竹中半兵衛
>>278
采女は悪い事績ばっかり残してくれたな。
最期は海外との密貿易がバレて切腹・竹中家改易までやらかした。 竹中重治と黒田義孝の右にでる軍師って戦国地代にいる? よしたかは合ってるが、漢字は孝高やなかったか?越える軍師はおらんな 近いなら直江兼続か政宗の軍師片倉景綱だっけ?そいつらかな 直江が軍師なのはしっくりこない。奴は政治家って感じがする。
でも黒田や竹中は大名や寄騎っていうよりも軍師って感じがするのはどうしてだ 真田幸隆がいるじゃん。一応あいつも軍師。もうちょい生きてたら武田滅亡はなかったんじゃない? 6月7日(日)に私がこの世を去った兵庫県三木市に現れると噂になっておる。
つーか半兵衛を軍師って言う事自体江戸期の創作だし。
良くも悪くも秀吉の寄騎武将だ。 内政を秀長がやって、外交を蜂須賀と黒田がやって、竹中はプランナーみたいなイメージになってしまうんだよな。
そもそも蜂須賀が外交官ってのも武功夜話の創作だろというのはおいといて。 「半兵衛は伝記よりも小説に書いた方がおもしろい人物であろう。」
by海音寺潮五郎 まあ実際の半兵衛は、単純に優秀な寄騎部将ってだけだっただろうね。
軍師云々は甲陽軍鑑の山本勘助に影響を受けた竹中家が、つい勢いで創作してしまっただけの話で。 最近、半兵衛にはまって小説読み漁ってる
吉川さんの太閤記だと半兵衛は何巻から登場してるの? 初めてこちらを拝見しました。
本日三木市平井山半兵衛墓地にて法要が行われました。
自治会をはじめ、市長、岐阜よりお越しの皆様感謝です。
ご先祖様を熱く語って頂ける皆様にも感激いたしました。 各人の経歴や立場を考えれば、蜂須賀・前野・竹中・黒田あたりが外交(折衝)をやってもおかしくはない。当初の秀長はまだ役立たずに近かったし… ̧̛͇̦̭̯͍̱͖̼͔̣̲͙͇̼͈̃͋̓̾͋ͪͣͦ͑̍̃͊̃͟͟͠ͅからの 223 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2009/09/28(月) 22:57:23 0
和泉元弥の母の母の先祖が竹中半兵衛重治だったこと。
224 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 23:07:34 0
山野さん、詳しくおながいします
226 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2009/09/29(火) 00:33:33 0
>>224-225
そう伝えられているそうで、詳しい話は。
男系なら、霞会館の方で当たれるので楽なのですが。
(と思ったら江戸時代は交代寄合で函館まで転戦しているらしいから爵位は
なしか)
最近ではありませんが、漫画『花咲か天使テンテンくん』の作者が、小栗上
野介忠順の玄孫というのにも驚きました。
こちらも手元の本にソースはありませんが、まだはっきりしていた筈。
竹中が無双参戦と聞いて喜ばしい限りだが
困惑も禁じえない
肥が何を釣ろうと勝手だが半兵衛を餌にするのはやめてくれ 秀吉は竹中半兵衛が直接信長の家臣になるのを嫌がったので自分の与力としたって
事に従ってるけど本当かな?
一緒に稲葉山城乗っ取った義父が信長に降ってるのにそれは無いと思う。
有力家臣が少ない秀吉にむしろ信長が付けてあげたのだろう、ひょっとしたら
秀吉のこと監視させてたかも。 半兵衛の信長嫌いにせよ、織田ではなく秀吉に仕えることを望んだという秀吉寄りの捉え方にせよ、
同時代の理解だったのか後世生まれた解釈なのかは断定できないってことだ
文献に残らない人間の意図の部分は幅広く解釈できるからこそ面白い >>308
> 秀吉は竹中半兵衛が直接信長の家臣になるのを嫌がったので自分の与力としたって
> 事に従ってるけど本当かな?
嘘だよ。そもそも半兵衛は信長の直臣だし。 このあたりの歴史小説を読み始めた時に気になったのが秀吉との心理的距離が安定しないことだな
作家によって忠義ものよろしく傾倒するケースあり、
より現代的に(?)ビジネスライクな主従関係を築くケースあり、でなんでこんなに温度差が出るんだ
極端なものに触れると、実際の竹中の心中はどんなものだったかと考える 信長が秀吉にが勝手なことしないように付けた目付けだよ。
勝家についた佐々や前田のように。 だいたい黒田長政を保護出来たのも、信長の直臣と言う立場があったから。
秀吉の家臣なんて立場じゃあんな事無理。
ある程度の好意は持っていたかもしれないが、基本的には仕事上の同僚(上司と部下)
って考えるのが一番いいと思う。
ちなみに秀吉と竹中は主従になった事は一度も無いぞ。 天道で久々精悍路線に立ち戻っていて驚いた
よし、そのまま兜を被れ 姉川では安藤守就と一緒に行動してたって記述を時々見かけるんだが出典はなんだ? >307
確か「太郎五郎」って人がいた気がする。
あんまり覚えてないけど。
ちなみに出典は「軍師の門」 >>317
信玄から菅助への感状と、小山田某への病気見舞い依頼書が新しく見つかったな。
勘助じゃなくて両方とも菅助になっている。 半兵衛は陸遜と違って普通に美形奈イメージ…
沖田の肖像画見る限りは、当てにならんが >>242-246
ギガント亀レスだけど
「孔明を失った劉禅のごとく」だったよ 半兵衛の実績って何があるんだろ。
稲葉山城奪取?
あんなの味方だからできた芸当で斉藤家の者でなければ城の中にも入れないで終了。
敵対勢力の難攻不落の城落とすのとは雲泥の差があるから
そんなすごくないし実戦で部隊率いて活躍したわけでも無い。
ゲームじゃいっつも知略90以上あるけど大したこと無いよね。
半兵衛の城奪取の話を聞くたびに尼子経久や北条早雲の
話と被るなと毎回思う。少数で不落の城を盗るってところや
何かに化けて入るとか。 黒田長政を救ったのが功績といえば功績
実際のところ、長政が信長の人質になったこと自体が
もともと半兵衛の献策によるものなので
単に善意でしゃしゃり出たというよりは
「やっべえこれ殺されたら俺のせいじゃん」
という計算が働いていた気はする
信長包囲網が敷かれ、信長と浅井長政が敵対関係になると、
重治はかつて長政の家臣時代にあった浅井家臣団との人脈関係などにより、
主に調略活動で活躍した。元亀元年(1570年)には浅井方の長亭軒城や長比城を
調略によって織田方に寝返らせている。直後の姉川の戦いにも安藤守就の部隊に参加した。
この姉川の合戦の後に信長の命で横山城に秀吉と共に残し置かれこの頃から信長直臣
から秀吉の与力へと転じた。
長篠の戦いで、武田勢の一部が向かって左側に移動した。
秀吉は回りこまれるのではないかと焦ったが、重治は織田勢の陣に穴を
開けるための陽動ではないかと進言した。
秀吉は重治に従わず迎撃のため兵を動かしたが、重治は反対した挙句手勢と共に
持ち場を離れなかった。
まもなく武田勢は元の位置に戻って秀吉が不在の地点に攻め寄せた。重治が守っている間に秀吉もあわてて帰還し、
重治が正しかったことが証明された。
中国攻めの陣中で病死する際には秀吉は京で養生するように戒めたが、重治は「陣中で死ぬこそ武士の本望」
と断ったとされる。また最後の策として、三木城兵糧攻めを秀吉に授け、別所長治
を降伏させている。この無血開城戦法は、後の備中高松城の水攻めにも通じている。 まぁ、表に出ることを嫌う人物だったら今の情報の少なさも納得出来ないことは無いが、
本当に活躍しなかったとしても今の情報の少なさは納得だからな
どちらとも取れるので、楽しむしかないな 実際のとこと小物だったんだろうな
一族も大した禄貰ってないし
調略だと蜂須賀さんの方がたくさん記録残ってるし
どこをどうなって天才軍師像みたいのができたんだろうか
その経緯が気になる 正直半兵衛は諸葛亮より郭嘉だよね。神がかりな洞察力、早死にのあたりが。 竹中半兵衛役 山本耕史
www.tv-tokyo.co.jp/gunshi 間違えました。
http://wrs.search.yahoo.co.jp/_ylt=A3yTKiHR5V1MORIA102DTwx.;_ylu=X3oDMTEybGw1NmFsBHBvcwMyBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGUEdnRpZANqcGMwMDE-/SIG=11l20qeka/EXP=1281308497/**http://www.tv-tokyo.co.jp/gunshi/ >>325
自分の作戦のせいで罪の無い黒田親子が犠牲になった挙げ句
己の疑心暗鬼で人質を殺して信長と秀吉の面目が丸潰れになるという
それこそ最悪の事態を回避したわけか
自分の犯した失敗の責任は自分で取るとは実に立派じゃないか 人生短しと思い定めてしかと生きるべし
長生きできればもうけもんやな 山本耕史の半兵衛、めっちゃ良かった
「二人の軍師」NHK大河でやってくれー! 実際は近江の調略でちょろっと活躍したくらいで
ほとんど活動の程がわかっていない人物なのになあ 具体的な活躍と、その典拠をよろしく
長篠で活躍したなんて聞いたことないけどなあ あ、間違ってもウィキペディアが典拠です、とかは言わないでね 司馬遼太郎が、小説「新史・太閤記」で描き出した半兵衛がピカイチ
人間像として、長短合わせて最高に魅力的 稲葉一鉄ら美濃三人衆が
美濃平定後も信長が横死する直前まで
美濃に地盤を持って転封されるでもなく、
柴田・羽柴などの与力として僻地に飛ばされるわけでもなく(遊軍として各地の戦に参加はしても領地は美濃のまま)
信長直属の臣として独立性を認められて、それなりの禄を有していたのに対し
(まあ氏家さんは途中で戦死、安藤さんは信忠に美濃を任せるにあたって追放されたが)
竹中さんは信長の直臣でなく秀吉を選んだとか美談になってるけど
結局のところ秀吉の陪臣扱いで禄も少ないし、それだけでも大した活躍はしていない
(少なくとも信長からは評価されていない)のがわかると思うのだがなあ。
結局のところ、ほとんどの伝説の軍師的な逸話は秀吉・竹中家サイドの軍記物が出典で
一次資料にはほとんど登場しない程度の人物だろ?
子孫らの扱いをみても、重臣ではなかったのはわかりきった話。
過大評価され過ぎだよ。三国志でいうなら郭嘉や孔明に比するとか無いでしょ・・・
せいぜい馬謖とか楊修止まり。多少の智謀はあるけど、さしたる活躍のないまま死んだっていう。
表立った活躍が不明なのは、この人に権力欲が無かったからじゃないか
一方で、知謀湧き出るが如くという表記があり、人々の尊敬を集めていたことは分かる
「天下は天下のための天下。一人のものにあらず」
権力より、もっと先にある真理を見ていた人だったのだと思う 禄が少なくても、それなりの功績がある人物ってのは
史書に記述が残るんだけどね。
可児才蔵なんか、ただの1兵卒だし
>知謀湧き出るが如くという表記があり
だから、それ羽柴・竹中家の軍記以外で?
誰だって自分の先祖はよく書くもんだよ 展示されているかは解らないけど竹中重治の甲冑は林原美術館にあるよ
あの甲冑は肖像画に描かれてる有名なやつより個性的で好きだなぁ
いつか生で見てみたいもんだが、展示されてないのか・・・ でも林原美術館倒産閉鎖しちゃったんだよねぇ
竹中さんの甲冑が担保に取られるなんて(´Д`) センゴクでは大変、魅力的な人物だったな
秀吉とは信頼関係、ゴンベイには優しいし
播磨灘物語では、秀吉の嫉妬も早死にの一因だったよな 十面埋伏陣で美濃に侵攻した信長をボッコボコにした張本人だぜ
いい話スレとかに出て来る逸話見ると少し変わった人って印象だね
偉い人の前でも手足ぶらぶらさせるの止めない、人と違う方向に刀を置く
友人が自慢する手紙を唐突に焼く、重いから甲冑を着込まない
ゴーイングマイウェイと言うか独自の理論でのみ行動するタイプというか 太閤立志伝4をプレイして
勝手にイケメンだと想像していた
竹中直人より年長の
古谷一行が半兵衛ってのは
ショックだった その分では真田幸村(信繁)の手紙を見たらさぞショックだろうな。
すっかり年を取って近頃では髪は白髪まじり、はも抜けました、なんて書いてあるから。 ま、誰もが知ってる話に、いまさらショックも何もないあるものかと 秀吉と半兵衛って仲良しな扱いを受けることが多いけど
本当にそうだったのかな?
なんか反りが合わなさそうなイメージ・・・ >>363
太閤立志伝4しか知らない360に言ってるのに何トンチンカンな事言ってんだろう!?
>>364
何を根拠に? >>364
性格の反りが合ったかどうかは流石に知る由もないけど
成り上がりの木下組には古い武家のインテリはめっけもので
気に入らない上司を追い出したりする面倒な評判がついた男には
実力さえあれば問題ない良い職場だったんじゃないかと思う
半兵衛が長生きしてたら分からんけど、それなりに上手くやってたんじゃないかね >>367
自ら情報発信するんだ!と息巻いて、早三ヶ月。
一言も無いとはなw ニコニコ大百科に剣術も皆伝の腕前って書いてあるけど出典は何だろう? 如水に謀殺された可能性はない?竹たん消えれば得する人物は黒田しか思いつかない。 一応定説では
労咳で亡くなったらしいから
いくらクロカンでも
病原菌しかけるのは無理じゃね
しかも自分はその辺りで
荒木村重に監禁されてたはず なんかだんだん半兵衛が過大評価に思えてきた そんなに大活躍したか?