【音楽の】練習で毎日バッハ弾いてる人のスレ【父】
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ここで例の糞ジジイが煽るだけ煽っておいて、嘘はきの追求に追われて来れなくなってやんのw このバッハは50過ぎてからのジジイ、忘れてるのか最初の方でも同じこと一点のな 聞き専だから 手足使わず
妄想だけでピアノ弾き
だから、ボケが始まってる。 独りで引きこもってピアノ弾くより、デイサービスで色んな人と話すといいよ。 菅直人に媚びるなよ
デイサービスなんて趣味のない寂しい人の已む無き所
介護保険を利用しない選択の自由もある
ピアノ弾いてる限りボケとは無縁 介護保険料は利用しなくてもとられる
ピアニストでも認知症になる
認知症ピアニスト演奏動画
https://youtu.be/U986himgSW8
ラグタイム王のスコット・ジョップリン は認知症発症し
49歳で亡くなった。
米国レーガン大統領や英国サッチャー首相ような人でさえ
認知症にかかる。
認知症予防にはピアノより麻雀の方が有効 >>280
介護保険料取られた上に、デイサービス料金も取られる
貧困層はデイサービス受けられないんだ
国民保険料取られた上に、医療費自己負担もあるから、貧困層は医療も受けられない ピアノ弾く人も認知症にはなるね。
大人からピアノを始めてぎこちなく弾く人にはピアノは認知症予防に効果的だが
幼少からピアノを弾いていて職業にしている人は無意識に弾けるので予防効果は薄い >>283
貧困層は国民保険料も安いし、医療費1割負担で受けられるでしょ
生保受給者なら、保険料も治療費も無料で受けれる 貧困の人には、介護サービスの自己負担を軽減する制度があるから
デイサービスは受けられる。
介護サービスの利用料等を負担することが困難な人は
下記のサービスを格安で受けられる(※住んでる自治体のサービス格差あり)
@訪問介護などの在宅サービス
A認知症高齢者グループホーム
B特別養護老人ホーム
>>283 毎月一曲ずつ弾いたことない曲にチャレンジしてけば呆けないのでは?譜読みは頭を使うけど、毎日同じ曲とか弾き慣れてる曲ばかりだとそりゃボケるでしょw 刺激ないもの >>283
ジジイまた適当なデタラメいってんなw
トカイナカ思想に洗脳されて、多摩地区に住んでるんだろ
貧困者は格安でデイサービスは受けられる 貧困者でもデイサービスは受けられるよ
もちろん選択肢は減るけど >>286
格安で受けられるというが格安でも捻出出来ない層がいる。無料でないと話にならない。 >>285
生活保護のハードルは高く、必要な人の1/5程度しか受けられていないのが実態
現在の生保は使い物にならんのだよ
医療も使えない 介護制度も福祉制度も貧困者は使えない >>291
この爺さんはデイサービスでチーチーパッパやるレベルじゃないな
自分で食事支度し体操し新聞読み、ピアノも楽譜見て弾く。
こういう歳の取り方は大事。
デイサービスは画一化教育と同じこと。年寄り同士の会話は時間の無駄。
黙々ピアノ弾いたほうがいい。 >>284
次から次へと楽譜見て弾けばボケない
レパートリーはマッスルメモリーと音感で弾くけど、それ以外に千曲以上の楽譜用意してるから、毎日数曲任意に抽出して譜面見てひいてるよ。 ↑
と嘘の発言をロクににピアノも弾けない分際で
屁理屈並べて言い訳し、話をごまかすジジイであった。 >>295
素晴らしい本だ!!!
岸恵子も孤独という道連れという本を書いている。
孤独を否定するのではなく、孤独を肯定的に前向きに捉えることが、老後の幸せ。 >>296
ピアノは一生かけて弾けるようになるもの。
自分が弾けると思ったら終わりだよ。
ピアノは下手なほど感動的だ。上手いと思ったら其れまで。 >>298
上手いピアノ聴きたいし、自分で弾くのも上手くなりたい
下手なほうが感動的、なんて、社交辞令にしかならない 下手なほどいいというのは絵手紙の合言葉でもある。
要するに上手さを見せびらかすものではなく、下手なほどいいと思う心掛けで見栄を抑える効果がある。 笑ったところ
30年経ってから妻にすり寄る旦那
ヌコを飼え!←唐突過ぎ極論過ぎ
ん?と感じたところ
介護施設は物質的には困らなくても家族に捨てられたと思いが強く精神的には淋しく独房のようなものらしいけど、ボケてる人がそんな繊細に感じてるとは思えない 感情や振る舞いももっと動物に近くなってるだろうし
自分でなんでもできて元気なうちから施設に入ってる人ならそう思うのは分かるけどそんな人は珍しいでしょうね >>301
介護保険制度とは介護不要の人を施設に入れる制度。
犠牲者は多くいる。社会と家庭の同調圧力に押され、本心では自立したいのに介護施設に入ってる人は数百万はいると推定される。 >>302
だからといって、若者、特に長男の嫁を老人の奴隷にしちゃいけないんで 認知症のジジイの奥さんは感情や振る舞いも動物状態か? エア嫁なんじゃないかな?孤独論にこれたけ賛同してるんだから >>303
過剰な介護をしないこと。
認知症扱いせず生きがいを持たせること。
これが長男の嫁の役割。同居したとしても距離感が大事。
長男は嫁よりも親に責任を持つこと。 >>305
ドイツ人の例が出てたが、日本人は人間は結局は一人であるという考え方が出来ないから、孤独に対することが出来ない。
基本的に心得が弱いための問題だ。
人間の本当の強さとは、老後に孤独を楽しめるかどうか。 施設って虐待とか怖いねボケてると馬鹿にされて簡単に叩かれそう
家族が来てくれなきゃ虐待も分からずじまいだねきっと 家で老人を介護している知人達からは、昼夜逆転して夜中に、何重にも掛けておいた鍵をこじ開けて外出し、隣の市まで行ってしまったとか、ジュースと間違えて台所の洗剤を飲んだとか、家族を激しく殴って肋骨折ったとか、凄まじい話を聞く。
そういう場合はベッドに紐で縛り付けておいて構わないと思うんだけど、虐待と見做されるらしい。
実際、虐待されているのは若い世代なのに。 >>291
このおじいちゃんはたぶん定年後からピアノ始めたのかな?
この感じだとなんとなく >>312
91歳のピアノ弾き。
まだまだ探求&練習。
(東京音楽大卒業)
このyoutubeは娘が撮影、編集しています。 えーー音大卒なのにこんなにへ○っぴなのは年だから仕方ないのか…ペダルとか拍感とかめちゃくちゃな気する 昔の音大出はごく一部を除けば下手だよ。
彼らの先生が酷かったからね。
戦争もあったし、仕方ないっちゃ仕方ないことだが。 ちゃんとした会場で正装して平均律第1巻を通しで弾いてる人の動画を見たんだけどちょっと閉口してしまった、、やたらテンポが速くて音抜けしてたり全体的に雑過ぎて聴いてられなくて途中で見るのやめてしまった
後で藝高→藝大出とプロフィール見てえっえー?と二度ビックリ
ピティナやバッハコンクールの金賞キッズの方が何倍もお手本になるわ
一曲一曲丁寧に弾いてる通しなら聴く価値あるんだけどねー🤔 そもそも平均律って通して人に聴かせる曲じゃないような。 平均律は内省の音楽だが、一生の集大成として人様に聴いてもらう価値はある。
まだ完成しないうちに音抜けで高速に通すなんて以ての外。そんな演奏したらピアニスト人生の先は真っ暗だ。 >>319
検索したら直ぐに誰のことか分かったので、聴いてみた。
なんとも自由奔放すぎる演奏。
こういうのも、まあ、一つの表現方法かもしれないけど、この人にピアノを習いたくはないなと思った。 久々にインヴェンションを練習していたら、何故か涙が流れて止まらなかった。特に情緒に訴える曲ではないし、強い思い入れがあるわけでもない。
なんでだろう。 >>323
よくインベンションやシンフォニアを
詰まらんとか言う奴いるが
そう言う輩はバッハ聴く耳がないんよね
インベンションやシンフォニアはバッハのエッセンスが濃縮して詰まった名曲揃いだよ
インベンションを子供向けの初歩の曲扱いして詰まらんとか言う自意識過剰な馬鹿が多くてなw カンタービレ!
だいじですよね。
一生の友だと思います。 インヴェンションを詰まらない物にしているのは一重に日本のピアノ教育の問題。
バッハとはこう弾くものと特別に教えるから嫌いになる生徒が絶えない。
もっと素直に感じたまま弾いていいのがインヴェンション。アーティキュレーションもフレージングもメロディの歌い方ももっと自由に幅を持って表現させてもいい。自然に感じたまま。 でもまあ小学生相手ですからね。教えるの難しいと思いますよ。
大人になってから振り返ると、インベンションってすげえって思います。 教えようとする講師が多いから小学生が萎縮するね
教師が身構えれば子供も身構えるからね
バッハの魅力は旋律美にあるんだけど、アーテキュレーションやリズムに拘る教え方が多いんだ
普通に、子供らしく弾かせていいと思う。自然に新鮮なバッハが生まれるように インヴェンションは他のバッハ曲と違って
旋律美より四角四面なフレーズで出来てる
モチーフによる作曲を意識させるためもあるが
だから単に楽しむ曲集ではない 楽しむ所から始めて、モチーフの展開や絡みの奥深さは、後で発見する喜びを持たせる手法もある。
インヴェンションとの付き合いも一生もので、最初から詰め込む必要はないと思うが。 インヴェンションとかバッハの意図した教育目的の曲は
当初いろいろ寄せ集めの曲集に入ってるように
バッハはあちこちツマミ食いでやった方が
飽きずにやれると思う
インヴェンションだけやってると袋小路に入る人が多い インヴェンションはバッハが残した宝石的価値のある音楽遺産。
単なる石ころとは違う。
インヴェンションのとらえ方は人それぞれ、
単に個人で楽しむ曲集
大衆に鑑賞させる為の曲
練習曲としての活用
どのような使われ方しようとも本人がそう思うならそれでいい。 >大衆に鑑賞させる為の曲
これはちょっと。
聞かされるほうのことも考えてくださいね。 >>336
人気プロピアニストの演奏
インヴェンション鑑賞用動画
Bach 15 Two-Part Inventions on a very old piano :) Valentina Lisitsa >>338
月光第三楽章と同じノリで弾いてますね。 家業として楽師をしていたバッハが、やはり家業を継ぐであろう息子たちに教えるための教材として作った曲がいくつもあって、「インヴェンションとシンフォニア」もそれに分類される。
だから練習曲と呼んでも間違いではないけれど、どちらかといえば、指が回るようになる練習をするためではなく、作曲のお手本みたいな性格のもの。
当時は演奏家が自分で作曲したり即興演奏するのが当たり前だったから、そちらの技術も養っておかないといけないからね。 ピアニストのリシッツァはインベンションを超。速で弾いているね
普通の人は真似ができないほど指の動きが早い。
指が回るようになる練習をするためにも使える万能の練習曲という事実 実際自分が所有してないものを有るふうに語ったり現実ではないことをさも体験したようなふうに語る等、嘘つき野郎のエアばなしだけはほんと糞だしマジイラつくわ >>344
リシッツァてピアノ大道芸人だろ?
早引きフェイクの為に音も抜くって
言ってたしw 實川さんのツイで流れてきたバッハのカプリツチヨ
これぞ至高のバッハ…と感じた
ずっと聴いていたい見ていたいと思えるバッハ弾きだね コロナ前 某リサイタルでたまたま隣の客席になった有名バロック奏者
ソワソワしてたが とにかく凄い歯槽膿漏でピアノの音色が全く頭には入って来なかった 今ならマスクで防御可能なので逆に会話も普通に出来そう 6声のリチェルカーレの楽譜を手に入れたので練習してる、まだ5分の1くらいまでしか弾けないけど
これ難曲とか言われてるけど、意外と何とかなりそうだよ、そんな無茶苦茶な難しさではない
レパートリーの一つとしてオススメしたい あれは一通りテーマがで終わってからの
全音で新しいフレーズが重なってくるとこが最高だな
ウェーベルン編で聴くとより現代音楽っぽい
でもちょっと長ったらしいから手軽に楽しむんであれば
3声の方が面白い
あれも半音階と3連音の絡みで 弾けもしないくせに
偉そうに難曲の6声のリチェルカーレをレパートリーの一つとして薦める
浅薄愚劣の馬鹿ジジイwww 難曲でもないけどね
割りとゆったりした速度だし
そもそもバッハに難曲とかないし
リストやショパンとは難しさが違うし
普通に弾けるだろ?w リチェルカーレは難曲でしょ
6つの声部を操るのは激ムズ
5ちゃんに例えるなら、6人のキャラを
いかにバレないように一人で自演出来るぐらい難しい。
ジジイのようにIDコロコロ変えるだけじゃダメなんだよw 昔1回やったことがあるけど
6声になると声部が増えるにつれて和声的な要素が強くなるから
テンポも遅いし
普通のフーガを弾く感じとは若干違う
声部を操るって感じではないな まあこの3声、6声の曲は傑作であることは間違いないから
もっと弾かれてもいい
テーマの魅力もある ウェーベルンがこの編曲に音色旋律を使ったのも
声部が埋もれないようにってことかもしれないな
つか昔小倉朗のFM現代の音楽のテーマに使われてたけど
出だしこそ現代音楽っぽいけど
後半に盛り上がるにつれ後期ロマン派的仰々しいオーケストラの響きになるから
さほどあの編曲は好きではない ところで私の場合、ウェーベルンの作品との出会いというのはもう20年以上も前、学生だった頃のことで、
そのころピエール・ブーレーズのウェーベルン全集を買ったのがきっかけである。
ウェーベルンは寡作で早死にだったので全集といってもLPで4枚組である。
何故、それを買ったかというとバッハの「音楽の捧もの」の ウェーベルン編曲版を聞きたかったのである。
当時、NHKFMでは、いい音楽番組がたくさんあった。確か「現代の音楽」のテーマがウェーベルン編曲の「音楽の捧もの」であった。
そういえば、小泉文夫氏(故人)の「世界の民族音楽」も面白い番組であった。
バリのケチャなどを知ったのもそのころであった。さて、それで、そのウェーベルン全集を擦り切れるほど聞いたかというと、
実は全く反対でほとんど聞かなかった。たぶん名盤なのだろうが、私にはどうも面白くない。
何か私の生活とは関係のないところの音楽のようである。「ピアノのための変奏曲」を再発見したのは、
数年前、グレン・グールドの1957年のモスクワリサイタルのCDを聞いてである。
これはグールドのCBSソニーの正規の録音ではないのでずっと聞く機会がなかったのだが、
実に面白い録音である。少数の聴衆に、講義を交えて、ベルク、ウェーベルン、クシェネックそれにバッハを演奏している。
このなかでは、ウェーベルンの作品1の「オーケストラのためのパッサカリア」の冒頭部分をピアノで弾いたりもしている。
ウェーベルンは点描といわれる簡潔な作風で知られるが、初期のこのパッサカリアは音の多い後期ロマン派的な作品である。
立派な作品で、たぶんこれがあると無いではウェーベルンの評価は違ったかもしれない?
ちょうどシェーンベルグの「浄夜」みたいなものかもしれない。
それはいいとして、「ピアノのための変奏曲」の冗談?のような楽譜がグールドの演奏ではゾクゾクするような音楽になっている。
レコード芸術論評風に書きこんで悦に浸ってる
ジジイなんだからシカトでいいよ 無駄に小フーガ好き過ぎてそればっかり練習してる人
私です 私はバッハの専門家でもグールドの専門家でもありませんが、
何度か「聴き専」爺様の投稿を読んで興味を持ち、今一度グールドの弾く新旧の
「ゴルトベルク変奏曲」及び「フランス組曲」を聴いてみました。
グールドの「変奏曲」の演奏についてはもう様々なところでいろいろと書かれていますので、
今更何をかいわんや、ですからここでは自分の思うままを書いてみようと思います。
私がバッハの「変奏曲」を初めて知ったのはヴァルヒャのチェンバロのLPででした。
その後新潮文庫から出ていた吉田氏の「世界のピアニスト」や「LP300選」で
グールドの名前を知り、CDがこの世に出たばかりの83年に彼の2度目の録音の方のCDを
買って聴きました。
そしてあの主題の始まり。。「タン、タン、タタタン、タ、タンタタタンタン」を聴いたとき、
何かチェンバロに比べて威厳も重厚さもないえらいカラっとした演奏だなという印象を持ちました。
しかしその後何度も聴いているうちに、彼が自由に好きなように演奏している
その空気に乗せられているなと感じ、そしてグールドの精神が大空を自由に楽しく
飛び回っている演奏だとわかりました。
彼の演奏を聴いているとブラームスの「孤独だが自由だ」という言葉が頭に浮かびます。
グールドは82年に亡くなる時、枕元に愛読書の聖書と夏目漱石の「草枕」(多くの書き込みがあった)の
2冊が置いてあったということを知り、私は「草枕」を何度も読み返しました。
結果グールドの演奏と「草枕」に共通するのは「俗世間から離れた精神の自由な浮遊・飛行」だと思っています。
グールドは64年に「コンサート・ドロップアウト」して俗世間から離れ、
亡くなる1年前にNYのスタジオに籠り、自分の精神が自由に気ままに飛び回るように
「ゴルトベルク変奏曲」を録音しています。
私にはわかりませんが、その時彼の目の前には「神」がいたのではないでしょうか。
この曲を聴いているとそのような気になります。
「聴き専」爺様は以前に「グールドの演奏には何か大事なものが欠けていると思う」とおっしゃっていましたが、
それはキリスト教における「神への敬虔」でしょうか。
それとも「荘厳さ」や「神聖さ」ということでしょうか。
興味がありますのでもしよければ「補足」でご説明くだされば幸いです。 他人の演奏なんだかんだ言うより、とにかく毎日弾くことがだいじ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています