諸葛亮孔明は軍師じゃない
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ほんやで
大河見ながらこんな喋りや呼び方してる訳ないってキレてる奴と同レベルの頭の固さや 関羽雲長は日本人が勝手に「かんううんちょう」と読んでるけど
ピンイン表記だとGuan Yu(グァン・ユゥ)Yun chang(ユィンチャン)になるんだから
かこーとんもかこーじゅんもどっちも間違いなんだが? そのピンインすら違うよねってのが話のスタートだろうにな 中国人に関羽ってわかる?って聞いたらわかんないって言われた
なるほど…な 同じ字でも時代や地域で発音違うし
昔だとピンインだの発音記号だのも無いから
どう呼んでたかなんてもう知りようがない
正解はすでに失われたので、会話で通じる範囲で好きに読めとしか 関聖帝君として祀られるくらいには有名やろ
関羽と言われたら知らんかも
稲荷神社は知ってても祀られてるのが稲(豊作)の神様だと知ってる人が少ない(当社比)のと同じで 中国へ出張した時に現地の人と三国志の話したかったけど
学校で習った気がするけど覚えてないって言われたぞw フランス人にゴールドラックについて語り合おう
と言われても困惑するだろ 馬超の読みはマチョウ
三国戦紀のインストにもそう書いてある 我々が忍者やゲイシャガールはどこにいるのと聞かれるようなものなんだろうか 平家物語大好きなんだがもちろん日本人だし一緒に深く語れるよな?みたいな >>471
大帝神威遠心天尊関聖帝君(漢字はうろおぼえ)だっけ?なんかの本で読んで妙に記憶に残ってる 平家物語は平景清が「ぷれいや」なる異次元の者からの布施により復活して義経や弁慶と戦うんだっけ 名前出したら特定できるくらい人口少ないけど紀元前からの由緒有る名家の人に会ったときは結構感動した
諸葛さんも会った事有るけど多分人口万単位で居るからまあまあだった 平家物語は祇園精舎の鐘の音云々と敦盛(人生五十年)くらいなら知ってるやろー 清盛死んだらもう源氏の圧勝でやりたい放題ってわけでもなかったんだよな
サイの目によっちゃ源氏の方が返り討ちにあって滅ぼされた可能性もあったっていう
蜀漢だって孔明ちゃん死んだ後も30年は存続したんだし
やりようによってはワンチャンあった? そんだけ年月経ったら
若者にとっては漢王朝何それ感だろうな どっかの国ももう骨の髄まで殺し合いした国のポチだしな 超でかい関羽像何体も作ったりしてるし商売の神様としても有名らしいから
知らないってことはないだろうって思うけど
日本人でも家康とか信長とか知らない人が絶対にいないかと問われれば
関羽を知らない中国人がいてもおかしくない気もしてくる 授業でやる家康とかもよー知らんのが居るんだから授業には無いだろう関羽を知らん奴はもっと多いだろうなw
商業の神の関聖帝君は知っててもそれと関羽が結びついてるかはまた別やし デビサマでは関帝聖君だったっけ
どっちも正しいんだっけ? 日本だって八幡神社やたらあるけど
じゃあ八幡って何よって言われても知らん人の方が多いだろし
そんなもんじゃね 維盛はヤサのイメージだから違うなあ
まぁ無理に例えても的遠ざかるだけだとおも
一応俺の北京大卒の友達は知ってた、知識の塊で知らないこと見つけるほうが大変だけども 昔源平討魔伝ってゲームあったんだけどラスボスが義経か頼朝だったと思うんだよね
あれ平家が主人公で源氏を倒すゲームだったのかな?
小さかったから記憶違いかもだけど… 名監督や名スカウトのお眼鏡にかなった選手が
ケガしたわけでもないのにさっぱりな成績しか残せないこともままあるし(その逆もよくある
劉備だって失敗あるし人を見る目を養うのも難しいし人を見る目があるかの評価もまた難しい…… 当時の中国って人相見が流行ってたんだよな
曹操も人相見てもらいに行って「治世の能臣、乱世の奸雄」
って言われたんじゃなかったっけ 毎日謀反して手がつけられなかったがある日谷へ落ちて頭を 呂布は未来人があの時代に置いて行った戦闘用アンドロイド ハルヒがつおい上にインテリだったらヒゲの立場ないじゃん 呂布は裏切りの権化みたいにけなされてるのに
カクはなにも言われん
解せぬ 特に不義理働いてないしな
所属勢力の多さなら劉備さんをこそ挙げるべきでは すげー昔にやった日テレの三国志は于禁が女で金髪の曹操に惚れてたw そういう訳でもない
昔から京劇の演目だったしね(最近は海外の客向けではあるけど
で、より人気が有るのが水滸伝
特にネ実世代ちょい上くらいの世代にとっては昔テレビでやってて人気を博した 上に関羽の話題があって思い出した
京劇の三国志演技は何度か見たが、外国人の俺でも登場キャラは皆基本的に判別しやすい
その中でも関羽は特に別格で、デカくてメイクも顔真っ赤で目立ち専用の見せ場も用意されてる厚遇ぶり >>530
日本だってみんなが戦国時代オタなわけじゃないでしょ 日本の戦国はどこの県にもご当地大名がいるほどに各地に有力者がいて
そのあとの徳川の時代への流れも含めて唯一ぬにで重要な時代だけど
中国にとって三国のような群雄割拠な時代は他にもたくさんあるからってのもあるのかね 現代の中国で認知度が低いのは
人気がないからじゃなく文革のせい ホウ統「軍師はまかせろー」孔明「内政します」
ホウ統「しにましたー」孔明「ええ…?」
法正「軍師はまかせろー」孔明「内政します」
法正「しにましたー」孔明「ええ…?」
黄権「軍師はまかせろー」孔明「内政します」
黄権「ベンチがアホで戦にならん」孔明「ええ…?」
短期間に軍師ポジがいなくなりすぎ問題
尚、後継候補の白眉は戦死その弟は山に登った 知名度が低いというのはガッコの教科書にも出てくる史書や演義のことじゃなくて
各個登場人物のことやね >>536
その通り、曹操がお気に入りだと言われてるけど
それはそれ、これはこれって感じで
中国の風俗や信仰、伝統芸能、京劇なんかを全部撲滅しようとしたので
三国志も当然許されず、人々から忘れられた
なんせ、一般がよく目にするのは演義の方だし
演義は董卓の失脚を予言するわらべ歌とか黄巾の妖術とか関羽の呪いとか
オカルト要素が結構多いからなw 逆
スローガンにする三国演義批判の為に『三国演義』の内容を知らないといけないから
文革期の地方農村ではむしろ『三国演義』については知られるようになった そうなの?
昔見たNHKスペシャルで京劇の元役者のじいさんが
文革で上演禁じられた時期があって
三国志についても受け継がれてきた演目がほとんど途絶えて
記憶にたよって再現できた一部の物しか残ってないって嘆いてたんだが 董卓も実はすげー慕われてた素晴らしい将軍だったのに、権力ってこわいなー 自分の昔からの部下や西涼の民には優しかったが中央の腐敗極まったカスどもには
そうじゃなかったというだけかも知れんよ 董卓の行いについては後世だいぶ悪い方に盛られてる気はするが
皇甫嵩とのいざこざ見る限り性格が非常に悪かったのは間違いなさそう(皇甫嵩が立派な人物だっただけに余計に) 蘇我入鹿に関する籐氏家伝(760年)の記述で、董卓の暴政すでに行わる
といわれてて、大体演義500年前の時点、
しかもあっちから見て外国である日本でもう悪い評価が固まってるように思われるね 自軍に山登っちゃう部下が居たら魏に勝てるわけがなかった 馬謖もなぁ
なんか泣いて馬謖を斬るって故事になって美談ぽいけど、実際は超逃げ回って隠れて罪から
逃れようとしてたカスだからなこいつ 負けたから処刑じゃなく敵前逃亡で処刑されたとかなんかで読んだ
そら斬らざるをえんよなあ 正史では諸葛亮は有能な馬謖君を惜しんで泣いたって記述されているけど
演義では泣いてる理由を問われて、
馬謖のために泣いてたのではなく、劉備が警告してたのに無視して重用し
結果やらかしてしまったことに対して泣いていると答えているんだってさ
演義の馬謖くん、親密度が足りてないんじゃないの? 登山家は魏に亡命しようとして捕まったから処断するしかなかったのでは シミュレーションゲーの山岳の地形効果を高くしたのは登山家 Bashokuさんの
街亭の布陣図を見せられた時の孔明さんの顔を見てみたい
「は?」ってなったろうな 我々は山頂に布陣して籠もり実際の戦闘はエディット無双武将が単騎突撃して行います
あとは流れで 劉備もなぜかよりによって肝心の夷陵でやらかすし
孔明もなぜかよりによって肝心の街亭でやらかすし
不思議なもんだ
まあ負けから逆算してたら袁紹もよりによって肝心の官渡でやらかしたと言えなくもないが ホウトウの方が龍入ってるんだし臥龍でええんちゃうの?とは思う 士って言うのは男って意味だから
マサ男とかそう言う感じだぜw知らんけどw 司馬徽を「水鏡」、諸葛亮を「臥龍」、ホウ統を「鳳雛」と評したのは
ホウ統の従父で人物鑑定してたホウ徳公という人物らしい(武将のホウ徳とは別人)
なお、Wikipedia情報 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています