゃああれはチンピラが適当なことばかり書き散らしているわけかw >>503は所詮、家から出た事のない引きこもりニートが知ったかぶりをしているだけのレスだからなあ。
戦国時代にそのまま当てはめられないんだよね。 >>491
長槍隊は横長に並び、号令や陣太鼓で進退。
槍先を揃え、エイ、エイ、エーイと掛け声でリズムを取り全員一斉に振り下ろした。
この雑兵物語に酷似した戦法は、江戸後期の武田流槍術の操練にも残っているよ。
和槍は材質上ボヨンボヨンしなるから、長槍となると突きの目当てがしにくそう。
敵を叩くための木槌がついてる槍もある。 >>508
>チンピラ
そう、チンピラ。
大体専業武士の下っ端がお行儀の良い連中の集まりだとでも思ってるのか。
>当なことばかり書き散らしているわけか
自分が適当なことを書き散らしているからって他人がそうだとは思わないほうがいいぞ。 大坂の陣と戦国時代の軍制は大きく違うだろ。
支配体制も装備も異なるのに。 足軽の武器 鎧のフル装備って何kgくらいの重さだったの? >>513
フル装備なら結構な重量あるだろ。大阪の陣のとき家康が、出陣の時から鎧着込んで張り切ってる足軽見て、
「ああいうのが出てくるから太平の世はダメだ」と言ったとかどうとか。
案の定その足軽、行軍三日目くらいにへばっていたとか。 >>514
でも、実際足軽が駄馬や伴をつれていってるわけじゃないし、着ていくか持って行くかしかないよな。
持って行く方が疲れないんだろうか? 通気性とかをあまり考慮してない物は、着てるだけで疲れるし 長槍と通常の槍を同じ使い方だたと思っている人って結構いるのね。
>>516
剣道着を着て何十キロ先の会場に行くのと、会場で剣道着着るの差だと思う。
不可能だったのを承知の上で、応仁の乱の後に出た足軽廃止論が、もし実施されていたらどうなったんだろう。 >>523
軽輩のものから徐々に一騎打ちみたいな戦争形態になるんじゃね?
この時代にも戦から帰ってPTSDとかになるやつっていたの?
黒田の兵が左近との戦いを思い出してうなされるてたみたいだけど PTSDよりも医療の未発達による破傷風などによる死亡や怪我の悪化のが問題なんだぜ。
あと、
・大量破壊兵器の実戦投入
・殺すべき敵と殺してはならない民衆のジレンマ
は20世紀以降の戦場に現れるストレスで
それ以前は大量破壊兵器も人道未発達なので民衆を殺してもそこまで問題にならない。
無かったわけではないと思うが、戦場でのストレスは20世紀以降と以前では段違い。 うむ。それに実は当時の合戦は死亡率も低いし、しかも動員されても、実際に合戦に至る事も稀だったし。 528は人を殺したPTSDじゃなくて、殺されるかも知れない
恐怖によるPTSDの事を言ってるんじゃないの? 足軽の具足は御貸具足で統一されてたようだが
その下に着る具足下衣ってのも統一されてたのか?
それとも自前で各自色形がバラバラ? >>530
鉄砲が普及するまでは落ち武者狩で殺されるほうが戦場で死ぬより多かったんでないの? PTSDになったら当事はキチガイ扱いで追放か幽閉か抹殺か。 連投でスマソ。
小早川秀秋はPTSDに当たるんじゃないかえ? PTSDと言うのは便利な病気で、取りえずどんな症状でも、それに当てはめる事ができる。 足軽って江戸時代だと士農工商それ以下のどこに入るの? >>537
いわゆる同心が足軽。
八王子千人同心のような半農半士から、
町奉行所の同心とかももれなく足軽。
江戸時代同心は粋でいなせで江戸の女性から人気のある職業だったんだが、
幕末の出陣のときに彼らが足軽だと知ってがっくりした女性が多かったとかなんとか。 騎馬レベルの士分はそれこそ高嶺の花だろうからなあ。 足軽は士じゃなくて卒だよ?
士農工商の士と農の間の身分。
だだし、藩によって立場が違う。
>>540の言うように徳川幕府が雇っている足軽は士分に準ずる立場にある。
臨時雇いではなく常雇いで世襲制。 >>540
>>543
幕府=将軍様からお扶持を頂いている足軽も、八丁堀の町方同心も、どちらも
あくまでも臨時雇いの扱い。
諸組同心には【ご譜代席】と【お抱え席】の2種類があり、【ご譜代席】ならば
当主が死亡或いは隠居すれば子供乃至その身寄りが家を継げるが、【お抱え席】は
あくまでも『番代』と称して、新規お召し抱えの扱いを受ける。
ところが、町方同心に至っては【お抱え席】どころか、単年度契約扱い。
毎年大晦日に支配与力の屋敷で、「長年申し付ける」という口頭辞令(?)をもらって
幕府から翌年度も再契約してもらう形式を幕府崩壊まで続けていた。
尚、幕府では足軽という身分は同心よりもまだ下。
そんなわけで【同心】の年俸は30俵3人扶持〜15俵1人扶持。(功績・年功によっては
その人1代限りで100俵くらいまで加増されることもあるが)
その他に何がしかの役料(役職手当)が加算されることも。
【足軽】はもっとお給料が安い。
>>544
与力は旗本扱い。すると旗本の下がいきなり臨時雇いになるわけ? 戦国時代には流れの足軽と言うか、傭兵部隊みたいなのがいるね。
それが、兵力の足らない時、主力部隊を出さない戦場で使われてる。
長篠のあと家康が遠江を回復する時、こう言う傭兵部隊雇って諸城の回収やらせているね。 何処も戦争やるときは臨時雇いを募集してるみたいだけどね。
条件から見ても結構必死だよ。
有名な戦争中は白米食えますよを筆頭に、
給料はずみます、手柄立てれば褒美上げます、正規採用への道もあります、
前科ある者は赦免しますとか、
強盗働き(つまりは忍びの真似事)出来るやつ優遇しますとか、
結構笑える。
傭兵といえば、陣借りで正規採用を狙う奴いるし。
有名な武士だと、関ヶ原の時の可児才蔵がまさに陣借り。
首をとりまくったこともあって、正規採用されてる。 >>548
ちょ、すっげぇ面白そうw
どこの大名がどんな条件とか原文付きで紹介してくださいお願いします >544
幕府の足軽というと御徒じゃないほね、御徒は同心だし・・。
幕末の歩兵は中間小者扱いだし。 >>551
お徒士はお目見以下ですが、後世の下士官相当の「下士」です。
同心はそれよりはるかに身分の低い兵相当の「卒」です。
どちらも騎乗が許されず、お目見以下という点は同じですし、諸組同心にも出世の道が
まったく無いわけではありませんが、お徒士よりもはるかに席次は下です。
そもそも「下士」と「卒」では全く別の階層ですよ。
幕末の兵賦で集められた「歩兵」は幕府直属の中間や小者以下で「小揚の者次席」です。
もっとも、「歩兵」が旗本層の陪臣である中間・小者といい勝負の扱いってのは事実です。
>>550
藤木久志って頭の悪いサヨ電波学者だっけ? >>553
著者の思想的傾向くらい、自分の中で取捨して読めよ。ガキじゃないんだから。 553がガキの可能性だってあるだろw
ま、読んで批判するならともかく、
読まないで批判するような奴が頭のよしあし論じるなんて冗談にもならんがな。 藤木の著作の場合、内容は眉につば付けながら読まないとな。
上杉謙信略奪説みたいな電波も飛ばすし、
刀狩じゃ憲法九条論に結びつけちゃうんだもん。
しかも読者の多くが無批判にこれらを受け入れてるので厄介極まりない。 陣借りはまぁ、今の派遣だなぁ…他人の褌で相撲をとるわけだが、しかし現代はほんとうに平和な安息な時代だなぁ(´・ω・`) >>556
「食うための戦争」論は、確かに面白いことは面白いけど、
戦争は政治の一手段という、支配者側の論理が抜け落ちてる感があるしな。
謙信の関東侵攻は掠奪目的説って、結構突っ込み所が多いイメージだが、
学者さんで反論してる方って誰かいたかな? >>558
どの学者も一定の評価はしているけど、スタンスとしてはそればかりではないって
感じじゃない?
略奪はあっただろうけど、それはあくまで合戦の結果起こった事で
主目的ではない、って感じの 戦国期の雑兵足軽たちの兵糧って、誰が負担してたか知ってる人います?
本人達?そのスグ上の組頭?全部大名が負担ってことはないだろうけど。
ちなみに戦国期なので、天正以降は対象外でお願いします。 >>561
3日分ほどは自弁。後は大名からの支給。 支給も貰うし略奪もする、ついでに隙があれば味方からも強奪 ”略奪”の定義がきまらんとなんともいえないのでは?
指揮官の命令に従って現地徴収するも”略奪”になるのなら、
最近まで世界中で行われてきたし…… 561ですが、どうもありがとうございます。
基本は、数日分が自己負担なんですね。 帝國陸軍と同じだろうなぁ・・。
召集地までは自弁、あとはお国。
戦地では携帯口糧が1週間分。
なくなったら輜重隊が運んでくるまでは現地調達。 掠奪、押買を禁止する制札は多い。
為政者側は占領して統治する土地の治安を乱す行いは好まなかっただろう。
侵略的にも防衛的にも国人領主や寺社勢力を敵に回すのは得策ではない。
やはり一部の問題児集団が暴威を振るっていたと見るべきじゃないかな。 現地での物資徴収が一般的だった当時では、基本”押買”を全面禁止してはいないと思うよ。
つまり統治がどうのこうのは,、あまり考慮されない時代だったかと。
"押買"というのは基本的に現地での軍事物資調達の意図があってのこと。
ちょっと古くなるけど、芝山を三銭で押買した山名持豊の配下ですら侍所の権限を元に行ってる。
だから足軽だけじゃなく武将が指揮してるから、それゆえ”制札”の効果があったのよ。
ただ”制札”があったとしても、そこに抵抗するだけの武力がないと効果はなかったみたい。
関ヶ原の伏見城攻めの時、醍醐寺では制札だけではなく檀家の農民を集めて抵抗し
西軍150名程度を追い返した。
まぁ、帰りがけに日野郷の竹を根こそぎ持ってってるんだけど。 源義経は足軽の略奪等は公開処刑にしたから武士から信望を失った
というのは本当ですか? >>572
義経が京都で朝廷から一般市民に至るまで支持されたのは
そうやって雑兵足軽の狼藉略奪を防いだからでないのか?
義仲の雑兵足軽どもの狼藉略奪がひどかったのに対して。 民衆守れば部下から不満
部下を守れば民衆不満
腹痛くなりそう >>573
頼朝軍で義経とおなじ立場の範頼のことも思い出してあげてください。
義仲が気の毒なのは、上洛した時ちょうど飢饉で、
食料挑発で都の食糧事情を圧迫しちゃったから、ってのもあんだよなぁ…… 浮浪的な悪党を、足軽として組織化させ戦闘集団として活用したのは、応仁の乱〜享徳の乱。