真・ポスト鍵盤時代を生きる
ポスト鍵盤時代を生きるとは、どういうことかを考えたいと思います。 >>141
あと、「日本の」がつくとニセモノと思われがちですね。
高校生なんかは、それで訳の分からない洋楽をジャケ買いしたりするけどw
パンクは社会性なんですかね。
仕掛けとして使えるコンテクストが限られているという意味で。
コンセプトとか概念とか、そのことにこだわって音楽を受容できる耳を失うとしたら意味がない。
それは分かる。でも、「自分が今何を聴いているのか」は追求されていい。
以下、適当に整理して寝ます。ギコさん色々Artist情報ありがとう。
部長、お疲れっした。
@ヒューマニズムと疎外
鍵盤を見て、指が違う形をしていたら、ああはなっていなかったのに、と思う。
てことは、人間工学は価値観の基準にはならない、伝統があるだけだって事。
にも拘わらず、たとえオーディオがコンサートホールと
区別できないくらいの音質を実現しても、やはりピアニストの存在を求めると思う。
そこが肉体礼賛ね。ピアノの音を純粋に欲することも、実は幻想なんだ。
もうこれは好きなときに割合でいくしかない??
A動物的、あるいは資本主義/国家
好きだから好きだ、気持ちいいから気持ちいい、というのはまさに「動物的」で、
普段絶対使わない言葉だけど・・「萌え」な訳でしょ。
それがなぜか共有できて、派閥みたいなものも出来るけど、その争いには興味がないな。
その争いが内面にくれば、自問自答の夢にはまって、確かに色々動くんだけど、
それも袋小路って気がする。
「死に至る病」ではないけど、生きられる国家の可能性、というのもあるのではないかな。 ガブリエルが必死にレスしようとしてるのがワロスwww 勝手にやれるのが職人ですよね
パティシエも喧嘩が好きで口では滅多に教えてくれません
躾という名のいじめの連続です 勝手にやれるのが職人ですよね
パティシエも喧嘩が好きで口では滅多に教えてくれません
躾という名のいじめの連続です 上原ひろみスルーしてごめん。えーっと、あまり好きではないです。
多分デビューから2枚くらい聞いたけど、なんか展開とか頭で作ってる感じがしてイマイチ…
>>140
踊るのが頽廃?あと歌謡曲をバカにするのもありがちだね。
あれでしょ、カラオケとかも否定するタイプでしょ。
コンセプト基準で単純にそういう優劣をつけてるのは、西洋の(実際はさまざま欠陥だらけの)
古い価値観を守るために、ある文脈にあてはめてるだけ。踊りながら聞くのもひとつの
リスニング方法だし、その文脈にもその文脈なりの価値観が生まれる。
歌謡曲・演歌・民謡にも歌モノの聞き方がある。こっちなんかは特に、おそらくその文脈は
分かってるはずなのに西洋進歩主義的な文脈の吸収に積極的なあまり無意識に見えないフリ、
もしくは無駄にその文脈を下に見ている。
こういうのがまさに僕の言う心の壁。なんでもアリって言いながら作るほうにも
こういう壁がたくさんあった。他にもいわば円周のはじっこ、
ドーナツ型の部分だけが芸術である、という意識とか。
”コンセプト”を基準にした単純な進歩主義も同じひとつの文脈、「コンセプト」に過ぎない。 こういう理屈も言える。耳ってのは音を選り分ける機能を持ってるでしょ。
意識の仕方によって音の聞こえかたは変わる。
それが価値観でありコンセプトでありリスニング方法でもある、とも言える。
あ、ちなみにピストルズ、クラッシュついでにPILくらいは聞いています。 退廃(でかだんす)をわるくとっちゃあいけない
退廃とは美でもある
カラオケはだいすきだ
あれは唄うためにあるもの
いちいち打ち込み伴奏にケチはつけんが
てんすうにはおおいに文句がある
しょせんキカイはキカイだな
びみょーなゆらぎ 或いはテンポ・ルバートを解さない
ぴすとるず・くらっしゅは実にへたっぴだよな
功績はみとめるが 上原は3枚目がいいんだー!
そうそう、学生が作ったって感じなの。
何でもアリでいいけど、ポストモダンは何でもアリとは違うよね。
耳の機能について言ってるけど、
その制度的で無自覚な部分に対してのディコンストラクトが望まれる訳で。
それでヴァンデルヴァイザー学派は破綻したけど、役目を終えただけなのかも知れない。
生き残るには、「リコンストラクト」でなければならないのが現実なんだね。
それは村を作りなおすことだから、矛盾というか、ポストモダンとしてやるには頭打ちの策なんだ。
君も職人なんだな。僕はそういう才能は持っていない。
提示されて初めて気付く方。 ご本人様登場のやつだと
もりあがるよね
なんだっけ さいばーだむ? 本人出まくるやつなんて静岡にないです
さすが東京ですな パソがないならお菓子をおたべ
ってまりーさんがいってた >>157
そうですか、失礼しました
>>159
上原は三枚目聞いてみるよ。
後半。
結局なぜコンセプト単位での革新を求めていたのか?ここの考察が無いと理屈が地に足着かない。
それは音楽の新しいフィーリングにつながるから、じゃない?
つまりフィーリングが目的でコンセプトが手段のひとつ。
革新はコンセプト単位だけではないし、そのことを認めることで初めて現れるフィーリングもある。
結局コンセプトも実はある種の圧縮方法(逆に言えば抽出方法)じゃない?
例えば言葉が圧縮率の高い、そして荒いデジタルであるのと似た意味で。
そう考えることでコンセプトをフィーリングと同じ次元で消化できると思うんだが。
例えば曲作りで和声理論を使えば、それはコンセプトと同様かつ単位の違う
ある種の感覚にまとめることができる。同じ単位にはセリーやら対位やら。
単位っていうのはいわば1ミリ方眼か、1センチ方眼か、1枚ずつか、みたいなことね。 それはモダニズムだ。
ケージは自分でもよく喋ったけどポストモダンからは引用される立場だった。
だから突き詰めるとそのコンセプトに厳密さは欠けてるんだけど、大したことじゃない。
彼の棚にはCDがない。「風景を駄目にする絵葉書である」自分では散々出したくせに…
ともあれここでは作品主義(?)が括弧に入れられている。
「ハッピー・ニュー・イアー(新しい耳おめでとう)」と讃えられるのは、
フィーリング主義の「主観からの解放」を待ってではないかな?
それも舞台装置に置かれれば圧縮-解凍のコミュニケーションに過ぎない?
「暗部」を提出しようという試みはダダに任せるか、て話になる。
あ、プロジェクトとしてのOVALPROCESSは知ってる?
ソフトがでる予定だったんだ。今となっては何やら謎だけど
それがあれば「誰でもOVALになれる」、らしいw
(ジャケのしおりに書いてあったのかな)
ReasonやSonarで日々打ち込んでるヤツにしたら
「何をいまさら」って思うかも知れないけどね。企画倒れの模様。 創作をすれば常にコンセプトがあらゆるところにある、と考えれば
モダニズムに回帰しているように見えるかもしれないけど、
昔のモダニズムは芸術上のコンセプトを表現することを目的としてたよね?
あくまで音楽そのものの検証がテーマになっていた。
僕はいわゆる反モダニズム。ただこの言葉はあまり好きじゃない。
なんかモダニズムに反抗することが目的のようなニュアンスがあるし、
それだとあくまでモダニズムの考え方の中でとらえようとしているから。
「脱モダニズム」とかいうほうがしっくりくる気がする。
>>167は”革新”に主眼というか目的を置いてるように
見えてしまったかもしれないが、もともとベースに脱モダニズムがあって、
その中で、モダニズムの音楽のコンセプトによる検証の成果を
こういう風に消化できないか?ということを言いたかった。
モ、脱モどっちか一方に純化するわけじゃない。純化は既にモダニズム的な考えだね。
だから脱モはモダニズムも含むのではないか? よく反モダニズムと言われる、というかそのレッテルを貼ること自体も
すでに矛盾の危険を持ってるけど、横尾忠則とかも好きなんだよね。
よく似てる、別にパクったわけじゃないぞ
tp://211.1.161.65/yokoo_tamori/2004-07-27.html
面白いのでこれも時間があったらどうゾ、”森羅万象”の画集売ってるけどすごく良かった
tp://www.1101.com/yokoo/
”音楽の検証”とは聞く文脈を得ると同時に心の壁を取り去ることだった、と思う。
まずは難解な表現に対して、そして劣るとされていたものに対して。
いまや仮にそれを読み取る文脈を持っていなかったとしても、それをムゲに
劣ると見下す心の壁は無い。スーパーフラットな心の中で(←敢えてよ)、
そのときに反モダニズムは既に決して時計を逆回転させることではないんじゃないだろか。
***
プロセス知ってるよ。昔とっといたアドレスがまだ生きてた。
この人は実際に触ることができたらしい。
tp://www.tinami.com/x/report/12/ おいしく頂きました。音ゲーwwwwww
そうですね。生意気にも一口にモダニズムと言っちゃったけど、
素直に、いま言ってもらった事が一般的なまとめにもなってると思います。
結果的に、僕が開陳するより良かったと安心。
一方で、糸井理論的な発言を攻撃するのは簡単だけど、
あえて基礎論(モか脱モか)をアウフヘーベンするところに
アングラ/フォアグラ未分の文化が構築できるんだ、と言い切れれば、
感性に委ねられた、生き生きした世界を夢に描くことができるって事かも知れない。
いまや不完全定理の時代なんだし。
音楽なんだから、やっぱり聴く耳が大事だよね。
動物的、具体的にはシミュラクルのコンビナトワールとか、
もっと無邪気にでもいいけど、組み合わせの間隙に、
気持ちよさや未知のテクスチャが析出する可能性というのは多分無限にある。
音楽なんて、それでいいんだって事かもね。
ただ・・・・ついでにポストモダンもアウフヘーベンしちゃってるけど。
うまく呼び方変えたよね。一般用語??>脱モ
まあ、社会理論みたいなのでトレースしてしまうと、
やっぱりその先にはボルツマン的熱死が待っているとか言う事になってしまう。
資本主義国家に恐慌が待っているように、それは必然的に訪れる。
なぜならそれは偽札マジックであるから。
時計を逆回転、てことについても、そりゃプレモダンからのやり直しとも言える訳で。
僕らが互いに立場を守りながら話していると平行線になるところかもね。
ヴァンデルヴァイザー学派のネットラジオはどう?
聞いてみたいんだけど、パソがない。
ttp://www.wandelweiser.de ボルツマン的熱死って詳しく知らないけど、要するに最後は消費され尽くしちゃう、
ってことかな?それは僕も感じる、っていうか今芸術に関わる人はきっとみんな
その絶望感みたいのは多かれ少なかれしょってるんじゃないかなー。
更に進めれば熱死は芸術だけじゃないんだろうけど、でも芸術分野の消費って早い。
脱モダニズムって言葉を思いついたの今朝w人は生まれて年をとって、
そして老人になりそのときある種幼児に戻る、と言うけど似てるよね。
ラジオ、このボロパソじゃダメだー、明日別ので試してみるわ。 あー・・重いかも。
うん、皆で隙間を埋めていく…平衡状態でもある。
(「理屈」では)結局「フラット」なシート状の価値体系に閉じられてる訳だ。
方眼紙のような、ね。
抗い難い重力でもってUFOもサラ地のマス目に落っこちる。
マス目と言うからには電子の軌道のように不連続なハイジャンプなんだけど、
それは商品交換も言語ゲームも同じで、単にコミュニケーションの基礎的問題であると。
ある意味健康であるためには、マス目(暗部)に対してブラインドである必要があるんだよね。
それを意識して桂馬飛びでもしてやるかってのがスーパーフラットだとしたら、、
・・・・まあ、超健康だねっていう感じだけどw
こないだ言ってた「ストイック」をまたいでいく元気さ、かな。村上にも興味を持ってきた。 重いっていうよりリアルプレイヤーが不調で、直すの面倒でほっといてるだけだったり…
聞いてみたけどサイン波で、典型的な少音ロングトーンの音楽がずっと流れてた。
なんかブライアン・イーノのアルバム”Music For Airports”を思い出したよ。
このアルバム結構好き。ただ音質が決め手なのでもし聞くならできるだけ新しい
リマスターのがいいかも。僕持ってるのは2004年リマスターのやつ。
アンビエントのはしりの代表的なアルバムかな。
そういえば岡本太郎も純粋芸術のインパクトというかパワーに限界を感じて
(つづき)"対極主義"という、思想というより創作スタンスを掲げたり、呪術や
無根拠な爆発力にひかれたみたい。あの世代でよくそこをぶちぬけたよなー。
パリにいた頃はモンドリアンとかと親交があったりとかした世代なのにね。
横尾もだけど感心してしまう。
もし関東圏ならこういうのもある。そんなに気合を入れて聞くもんでもないけど、
僕としては同じ芸術で頑張ってる人の今の声は励みになる。TokyoFM。
tp://reco.jfn.co.jp/podcasts/tokyo/dojo/(本放送ではだいたいゲストを迎えてトーク) 静岡だけどパソがないもんでw
会社で見せて頂きます。
イーノか・・その昔セリエルのノーノと間違えて
ジャケ買いした苦い思い出がorz
グリーン何とかと言う、ゲイがテーマの「環境音楽」だったけど、
忘れてしまった。割に好きだったような。
Airort聞いてみたいですね。 わたくしが小学生のときからとまってるよ
いろがかわっただけだ グリーンはどうですかい?
あれ何て言うんでしょうか
おしいですな
今調べたら「アナザー・グリーン・ワールド」でした
いいアルバムです がぶちゃんね
ブライアンイーノとイギーポップが
たまにごちゃごちゃになるの 幾何学者ですかな
コーヒーカップとドーナツの区別がつかないそうです 最近暑いですな
100円均一のネクタイは薄くていいのがあります はあまあ汗っかきです
UNOのウェットティッシュみたいなのがロッカーで匂って逆効果です
そのあせをあつめて
それで暑中見舞いをあぶりだしで書きたまえ 何日かぶりでドモ。耳の暗部はダダに任せるか、てな話あったけど
こういうのもあるってことで。
ポップス・ワールドミュージックのユッスー・ンドゥールがお勧め。
アフリカはセネガルの人。リズムが強烈な”ンバラ”といわれる音楽をやる。
彼を聞くと、ポップスのメロディを作るときに頼る”成立感”がいかに無意識に
アメリカの音楽に規定されてしまっていたか、と痛感する。
それまでたくさん音楽を聴いてきたつもりだったけど、楽器も歌も、
旋律の流れやリズム割が全然違う、今まで聞いたことのないものだった。
自分のもつ(アメリカ音楽に影響を受けた)成立感が可能性のひとつに過ぎないことを
実感した。
これもモダニズムの枠では捕らえきれない可能性の広げかただと思う。
入手しにくいけどアルバムは「BA TAY」っていうのがスゴイ。サウンド志向が
強めのアルバムとゴリゴリのンバラのものがある。
DVDの「ライヴアットユニオンチャペル」も素晴らしい。彼の持ってるバンドは相当ハイレベルだ。
ちなみに8月来日する。
tp://www.ma.ccnw.ne.jp/zoiyoi/pages/review/Africa/ba%20tay.html あ〜、90年代のあの人ね、って思う人は是非2001年のBA TAYや
2002年のそのDVDを見たら改めてこんなにレベル高かったか、と感じると思うよ。 やあ、暑いね。まあ、基本、部長と僕しかいませんが(泣
そんなにすごいのか。間違ってもジャケ買いはしなさそうだw皆何で知るんだ?
それはおいおい時間差で感想を持つとして、村上隆少しだけ見ましたよ。Webだけど。
勝手に、だけど好意的に彼に標語を与えるとしたら「主観で遊べ」がいいかな。
@単数のパースペクティヴを攻撃して主観にブレを与える、Aその隙にオタクの大好きな人形を主観に突っ込む
Bハイジャンプから落ちてきて勢いよくフタ。
・・好意的じゃないかwまあ、才能は認めざるを得ないな。オタッキズムでやられて困った人多いだろうな・・
でもそれだけ勉強にもなる。でもレジに持っていくのは抵抗あるだろ、、
マルクスの価値形態論で敷衍すると、音ってのもやはり等価形態と相対的価値形態のモデルで考えられると思う。
前者がフィーリングで、後者が振動。(ナティエなんかに言われてる可能性はあるけど読むのはとても面倒。
だれか音楽記号論を読んでみて。)
蛇足だけど定石主義の古典にとってであれプライベートとされる感性の系にとってであれ音はこの意味で音。
何を言いたいのかと言うと、上の方のレスで僕が嫌ったのが価値から出発することができるかのような誤謬だという事だったんだ。
相対的価値形態と等価形態を垂直に繋ぐ当のものに対して依然とブラインドなんです。
そこを新たな意匠で接続することがポストモダンなのかな、と思ったりもした。村上をみて。
総合を先取りした弁証法、というと一昔前のヘーゲル評価にもつながるか。
村上もご丁寧にハイジャンプが落っこちるところまで披露していると見た。彼の総合はオタク文化と自分の財布だ。
ちょーーっと集権的に過ぎませんか??
まあ、耳で聞けたら幸せだと思うんだけど、なかなか難しくい。
僕はあまり面白いものは見つかってないなあ。心の壁は厚い。そして暑い。 200の取りかたセコいよ
>>198
弁証法的総合はオタクはともかく、財布かな?そういう人結構多いけど、
実際にどの辺の活動を金儲けと捉えてるのか、僕にはピンとこないんだよなぁ。
村上は実は単にアート的な価値観(コンセプト主義のことでなくもっと古典的な、
アート的作品の楽しみかたの文脈)をより広めたい、だから世界の規模を視野に入れられて、
単発でなくきちんとある程度持続可能なプロジェクトの形を取っているだけではないのか?
アートにすぐコンセプトや意味を求める癖で、彼の展開方法自体も表現なんじゃないか、
と捉える人もいるみたいだが、あれは目的ではなく単なる手段なのではないか?
勿論アートが金銭的にストイックでなければ、という古い幻想を全く意識してないことはないだろうし、
そういう意味では割合の問題だが、一番は手段だと思う。
別に村上が聖人君子だとも思ってないし名誉欲も金銭欲もあるだろうけど。
でも例えばwebの音声の4/23のメゾンドヒミコや4/16のトップをねらえ2などを聞いてもらえば、
本当に自分の立場も明確で、そこに基づいて批判するものははっきり批判する。
根底には「良いものを作るにはどうしたらいいか?」という彼なりの方法論の存在を常に感じる。
僕は彼は基本はオーソドックスな作品主義(?)の人だと思うんだが。 僕も最初から心の壁がなかったわけじゃ全然ないから分かるけど、中途半端に知識があると
アニメ絵や金に非ストイックな雰囲気を否定したい感情が捨てきれなくて、
肯定的に捉えるにしてもコンセプトに重きを置きすぎ、っていうかコンセプトに依ることなく
あれを肯定することに気後れしている、というか。
でも逆に僕は村上みたいな方向へ行くつもりはさらさらないし、全員金臭い奴に
なったらスゲーイヤだ、という見かたも持ってるよ。でもそうはならないだろうし。
躊躇なく混沌の海を泳げる今では平気で「あの百目みたいな食玩ちょっと欲しくね?」
って言えるよ。アートを楽しむってのはそういうことだしね。
自分で作る次元だともっと自分の好みを徹底して精錬した部分を出していきたいけど。 今日は寒かった。体壊しそう。
むう、中途半端な知識で批判したように(かなり)見えたかも知れないけど、直接は批判はしてないよ。
好意的でもなかったけど。第一印象。
まあカネ臭さと引っ掛けたかったから価値形態論で言ったけど、問題にしたかったのは構造の方です。
多分いまの動物的モダニズムには突っ込みが欠けていて、それでボケが単なる嘘になってる気がする。
これはモラルの問題でアートの面白さとは話が全く違うんで誤解のないよう。 この番組映るのかな?お勧め。
いまやアートとデザインの境界はあいまいになっていて、
しかしアートとは違う価値観や切り口の部分が僕にはとても興味深い。
深夜なんで是非ビデオにとってでも。
テレビ東京金曜日深夜26:45-27:15 "design channel"
tp://www.c-channel.co.jp/japanese/dc/ ウチはうつるけど
えっくすはしずおかだからうつんないとおも そうなのか。ずっと関東だから他の地方のTV事情が正直よくわからんのです、ごめん。
あ、でもサイト番組の一部のmov見れるね。
ガブちゃんはこの番組知ってた?結構面白いと思うよ。 あーとはね
現代あーとはよくわからんの
あーる・ぬーぼーがすきなん
でも思い出したらべんきょうのためにみてみるね 浮世絵ですな
村上も引っ張ってるようです
芸術道場いただきました。超健康でおいしかった。
ドラえもんの話も印象に残るね。 そろそろ村上の話もやめようと思ったけど、最後だと思ってこれを。
ていうのも今週のFM芸術道場、なかなか良かった。
オークションのフィクサーとかお金のエゲツない話面白かったし、後半もなかなか。
ラジオは好きでいろいろ聞いてて、深夜のは聞き捨てのつもりでよく録音してるので
音質しょうがないとはいえ、今回は特にすごくノイズが乗ってるorz
このスレの話題にも結構タイムリーだし、はじめてパソに落としてみたんだけど・・・
聞けるかね?ノイズイラっときたらゴメン!感想あったら書いてね。
774miniup4574
dlpass:doujo 774あぷろだmini
tp://www.774.cc:8000/upload-mini/upload.html
のup4574.zipね。dlpass:doujo はあ。夜更けが待ち遠しいですな。
あ、岡本太郎の壁画が見つかったとかで(確か前にもそんなことがなかったっけ)
岡本太郎論
ttp://www.mnet.ne.jp/~emonyama/
を会社でつまみ読みしてみた。
ポトラッチの経済学は案外まとめられてると思った。
対極主義の方ってどうなんだろう。
まあ、彼が原色を多用したのは筋が通っている、といったところか。
今のところ遠近法以外に何か入ってるのか、よく分からない。ゲシュタルト的な一体感のうちに
微細な要素の性質が失われるという気はしなくもないけど、それが静かな爆発なんですかね。
ぶつかり合ったら複数の弁証法があるだけだからな。
見たいけど、川崎遠いよ。
>>215
あ、そんなのがあるのね。じゃあ聞いてみます。
地球人を結集させると
琵琶湖の面積らしいですな(byトリビアの本) ぼくタロさんと同じ川崎出身。
この「歓喜」という画集(&発言集)が激オススメ。画から文や彫刻から、
全般よくまとめられているし、パワーがガンガン伝わってきます。
是非探してみて。図書館にもあるかも、画集は高いしね(ぼく貧乏)。
tp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4544020719/503-7546555-2572749
川崎の太郎美術館行こう行こうと思って行ってない…近いうちに絶対行きます。
ちなみに東京青山の元アトリエも今は記念館として作品展示してあります。
対極主義は>>175でも書いたけど思想(主義)というより創作スタンスみたいなものだと
思います。>>216のサイトの対極主義の項にも似たようなこと書いてあって共感。
この辺のことも上の本でかなり読めるよ。 タロさんにちょっと協調してきた。画集ほしいかも。
画集なんて買ったことないけど、カンディンスキーのコンポジション以来初めて欲しくなった。
思想に関しては、何となく違和感あるけど元気は出そうだからいいや。
ではようやくポートが開けたので6月3日の道場いただきます〜 ようやく聞き終わりました。
感想・・まねできないパワー。以上w
前言った「総合→カネ」というのはあながち比喩でもなく、そのように目的的だという意味で、
それでそこまでの弁証法的発展が強引に成されてることを言いたかった訳だけど、
資本の演繹というどうしようもなさを逆手に取って、彼らはアートの無限増殖みたいなのを目論んでるんだよね?
(よしんば彼らが望んでなくても、そういう行為でしょ。オークションにしてもマーケティングにしても。
貨幣のシステムをもって追従できる行為。)で、そのためには本題(アート)の総合は欠落してないといけない、というか、
僕が前に言った意味で「フラット」な状況で動き回るには、それしかないというか。
でもその割には、アートバブルwだと。型にこだわったら最後、そりゃその諦観に飲み込まれるだろう。
オーディションの一幕には基礎の充実度を図る審査員の目もちらりと語られてたけど、
念のため言うとそのベーシックは総合ではなく定立(の一部)だね。
アートバブル云々いうなら、本題で綜合に望む覚悟が必要になるんじゃない?
その時難点はモダンが定立に包含されている点だろうね。神と手を切ることによって得た主観性だから、
クラシックな意味合いでの「絶対的」な権力のポテンシャルがない。もう誰もシモベではない世界だから。
してみると、各人の主張のバブルというのも必然かと。残る部分は技術的な力量などでなんとか序列しようということで、
モノサシにクラシックが使われる。まあこの点に絞って出てくる問題なんて卑近なものだろうけどさ。
バタイユも総合の「屋根」を取っ払っただけで、構造主義者と同じではないにせよよく似た建屋の中にいると批判もされる。
ドゥルーズもその一人で、バタイユ的状況(劇場)を批判して「工場」と言った。
分裂病を「病気」とみなす、つまり工場を満足を満たす形で不可能にしてるのは資本主義なんだとドゥルーズは言うんですが、
しかしミル・プラトーの冒頭で「ネオ資本主義」をほのめかすんです。僕にはそれが感覚的にピンとこない。
「蒔くな!」はいいけど、「突き刺せ!」がよく分からないとか、そんなことが肝心な所で多々あるな。
あまり感想になってないけど、まあ、今回はこんなことを考えた、ということで。
あ、あと挿入歌は曲名くらい言ってほしいもんだ。気に入っちゃったらどうするんだ。 パンクも色々ですか
雰囲気的には鍵盤入りにくそうですが シンセで禍々しい雰囲気を醸し出す用途として
しようするばあいもある
まーこのばあいは旋律とゆーよりも効果音にちかいな
あと裏打ち系なんかじゃんぱんぱ脳天気にやるのもあるしな もちろんめろでぃーを奏でて
おるがん系のおとで音にあつみをだすのもある
とにかくなにやったっていいんだ じゃんぱんぱが分かりません
へぇーそー
なんすか。脳天気は意外ですな。どうやって力抜くんだろ
パンクができてたら周りが何やっててもいい、
といったところでしょうか?でもパンクって何でしょうか じゃんぱんぱ でなくって 何かじゃンパンパ
パンクはスタイルじゃなく姿勢だ とじょー・すとらまーが言ってた
つまりあてぃちゅーどだ