宮本武蔵ってホントに強かったの?
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無敗伝説も自伝や身内が言ってるだけだから
吉岡家伝によると負けたのは武蔵らしいし
巌流島の巌流は佐々木小次郎の異名らしいし
客観的に強さがわかるものが無くないか 真っ向勝負てのが何を指すのか定かじゃないけど
そんなんは興行下における決めごととしての幻想なのては >>22
詳しくありがとう
いやそれっぽい話は知ってるけどそれと武蔵の強さ疑うのは繋がらなくね? 聖徳太子、宮本武蔵、坂本龍馬
ここらへんはSNS時代が来て
一般的に本当に有名になって
実像が知られてから
廃れてしまった人だよね 剣の技量はともかく武蔵は180cmくらいあって大きな石とかも軽々と持ち上げる剛力だったのは確からしい
多分体格とパワーで圧倒するような感じだったのでは >>28
タイマン勝負の約束なのに弟子を連れて行って勝っても恥をかくのは武蔵のほうだって行って島に向かった小次郎のほうがカッコイイだろ 99%勝てる相手としか戦わない
最近で言えばヒクソン・グレーシーと同じ ムサシvsれんやさい
東映まんがまつりで作っとけっての >>36
魔界転生だと武蔵は柳生十兵衛に敗れてたな 関ケ原で主筋の宇喜多が負けて浪人になりずっと士官先を探す生活だった
あの時代はこういう武士も多かったんだろう
土方やら新田開発やら肉体労働で糊口をしのぐ生活をしていた伝承がいくつもある
刀のつばを作っていたのは有名だが、元は生活のためやってたんだろう
仕事がなくなれば移住せざるをえないので、旅に次ぐ旅の日々
農作業を手伝うこともあったんだろうが、お礼にと戦場での話をすると喜ばれたとか
武勇談トークができるような武士は農民たちに人気があったらしく歓迎された
いわゆる武蔵の無敗伝説の大元はその辺にあったように思われる
本人もネタとしてやってただろうが、伝聞を元に武蔵ネタをやる浪人も多かったのではないか? >>36
柳生新陰流の雲林院弥四郎という、細川家の兵法師範を務めるほどの達人を相手に(一説では)細川忠利の御前で仕合をしており、宮本武蔵は相手に全く技を出させず、相手をわざわざ斬る必要すらないほどの圧倒的な実力差で勝利していたと伝わっています。 主筋いうても足軽の分際じゃなかったのかね
宇喜多家中と繋がりあったん?
いや煽りじゃなしに単純な好奇心 >>46
伝統派とアフターMMAのカラテが戦うようなもんだろね >>46
そういう話は誰が言い出したのかハッキリしてほしいな 54万石の大藩肥後細川家の兵法指南役になれたからただの卑怯なおっさんではないようだな 細川藩の指南役には結局はなれなかったのでは
だから岩山に篭ったわけで 巌流島の時の佐々木小次郎が老人だった説も何かで見た 武士でもない平民の子が成りあがったっていう当時のバズストーリーで有名なだけでしょ 武蔵が巌流島の戦いに触れたくなかったのは老人への弟子を使った撲殺だからとしか 悲しい事実
・本人が「二刀流で闘ったことは生涯一度もない」ことを認めている
・最後は石をぶつけられ負傷して引退(投石ってやつ)
・他流試合60連勝のソースは本人の日記(ごりんのしょ)
・巌流島の闘いは武蔵が木刀、小次郎が真剣だった(武蔵の勝因は剣が軽かったから)
・実は人前で剣を抜いたことがない(見た者がいない) 文豪、菊池寛の選ぶ剣豪ベスト5
1位宮本武蔵
2位柳生宗冬
3位伊藤一刀斎
4位小野次郎衛
5位塚原卜伝 中日の落合監督みたいなタイプだったんだな
格好よく死ぬより泥臭く生きる方を選んだ 「あずみ」では柳生がとにかく卑怯の極みとして描かれていた分だけ宮本武蔵は正統派の扱い
ただ見上げるほどの大男で人間離れした怪力の持ち主ではあったが 岡山県って桃太郎とか宮本武蔵とか輩出しててすごいな >>67
>・本人が「二刀流で闘ったことは生涯一度もない」ことを認めている
練習時に二刀であっただけで実戦時は一刀だったことは有名なことだが 多人数で取り囲んででも勝てばいいって感じだから今でいう半グレみたいなもんだな >>23
>真っ向勝負で強かったんじゃなくて不意打ちとかの先手必勝パターンで勝った人
当時の勝負は負け=死の殺し合いなんだから勝たなきゃ意味がないし
色んな方法で勝った方が強いと言われた時代 武蔵の実戦参加が資料で確認できるのは島原の乱のみ
島原の乱では、武蔵は百姓兵が落とした石に当たって、しばらく立てなくなるほどの
重傷を負い、武蔵の剣技が発揮されることはなかった
武蔵を主人公にした小説・映画・ドラマでは、なぜか島原の乱については取り上げないね 数的優位で袋叩き
時代が時代だから当然武器も使う
やってることはヤクザだな >>76
吉岡一門は多人数で武蔵に対応したけど負けたみたいだな 魔界転生に武蔵出てたな
巌流島で十兵衛と戦ってたけど あいつが先に手を出したんです!
って警察や裁判所に泣きつけばどんな青ビョウタンや死に損ないの老いぼれでも強者を陥れることができる
そんな戦後の常識で敗北=死の時代を生き抜いた武蔵の戦法にケチつけたってな 当時の主力兵器は鉄砲だろ
大坂の陣で徳川方は塹壕を掘って大坂城に近づいたそうだし
近接戦では槍が主役
剣術は実戦ではあまり役に立たず、武蔵は大道芸人のような存在だったと思う 昔の決闘と聞くと剣道の試合みたいに互いが向き合って始めるのを連想する人多いよな 晩年に尾張藩の指南役がかかった御前試合で若侍に圧勝したけど剣が荒っぽすぎて断られたらしいから強いは強かったのか
つべで見た「知ってるつもり」ソースだけど 当時の決闘は命の取り合いであり殺し合いだからだ
綺麗事やっても負けたら死なんだから
どんな手を使っても勝たなきゃ意味がない そんなんで勝っても人から称賛されないし幕府も認めてくれないなら意味無いやん
日本は恥の文化だし 正々堂々じゃないと恥になったのは
戦争がなくなった徳川時代の中期以降
それ以前の戦国時代なんて謀略裏切り下克上何でもありの時代 自分が生き残るためなら主君だろうが親だろうが殺す戦乱の世に卑怯もヘチマもない
卑怯とほざくは負け犬の遠吠え 義経も勝つためには何でもアリだから
ほとんど誰もついてこなかった 個人の武勇で間違いなく強かったのは前田利家と近藤勇だな
この2人は一人で多人数を蹴散らすという漫画みたいなことをやっている >>89
んなこたない
明智光秀は掟破りの主君殺しで誰も擁護してくれなかった >>94
秀吉側が「信長は生きている」という嘘情報を流したからだよ 武蔵はどこかの殿様の御前試合で
始まる前に相手の控え所に入って頭叩き割った話が好きw >>95
最後は農民にこの主君殺しがって殺されたらしいけど 卑怯でも勝ち続ければ英雄なんよ
勝てば天下無双の官軍負ければ惨めなだけの賊軍 ・実は人前で剣を抜いたことがない(見た者がいない)
ほぼ騙し討ちなんだろうなと思うわw 何でもアリなんてやつのやつに慕っても殺されるから誰も慕わない 卑怯エピソード満載なのに宮本武蔵を英雄化してる奴らが多い不思議 >>98
海音寺潮五郎の史談で読んだな
ソースは覚えてない >>105
卑怯であっても強いからだろ
というか当時はどんな手を使っても勝つ奴が強かったわけだし 柳生宗厳,宗矩親子だけはガチ
自身も新陰流の達人だった家康に認められるぐらいガチ 室町時代から日本のいくさはまず名乗り合いをして一対一が基本だった 正しさなんかよりも勝ち負けにこだわる日本になってほしいよね マンガで描かれてた武蔵がムチャクチャ強すぎて笑った
バキとか言うマンガ 宮本武蔵とか坂本竜馬て小説のおかげで人気出ただけだろw バキはその前に恐竜より強かった人間が出てたので次はもっと強くしないとならなかった事情があるだけだろ 正々堂々と一対一の木刀で勝負でも最後は橋の上から突き落として勝利なんていう岩間小熊
みたいなのも認められていたのが江戸最初期 政治指導者から大学入試まで、歴史過剰や歴史オタはろくな結果をもたらさない。
歴史は確かに大切だが、暇な時に数時間通史を読めば済む話。
プーチンさんは歴史を曲解しすぎてああなっちゃったし、
大学受験生は試験対策でゴミ知識を頭に入れる。
そんなことより大切なことは世の中にたくさんある。 当時の就職活動の一環だろ強さアピールは
目的は就職 >>30
聖徳太子は逆だよ
SNSが流行る前に「聖徳太子はいなかった」とかいうトンデモ学者がいて
一時期は教科書から消えたけど近年また復活して記述してある 現代の基準で考えたら武蔵は卑怯だったと思うよ
でも当時はどんな手を使っても勝った方が強いと言われた時代
負けたら死ぬんだから現代の基準で批判しても意味がない 歴史学者だかが藤原不比等の改革の都合で作り出された人物が聖徳太子と紹介してたけど違うんか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています