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1928年8月27日・不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約) | 正統史観年表

『1928年12月7日(金)第70回 国会外交委員会審議』
パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)批准の是非を問う米国議会において
同条約の共同草案者である米国務長官フランク・B・ケロッグの答弁議事録。

■ケロッグ長官
私は、ある国家にとって回避することの出来ない問題である「自衛」もしくは
「侵略者」という語について、これを論議し定義する事は、
地上の何人といえども恐らく出来ないであろうと思うのであります。
そこで私は次の結論に達したのであります。
即ち唯一安全な方法は、どの国も自国が受けた攻撃は不当なりや否や、
自国が自衛の権利を有するや否やを、
自国の主張において自ら判断する事であって、
ただこれについては、
その国家は世界の与論に答えなければならないという事です。

■質問
国家が攻撃されるのではなく、経済封鎖を受けるとしたら?

■ケロッグ長官
戦争をせず封鎖などということはありません。

■上院議員
そういうことは戦争行為です。

■ケロッグ長官
断然戦争行為です。


ABCD包囲網 - Wikipedia (※米欧中による日本に対する経済封鎖=戦争行為。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2
ABCD包囲網(エービーシーディーほういもう、英語: ABCD encirclement)とは、1930年代後半(昭和10年頃)から、日本に対して行なわれた石油などの輸出規制・禁止の総体。「ABCD」とは、貿易制限を行っていたアメリカ合衆国(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)と、各国の頭文字を並べたものである。ABCD包囲陣[1]、ABCD経済包囲陣、ABCDライン(英: ABCD line)とも呼ばれる。