ベランダの方から「このまま美砂 から始めちゃうから!」と、狭山さんの大きな声がした。
私に言っているのかもしれなかったので、念のためはーいと返事をしながらダイニングを出て、
リビングのソファに座ってベランダの向こうを見遣った。
ベランダで、美砂乃ちゃんがよろしくお願い しますー、と言うと、
それに追随して大人の声のよろしくお願いしますー、がまばらに重なった。
セーラー服を着たまま、美砂乃ちゃんは大きなビニールプール に足を浸けて次々とポーズをとる。
それにともなって表情も変わってゆく。
美砂乃ちゃんはポーズも表情も引き出しが多く、そのすべてを自在に操っているようだった。
私は二パターン、多くて 三パターンしか笑顔がなく、レッスンシュートや撮影会など、
シヤッターの音やストロボの光を浴びた日の帰りの電車の中で毎回えくぼの辺りを痙攣させているのに。

美砂乃ちゃんはほとんど百八十度に近い角度まで右脚を蹴り上げて、カメラにかからないよう器用にプールの水飛沫を上げた。
その隙に、スキンヘッドでずんぐりしたカメラマンがぐっと屈んで、美砂乃ちゃんを下から舐めるように撮影した。
バレエや新体操を習っているわけでもないのに、美砂乃ちゃんの体はゴムのようにやわらかくて、
ああやってほっそり伸びた白い脚を上げたり、 開いたり、よく動く。
そのたびに、ハーフツインに結び、アイロンで巻いてスーパーハードスプレーで固めた毛束がくるくるとリ ボンのように舞う。
私は美砂乃ちゃんがそうやって自分の体を思 うがまま使いこなしている様子を見るのが好きだった。
どれも私にはできないことだったから。ただでさえ普段から上手に動かせないのに、
カメラの前だといっそう、油が注されていないブリキのおもちゃのように体じゅうの関節が軋む。
レッスンだからいいけど、本番はそうはいかないよ。
オーディションに受かったらね、 もっといっぱい、こんなの比じゃないくらいいろーんな人が動くんだから、早く慣れようね。
先月のレッスンシュートが終わった 後の狭山さんの言葉が次々とよぎった。
美砂乃ちゃんは自分の体だけじゃなくて、照明さん、マミさん、今日はいないけどマミさんの助手のひと、
狭山さん、社長自分よりうんと、倍どころじゃないほど年上の人々を、自分のために動かすのも上手だった。
じゃあそろそろいっちゃってみようか、とカメラマンがへらへ ら笑いながら言うと、
美砂乃ちゃんはカメラの前でスカートのホックを外し、ファスナーを下ろした。