手の悩みを語る
手が小さい、関節が弱いなど構造上の悩みから、腱鞘炎、ばね指などの傷病まで、
皆さん手に関して様々な悩みをお持ちのことだと思います。
同じような悩みを持ってる人同士、こうやって治した、弾けない部分はこう弾いているなど、解決策について語りましょう。
関連スレ
手が小さい鍵盤奏者の集い
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/piano/1119577065/
腱鞘炎パート3
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/body/1120766555/ ⽇常⽣活では⼤抵の場合、全ての指を同時に使って物を取り、それを使
うために⼀定期間保持し、使い終わると物を⼿放放すのだが…
ピアノの鍵盤上では、ひとつの鍵盤は1本の指で弾き、保持する必要はない。
鍵盤を使うのはほんのわずかな時間だけだ。
何故なら、⾳が発せられたらその⾳を変えることは出来ない。
⾳を発するまでに、どんな⾳を出そうかと考え、それにふさわしい(と思われる)
⾝体の使い⽅をしてそれが指先に伝達され、鍵盤に伝えられハンマーに伝えられて、
その⾳は発せられる。わざわざ保持しなければならない理由はない。
分かりやすく言うと、例えば⽇常⽣活であなたが物を使う時のことを思い出すがよい。
あなた使う物が熱かったり切れやすかったり尖っていたりしても、
あなたの⼿の安全を損なうような脅かすような事さえがなければ無意識のうち
に⻑時間でも持ち続けられる。これこそまさに⽣活習慣のなせる業。
⼿の開閉というのは、とても⾃然な動作である。この⼿の開閉の動作には、
不必要な筋⾁の緊張とは無縁のはず。
わたしたちは絶えず⼿を開いたり閉じたりしているわけではない。
ある1つの形を維持したり、ある動作を繰り返し続けるといった事が、筋⾁に重労働を
強い疲れさるのである。
だから、余計な動きをやめる・無意味な動きをやめることで、筋⾁に余
分な負担をかけずに済む=すぐ脱⼒状態に戻せる
ということである。 向かい合った二台のピアノに私とほうきが着く。私の服装はほうきと同じ、白い天使の衣装になっていた。
最初の曲とは逆に、今度はほうきの演奏から物語は始まる。
静かに、だけど煌めくような旋律で一曲めの天使の主題が繰り返される。
それを受けて私は同じ主題を、より柔らかい表現で返す。
会話するように数回、演奏のキャッチボールをした後に、徐々に二人の旋律が混ざり合い始める。
時には私がほうきのアドリブを支え、ほうきが私の旋律に軽やかな翼を与えた。
そうして、絡み合った二人の旋律は、徐々に高みを目指していく。
私はもう全力だった。だけど、ほうきはそんな私の渾身の演奏を軽々と受け止めて先へ先へと私を促していく。
気づけば私は、絶対に超えることはできないと思っていた自分の限界の壁の向こう側にいた。
私は、自分がこんな演奏ができることを知らなかった。音楽はこんなにも楽しくて果てのないものだということを、私は今まで知らずにいたのだ。
二台のピアノの向こうで、ほうきが得意げに笑うのを感じた。
私はほうきのピアノが好きで、ほうきは私のピアノが好き。
今なら、それを信じられる。
この時間を永遠に続けていたい。
ほうきもステージを見守る観客も、誰もがそれを望んでいるとわかった。
だけど、私にはわかってる。それでも私には、わかっているのだ。
はるかな高みに至れるのは、
ほうきのピアノだけだってことを。
キン、と一音を残して、私が脱落する。もう指が痙攣して動かない。ブランクのツケ、というよりも、私にはこれ以上吐きだせる音楽の力が残っていないのだ。
ほうきが目を見開く。
取り残される悲しみに顔をゆがめる。
そして、切なさ、悲しさ、嘆き、絶望、それらを飲み込んで旋律が無限に変化する。胸が張り裂けそうな、だけど、残酷なほどに美しい音の奔流。
いくら手を伸ばしても届かない、私が恋い焦がれたほうきの生み出す魂の煌めきだった。
そして、その音は次第に混沌から力強い羽ばたきへと姿を変えて、再び高みへと昇っていく。
高く高く、眩しい光の世界、どこまでも透明で白く神聖な世界
その先にそびえる荘厳な光の門
輝く翼を持つ天使は、その門を力強い羽ばたきで越えていく。
門の先に辿りつくと、ほうきは髪を振り乱し、最後の旋律を圧倒的な技巧で弾き上げた。
◇
演奏が終わった。私はいつの間にか立ち上がって、ぽろぽろと目から涙を流しながらほうきを呆然と見つめていた。
満身創痍のほうきが立ち上がって、私に歩み寄る。
そして、痛いくらいに強く、私の体を抱きしめた。
次の瞬間、金縛りが解けたみたいに、爆発するように客席から拍手が沸き起こった。
ピアノの道を諦めたはずなのに、どうして私は、こんな万雷の拍手の中にいるんだろう。もちろん、わかってる。この拍手は全て、ほうきに向けられたものだ。
だけど、そのほうきはさっきの私よりも顔を酷い有様にして泣いていた。
もしかすると、ほうきは最後の光の世界にまで、私と一緒に行けると思っていたんだろうか。だとしたら、何もかもお見通しみたいなほうきにも、見えていないものがあるのだろう。
あの世界には、きっと選ばれた人間しか立ち入ることはできないのだ。ほうきが私のピアノを好きだといってくれたのは今なら素直に受け入れられる。それは私の一生の宝物と言っていい。
だけど、私は一緒には行けない。
私にできるのは、蝶の羽ばたきよりはましな力で、ほうきの背中を押してやることだけだ。
ほうきの呼吸が少し落ち着いたところで、優しく、ほうきの体を押し返す。驚いた顔をするほうきに、私は観客席を指し示した。
ここがステージであることを今思い出したみたいに、ほうきは観客席に向き直る。
深々と一礼して。そして、再び勢いを増した拍手に、ほうきは両手を振って応えた。 >>256
脱力についての考え方は、同意できる部分が多いが、
基礎筋力があることが無駄な疲労を招くとか、無駄な動きを招くというのは正しくない。
筋力に余裕を持ったうえで、無駄な動き 無駄な力を抑えていけるということだ。
奏法は一つではなく、多くの引き出しがあることが表現力を高める。
瞬間的に十分な筋力を使って弾く奏法も引き出しの一つ。もちろん力の行使は脱力とセットでなければならない。 >>251
いやいや、物理学や生理学に疎いヤツの肌感覚なんて誰が信用するかって。
そういう妄想は止めてくれ。
実際に女性のピアノ専攻者とピアノ非経験者の握力を調べたところ、
「握力はピアノ専攻群と対照群間に差がなく,両群内の利き手非利き手の差もなかった」
ってさ。残念だったな。
https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1408200511
そりゃピアノに限らず適度な運動・筋トレは大事さ。
でも、あんたが言ってんのは "ピアノ練習が第一だし、水を飲むのが良いのは当然" と言ってんのと同じ程度のレベルなんだよ。 >>253
何言ってるわからんが、残念ながら50 gで下がる鍵盤に腕の重さはおろか、体重なんて乗らないぞ。
無意味なことはするんじゃないよ。
>>254
やたら握る力を推してるヤツがいるが、別にピアノは握りながら弾く必要ねぇぞ。
例えば和音で高速連打するとき、プロは鍵盤を下げるときに指を伸ばそうとしてるからな。 >>258
たった50 g程度の力で沈む鍵盤に対して、余裕のない筋力ってどんだけ非力なんだよw
弾き方さえ工夫すれば、ただそれだけで十分、無駄な動き、無駄な力は減らせるよ。
確かに多くの引き出しがあった方が良いが、そういう無意味な引き出しは存在自体が邪魔だ。
そうやって無意味に鍛えると、使われている無駄な動き、無駄な力が見えづらくなるだけで、根本的な解決にはならん。 あんだんて優子さんのブログが大変です。誰か助けてあげて! >>260
何言ってるわからん,打鍵に常時5ogしかかけないと思っているの?
腕力や体重使って強弱出してんだよ
それに鍵盤ひとつで50gなら鍵板10個ならどうなるとか考えないの? ラフマニノフ2番冒頭のfffで和音を掴むときは、叩きつけるわけにもいかないので、しっかり鍵盤を握って掴むような奏法になる。
それが出来なくて、分散で弾くピアニストが多いけど、
一気に鍵盤を掴んだfffの威力って音にも表れるよ。
この時の瞬間握力は50kgぐらいになる。掴んだ状態で速度を出してfffにするためには力が必要。
シューマン謝肉祭冒頭も、分散しないで一気に掴んでff出すためには握力が必要。左手Eb Bb Gを一気に掴んだ音は、分散にない妙味がある。
大きな握力の必要ない奏法に徹することもできるが、分散が伴ってしまう。
つまり握力があれば奏法の幅が広がるということ。 >>263
おいおい、鍵盤が沈む50 gに対して体重がどれくらいあると思ってんだよ。
弾く鍵盤が1個だろうと10個だろうと、それよりも遥かに重たい体重の前には誤差でしかねーよ。
そもそもピアノの強弱は鍵盤に乗せる重さで決まるんじゃねぇ。
打鍵速度(正確にはハンマーが飛び出る速度)で決まんだよ。
そこをはき違えてるから、話がわけわからなくなってる。
ただ、腕力を使ってるって主張は正解。速度は力に比例するからな。 >>264
だから握力ってのは、最大限の力で握れるものを時間をかけて握りきった時の力、だっつてんだろ。
大音量を出すための打鍵時に指先に瞬間的に加わる力がどれほどだろうと、それと握力の値は関係ない。
だからピアノ専攻者とピアノ非経験者の握力に差はないって結果が出てる。
言い方を変えよう。
握力が必要だと感じる時は、大抵弾き方が悪い。
で、それを握力強化でどうにかしようとする場合、それはただ弾き方の悪さにフタをしてるだけ。
つまり、根本的な解決にはなってないわけだ。
ちなみに、なんで50 g程度の重さで沈む鍵盤を強く打鍵するとき、打鍵の瞬間に加わる力がそれを遥かに超える大きさになると思う?
多分これがわかってないと、あんたらとこれ以上の話をするのは無理だ。 >>265
そもそもピアノの強弱は鍵盤に乗せる重さで決まるんじゃねぇ。
打鍵速度(正確にはハンマーが飛び出る速度)で決まんだよ。
↑
打鍵速度出すには鍵盤に重さ乗せないとな、重さが無いと打鍵できませんが? >>268
何を言ってんだ?重さがなくても打鍵は出来るぞ。
たとえ無重力状態でも打鍵ぐらいはできる。
たぶんあんたは物理学の知識が不足し過ぎてて何か大きな勘違いをしている。 >>269
じゃ鍵盤に触れないで音出してくださいw 紙鍵盤氏の物理学だから、我々凡人ピアノ弾きと違う。
彼は電子ピアノさえ買わずに、物理的にコントロールできる人。
彼の理論は実践に役立つかどうか別としても、好学として楽しませてもらえば良いと思う。 >>270
どうやら重さが何かをちゃんと理解してないようだな。
鍵盤にわざわざ腕や身体の重さを乗せる必要は全くない。必要なのは鍵盤を動かすための力を鍵盤にかけることだ。
この違いをあんたは全然わかってない。中学レベルだぞ、これ。
で、鍵盤を速く動かしたければ、より大きな力を鍵盤に加えればいい。
ただ、今のあんたのポンコツ頭じゃこれ以上の話は無理だ。とりあえず中学を卒業したらまたおいで。 話が脱線してきたので手の悩みに話を戻そう、特に手のケガ・痛みに関して話しておく。
ピアノ弾きの手の痛みはあまり医者に理解されない様で、ちゃんと音楽家の状況・心情を理解してくれる先生に診てもらわないと適切な処置をしてもらえないらしい。
今、手の痛みで困っているピアノ弾きがいれば、医者に行くなら音楽家外来があるところに行った方が良い。
そういったことをきちんと理解してくれる先生の代表は酒井直隆先生と思われる。
この記事は、今ケガしている人はもちろん、ケガしたことがない人も一度目を通しておくといいかも。
http://www.piano.or.jp/seminar/news/2007/08/29_356.html
また、ピアノ弾きのケガ・痛みは、単なる弾き過ぎ(オーバーユース)と考えられているけど、最近は "無理な身体の使い方で身体を酷使し続けた結果起こる問題" (ミスユース)だと言われている。
だからオレは、ここの無理な身体の使い方(=悪い弾き方)に繋がり兼ねないコメントに喝を入れているんだ。悪いことは言わん、マジで闇雲な筋トレはやめれ。
それはさておき、そう考えるとピアノ弾きのケガ・痛みは治療だけじゃなく予防も可能なんだ。
だから今、手に何の痛みがない人でも、ピアノを弾く際のケガの予防はどんなものがあるかを絶対に知っておいた方がいい。
""の中身は以下のページの引用だけど、このページは現代を生きるピアノ弾きは必読だと思う。
http://www.piano.or.jp/report/03edc/brain/2010/12/27_11916.html 日常生活に必要な筋トレは、自然に行っていい。
ミケランジェリ シフラ チッコリーニも第二次世界大戦で兵卒として肉体労働に従事し、戦闘もした。
戦後、見事にピアノの第一線に復活している。
ピアノを弾くために手を過剰保護するのが最も良くないのであって、自分が生計 家事する上で必要な一般的な筋肉はピアノの邪魔をするものではない。
筋トレ目的の筋トレはする必要はないが、身体全体の筋肉が生活に便利なぐらいあった方がピアノにはプラスだ。
一般の人が持っている筋肉に加えて、ピアノを弾くのに必要な筋肉をショパンエチュードなどで鍛えればいい。鍛えるというよりも技巧を身につける過程で筋肉も自然に強化されるものだ。 手を故障するのは、無理なトレーニングや過度な練習をするのが主な原因だ。
多少無理したなと感じたら、休息が非常に大事になってくる。
ピアノの練習はメカニックだけではない。メカの練習は最低限にして、より多くの曲を初見して楽しむのがいい。
仕上げの練習をする時も、ゆっくり軽く弾くことが大事だ。
常にカモ運転が大事で、故障するカモ?という意識で慎重にピアノを弾くことが大事だ。
故障するかもと、疑わしきは練習せず。練習をやめる勇気が大事だ。 >>275
ちゃうねん。
>>273でも説明したが「最近は "無理な身体の使い方で身体を酷使し続けた結果起こる問題" (ミスユース)だと言われている」んだ。
つまり、手の故障の真の原因は単なる練習量の過多じゃない。
ただ練習をやめるだけじゃ、手を故障する根本原因が解決されたことにはならないぞ。
プロよりも遥かに短い練習時間なのに手を故障する・故障しかけるヤツなんてたくさんいるだろ?
弾き方(身体の使い方)そのものを見直さない限り、どんなに休息しても絶対にどっかで手を痛めるぜ。 逆に言えば、弾き方(身体の使い方)さえ良ければ、どんなに練習しても手は故障しないはずだ。
恐らくだが、その場合はどんなに長く練習したとしても、手を故障する前に疲れが来てそれ以上練習が続けられない。 聞き専爺さんに何を言っても無駄。
だって弾いてないんだからw >>276
ピッチャーがどういう投げ方をしても、投げれば投げるほど故障する確率が高まる。
人間の身体は消耗品だからだ。
ピアノ弾きも同じで、指の関節にも手首も肘も、筋肉も、消耗品であるということは心しておくべき。
いかに無駄な練習を避けて、最小の消耗で効果を上げる練習を追求することが大事。
素人が無理な練習をして傷める人が多いのも事実だが、傷めない練習をすることは勿論前提。 野球も出来ないくせにw
当たり前のことを偉そうに書くw
さすが、知ったかジジイ! >>280
俺が言ってんのはそーじゃない。
あんたが言ってること自体に問題はない。投げれば投げるほど故障の確率が高まるのは当然だ。
だからこそ、大事なのはその確率を減らす普段からのケガの予防(≒投げ方・身体の使い方を改めること等)なんだよ。
もちろん、一切休息をとるなとは言ってない。
だがな、ピッチャーは投げるのが本職なんだから、故障が怖いからって大事な時期に何度も休息してたら何もできねーぞ。
消耗品なんだからただ休ませればいいってのは、彼らの状況・心情を理解しないヤブ医者の言うことだよ。
>>273の後半で説明したように、ここで一番大事なのはケガの予防だ。 >>282
怪我の予防はもちろん大事だが、長く練習すればするほど注意していても怪我の確率は高まる。
したがって、練習自体を効率的に短時間でやることを目標にするのが正しいやり方。
ホロヴィッツやルービンシュタインは一日1時間半とか2時間とかしか練習しなかったという。
練習の鬼と呼ばれたリヒテルでさえ平均3時間だったと語っている。
貴兄が怪我の予防に論点を置いているのは理解できるが、個人的にはピティナの考え方を出すのは納得していない。
初心者 学習者向きとしては基本的な考え方の一つとは思うが、私にはピンとこない。
貴兄自身の考え方を聞いた方が参考になると思っている。 もう一点加えるならば、肉体的な怪我だけではなく、神経的 精神的 心理的怪我もある。
長い練習をすれば、感性の働きが鈍くなり感性が枯渇するだけではなく、神経回路や精神的安定性も崩す確率も高まる。
いかに新鮮に、精神的に健康で、神経にも負担をかけない練習ができるかという観点も大事だと思う。
いかに練習により満足感を得るか、毎回練習をしたい衝動に駆られて練習できるか、精神的にも神経的にも快感が得られるものであるかという意識が必要だと思っている。 >>284
あんたの言う練習自体の効率化には賛成だ。
何でもかんでもただゆっくり弾けば練習したことになると思い込んでいる輩が多くて困るね。
ただ、この話はピティナの考えじゃなくて、日本にいるピアノ奏法等の研究の第一人者が導き出したものだ。
どんなにあんたが納得しなくてもデータがそう言ってるんだよ。
そうやって巨匠を例に出すのは良いが、平凡の俺らがそれに倣ってもサルの真似事にしかならねーよ。
そういった特別過ぎる人たちのデータは特異過ぎて我々一般人には全く当てはまらないぞ。
ちなみに練習時間に関しては、演奏技術を維持するためには平均4時間弱の練習時間が必要らしい。
ただし、ピアノをがむしゃらに弾くだけが練習じゃないってことだけは付け加えとくわ。
つまり、肉体や精神を休ませながらも練習を続けることは十分可能だ。 ちなみに、練習ではあえて満足感を得る前にやめた方が良いかもしれない。
中途半端に練習を終えることでツァイガルニク効果が働き、その日の練習で学んだことがより強固なものになると思う。 >中途半端に練習を終えることでツァイガルニク効果が働き、その日の練習で学んだことがより強固なものになると思う。
なるほど。それは心当たりがあるし、賛成だ。
時にはツァイガルニク効果を利用する日があった方がいいだろう。
満足感と、非達成感による執着、両方を活用することが大事だと思った。 もう少し長い指に生まれたかった
ピアノ弾く時もだけど、手袋の指先が余るから、手袋で作業するとき邪魔になる
と言って、指に合わせたサイズだと、掌が厚いから入らないんだよね 指がまだぎりぎりオクターブに届かない子供(小4)なのですが、
中級くらいのレベルでオクターブで弾く箇所がそれほどなく弾ける曲はありますか?
調べると有名どころでは、ドビュッシーのグラドゥス・アド・パルナッスム博士やゴリウォーグのケークウォーク、
ショパンの子犬のワルツなどがありますが、他には何かありますか? 小4なら、無理してでも乙女の祈りは弾いた方がいいよ。
手が小さいと思って楽な曲ばかり弾いていると、手が広がらなくなる。
小学校4年 5年あたりが手の伸び盛り。乙女の祈りに挑戦するに最適な年齢。
どうしても小さい手で弾きたいなら、
モーツァルトソナタK545
バッハ メヌエットBWV Anh.114
なら問題ないと思う。 ショパン シューベルト シューマン ベートーヴェンの多くの楽曲は、10度届くことを前提として書かれている。
10度の広がりを如何に解釈として技術に結び付けるかが、ピアノ奏法の基本。
やはり、10度届き利用できる人と、10度届かない人では、テクニック世界が違う。
ハノン氏と鉄仮面氏は、10度掴めることを生かして手の形を作っている。
ピアノ君は10度掴むことを諦め、飛び跳ねテクニックで補っている。
根本的に前者の奏法の方が、歴代巨匠のテクニックに近い。 ミニ鍵盤で88鍵盤ピアノとか
キーボードがあると良いよね。
好きなピアノを弾いて手を痛めるのは
とても悲しいことだよ。 自分の手は変です。生命線は半分下が二股に分かれていますし、
知能線は、途中から二股で横に真直ぐっぽい線と下に向く線がほぼほぼ同じ太さですし。
一番上の線は、左手は人差し指まであるのに、右手は薬指で切れてます。
知能線は右手は下に伸びる線の方が強く、横に伸びる線は薄い。
左手は真直ぐと下に伸びる線はほぼほぼ同一。
当たっているって人がうらやましいです。 主婦になってカサカサ過ぎてスケートリンク上の様です
鍵盤から指が滑って滑ってまともに弾けません 柔らかくて大きくて、よく広がるので気に入っています。
11度の演奏が可能で、ショパン シューマン ドヴュッシー スクリャービンの10度以上必要な曲も難なく弾けます。
悩みと言えば、指使いが独自のものに改訂しなければならないこと。
手の大きさが違うのでテクニックも違い、一般の人には教えれないこと。 >>306
サンソン・フランソワはマムシ指。
マムシ指を使って、独特のテクニックを生み出した。ラヴェルやショパンの難曲を得意とした。
フランソワの動画を見ていると、マムシ指は短所だとは思えない。