真・ポスト鍵盤時代を生きる
ポスト鍵盤時代を生きるとは、どういうことかを考えたいと思います。 A型はアタマがかたくていかんな
O型のわたくしをすこしみならうとよろしい まかないはビビンバばっかりでしたよ
石椀だから洗うの面倒でしたな そして日本ベーゼンドルファーの本社があります
匠の生きた手が惜しみ無く使われていますが
その分家庭用向けではないので、スタジオがオススメです ___
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すねちゃんは見えましたが
横に長いとバーコードになりますな
(・∀・)僕もこのくらいは むう
ポ鍵時代にパソも買えないとは
何故かNEETさんまであるのに 査定の件ですな
残業した理由なんかこっちが聞きたいです 鍵盤の意味の拡大を考えてみた
12個の平均された音律→転調はしにくいが純正律他チューニング可
音色→シンセ
中間的な音→ベンダー、ビブラート
こう考えるとサンプラーの音楽がポスト鍵盤つーことかなーと思うが
さらに鍵盤は1トーン対応の単にボタンと考え、 12音階の鍵が並ぶ→昔の鍵盤は低音で音を抜いていたり
も考慮するとサンプラーも鍵盤的でないとは言いきれない。
となるとovalみたいなパソコンでグリグリやってるやつが"真"ポスト、ってことでしょうかね。
極めて非鍵盤的発想。鍵盤がアメリカよろしく、デリカシー無く各国の盟主を気取ってたら
宇宙ソラからスゴイUFOが降りてきた、みたいな。 そうだね。まず鍵盤とは何か、からはじめる必要があるところだと思う。
アブストラクトに言えば、チェンバロの時代から鍵盤楽器の変遷の只中にあって、
なお変わらない「肉体」のようなもの。
「沿革」という文字に対応させるなら、「沿」が鍵盤で、「革」が構造だ。
けれども、サンプラーを「鍵盤的」あるいは「ポ鍵的」というとき、
すでに「沿-革」のとりもち(あいだ)を先取りしている、という整理はまず必要だと思う。
OVALPROCESSが標榜を立てるにとどまった事は、遺憾かな、と思うね。 ( ´_ゝ`) キミタチ ナニガ トリツイチャッタノ であるからして・・
お疲れっす
たまのお客さんなんで まるでわたくしがお客じゃないよーな物言いじゃないか でふぉるめし過ぎでにんげんですらない
涙がでた
ばにーちゃんはアキラメることにしよう マーカス・ポップはあんまりなんつーか、政治力みたいのを発揮するのが好きではなさそうだからなー。
僕の初oval、オヴァルコマースは衝撃で今でもovalで一番好き。それまで軽くかじる程度だった
音響派やテクノにもどっぷりはまるきっかけでした。
なんで好きなンカナーと思ったんだけどこの前気づいた、コマースは雰囲気が村上隆っぽい。
村上がターニングポイントにかんじるのは、ポストモダンでなんでもありだー、
と口では言ってたけどまだストイックな雰囲気があることが芸術、みたいな固定観念、
つーか自己防衛本能みたいのがアーティスト達にあったけど、村上は「結果的」に
そこもぶち抜いちゃった。
アルバムオヴァルプロセスはそういう意味でポストモダン、コマースだけは真ポストモダンを通過している
と感覚的に感じる。
もし人がいたら肉体性についても思うことあるけど… >政治力みたいのを発揮するのが好きではなさそうだからなー。
クラフトワークもそうだった。音楽の革命は解釈を待つとかいう不文律でもあるのかな。
真ポストモダンって言ってるのは、
言い換えるとコードに依存したデコードという袋小路から
プラトニックな逃走線でもって飛び越える、というイメージかな、と勝手に思ってみるけど。
ただ、これはアカデミズムの視点からは中々見出されないし評価もされにくいw
まだポストモダンは定義上コンテクストをぶつ切りにする所に快感を覚えるもので、
肉体(感覚)に対しては疎外的なんだよね。
クラシックなんかはその意味でもろに肉体の歴史だと思っている。
とすると、オヴァルプロセスは演歌でもあることを計算に入れると減点だ。
あれは従来の意味での作品だよ。アウラってのはこっちの機嫌を取る形では提出しえない、
ってのがポストモダンなんだ。
聞き手ってのはドゥルーズが批判した舞台装置のパーツだった。工場を目指しましょう。
コマースも聞いてみるかな。ぜんぜん関係ないけど上原ひろみ好き?
むう
ダダイックなバニーちゃんでしたので
次のバイトを探してもらいましょう くらふとわーくはしってる
おヴぁるこまーすはしらん
テクノかいな
だだいずむよさようなら 作品であることが減点とは思わないなあ。
コンセプチュアルであることに評価を置き過ぎてるからそう思うんじゃない?
ドゥルーズの批判、詳しくはないけど聞いたことある。でもそれはあくまで
「芸術とは自己表現である」という前提に立ってるよね。思想的にはそうでも、
現実は社会と接続<コミット>することと自分のやりたいことってのは割合にすぎないと思う。
ちなみにそれこそ村上隆が示していることでもあるね。
つまり完全な工場なんてありえない。また「自己表現こそ高尚」なんてのも幻想、理屈は無い。
ジョアン・ジルベルトのように自分の割合高く、客を待つもひとつ。
より多くの人が喜ぶのを望むのもひとつ。フィーリング。僕は自分でプレイするのは前者だけどね。
感覚に優劣などない。でも結局西洋人は”普遍”神話を守りたいんだよな。
僕はいっぱい音楽を聞いてるとときどき、良いなっていう判断が、
「過去に良いとされてる感覚と同じものがある」ということだけで決めているんじゃないか、と
思うことがある。確か思想家でもそんなこと言ってる人いたね。芸術は実践主義だから、
そんなときは僕は感覚をなるべくオープンに、と自戒するようにしてるけど。 だから音楽じゃないな
厳密にゆーと
テクノも厳密にいうと音楽じゃないな
ぱんくとテクノは密接な関係にある
ヤン・ハマーって知ってる?エレキギターみたいなフレージングするキーボーディスト。
youtubeにも確かJan Hammerあった。他の楽器から発想を得るのはいくらでも
あることだしあれも可能性のひとつだと思う。でも評価とは完全に別問題として、
鍵盤やってる人が聞けば明らかに鍵盤の音なんだよね
(別にハマーが100%ギターを再現しなきゃいけないわけじゃないからいいんだけど)。
結局入力装置として、鍵盤では鍵盤のフィーリングがでちゃう。鍵盤とギター、
鍵盤とギターシンセでもわかるだろうね。理屈はいくらでもつく。旋律的なふたつの音のかぶり具合が
性質を考えればどう考えても変わるし、楽器それぞれ独特のアクセントや強弱が自然につくし、
ベンダーとチョーキングやビブラートの感じの差もある。
ウィンドシンセ、シンセドラムもあるし、フィーリングこそ問題になるのは
鍵盤だけの話じゃないだろうね。シンセだと音色によって弾き方変えてフィーリングを
変えたりもするね。ピアノ弾きオルガン弾き。
要するに楽器はそういうフィーリングの入力装置のひとつ、ってことでしょう。
そういう意味ではシンセやサンプラーがどんな音でも出せるよ、っていう理屈は
あくまで思想的な意味でしかない、とも言える。DTMで全部修正するのはしんどすぎる。 おなにーみたいなもんだからな
ぱんくもテクノも
あまり聴き手のことをかんがえていない
極めて利己的で意識的なんだな えっくす泣くな
芸術なんてものは普遍性なぞくそくらえだ
音楽という枠を瓦解してこそぽすともだんなんだろ >>136
おい、全然違うぞ。テクノの片いっぽの足はフロアでみんなを躍らせることじゃないか。
クラフトワークの昔からみんなクラブで踊ってっぞ。
パンクも全然わからん。基本ポップスじゃん。結果的に楽器ヘタクソも味って示して、
演奏技術もひとつのフィーリングにすぎないことを決定づけただけで。
>音楽という枠を瓦解してこそぽすともだんなんだろ
そういうダダ的なことじゃなく、心の先入観が無くなることが
真ポストモダン、と僕は思っています。
ちなみに僕も普遍なんて幻想だ、って言ってるんですが。 >部長
携帯パニックです
あと、普遍性ってのは完成された形而上学という西洋の夢だと思って聞きました。
パンクってある意味プラグマティックですね。
>ギコさん
僕にも感覚があるから上原って言ってみたんだ。
優劣じゃなくて、腑分けをすべきかも知れないな。
ポストモダンってのは結局風潮だから、作品として見れば感性でより分けていくしかない。
しかし、これは字義的にはいささか矛盾している。
大目に見ると、東(デリダ)の言う「動物」付近とは言えると思うけど。
>>138 踊れよ
きわめて退廃の極みじゃないか
今のぱんくはニセモノだからな
本物は80年代ですでにおわってる
思想やメッセージ性があるぱんくは日本ではしんでる
だから最近のぱんくを聴いてpopsといわれるのはしょーがない
あいつらみんなニセモノだ 歌謡曲だ
テクノとぱんくが同一視される時代もあったんだ
俗に言うnew waveってやつだ
いままでの既成観念をうちやぶる
そんな音楽はみなそう呼ばれたんだ
まーもーつぁるとだって
昔はそういわれたんだろうな