楽譜どおりに弾こうとするからつまらないんです [転載禁止]©2ch.net
どうしてそんなに正確に弾こうとするのですが?図面を見てる
設計者ですか?
正確に弾かないと人からヘタクソだと笑われるからですか?
どうしてできもしない曲を難しく弾こうとするのですか?
楽譜など見なくていいじゃないですか? ふむふむ。
ドブの中にも無限の可能性を見つけ出せられれば、一人前なんだ。 そう言う方は徹底的に手抜きされます。(事実だけを書きます)
まず図面、適当な、誰か見習いのような人間に図面を描かせ、社長が勝手に一級建築士の名前を図面に付けて客に渡します。
その後の工事、あなたが例えば宮崎県の方なら、宮崎の適当な大工さんを一週間ほどで見つけて来て、その「防音室など一度も作ったことが無い大工さんたち」に「丸投げ」します。
当然酷い仕上がりになるわけです。そのうえ、その設計士と同様スタジオ建設に大事な、工事の現場監督が、これまたバイト君のようなど素人なんです。信じられない様でしたら、試しに
彼らの系列会社の求人広告(ネットの)を見てください。
「現場監督募集。若い方大歓迎。経験は無くても良い。こちらで指導します」みたいに描いてあります。コンビニのバイトのように20最前後の未婚の(安い給料で使える)
経験も知識も無い人間を「防音スタジオの」現場監督に使うのです。
図面、施工する業者、監督、3段階で手抜きされますから、当然音漏れする。
そこで音漏れを訴えてもなにも対応してくれません。逆ギレされるだけ。
宮崎県在住のあなたは飛行機に乗って彼らの事務所に怒鳴り込みに行きますか?毎週でも?だから雑誌を見て依頼して来る地方都市の音楽家の手抜きされる理由がおわかりでしょ?
これが嘘だというなら気名誉毀損で訴えて来てください。
事実が公になることを、日本中に広まることを望みます。
音楽家の敵の詐欺まがい業者は日本に必要有りません!!
*****スレッド「アコースティックエンジニアリング被害者の会」と
「被害者の会を応援する〜〜」というスレッドは
詐欺まがい業者が風評誘導する多恵に建てたデタラメ情婦スレッドです。
彼らは人を騙す多恵ならどんな手も使います。忘れないで!リフォーム詐欺というのは実在するんです!
読みにくい文章で済みませんでした。 かっちりビートを刻まないと気持ち悪いのと、そうでないのはあるよね
クラシックは意外と伸び縮みあると思う溜めとか、アッチェレランドとか
ただのスケール上下も山のテッペンで速度落ちるしほんとにデジタルではないかな ピアノ雑誌「ショパン」など
アマチュア向け音楽雑誌10誌ほどに,毎月広告を打ち続けるアマチュア向けの★簡易防音施工会社★
(株)アコースティックエンジニアリング
(株)アコースティックデザインシステムが
一番大事な防音性能をごまかす★★★「詐欺まがい防音会社」である証拠★★★★
上記会社の社員 である=★一級建築士、 斎藤が、自社の手抜きの実態を告発★
★その内部告発を、日本音楽スタジオ協会の前、理事長、スタジオ設計界の世界的権威で音響学者である=豊島政実氏 
(英国においては80年代にアビーロードスタジオを4つとも全面設計し直し改修、タウンハウススタジオ、 オリンピックスタジオ、メトロポリススタジオを設計、
スティング、フィルコリンズ、ジョージマイケルらのスタジオを設計、
アメリカでは、ルーカスフィルムスコアリングスタジオブース、などを設計した人)
が直接に聞いたという事実。
そして、酷い手抜き施工のスタジオを豊島氏が現地「手抜きスタジオ」を複数回,詳細に視察し、あまりにデタラメな施工を
Netで告発してもうこれ以上被害者がでないように!と助言してくれた。
★★★スタジオ設計の世界的権威で音響の学者である豊島氏がアコエンの手抜きをハッキリ確認した事の意義は大きい★★★
★★★★★このことによりアコースティックグループが詐欺まがいの、手抜き施工の防音をし、客を騙し不当に金銭を受け取っていた事実に
★★★信憑性がはっきりと付与されたことになる★★★
★豊島氏はAESフェロー受賞、今ショパコン会場ワルシャワフィルを改修依頼されている音響界のプロ中のプロ★
★★★同社は現在も、被害者に東京地裁で訴えられて公判中★★★★
全国に被害者は数多居存在するが、現時点で同時に抱えている他の裁判数は,とうてい把握できる数ではない。 楽譜から何を読みとって弾くか
俺は今、ある曲中でcresc.は「徐々に強調する」という意味に解釈し、
rallentandとdiminuendで対応している。つまりaccelerandの逆。
その後の展開にうまくつながるからこれでいいと思う ショパンのff、ベートーヴェンのppこの2つの解釈がたまに同義であることがある
これらの記号によって雰囲気の重さ、緊張感の高まりをあらわそうとする時、
この二人は逆の記譜を用いているが言ってることは同じなのである
よって我々は作曲者の意図を汲み取り、それをまた独自の解釈というミキサーに
かけてブレンドし、なんともいいようのないオリジナリティーを醸すのである 楽譜どおりの定義が人によって違うし。
同じように楽譜の指示に従って弾いたつもりでも各人の解釈の違いで別物になるってことはあるよ
大体クラシックの曲で誰が弾いても同じに聴こえるっていうのはショパンの革命のエチュード
くらい。あのレベルになると、もはやどんな名ピアニストが弾くのも同じに聴こえる。
だからあんなの弾く意味ないと思うけどね。ま、エチュードだからあんなのピアニストにとっては
スケールの練習と同じなのかな、とも思う 楽譜はガイドラインでしかない
だけど初級者にはとりあえず「きちんと楽譜どおり弾きなさい」と言われ、
「そこからあなたの弾きたいスタイルをイメージして思うように弾けるようになりなさい」
とは言ってもらえない
そんなことするのは十年早い!ってかんじ
だからつまらない >>132
つまらないって思う事がザルの目からこぼれてしまう人じゃん 楽譜通りに正確に弾かなくていいのがクラシックの魅力。
超一流演奏家が好き勝手に演奏しているのに、初心者に正確に弾けと抑えつけるのは間違っている。
みんな感じるままの自由なテンポで感じて弾けばいいだけだ。 正確に弾かない動画をアップすると批判しかされない。
こんなのよく上げられるね?恥ずかしくないの?と書かれる。 だから日本人ピアニストは面白くないんだよ。型にハマることばかりで
コンクールなるものは序列をつけたりビジネス化している。
正確に弾かなくても好みに合っていれば認めるのが欧米人。日本人は価値観に対して自主性がない。 俺は完璧にミスなく弾くより、できるだけ深く曲を理解して弾きたい派
どうしてこんな曲作ったのか、とか何を思ってこういう表現にしたのかとか
ちゃんと弾きこなすテクニックがない分そういうことに興味がある 作曲家は妥協の産物
熟練工ではあるが、崇めるほどの人種ではない
誤魔化し虚栄心 人間の弱さを曲から読み解くのは面白い というかたのしいアドリブの仕方を学べばいいんだと思うわ 楽譜に書いてあることを読み解く努力をする一方で、
自分の中で弾き方のイメージを作っていかなきゃならない
記号や信号じゃなくて、音楽らしくするためにはそこが大事
「楽譜どおり」にこだわってもしょうがないところがある
結局は楽譜どおりに弾けるようにすることが目標だとしても
譜読みの最初の段階や練習の過程ではいくらでも変更可でないと
だから先生に教えてもらうのがいいってことだけど >先生に教えてもらうのがいいってことだけど
そんじょそこらの先生じゃ楽譜なんて表面的にしか読めないよ。
音大ピアノ科なんて作曲法を真面目にやらない。
先生につくなら作曲を学んだ人でないとな。 ナニが表面と本質なんだろうと思ったがまあ勝手にしやがれ
寝たふりしてる間に出て逝ってくれ ああぁ 楽譜の問題もある
中級レベルにしたアレンジものなんか、そのまま弾いたんじゃ絶対変だぞていうのとか
入りのタイミングをずらしたり、早めたりしてみると、感じが掴めたり
知らない曲は余計に難しい 勝手に調を変えんじゃねえよ糞野郎!
と何度思ったことか。 ヘタレ用に調を変えられるとテンション下がる
そんなことなら弾かない方がまし
逃げたくないんだよ
現実の困難から
真正面からぶつかりたい 簡単に移調する方法
ト音記号の譜をヘ音記号読みで弾くとか、その逆で
たまにうまく行くことある ト音記号の譜で高いファと普通のファを確かめてみな
それはヘ音記号読みではラとラなんだ つまりファがラ、
真ん中の線上の音はシがレ
この調子でト音読みをヘ音読みに置き換えると、
ドがミで、ミがソで、ファがラなんだ この意味が分かるかな?
じゃあレは何か?答えはファなのさ。
ラはド、上のドはミ、上のレはファ、上のソはシ
そうとも、ヒミツは3音上になることなのだ。または3音下になること。
つまり、ト音読みにしたものと同じメロディーをヘ音読みにしたメロディーを
同時に弾くとハモるってことなんだな なぜなら、3度の差になるからだ 昔俺がドだった頃、弟はミだった。父ちゃんはミで母ちゃんはソだった
わかるかな、わかんねえだろうなぁ 昔俺がド素人だった頃、弟はミ空ひばりファンだった。父ちゃんはミンダナオで戦死 母ちゃんはソロバン教えて生計立ててくれた。 ワイもクラシックは好きじゃない 普通に聴けてもエリーゼ、トルコ 英雄ポロぐらいかな〜 それでも買うとかコピろうとは思えんね。
譜面通りもつまらないし、弾き方が姿勢良すぎて気持ち悪いし クラシックは高度な曲を自分で弾ければ楽しいのだよ。
英雄ポロぐらい楽に弾けるようになると、次から次へと挑戦したくなる。
聴くことよりも、自分で思ったように表現することに喜びを感じる。
楽譜は曲を覚える道しるべになるけど、どのように料理するかは個々の演奏家によって違う。
クラシックのくらい演奏の幅の広い音楽はない。自由に演奏できることがクラシックの魅力。 つまりは、テンポに縛られる音楽でないと安心できないということね。
クラシックは独自のテンポ感で演奏できるから自由。 >>164
その書き方、結局クラシッ危害はゴミクズと言いたいだけだろ?
はっきりと言えよ。ネチネチめんどくせーやつだな。 >>165
クラシックは演奏家の創造性を発揮するのに優れた音楽。
他のジャンルは、観客にサービスする音楽。
個性が強い人はクラシックを選び
サービス精神旺盛の人はポピュラーを選ぶ 症状には個人差があります、医師・薬剤師の指導・用法に従って治療してください クラシックは優れた音楽かもしれないけどつまらないんだよね。これに尽きる。 楽譜は一応の指針だけ
鐘の音のようなイイ音が出せるかどうか クラシックは詰まらない音楽でもないし、害を与える音楽でもない。
ピアノ独奏曲は自分の心との対話であり、自分自身だけで完結できる音楽だ。
人がどう評価しようとも、ピアノを弾くことによって人生も心も豊かになれば幸せなこと。 >>168
曲によると思うんです
何度聞いても心掴まれるのもあるし
何度聞いても耳にすら入ってこないのもある
不思議ですう >>31
ジャズは自由とか言いながらバースコーラスをメロディかズンチャチャ伴奏して
自由なアドリブは誰かのものまねを幾つかパターン化して所謂ジャスっぽく繰り返すだけ
このジャズっぽく同じことを繰り返すだけの作業が自由とかぬかすのが一番嫌い 曲の仕上がりより演奏者の音楽性が勝ってれば楽譜どおりに弾くなんて
ちんけな真似をする必要はないだろうね
そんなことにいちいち目くじら立ててるようじゃ音楽やってけないだろうし いくら弾きたいイメージを見つけてても技術的に追いつかなくて
いちばん弾きたくないイメージの弾き方しかできないっていうのもあるんだよね
メチャクチャつまらんわ疲れるし自己嫌悪で不幸のどん底な気分
逆に自分の弾きたいイメージなぞって弾いてる時はその通りに弾けてなくてもシアワセ >>178
基本的に楽譜にかかれている事と、その曲が作られた当時の背景なども考えて、その中で表現をするんだよ。あくまでピアニストは作曲家の作った曲に命を吹き込む役だから。好き勝手弾いて良いはずがないだろう。 作曲者以外の音楽性を認めないってのか
ならば専業演奏家の存在意義は無に等しくなってしまうな >>185
ppと書かれているところをffで弾いたりしないだろ。楽譜には最低限のことしか書かれていないよ。 楽譜に書かれていない装飾を演奏者の判断で入れるのはよかろう。 >>187
それくらいなら全然いい。自分もバッハとかはトリルを勝手に入れたりアーティキュレーションを凝ったりしている。
自分が言いたかったのは、作曲家の最低限の指示は守ってほしいということだったんだが、うまく伝わっていなくてスマンな。 もとの曲が大々的にヘンテコな曲の場合は、演奏者の即興とか機転をきかせて
作り変えてしまってもいいってことよ
モーツァルトはそうやってた それがダメだってんならモーツアルトなど偉大な音楽家たちのやりようにまでケチをつけることになるわな 楽譜の指示を無視して弾くことと編曲はまた別のことだろう 本質的には何の違いもない
明確な区別は難しかろうが改変の程度が甚だしければ編曲と呼ばれるようになることが多いね >>193
一応聞いておくがここの楽譜通りでないとは音やリズムを変えて弾くことか?そうだったらもう自分は言うことがない。 楽譜に書かれていない装飾を入れるのは編曲になるのかね。
それだとチェンバロ奏者はみんな編曲してることになるな。 >>195
188のレス俺だぞ。自分は作曲家がわざわざ指示していることを無視したらいけないといっているだけだ そもそも現代譜に書かれていることが作曲家が意図したものかどうか疑わしい。
自筆譜や写本にはない指示が後の校訂者によって書き加えられてたりもする。
突き詰めるなら市販の楽譜のみならず一次資料である自筆譜を読み解くしかない。 >>197
自筆譜を読み解く作業は団体で行っているものもある。 ショパンは指導者としても優秀で、自分の弟子に教えるために楽譜に大切なことをすべて書き込んでいた。ドビュッシーは強弱にうるさかったからすべて書かれている。原典版は指づかいしか付け加えられていないから、無理に自筆譜を研究しなくてもいいと思う 楽譜に書いてあることを踏まえてながら、自分の解釈も入れて弾くんだぞ。そうすれば、同じ曲でも100人が弾いたら100人違うようになるから。 実際に作曲家を知らない。話しをしたこともない・・・・
そんな演奏家が解釈できるわけがない。解釈は専門家に任せて、演奏者は楽譜に忠実に感じて弾くことしかない。
リヒテルやギレリスがプロコ ショスタの作品を弾く
ホロヴィッツがラフマニノフを弾く
作曲家と親交があった場合は、演奏家の解釈が入る余地はあるだろうが、そういうケースは稀。 >同じ曲でも100人が弾いたら100人違うようになるから
それは解釈が違うからと言うよりは、演奏技法上の問題だ。
演奏家は楽曲を自分のまな板で料理するから、当然違ってくる。
そのように各演奏家の料理法に委ねられる部分が大きいので、クラシック演奏は自由度があって面白いのだ。
弾いている演奏家も演出家気分になって楽しいものだ。 クラシックはどちらかというとあまり自由のない窮屈な音楽だろう
第三者が曲を書いた本人より偉そうな態度で演奏家をこき下ろす例なんぞ他ジャンルではさほど多くないらしい
>>1の主張もわからないではないな この手の話題って「ああ言えばこう言う」の応酬で平行線のままだからな。
絶対に分かり合える気がしない。 バロックには自由がないのかね。
ジャズ並みに自由であってもよいのでは。 バロック時代何しろ生まれてなかったので詳しくは知らない
が例えば通奏低音などはコードネームのように利用されることもあったと聞く >>204
演奏の自由度は、クラシックが一番高い。
音さえ間違わなければ何をやっても許される。
俺がクラシックをやっているのは、演奏の自由度が高くて演奏家冥利に尽きるから。 ズージャが一番無責任と思ってる
全日本冷やし中華愛好者連合会はその名称を全日本冷やし中華愛好者協会とする:山下洋輔 ズージャは主題すら演奏しないこともあるそうな
クラシックが自由とか書いてる人は幾ら何でも不見識すぎやしないか >>206
バッハの時代はまだピアノが無く、オルガンやチェンバロなど制約のある楽器しかなかった。だから平均律とかは楽器の指定がない。せっかくピアノという楽器があるのだから、チェンバロみたいにとかは考えず自由に弾いていいと思うよ。バッハもそれを望んでいるだろう。 >>211
むしろチェンバロやオルガンでの演奏のほうがピアノよりずっと自由に思えるんだが。 >>213
チェンバロやオルガンだとこまかなニュアンスが上手くつけられない。いくらバロックといっても、淡々と弾いているだけじゃ面白くない。自分は、バッハはチェンバロやオルガンに納得していなかったと思うのだが。 >>214
自分と書いてあるが、フリードリヒグルダの受け売りだ。 >>216
訂正 あれ音小さ過ぎるだろう。ビブラートかけられるしかピアノに勝っていないぞ