雑兵足軽の実状
実際、食うことと略奪ぐらいしか楽しみないんだろうね 手柄立てて出世してやると
夢を見て戦場に散っていったんだろうな 白いおまんまと略奪の為に戦場を駆けめぐったと思うがな 「かかれ!」っていう命令下や、乱戦時の雰囲気は、なんとなく
校内のマラソン大会に似てると思う。
自信あるやつは、本気になる。晴れ舞台の大会で上位入賞の名誉と
成績upという恩賞目当てに。
大多数は、まあ入賞できないし、やれって言われたから無理なく
そこそこのペースで走る。キツくなったらペースダウンすればいいし。
やる気ない人は、無理矢理走らされて疲れるだけだから、適当に参加。
むしろ歩く。先生(隊長)が見てる所だけ走ってるフリしてりゃいいや。
無理に疲れる事しなくたって害はないし(食ってはいけるし)。
みたいな。人数の割合も似てると思う。
「参加しなくてすむなら、したくない」ってシチュエーションも似てるし。
俺なんかは中盤〜後方集団にいて、周り見ながらタラタラ戦ってたんだろなw
藤木久志『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社、1995年) >>156
自身の命を懸ける合戦とマラソン大会ではさすがに比較はできないと思われ。。。 信長に履物貰った逸話のある兼松正吉みたいに武功を立てて足軽から馬廻に出世した例もあるけど
基本的にどれだけ頑張っても下っ端どまりだと頑張る気が起こらない
副業の略奪に目がいっちゃいそうだ >>160
正吉って足軽だったの?
親父の諱も伝わってるみたいだけど >>160
どこかの農村・漁村の次男坊・三男坊が侍になれる「可能性」があるというのはそれなりにやる気が出るかと 関ヶ原後に大幅に領地を削られた毛利家では家臣たちに食えるだけの碌を与えるのに
開墾して石高を大幅に増やした。
それが可能だったら、なぜ戦争なんかして他国の領地を取っていたんだ?
最初から自領を開墾して石高増やせよなw
ちょっと不思議じゃないか? >>163
・敵が攻めてくる=自衛の究極形としての戦争
・武士階級の領土拡大に対する固定観念
・灌漑技術が向上して平野部を耕地化できるようになるのは戦国末〜江戸期 >>163
積極防衛にもなり手っ取り早く領地も得られるから一挙両得。 信長公記を著する太田牛一も足軽→信長馬廻(弓衆)と出世していったクチ
足軽でも弓の技能とか文筆の才があれば取り立てられる可能性は極小ながらあった
……ってまた織田家の例だな 織田家以外で足軽からそれなりの身分にのし上った人がいる大名家ってある? >>169
有名所じゃん
松永・道三・高坂あたりでそ?(勘助はナシw) >>170
大名にお尻貸して、成り上がったのかな?
今の時代に「部長は、社長とホモ関係で出世した」なんて言われると恥だけど。
戦国時代は、別に恥かしくなかったのかね? >>170
足軽じゃねえだろw
元は卑賎でもデビューは士分だ。
足軽=バイト
士分=正規雇用 >>169
三好、土岐、武田は全部源氏の出、ただし三好は他説有
そもそも織田氏は守護代(信長は傍流だが)で足軽には程遠い身分
ちょっと調べれば分るだろうに
>>170
斉藤道三は北面の武士の家柄だろ
高坂は富農→近習、松永は不詳
全部足軽とはいえない >>174
まさか、海洋民族久米一族というんじゃないだろうな? 厳密に言えば違うけど、下級な士分は足軽と変わらないでしょ。
特に兵農分離がロクにできてない1500年代前半は。
>>174
>そもそも織田氏は守護代(信長は傍流だが)で足軽には程遠い身分
お前も読解力ない奴だな。
織田が足軽出身と言っているのではなくて、織田家で足軽出身者が出世している。
織田家の他の大名家で足軽出身者が出世しているところはあるの?
↓
三好家、土岐家、武田家
という流れだろが?
アホかw >>176
「厳密に」いえば、姓の有無で決まるのかな?
当時も庶民は正式には姓がなかったような気がするというか、
兵役がらみでそんなことを推測できる文書があった気がする。 >>178
姓はあまり関係ない
必要なら自分か主人が勝手に付けりゃいいし。
「厳密に」というなら被官関係だろう。
出世したくて多少知恵の回る奴は最初から自称浪人で士分として売り込む。
秀吉は知恵が回らんとは思わんが、それすら出来ないくらいツテも元手も無かったんだろう。
被官関係としても流動性高いから「厳密」てのはそもそも無理だろ。
>>176の言う通りハッキリクラス分けも出来ないし。 当時は百姓も苗字が禁止じゃなかったからな
大抵、出身地の地名をそのまま持ってきた
逆にそういうのと縁が無いのなら出自がそれこそかなり低い傍証になる ところで、秀吉が貧農ではなくクラークだったって聞いたけど、
本当なのかな? どちらにしても尾張中村出身で初め松下家に仕えたってのは真実なのでは。 >>182
おかんが茶坊主と再婚しているところを考えると底辺層ではないかもね 当時の、しかも信秀クラスの茶坊主や同朋衆が、
どの程度の地位があったのか・・・
茶坊主や同朋衆のもピンキリだろうし。
織田家の弓衆の養女と結婚したのも、逆玉の輿というより
そんなに秀吉との地位に大差はなかった(地位が低かった)
と見てもいいんじゃないかな? うーむ、、、
嫁の実家の木下姓を名乗ってることから見ても、やっぱり立場関係は嫁の方が上なのかとも思うけど。 有力諸侯に功を立てさせると、中央集権から遠のくし、最悪、主家を乗っ取られて
しまう。
だから、君主は、なるべく身分の低い者を取り立てて功を上げさせる。報酬が
少なくて済むし、いざとなったら粛正しやすい。
わりと君主一般にある普遍的なことなんだな。 「有力諸侯」「中央集権」っていう言葉を使うほどの勢力なら、
すでに大勢は決まってるから、それほどの事はもう起きんだろうw
それ以前の勢力だとしても、寝返ったりする大多数は、小城主なり
小領主なりの身分の低い者たちなんだがw
むしろ自分にとって有利なヤツ(有能な者・忠誠心のある者など)を
増やしておきたいからじゃない? >>153
それほどけなげには戦わなかったと思うが
だいたい戦争に負けても生き残れば勝った軍団に
編入されるわけだからそこそこ戦って危ないと思えば
すぐ退却しただろうし相手が強ければ近づかないで
逃げ回っててもOKだったんじゃないかな
1日米5〜6合じゃあ本気で戦うのあほらしいだろう >>187
正社員を出来るかぎり雇わずバイトやパートや派遣社員で済ませるのは今も昔も同じか いや、完全に農民だよ。
半農半士でもない完全な農民。
少しでも士の要素があれば、どんな力業でも家の元を源平藤橘とかこじつけて出生を明らかにするって。清正みたいにね。
でないから、天皇落胤だの、あちこち養子依頼だのしたんでしょ。 当時は寒かっただろうに防寒なんてどうしていたんだろうな
鎧の下に毛皮でも着てたんだろうか? >>192
その加藤家や福島家と縁続きだったわけだ。
完全に農民でもないだろう、秀吉のオヤジは戦闘に参加して負傷しているのだから。
あと、藤原や足利への養子依頼は、摂政関白や将軍への就任する目的があり、その筋の宗家の承継者になる必要があったからだよ。
傍系でも血統さえ引いていればいいとうわけではなかったので、系図捏造では対応不能。
系図でっち上げしないで新たに豊臣姓ゲットしたのは、自分が若い子ころから自分は貧農出身でと触れ回り自分で既成事実を作ってしまっていたからでは?
>>108 松坂がゴロゴロ居るなら古田や城島もゴロゴロ居るわけで。
しかもランナーが居たら振りかぶれないし、イチローもゴロゴロ。
投石の有効性は疑問でありんす。 >>194
農民だって、兵役はあるんだしなあ。
どっちかというと、耕作して得たものを、貢租として治めるか否かで
武士か庶民か判断すべきだと思う。 >>193
人の体質は3世代で変わるから、今の人とは体質が違う
体力や抵抗力、筋力や骨格とかが違うわけだ
今ですら、南極観測に行ってた人は、日本の真冬でもそんなに
寒く感じないって事だからね
すきま風が吹く家で、藁にくるまって寝てても風邪を引かない体質を
考えれば、多少の暑さ寒さは耐えられるって事かな >人の体質は3世代で変わる
ルイセンコ主義??
つか>197の使ってる体質ってどういう意味かわからん… ルイセンコとかじゃないよ
食事や生活環境が変われば、3世代で体質が変わるって事
体質ってまとめちゃったけど、体力や抵抗力、筋力や骨格、体格とかの事だよ
そんくらいで変わっちゃうんだから、現代人とはかなり違うよって言いたかったんだけど・・・ 確かに戦争を知ってる老人達のタフさはすごい。
ほんの二世代前だとは思えない。 >>200
生活習慣で変わるものを”体質”っていうの??
例えば、病気に対する生存率、は今の方が強かったりする。
インフルエンザなんて昔は死病だったけど、今は栄養が良いのでそうでもない。
となると現代人は体質が昔より強い、というべき…なんて話になるよ。
ただ昔は”体の強い人が生き残った”だけなんじゃない?
実は昔の人が全員健康だったか、というとそうでもなさそう。
例えば喘息。鎌倉時代でも合戦最中に発作で討たれた人もいるし、
蝦夷まで踏破した伊能忠敬も持病だった。
肉体なんて昔も今も変わらないよ。たぶん”意志”の問題だと思うなぁ。 >>203
上手いことを言うw
>>202
健康だったんじゃなくて丈夫だったんだよ
医学や科学で補ってるだけで、圧倒的に環境に恵まれてない昔の人の方が体は強いでしょ
日本人が発展途上国の生水飲んで体壊すのと同じ 乳幼児死亡率から考えると、今生きている発展途上国の人の体が強い、
わけは、体が弱い人が大人になれずに死んでるからじゃない?
そういう理由からの”体質の強さ”って「三代で体質が変わる」っていうのと、
ちょっと違う気がするのだけど… そもそも、「体が強い」ってなによ?
えらく曖昧なんだよねえ。
疾病罹患率が低い?
寿命が長い?
筋力、瞬発力などの運動機能が高い?
やっぱりルイセンコ主義の亜流みたいだけどねえ 何でそんなに食いつく&スレチな重箱の隅つつくかなw
理論好きだね
要は>>193の答えなだけじゃん
しかも現代人が、当時の人と同じ環境で暮らしたらほとんど
もたないだろうって話なだけですよ
細部をつつくような小さい事言うなら、服一枚で冷暖房のない
外気と同じ部屋で冬を越してみろってのw
越せたら理屈や理論に付き合ってあげるよ
ちなみに3代で体質が変わるのは、Newton誌で掲載されてるからね
もうスレの軌道修正しようよw >>207
まさか根拠に科学啓蒙誌だされるとおもわなかったな…
とりあえずどこに載ってたか教えてくれない?
たぶん内容を誤解してると思うよ… 挙げ足とるようで悪いけどさ。
体質って言い方がまずいのよ。
たとえば、親と今とでもは、環境が全然違うでしょ。
でも体格や君の言う体質は違うと思わない?
環境がかわってから三代たって変化したんじゃないでしょ?
この場合なら成長期の環境が重要で、一代でも大変わり。
環境が大きく変わってしまえば、疾患発生率は一代でも
大きく変わる。日系移民の糖尿病発生率なんかは実証済み。
もともと日本人は、欧米人より糖尿病にかかりやすい「体質」なんだけど
三代経っても日本人同士の交配なら、かかりやすい体質はかわらない。
現地の人たちと結婚して三代経ったら、というんなら単に
現地の人の遺伝子が優性だっただけ。
その発現する体質(正確には形質)は常に現地が優性なわけがないから
体質がかわるかどうかは、「なに」の体質かによっても変わるはず。
それを一括して「体質が三代で変わる」じゃ、乱暴すぎる。
スペイン風邪は多くの死者を出したよ。江戸期の日本でもね。
遺伝的に変化が無い今の日本人が、当時の環境ならその何倍も
死んでる?もしくは、栄養状態や医学がよければ
当時は死亡率は今の何分の一になってるの?
それって、おかしいとは思わない?
一瞬、Natureにみえてびっくりした。 理屈や理論は分かったよ。頭でっかちなやつらだなw
もうスレチすぎるし、論争のポイントもズレすぎw
謝れば気が済むのかな?
ごめんね、体質や3代云々は取り消すよ
で、>>193の答えは?
それと、ぜひ「服一枚で冷暖房のない外気と同じ部屋で冬を越して」ね
雑兵足軽にかぎらず、当時の日本の大多数は「服一枚で冷暖房のない外気と同じ部屋で冬を越して」たんだから
さあ、お得意の論理的かつ医学的に説明してもらおうかw >>211
室町、鎌倉の庶民だって女性は小袖、湯巻で重ね着はしていたし
男性だって水干、直垂の重ね着をしていたんだよ
寒けりゃ重ね着するぐらいは当たり前
現代でもね、ホームレスになった人の多くが風邪を引いたり、
凍死したりしてるかい?一年持たずに死んでるかい?
そりゃそういう人もいる。でも、殆どとはとてもいえない。
逆に昔は風邪で死んだり凍死者は殆どいなかった?そんなことはない。
むしろ、風邪の大流行で大量に死んでいる。(先にあげたスペイン風邪でも)
この時点で
>ほとんどもたないだろうって話なだけですよ
って根拠ないと思うんだけど >>193の答え
つ【陣羽織】
陣羽織は元々戦場での防寒具として鎧の上から着たもの。
羽織は最初は「胴服」といわれていたらしい。
それから昔の人は一年中単(ひとえ)衣で過ごしていたわけではないよ。
普通の着物は裏表に布を使うし、重ね着だってする。
寒ければ綿入だって使う。
当時は木綿は高価だったので、和紙を張り合わせて防寒用の衣類や布団を作ってたんだ。
紙子とか衾とか聞いた事ないかな?
現在でも新聞紙をポリ袋に入れて防寒することだってあるのさ。結構あったかい。
緊急時の生活の知恵w 少しまともになってきて良かったw
>>212
小袖、湯巻、水干、直垂を着れるほどの足軽がどれほどいたか…
雑兵足軽って言われてる人たちは、もっと下層の人たちじゃないのかな
よくて半農半士、ほとんどがかり出された農民のはず
それも小作人レベルの、食う事が必死な層
服のゆとりなんて無いし、重ね着できたとしても、古着の二枚重ねくらい
ましてやジャンパーやらセーターに恵まれたホームレスとは比べものにならないよ
松永弾正(だったかな?)の式目に、当時の農民の生活スタイル規制したものがあるから、それを一度見た方がいい
どんだけ余裕のない生活か分かるから
>>213
陣羽織は分かるんだけど、足軽レベルが着てた?
そういった絵図は見たことないけど…あるのかな?
紙子も名のある武将が使用してたのは聞いたことあるけど、雑兵足軽くらいの人たちにも普及してたの?
出典があるなら教えて欲しいな、うろ覚えでいいから
面白そうだから、ちょっと見てみたい >>214
小袖、水干自体が庶民の服なんだが……
ホームレスのほうが恵まれてるから、生存率が高いんでしょ。
戦国時代の人間の方が体が強かったとか、現代人ならもたない
とかいう論理にはならない。
過去の時代の方が、貧しい生活だったから、ばたばた倒れ、死んでいった。
現代は豊かだから、そうはならない。
ってだけの話。
豊かになって使わなくなるから弱くなる。厳しい環境で耐えてると
>>197>風邪を引かない体質
になるから大丈夫だったてのは
「ルイセンコ主義の亜流を信じてます」って宣言してるだけ
ものがないから耐えていたって話だったら>>202さんの書いた通り
意思の問題。 小さい頃から鍛錬された状態で育つと頑健になるって面はあるだろう(その人一代の話でな)
逆に、時代的な栄養状態の低さが働いてる面もある >>214
>陣羽織は分かるんだけど、足軽レベルが着てた?
>>193には「足軽が」と言う断わりがなかった。
>紙子
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real047.html
ttp://cgif.nifty.com/fkimono/kword/kword.cgi?00310
紙子は別に庶民だけが着ていたわけではなく、贅を尽くしたものもあったのでそれを見聞きしたんでしょう。
この場合、消耗品(使い捨て)として使用したらしい。
紙子は庶民の防寒具としては比較的一般的なものだよ。
木綿よりずっと安いからね。
あと、庶民の防寒具が紙子だけ、と考えられても困る。
紙子も買えない様な人たちは、ありあわせの衣服を重ね着してたろうし。
あと、毛皮なんかも使用していた模様。
越中から冬の北アルプスを越えて徳川に支援を求めた佐々氏一行か、熊の毛皮をまとっていたというのが
徳川方の記録に残っています。 具足が貸し出しされていたから衣服なんかも支給されてたんじゃないかぁ
もし陣羽織なんかがあったとしてだ。
それってあったかいのか?ユニクロのフリースのほうが断然マシだろう。 布自体うすくても空気の層をたくさん作ることで暖かくなるのよ。
とりあえずTシャツを重ね着してみると、
その暖かさがわかると思うよ。 もう服云々はいいよ
現代の感覚で物言う人が多すぎだし
ひとまずほかに、熱した小石をカイロがわりにしたとか、酒で暖めたとかはあったね 唐辛子を体に塗って、寒さを凌いだと言う話は聞いたことが有るな
その歳に手に塗ってはいけない、顔を掻いたときに目に入って耐えられないほど痛くなるから 唐辛子たっぷりの地獄ラーメンを食ってた時に、たまたま箸から落ちた麺の滴が
片目に入り大変なことになった経験がある身としてはよく分かる話だ。 かりあげクンで、靴の中に立ち食いソバの唐辛子いれる話あったの思い出した。 あの応仁の乱だったかで戸板などを盗んでいる絵ってあるじゃない
あれってどうすんの
売れるのか? 何かと使えるみたいよ。戸板。
以前テレビで古い農家が取り上げられてたんだが、
「川が氾濫したら戸板を船にして」とか言ってた。 すべてが手工業だった時代、中古の戸板すらも売れたのかもね。 そういやそうだ。
江戸時代、かまぼこ板みたいなのにも価値は見出されていたんだから、
戦国時代ならなおさら。 加工した木材って、そんなに価値があったのかあ
なんでだろ?
木自体は今より沢山あったろうから、大工不足?
大工の労働費が高かったのかな? じゃあ、蒲鉾板を当時の工具のみで作ってみなよ
工業化が如何に偉大かが実感できるから あれって戸板売るつもりじゃなくて、叩き壊して篝火や薪にするだけじゃないのかなぁ… 押し崩して戸板ごと槍で突けばかの剣豪将軍もお陀仏よ ずーっと謎だったんだが・・・背中に立てる旗。
ドラマみたいに「織田軍は全員織田木瓜」ってわけじゃなくて、
合戦屏風みたいに種々様々だよね。
例えば
信長軍 木瓜
その下の勝家軍 雁金
その下の利家軍 梅鉢
さらにその下の奥村、村井、長がそれぞれ・・・
たぶん、さらにその下くらいまで・・・
20〜30人率いる武将(家)なら、そのくらいで1つの家紋の旗が
あったと思う(違うかな?)
軍勢の規模にもよるけど、味方だけでも百種近く。
で、それが敵味方の区別のためでしょ?
あれ、全部覚えられたのかなあ?
乱戦とか陣替えとかになったら「えーと、敵か味方か分からないから
攻撃やめておこう」みたいなことが、あったように思うんだけどw
詳しい人いる? 旗指物は分からないけど、足軽が槍や肩に付ける合印は各大将旗下で統一されてたみたいです。
桃山以降になると大名家の家紋入り御貸し具足や陣笠が登場します。 雑兵物語に、合印をなくしてしかも”合言葉”を忘れて味方に首切られちゃった話載ってるよ。
大阪夏の陣だと「他の部隊のものは陣に入れるな」という指示が出されてるし、
伊達軍が陣前方の敗退する味方を一斉射撃しちゃってるし、
”敵味方不明”のときは攻撃しちゃってもいい、という不文律が合ったのかも。
旗印は味方判別というよりは、功名確認のためじゃないかなぁ… 日本でも家紋見ただけでどこか判別する役職があったような
江戸時代の話だけど >>232
それだと、合戦の際中にやらなくてもよくないかい? 陣中に与えられた米を使って日本酒作る器用な足軽たち あれたかだか戸板盗んでるだけなくせに
「へっへっへ、俺達悪だぜ〜?すごいぜ〜?」
と得意がってるように見えて笑えてしまう
まあ昔はお寺に狼藉するのってすごい悪なんだろうけど 痛い話だけど、藤堂高虎みたいに手や足の指がなかったり
爪がはがれたりは普通だったんだろうな・・・
今より全然整備されてない平地や河原や森の中を、素足に
草鞋だけで戦ってたんだから、ぶつけたり引っかけたりとかもありそう。 まあ足軽なんぞの軽装備で戦闘に参加せざるを得なかった民衆だろうからな・・・
足袋は基より着の身着のままで武器だけ持った雑兵も多かったろうさ・・・
昔も今も特殊装備というものは高いからな
鎧は基より、足袋なども貧乏人は履かなかっただろうから需要と供給のバランスを考えると足袋はそこそ高かったものと思うぞ >>141
血レスだが、三十路崖っぷちのおっさん見習いの漏れは、
だんだん濃い味が苦手になってきたからか、めしがうまくなってきた。
今では米だけで食えます。
玄米やその他の穀類が混じったのも食べるけど、それはそれでおいしい。
ただ、少ししょっぱいのはなんでだろ