雑兵足軽の実状
>>330
死傷者が出てると書いてるからさ。
頭部損傷(内出血も含む)以外でどうやったら投石で死人が出るのかと思って。 >>331
そういう細かいツッコミをいれるならさ、まず死傷者の意味を知っておこうや。
もう一度いうよ? 死’傷’者。死人とは書かれていないよ? >>332
ししょう ―しやう
0
【死傷】
大辞林 第二版より
(名)スル
死ぬことと傷つくこと。
普通、負傷だけなら負傷者と表現されないか? 細かいことを言えば、日本の機動隊員で投石による殉職の例はないはずだよ。
死亡例は銃撃、火炎瓶による全身火傷、ゲバ棒その他による全身殴打。
これで満足かな?Wiot144T君 >>332
単に言葉の誤用、意味の取り間違いだったみたいだから特別に見なかったことにしてやるよ。
てか、投石の効果については誰も否定してないんだけどな。
>>334
OK,FZzy1BQaたん。 あの芋の茎で作った味噌味の縄は美味しいんだろうか? ただ、道具を使って物を投げる(手で直接投げない)としたら、命中率はかなり悪そうだね >>337
巧者になると、弓と同等かそれ以上の命中率を誇るらしいぞ。
まあ弓にもいえることだけど、そこまで上手くなるには相当な研鑽が必要になるだろうがな。 >>338
だよね
ところで最近、やたらに合戦の死傷率は弓や投石とか飛び道具が多かったって話がでてるけど、あれの出所ってどこ?
自分が知る範囲だとマンガのセンゴクってやつにチラッと出てきたのしかしらないけど
みんなあれを信じてるのかなあ? 爆弾や銃器が未発達なときは頭部や顔面や首で死ぬことが多いんでないの?
(胴を防御していれば)手足切られても数日は持つだろうから。
(数日後死ぬのなら、足軽雑兵クラスなら戦死者にカウントされないだろうから) 狩猟用のパチンコもといスリングで犬の頭に石をぶつけると潰れたトマトのようにはじけ飛ぶそうな >>340
まあ、近寄らずに一方的に勝敗を決せらるならばそれに越したことはない
現代戦で言えば空爆だけで勝てるならそれが最高、って事さ。
もっとも決定打を決めるには、近接戦闘は必須になる訳だけどな。
しかしお互いに弾幕を張っていると近接戦闘に入る過程で死傷者は増えるわけで。
だから、勝敗を決するのは近接戦闘だと言うことには否定しないけど、
死傷者は飛び道具の方が多いと思う。 >>339
鈴木 真哉 「鉄砲と日本人―「鉄砲神話」が隠してきたこと」。毀誉褒貶はあるようだが。
>>343
なるほど。
著書を読んでないのでなんとも言えないが、注目されたいがためにこじつけた説でなければいいけど。
従来の常識を覆すような新説が出る
↓
市販されてる本みたいなもので書いてあるなら間違いない
スゲー、俺って史実研究の最新情報を得たぜ
↓
おいおい、まだそんな古い事言ってんのかよ
○○なんて作られたイメージだぜ。実際はさあ・・・
というので色々な珍説がまかり通ってるからなあ。
しかもその説でドラマとか作られたら、それが「正しい」って人が多くなって
決定的な否定する事実がないと、いつの間にか多数決的に
それが常識になってしまってる事が多い気がする。 しかし、相手の無力化を追及するならお前らの大好きなうんこなげればよくね
細菌兵器にもなるし、一石二鳥
まあ、投げるほうも凹むことは凹むが >>346
馬の死体を放り込むとか、疫病とか精神的なダメージ狙いの攻撃はあったらしい。
ただしソースは忍たま乱太郎。 >>344
その本の中では戦場での死亡率などに関する記述の所に書いてある。
著者自体は「鉄砲スゲー」が書きたいようだから投石に関する記述はそこまで問題が無いような気がする。 >>346
成田空港反対派の地元民はそれやってたな黄金攻撃 >>349
でっていう
野戦でも使われてた例じゃないし、恒常的にうんこ戦術がもちいられてたわけじゃないだろ、それこそ投石やら弓やらみたいに 支那では攻城戦で防御側が沸騰させた糞小便を敵兵にブッカケ。 なんかだんだんスレチになってる気もするがw
ちょっと戻す意味もふくめて・・・
沸騰してる糞尿ならともかく、当時の雑兵足軽(=農民)からすると
肥だめとかで馴染みが深かったから、現代の感覚と違って、水を
かけられたくらいの感覚じゃないのかとも思うが、どうでしょ?w
馴染み云々以前に、命のやり取りの最中なら、害のない糞尿なんて
そんなもんかもしれないけどw 第一次世界大戦では戦死原因の多く(インフルエンザなどの戦病死除く)は
頭部損傷(当時鉄兜なかった) ソースは天才バカボン「たたえよ鉄かぶと」)
それ以前も飛び道具の場合はそれに近いんでないの?
>>353
傷があれば、雑菌が入って化膿するぜ。
生理的にいやなのはもちろんだが、軽い生物兵器でもあるわけだ。 >>354
バカボンにマジレスだがw
塹壕での睨み合い戦だと銃弾や砲弾の破片が頭部に当たる確率が高かったのでは。
で、大戦途中で鉄ヘルメットの標準装備化が各国で進んだと。
因みに現代の軍用ヘルメットは砲弾などの破片対策というのをどこかで読んだ。 投石用の石ってどうやって確保するの?
戦場が原っぱの場合、その辺に手ごろな石がごろごろ転がってるわけでもないだろうに
石がなかったらそれまでだろ? ああ、バカボンのたたえよ鉄かぶとってものすごいシュールな回だったな。 >>357
焼き物や煉瓦を作る要領で作ることもあったし、石を投げる事もある。
いずれにせよ、本国から持っていく。 するってえと、川中島あたりに転がってる手頃な石は、使って殺した石かもしれんワケだ >>339
1552年、宮光寄が篭る志川瀧山城を攻めた毛利軍の損害は死亡7人。
負傷者は鑓傷が31人、矢傷が96人、切傷が3人、投石による傷が28人だそうな。 >>363
攻城戦の場合は投射兵器による損害が多くなるから。 それでも、槍が多く多用されているのは目に付くね。
中世城郭では城に近接されたときに、城内から槍で撃退するらしいからな。
まあ、城攻めで刀の出番はほとんど無いんだね。 狭い城内じゃむしろリーチの短い刀が使われると思ってたんだが… 中世城郭では、まず堀と土塁or切り岸によって攻城兵が踏み込むのを防止し
守備兵の投射兵器によって撃破するのが基本である。
よって攻城兵の矢傷による負傷者が最も多くなり、これに投石による負傷者が加わる。
それでも攻城兵が堀と土塁or切り岸を突破した場合、土塁or切り岸上に設けられた柵によって攻城兵を阻止する。
この柵を超えようとする攻城兵は柵の隙間から守備兵が槍で突いて撃破する。
湾曲した刀は柵の隙間から突くといった用法には向かない。
このため刀による攻城兵の負傷は、槍による負傷よりも少なくなる。 しかし
こうした攻城戦の負傷者比率は
野戦には適用できない。 そういう文章だから「コピペ乙」とか「見てきたのか?」とか言われるんだぜ。
語尾の表現だけでも、ちょっと工夫しような。 >>365>>369
なんで頑なに野戦に拘ってんだよw 論理的な反論能力の無い奴に限って突っ込み所が
語尾の表現とか句読点とかツマンネー所になるんだな・・・ >>371
攻城戦の負傷率を野戦の負傷率や戦国時代の戦い全体に
無理やり適用する人が出てくるのを防ぐ予防線。
鈴厨もなw
>>372
そういうレスしか出来ないって事は、お前の理解能力もたかがしれてるよなw
断言して間違いないような言い方を変えろって言ってんだよw
だからどっかの自己妄信的な歴史研究家のコピペ乙とか、見てきたのか?って事になるんだよ。
363や366の表現を見習えw >>367
狭い建物内で力を発揮するのが、2m程の短槍。
曲者、とかいって天井をつくアレね。
一例として忠臣蔵の面々の武器で
半数前後を占め最も多用されたのが、槍。
屋内戦なのにね。 長刀、此レ倭中国ヲ犯スヨリ始テ之有リ
[日本海賊が中国に攻めてきたときに初めて我々は長い日本刀の力を知った]
彼ラ是ヲ持チテ跳躍光閃シテ前ニ進メバ我兵ハ己ニ気ヲ奪ワレルノミ。
[彼らが日本刀を使って稲妻のように早く攻め込んでくると我ら中国の兵は集中を乱し混乱するのみだった]
倭ハ躍ヲ善クシ、一度足ヲ逆エバ別チ丈余、刀長五尺ニテ、則一丈五尺ナリ。
[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]
我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。] >>380
大陸と日本では槍の構造が違う。
太刀打ちで受ける限り、柄が切り落とされることはまずない。 >>382
> 太刀打ちで受ける限り、柄が切り落とされることはまずない。
380じゃあないが、何処にそんなこと書いてあるんだ?w
日本刀で切れない物は無い、これが昔の常識
まあ石とかは切ったと言うより割ったんだろ、つう感じだが
でも2メートルくらいの小槍ってホント重いよね
20kgくらいあるんじゃないか? >>380
兵隊が弱いのは平和でいいことじゃん。明が平和だったかどうかは知らんが。 >>384
全長1.8メートルくらいのトゥーハンドソードで4kg程度ってのを
読んだ事ある、そんな重い訳ないと思うんだが >>386
定寸の日本刀(長さ75センチくらい)が刀身だけで900gくらいだから妥当な重さだと思う >>387
386は1.8メートルの大剣が4キロ程度なのに
2メートルの槍が20キロもあるとは思えないって意味ね >>384
据えて切るのと、実際に切るのはまた話が違う。
例えば包丁を使ってまな板の上で秋刀魚を骨ごとぶったぎる事は誰でも出来るけど、
宙ぶらりんにして同様のことは至難。
あと日本刀が脅威足り得るのは、
剃刀で切った時みたいにちょっとした傷でも血がわんさと出る点であって、
対物ではない。 出血多量とかバイキンが入って死ぬのがほとんどで
傷ついてから死ぬまでかなり時間かかってるんでないの?
戦国時代に投石が戦闘が多く使われたって証拠はあるのか?
鈴木真哉は軍役状を出して多かったと主張してるが、それは信頼出来るのか?
野戦と攻城戦をちゃんと区別したんだろうか?
そもそもどうやって投石による打撲傷と金砕棒や鉄棒による打撲傷を区別してた?
打撲傷を一まとめに「投石」としただけじゃないのか?
負傷した人間は自分がどうやって負傷したかなんてはっきりと覚えているのか?
>>386
うちにあるんだよ もう錆が酷くて取り出す気も無いけど
間違いなく10kg程度の重さじゃない
ばあちゃん曰く平和な時代のなまくらな体で槍を振り回すと怪我するそうでつorz
細い鉄筋を束ねて作ってあるらしいけど鉄の塊にしか見えない
直径約5センチくらい 全長約2.2メートル
ただ戦国時代の先祖は足軽じゃないみたいだが、槍作った時代や使い方は不明だけど先端はオーソドックスな一枚刃 >>393
そのうち「山は死にますか?海は死にますか?心はどうですか?」とかに
なるかもしれんぞw >>394
実際あるのか邪推してスマンかった。
それにしても5cm×2.2mか、25キロ位有りそうな大きさだなw
そりゃ、振り回せそうにないな >>393
>>395
具体的に答えられないから誤魔化す、と。 >>397
395のさだまさしだがw
俺もどちらかというと鈴木説は疑問を持ってるんだがね、397のレスが
いかにも稚拙だったので、釣りだと思ったのだよw
397みたいなのが、賛否どちらからも厨といわれて忌み嫌われるんだよな。
まあ、相手にしなければいいんだろうけど。
悪魔の証明という言葉を調べてから、レスし直しておいで。 悪魔の証明と言う言葉が何なのか理解してないアホがまた一人。
「ある事が絶対確実に存在しなかった事を証明させようとする」が悪魔の証明だ。
俺は投石が広く行われて「いた」証拠を聞いているんだ。
「軍役状の負傷理由を根拠に出してるが野戦と攻城戦をちゃんと区別したのか?」
「どうやって投石による打撲傷と金砕棒や鉄棒による打撲傷を区別してた?」
「負傷した人間は自分がどうやって負傷したかなんてはっきりと覚えているのか?」
これらがどうやったら悪魔の証明になるのか説明してみなさい。 393が通りますよっと。
まず負傷した人間がはっきりと覚えているかどうかだが、
確かに乱戦になれば覚えていない事も多いだろうが、
遠戦(投石・弓矢)→集団戦(長槍)→乱戦の流れなので、
遠戦および集団戦の最中ならば相当の頻度で自己判別がつく。
バッターが怪我をしたとして、
バッターがバッターボックスに入っているのならばその怪我は二塁手とのクロスプレーとは考えられまい。
あとこの当時は既に検死の概念があって、
もちろん今の検死に比べれば幼稚だが、
凶器が何か、如何なる殺され方をしたかを判別できる位のノウハウの蓄積はある。
また硬球とバットで作られる痣が違うように、投石と金砕棒・鉄棒との痣の形は別物になる。
検死の応用でこの判別くらいはつくよ。
攻城戦は、
近世城郭はともかく、中世城郭は上でも挙げた遠戦→集団戦(長槍)→乱戦の概念が踏襲される。
もちろん乱戦に至るまでに、より多大な犠牲が必要になるので、
指摘されたように野戦と攻城戦では負傷の比率は変わるのは間違いないと思う。
とはいえ戦闘手順が野戦と変わらないので、比率は変わっても矢・飛礫>槍>刀という怪我の頻度は変わらないと推測される。
あと当時の史料を疑うのは良いけど、疑うにたる根拠を示してくれよ。
>打撲傷を一まとめに「投石」としただけじゃないのか?
これの説明責任はそちらにある。
当時の史料で投石・飛礫による負傷とあるのならば、そうなのだろうし、
投石や飛礫が一般的に使われていた証左でもある。 >>400
おまえも頭悪いなw
その全ての質問の証拠をあげてから、疑問符をつけろって言ってるんだよw
「××によると○○とあるのに、どうして投石が多く使われていたと言えるのか?」って言えってことだよ。
ここまで例文書けば、勉強不足のボクちゃんにも分かるだろ?
401を見習え。 足軽の範囲でどこまで。
徒歩は全て足軽になるのか? >>405
騎馬武者以外は全部足軽ってかなり強引だなぁ。平時は基本的にそんな感じだった
平安末期ですら、戦時では騎馬武者の割合はかなり減ったはずだけど。 「雑兵・足軽」だからねえ。軍勢の最下層って事でいいんじゃないの?
組頭みたいな扶持もちじゃなくて、人足とかも含む徴兵された農民や、陣借りの浪人とかじゃない? 足軽も一応武士なんじゃない。
足軽の上のクラスはなんていうんだろう? >>408
徒士
俺は足軽は知行持ちで無い連中で、戦闘を行う連中と規定している。
もっとも、次代によってコロコロその身分も変わるが >>405
戦国時代だと槍隊など各部隊の乗馬指揮官や、騎馬隊はみんな武士。
彼らは主君に謁見できる御目見得以上の士分で、江戸時代には平士、騎士と呼ばれた。
馬に乗ることが許されない下級武士は徒士と呼ばれ、住む区画も違った。
城下町は御徒町、御徒士町(おかちまち)なんて地名があるけど、まんまそれ。
割合というと他の人のレスにあったが
文禄の役の加藤清正隊の編成は武将150名、騎馬578名、鉄砲1820名、弓256名、忍者10名で、
騎馬もすべて鉄砲を装備し戦闘員の鉄砲装備率は90%を超えたそうだ。 まあ長篠以前、戦国中期だと鉄砲装備率はたいてい数%だけどね。 >>401
>遠戦(投石・弓矢)→集団戦(長槍)→乱戦の流れなので、
>遠戦および集団戦の最中ならば相当の頻度で自己判別がつく。
だが投石と言うのは投石部隊が編成されてしていたわけでなく(武田家などの例外を除いて)個々の足軽の補助武器なんだろう?
例えば矢がつきた弓足軽が使うとか。
遠戦の段階で使われるのか?
>あと当時の史料を疑うのは良いけど、疑うにたる根拠を示してくれよ。
>>打撲傷を一まとめに「投石」としただけじゃないのか?
>これの説明責任はそちらにある。
>当時の史料で投石・飛礫による負傷とあるのならば、そうなのだろうし、
>投石や飛礫が一般的に使われていた証左でもある。
疑うに足る根拠は既に出した。
つまり、戦場で絶対にある筈の鉄棒、金砕棒などの鈍器による戦傷が全く記述されてない事。
無い筈が無いんだから「投石と言う事に一つにまとめた」と言う事しか考えられない。
それに鈍器だけで無く刀による打撲傷も記述されてない。
甲冑の上から切りつける場合、特に大半の兵が使ったであろう大量生産の鈍ら物だと切り傷でなく打撲になる筈だ。
そう言う刃物による打撲と棒による打撲の見分けがついただろうか?
刃物による打撲も鈍器による打撲も全部「投石」と言う事になったんじゃないか?
それに直接は関係ないが、槍による刺し傷と刀による刺し傷もそう簡単に見分けがついたのか?
>>402
頭が悪いのはお前だ。
これらの事を証明する義務があるのは投石が「あった」と主張する側だ。
>401氏の様にマトモに答える気が無いなら黙ってろ。
だいたい
>「××によると○○とあるのに、どうして投石が多く使われていたと言えるのか?」って言えってことだよ。
はもう既にやってるだろう。 >個々の足軽の補助武器なんだろう
>例えば矢がつきた弓足軽が使うとか。
投石の石は矢同様にどこからか調達しないとならない。
矢が無くなったからと言って都合良く手に入る訳じゃないんだよ。
また投石は素手で投げるのではなく、スリングやスリングスタッフに相当するもので投げ出される。
これには弓同様かなりの熟練が必要なので、急ごしらえで編成出来るわけではない。
鉄砲が普及したのは、弓や投石よりも必要とされる技術の習熟度が低いのも一因。
あああと、射程について誤解があるようだが100mほど、弓矢と同程度の射程を持つ。
嘘か真か、件の小山田隊は80m先の人にピンポイントに当てたとかなんとか。
>疑うに足る根拠は既に出した。
出してない、出したと思ってるならばそれは思いこみ。
まあいいや。
世はまさに集団戦、
鉄棒・金砕棒、あと野太刀や大長刀などは個人の武勇を競う段階ではともかく、集団戦には適さない。
記録に残らないのは、それを使った人間が極めて少数だったから。
弓・投石・鉄砲・長槍・槍これらが集団戦に適しているから大量投入された。
あと日本刀と日本槍は全く違う、よって創傷も同じにはならない。
つか前にも言ったろ、検死のノウハウはある程度あったと。
思いこみと都合の良い情報の取捨するのはやめてくれ。 >>412
>戦場で絶対にある筈の鉄棒、金砕棒などの鈍器
これの根拠は?日本ではむしろ逆に、鈍器の使用の方がほとんど聞かない記録にない状態なんだが。
絶対に使用されていた、それほどにポピュラーなシロモノなら、それこそ軍忠状やらなにやらの記録
にはちゃんと鈍器で殺した殺されたという旨を記すだろうに。
そちらが主張するように投石の方がマイナーだというのなら、なんでポピュラーな死傷原因を、わざ
わざマイナーな死傷原因の方に含めちゃうのよ?矛盾してない?そういう状態なあ普通は「本当は投石
で死んだんだが、滅多にない死傷原因に思い当たらずに一般的な死傷原因である鈍器による撲殺
だろうと勘違い」とならんか? >>406
一応名も家も有る士分だが馬無し、郎党無し、地位無し、合戦時には身一つで参陣して
似たような底辺武士を一まとめにした集団に属す葉武者や、下級の騎乗武者に仕える
郎党なんかも入れようぜ。 農民が徴集されて足軽になった場合に、国替えが行われて
主君が別の国へ移った場合、足軽はどうなったんでしょうか?
新しい領地で帰農?それとも出身地へ強制送還? 浪人? >>415
でも扶持もちを入れるとなあ。多少なりとも「主君・上司のため」ってのと
「出世のため」ってのが出てくるでしょ?
そうすると、極論的には家老とかの実状と同じことにならない?
メリット(実際には恩賞はあるだろうけど)がなく、上記のような理由もない
のに嫌々駆り出されたりするよう人たちでないと、ちょとスレ主旨が違って
くるんじゃないかなあ? >>416
基本的に村単位で徴集されるから仕官でもしてない限り村へ戻ったんじゃないの このスレの投石云々の流れはよくわからんが、
とりあえず鉄丈、金砕棒、鉞(大斧)はメジャーではないながらも南北朝時代を中心に使われた武器。
鉞術は言わずもがな、金砕棒を使う流派もある。
戦国時代では長谷堂城の戦いで最上義光が使用しているね。 鉄棒だと、相模の三浦某とか、北条氏繁あたりが使ってる。
ただし金砕棒を含めて、武士が使っている訳で、
足軽・雑兵が大量に使った訳ではない。 >>416
江戸期ならともかく、戦国期の武士は土地と深く結び付いてるからそう簡単に移転は出来ないはず。 >>421
逆に言えば、武士と土地の結びつきを断ち切るために国替えを行う必要がある。
(戦国末期の信長・秀吉の政策) 形原松平家について
http://www1.odn.ne.jp/~cag38460/public_html/
「徳川政権初期に於いて藩の処替えが頻繁に有った。藩士も其れに従った。
しかし、其の都度藩士全員が共に移動するわけではないようだ。
約半分から三分の二は残り、新しい藩主に仕えるのだそうだ。」
・・・・とある 人間、生活があるし、財産に限りもあるし、地縁血縁もあるから「さあ
引っ越せ」と言われてもそう簡単にはいかない 国替えになっても藩主に付いて
いける、付いていく義務のあるのは一部の子飼いだけのようだ
だから、国替えのときに藩士の身分(職?)を失う者も結構いただろうと思う 逆に
郷士みたいな身分の者が藩士になれたケースもあっただろうと思う 中間や下男は所帯を持つことできたのかな?
足軽より低いんじゃ生活苦しそうだ。 衣食住のうち「住」と、場合によっては「食」の一部まで主君や上司に宛がってもらってたから
結構なんとかなってたはず。当時は今みたいな消費社会ってわけでもないし。 足軽は幕臣や藩の家臣なのですか?
それとも武士の家来なんですか?