竹中半兵衛
2get
⊂⊃ /~~\ ⊂⊃
...............,,,,傘傘傘::::::::傘傘傘.............
∧_∧
(´・ω・) キキーッ!
O┬O )
◎┴し'-◎ ≡
∧_∧
(・ω・`) スルーッ
O┬O )
◎┴し'-◎ ≡ 半兵衛の活躍なんてほとんど創作
絵本太閤記は信憑性皆無の講談小説 本朝の戦国期における軍師とは、人脈を用いて多数派工作する営業マンであった。
2ちゃんねるで、良く出てくる説。
検証をしてもらおうか。 昨日はばあちゃんの命日だった。
明日は嫁のお父さんの命日だ。
まあ自分語りだが、どちらも岐阜県人ゆえに許してくれ。 >>8-12
おまえら、ダイナミックに現実逃避したな。 息子は徳川の家来だよな?どんな奴だったんだろ?教えて歴史学者さん! >>14
歴史学者じゃないけど、関ヶ原の時最初西軍についてて、関ヶ原の決戦の時
合戦中東軍に寝返った。
父である半兵衛の伝記を書いて、今も名前が残っているのもこの功績が大きい。
その代わり、まだ幼年時代に半兵衛たち将校が軍議の話しをしているのを聞かされてて
途中でオシッコしたくなって便所に立とうとすると半兵衛が「てめえこのクソガキ大事な話を聞かせてもらってるのに
小便に行こうとは何様のつもりだ!そこで漏らしながら話しきいてろ!!」などとやっていた
DQN父ぶりも後世に伝えた。 >>15
貴重なお話thx!
情報源教えて下さい。 てか半兵衛調べたらフツーに出てくるよな。その逸話。 信長の命令に背いて(よく考えるととてつもなく危険な行為)
黒田長政をかくまったのは史実なので
心優しい人間だったのは間違いないだろう。 軍師的な男って古今東西、マゾ、ホモ気質なんだよな
己の才能で天下を統一しようとするんじゃなく
誰か魅力ある能無しを担ごうとする
で、自身は地位や権力に固執しない
孔明然り、半兵衛然り、張良然り、周恩来然り、
そして如水のように我が天下を狙うと、絶対に成功しない
結局はbQの存在だな 兵庫・三木市に墓所がある。ひっそりと花が手向けてあった。 >>22
己の利害損得が頭にあるとどうしても目が曇っちまうんだろうな。 普通は反目しそうだよね、この二人。互いの器量を知ってるから仲良かったのかな 官兵衛は本能寺のこと知った時、秀吉に天下取りを勧めてたけど、
実は後で豊臣家を乗っ取るつもりだったのか? 太閤秀吉の名の元で天下に号令したかったが九州にとばされた・・バテレンだからしょうがない まぁ、官兵衛はしょせん自分の息子すら思い通りに動かせなかった
わけだからな。天下はとてもとれんわな。 牛だった。
爆笑信長の野望っていう結構昔に肥から出てる本に、
【秀吉の軍師として勤めるが、
後世の伝記には「竹中半兵衛は牛に騎乗して戦った」など誇張が多く、
信憑性にかけるようだ。】
って書いてあるだけw
どの書物とかはわからない、スマソ 竹中半兵衛の事跡で史実である可能性が高いのは
・義父である安藤守就と共謀して稲葉山城を占拠(ただし十数人ではない)
・美濃の有力者堀秀村を調略
・黒田官兵衛の息子を信長の追及から匿う
秀吉の軍法の師であったとか三顧の礼とかは全部創作の可能性が高い かなり有能な部類でしょう。
親父のせいで目立たないけど。 >>41
まぁ、親父とは才能の方向が違うかな。
親父は、参謀長とか謀略担当にはうってつけの人材だが、
息子はむしろ政治家の側面が強い。
人気は親父の方が高いが、息子の方が成功したといえる。 父親とは別の道を選びたがるのは普通なことだと思う。
正純だって、反発はあったみたいだし。 サンクス
他にも本多忠勝が日本の張飛と呼ばれていたようだね
三国志の武将に例えられた人物は他にもいそうだ >>45
テキトーなこと言うなw
そういうクセはつけんほうがおまえさんの身のためだぞ。
鑑真が来日する前の世代の人、大伴旅人が
酒の名を聖(ひじり)とおほせし
古の大き聖の言のよろしき
という歌を残してるが、こりゃ徐邈と曹操の故事をもとにしとるぞ。
もっとも『三国志』本体じゃなくて『芸文類聚』を種本にしてる可能性
も指摘されてるが。 >>44
『続日本書紀』
天平宝子四年十一月十日の条 三国無双2か3の頃のインタビューで、
軍師系はあまり無双のイメージではないから、あんまりださないとか言ってたから、
半兵衛もでる可能性は低そうだ。
ゲームの話は板違いか、スマソ 信長の野望では日本一の名軍師なんだが
史実とのギャップがすごい >>63
や、やめろ! 荀ケを女にした実績のある肥なら本当にやりかねん。 やはり張良、孔明ら古代支那の軍師達になぞらえて
講談の竹中半兵衛像が出来上がっていったのだろうね
太閤記の講談で秀吉人気が高まったのは事実だろうが
軍師・半兵衛の過剰な脚色で秀吉自身の軍才を過少評価されてしまうのは皮肉な事だ むしろ被害を受けたのは秀長のようなきがする、
秀長のほうが諸葛亮像に近い働きしてると思うし。 秀吉は功績を手下に分散させないとスーパーマン過ぎておもしろくないんじゃない?
庶民にとっては。
不敗の名将で最晩年以外は政治外交も完璧でしたじゃ感情移入しようもねえ。 司馬の『太閤記』では秀吉に焦点が当てられてて半兵衛や官兵衛があまり目立たなかった覚えがあるが。
吉川や山岡の『太閤記』ではどんな感じ? 竹中半兵衛の427回忌法要に参列した人たち=平井
安土桃山時代に羽柴(のち豊臣)秀吉の軍師として活躍し、三木城攻めの最中に病死した竹中半兵衛(一五四四-七九年)の四百二十七回忌法要が十三日、平井の墓前で営まれた。
薮本吉秀市長をはじめ関係者ら三十人が参加し、功績をたたえる詩を披露し遺徳をしのんだ。(佐伯竜一)
竹中半兵衛は、穏やかな人柄と大胆な軍略で秀吉を支え、三木合戦では「干殺し」(兵糧攻め)の策を練ったといわれる武将。
戦った地元三木にとっては敵方だが、秀吉方から供養を頼まれたという。これを受け、地元では毎年月遅れの命日に法要を続けているという。
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/mi/index.shtml 如水との関係
如水と半兵衛が初めて顔を合わせたのは、秀吉の中国征伐軍が播州に差し掛かった頃だから、だいたい一五七五年頃だと思われる。
よく、如水と半兵衛を秀吉の二大軍師などと呼ぶが、半兵衛の生没年を見ればわかるように、如水との出会いからわずか四年でこの世を去ってしまっているため、実際に二人同時に秀吉に仕えていたのは本当にわずかな時間であった。
しかしこのわずかな時間の中で、如水は半兵衛から多くの事を学び取ったと考えられる。 しかし秀吉は運がいいな。
尾張の頃から中国攻めまでは半兵衛が、
三木城攻めで半兵衛がぽっくり逝くけど幽閉されてた官兵衛が軍師に。 76 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/04/05(月) 19:42
堺屋太一さんが言っていたと思うけれども、
半兵衛と官兵衛をそれぞれ現代人に喩えて…、
半兵衛…エリート銀行員から新興商社にトラバーユした人
官兵衛…立案能力が命、の辣腕官僚
らしいです。
何となく、納得できそうで納得できないのは、やはり、どこと無くしっく
りこない喩えだからでしょう…。
皆はどんな風に喩えますか? >>71
あんま変わらんな。
その代わり司馬には「播磨灘物語」があるけど。 当時の女っぽい顔はしていたのかもね。
それが現代では美形と捉えられてるのかも。 半兵衛の墓のある三木城跡の説明の絵では、微妙なひげのオッサンだった
別所や秀吉はハンサムに描かれてるんだが
コーエーのゲームで美形補正を受ける前に描かれたんだろうな
まあ、息子は歴史に残る面白フェイスだったけどな。遺伝を信じれば美形ってほどでもなかっただろ>半兵衛 女みたい、軍師、肺結核、夭折…
これらの要素から美形だと思いたくなるのが浪漫 まあ逆説的に言えば、天下人となった秀吉があんだけ重宝してたんだから、
別に記録に残らなくとも色んな所で役に立ってたんじゃないだろうか、と思うよ。 まあ出世欲が無かったってのは当時としては変人扱いだろうね
現代の基準で見れば清廉な人物になるんだろうが
出世欲が無かったという話も根拠が無いからなあ。
実際に大した禄をもらっていないけど、その程度の人物だった可能性もあるし。 自分より才能がある半兵衛のコトがジャマでしょうがなかった官兵衛は、半兵衛に毒を盛って殺してしまいました!コトの真相を知った秀吉ですが、とりあえず官兵衛を許しましたが晩年政権を追い中津に左遷しましたとさ(o^ー’)b てのはどうよ? あの段階で官兵衛殺したら秀吉の天下はおろか対毛利戦さえも危ういと思うがいかが? >>93
今でも子孫いるんかな?
重門系は旗本になったらしいが。 >>87
まだ秀吉がぺーぺーだったから
大した禄じゃなかったがかなり優遇されてるはず
それと稲葉山城は16人で穫ったのも史実だろ
その後処理に二千人の安藤軍が協力したのでは? >>94
幕末の時の重固ていう陸軍奉行が子孫じゃなかったっけ?
戊辰戦争後どうなったかしらないけど まぁ、この人についてのまともな史料ほとんどないし
講談ばかりだし
評価しようがない、でいいよ
天才軍師とか17人で稲葉山城攻略とか、もうね… >>98
だったら来んなや
ここは歴史を検証する場所なのか?
そんな下らねーこと言ってたら何も語れねぇぞ
全て創作かもしれないが真実じゃないとも言えない
半兵衛は秀吉の礼状を処分してたり
自分の事を語りたがらない男らしかったから
わずかな伝聞を頼りにしか語りようがねぇじゃねぇか
卑弥呼や山本勘助だって謎だらけで語れねぇぞ
ただひたすらに、
軍略のみを考え続けた師の生き様は、
最高の生き様である。
竹中半兵衛は昔好きだった。
俺が戦国にはまった原因である吉川英二の新書太閤記で妙に記憶に残って好きになった。
その前に読んだ三国志の孔明そのまんまのエピソードがあったせいかもしれんが。
その後、竹中半兵衛の小説を探してPHPから出てる八尋シュンスケ(漢字失念)の
「(軍師)竹中半兵衛」を読んだ。なんか無茶苦茶な聖人にされてたが、
なかなか良かった。ファンなら面白く読めそう。
日本人に竹中半兵衛という人物を骨の髄まで叩き込んで教えれば
今後の日本は(少なくとも教育の面では)100%良い方向に向かう。
そうゆう人・・・あ〜でも、もし本人が生きていてそれを知ったら蟄居されそう。・・・そうゆう人 八尋著の竹中半兵衛は中々良いよね。軍師的かっこよさはそんなないけど、結構好き。
どうも信長が好きになれない俺は・・・・。真相は知らないけど、義父安藤伊賀守が武田内通で追放。
半兵衛が生きてたらどう行動したんだろう?って妄想が膨らむwね。これまた楽しいw
またクーデター起こしたとかさ。
>>103
ゲームだと重門は毎回中堅官僚的な能力だけど、重矩は出たこと自体あったっけ? 播磨の小城を探索してごらん
あちこちの城で「竹中半兵衛、黒田官兵衛」に攻略されたって
看板に書かれていて両兵衛に攻められたらそりゃ落ちるわなって思うから
>>110
「天下統一」シリーズには剛勇の士で登場してる。姉川の時に活躍してるし。 頭良すぎて、兵を預けて貰えず天下を取り損ねたと、死ぬ前に嘆いたのは史実かな?
小説で信長に、半兵衛は頭が良すぎて先が見えすぎてて、逆に何も出来ない。
自分の様にほどほどのほうが思い切った事出来るのさ、とか書いて有ったな。
褒めてるのか、貶してるのか解らんけど。 城乗っ取りや黒田長政救助とかは本当なの?
よく小説とかには出てくるんだが、話が出来すぎているような気がしないでもない。
半兵衛好きだから本当であってほしいが >>116
黒田家の家紋が竹中と同じだから、やはり。 乗っ取りは微妙だが長政救ったのは本当。
黒田家の方の歴史記録にそう書いてあるそうな。 おまい無邪気で可愛いすぎるぞw 長生きしてても、手取川で指揮を
取るのは勝家で、半兵衛は秀吉と一緒に帰っちゃうから無理w
本で読んだんだが、
『信長公記』では、竹中重治は秀吉の『与力』としての立場であり、
秀吉専属の軍師では無かったと書いてあったらしいが・・・。
なら、もうちょっと長生きして、信長殺されなかったとしたら九州平定後どうなってたんだろ? >>121
元々秀吉の栗原山7度通いもなかった、というのが今じゃ定説。
単に美濃攻略後に下った重臣の一人、という扱いだったから
当時の秀吉の下には家臣としてはつけられないやねえ。
で、信長死んでなくて本人も長生きしてたら普通に希望通り普通に出家してそう
読んだ
目新しい事はなかったけど、(小谷攻の図解は良かった)
作家の愛が伝わってきて良かった。
秀吉の枷の作者は半兵衛が好きなんだな・・・
作品がああなった理由にちょっと納得した 江戸時代の講談は三顧の礼じゃないかな
半兵衛の場合史実かどうかは微妙だが稲葉山城占拠と
確実事実な黒田長政を助けた事が後世の評価決めた気がする 一時期、近江に蟄居してらしいけど地縁でもあったのかな? ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺
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☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ そもそも反米は実在したかも怪しいんじゃなかったっけ? 実在は確実だが軍師としての武勇伝のほとんどは
信憑性のないものや誇張されてるもの。 >>132
インチキ文書、武功夜話でよくあることだなw 「武辺咄聞書」「名将言行録」に収められている竹中父子の逸話、
重治(半兵衛)が同僚諸将に合戦譚を聞かせていたところ、重治の子息左京が
途中で席をはずした。戻ってきた我が子に理由を尋ねたところ、
「小用をたしに行った」と返答したので、重治は大いに怒り、
「合戦譚に聞き入っていたため、尿を漏らし、座敷を汚した。それでこそ
さすが竹中の子と言われ、我が家の面目も立つというものだ」と叱った。
これは半兵衛・重門父子の会話と思われているが、左京という人物が気になる。
半兵衛の子は重門しか見られぬし、重門が左京を名乗ったという証拠もない。
しかし重門の嫡男重常(つまり半兵衛の孫)は左京亮を名乗っているのである。
このことからこの話は半兵衛・重門父子の会話ではなく、重門・重常父子の
会話とも考えられる。
稲葉山城占拠は史実(同時期に安藤伊賀が稲葉山城周辺の行政を担当してた史料があるらしい)が、
そこで半兵衛がどのような働きをしたかがわからないんじゃなかったかな
まあ安藤の娘婿だし、その後国を逃亡したことから参加したのは間違いないようだが >>135だがすまぬ、>>15に同じ話書いてあったな >>141 善政、父親には天下を狙うなと言われてたしな 素敵な書き込み有難うございます。各種単行本に記載してある内容は事実かどうかわかりません。ただ、いまだに語り継がれる竹中半兵衛の逸話には信憑性も数多くございます。 ここにおいでの皆様は、岐阜県垂井町及び兵庫県三木市に行かれた事がございますか?垂井町は半兵衛生誕の地であり、陣屋跡や学校跡が残っておりますし、町の資料館には半兵衛ゆかりの写真等々保存してございます。 また三木市には半兵衛のお墓がありまして、毎年命日には平井山の皆様が供養をしてくださり、確か今年は428回目か429回目ではなかったでしょうか? 僧侶の読経と町民の方々による詩吟にて弔って戴き、以前大臣を経験された井上喜一代議士も参列されておられました。宜しければ是非一度お訪ね下さいませ。 竹中半兵衛公が亡くなった時の秀吉の落胆振りは、かなり凄かったらしいですが、
例えるとどんな感じだったんでしょうか?
>>147
1ヶ月前に竹中半兵衛公の墓に行ってきました!!
http://p.pita.st/?m=vskcw5g3
と、三木市の竹中半兵衛公に対する熱い思いが“ビンビン”伝わってくるお墓でしたw
あと、播磨・三木城跡と三木城攻めの際に秀吉が本陣を構えた平井本陣跡も行ってきたので
↓に貼っておきますw
http://p.pita.st/?m=odwspvwb http://p.pita.st/?m=bexpq5oz http://p.pita.st/?m=vjgd2dsq
半兵衛が松寿丸を匿う場所として、美濃にある半兵衛の故郷を選び、
松寿丸を連れて、「ここが関ケ原と申してな、この地は東西の交通の要所で──」
と、関ケ原を知り尽くしている半兵衛が、まだ幼い松寿丸に、優しく語り掛ける姿が、
史実、逸話、創作に関わらず、目に浮かび、僕たちに感慨深い何かを感じさせてくれるのだ。
そして後に松寿丸が黒田長政と名乗り、彼がこの地で大きないくさを、
繰り広げることになるわけだが、そこら辺も、ああ、歴史っていいな、思う瞬間である。 播磨灘物語でのその場面に感動したな
半兵衛好きになった思い出の小説だ >>107
半兵衛が悪いわけじゃないけど
軍師カコイイ!、こーゆー軍師いっぱい育てれば戦争に勝てるゾ
と勘違いしてたのが太平洋戦争の日本軍じゃなかったか?w
奇策きどりの愚作ばっか立案する輩を >>156
桶狭間=奇襲成功という伝説と同じ弊害だな。奇襲と迂回戦術に一辺倒。 竹中家って江戸時代、交代寄合なんだなあ・・・
大名待遇で、行列組んで参勤交代してたんだってなあ
すげー コイツ大したことないよ。三国志で例えるなら陳宮レベル 後の天下人の軍師で病弱ってだけで妄想がモリモリ膨らむ。 信憑性のある資料の少ない人なんだが
稲葉山城関連と(これも主犯は舅らしいが)
黒田の息子関連のエピでイメージが決まったようなもんだよな 現代では女顔の男はイケメン評価されるが、戦国時代ではどうだったんだ?
というか、戦国の女性はどんな容貌だったんだろう >>169
結構色んな小説で半兵衛の女顔が嫌い
という理由で斉藤親子が苛めてる設定がある。
顔で苛められたらたまらんなw >>171
今の時代も顔が気に入らないって理由での苛めはあるだろう・・・ 道三には可愛がられてたらしいのにな
単に道三が女顔好きだったのかもしれないが おすすめの半兵衛関係の小説はありますか?
とりあずアマゾンで見つくろってぽちぽちしてます。 どういう半兵衛が読みたいか次第だが
病弱・聖人・秀吉と仲良し → 新説太閤記(吉川英治)ただ長くて読みにくい
真っ黒な策略家 → 妖説太閤記(山田風太郎)
既存のイメージから大きく外れない点でなら「士意気に感ず」と
「竹中半兵衛と黒田官兵衛」あたり。
半兵衛主役物よりも黒田官兵衛主役ものの半兵衛の方がいい感じ。 八尋しゅんすけ(漢字忘れた)の「竹中半兵衛」は読んだけど、
かなり美化されてるありがちな感じだなぁという印象だけ残ってる。
決して悪い本ではないと思うけど、上に挙がってる吉川英治の太閤記の方が好きといえば好き。 吉川版の半兵衛って何となく女性的なんだよな
外見の弱さとか秀吉への尽くしぶりからそう思うんだろうけど
小説じゃないがセンゴクはどうよ
美形でしっかり者でお笑い体質の半兵衛はなかなかいいぞw いろいろありがとうございます。
いろんな解釈の竹中半兵衛を読みたいので、
あげられたものを順番に読んでいこうと思います。
美形でしっかり者でお笑い体質の半兵衛も気になるww 中身のない存在だけに小説だと思う存分活躍させられるからな
実際は話にならん雑魚だろう すごいおいしいポジションにある人物だよね
天下人の参謀
若死
美形 >>183
なんでも夭折ってだけで絵になる。
沖田も瀧廉太郎も夭折ってだけで私は好きだ。 >>185
南アメリカかアフリカにでも行けば?
平均30才くらいで死んでるような国に行けばアドレナリン出まくるんだろ? >>186
平均寿命が30じゃ、30歳で死んでも夭折とは言えないんじゃないか?
言葉の意味としておかしいだろ 過大評価でも何でもいい。
この人のいない太閤記は描いてて死ねる…
むさ苦しくて死ぬ。 女いないもんな
男ばっかり・・・・
しかもおっさんw
想像すると確かに紅一点だ
小説で麗し描写が凄いのは、むさいおっさんばっか
書かにゃならん作家の癒しだったりしてw
そりゃ作家だって、むさいおっさんばかり書いてれば嫌になるさ
たまにはキレイなもん書きたいさ
・・・・そして半兵衛が理想のヒロイン化していく
吉川英治はこの典型ではないかと あ〜吉川作品の半兵衛はすごいよな
佳人設定の妹よりヒロインだったもんな… 美人臨死可儀容
一輪の白椿
昼顔の花
明眸皓歯
美人、花ときて楊貴妃…
それどんな絶世の美女だよ
吉川英治の想像する半兵衛の姿を
一度拝んでみたいもんだな 外見もだが、何より言動の美しさの描写が印象に残ってる。
ウロだが、秀吉が見舞いに来た時に
起きて綺麗に身支度して、花を生けて見苦しくないようにしたりとか、
行動すべてがすごい上品で読んでてドキドキした。
確か、その仕草の美しさに見とれて、敵がうっかり捕まえそこなっちゃって
なんてシーンもあった気がする。
手弱女って感じなんだよね
なんかもう想像を絶する人物造詣なんだよな〜 >>191
小説じゃないが最近の「センゴク」が天正記になってそんな感じだw
たまに半兵衛が出てくるんだが、すごい麗しくなってて吹いた。
(前に「おっさんばっかり描いてるを気が狂う、だからエロや女キャラ描く」
とか言ってたのに、エロは評判悪いし、女キャラ出る展開じゃないわで
本気でムサ苦しい作品になりつつあるからかな…) 大戦国志とか、本当に男だろうか?って感じに書かれてる
やっぱりそれも回りがムサいせいだろうか >>197
それ知らなかったのでぐぐったら、架空戦記なんだな
そのジャンルは全然知らないが面白い? >>198
大戦国志、信長王記あたりは半兵衛好きにはお勧め
信長王記の山本勘介vs半兵衛とか密偵やる半兵衛とか
読んで損はないと思う
試しに一巻読んで、その日のうちに続き注文したよ 勘助と半兵衛って、戦国時代屈指の人気軍師だけど
極端に対照的だから対決させるの面白そうだな。
二巻の半兵衛が異様に可愛い。
人を殺せなくて、足軽に手を引っ張られて逃げるとこはヒロインでしかない。
川中島の戦いも、謙信が半兵衛のためにおこしたことになってたりする。
これも「まわりがおっさんばかりだから半兵衛を可愛く書く」病のせいですか? 更に信長に一目惚れされて口説かれまくったり、
信玄にうまい事取入ってまんまと騙したり、
秀吉に抱きしめられたり、
…と書くと乙女ゲームのヒロインのようだよなw<信長王記 それを見た小六達が秀吉を男色家だと勘違いするんだよな…
他も色々と凄かった
なんかもうタイトルの割に信長が影が薄いというか
半兵衛萌えによる半兵衛萌えのための半兵衛萌え小説って感じ とりあえず信長王記一巻だけ買ってきた
半兵衛17歳の設定なんだな
そして信長本当に存在感ないな 1巻って結局、半兵衛に一目惚れした信長が
完膚なきまでに振られるまでの話だよな…
桶狭間云々より信長の振られっぷりのが印象に残ってるw
半兵衛が秀吉の家臣になりたいって言い出して
「こんな男のどこに惚れた」
って嘆いて終わってるな 何もかも勝ってる相手に負けるのは悔しいやねw
ちなみに17歳なのは、桶狭間時点での年齢
あの展開なので美濃攻略がすっぽり抜けてるから 2巻では信玄と謙信が半兵衛に惚れるんだよな…
信長に信玄に謙信
これだけいて何故に秀吉を選ぶのか
この展開だと不思議で仕方ないなw 秀吉は小猿だから安全
他は猛獣だから身の危険を感じる
これだろw しかしちょっくら歪んで考えると
信長たぶらかして清洲城(尾張)ぶん取って斉藤と戦わせる
→信玄だまくらかして武田の内情密偵
→バレたら謙信に取入って武田と戦わせる
ってどんだけ悪女だよw
という気もするんだが… >>208
ざっくり読み返してみたが、謙信には結構ぐらっと来てるw
信長に関しては、会ったその日に
「将来天下を取るこの俺様の隣にいろ」
なんて口説くモテ男より、冴えないけど誠実で謙虚な方に好意を持った、って事だろう 二巻読んだ
半兵衛の姫っぷりに吹いた
信長の存在感の無さには泣けた 【キーワード抽出】
対象スレ: 竹中半兵衛
キーワード: 箕浦合戦
抽出レス数:0 久々に来てみれば…
何故か小説の話しで盛り上がってたんだな 笹沢左保の竹中半兵衛読んで好きになった。
今、神戸電鉄か何かで、三木城とかのスタンプラリーしてる。
稲葉山城占拠事件は、「ただの謀反の失敗」って言うのが、昨今は定着したな。 むさ苦しいオッサンまみれの戦場に
潤いが欲しいだけなので
イメージ重視 このスレが閑散としてるのは、別の板の半兵衛様スレの方が
>>>221みたいなのが出入りしなくて居心地がいいからかな 別の板の半兵衛様スレは腐女子の溜まり場だろ
ここは歴史ヲタが大半なんだから、歴史に大きく関わっていない重治軽視するのは当たり前 >>223
まさか、主君をたしなめたって講談を信じてるの? 別に信じてはいないが…
こいつ空気読めないんだなと思ってる
>>219みたいに貶しに来るのも論外だが
わざわざスレの空気壊しに来る奴もウザイわ >>221を悪意としか捉えられない方がウザイし、それに空気ってなんだよ
マンセーして周りと馴れ合いしたいなら別板の半兵衛様スレに篭ってればいいだろ 空気と言うが、ゲームとかの偽孔明みたいなキャラクターよりも、
戦国武将らしく野心と権力欲にギラギラしている半兵衛のほうが、かっこいいと思うぞ。 >>228
そういう半兵衛も確かにいいな
人間味があっていい
竹中半兵衛は小説も沢山出てるし、そのイメージで好きになった奴
そのイメージを引きずってここにいる奴も多いんじゃないかな?
スレその人物の名前がついてる、アンチスレでないスレなら
その人物が好きな奴が集まる確率が高いの、解るだろう?
そこでID:1m1PfGMgみたいに
>重治軽視するのは当たり前
なんて書いたら、反感持つ奴が出るのも仕方ないよ >>221
この間呼んだ官兵衛主役小説がその説を使ってたが
半兵衛の「あれは謀反なんですよ」に
官兵衛はまたまたご冗談を(AA略)みたいな反応だった。
…つか吉川の頃ならともかく、だいたいの小説でも結構個人的な仕返しとか
ちょっと自己顕示欲でやっちゃいました(センゴクとか)がほとんどじゃね?
それでも聖人で清らかなイメージは崩されないのが凄いがね。
いっそ城盗り藤吉郎みたく突き抜けて腹黒な半兵衛を他にも読んでみたいw >>230
何その(AA略)って
なんか気になるな >>232
重門はそんなに恩義感じてないんじゃないの? >>233
半兵衛は秀吉の寄騎でしかなかったけど
重門はちゃんと秀吉の家臣なんだよね。
つか関ヶ原の時点で将来家康が豊臣を潰す、なんて予想は
誰にもつかないだろうけどな。
でも重門は豊鑑という貴重な史料を残してくれて、半兵衛=孔明の
イメージを作るきっかけにもなったワケだが
もう少し自分や自分の家の事を書いても良かったろうになw >>231
,、ァ
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________ /::::::/l:l
─- 、::::;;;;;;;;;`゙゙''‐ 、 __,,,,......,,,,_/:::::::::/: !|
. : : : : : : `゙'ヽ、:::゙ヾ´::::::::::::::::::::::`゙゙゙'''‐'、. l| またまた ご冗談を
、、 . : : : : : : : : r'":::::::::::::::::::::::::,r':ぃ::::ヽ::::::::ヽ! ,、- 、
.ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ:::::::::::::::::::::;;、-、、゙::: rー-:'、 / }¬、
. \::゙、: : : :./::::::::::::::;、-''":::::::::: ,...,:::,::., :::':、 _,,/,, ,、.,/ }
ヽ:ヽ、 /::::::::::::::::::::::::: _ `゙''‐''" __,,',,,,___ /~ ヾ::::ツ,、-/
`ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ- _| 、-l、,},,  ̄""'''¬-, ' ''‐-、 .,ノ'゙,i';;;;ツ
_,,,、-‐l'''"´:::::::' ,、-'" ,.X,_,,、-v'"''゙''yr-ヽ / ゙゙'ヽ、, ,.' j゙,,, ´ 7
,、-''" .l:::::::::::;、-''" ,.-' ゙、""ヾ'r-;;:l 冫、 ヽ、 / __,,.ノ:::::ヽ. /
l;、-'゙: ,/ ゞ=‐'"~゙゙') ./. \ / '''"/::::;:::;r-''‐ヽ
,、‐゙ ヽ:::::..,.r'゙ ,,. ,r/ ./ ヽ. ,' '、ノ''" ノ
,、‐'゙ ン;"::::::. "´ '゙ ´ / ゙、 ,' /
' //::::::::: {. V /
/ ./::::::::::::: ', / /
. / /:::::::::::::::::. ',. / ,.、 / >>236
これか
官兵衛のAAがあるのかと思った >>236
一瞬、この官兵衛可愛いなとか
官兵衛猫化wとか思ってしまった 豊鑑って、半兵衛の事殆ど書かれてなかった様な・・・>>235 >>241
そうそう、割に淡々と秀吉周辺の事が書いてあるらしい、読んだ事ないがw
ただ、半兵衛死亡時の
「孔明を失った劉備のごとく」嘆いた、という初出が
豊鑑だと聞いた、つか読んだ。
(その雑誌ではまあ身内贔屓?とか書かれたけども 「孔明を失った劉備のごとく」とは
想像できなくもないが、重門は
孔明と劉備とどっちが
先に死んだか知ってて書いたのかそれw
勿論知っているがな
重門はあれでも当時の知識人の一人の扱いだぞw
「もしも劉備が先に孔明を失ったらこうであろう」
的な表現だったんじゃね?まあ本探してみるわ >>242
吉川英治の黒田如水みたいな感じだろうか 吉川作品は絵本太閤記とかからの流れじゃね?
江戸時代にはもう秀吉→劉備、半兵衛→孔明
小六と前野が換羽と張飛(どっちがどっちかは忘れた)の
イメージで話が作られてきたワケで。
このスレとかでなんとなく端正な美少年なイメージがあったんだけど
肖像画とかでは鼻のあたりがかなりごついね
もちろん後世に描かれた物らしいが、垂井に飾ってある肖像もいかつい顔だし
半兵衛のイメージは人によって二分されてるのかなと思った 俺らが思ってる軍師っていう概念は明治以降
(半兵衛は軍師ではないです。)
俺らが思っている美少年はここ20年程度の感覚
(半兵衛はあの時代では美形です。)
明治以降は近代軍制による参謀です
軍師なんていう個は時代が必要としてません >>249 まあ美的感覚が時代によって違うと言うのはわかるが、
「色が白く女のような」とか病気でよく寝込んでいた、とかの逸話から
想像していたものとずいぶんちがうなあ、と。
というかどうしてあんなごつい鼻に描いたのかなあと思った >>253
一応武将だし、あんまり美人に描くのもな
という親心 竹中半兵衛を主人公にした小説ってたくさんあるんだけど
どれが面白いんだ?
なんかどれから読めばいいか、わからなくて迷う 肝心の半兵衛の出番はそれほど多くなかったけど、まあまあ楽しめたので貼っとく
ネット小説「王佐の才」
ttp://nesty.hp.infoseek.co.jp/mumyoudou/novel.4/ousa-index.html >>255
むしろ脇役の方が面白いという印象だな
半兵衛主役だと「士意気に感ず」がすきだ
秀吉との仲も普通にいいし、半兵衛の性格がかなり
割り切って考えるタイプなので安心して読める。 「わかれ」の評判が良いんだが、どこにも売ってない
再版してほしいな 前にアマゾンで2万で売ってたなw
わかれは半兵衛が秀吉に執着しすぎてちょっとな
仲が悪いのもキツイが、度が過ぎるのもなんかいやだ かといって妖説太閤記みたいに
秀吉に毒殺されるのも嫌だが 最後の腹の括り方は確かに格好いい
潔いというか男前だった マズいかなぁ、オレ…
半兵衛に武将のイメージを持ち切れないです…
帷幄の中に謀を巡らし、千里の外に勝利を決する参謀のイメージが強過ぎて、鎧兜の姿が想像出来ないのです…
三木城でも、稲葉山城でさえも、鎧を着てる感じがしない…
…変ですかねぇ >>264
ただ…それと同時に、
マンガなどでよくある、
『竹中半兵衛=女性』
…のイメージも違和感があって。 半兵衛が死んだ時
秀吉のところに出張してる竹中隊を息子は若いという事で弟に引き継がせたりしてるから
武将として活動してたのは間違いないけどね
>>265
歴史小説なんかじゃ、流石に女性的とかいう書き方してないやね。
貴族の子弟か学者のよう、あるいは学僧のよう、みたいな表現が多い。
重矩って重治(半兵衛)が出てったのか追い出されたのか知らんけどとにかく斎藤から去った時、
何してたんだろうな? 小説なんかだと、斉藤家から半兵衛が去った時点で
当主代行みたいな感じで菩提山城にいたりするが。
で美濃三人衆の寝返りのあたりで一緒に織田に仕えるようになる、ってパターン。
信長が自分の馬廻りにする位だから腕は立ったんだろう
(ひょっとしたら顔も良かったのかもしれないw) 姉川で「手柄首を取った」と仲間の首を持って織田家本陣に入り込んで来た
遠藤直経を討ち取ったのは重矩らしいけど、一時資料に載ってる逸話なんですか?
何か講談のネタっぽいですがw 信長公記に有るな。竹中久作(重矩)が遠藤喜右衛門(直経)を討ったとの事らしい。
少なくとも半兵衛絡みの逸話よりは信憑性は遥かに高いw 猛将で通ってた遠藤を組み伏せれるって重矩って相当強いんじゃないのか? 半兵衛は信長公記にはほとんど記述ないんだっけ
>>274
そのせいか小説なんかじゃ半兵衛と対照的な猛将に描かれてるよね
(火坂のだと半兵衛そっくりな華奢な美形、と描写されててちょっと新鮮だった) 松永久秀・長頼の兄弟みたいに、
実は弟の方が出来が良くて目立ってたんじゃないか?
講談やら伝承やらで、何故か後世の評価は変わった感じとか。
今となっては良くわからんな。重矩もまた一次史料での目立った出番もそれぐらいだしなんとも・・・ 親類(従兄弟だっけ?)の竹中釆女の方が史料の残り方や事績という
点ではハッキリしてるかもしれんしね。
キリシタン弾圧とか黒田騒動関連だけど >>278
采女は悪い事績ばっかり残してくれたな。
最期は海外との密貿易がバレて切腹・竹中家改易までやらかした。 竹中重治と黒田義孝の右にでる軍師って戦国地代にいる? よしたかは合ってるが、漢字は孝高やなかったか?越える軍師はおらんな 近いなら直江兼続か政宗の軍師片倉景綱だっけ?そいつらかな 直江が軍師なのはしっくりこない。奴は政治家って感じがする。
でも黒田や竹中は大名や寄騎っていうよりも軍師って感じがするのはどうしてだ 真田幸隆がいるじゃん。一応あいつも軍師。もうちょい生きてたら武田滅亡はなかったんじゃない? 6月7日(日)に私がこの世を去った兵庫県三木市に現れると噂になっておる。
つーか半兵衛を軍師って言う事自体江戸期の創作だし。
良くも悪くも秀吉の寄騎武将だ。 内政を秀長がやって、外交を蜂須賀と黒田がやって、竹中はプランナーみたいなイメージになってしまうんだよな。
そもそも蜂須賀が外交官ってのも武功夜話の創作だろというのはおいといて。 「半兵衛は伝記よりも小説に書いた方がおもしろい人物であろう。」
by海音寺潮五郎 まあ実際の半兵衛は、単純に優秀な寄騎部将ってだけだっただろうね。
軍師云々は甲陽軍鑑の山本勘助に影響を受けた竹中家が、つい勢いで創作してしまっただけの話で。 最近、半兵衛にはまって小説読み漁ってる
吉川さんの太閤記だと半兵衛は何巻から登場してるの? 初めてこちらを拝見しました。
本日三木市平井山半兵衛墓地にて法要が行われました。
自治会をはじめ、市長、岐阜よりお越しの皆様感謝です。
ご先祖様を熱く語って頂ける皆様にも感激いたしました。 各人の経歴や立場を考えれば、蜂須賀・前野・竹中・黒田あたりが外交(折衝)をやってもおかしくはない。当初の秀長はまだ役立たずに近かったし… ̧̛͇̦̭̯͍̱͖̼͔̣̲͙͇̼͈̃͋̓̾͋ͪͣͦ͑̍̃͊̃͟͟͠ͅからの 223 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2009/09/28(月) 22:57:23 0
和泉元弥の母の母の先祖が竹中半兵衛重治だったこと。
224 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 23:07:34 0
山野さん、詳しくおながいします
226 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2009/09/29(火) 00:33:33 0
>>224-225
そう伝えられているそうで、詳しい話は。
男系なら、霞会館の方で当たれるので楽なのですが。
(と思ったら江戸時代は交代寄合で函館まで転戦しているらしいから爵位は
なしか)
最近ではありませんが、漫画『花咲か天使テンテンくん』の作者が、小栗上
野介忠順の玄孫というのにも驚きました。
こちらも手元の本にソースはありませんが、まだはっきりしていた筈。
竹中が無双参戦と聞いて喜ばしい限りだが
困惑も禁じえない
肥が何を釣ろうと勝手だが半兵衛を餌にするのはやめてくれ 秀吉は竹中半兵衛が直接信長の家臣になるのを嫌がったので自分の与力としたって
事に従ってるけど本当かな?
一緒に稲葉山城乗っ取った義父が信長に降ってるのにそれは無いと思う。
有力家臣が少ない秀吉にむしろ信長が付けてあげたのだろう、ひょっとしたら
秀吉のこと監視させてたかも。 半兵衛の信長嫌いにせよ、織田ではなく秀吉に仕えることを望んだという秀吉寄りの捉え方にせよ、
同時代の理解だったのか後世生まれた解釈なのかは断定できないってことだ
文献に残らない人間の意図の部分は幅広く解釈できるからこそ面白い >>308
> 秀吉は竹中半兵衛が直接信長の家臣になるのを嫌がったので自分の与力としたって
> 事に従ってるけど本当かな?
嘘だよ。そもそも半兵衛は信長の直臣だし。 このあたりの歴史小説を読み始めた時に気になったのが秀吉との心理的距離が安定しないことだな
作家によって忠義ものよろしく傾倒するケースあり、
より現代的に(?)ビジネスライクな主従関係を築くケースあり、でなんでこんなに温度差が出るんだ
極端なものに触れると、実際の竹中の心中はどんなものだったかと考える 信長が秀吉にが勝手なことしないように付けた目付けだよ。
勝家についた佐々や前田のように。 だいたい黒田長政を保護出来たのも、信長の直臣と言う立場があったから。
秀吉の家臣なんて立場じゃあんな事無理。
ある程度の好意は持っていたかもしれないが、基本的には仕事上の同僚(上司と部下)
って考えるのが一番いいと思う。
ちなみに秀吉と竹中は主従になった事は一度も無いぞ。 天道で久々精悍路線に立ち戻っていて驚いた
よし、そのまま兜を被れ 姉川では安藤守就と一緒に行動してたって記述を時々見かけるんだが出典はなんだ? >307
確か「太郎五郎」って人がいた気がする。
あんまり覚えてないけど。
ちなみに出典は「軍師の門」 >>317
信玄から菅助への感状と、小山田某への病気見舞い依頼書が新しく見つかったな。
勘助じゃなくて両方とも菅助になっている。 半兵衛は陸遜と違って普通に美形奈イメージ…
沖田の肖像画見る限りは、当てにならんが >>242-246
ギガント亀レスだけど
「孔明を失った劉禅のごとく」だったよ 半兵衛の実績って何があるんだろ。
稲葉山城奪取?
あんなの味方だからできた芸当で斉藤家の者でなければ城の中にも入れないで終了。
敵対勢力の難攻不落の城落とすのとは雲泥の差があるから
そんなすごくないし実戦で部隊率いて活躍したわけでも無い。
ゲームじゃいっつも知略90以上あるけど大したこと無いよね。
半兵衛の城奪取の話を聞くたびに尼子経久や北条早雲の
話と被るなと毎回思う。少数で不落の城を盗るってところや
何かに化けて入るとか。 黒田長政を救ったのが功績といえば功績
実際のところ、長政が信長の人質になったこと自体が
もともと半兵衛の献策によるものなので
単に善意でしゃしゃり出たというよりは
「やっべえこれ殺されたら俺のせいじゃん」
という計算が働いていた気はする
信長包囲網が敷かれ、信長と浅井長政が敵対関係になると、
重治はかつて長政の家臣時代にあった浅井家臣団との人脈関係などにより、
主に調略活動で活躍した。元亀元年(1570年)には浅井方の長亭軒城や長比城を
調略によって織田方に寝返らせている。直後の姉川の戦いにも安藤守就の部隊に参加した。
この姉川の合戦の後に信長の命で横山城に秀吉と共に残し置かれこの頃から信長直臣
から秀吉の与力へと転じた。
長篠の戦いで、武田勢の一部が向かって左側に移動した。
秀吉は回りこまれるのではないかと焦ったが、重治は織田勢の陣に穴を
開けるための陽動ではないかと進言した。
秀吉は重治に従わず迎撃のため兵を動かしたが、重治は反対した挙句手勢と共に
持ち場を離れなかった。
まもなく武田勢は元の位置に戻って秀吉が不在の地点に攻め寄せた。重治が守っている間に秀吉もあわてて帰還し、
重治が正しかったことが証明された。
中国攻めの陣中で病死する際には秀吉は京で養生するように戒めたが、重治は「陣中で死ぬこそ武士の本望」
と断ったとされる。また最後の策として、三木城兵糧攻めを秀吉に授け、別所長治
を降伏させている。この無血開城戦法は、後の備中高松城の水攻めにも通じている。 まぁ、表に出ることを嫌う人物だったら今の情報の少なさも納得出来ないことは無いが、
本当に活躍しなかったとしても今の情報の少なさは納得だからな
どちらとも取れるので、楽しむしかないな 実際のとこと小物だったんだろうな
一族も大した禄貰ってないし
調略だと蜂須賀さんの方がたくさん記録残ってるし
どこをどうなって天才軍師像みたいのができたんだろうか
その経緯が気になる 正直半兵衛は諸葛亮より郭嘉だよね。神がかりな洞察力、早死にのあたりが。 竹中半兵衛役 山本耕史
www.tv-tokyo.co.jp/gunshi 間違えました。
http://wrs.search.yahoo.co.jp/_ylt=A3yTKiHR5V1MORIA102DTwx.;_ylu=X3oDMTEybGw1NmFsBHBvcwMyBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGUEdnRpZANqcGMwMDE-/SIG=11l20qeka/EXP=1281308497/**http://www.tv-tokyo.co.jp/gunshi/ >>325
自分の作戦のせいで罪の無い黒田親子が犠牲になった挙げ句
己の疑心暗鬼で人質を殺して信長と秀吉の面目が丸潰れになるという
それこそ最悪の事態を回避したわけか
自分の犯した失敗の責任は自分で取るとは実に立派じゃないか 人生短しと思い定めてしかと生きるべし
長生きできればもうけもんやな 山本耕史の半兵衛、めっちゃ良かった
「二人の軍師」NHK大河でやってくれー! 実際は近江の調略でちょろっと活躍したくらいで
ほとんど活動の程がわかっていない人物なのになあ 具体的な活躍と、その典拠をよろしく
長篠で活躍したなんて聞いたことないけどなあ あ、間違ってもウィキペディアが典拠です、とかは言わないでね 司馬遼太郎が、小説「新史・太閤記」で描き出した半兵衛がピカイチ
人間像として、長短合わせて最高に魅力的 稲葉一鉄ら美濃三人衆が
美濃平定後も信長が横死する直前まで
美濃に地盤を持って転封されるでもなく、
柴田・羽柴などの与力として僻地に飛ばされるわけでもなく(遊軍として各地の戦に参加はしても領地は美濃のまま)
信長直属の臣として独立性を認められて、それなりの禄を有していたのに対し
(まあ氏家さんは途中で戦死、安藤さんは信忠に美濃を任せるにあたって追放されたが)
竹中さんは信長の直臣でなく秀吉を選んだとか美談になってるけど
結局のところ秀吉の陪臣扱いで禄も少ないし、それだけでも大した活躍はしていない
(少なくとも信長からは評価されていない)のがわかると思うのだがなあ。
結局のところ、ほとんどの伝説の軍師的な逸話は秀吉・竹中家サイドの軍記物が出典で
一次資料にはほとんど登場しない程度の人物だろ?
子孫らの扱いをみても、重臣ではなかったのはわかりきった話。
過大評価され過ぎだよ。三国志でいうなら郭嘉や孔明に比するとか無いでしょ・・・
せいぜい馬謖とか楊修止まり。多少の智謀はあるけど、さしたる活躍のないまま死んだっていう。
表立った活躍が不明なのは、この人に権力欲が無かったからじゃないか
一方で、知謀湧き出るが如くという表記があり、人々の尊敬を集めていたことは分かる
「天下は天下のための天下。一人のものにあらず」
権力より、もっと先にある真理を見ていた人だったのだと思う 禄が少なくても、それなりの功績がある人物ってのは
史書に記述が残るんだけどね。
可児才蔵なんか、ただの1兵卒だし
>知謀湧き出るが如くという表記があり
だから、それ羽柴・竹中家の軍記以外で?
誰だって自分の先祖はよく書くもんだよ 展示されているかは解らないけど竹中重治の甲冑は林原美術館にあるよ
あの甲冑は肖像画に描かれてる有名なやつより個性的で好きだなぁ
いつか生で見てみたいもんだが、展示されてないのか・・・ でも林原美術館倒産閉鎖しちゃったんだよねぇ
竹中さんの甲冑が担保に取られるなんて(´Д`) センゴクでは大変、魅力的な人物だったな
秀吉とは信頼関係、ゴンベイには優しいし
播磨灘物語では、秀吉の嫉妬も早死にの一因だったよな 十面埋伏陣で美濃に侵攻した信長をボッコボコにした張本人だぜ
いい話スレとかに出て来る逸話見ると少し変わった人って印象だね
偉い人の前でも手足ぶらぶらさせるの止めない、人と違う方向に刀を置く
友人が自慢する手紙を唐突に焼く、重いから甲冑を着込まない
ゴーイングマイウェイと言うか独自の理論でのみ行動するタイプというか 太閤立志伝4をプレイして
勝手にイケメンだと想像していた
竹中直人より年長の
古谷一行が半兵衛ってのは
ショックだった その分では真田幸村(信繁)の手紙を見たらさぞショックだろうな。
すっかり年を取って近頃では髪は白髪まじり、はも抜けました、なんて書いてあるから。 ま、誰もが知ってる話に、いまさらショックも何もないあるものかと 秀吉と半兵衛って仲良しな扱いを受けることが多いけど
本当にそうだったのかな?
なんか反りが合わなさそうなイメージ・・・ >>363
太閤立志伝4しか知らない360に言ってるのに何トンチンカンな事言ってんだろう!?
>>364
何を根拠に? >>364
性格の反りが合ったかどうかは流石に知る由もないけど
成り上がりの木下組には古い武家のインテリはめっけもので
気に入らない上司を追い出したりする面倒な評判がついた男には
実力さえあれば問題ない良い職場だったんじゃないかと思う
半兵衛が長生きしてたら分からんけど、それなりに上手くやってたんじゃないかね >>367
自ら情報発信するんだ!と息巻いて、早三ヶ月。
一言も無いとはなw ニコニコ大百科に剣術も皆伝の腕前って書いてあるけど出典は何だろう? 如水に謀殺された可能性はない?竹たん消えれば得する人物は黒田しか思いつかない。 一応定説では
労咳で亡くなったらしいから
いくらクロカンでも
病原菌しかけるのは無理じゃね
しかも自分はその辺りで
荒木村重に監禁されてたはず なんかだんだん半兵衛が過大評価に思えてきた そんなに大活躍したか? 近年では弟・重矩と同様に信長の直臣として登用に応じたものという見方がされている 幕末に編成された幕府の近代化部隊(何と呼ばれてたか忘れたが)の偉いさんに竹中姓の人がいたが半兵衛かその一族の子孫だったのか? 竹中半兵衛の子、重門は関が原直前に、岐阜城が落城するのを見て、
西軍から東軍へ鞍替えし、関が原の合戦に参加、後片付けなどをしています。
その子孫は、代々寄合旗本として幕府に仕え、養子などを交えて、14代重固の時維新を向えます。
重固は陸軍奉行として鳥羽伏見の戦いで戦い敗戦、その後、会津などで
戦った後、榎本武揚とともに蝦夷に渡り、函館戦争で降伏しています。
その後は静岡藩にお預けになったそうです。
重固の子孫の詳しい事は分かりませんが、雛人形作者「鶴屋半兵衛」さん
が、竹中家17代らしいです。 竹中半兵衛という人はとにかく資料が少ないから実態がよくわからないよね……
逸話とか見る限りは自身の経験に基づいた武辺に並々ならぬ誇りがあるように思う。
稲葉山乗っ取りも西美濃の諸将の協力に基づいて行われたのだろうし、その後も姉川合戦で安藤守就と行動してる。
秀吉の与力に付けられたのも、樋口、堀の調略も地理的な要因だろうし、世間一般に膾炙してる評価は過大と言わざるを得ないね…… 実はあの有名な上月城落城秘話における
数百人にも上る女子衆の磔串刺し晒し刑
を命じたのが何を隠そう半兵衛なのだ。 あれも、史料によって本当にあったのか、誰が進言したのか
てんでばらばらなんだよ
漫画の「センゴク」では、なぜかクロカンが進言して磔にしてたけど、
当の黒田家の記録では、城主・上月十郎以外、城内の全員を秀吉が
助命したとあるわけで 再来年?の大河が黒田カンベイなら、秀吉の手紙をバラバラして燃やすシーンありそうだな。 重門くんは、7歳で父ちゃん亡くして父ちゃんの弟のおじさんに託されて
そのおじさんも10歳の時土一揆で亡くして
竹中家臣団は解散
その後、秀吉家臣として登場してくるまで、どうしていたんだろう。 行ってきた岐阜垂井市
史実どうこうは置いておいて現代になっても愛されている武将のひとりだと言い切れるよ>半兵衛 黒田の嫁に比べると空気な半兵衛嫁
何の話も残ってないよね >>394
別居生活が長かったからなぁ
史実に残ることも少ないのだろう 短い夫婦生活の中で子孫をきちんと残したのだから役目は果たしたと言える 秀吉軍の連日に及ぶ城攻めに落城寸前だった上月城内であっては
ならない事が起こった。家老を中心とした反乱分子が城主を謀殺
したのだ。奥方と二人の姫君も捕らえられそうになるが、逃げ出
して黒田勘兵衛の元に救いを求めた。勘兵衛の妻女がこの奥方の
実の姉であったからだ。いつもは無益な人殺しを嫌う竹中半兵衛
もこの時ばかりは違った。信長の命令では無く謀反に加わった者
どもは元よりその妻子達までもが恐ろしい極刑に処せられたのだ。
女子供二百人ばかりと言うから、当時の家族構成を考えて裏切っ
たのは五十名ほどの武士だったようだ。 谷原半兵衛はピッタリの役だね。
もう少しツンデレでも良かった気がする 半兵衛があと30年長生きしてれば、みすみす家康に天下を奪われる事は無かったかもしれない。
黒田は日和見で家康について豊臣を見限ったが、半兵衛は家康の腹の内を見て、豊臣家を守っただろうと思いたい。 付け加え。
もし羽柴秀長も長生きしてれば、半兵衛と共に豊臣家を守っただろうと思いたい。 半兵衛は豊臣というより乱世を収めるには秀吉が良いと見込んだ印象がある
だから秀吉が亡くなったとき重臣がいなくなった豊臣を支えるかというとどうだろうなーとは思うな
まあ少なくとも子飼いの仲割れは阻止しそうだが
関ヶ原まで生きて半兵衛vs大谷とか想像すると胸が熱くなる 暴れ牛に乗って尿掛けおねだりの行脚してるだろうな。
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※ 要サイト名検索 私の3代以前は播州の竹中半兵衛の墓あたりが田舎で、播州に帰って先祖の墓参りとか幼少時やっていた。
祖父、父とも女顔の男前。戦の途中でも女遊びとかしてたんだろうか。
その集落のあたりは、竹中、武中、武仲姓が多く、武仲などは、日本中でも珍しい。
直系でないから因んでつけたんだろうけど、私もその中の一つ。 !!注意換気!!
※常識的に事実でなければこの様な内容は書けません!
極悪人、押川定和の被害にご注意下さい。
我々は水戸のサポーターや関係者で押川定和の悪事の被害者を中心に集った団体だ。8割ぐらいはメインスタンドで観戦している。
押川定和は
『ゴール裏で戦う会』
のリーダーで元鹿島サポーター。
SNSで数千もの架空アカウントを作り水戸の関係者の情報を盗み出し個人のSNSを炎上させるなど攻撃を仕掛ける。
SNSで限界になると人を利用して情報を盗み出す。その人がその後どうなろうがお構い無しの使い捨て。押川に誰が騙されて巻き込まれるか分かりません。
皆さん注意して下さい。
Twitter、Facebook、mixi、超水戸、ニコニコ動画など可能な範囲で全てで悪行を行っている。
『悪行の事実を突き付けると全てを自演や同一扱いで煙に巻こうとする。』
悪行が事実の為、表舞台には出れないが2ちゃんねるで反応はする。
水戸の関係者になりすまして未だに水戸スレに書き込み続けている。
現在は悪事が公に広まり鹿島には行けなくなる。しかしながな水戸への悪行は続行中。
押川定和の悪事は犯罪の領域に達している。
押川は現在、悪事が公に広まり鹿島には行けなくなる。しかしながな水戸への悪行は続行中。
勤め先・株式会社WEIC(ウェイク)104-0053
東京都中央区3-1
http://www.ntt.com/bizhosting-basic/data/case2_1.html 星組公演 『燃ゆる風 −軍師・竹中半兵衛−』
宝塚バウホール
公演期間 2017年1月12日(木)〜 1月23日(月)
ttp://kageki.hankyu.co.jp/revue/2017/moyurukaze/index.html
とうとう宝塚w ウィキペでさあ、信長の美濃進行妨害に多大な貢献があって
たびたに織田軍を追い返した、みたいな記述があるんだけど(十面埋伏の計を駆使して・・・とか)
ほとんど美濃時代に貢献するような戦功も立場もなかったよね?
せいぜい対浅井戦の調略で少々動いたくらいで、あとはほんど実績ないと思うんだが
稲葉山乗っ取りの件だけで天才軍師のイメージ盛りすぎじゃね? 十面埋伏がうんぬんってのはなんか竹中家の軍記とかに記述があるの?
よくみかけるけど何が出展なのかしら まえがき――鍵を握るもうひとりの人物
【序】領主は領民の安全を保障する
第一部 武将たちの関ケ原……三池純正
第一章 新たな現地調査と菩提山城の謎
第二章 関ヶ原前夜
第三章 岐阜城総攻撃
第四章 関ケ原の領主・竹中重門
第五章 石田三成の構想
第六章 九月十四日の長い一日
第二部 百姓たちの関ケ原……中田正光
第一章 戦禍の中で生きる人々
第二章 戦場から避難する人々
第三章 安全保障証を求める人々
第四章 自力救済のために結束する人々
第五章 戦う人々
おわりに――戦場に残る一石五輪塔
http://www.yosensha.co.jp/book/b341642.html 竹中重門と百姓の関ヶ原合戦 新刊
地元領主・領民から見た「天下分け目の戦い」
著者
三池 純正 著
中田 正光 著 小学校で盗撮の教諭を逮捕
http://www3.nhk.or.jp/lnews/wakayama/20190812/2040003365.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
印南町の小学校の教諭の男が小学校の女子更衣室に盗撮する目的で置き時計型の
カメラを設置したとして、県の迷惑防止条例違反の疑いで逮捕されました。
男は「カメラは設置したが時計として置いただけで盗撮するつもりはなかった」
と容疑を否認しているということです。
逮捕されたのは、印南町の公立小学校の教諭で御坊市藤田町の山本真照容疑者(27)です。
警察によりますと山本容疑者は7月1日ごろ勤務先の印南町の小学校の女子更衣室に
盗撮をするため置き時計型のビデオカメラを設置したとして、県の迷惑防止条例違反の疑いがもたれています。
先月、匿名の男性から警察に「小学生が着替える場所に隠しカメラが設置されている」
と通報があったということで、警察が学校関係者などに聞き取りを進めた結果、
山本容疑者が設置したことがわかったということです。
警察の調べに対して山本容疑者は
「カメラは設置したが時計として置いただけで盗撮するつもりはなかった」
と容疑を否認しているということです。
また、山本容疑者の持ち物からは学校で撮影したとみられる女子児童が着替えている動画なども見つかり、
調べに対して山本容疑者は「別のカメラで撮影した」と供述しているということで、
警察は余罪についても調べることにしています 龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、一部の側近だけを寵愛というのは後世のもの
竹中と意見の合わなかった側近(斎藤飛騨守など)に龍興が同調する気配を見せたので
怒って岐阜城を乗っ取った
安藤も政治方針を巡って対立があったので竹中に同調した
ただそれがいつまでも続く訳ないので城を返したと
これが現実みたいだ 六宿老の安藤を義父に持つ以上
竹中家は斎藤(一色)から評価されてた家ということだよなあ 最高評価になると苗字が一色家臣みたいになるかもしれない REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担