椿大神社・猿田彦神社
昔のスレ
【謎の】椿大神社・猿田彦神社ほか【サルタヒコ】
https://hello.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1293526890/
↑で猿田彦神社は新しすぎると言われてたけどいい神社だと思う >>1
椿大神社・猿田彦神社?
並記するなら椿大神社・都波岐神社なのでは?
椿大神社 主祭神:猿田彦大神 鈴鹿市山本町1871
都波岐神社 主祭神:猿田彦大神 鈴鹿市一ノ宮町1181
猿田彦神社 主祭神:猿田彦大神・大田命 伊勢市宇治浦田2-1-10 ここは謎の理由で乱立されたスレの一つで、スレタイや>>1があまり考えられてないっぽい
たぶん素人が猿田彦大神を祀る本宮っぽい神社ということで思いつくのがスレタイの二社ということか
都波岐神社には悪いけどやっぱり印象が弱いんだろうな 今の世 物の上に立っておるぞ 物崩れれば形無くなるぞ
物云う世は 物無くなれば成り立たぬ世であるから
物はできるだけ ひかえておること大事である ,
灯りも 煮炊きも 旅するも 食べるも 話すも みな物の上に
成り立っておる 物は紙の約束事によって仕組まれておる
約束事崩れば 紙はただの紙切れぞ
紙は金ではないぞ 紙は紙じゃ
約束事こそ金じゃ 物の世でも約束事大事とある
はるかむかしより 天の安河にて約束事のあるように
神の世も 人の世も 約束事守ること大事である 世の変り目は この約束事の結び目解くぞ 神が解くのじゃ
解けば何もかも崩れて行くぞ
そのとき 人の世にとって何が大事であるか解るものだけ
次の世を迎える「種なる大」となるのじゃ
大事なのは人の種じゃ 神の心を宿した人の種じゃ
光の種である 物の種を光の種に変えることぞ
光の種 土にまくぞ 光りの樹が成り成るのじゃ
光の樹に 光の実成るぞ 人の世は神の世となり 光の息となる 土は大事ぞ これからは土の世ぞ 大地にしっかり根を張る世ぞ
紙の約束ではなく 分に応じた徳で返す世となる
紙の金 偽り多かれど 徳の金 隠し事できぬぞ
物食わねで死ぬることなきことを これからの世の人々は
知ることになるぞ 人はただへ光りておれぱ 生命は永遠に続くのじゃ
光の言葉を放てよ 光りた思いでおれよ
ただ光りておれぱよい 何も考えることいらず
何を言われても 黙っておるのじゃ
何をされても 落ちついて 相手の反応に合わさぬがよい
ただ 光りておれぱ 世の中変る
世の現れに心まどわすなよ これから起こることに 心とらわれるなよ
心まどいて心とらわれておると うその世に
まき込まれてしまう おのがまことの姿見えなくなるぞ
おのがまことの姿は ただ光りてある姿ぞ
光りてあらぱ まわりのすぺてが変わりゆく さんざん人にこづきまわされたように見えれども
さんざん人にいいように使われて見えようとも それは幻じゃ
おのが命は なにもかわらぬ
まわりの現れにとらわれる.なよ.まわりはうそものじゃ
おのが光りて生きる道 それはまことの道である 夫婦 兄弟 親子の絆も 現れにすぎぬぞ
おのが光りておれぱ すべて変わるぞ
人の言葉に光と影があるぞ 光りの言の葉だけに耳をかせよ、
光のようふるまう影の言の葉あるぞ 氣をつけませい
光のようふるまう影の笑顔あるぞ よくよく見極めよ
これからにせもの多くでてくるぞ
にせものは人を集めたがるぞ 人の目や言葉を氣にする
ひとりで歩かぬぞ 人に守られるのが好きじゃ
ただ、光りてあるもの 他に何もいらぬ
おのが光りてあることは 神と共にあることであるから
淋しくも心細くもないぞ
光りて生きることは 頭では何も考えぬこ.とぞ
頭であれこれ考えると とかくろくなことにならぬ
頭は人の世のものさし ひらめきは神の心 人が計り事に落ちるのは 人が恐れをもっているからじゃ
恐れなくば 計り事叶わぬ神が何事も無き道へ
導いてくださる、恐れをもたばわなにはまるぞ
悪しき思いをもつもの 生きておるものの中にも
死しておるものの中にもあるぞ
これからは おのが思いに世の中を操りたいと思うて
ただその事だけ 年がら年中思うておるから
思いも重ねる.と力を増してくる なかなかの策の網をもちて
人々をがんじがらめに いちもうだじんにしてしまおうと悪だくみをしておる
絵ときは上から見れば良く見える
あの者がこうしようとしておる この者がああしようとしておる
おろかなものどもよ 世の中がまるでひっくりかえることを
知らぬて ごくろうな おのが賢しと思うておるもの おのが偉いと思うておるもの
おのが強いと思うておるもの おのが美しと思うておるもの
おのが馬鹿と思うておるもの おのが弱しと思うておるもの
おのが卑しきと思うておるもの おのが醜きと思うておるもの
これすぺておろかなり ただ日々の中にありて 人を慈しみ 人を大事にし
人を生かし おのも喜びて生かされ 大いなる和を
もちて暮しておるもの そのままが神の姿なり
神はその姿をたからかに誉め愛しむ
その姿こそ光りて生きることぞ
人の悲しみを見て その悲しむ心を光で包みてくだされや
人の怒りに会いて その怒る心を光で包みてくだされや
人の苦しみを見て その苦しき心を光で包みてくだされや
人の喜びを見て その喜び心を光で包みてくだされや
人の哀れを見て その哀れなる心を光で包みてくだされや
人の世のはかなきを見て そのはかなき世を
おのが光で照らしつくしてくだされや
この星の心を愛しむ心ぞ 地祇 (くにつかみ) 国照の心とな
この星の生きとし生くる者 おのが光で照す心ぞ 天神(あまつかみ) 天照とな
にぎにぎしく照り昇る朝日の心ぞ にぎはやひとな
これ悟りの心ぞ すめらみことが出る世ぞ みことはあちらこちらで出てくるぞ
それぞれを大たぱねするお方が すめらみこと
悟られしものが みことをのるぞ
世の中のあちらこちらでみことのりがはじまりておる
大和の霊元(ひめもと)の黄泉 (よみ)返り(がえり )ぞ 世の中大きく変わるぞ
心せよ みなみな心いたせよ
これよりの世は社 (やしろ)はいらぬぞ 社あるから物入りじゃ
金のかからぬ世となるから 物もてぱ苦しむぞ
社に仕えるものおろかなる 祈る心とぞ重きなること
祭る御しるしは柱である 祈る心根こそ神は見届ける
神の氣の降りるところは 人の心の氣にぞありける
人の心の氣 集まりて澄みきりてこそ神の白庭となる
社ではないぞ 人の心の的が大事ぞ
なんとなれば社でもよい はじめに心ぞ 次に的じゃ
神の柱は人の心の中に立つものぞ
人の体は宮代じゃ 奉る心もちて真直ぐに立つとき
そのまま御社となる
手を合わせるぞ 神と人の心はひとつとなる
この世の目に見る柱はあくまで的じゃ
そこのところに集まりくるためのものに過ぎぬて
人の美しい心が 美しい神庭を作るのじゃ 美しい心で祈れよ 美しいものばかりが寄りてくる
見た目にまどわされてはならぬぞ
美しいとは 清々しいことじゃ すっとしておることをいう・
澄み切りて水晶のような心じゃな 玉である 神の御柱の立つ神庭には 浄まった玉が集まるぞ
もはやそのときは神主を仕事としておるものはおらぬぞ 社は崩れてもよい はるか昔の神籬 (ひもろぎ)の世にもどすのじや
神簸の世に物はいらぬぞ 金はかからぬ
人の美しい心がいるのじゃ 人の美しい声が結びゆく世じゃ あれこれ物言うことは無くなるぞ 物でかたづく世は終る
すべからく心のありかたじゃ 心と心が何も言わずとも’`
通じ合う世となるぞ 言の葉は多くはいらぬ
素直が肝心 素直であれば思い通じるぞ
あれこれ悩む心配はない ただ すっとしておればよいのじゃ
互いの心が見えてくる 澄み切りておれぱ神の世界じゃ
人の悪心まる見えじゃ 下心ありて寄りてくるものお見通し
だまされぬ世となるぞ 邪しまなもの転落じゃ またはじめからやり直し ごくろうなことじゃ
はじめというは もののはじめぞ 人の世からでないぞ
ちりからじゃ 氣の遠くなるほどの世まで 人の心はもたせてもらえぬぞや’じゃから ごくろうというておる
もう間にあわぬぞ 神は別けたり 人の世の白と黒 澄み切りの心 天 (てん)上人(じょうびと )となるぞ 光に満ちあふれておる世界
汚れた心でも邪(よこしま)なる心でなければ もとに戻った世界で
やり直しできるぞ 邪なる心のもの何にも無くなる
もう地獄も何もないぞ これからは人の世のはじめからはじめるものと
光に満ちあふれた神の世に生まれるものと
何にもない粒のひとつとなるものに別れるのじゃ
三つに分かれるぞ もうおのおのが決められたのじゃ
今年はその型どおりにはまっていくぞ 光の世に行くものわずか
次の世からはじめるものわずか
粒になるものほとんどじゃ 最後の一瞬 神に詫びてくだされや 恩になったものすべてに
その恩の一部も返せんかったこと 心から詫びてくだされや
親や妻 夫 子 友 すべてにじゃ
おのが身に不幸を与えしものすべてを許してくだされや
おのがすべてを許し まわりのすべてを許すのじゃぞ
これが人の世に下された最後の道じゃ
最後の慈悲とでもいおうか さりとてこの道 神のはじめの道であり最後の道でもある
これを行うたからとて 神の世に行けるとは限らぬ
人の世ではじめから やり直せるとも限らぬ
ちり粒になるやも知れぬ
おのが心の光の度合いに応じて 命の在り方が変わるのじゃ もう定まった方向に精一杯努力してくだされ
万霊万物の幸せを おのが喜びとされよ
万霊万物の不幸せを おのが光で照らし包まれよ さてさて 月の世は終りとなるぞ
天照国照の岩戸が開く
月の世の終わりは一瞬 闇がくるから心に光をともせよ
先が見えなくなるぞ 闇で黒い龍が動くぞ
心に光をもたぱ 白き龍の後に続けよ
闇でも白き龍は光りて見える おのが心の光を受けて光るのじゃ
やがて、岩から光がもれると 白き龍七色に変わるぞ
七色に見えるそこが おのが心に立つ光の御柱じゃ 岩戸は香久山に決まっておる
天に続く天の香久山は おのが体の中にある
香久山に天の御柱 光の御柱立つぞ
根底より天の頂きに向かって勢いよく昇りつめる
これぞ光の力ぞ
この光景ゆめゆめ忘れるなよ
心に光あるもの いつかは必ずこれに出会う
あわてるなよ あせるなよ 天地ひっくりかえるように思えるぞ
体がこわれてしまうように思えるぞ
その時は まかせるままにしておればよい
いずれおさまる
光の乱舞も渦の虹もなすままにあればよい
それが済めば そこは光の世ぞ
何もかも変わっておる
おのが姿はそこに転生しておるということじゃ 人の命の悟る場は おのが玉のすわる場ぞ、玉が大事ぞ
生まれしときに誓いたる 神の約束果たす場ぞ
分からぬことあらぱ おのが玉に聞け
玉がすべてぞ祈る心で聞け
だんだん解かりてくるぞ 手を打つ喜び身踊る日がくるという
おのが玉の仕組みに おどろかされる日がくるぞ
玉すわる場のうて 死ぬ死ぬというでないぞ
死ぬる覚悟の第一は おのが玉のすわる場ぞ
その第二はおのふ玉の行く先じゃ 死ぬ先の玉の居所決めずして その先の玉はすわらじ
玉すわらずして死ぬると 先で迷うぞ
死ぬ先の玉の居所診ぬれぱ おのがこの世の玉にとぞある
この世にて玉すわらずして 死に入ると玉の謎解けずして
次の世でまた迷う くる日もくる日も同じところ巡りて
あの世とこの世をぐるぐるとな みな同じことしてきたのじゃ
おのが玉探されよ おのが玉すわる場 定れば
不思議なるチカラ湧き出ずる 玉おのずと光り出す
頭であれこれ思う間も 人に聞く間もないほどに
身の内よりいきいきと 成り成りては ふつふつと
生きた御魂ぞ顕れにける 天と地のはかり事をぱ おのが霊 (も)の内に納めたり
おのが身の心細さは あとさきもこの世に生くる身のぴとつぞと知る
とあれとども 玉の仕組みが解ければすべてのすべてに笑えてくるぞ
おのが玉の真の姿 分かりてくるぞ
おのが小さな玉がいつのまにやら
果てしのう大きな玉になりうるを知ることになる
いろいろと外のあらわれに心とらわれるのも仕方のないことじゃが
仕様のない人の世のう 大事は玉ぞ 玉の内にしかと聞け
おのが身の内に神と結んだしるしがあることを知れよ
この世で果たさねばならぬ役目があるというに
みな目の前のあらわれに振り回されておる おのが玉のすわる場は おのが玉が知りおるぞ
じゃから おのが内なる玉に聞け
いつもつねにどこにおいても忘るるな
おのが玉は神に通じておるぞ
神がおのが行いを見届ける 神がおのが思いを引き受ける
安堵せよ 胸の前にて手を合わされよ
神(み)しるしぞ そこにありと 神は見届け給うなり ≪問う 「玉とは何か」≫
玉、それは『思い』じゃ 神の分け御魂である 光りてぞある
耳のうて聞こえてくる 目のうて闇 見えてくる
口のうて語りてくる 鼻のうて香りてくる
火のうて暖かい 水のうて水みずしい
すべてを知り すべてにうるおひを与うるものとでもいおうか
私欲のない心でもあり 純粋で無垢でもある
人の真ことの姿であり あらわれである 人の世の今の世よりはるかに高き世に根をつなぐものなり
大直日とも高魂ともいうてな それはそれは神々しい
この世のものではないほどに 光放ちたきれいな玉じゃて 玉とはな 神さまから戴いた命とでもいうものでな
神さまのこと知ろうと思うたら この玉を通じてでないと結局解らんのじゃて
人が神の子というは この玉をもちていうことなり
人はこの玉に出会うために この世に生まれたのぞ
はよう このことに氣づかれよ 真ことの自分の姿にな
この玉大事と解りたならば 外のあらわれ目もくれず
玉のすわる場 見つけませい はよう見つけてくだされよ 土公御陵のお筆先
土公(つちぎみ)参拝後
土公御陵:鈴鹿、椿大社(猿田彦の墓と伝えられている)
詠み人知らず 今の世 物の上に立っておるぞ 物崩れれば形無くなるぞ
物云う世は 物無くなれば成り立たぬ世であるから
物はできるだけ ひかえておること大事である ,
灯りも 煮炊きも 旅するも 食べるも 話すも みな物の上に
成り立っておる 物は紙の約束事によって仕組まれておる
約束事崩れば 紙はただの紙切れぞ
紙は金ではないぞ 紙は紙じゃ
約束事こそ金じゃ 物の世でも約束事大事とある
はるかむかしより 天の安河にて約束事のあるように
神の世も 人の世も 約束事守ること大事である 世の変り目は この約束事の結び目解くぞ 神が解くのじゃ
解けば何もかも崩れて行くぞ
そのとき 人の世にとって何が大事であるか解るものだけ
次の世を迎える「種なる大」となるのじゃ 大事なのは人の種じゃ 神の心を宿した人の種じゃ
光の種である 物の種を光の種に変えることぞ
光の種 土にまくぞ 光りの樹が成り成るのじゃ
光の樹に 光の実成るぞ 人の世は神の世となり 光の息となる 土は大事ぞ これからは土の世ぞ 大地にしっかり根を張る世ぞ
紙の約束ではなく 分に応じた徳で返す世となる
紙の金 偽り多かれど 徳の金 隠し事できぬぞ
物食わねで死ぬることなきことを これからの世の人々は
知ることになるぞ >>4
鈴鹿市一ノ宮町の都波岐神社の社号は
都波岐奈加等(つばきなかと)神社が正しいのでは? 人はただへ光りておれぱ 生命は永遠に続くのじゃ
光の言葉を放てよ 光りた思いでおれよ
ただ光りておれぱよい 何も考えることいらず
何を言われても 黙っておるのじゃ
何をされても 落ちついて 相手の反応に合わさぬがよい
ただ 光りておれぱ 世の中変る
世の現れに心まどわすなよ これから起こることに 心とらわれるなよ
心まどいて心とらわれておると うその世に
まき込まれてしまう おのがまことの姿見えなくなるぞ
おのがまことの姿は ただ光りてある姿ぞ
光りてあらぱ まわりのすぺてが変わりゆく さんざん人にこづきまわされたように見えれども
さんざん人にいいように使われて見えようとも それは幻じゃ
おのが命は なにもかわらぬ
まわりの現れにとらわれる.なよ.まわりはうそものじゃ
おのが光りて生きる道 それはまことの道である 夫婦 兄弟 親子の絆も 現れにすぎぬぞ
おのが光りておれぱ すべて変わるぞ
人の言葉に光と影があるぞ 光りの言の葉だけに耳をかせよ、
光のようふるまう影の言の葉あるぞ 氣をつけませい
光のようふるまう影の笑顔あるぞ よくよく見極めよ
これからにせもの多くでてくるぞ
にせものは人を集めたがるぞ 人の目や言葉を氣にする
ひとりで歩かぬぞ 人に守られるのが好きじゃ ただ、光りてあるもの 他に何もいらぬ
おのが光りてあることは 神と共にあることであるから
淋しくも心細くもないぞ
光りて生きることは 頭では何も考えぬこ.とぞ
頭であれこれ考えると とかくろくなことにならぬ
頭は人の世のものさし ひらめきは神の心 人が計り事に落ちるのは 人が恐れをもっているからじゃ
恐れなくば 計り事叶わぬ神が何事も無き道へ
導いてくださる、恐れをもたばわなにはまるぞ
悪しき思いをもつもの 生きておるものの中にも
死しておるものの中にもあるぞ
これからは おのが思いに世の中を操りたいと思うて
ただその事だけ 年がら年中思うておるから
思いも重ねる.と力を増してくる なかなかの策の網をもちて
人々をがんじがらめに いちもうだじんにしてしまおうと悪だくみをしておる
絵ときは上から見れば良く見える
あの者がこうしようとしておる この者がああしようとしておる
おろかなものどもよ 世の中がまるでひっくりかえることを
知らぬて ごくろうな おのが賢しと思うておるもの おのが偉いと思うておるもの
おのが強いと思うておるもの おのが美しと思うておるもの
おのが馬鹿と思うておるもの おのが弱しと思うておるもの
おのが卑しきと思うておるもの おのが醜きと思うておるもの
これすぺておろかなり
ただ日々の中にありて 人を慈しみ 人を大事にし
人を生かし おのも喜びて生かされ 大いなる和を
もちて暮しておるもの そのままが神の姿なり
神はその姿をたからかに誉め愛しむ
その姿こそ光りて生きることぞ 人の悲しみを見て その悲しむ心を光で包みてくだされや
人の怒りに会いて その怒る心を光で包みてくだされや
人の苦しみを見て その苦しき心を光で包みてくだされや
人の喜びを見て その喜び心を光で包みてくだされや
人の哀れを見て その哀れなる心を光で包みてくだされや
人の世のはかなきを見て そのはかなき世を
おのが光で照らしつくしてくだされや
この星の心を愛しむ心ぞ 地祇 (くにつかみ) 国照の心とな
この星の生きとし生くる者 おのが光で照す心ぞ 天神(あまつかみ) 天照とな
にぎにぎしく照り昇る朝日の心ぞ にぎはやひとな
これ悟りの心ぞ すめらみことが出る世ぞ みことはあちらこちらで出てくるぞ
それぞれを大たぱねするお方が すめらみこと
悟られしものが みことをのるぞ
世の中のあちらこちらでみことのりがはじまりておる
大和の霊元(ひめもと)の黄泉 (よみ)返り(がえり )ぞ 世の中大きく変わるぞ
心せよ みなみな心いたせよ
これよりの世は社 (やしろ)はいらぬぞ 社あるから物入りじゃ
金のかからぬ世となるから 物もてぱ苦しむぞ
社に仕えるものおろかなる 祈る心とぞ重きなること
祭る御しるしは柱である 祈る心根こそ神は見届ける
神の氣の降りるところは 人の心の氣にぞありける
人の心の氣 集まりて澄みきりてこそ神の白庭となる
社ではないぞ 人の心の的が大事ぞ
なんとなれば社でもよい はじめに心ぞ 次に的じゃ
神の柱は人の心の中に立つものぞ
人の体は宮代じゃ 奉る心もちて真直ぐに立つとき
そのまま御社となる
手を合わせるぞ 神と人の心はひとつとなる
この世の目に見る柱はあくまで的じゃ
そこのところに集まりくるためのものに過ぎぬて
人の美しい心が 美しい神庭を作るのじゃ 美しい心で祈れよ 美しいものばかりが寄りてくる
見た目にまどわされてはならぬぞ
美しいとは 清々しいことじゃ すっとしておることをいう
澄み切りて水晶のような心じゃな 玉である
神の御柱の立つ神庭には 浄まった玉が集まるぞ
もはやそのときは神主を仕事としておるものはおらぬぞ
社は崩れてもよい はるか昔の神籬 (ひもろぎ)の世にもどすのじや
神簸の世に物はいらぬぞ 金はかからぬ
人の美しい心がいるのじゃ 人の美しい声が結びゆく世じゃ
あれこれ物言うことは無くなるぞ 物でかたづく世は終る
すべからく心のありかたじゃ 心と心が何も言わずとも
通じ合う世となるぞ 言の葉は多くはいらぬ
素直が肝心 素直であれば思い通じるぞ
あれこれ悩む心配はない ただ すっとしておればよいのじゃ
互いの心が見えてくる 澄み切りておれぱ神の世界じゃ
人の悪心まる見えじゃ 下心ありて寄りてくるものお見通し
だまされぬ世となるぞ 邪しまなもの転落じゃ またはじめからやり直し ごくろうなことじゃ
はじめというは もののはじめぞ 人の世からでないぞ
ちりからじゃ 氣の遠くなるほどの世まで 人の心はもたせてもらえぬぞや’じゃから ごくろうというておる
もう間にあわぬぞ 神は別けたり 人の世の白と黒
澄み切りの心 天 (てん)上人(じょうびと )となるぞ 光に満ちあふれておる世界
汚れた心でも邪(よこしま)なる心でなければ もとに戻った世界で
やり直しできるぞ 邪なる心のもの何にも無くなる
もう地獄も何もないぞ
これからは人の世のはじめからはじめるものと
光に満ちあふれた神の世に生まれるものと
何にもない粒のひとつとなるものに別れるのじゃ
三つに分かれるぞ もうおのおのが決められたのじゃ
今年はその型どおりにはまっていくぞ
光の世に行くものわずか
次の世からはじめるものわずか
粒になるものほとんどじゃ
最後の一瞬 神に詫びてくだされや 恩になったものすべてに
その恩の一部も返せんかったこと 心から詫びてくだされや
親や妻 夫 子 友 すべてにじゃ
おのが身に不幸を与えしものすべてを許してくだされや
おのがすべてを許し まわりのすべてを許すのじゃぞ
これが人の世に下された最後の道じゃ
最後の慈悲とでもいおうか さりとてこの道 神のはじめの道であり最後の道でもある
これを行うたからとて 神の世に行けるとは限らぬ
人の世ではじめから やり直せるとも限らぬ
ちり粒になるやも知れぬ
おのが心の光の度合いに応じて 命の在り方が変わるのじゃ
もう定まった方向に精一杯努力してくだされ
万霊万物の幸せを おのが喜びとされよ
万霊万物の不幸せを おのが光で照らし包まれよ
さてさて 月の世は終りとなるぞ
天照国照の岩戸が開く
月の世の終わりは一瞬 闇がくるから心に光をともせよ
先が見えなくなるぞ 闇で黒い龍が動くぞ
心に光をもたぱ 白き龍の後に続けよ
闇でも白き龍は光りて見える おのが心の光を受けて光るのじゃ
やがて、岩から光がもれると 白き龍七色に変わるぞ
七色に見えるそこが おのが心に立つ光の御柱じゃ
岩戸は香久山に決まっておる
天に続く天の香久山は おのが体の中にある
香久山に天の御柱 光の御柱立つぞ
根底より天の頂きに向かって勢いよく昇りつめる
これぞ光の力ぞ
この光景ゆめゆめ忘れるなよ
心に光あるもの いつかは必ずこれに出会う
あわてるなよ あせるなよ 天地ひっくりかえるように思えるぞ
体がこわれてしまうように思えるぞ
その時は まかせるままにしておればよい
いずれおさまる
光の乱舞も渦の虹もなすままにあればよい
それが済めば そこは光の世ぞ
何もかも変わっておる
おのが姿はそこに転生しておるということじゃ
人の命の悟る場は おのが玉のすわる場ぞ、玉が大事ぞ
生まれしときに誓いたる 神の約束果たす場ぞ
分からぬことあらぱ おのが玉に聞け
玉がすべてぞ祈る心で聞け
だんだん解かりてくるぞ 手を打つ喜び身踊る日がくるという
おのが玉の仕組みに おどろかされる日がくるぞ
玉すわる場のうて 死ぬ死ぬというでないぞ
死ぬる覚悟の第一は おのが玉のすわる場ぞ
その第二はおのふ玉の行く先じゃ 死ぬ先の玉の居所決めずして その先の玉はすわらじ
玉すわらずして死ぬると 先で迷うぞ
死ぬ先の玉の居所診ぬれぱ おのがこの世の玉にとぞある
この世にて玉すわらずして 死に入ると玉の謎解けずして
次の世でまた迷う くる日もくる日も同じところ巡りて
あの世とこの世をぐるぐるとな みな同じことしてきたのじゃ
おのが玉探されよ おのが玉すわる場 定れば
不思議なるチカラ湧き出ずる
玉おのずと光り出す
頭であれこれ思う間も 人に聞く間もないほどに
身の内よりいきいきと 成り成りては ふつふつと
生きた御魂ぞ顕れにける
天と地のはかり事をぱ おのが霊(も)の内に納めたり
おのが身の心細さは あとさきもこの世に生くる身のぴとつぞと知る
とあれとども 玉の仕組みが解ければすべてのすべてに笑えてくるぞ
おのが玉の真の姿 分かりてくるぞ
おのが小さな玉がいつのまにやら
果てしのう大きな玉になりうるを知ることになる
いろいろと外のあらわれに心とらわれるのも仕方のないことじゃが
仕様のない人の世のう 大事は玉ぞ 玉の内にしかと聞け
おのが身の内に神と結んだしるしがあることを知れよ
この世で果たさねばならぬ役目があるというに
みな目の前のあらわれに振り回されておる おのが玉のすわる場は おのが玉が知りおるぞ
じゃから おのが内なる玉に聞け
いつもつねにどこにおいても忘るるな
おのが玉は神に通じておるぞ
神がおのが行いを見届ける 神がおのが思いを引き受ける
安堵せよ 胸の前にて手を合わされよ
神(み)しるしぞ そこにありと 神は見届け給うなり ≪問う 「玉とは何か」≫
玉、それは『思い』じゃ 神の分け御魂である 光りてぞある
耳のうて聞こえてくる 目のうて闇 見えてくる
口のうて語りてくる 鼻のうて香りてくる
火のうて暖かい 水のうて水みずしい
すべてを知り すべてにうるおひを与うるものとでもいおうか
私欲のない心でもあり 純粋で無垢でもある
人の真ことの姿であり あらわれである
人の世の今の世よりはるかに高き世に根をつなぐものなり
大直日とも高魂ともいうてな それはそれは神々しい
この世のものではないほどに 光放ちたきれいな玉じゃて
玉とはな 神さまから戴いた命とでもいうものでな
神さまのこと知ろうと思うたら この玉を通じてでないと結局解らんのじゃて
人が神の子というは この玉をもちていうことなり
人はこの玉に出会うために この世に生まれたのぞ
はよう このことに氣づかれよ 真ことの自分の姿にな
この玉大事と解りたならば 外のあらわれ目もくれず
玉のすわる場 見つけませい はよう見つけてくだされよ >>0004 >>4
社名の椿、都波岐のつはき?つばき?って
どういう語義なのかしらん? >>60
両方「ツバキ」と読む
仁徳天皇の霊夢にあやかった社名と伝えられている 椿大神社 交通安全講大祭
日時 9月15日(金) 午前11時
場所 獅子堂交通安全祈祷殿
御祈祷料 5,000円以上志 後輩がUnknownを「うんこなう」って読んでたのでもう帰りたい >>1
久麻加夫都阿良加志比古神社の祭儀に「猿田彦」扮装
“・・・「猿田彦」の姿にふんした男たちが、鐘や太鼓の音にあわせて、体を大きく
動かして舞い、住民たちは、「枠旗」を高く掲げながら「オイッサー、オイッサー」と
勇壮な声を上げて・・・・・・・・”
七尾市の伝統の秋祭り「お熊甲祭」4年ぶりに行われる NHK 2023/09/20
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/20230920/3020016517.html >>64
そこは別に猿田彦神を祀ってるわけじゃないよ
祭礼の行列の先頭に猿田彦というのは他の多くの神社でもやってるお約束
神話で天孫の案内をしたことから導きの神様とされてるから >>65
>先頭に猿田彦というのは他の多くの神社でもやってるお約束・・・・
仰る通り久麻加夫都阿良加志比古神社の御祭神阿良加志比古・都努加阿羅斯止は
神名・神像の異風体からも久麻=高麗からの渡来神とされ天孫案内の国津神
猿田彦ではありません。
降臨天孫の先導役が流布して多くの神社の祭礼に登場しておるのでしょうか?
各地の白鬚(白髭)神社も多く猿田彦を御祭神としており猿田彦には多様な面が
あるのでは? 猿田彦さんは国津神というわりに渡来っぽい風貌で謎が多い
塞の神とされてたり、天狗の親分みたいだったり、稲荷の祭神の一柱のサダヒコと言われてたり、最近じゃ珈琲の神だったり
そりゃあ多彩よ >>67
猿田毘古には天八衢で降臨天孫を先導する一方で遠方伊勢壱志郡阿邪訶(あざか)の
海で漁をしていて比良夫貝に手を挟まれ溺死したとの伝承がある。
これは列島各地に猿田毘古が複数いたからか? >>69
一方の伝承というか古事記の中で天孫降臨に続く場面で溺れたことが書かれているね
その流れでは別に複数いる必要はなさそう
そもそも神様は死なないはずなのにわざわざ死や死を暗示するようなことを描かれるときは、そこに特別な意味があるのだろう
例えば出雲の事代主が海中に身を没したように、力のある国津神は物語の中で隠れる必要があったとか
そういうことかもしれない 猿田彦大神を祀る二見興玉神社の神使はカエル
無事に帰る、黄泉からカエル、よみがえる…そんな意味もあるという >>70
>そもそも神様は死なないはず・・・・・
不老不死なのは造化三神のような抽象神の場合で
火処を焼かれ死んだ黄泉のイザナミやスサノヲに斬り殺されるオオゲツヒメ
(冬至に衰亡し春に再生する穀物神か)や兄弟神に迫害され殺されるオオクニヌシなど
サルタヒコを含め土俗的神は決して不死ではないのでは? >>72
記紀の中で死を描かれる神も描かれない神も
人はまったく同じように現世における神威や加護を求めて祀る
イザナキ・イザナミは祭神としてはセットで扱われたりする
猿田彦は祭礼の行列の先頭に立つ
そこに物語で負わせられた死穢れはない
人の場合は死んで神上がりする
ならばそこからまた死ぬのもおかしい
だから神話における神の死というのは象徴的な意味合いと捉える方が納得いくなと思うわけ >>5
猿田彦神社なら遠江国城飼郡佐束郷高瀬の
佐束山山中の地にも坐します。 >>4
伊勢市宇治浦田の猿田彦神社が10/19(木)11:30〜NHKローカル『さらさらサラダ』
「伊勢・鳥羽で話題の○○を探せ」で新居一城権禰宜が紹介。人を導く「みちひらき」の社?
境内に天宇受売を祀る佐瑠女社。鳥居柱・石碑やら八角形造りなんやな 椿大神社、徳○会の会報が置いてますね
墓相をどうとかいう >>67
>稲荷の祭神の一柱のサダヒコ・・・・・
茨城県猿島郡猿島(さしま)村、愛知県西加茂郡猿投(さなげ)村などの地名例から
類推すれば猿田彦の読みも本来は「サタ」ヒコor「サダ」ヒコだったか? >>77
猿毛(サルゲ)・小猿屋(コザルヤ)・猿橋(サルハシ)・・・と越後地方では
サル読みが主流の模様か?
猿俣、猿毛、小猿屋、猿橋、猿供養寺…「猿」が付く新潟県上越地方の地名 上越TJ 2016-01-03
https://www.joetsutj.com/articles/42922230/ >>5
京都市上京区上御霊前町にも猿田彦神社が坐します。ご祭神は猿田彦と天鈿女命
上京区の史蹟百選/猿田彦神社 2008年10月21日
https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012277.html いいこと述べてるスピリチュアリストもいるが具体的に神様のことを詳しく述べてるのは和魂だけだな。そもそも管理人のシンクロニシティが神懸かってる。
※URLの3箇所の「あ」は抜く
■『圧倒的な「金運」を正しくつける秘訣や方法』
http://worldあmateあfan.blあog119.fc2.com/blog-entry-540.html
■『巷の「霊能者」「スピリチュアリスト」「宗教」が知らない神様や龍神の話』
■『イカサマ霊能者や偽者スピリチュアリストに要注意』
■『【龍粋社】天妙龍啓 (天川龍一) さんって凄そうですけど実は』
http://worldあmateあfan.blあog119.fc2.com/blog-entry-331.html
※龍枠社はイカサマだから要注意なwww
★【注意勧告】2022年被害報告件数ダントツ1位! 龍粋社の闇を暴く!
youtu.be/gULUr-2Rrv0
オンライン神社とかボッタクリとかやってるよう身分でなにが霊能者だよ(笑)私腹を肥やす低俗下品な2人に高級神霊が降りるわけがないだろにwww >>69
>猿田毘古には天八衢で降臨天孫を先導・・・・・
『記』の記す降臨天孫一行の水先案内役を務めた猿田毘古のいた
天八衢とは天孫出発地高天原と降臨行先葦原中つ国の双方に通じる
要衝で水先案内海人族の拠点であろう。対馬の何処かの地かな? 2月4日の立春に参拝したら、拝殿からえびす大黒像あたりまで長い列ができてた >>77
伏見稲荷大社の祀る稲荷三神の一神佐田彦大神は
同様の転訛をきたす前身猿田彦大神のことか? >>86
そう言われてるね
Wikipedia情報だけど
佐田彦大神は室町時代の二十二社註式の伏見稲荷の条では「猿田彦神」だったらしい
ただ伏見稲荷の祭神については複雑な変遷の歴史があり
主祭神以外の神の正体については諸説あるけどね >>87
佐太神社御祭神で出雲国四大神の一神佐太(サダ)大神も
猿田彦の別名か? >>88
佐太神社の公式サイトでそのように言ってるね
猿田彦神の持つ多彩な神格のひとつだな >>86
猿田彦が各地の稲荷社と違って伏見稲荷本社に何故に祀られているのだろう?
伏見稲荷の主祭神宇迦之御魂神と猿田彦神にはどんな繋がりがあるのだろう? >>67
猿田彦が保持する高矛は雷神を操つり
雨乞いに臨む用具か? そういや稲荷山では昔祈雨をしていた説がある
雨振らないと稲が実らないかな >>90
伏見から分社して本宮と同じ祭神を祀るとこもある
だから佐田彦(猿田彦)が祀られる稲荷神社は他にもある
なんで稲荷の中の一柱なのかは謎だけど
サルタヒコは田の神という説もあるらしい ・サロンの管理者は賢くないよな
売上足しても使わないで行ってないよ 髪型ゴボの正解がわからないなら謙譲語とか知らなくて
顔がしわくちゃなって自宅待機となる
しかしある日のガキは捕まれよ
ナンパして仮押さえした ちなみに猿田彦が祭神とされる神社は、名前に猿がつく土地にあるわけじゃない >>98
鎮座地の遠江国城飼郡佐束郷や筑前国福岡藤崎や出雲国鹿島などは
猿○地名ではないが他所も違うの? スレタイの椿大神社は三重県鈴鹿市山本町
猿田彦神社は三重県伊勢市宇治浦田
白鬚神社の総本山は滋賀県高島市鵜川
他の有名どころも地名に猿なし
まあ字が充てられただけでおサルと関係ないので当然か https://imgur.com/a/2HbHzDV
諏訪広域(6市町村)専用スレ その12
>2024/03/13(水) 10:04:02.59ID:tRYzvjoB
>もう、すぐ、夏が来て、秋が来て、また冬が来て、あなたの命はすぐに終わる
私の書き込み直後に殺害予告されました😰
なんででしょうねえ?😅
現在の法律では違法スレスレの嫌がらせをやる
↓
相手が怒って反撃や反論する
↓
まあ素人なので一線を超えた反論をする
↓
それを証拠の取り「恥ずかしい」とさらに追い込む
証拠を警察に突き出す。
これは
反社・ヤクザ・(そーか)のやり方ってことです。
同じやり方で反撃したら困ってるようですが。
#そーか 最近、私のX、ツイッターに
実名ほのめかしや
住所ほのめかし
女性そーか喜び組?
行動の監視?
のアカウントが突撃してくるのはナゼだろう?😮💨
ボクわからないな