釈迦は仏像を作る事を禁止していたのに
お釈迦様の死後約500年、仏像が作られる事は無かった お釈迦様が仏像を作ったり拝んだりする事を禁止していたからだ なのに今の世の中、みんな仏像に平気で手を合わせるのは何故? 不動「蘇我氏を操り日本を守る物部氏を殺害し仏教を持ち込み未来永劫日本人を苦しめろ、と」 >>2 お釈迦様の言葉 「私の姿を拝んでどうしようというのか」 >>6 言っているんだよな……コレが まあ当時は仏像なんて言葉は当然なかったが >>6 仏像は作ってはならない、どうしてもあらわすなら沙羅双樹等の木であらわせ、と言ったらしい (木像という意味ではない) >>6-8 できれば経典へのリンクを貼っていただけませんか? >>9 聞いた話なので何の経典かは分からない ただ菩提樹等が礼拝されていたのは事実らしい っていうか>>5 のお釈迦様の言葉の意味を理解できれば、「言っている」となるはずなのだが オカルト関係の本だが、これの234ページに書いてある 『失われたフリーメーソン「釈迦」の謎』 https://hon.gakken.jp/book/1340544200 釈尊自身は、仏像については全く言及してないと思うが。 死後に作るなよとの指示もしていないし、逆に禁止もしていなかったはず。 まちがってたら典拠をたのむ。 釈尊の死後、菩提樹や法輪や宝塔などが、釈尊やその教えの「象徴」として存在し 信仰者はそれを拝んでいた。(←スレ冒頭の菩提樹云々はココの話) 教えの実践に、なんらかのモノがなければ拝みにくいのは自然なことだ。 しかし釈尊を直に偶像という形で「うつす」のはおそれおおくて憚られていた。 以下略 だからスレタイのように釈尊が直接「禁止だ」と言ったわけではない。 当時のキリスト教やユダヤ教も偶像は禁止していた。イスラム教は今でも偶像がない >>15 それでイスラム教徒がバーミヤンの大仏を破壊したんですね。 >>15 普通は、お釈迦様の「私の姿を拝んでどうしようというのか」という言葉が、偶像崇拝禁止の教えとされている >>1 仏像を作ったらぶつぞ〜! とお釈迦様が言えば良かった。 >>15 どの経典か分からないが、お釈迦様の遺言に「絶対に私の像を作ってはならない」というのがあったらしい 検索してみたけど、 >釈尊は「私の像を刻んではいけない、私の説いた法を、依り所としなさい。」と言った。 という情報だけで、出どころは書かれていなかった ほんとみなさん経典だけを頼りにしたほうがいいですよ 噂だとか思い込みに頼ったりしていると、あっという間に間違った教えを広めたりしている危険がある 九十五種の邪道を警戒しましょう 俺はお寺では、本尊は拝むふりだけしている。 お釈迦様が拝むなと言っているのに拝む理由など無い。 >>21 それを言ったら、お釈迦様の教えだと確認されている経典は存在しない >>23 最低限リンクを貼るくらいするべきではないかな 幸福の科学や創価ですら、仏教を自称しているのだから 気付いたら大川隆法の言葉を崇めていたなんてなりかねない >>17 それは「釈尊が生前に疑問を投げかけた」ということ「だけ」であって、 それを「偶像崇拝禁止の教えだ」と解釈したのは、残された側の人にすぎない。 >>22 それでいいと思う。 釈尊やキリストやらが教えを説いたのは、真我に至るための方法(解脱法)であって、 ようするに自分自身つまり指導者を拝む必要はないってことだからね。 26続き だから「南無大師遍照金剛」とかいって弘法大師空海を拝むのは、内心では好きではない 足跡をみる限り、正直かなり自己愛の強いペテン師だとすら思ってる。 しかし今ある密教を日本へ伝えたのは空海であるから、そこは分けて礼節だけは尽くしてる なぜなら自分は密教(真言宗)を通じて、真我の存在や観念を得たので。 >>28 後代の人間だからこそ言えることだが、 そうやって死ぬ前に戒めてても、やっぱりそうなってしまった、ということなんだろうよ。 破戒坊主が管理・運営している寺に参詣してそこの本尊を拝む行為そのものがお釈迦さんに対する最大の侮辱だとしか思えないのだが。 お釈迦様はヘブライ人だという説がある ヘブライ人なら偶像崇拝禁止するのは当たり前 >>1 釈迦は金儲けしようとみんなに進めた・ 私みたいなハーレムの経験をしなければ悟りは開けないと。 500年って(笑)釈迦が死んだのはあなたの頭の中ではいつなの? 仏像そのものを礼拝しているのではない。仏像は祈りの窓。 本当に拝むべき対象が目に見えない、 だから偶像を崇拝しても無駄なのだ。 仏像も憑代(樹木・岩石・動物・御幣等)も 全て仏様や神様ではないのだから。 つまり教えや心が仏様や神様の声であり、 偶像は決して崇拝の対象ではありえない。 だから〜祈りの窓なんだって。 ドゥーユーアンダスタン? >>38 部分的には合ってるが、全体としてはちがうな。 >>42 仮にそうなら>>38 の観方も同じく後付けになるけどね。 教えすら後付けだとしてしまうなら、口伝が全否定ということになる。 宗教に限らず世界中の伝統文化や郷土風習まで全否定になるね 全ては科学の発達から人生百年の時代となり、かつては生きるための教えを請け宗教を崇拝してきたが、今はそれ自体が無意味な行為となってしまいつつある。アーメン >>24 何故かリンク貼れないんだけど、こう書いてあった 曹洞宗の僧侶でインド哲学の研究者であった宇井伯はく壽じゅ氏(1882年(明治15年)6月1日 〜1963年)に依れば 大乗、上座部を問わず釈迦の教えと証明出来る経典は存在しないと言う、 最古の経典と言われる阿含経ですら伝承の教えであり疑問視されている 別にどうだっていいんじゃないでしょうか。 通信ケーブル(宗教や教義)の個体差があったとしても、 その先にあるのが、時間軸すらない精神世界なのだから。 >>32 飛鳥昭雄がそんな事言ってたけど、最初に言った人は誰かは知らない。 どっかの巨大観音像だかを税金で解体するってニュースの時、 「解体業者さんバチ当たらなければ良いけど」って言った人がいたけど、 お釈迦様が作るなって言った物を壊したところでバチは当たらないよなぁ…… 宇井伯壽って12歳で出家したのに子どもがいっぱいいてたんだよ。 単なる破戒坊主やん。 このことを知って仏教学者としての彼の信頼度が自分の中では一挙に零になったわ。 『増一阿含経』巻28によれば、「釈尊が母の摩耶夫人に説法するため三十三天に昇った時、ウダヤナ王が仏を拝することができず悲しんで病気になり、その勅命で牛頭栴檀をもって五尺の釈迦仏の尊像を刻ましめたところ、病気が平癒したとある。このことから、これが仏教における最初の仏像造立ともいわれる。」(Wikipediaより) これによればお釈迦さんが示寂するはるか前に仏像が作られていたことになるね。 >>56 その仏像、お釈迦様は認めていたの? それと、お釈迦様が生きている内に作られたと伝わる仏像は日本にもあるよ? >>57 嵯峨清凉寺の国宝「赤栴檀の釈迦如来像」がウダヤナ王が制作させた仏像の模刻像です。 清凉寺のサイトから引用します。 (『優填王所造栴檀釈迦瑞像歴記』(仏教全書遊方伝所収)と『釈迦堂縁起』によると) 「仏がトウ利天宮へ母なる摩耶夫人のために法をときにのぼられたとき、仏によって大きな自覚をあたえられ、ともに生かされていた人々がよりどころを失い、なかでも優填王や信者たちは、慈母に離れた子供のように寂しさにたえかねたので、王は名工毘首羯摩天に嘱して、栴檀の香木で仏の尊容を模したてまつらしめた。仏がお帰りになって自分と寸分ちがわぬ尊像を御覧になってよろこばれ、われ亡きのちは自分にかわって人々を済度すべきであると、みずから御開眼になったと伝えらています。」 http://seiryoji.or.jp/introduce.html つまり、お釈迦さんは仏像の制作を是認し、且つ称賛されていたことになります。 そして自らの没後にはこの仏像によって衆生を救うように命ぜられたのです。 >>58 釈迦が生きていた時代、仏教に関係なくインドで像を作る習慣はなかった事から、その言い伝えは疑問視されています。 >>60 Wikipediaで「仏像」で検索して下さい。 >>58 模刻ではなく、本物だと言い伝えられているよ? 前にNHKで放送してたけど、模刻を作ったら本物の仏像の方が話しだして 「私が日本に行く」といって模刻と入れ替わったのだとか 日蓮聖人を尊ぶ側として書き込むけど、 みなさんはただ仏様と伝えられている存在を、善悪を評価することなく全て尊ぶだけで、「悪魔」「鬼」「邪霊」といった、悪い存在への警戒を怠ってるように見えます 何らかの経典を持ち出し頼ることは良い事だけど、その話の根本にある「善悪」を正しく認識しておかないと、 間違った信仰に踏み入ってしまう危険がある そこを常に用心するべきだと思われます >>56 のウダヤナ王の話にしても、正室皇后を弓矢で殺そうとしているという時点で、ウダヤナ王は悪であり、 その王が行った事業には「悪魔」「鬼」の干渉があったのではないかと考え、話の裏を精査する必要があると思われます そうしなければ、気付かないうちに、得体のしれない悪魔や鬼を崇拝していたということになりかねない >>63 アングリマーラみたいに、殺人鬼でもお釈迦様の弟子入り許された人もいるからなぁ…… オリンピックは偶像崇拝 使徒の働き14章11ー15節 https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E4%BD%BF%E5%BE%92%E3%81%AE%E5%83%8D%E3%81%8D%2014& ;version=JLB これを見た人々は、その地方のことばで、「神々だ。人間の姿をした神々だ」と叫びました。そして、大騒ぎしながら、二人をギリシヤの神々にまつり上げたのです。 バルナバはゼウス、パウロはおもに話をしたので、ヘルメスだということになりました。 町の門のすぐ外にあるゼウス神殿の祭司までが、花飾りを持って駆けつけ、門のところで群衆といっしょに雄牛を数頭いけにえとし、二人にささげようとしました。 バルナバとパウロは、この、神を汚すふるまいに仰天し、着物を引き裂いて群衆の中に駆け込み、大声で叫びました。 「皆さん。なんということをするのです。私たちは、皆さんと同じ、ただの人間ではありませんか。こんな愚かなことはおやめなさい! 旧約聖書続編マカバイ記第二書6章1−4節 http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col& ;book=2ma&chapter=6&mode=0 その後すぐに、王は一人のアテネ人の老人を遣わし、ユダヤ人に父祖伝来の律法から離れさせ、神の律法にしたがって生活することを禁じた。 さらにエルサレムの神殿をけがしてこれをオリンピアのゼウスの宮と名づけ、ゲリジム山の神殿をその地の住民の希望どおりに異邦人のゼウスの宮と名づけさせた。 すべての人々の上にわざわいが重苦しくのしかかってきた。 神殿は異邦人たちによって、娼婦とたわむれるみだれな騒がしい場所となった。彼らは聖所の中で女と関係し、神殿の中にそこにふさわしくないものを持ち込んだ。 1940年の第二次大戦は、日本で五輪をやろうとしたことへの神罰 1964年の五輪が無事だったのは、創世記6章にある通り、人間の寿命の間だけは罰を与えないという「猶予期間」だったためと考えられる https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98%206& ;version=JLB そしてきっちり平均寿命が80歳であり、80年後でもある現在2020年、また偶像崇拝を行ったので、コロナという神罰が落ちた ちなみに人間の寿命が80歳に決まっているというのは、偉大な存在とされている、ダビデ王80歳、ソロモン王80歳、釈迦80歳で亡くなったことも傍証になる それとこちらも参照 日経平均株価にアララト山の山頂が描画されている https://egg.5ch.net/test/read.cgi/shugi/1559972671/ 平均寿命ではないけど、人間の寿命は120歳じゃないの? 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。 (旧約聖書より) >>1 そりゃあ、釈尊が在世の折に、釈尊じゃなくて仏像拝むバカは居ないよ。(笑) 亡くなられても、生前に会ってた信者達は、仏像なんか拝まないわな。 会えなかった連中が、何かしら表すのに、足跡や法輪で表現して、 時代が経って伝播するなかで、ギリシア系の連中が前の信仰に寄せて仏像を作り出し、それが以後の慣習となっただけ。 少なくとも真言密教では、仏像も曼荼羅も敬うが、それがシンボルであると言うことは教学で教えてるよ。(笑) (^。^)まぁ、判ってない坊主も多いらしいが。(笑) >>71 後の時代に作られた経典には、仏足を礼拝したとあるよ。 なんでも、当時は貴人(王様とか豪族とか)にそうしたらしいね。 今でも、天皇陛下には普通の日本人なら礼拝するでしょ。 (^。^)今の若い人だと知らないかも知れませんが。(笑) >>72 あっ、わたし支持政党が日本共産党だから天皇制に反対してますよ。 昭和天皇が戦争責任問われなかったことは甚だ遺憾です😡⚡ >>73 信者さんなら、共産主義の教祖が書いた経典には、「革命のためなら暴力は正当化される」ってな話があるのはご存知ですよね? (^。^)で、日本国憲法と経典のどちらを守るんですか?(笑) >>73 あと、「戦争責任」って、敗戦国は当時の国際法には無かった共同謀議罪で処されなかったのは許せないって話ですかね? そもそも、共同で謀議なんてしてなかったのに処刑された方々は当然の報いだとお考えなんですね? (^。^)でも、資本主義の欧米によるでっち上げを支持するなんて、共産主義的には、…あ、資本主義社会を破壊出きれば何でも正当化されるんでしたね、失敬失敬。(笑) >>72 仏足石の事なら、お釈迦様の姿を拝んではいけないから足跡を拝んだんでしょ? >>76 経典をご覧であれば、多くの経典に説法の際に釈尊の足に礼拝したと記述が出てきますのでご存知かとおもいますが。 (^。^)先に「当時の貴人にそうした」と書いたのは、釈尊の在世の当時のマナーだったといういみです。(笑) >>72 もしも天皇陛下が「私を拝むな」と言ったなら、みんな言いつけ守るよね? >>78 今上陛下が言動など、畏れ多くて何とも言えないが、(笑) お釈迦様なら、当時のマナーを守ってたでしょうね。(笑) (^。^)当時の常識を守る良識的な人の集まりだったから、仏教は国王からも一目置かれてたんだし。(笑) 古い経典の中でお釈迦様は「私の姿を拝んでどうしようというのか」と弟子を戒めている >>80 釈尊は応機説法をなされたからね。 問題のある行動をしたなら注意されたでしょうね。 で、それが何なんですか? 釈尊が、当時の礼儀作法を否定したという根拠にはなりませんよ? 判らないかも知れませんが、例えば釈尊は婆羅門という立場を否定しておらず、「婆羅門は婆羅門に生まれたから尊いのではなく、婆羅門となっているから尊い」というような話をされました。 これは、現代でよく言われる「カーストの否定」ではなく、常識を肯定した上で理想を説かれたものです。 同様に、「礼拝」もまた、常識を肯定した上で理想を説かれたはずでしょ。 (^。^)多分判らんでしょうなぁ、何の話か。(笑) >>82 こうやって、アンカーをつけたら、その書き込みに対するレスなのは、お使いになられてますので、恐らく理解されているのだろうとおもいますが。 それに対して直接関係ない話を振られたので、それにお答えしただけです。 お読みになれてないのでしょうが、 既に>>70 でスレタイに対しての書き込みをしています。 私としては、それで終わった話ですので、スルーなり反論なりなさるのでしたらどうぞ御随意に。 (^。^)此方も同様に致しますので。(笑) >>70 を読むと、仏陀が生きていたから仏像を拝まなかったというふうに読めるのですが、 >>80 で書いてる通り、仏陀は自分自身を拝む事も禁止しています。 >>81 で、>>80 には返答しましたが、ご理解頂けなかったようですね。 (^。^)飽きたので寝ます。(笑) 仏陀が当時の礼儀作法を否定したと、誰が書きました? >>70 シンボルなら仏像を敬っても良いとでも? お釈迦は自らを崇拝してはならないと弟子達に説いた 同時に、いかなる偶像をも作ってはならない 偶像を礼拝することもしてはならないと戒めた その事は無視するのですか? お釈迦さんがご自分の生きた社会の常識に囚われるような人物であったならバラモンに生まれついたものした解脱できないとされていたバラモン教支配の社会の中でクシャトリヤである自身が解脱した「覚者」であるなどとは主張しなかったと存じますが。 お釈迦さんの創始した仏教が革新的であったのは当時の社会において腐敗堕落していたバラモンに対抗してバラモンに生まれることなくしてお釈迦さんの主張する修行体系に身を投じて修行すればどんな身分に生まれた人間であったとしても解脱することができるのだと主張した点にあるはずです。 であればこそ、バラモン階級に生まれなかった国王や商人などの尊崇を受けたのです。 偉大な世尊の教えを矮小化するな!! 無礼者め!! >>84 ちょっと気になって、スッタニパータとダンマパダ読み返したけど、「拝むな」という箇所が見当たりませんでした。 文脈が知りたいので、何という経典の何章にあるのか教えてください。 因みに、スッタニパータやダンマパダには、 195、196 すでに虚妄な論議をのりこえ、憂いと苦しみをわたり、何ものをも恐れず、安らぎに帰した、拝むにふさわしいそのような人々、もろもろのブッダまたその弟子たちを供養するならば、この功徳はいかなる人でもそれを計ることができない。 とか そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは恐れおののいて、身の毛がよだち、師(ブッダ)のもとに近づいた。そうして師の両足に頭を伏せて、礼拝してから、師にいった、 とか、 文脈的に、「拝む」のを釈尊が否定したとは取れない記述しかありませんでした。 また、 そこで師は、セーラ・バラモンが師の体の膜の中におさめられた隠所を見得るような神通を示現した。次に師は舌を出し、舌で両耳孔を上下になめまわし、両耳孔を上下になめまわし、前の額を一面に舌で撫でた。 と、これも有名な一文ですが、「古い経典に」あるなら、貴方は信じてる訳ですよね? 前後の文脈や人伝の話を信じて疑わないのは、どうなんでしょう? (^。^)それとも、君達の言う「拝む」と我々の言う「拝む」では意味が違うのかな?(笑) >>87 君らは「経典にあるお釈迦さまの言葉とされる文章」を「崇拝」してるんだろうが、 仏教徒というのは、釈尊等の諸仏と、そして法とサンガに帰依してる訳。 だから、君達の信仰を、他の宗教に押し付けるような真似は辞めた方が良識的ですよ。 (^。^)それとも、釈尊の示された道を歩んでるとでも?コツジキも三衣一鉢もしてないのに?(笑) >>90 あなたは、自分の知識を自慢するだけの人のようですね 質問には答えているように見えて、全く答えになっていません 周利槃特にでも分かるように説明して下さい どうでも良いけど、礼拝と崇拝を混同してない? まあ、礼拝も「拝む」って意味で使われる事もあるけどさぁ 法四依 教えの意味に依り、ことばにとらわれてはいけない(依義不依語) >>62 それは平康頼の『宝物集』に書かれている話です。 お釈迦様の教えは時代によって変化していくのです。 実際、えらい坊様は拡大解釈しているではないですか。 >>98 少なくともあなたは偉い坊様ではない。単なる一個人だ。 時代とともに変容してきたからこそ仏教でも世界各国や日本国内だけでも 数え切れぬほどの宗門宗派があるわけだから、 時代的な変容に関しては否定することではない。 しかし「変容するものだから」と理由付けして、 個々の個人が好き勝手に解釈や適用させてよいことにはならない。 100 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。 101 無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。 102 無益に語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。 103 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。 104、105 自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。 つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、──このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。 106 百年のあいだ、月々千回ずつ祭祀(マツリ)を営む人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。 107 百年のあいだ、林の中で祭祀(マツリ)の火につかえる人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。 108 功徳を得ようとして、ひとがこの世で一年間神をまつり犠牲(イキニエ)をささげ、あるいは火にささげ物をしても、その全部をあわせても、(真正なる祭りの功徳の)四分の一にも及ばない。 行ないの正しい人々を尊ぶことのほうがすぐれている。 109 つねに敬礼を守り、年長者を敬う人には、四種のことがらが増大する。 ──すなわち、寿命と美しさと楽しみと力とである。 (^。^) と、「古い経典」には書いてあるらしいぞ?(笑) >>94 「礼拝」とは、文字通り礼して拝むこと。 「崇拝」とは、尊いとされるから崇めて拝むこと。 仏教では「崇拝」は使わずに全て「礼拝」となっているのは、 仏教徒が釈迦の教えに帰依してるので、礼儀として拝むからであり、 キリスト教のような、絶対者を尊び拝むような話ではないため。 だから、キリスト教ベースで、「お釈迦さまは偉いんだ」として「崇拝」している連中は仏教徒では無い訳です。 (^。^)つまり外道と外道が仏教用語で外道な話をしていただけなのに、貴方は何をマジレスしているんですかと。(笑) >>103 >>104 ネトウヨにはこんなもんが、まぁ限界ッスよ >>102 お釈迦様自身を礼拝することは認めてたけど、崇拝することは認めていなかったんじゃないの? って言うか「礼拝」って日本語訳でしょ? インドでも拝むって意味で使われていたの? 言えることは そもそも日本に来ているのが大乗仏教だったという 日本人が 釈迦の小乗仏教との違いに気がついたのは明治以降でしょ 別に仏像など どっちでもいいんじゃないか 中には素晴らしいものもあるよ >>108 同意。現代に実際に生身の肉体をもって生きている我々からすれば、 すでに成立して相当長い歴史のある偶像つまり神像や仏像は、もう既存のものだといっていいほど歴史があるし、 それぞれ役割も設定されているわけだから、自分は敬意は払ってる。 でもキリストやら釈迦やらが説いたのは、自らつまり「我を崇めよ」じゃないわけで、 そのことを理解しつつも、俺個人にそれを気付かせてくれたのは神仏であるので 引き続きなお仏像は無意味ではなく、感謝の対象。 美術品としての仏像は良いとして、それを信仰の対象とするのはどうかと思う。 >>110 しかし、それを言ったところで仏像そのものを信仰の対象にしている人は世界中に無限にいるし、 また信仰の対象物になりえるからこそ美術品としての価値があることもまた否定できない。 俺だって、たまたま仏像や神仏の概念を超越したところに気づけたから、 いまここで語ってるけど、逆に、偶像化された神仏がなければ気付けなかったかもしれない。 >>109 新約聖書では偶像崇拝は幾度も咎められてます そうやって、経典を確認すること無く、なんでもかんでも思考停止して崇拝してしまうから、悪魔崇拝を招いたりしてしまうんです 九十五種の邪道に気をつけるように伝えられていたのに >>67-68 をしっかり読みましょう >>112 あの、よく読んでもらえますか? 109では、あなた側が言っていることを述べているのですけど。 >>111 俺も昔は仏像等を拝んでいたし、それが当たり前だとも思っていた。 でも今ではそんな事してはいけない事に気付かさられた。 >>112 私は偶像崇拝を支持していません そして>>108-109 のように、仏像や神像をどっちでもいいなどと考えていません 各種文献を精査して、厳格に分けるべきだという考えです 仏像神像をなんでもかんでも素晴らしいなどと考えてしまっていると、気付かないうちに悪魔崇拝を行ってしまう危険があると言っているんです みなさんは神仏を信じると主張しているけど、悪魔邪霊の実在をちっとも警戒していない そんなことだから、全世界にコロナという疫病が流行っても、神仏の怒りではないのか? と頭の中で考えて、文献から答えを探そうという発想に至れないんですよ ゼウスを崇拝する祭典=オリンピックとは偶像崇拝であり悪魔崇拝 ブリタニカ国際大百科事典 https://www.britannica.com/topic/Baal-ancient-deity Baal=バアル → バビロニア語Bel=ベル → ギリシャ語Belos=Zeus → 日本語ゼウス 末日聖徒イエスキリスト教会 聖句ガイド https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/baal?lang=jpn バアルはバビロンのベルやギリシャのゼウスと同じとも考えられる バール(バアル)について記載された文献あれこれ http://www5.cncm.ne.jp/ ~ryuji-t/kenkyu/baal.htm 町の両区域ともその中央に囲いがあり、一方は壮大堅固な壁をめぐらした王宮であり、他方は「ゼウス・ベロス」の青銅の門構えの神殿である。 「ベロス」はバールのギリシア的転訛で、ゼウスと同一視して、「ゼウス・ベロス」となっている。 聖書が偶像崇拝を禁止しているのは、そこに悪魔が入り込むからで、人は知らない間に悪魔を拝む事になる……って何かの本に書いてあった。 浄土真宗みたいな元からインチキな仏教や明治維新後破戒行為をしても罰せられなくなったとたんに宗派ぐるみで盛大に破戒行為に走った天台宗、真言宗、禅宗諸派、日蓮系諸派等々の自称僧侶の破戒坊主や信者も仏教的には悪魔崇拝ではないかな。 >>115 偶像崇拝を支持していませんというのは自分もそうだから、それでいいと思う。 ただ、俺は「なんでもかんでも素晴らしい」とは一切思ってないし、そう書いてもないけど? あと神仏を信じてるわけじゃないんだけど。その意図で書いたのにぜんぜん読解してくれてないね。 「神仏の存在」「それを実感させるための仏像」というものは、 精神世界に気づくためのツールに過ぎない。 「気付くための役には立った」というニュアンスでは、そう述べたかもしれないが、 信じているとは俺はひとことも書いてません。 一方的に誤解や曲解されては議論になりません。 >>118 あなたを見てると悪魔が悪魔がって悪魔崇拝のことばかり目につくけどさ、 あなたは悪魔という存在をまず先に肯定してから、そこから「逆引き」で偶像不要、 という自論を述べてるように見えるんだけど。 その論調はどちらかというとすごく異質だし、 最終的なものが俺もあんたも同じ「偶像いらん」という結論であったとしても、 そこへ至るプロセス部分が相違しているからこそ、 議論が平行線に陥ってしまうのじゃないのかなと。 きみ「仏像などどっちでもいい」「素晴らしいものもある」と、なんでもかんでも崇拝しようとしてしまう>>108 に同意してるだろ >>109 の自身のレスをしっかり確認しなよ 「同意」って書きこんでるでしょ 同意してはいけないんだって 同意していると偶像崇拝や悪魔崇拝まで招いてしまうんだってことを理解しようか あと>>118 は私のレスではない 厄介なのでコテハンつける なぜ仏像の是非を議論する際に、聖書の記載が出てくるのだ? >>124 こう考えてくれないかな 1・世界に疫病が流行った。仏罰が落ちているのではないか 2・仏様は何に御怒りなのだろう。文献を調べよう 3・ウチの寺には該当するものが無かった 4・仕方ない。全世界の各種宗教の経典から調べよう 敬虔な仏教徒ならば、このくらいの道を辿ってくれないと困るんだけど 最新の見解では、戦国時代のひとびとは耶蘇教を仏教の一宗派だと誤解していたらしいとNHKスペシャルで歴史家が述べていた。 だって神様の事を大日如来の「大日」と訳してたらしいよ? そりゃ仏教だと思うわ。 警戒され、禁教とされたのは植民地化や日本人を奴隷として売り飛ばされることを恐れたんだろうね。 キリスト教では「他の宗教は全て偶像崇拝であり、愚かな迷信だ」と内部では教えて、外面では「他の宗教との融和」などと言ってますが、 私の知る限り、「偶像崇拝」しているのはキリスト教ならびにその派生した思想だけです。 仏教を除く様々な伝統宗教の「像」は神々を降ろす為の道具であり、理解できないキリスト教側が「偶像崇拝」だと見下しているだけです。 仏教では、分かりやすく「仏さま」扱いをする場合が多いですが、教学的には、仏像は、瞑想に用いる為の単なる道具に過ぎません。 礼として拝んでるから礼拝な訳です。 一方のキリスト教は、「マリア像が血を流した」と大喜びして奇跡認定なんてケースもあり、文字通り「偶像崇拝」しています。 (^。^)これを客観的に見ると、子供が「バーカ!バーカ!」と互いにバカにしあってる構図ですが、まぁ、マトモな宗教者ならこんな反論はせずに下らない話だと黙殺するでしょう。(笑) >>129 あーそうそう。仏教の部分まったくそのとおり。自分もそうです。 自分はキリスト教は好きでない側なんだけど、 やっぱりキリスト教って「ダブルスタンダード」だよね。 なにかを偉そうに書くならソースを示すべき。 「教学が」と言うならどこの教学か書くべき。 まさか破戒坊主を野放しにしてる破戒宗派の教学ではないだろうな!!w でも、本来はキリスト教も、イエス=「神」そのものとはせず「神の子」としていることからも、 当初は仏教などのそれと同じ(神を降ろす為の道具にすぎない)だったはず。 キリスト教などは、いつから一神教がどうとかみたいになってしまったんでしょうか? >>131 最近はあんたみたいに「偉そうに」云々ってすぐ言う人多いけど、それやめない? 議論での文章なんだし、自分はこう思うってスタンスで記述してるだけで、別に偉そうには感じないじゃん。 その人は、最後に必ず(笑)をつけるほうが自分は気になる >>133 自分が「偉そうに」って書いたのは、当の人物が頻繁に使う「(^。^)」と「(笑)」に反感を持ったからです。 (^。^)(笑)←何故か反感を買いやすいんだが、世代的な感性の違いなのかな? (^。^)まぁ、嫌なら承狂であぼーんしてもろて。(笑) >>131 日本はご存知のように大乗仏教、少なくとも全ての宗派がそう自称しており、 この大乗の教学として中観派が祖とされております。 これもご存知の通り、中観では皆空と説き、ハ不で論証され、縁起と中道となんやかんやが同一であると説かれた仏陀に帰依します、とエジョウロンの序文にあります。 五蘊皆空なので、当然仏像も経典も空です。 仏像等は除く、などとは言われません。 ゆえに、少なくとも天台真言宗 などの伝統的仏教諸派では当然教学上の常識となります。 一部の宗派系列では、経典に帰依してますが、あれは大乗仏教の教学的にはあり得ない話なわけです。 こうした事は、仏教に詳しい方なら言うまでも無い話ですが、いさかいを避けるのもまた仏教ですので、普通は何方も話されない事です。 (^。^)誰かみたいに上から目線で偉そうにすんな等と宣う訳の判らない連中とは関わらないに限りますので。(笑) >>129 すべてのキリスト教徒がそうだとは思って欲しくない。 今でもキリストの教えに忠実な信者もいる、ただほんのひと握りかも知れないが。 >>132 キリスト教は本当は一神教ではないという説もあります。 本当は神は「父と子と聖霊」の三柱で、後の世のニケーア公会議で「三位一体」が正統とされ一柱とされただけという物です。 旧約聖書にも「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と、神が複数形になっている部分があります。 十戒で神が一柱とされたのは、モーセが偶像崇拝におちいった民に怒り石版を叩き壊したからで、 本来の壊される前の石版には真実が書かれていたのではないか、という事です。 >>137 私も全ての仏教徒が高邁な修行者だとは書いてませんし、伝統的仏教各宗派の教学が完璧だ等とも書いてませんよ。 教学的な話をしただけです。 キリスト教も、宗教哲学的には唯一神を頂点として他の神々をサタンとしますが、異なる解釈をする派閥があることは無論存じ上げております。 また、私のは、あくまでも私見では、という話なので、その辺の寺で聞けば全く違うマトモな話をお聞きになれるかと思います。 要は各人の心の問題なので、私のようにキリスト教を悪し様に言う者もいれば、貴方のようにキリスト教信仰者もいます。 (^。^)他人に強要しなければ、ですが、各々の言論思想の自由を認めてやってもらえませんかね?(笑) >>139 他の神々をサタンとしたのは、後の世の信者じゃないの? イッサがイエス・キリストだという説が本当なら、キリスト教と仏教は無縁ではない >>139 だからキリストが説いたのは唯一神ではないってば。 キリストが説いたのはあくまで「父と子と聖霊」の三柱、それを「三位一体」としたのは後の人。 しかも預言者でもなければユダヤ人でもない。 >>1 の答えは「日本は大乗仏教だから」で終わってるよね 一般人には納得し難い独善教理主義なんだから好きにすればいい なぜ大乗仏教の信者はお釈迦様の戒めを守らなかったの? 大乗は非仏説なので仏教ではありませんw 胡散臭い連中がでっちあげたものですw 特に般若経信者と法華経信者はカスが多いw Googleで検索したら 大乗仏教の虚偽!!偶像崇拝は、釈尊の教えではない!!仏教徒ならば、第一本尊は、釈迦如来とすべき!! 大乗仏教の仏は、全て他宗教からの流入などである! とか書いてあるHPがあった、と、思ったら既に削除したのか見られなかった。 大乗仏教を誹謗したところで何も起きないw 大乗は非仏説であって仏教ではないからだw 大乗はカルト新宗教なんだから破戒でもなんでも好きにやればいい ただ仏教を名乗るのをやめろ 非仏説、つまり法じゃないものを謗ることに何の咎も無い そもそも往生という発想がカルト 大乗思想が無意味な相手にも大乗思想をゴリ押している!対機説法とは???wwww 大乗経典は釈尊の教えではない。 として、大乗仏教は仏教ではない。 とするならば、 その人は、釈尊の死後四百年程で作られた初期の経典の信者となる。 而、その初期の経典にも、幾つかの不思議な記述があるが、彼らは是を信じて守るのだろう。 当然、三衣一鉢で糞蔵衣を着て托鉢をしてウアンゴも守っているのだろう。 つまり、釈尊の教えではなく、初期経典の信者となり、某宗派系列と同じ立ち位置となる。 大乗仏教は、一部の怪しい宗派系列もあるが、三宝に帰依してそれなりの法脈で継承されてきたものなので、 現実問題として、社会的には此方が仏教であり、前者は単なるマニアという位置付けになる。 思想の自由は保証されているので、何を信じるかは自由だが、其を論拠に他者を否定するのは、これは仏教というものを全く理解してない、というか一般常識すら判ってない事になる。 >>101 でスッタニパータから引用した記述でも、無益な語句を千度語るよりも云々とある。 また、真言宗の教主は釈尊ではなく大日如来であり、 華厳は盧遮那仏。 これに釈尊の法でないから仏教でない、とするのは筋違いとなる。 また、釈尊のみを仏陀とするならば、釈尊が他の仏陀について説かれた事をも否定することになり、自家撞着となる。 (^。^)まあ、実態としては初期経典の教えも知らず、戒律もマトモに守ってないナンチャッテ似非仏教徒の連中が、大乗仏教否定しているだけなので、自らを神仏だと詐称してる人と同じように扱うだけ。(笑) >>153 こうやってご都合教理で自己正当化しかしないから檀家も人心も離れていくんだよ それを続けて勝手に滅びてくれ キリストが他の宗教を否定した、みたいな的外れな事を言ってた人が何言っているんだか。 本当に仏陀の教えを理解しているなら、人を見下すことは無いはず。 何人か「キリスト教」が「キリスト」に見えてる方が居ますね。 (^。^)明日は我が身よ、桑原桑原。(笑) >>146 仏像ですか? 方便ですよ、方便。 シャカの教えは、衆生を正しい方向に向けさせるところにその意義があって、形式的になぞることにその意義がある訳ではない。 >>157 ダンテの神曲だと、ムハンマドが地獄の業火で焼かれてますからね。 まぁ、そういうことなんですよ。 >>157 >>141 を無視するから、そう思われるのですよ。 >>157 悪いのはキリストではなく後のキリスト教徒事だという事を理解してくれていて嬉しい。 石原慎太郎が氏にましたね。 忘れちゃいけない、新銀行東京😡⚡ ちなみに、小説ならジャック・ケッチャムの「隣の家の少女」が好きですよ、わたしは☺ ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神を信じているから、偶像崇拝禁止が共通なのは分かるが 仏教や神道まで偶像を作らなかった(仏像が伝来した影響で神像を奉っている所も有るが)となると偶然とは思えない こんなホームページを見つけた 偶像崇拝を強要し、輪廻転生はあると嘘をついた「釈迦」は、悪魔崇拝者だったのか。 https://rapt-neo.com/?p=26253 お釈迦様は逆に偶像崇拝を戒めているし、輪廻転生もお釈迦様の教えではないのに…… お釈迦様のいた時代のバラモン教も彫像を造らなかったような。 インドにおいて仏像が造られるようになったのはヘレニズム文化の影響だと 高校の世界史で習ったような。 またスリランカをはじめ南方の上座部仏教国でもお釈迦様の彫像が造られているから。 梵天勧請の彫刻を見ると、初期の物は梵天・帝釈天等は人の姿になっているが お釈迦様がいるべき所だけは太陽などであらわされ、人物像になってない。 まず糞蔵衣は糞掃衣ではないですか!? まぁー、宗派によってはうんこを着物に溜めるのが修行っていうところもあるのかも知れませんが。 で、お釈迦さんの直説が最もよく保存されている文献が初期経典だと考えるのが普通だと思いますよ。 そしてそう考えるひとがいたとして、そのひとがなぜ「三衣一鉢で糞蔵衣を着て托鉢をしてウアンゴも守」らなければならないのでしょうか!? 初期経典の中のお釈迦さんの言行に信を置く在家信者がいてもおかしくないと思いますが。 大乗仏教が非仏説であるかどうかは置くとして、明治政府が仏教僧侶の戒律違反に対して国法によって罰することはしないと布告するまで実態はさておき大乗仏教の僧侶も戒律を守っていましたよね。 で、罰せられないとなったら破戒行為のやりたい放題。 国家に罰せられるかどうかで大乗仏教の内実は一変するような類いのものなのですか!? 恐らくこのスレッドに書き込んだり閲覧している多少とも仏教に関心を持っている一般人はみんな疑問を持っていると思いますよ。 そういえば、最近ある伝統宗派の僧侶のブログをたまたま読んだのですが、その僧侶は釈迦の小乗仏教に比べれば我々の大乗仏教はおおらかで戒律なんかには拘泥しないといった趣旨のことを書いていました。 一般人が大乗を錦の御旗にする僧侶に反感を持つのはこれなんですよ。 大乗を盾にして破戒行為でもなんでもやりたい放題しているって真面目に仏教に関心のある人たちは思っていますよ。 大乗仏教の中の祖師たちだって空海にしろ道元にしろ破戒行為には厳しい態度をとっていたはずです。 「三宝に帰依してそれなりの法脈で継承されてきたもの」をズタズタにして足蹴にしているのは明治時代以降の大乗、大乗と連呼している、当の大乗の僧侶ではないですかね。 「一般人は社会的に仏教を必要としている!」 墓や葬儀を人質に取っておいてよく言うよな より多くの檀家に恨み言吐かせた坊主が成仏できるシステムなんか? >>2 >>15 してる しかしヘレニズムの頃に最初の仏像は作られた れいはい【礼拝 worship】 一般に,信仰対象や人格対象に対して信順・帰依・感謝の気持をあらわす行為。仏教では〈らいはい〉と読むことが多い。 『岩波仏教辞典 第二版』より 礼拝(らいはい) 仏・菩薩や祖師、尊宿(年長、高徳の僧)など、人格的対象にたいして 低頭・合掌し敬礼すること。 (中略) インドのヒンドゥー教では、生ける王に仕えるように神像に礼拝するから、 もてなしの意味で香・花・水・食事、時には舞踏を捧げる。 仏教も仏・菩薩像などの礼拝にこの習慣を受けついでいるが、 像崇拝の意味は同じでなく、像を通して法とその働きへの礼拝が主で、 像そのものの礼拝ではない。 ガンダーラ仏教彫刻研究の大家であるアルフレッド・フーシェの見解によると、 バラモン教においては偶像崇拝を行うという考え方自体が存在しなかったという。 また『スッタニパータ』第五章にこのような文がある。 1076 師は答えた。 「ウパーシヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。 かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、彼には存在しない。 あらゆることからすっかり絶やされたとき、あらゆる議論の道はすっかり 絶えてしまったのである。」 (中村元訳 『ブッダのことば』岩波文庫) 『スッタニパータ』では、釈迦牟尼仏陀は、生物、人、神など生きとし生けるものを 越えた存在で、我々が通常知覚できる制限された現象の世界を越えた、 我々の目に見ない存在であると述べている。すなわち、涅槃に入った釈迦牟尼仏陀を 不可視化していたと考えられる。 紀元後100年前後にガンダーラまたはマトゥラーのいずれかの地域で 仏像が制作されていくが、仏像制作の理由を経典に求めると、 『道行般若経』に、釈迦牟尼仏陀が涅槃した後に、仏のことを思念して 仏像を制作したが、その目的は在家仏教徒に仏像供養によって、 功徳を得させることであると述べられている。 また『増一阿含経』巻第二八では、仏陀が仏像を制作した時に得られる 福徳によって、悪趣に堕ちず、天上に生まれると説かれている。 つまり仏像が制作された理由は、在家仏教徒が仏像制作による功徳を得て、 生天に代表される果報を得るという実利的な目的なものであったと考えられる、 と論じているのが、以下の論文。 見えない仏陀から見える仏陀へ -仏陀可視化と仏像の起源について- 田辺 理(著) 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 (4), 291-301, 2016-10-21 https://ci.nii.ac.jp/naid/120005983764 『道行般若経』についてはこちらが参考になるかと 大乗仏教とガンダーラ : 般若経・阿弥陀・観音 辛嶋 静志(著) 創価大学国際仏教学高等研究所年報 (17), 449-485, 2013 http://iriab.soka.ac.jp/publication/aririab.html 仏陀入滅以後に始まった仏舎利信仰、仏塔信仰などと同じ流れうちに仏像制作があった と考えると、南伝した上座部仏教にも受け継がれていったのも納得できるかと思った。 >>174 お釈迦様が神を超えた存在とは思えない。 梵天勧請のエピソードも、見方を変えれば梵天(ブラフマー)に命令されて布教を開始したともとれる。 仏陀が禁止した仏像制作が、功徳を得るためになるとは思えない。 教行信証 化巻 55 http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E5%8C%96%E5%B7%BB 「釈尊は、念仏の功徳がすぐれていることを明らかにしようとされ、まず念仏以外の善を劣ったものとしてわずかな功徳しかないといわれる。 布施をし、戒律をたもち、あるいは寺を建て、仏像をつくり、仏を礼拝し、経を読み、または座禅をし、懺悔し、苦行するなどのすべての善は、 もし正しい信がなかったなら、そのような善によって浄土に往生しようと願っても、みなわずかな功徳しかなく、往生の因ではないのである。 もし、『阿弥陀経』の教えにしたがって念仏するなら、間違いなく往生するであろう。だから念仏は多くの功徳があると知ることができる。 かつて、わたしはこのような解釈をしたが、世間の人はなお疑って信じなかった。 しかし最近、襄陽の石碑に刻まれた『阿弥陀経』の文を見たところ、わたしの解釈と見事に一致しており、そこではじめて深く信じるようになったのである。 その文には次のように説かれている。 <善良なものよ、阿弥陀仏について説かれるのを聞いて、心を乱すことなくただひとすじに名号を称えるがよい。名号を称えることにより、あらゆる罪が除かれる。すなわち念仏は多くの功徳をそなえて行である>」 >>158 方便を堕落の正当化に使いだしたのが大乗仏教 嘘も方便! 破戒も方便! 偶像崇拝ももちろんOK!方便方便! >>178 古代インドにおけるバラモン教において、偶像崇拝を行う考え方 自体がなかったとするフーシェなどの説がありますが、 仏陀が自らの姿を模した彫像を制作することを禁止したとする 経典の文言はどこにあるのでしょうか? 仏像制作による功徳は『増一阿含経』に説かれていますし、 仏像制作は南伝した上座部仏教においても行われます。 インド地域外の文化から影響を受けて仏像制作が始まったことは >>176 であげたような様々な研究から理解することが出来ますが、 仏像制作自体を全否定してしまうと、現在に伝わる全ての仏教教団を 全否定することになるような。 >>181 まるで、全ての仏教徒が仏像を崇拝している様な考え方ですね。 >>182 仏像を崇拝することについては>>173 であげた『岩波仏教辞典 第二版』の解説をどうぞ。 少なくとも僧伽を支える在家信者にとって仏像は信仰の拠り所といえるでしょう。 そして仏陀が仏像制作を禁止したという経典の該当部分はどこでしょう? >>183 お釈迦様が自ら残した経典は存在しない事はご存知ですよね? 逆にお聞きしますが、『増一阿含経』はどなたが記した物なのでしょうか? お釈迦様が「私の姿を拝んでどうしようというのか」 と弟子を戒めたというエピソードは有名だと思いますが。 梵天勧請の場面を刻んだ彫刻も、梵天等の像は刻まれているのにお釈迦様がいるはずの部分“だけ”が太陽などで置き換えられている事からも 当時像そのものが存在しなかったのではなく、お釈迦様の像だけが存在しなかった事は明らかでしょう。 >>184 お釈迦様が「私の姿を拝んでどうしようというのか」 と弟子を戒めたというエピソードは有名だと思いますが そのエピソードは経典のどこにあるのでしょうか? ひょっとして『スッタニパータ』1076の伝言ゲーム? それが偶像崇拝という考え方すらなかった古代インドにおける 仏像制作の禁止となるのでしょうか? 紀元後100年前後にガンダーラまたはマトゥラーなどの地域において 仏像が制作されていきますが、それまで仏像がなかった理由として 考えられることを>>174 にあげているのですが、いかがでしょう。 不可視化されていた仏陀の姿が可視化されていく過程について 論じられた田辺氏の論文(>>176 )を私は興味深く読みました。 辛嶋氏の論文によると『道行般若経』の編纂者は仏像制作に対して 消極的な立場であり、仏像制作は無仏の時代における在家信者の為の 方便であるという考え方であったと、これまた興味深い。 >>185 ではお釈迦様の像が制作される前の時代に、梵天や帝釈天の像が存在した事はどう説明されるのでしょうか? あの世で仏様に褒められるのは、仏像を崇拝した人か、それともしなかった人か >>186 北インドのバールフットや中インドのサーンチーの彫刻では、釈迦牟尼仏陀を 人間の姿ではなく、象徴的表現を用いて表していました。 しかしながら釈迦牟尼仏陀以外の精霊、ヤクシャ、ヤクシニーなどは人間の 姿で表されています。 よって彫刻制作者が仏陀を人間の姿で表現する能力が無かったわけではなく、 あえて象徴的表現を用いたことにどのような意味があるかと田辺氏の論文で 論じられている一部が、>>174 で提示した内容。 釈迦牟尼仏陀は、生物、人、神など生きとし生けるものを越えた存在で、 我々が通常知覚できる制限された現象の世界を越えた、 我々の目に見ない存在であると捉えられていた、つまり仏陀の不可視化。 これが紀元後100年頃から仏像制作、つまり仏陀の可視化が始まり、 現代に至るまで受け継がれていると。 >>177 でも書いていますが、お釈迦様は梵天の命令で布教を始めたという考え方も存在します。 キリスト教で言えば梵天が神でお釈迦様は預言者という事になります。 那羅延天の化身であるクリシュナの伝説と、新約聖書のキリストの伝説にいくつもの共通点がある事はご存知でしょう。 そう考えるとお釈迦様が偶像崇拝を否定していても何の不思議もありません、むしろ当然の事です。 お釈迦様自身を拝んでいけないなら、当然仏像を拝んでもいけないわな 釈迦は悟りへ至るのを妨げることや無意味なことはやめろって一貫して伝えてるんだよな 偶像製作や偶像崇拝で悟れる訳がないんだからやっちゃダメなんだよ それをああだこうだと屁理屈をつけて正当化している連中は最初から悟るつもりなんか無くて、釈迦の威光を利用して自らのカルト教を広めたいだけ 個人的には>>118 が気になっています。 これが事実なら仏教もキリスト教も関係ないですから……。 >>190 それで仏陀が仏像制作を禁止したという有名な話の典拠はどこに? 具体的な経典名は? 個人的には『スッタニパータ』1076の伝言ゲームのなれの果てだと思っていますが。 「拝む」という日本語には様々な意味があるからな。 右繞や五体投地は仏教の専売特許ではないけど、仏教でも大事な行為だからな。 「南無」の元となった“namas”の基本的な意味は「頭を下げること」だからな。 「弟子が師匠に対して礼をすることはない」という文化の人がこのスレに来ているのかな? 釈迦滅後に仏塔(ストゥーパ)信仰が始まったのだが、それもまた仏教ではないと? 仏像制作が始まった時代のガンダーラ地域において編纂された『道行般若経』に 仏像制作は無仏の時代の方便に過ぎないとする考え方が出てくるのが大変興味深い。 そして仏像制作が南伝して現在も上座部仏教圏で受け継がれていることも。 >>196 最近の研究で、と何かで言ってたよ? 誰のどんな研究かは知らないけど 少なくともお釈迦様は仏像を作れとは言ってないよね? ストゥーパや菩提樹や法輪は、お釈迦様の姿をしていないから良いんだよ みなさん出典元へのリンクアドレスを貼って会話したほうがいいですよ それも、学者の主張や個人のブログではなくて、きちんとした教団が正しく伝えている原典への直接リンクです そうしなければ仏様の言葉ではない邪道の主張を広めてしまう罪を犯しかねない 個人の主張をああだこうだと書き込んで、己の正当性をアピールするのは、ただの我欲です 記憶違いや曲解による勘違いまで「これが仏様の教えだー」と広めてしまう危険が高い だからほんと繰り返す 信憑度の高いアドレスを貼って会話しましょう 仏像を制作する事が功徳になるなら、お釈迦様は「仏像を作れ」と教えたはずです。 実際はお釈迦様の死後約500年仏像は作られませんでしたよね? >>199 仏教には信頼出来る経典という物は存在しません お釈迦様やその弟子達が直接書いた経典が無いからです >>186 >ではお釈迦様の像が制作される前の時代に、梵天や帝釈天の像が存在した事はどう説明されるのでしょうか? 仏陀は輪廻から解脱した存在で不可視である故に象徴的表現を用いて表し、 天・人・動物は輪廻する存在なので普通に表すことが出来たと。 輪廻するかどうかで仏陀と梵天・帝釈天などの天とでは全く違いますね。 またバラモン教徒による神々への信仰のあり方と仏教徒によるそれとでは違いますし、 ヒンドゥー教において盛んに神像が制作されるようになったのは、グプタ朝の時代。 仏陀は在家信者向けに仏塔供養を説いた表現が『涅槃経』などにありますが、 仏陀自身のことを菩提樹などの象徴的表現にしてから拝めとは言っていないような。 >>200 仏教では輪廻から解脱することを目指しますが、解脱した存在は 『スッタニパータ』1072にあるように、通常知覚できる制限された現象の世界を 越えた不可視の存在と見做されていました。 それがインド地域の外から入った文化により彫像制作がはじまり、 仏陀の可視化が始まったとするのが田辺氏の論文内容(>>176 )。 象徴的表現であれ、仏伝図には釈迦牟尼仏陀の姿が表されています。 しかしながら仏像であれ、象徴的表現であれ、釈迦牟尼仏陀を拝むことによって 直ちに解脱が得られるとはどこの経典にも説かれていません。 それは『増一阿含経』第二十八であれ、『道行般若経』であれ同じ。 仏教における礼拝の意味については>>173 にあげた『岩波仏教辞典 第二版』を 参照してみたらどうでしょう。 >>200 とりあえず>>125 を読み、この世界には釈迦如来以外にも神様の御言葉をこの世に降ろす預言者がいるという前提でものを考えよう そして、そういった預言者がこの世で神様のために働くと、大抵は殺されてしまうそうだ。主に聖書に書いてある だから、神様から何らかの正しく新しい教えを受けた預言者が、それを各種の教団組織に伝えても、その法が広められなかった危険がある そのくらいの警戒心を抱き、各種文献を調べてほしいものだね そして>179の通り、1100年頃の元照律師の御言葉にも、釈迦如来の御言葉と同じ程度の権威があるという前提で検証する慎重さを持とうか >202-203 何度も何度も繰り返すが、原典がUPされているサイトへのリンクを貼ろうか どこぞの出版社が本を売る目的で集めた情報ではなくて、ネットで誰でも無料でアクセスできるようにされている情報のほうが混乱を生まない そういう行為をする者には「徳」があるので、そういった者の言葉は信頼できる しかし本を売って情報を残そうという者には「貪りの欲」が宿っているので、どうしても派手な演出が含まれる。そのため危険が増す あなたは「自分の情報こそが唯一正確である」という自己主張を控えたほうがいい >>203 輪廻転生はお釈迦様の教えではありません。 >>204 >>179 は、仏像を作る事にも功徳が少しはあるとも受け取れるので、私には信用できません。 >>204 こうやってすぐ他宗教や現地風俗を取り入れてツギハギ法体系を作るから釈迦の教えから遠のいていく それも方便だからOKだいじょう仏教wwww >>205 大乗仏教に加えて上座部仏教まで否定される方でしたか。 そういう信仰をお持ちなのですね。 「お釈迦様が自ら残した経典は存在しない事はご存知ですよね?」(>>184 ) と述べる方は、何を以て「お釈迦様のことば」とされるのだろうか? 「釈迦は仏像を作る事を禁止した」というスレタイの内容が説かれた 「お釈迦様のことば」はどこにあるのだろう? 歴史上の人物である釈迦が実際に説いた教えかどうかは関係なく、典拠を知りたいだけなのに。 そして「〜することは出来ない」(不可能)と「〜してはいけない」(禁止)とは違うよな。 富士山を絵や写真で表そうとしてもその本当の美しさを表すことは出来ない。(不可能) 富士山の美しさを絵や写真で表してはいけない。(禁止) >>179 (旧約聖書より) あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。 >>209 その文献へのリンクすら貼らないコピペ行為で主張したいのは、 「教行信証の否定」ってことでいいんだよね きみはようするに、仏教は多神教で仏像を崇拝しているが、キリスト教は一神教で像を作ることを否定しているので、どちらも相容れない! という考えを主張したいのだが、文章をタイピングする能力や知性が無いために、そういった意見を書き込めない ということだよね 神様が「唯一神」であり、正しい唯一神様の元への道は、複数用意されていると考えると全て説明がつく 現代に例えると、本社事務所が全てを統括して、多数の営業所があるようなもの つまり本社が唯一神様で、営業所がキリスト教や仏教などなど 営業所ごとに「像を作って良い」「像を作ってはダメ」とルールが違うのは当たり前。各所を競い争わせて成長をうながすのも本社の計画のうちと考えるべきだね >>209 申命記ですか? 旧約聖書の規定持ってこられても困りますね😅 >>211 キリスト教が本当に一神教なのかどうかは別にして、 その例えで言うなら、本社が決めたルールはどの支社も守らなければいけませんよね? そのルールの一つがが偶像崇拝の禁止だとは考えられませんか? ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は当然として、仏教・神道でも初期は偶像崇拝をしなかったのですから。 >>213 律法は神様により「更新」されることが多々あります 聖書でいうと、旧約聖書の時代に食べてはいけないとされたものが、新約聖書で食べても良いとされたことなどがある 分かりやすいのはペテロの元に天から「食べてはいけないとされている」食材が降りてきた時の話などです 使徒の働き10章9−16節 https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E4%BD%BF%E5%BE%92%E3%81%AE%E5%83%8D%E3%81%8D%2010& ;version=JLB そして神道でも「日月神示」という預言書には、仏像はきちんと拝むべきだが、偶像崇拝は止めるべきという記述がしっかり載っている https://hifumi.tomosu.link/all.html 日月神示空の巻第十四帖 日月(一二)大神、キリスト大神、シャカ大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、すべて十柱の大神は、光の大神として斎き祀り結構致しくれ 日月神示夏の巻第十九帖 形ある世界では形の信仰もあるぞ。偶像崇拝じゃと一方的に偏してはマコトはわからんぞ。 日月神示黒鉄の巻第十八帖 偶像は排すべし。十像は拝すべし。悪に行く理はないぞ 日月神示月光の巻第八帖 皆々釈迦ぞ、キリストぞ。もっと大き計画もちて御座れ。着手は出来る処からぞ。つかめる所から神をつかめよ。部分からつくり上げなされよ。 日月神示黄金の巻第六十九帖 大き一神を信ずるまでには、部分的多神から入るのが近道。大きものは一目ではわからん 日月神示夏の巻第十五帖 一神説いて多神説かんのも片端、多神説いて一神説かんのも片端、一神則多神則汎神である事実を説いて聞かせよ。 日月神示補遺 月光の巻 第二十三帖 他の宗教に走ってはならんと言う宗教もそれだけのもの。わからんと申してもあまりであるぞ。 同じところに天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのぞ。 同じ部屋に他の神や仏を祀ってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのじゃ。 あなたはようするに「偶像」と「仏像」の区別がついていないんでしょ そういった時こそ日蓮聖人の「三証具足」ですよ 預言が当たった文献を見つけて、それに従うように心がけるのが、最も神様の御考えにかなった行動といえます こんなのを発見 インド人仏教徒は何故、仏陀釈尊像を創らなかったのか? --布施と生天思想と仏陀無き仏伝図 田辺 勝美(著) 南アジア研究 (22), 234-244, 2010-12 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasas/2010/22/2010_22_234/_article/-char/ja/ この論文において仏像制作に対して否定的な経典の例があげられている。 例@ 『十誦律』巻 48(漢訳5世紀):仏身像の如きは応に作るべからず。 願わくば、佛の我(給孤独長者)に菩薩侍像を作ることを聴したまわば善からん (『大正蔵』23、352頁上:禁止を意味しない、仏像不表現の現状を述べたにすぎない。 侍像は時像の誤記とす、Li-Kouang 1949:97, note 2)。 例A 『増一阿含経』巻 21(漢訳4世紀後半):如来の身は造作すべからず、 諸天の及ぶ所にあらざればなり(『大正蔵』2、657頁中:超人、超神的存在)。 例B パーリ本『長部経典』巻1「梵網経」73:如来の体が存続している間は、 天人も人もそれを見る。身体が滅んで命が終わった後、天人も人も見ることはない [森・浪花 2003: 55、Rhys Davids &Carpenter 1975:46]。 古代インドの原始仏教、部派仏教などの布施観からは、人間の姿をした釈尊像を製作したり、 所持する必要性が生じる蓋然性がほとんど無かったとするのが論文の内容。 これまたなるほどなと興味深く読んだ。 >>214 確かに、キリストが十字架にかけられて以降燔祭をする必要がなくなった等、旧約聖書と新約聖書には様々な違いが存在します。 一番の違いは一神教から三神教にかわった事でしょうか。 しかし、当たった予言が必ずしも神からの啓示とは限りません。悪魔が神を装った可能性もあります。 ですから「当たったからこれは本物の預言だ」と決めるのは要注意です。 ちなみにお釈迦様は、いずれ自分の教えが必要なくなる時がくるといった趣旨の言葉を残したそうですが、それも新しい預言者の出現を意味しているのかも知れませんね。 >>216 悪魔が神様を装うというのはおっしゃる通りだと思われます 日月神示にも「早う申せば邪魔入る」とはっきり記されている これは唯一神様にとっての敵がいるということの証明でもあると考えられます そこでとりあえず>>68 のスレをしっかりと読み込んでいただけないでしょうか 日経平均株価にアララト山の山頂が描画されている https://egg.5ch.net/test/read.cgi/shugi/1559972671/ とりあえず、このレベルの神業になると「早く申す」ことはしていない規模の話であると受け止められるはずです それと以下のスレも読み込んでおかれると理解が早まると思われます 聖書の記述と近年の出来事の一致点まとめ https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1535780005/ 聖書以外の経典も含めた凶兆まとめ https://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1509676391/ トランプと安倍晋三の悪行と、聖書の悪人の記述の類似性についてわかりやすく比較 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1567311910/ 予言と言えば、今年中に大地震が起きて天皇陛下が京都に移られると主張している方がいますが、どうなるでしょう? 久しぶりにこのスレに来て見ればお釈迦さんの話なのに縁も所縁もない旧約聖書や破戒坊主の書いたインチキ仏教のインチキ聖典『教行信証』が乱れ飛んでいて目眩がするわ!!www お釈迦様が預言者だとしたら、旧約聖書と無縁ではありません。 お釈迦さんが預言者ってどこの経典に書いてあるのか教えてください。 それと預言者の正確な定義も教えてください。 インチキ仏教の浄土真宗がキリスト教にそっくりなのは当たり前ですよ。 なぜなら浄土真宗は明治維新後に教義をわざわざキリスト教よりに解釈しなおしたからです。 そしてそのことが忘れられた戦後になって親鸞の教義がもともとキリスト教に似てると言い出したんですよ。 詐欺師の手口です。 浄土真宗に西洋式の聖歌みたいなもんがいっぱいありますが明治時代以降に作ったキリスト教の讃美歌のパクリです。 調べてみると笑けて死にそうになりました。www >>222 預言者は神の言葉を預かる者。 梵天勧請のエピソードが、梵天という神とお釈迦様が会話できた証拠だという考え方です。 >>223 元々パクリまみれで諸宗教のキメラになった大乗仏教がキリスト教をパクリ足すのは当然の帰結 発展!!これ仏教発展だから!!wwwww >>214 の「日月神示」について追記しておくけど、この預言書は本物であると考えられています 理由は「第二次大戦でロシアが日本を攻める」「桜の早咲き」「息のできない病気の大流行」などの未来を言い当てているためです 桜の早咲きについては>217の以下のスレのレス番号5.6.7をお読みください https://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1509676391/ 病気とは当然、新型コロナの肺炎を意味している。神示のページでキーボードのctrl+fを押し「大き呼吸もできん」「わからん病」で検索しましょう これにより日月神示は日蓮聖人がおっしゃった「三証」を具足していると判別できる そして神示には「日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ、この道でたま入れて呉れよ」という記述があります。検索しましょう 「たま入れて呉れ」とあるため、この一文は日蓮・親鸞・耶蘇(キリスト教)への激励であると受け取れます そしてそれは同時に、親鸞聖人が警告された「末世には九十五種の邪教がはびこっている」が実現している状況下にあるという前提で警戒するべきです ちなみにとてつもなく分かりやすい邪教の参考例 https://blog-imgs-61-origin.fc2.com/s/p/i/spiruna/20130818183731f0c.jpg 釈迦如来や天照大神様よりも上を自称する仏教。こういのが邪教といい、放置されている状況を末世という このように仏教といえども教えが滅茶苦茶で、正しい教えは少ないという状況になっていると考えましょう こういった裏付けから、日蓮聖人と親鸞聖人への謗りは、後でとても後悔することになると考えられます なので軽率な書き込みは控えましょう そしてキリスト教=聖書の預言が正しいということは、>>217 に証明をまとめました そしていずれ読解に成功する者のために、先回って言っておきます 東京五輪は悪魔バアル崇拝ですよ。コロナの責任は日本にあり、日本には唯一神様が実在しておられます きっちり>67-68に書いたというのに、スルーしてしまうほど、罪障が深く病んでいるということを受けとめましょう 札幌五輪の誘致に関わったりしている宗教団体に進言可能な方は、止めるために動いておきましょう 参考テキスト ブリタニカ国際大百科事典 https://www.britannica.com/topic/Baal-ancient-deity Baal=バアル → バビロニア語Bel=ベル → ギリシャ語Belos=Zeus → 日本語ゼウス バール(バアル)について記載された文献あれこれ http://www5.cncm.ne.jp/ ~ryuji-t/kenkyu/baal.htm 町の両区域ともその中央に囲いがあり、一方は壮大堅固な壁をめぐらした王宮であり、他方は「ゼウス・ベロス」の青銅の門構えの神殿である。 「ベロス」はバールのギリシア的転訛で、ゼウスと同一視して、「ゼウス・ベロス」となっている。 >>204 シャカの教えが神の御言葉? 意味不明🤷♀ シャカが預言者? 意味不明🤷♀ シャカの教えを聖書で補充? 意味不明🤷♀ このロジックであれば、むしろアレイスター・クロウリーの法の書の方がシャカの教えと親和性がありますよ。 >>228 教行信証 化巻 71 http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E5%8C%96%E5%B7%BB 言葉に依って教えの内容に依らないのは、人が月を指さして教えようとするときに、指ばかりを見て月を見ないようなものである。 その人は、≪わたしは月を指さして、あなたに月を知ってもらおうとしたのに、あなたはどうして指を見て月を見ないのか≫というであろう。 これと同じである。言葉は教えの内容を指し示すものであって、言葉そのものが教えの内容であるわけではない。このようなわけで、言葉に依ってはならないのである。 「天国」って単語にたくさんの言い換えがあるのは分かるよね 「預言者」も僧、「神」も仏と、いくらでも言い換えられることに気付こうか そして内容を重視するべきだね >>229 その喩えは有名だけど、キミの場合その指が月ではなく、明後日の方向を向いとるよ。 僧→預言者? 仏→神? いずれも、言い換え不可だ。 主が、80歳で死ぬかね? そもそも、シャカは主の様な絶対者の存在を否定している(自灯明・法灯明) 対して、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった一神教は主(エホバ・アッラー)の奴隷になることが求められる教え。 対して、上述したアレイスター・クロウリーの法の書は「すべての男女は星になる」と新たなアイオンの到来を述べている。 いずれが、仏教とより親和性が高いか一目瞭然。 もちろん、敢えて言えばだけどね。 >>230 釈迦は実は梵天に祈りを捧げていたという説もあります それに釈迦は神を否定したのではなく、まだ肉体を持っていない存在だという意味だという説があります 仏という字のムの部分の意味は「私有する」で、「私は有りて有るもの」と共通します >>231 いずれも、「説もある」と言うことは通説という訳でもない。 まぁ、弱いよね。 最近の研究で分かってきた事らしいので、まだ通説にはなってないのでしょう。 もっとも通説になるとお釈迦様の信者からの反発も予想されますので、どうなるか分かりませんが。 >>233 いずれにせよ、啓示の宗教の教義持ち出すのはナンセンスですよ。 https://books.google.co.jp/books?id=0byjCwAAQBAJ& ;pg=PT237&lpg=PT237&dq=%E2%80%9C%E9%87%88%E8%BF%A6%E2%80%9D+%E2%80%9C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%BC%E2%80%9D&source=bl&ots=TjyH3r7MuR&sig=ACfU3U3-EbRbJlvoCLgkaKNJQCepd60Pvg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjtzvGHve31AhVDct4KHRTODS4Q6AF6BAg-EAI#v=onepage&q=%E2%80%9C%E9%87%88%E8%BF%A6%E2%80%9D%20%E2%80%9C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%BC%E2%80%9D&f=false 言ったか言ってないかなど分かるわけがないではないか。心中で佛と交流して良いと思えばそれが答え。やめようと思ってもそれが答え。悟りに至る道は仏像で左右されるものでは無い。 >>217 ユダヤ教とイスラム教は一神教だがキリスト教は元々は一神教ではない、三神教。 >>242 その手の言葉遊びはいらない >>229 に従おうか というか実践できていないようだから噛み砕いて説明するけど、 単語の細かい意味に固執しないで、文章全体が持つ意味を把握しよう 例えば 「カラスが空を飛んでいた」「クルックーと鳴く鳥が空を飛んでいた」「羽根のある生命体が空を飛んでいた」 これら全部を、不都合が生じるまでは「空を鳥が飛んでた」と解釈して読み進めろってこと 後になってカラスとハトの違いを厳格に分けて理解しなければならなくなったら、その時に改めればいい 「羽根のある生命体」が実は「ハエ」であると判明したら、そこで初めて頭の中で意味を置き換えればいい とにかく細かい意味に執着するな そういう者は比喩をちっとも理解できなくなり、海外の文献の誤訳に無警戒になってしまう その結果、BaalがZeusになり得ることすら理解できなくなる >>243 キリスト教だけじゃない。 日本では造化三神、三貴子、○○三尊、ヒンズー教ではシヴァとヴィシュヌとブラフマー等の例がある。 キリストの教えはあくまで「父と子と聖霊」の三柱、三位一体は後の世に会議で決め付けられたにすぎない。 >>244 会話が成立していないぞ そうやって単語に執着し過ぎてしまうことが悪いことであり「頑固」「盲目」「聾唖」という病気なんだって 全ての経典には誤読、誤訳、スペルの変化、口伝の一部失敗といった部分がある前提で向き合い、単語に執着してはならない 全部頭の中で「神様」「仏様」として扱っておき、 言葉を厳格に定義する必要性が生じたら、そこで名詞を正確に特定する作業を進めればいいだけ その手の「固いことは気にしないでほしい」という前置きは、聖書にもしっかり述べられている http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col& ;book=sir&chapter=1&mode=0 われわれは苦労してこの本を訳したのですが、表現が適切でないと思われる場合は、なにとぞご容赦ください。 原著にヘブライ語で書かれている表現を他の言語に飜訳してしまうと、同じ意味にはならないのです。 この本だけでなくギリシア語聖書ですら、ヘブライ語聖書で表現されているものといくつか相違があるのです 「カラスが空を飛んでいた」を比喩とした場合「黒いグライダーが空を飛んでいた」に変換可能 「クルックーと鳴く鳥が飛んでいた」を比喩とした場合「ハトの鳴きまねが上手なオウムが飛んでいた」に変換可能 このように、言葉の意味を特定しようとしないで、 文章全体の可能性を広く警戒して、思考を柔らかく構えるようにしてくれないかな 数千年前の経典に記された神様の名前に頑固にこだわるのを止めて、経典の内容を現在に活かすように心がける そういう者でなければ>>217 は読解できない 読解できない者というのは比喩=言葉の置き換えを受け入れようとしない頭の固い者であり、そういった者は、ようするに「盲目」で無能な者ということ 有能な者は比喩に明るいというのは、各種経典にしっかり書かれている 日本書紀 巻第三 橿原即位 初めて天皇が国政を始められる日に、大伴氏の先祖の道臣命が、大来目部を率いて密命を受け、よく諷歌(比喩的な歌)、倒語(合言葉・暗号)をもって、災いを払い除いた。 倒語が用いられるのは、ここに始まった。 コーラン 第二章雌牛章 26節 本当にアッラーは、蚊または更に小さいものをも、比喩に挙げることを厭われない。信仰する者はそれが主から下された真理であることを知る。 だが不信心者は、「アッラーは、この比喩で一体何を御望みだろう。」と言う。 かれは、このように多くの者を迷うに任せ、また多くの者を(正しい道に)導かれる。かれは、主の掟に背く者の外は、(誰も)迷わさない。 >>245 誤植の問題ではない、新約聖書のどこに「神は唯一」なんて記述があるんだ? 関係無いが、ノアの方舟がたどり着いたのがアララト山というのは誤訳だぞ? 文化比較ではなくチャンポンを始めるのはカルト教か狂人 相手しても無意味ぞ 「唯一神」に固執して、キリストの教えを誤解しているのはどっちなんでしょうねぇ。 前にも書いた通り、キリスト教が一神教にされてしまったのは後の世のニケーア公会議のせいです。 「父と子と聖霊」は決して誤訳でも何でもありません。 >>249 カレーとごはんと福神漬けが乗ったお皿を思い浮かべましょう 「これはカレーだ」という者と、 「違いますよ。なんて無知なのでしょう。これはカレーとごはんと福神漬けという食材ですよ。なんでこんなことを誤解されるんでしょうねえ」という者 どちらが>>245-246 に適った生き方をしているのか、よくよく考えるべきだね >>250 新約聖書を読めば、イエス(子)が父と呼んでいる神がイエスとは別人なのは明らかです。 それをどうして同一神だと決めつけるのですか? カレーの例えで言えば、カレーとごはんと福神漬けで1つの料理を構成します。 しかしそれぞれは独立した物です。 「父と子と聖霊」も三柱で1つの“神界”を構成しますが、同一神ではありません。 >>251-253 ここは仏教のスレなので、法四依と聖書の両方を尊重しない者は、このスレで聖書について書き込まないほうがいい 聖書の知識を披露したいのならば、キリスト教の専門スレへどうぞ >>250 日本野鳥の会の会員の佐藤さん、鈴木さん、田中さんがいたとして「あ、佐藤さんと鈴木さんと田中さんだ」と言った人に 「違います、あれは日本野鳥の会の会員です」と言っているような物です。 この場合、佐藤さんと鈴木さんと田中さんは同一人物ですか? このスレ立てたの俺だけど、むしろ聖書や他の宗教の教えも書いて欲しい >>257 >>214 と>226にまとめた通り「日月神示」という神道の預言書を強くオススメします そして日月神示では「十柱の大神の教え」というものが推奨されている それぞれの宗教の経典へのリンクは、以下のスレにまとめておきました https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1644289530/ ちなみに日月神示に書かれている人口が三分の一になるという予言は、新型コロナのワクチンを接種した人が死んでしまうのだという説があります。 「三分の一の人民になると、早くから知らせてあったことの実地が始まっているぞ。何もかも三分の一じゃ。 大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎いしずえと致す仕組みじゃ」(『日月神示』「扶桑之巻」第7帖) https://books.google.co.jp/books?id=Qjc1EAAAQBAJ& ;pg=PT142&lpg=PT142&dq=%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%81%AF%E8%87%B4%E5%91%BD%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%8C&source=bl&ots=Db6eEHXm1N&sig=ACfU3U22t_SbR0n1AJfL-NQe_fvAPa1N5w&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwir7aTdlIL2AhWS-mEKHevoBYcQ6AF6BAgmEAI#v=onepage&q=%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%81%AF%E8%87%B4%E5%91%BD%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%8C&f=false ちなみに日月神示にも「三位三体」という言葉は出てくる >>250 何で一神教にこだわるの? 阿弥陀三尊像とか、仏教でも仏様は三体で奉る事多いよ? >>265 >>226 をしっかりお読みください 預言がはっきり当たった「日月神示」という書物で、万教帰一が告げられてます そして神示では仏教も勧められているので、 自然と、仏教の全ての仏様も唯一神様の道につながっていると証明されてます >>266 「冴え渡る《ASUKAのスーパー・インスピレーション》 日月神示ファイナル・シークレット1 上つ巻、下つ巻、富士の巻、天つ巻のCracking the Code」 を読む事をおすすめする、国常立尊が唯一神だという考えが少しは変わるかも知れない 神道には主に2種類ある 1つは物部氏系統、もう1つは秦氏系統 どちらも表向きは多神教だが、実は裏では物部氏系統は一神教、秦氏系統は三神教 なぜなら物部氏の神道はユダヤ教、秦氏の神道はキリスト教を母体としているから >>266 日月神示の「今の三位一体は三位三体ぞ」は、どういう意味だと思いますか? >>269 唯一神様の実在を知るということを、特定の場所に行くことと考えてみてください 飛行機で行く、ヘリコプターで行く、船で行く、電車で行く、バスで行く、車で行く、バイクで行く、 自転車、徒歩と、方法はたくさんあるのが分かるでしょう 「今の三位一体は三位三体ぞ」という言葉は、 例えるなら「地下鉄で切符を買う時にはまずお金を用意しましょう」というような言葉です 切符の買い方を知るというのは、目的を達成するまでの手段のひとつでしかない 徒歩で行けるなら、特に重視するべき言葉でもありません >>270 どうやら日月神示も一神教だと思い込んでいるようで せっかく切符の買い方を教わったのに、行き先を間違っては…… 早く唯一神ではなく、三柱の神様にたどり着く事を願う >>270 日月神示を信じてるなら、なんで唯一神なんて言うの?おかしくない? >274 日月神示で推奨されている「十柱の経典」各種をしっかり勉強しましょうね 以下のスレにおおまかなアドレスを載せてあります https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1644289530/ 法四依については>>95 や>>229 など、幾度も繰り返し教えているでしょ これを理解できないようだから、神示で勧められている別の経典から抜粋しよう ベン・シラの智慧19章24節 少しの聡さありて恐れる者は、多くの知識ありて法を犯す者に勝る コーラン 第三章イムラーン家章 65−66節 啓典の民よ、何故あなたがたは、イブラーヒームのことで論争するのか。律法と福音とは、かれ以後に下されたのではないか。あなたがたは理解しないのか。 本当にあなたがたは、(いくらか)知識のあることに就いて(さえ)論争に陥るのに、どうしてあなたがたは、知識のないことに就いて論争するのか。 子は怪力乱神を語らず (孔子は、怪しげなこと、力をたのむこと、世を乱すようなこと、鬼神に関することについては語ろうとはしない) 法華経 安楽行品第十四 http://james.3zoku.com/pundarika/pundarika14.html 菩薩の付き合いは菩薩に適い、菩薩に相応しいのである。これを菩薩の親近処という。 菩薩は、国王、王子、大臣、官長に近づかない。外道の思想家、世俗の小説家、詩人、また小乗の学者に近づかない。 これらの人々と親しくならない。 また遊興で身を立てるもの、芸人、役者、相撲取りに近づかない。また賎民、屠殺や狩猟や漁を生業とするものに近づかない。 ただし時よろしく、これらの人々に請われれば、法を説くであろう。また声聞乗を求める男女の出家・在家に近づかず、 長居しない。 このあたりの言葉の真意をしっかり検索して学習しましょう ようするに、神様の名前を特定しようと躍起になったり、細かい言葉に執着することは、神罰対象なので控えるべきってことを知ってね そしてこの程度のことすら悟れない愚人と交流してしまうことも神罰の要因になり得るとしっかり告げられている なので私は極力あなたたちをスルーしているだけ しかし、せっかく>>217 に重要なことを書き残しているというのに、愚人が何も考えずに、間の抜けた質疑応答でスレのリソースを奪い続けているので、 こうして時々追い払わなければならない 神様仏様を知ることを妨げる愚人にもとてつもない神罰があるので、以降はその手のレスを控えたほうがいいですよ あれこれとくだらない論戦をふっかけて、軽率なことを書き込む前に、しっかり勉強しましょうね 神様の名前を特定するなんて無意味な事は分かってる、どの宗教も結局は同じ神なのだから(当然仏教も) しかし神が三柱ではなく唯一だというのには賛成できない >>275 日月神示は一神教だとでも思っているのですか? 日月神示 第十六帖(16) ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世満つことぞ、ひらき睦び、中心に火集ひ、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。 早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄へ結び、成り展く秋来る。弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ。 月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、 地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し神世の礎極まる時代来る、神世の秘密と云ふ。 「中心の神」とある以上、他にも神が存在する事は明らかです。 中心の神の左右に一柱の神が存在すれば、三柱の神となります。 つまりイエス・キリストの教えと一致します。 「中心の神」とは「父と子と聖霊」の「父」の事なのです。 >>275 俺、このスレ立てた奴だけど、あんたには失望した 日月神示は信じるけど、あんたの言う事は全部は信じない 日月神示に「神界では神々様大変の御喜びぞ」と神が複数形になっている部分があるのに、唯一神様とはこれいかに 富士山の山頂が三峰に描かれるのは、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来の象徴なそうだ ここでも出てくる「3」という数字 >>214 更新される物もあれば、決してされない物もあるでしょ 「形ある世界では形の信仰もあるぞ。偶像崇拝じゃと一方的に偏してはマコトはわからんぞ」 は、旧約聖書に出てくる青銅の蛇をヒゼキヤ王が破壊したエピソードのようなものではないかな? 何でもかんでも「偶像崇拝」と決めつけるのは良くないけど、仏像を拝むのは明らかに偶像崇拝だと思う >>275 何故貴方は神は唯一だと考えているのですか? 同じ日月神示を信じる者として恥ずかしいです。 >>275 さんは、日月神示等を理解したつもりになっているみたいですね。 知識はあっても知恵がないとしか言いようがありません。 答えにつまったんで、「スレ違い」でごまかそうとしてるんじゃないの? って言うか今まで散々スレ違いな事ばかり書き込まれていたのに、急に「スレ違い」とは… >>266 >預言がはっきり当たった「日月神示」という書物で、万教帰一が告げられてます > >そして神示では仏教も勧められているので、 ここまでは分かる >自然と、仏教の全ての仏様も唯一神様の道につながっていると証明されてます ここがおかしい、どうして繋がっている道が唯一神なんだ? 三神教に繋がっていてもおかしくない 日月神示にも「神も仏もキリストも元は一つぞよ」とある、 そしてキリストは三神教を説いている(三神のうちの「御子」がキリスト) キリストの教えを三位一体に変えたのは後の時代のローマ人 >>295 今その手の話、するべきではないんだよね ウクライナで戦争始まってるでしょ あれの責任、日本にあるの だから止めてほしいんだけどな 大切なことが書き込まれているのに、スレを埋めないでほしい スレ違いの話でもあるので、どこか余所でやってくれないかな >>296 あんたの書き込みの方がスレ違いだよ。 しかも獣の正体がトランプと言ってる時点で間違っているから。 >>297 今年エルサレムの岩のドームが崩れて7月にその跡地にユダヤの第三神殿が建設されるはずだけど、 第三次世界大戦の後その第三神殿に君臨するのが獣、おそらくトランプ元大統領ではない その獣はバールを神として崇拝しているハズ >>285 物部氏系は石上神宮(奈良県)、勝部神社(滋賀県)でしょう。 諏訪大社は、強いていうなら下社(八坂刀売命)の方でしょう。 基本的には天津神を奉るのが秦氏系、国津神を奉るのが物部氏系で良いのかな? 諏訪大社には御頭祭というのがあって、旧約聖書に出てくるアブラハムとイサクの話が元になっているのではないか、という説がある 今年の花祭りあたりに大きな災害が起きるかも知れない このゲームすれば自衛官に好かれるよ? ランボーみたいなゲーム 『怒』(いかり)は、1986年にSNKがアーケードゲーム用として制作・稼働した縦スクロール型アクションシューティングゲーム。キャッチフレーズは「俺が生き残るためなら相棒でも倒す!(Surviving all perils even zapping your friend)」。 >>303 鹿=藤原氏の象徴 諏訪大社タケミナカタ vs 藤原氏タケミカヅチ 諏訪がわかれば日本の歴史がわかる・・・也 >>302 秦氏→海の神→天津神→天皇 か!? 物部氏→物述べ→一言主命(葛城の豪族)か!? 10年前、5年前でも工場の昼休みにアイパッドで動画見てるジジイが居る ジジイ連中は、好景気なんだよ 働いてるジジイは「孫に何か買ってあげたいから」とかだから 生活に困ってる働いてるジジイは居ない 何が老後までに「2000万貯金」なんだよ 公務員だけなんだよ、認識ズレてるの エクセルしよ〜るカフェでエクセルしよる スタ場で三時間会話なくて彼氏がずっと漫画読んでるだけのカップルなんて無理矢理結婚させても意味ないんだよ、冷めたカップルは結婚しても別れさせても得するだけ、ルール守れよ スタ場でノートパソコンしてるエリートばっかりだろ? 工場のジジイもだよな >>308 物部氏は徐福が日本に連れてきた一団の子孫という説があります。 >>313 神道でも基本的には神様の像を奉ったりしないし(仏像の影響で奉ってる所もあるけど)、 ユダヤ教やイスラム教なんかを見ても、宿命とは言えないと思う 黙っていれば偶像崇拝に走るから、わざわざ釘を差しているのかもね ネットの犯罪は都道府県警察サイバー犯罪相談窓口へ情報提供してください 相談も可能 都道府県警察本部のサイバー犯罪相談窓口一覧 https://www.npa.go.jp/cyber/soudan.htm 率直な意見をお願いします 米伝道師、ウクライナ侵攻はイエス・キリスト再臨の兆しと主張 https://news.yahoo.co.jp/articles/164640ef54dbea682dbca2757a60e4db5f0798f9?page=1 数千年にわたり、キリスト教終末論の信者たちは、かなり強引な方法で時事問題とキリストの再臨が近い証を結びつけてきた。 彼らは、『エゼキエル書』、『ダニエル書』、『マタイによる福音書』といった旧約聖書の預言書や新約聖書の『ヨハネの黙示録』の預言的なことばを引き合いに出しては、ありとあらゆる理論を構築した。 この記事で言及されている部分が全て>>297 に凝縮されている ハルマゲドンは第三次世界大戦が終わって少なくとも7年経ってから、 キリストの降臨はその後だから、まだちょっと先だな。 さすがにスレ違いか? コビト 19 3回目 モデルな! 素直の方らしい 一般人と結婚 一般人と再婚 芸能人と再々婚 素直な公務員 モデルな! 天狗? 天にツバを吐く? モデルな! 自分に素直な方らしい 屁キサ・ゴン中山・金肉ん 猿、いしい 新・スケ 理由・スケ 意味ないのに意味ある、 自分が、猿で〜すって逃げたゴミ 他人巻き込んで逃げたゴミクズ 理念すらない、意味すらない古事記 大晦日で夕方勤務中、 先輩が「仕事ええから、代わりに年越しそば2つ買って来てくれ、今日年越しソバ食べなアカンやろ?、金は帰って来たら、払うから、ちょっと〇〇のソバ屋まで行って、買って来てくれや」 先輩の頼み事やし、パシリやけど、嫌やけど買いに行くしかないな 〇〇のソバ屋に着きました 温かいソバ売り切れ、 冷たいざるそばしか残ってないんだよ 仕方ない、冷たいざるそばでもしょーがない、先輩の指示やし、お金払って2つ、ざるそば買いました 会社帰ったら 先輩「ざるそば?、要らんわ、温かいソバやないと要らんわ、それ2つ持って帰って両親とお前で食べろよ」 ざるそばを俺に押し付けて、ソバ代金を払いませんでした 会社の先輩って、こんな感じの社員ばっか 会社に残る人間が、こういう人ですよ >>1 仏教に限らず他の宗教や民族信仰などでも共通して起こってしまった事ですが 悪貨が良貨を駆逐するとはよくいったもので あらゆる宗教も原始は比較的健全だったのが 流布していった事によって我利我利亡者の悪玉が入り込んでくるようになり 自分達の都合の良いように邪教に改悪させてしまうのです 仏教もキリスト教もイスラム教も アイヌなどの民族信仰も お金が欲しいであるとか支配したいとかの不純物どもにパラサイトされてしまい 本来の価値観は壊されてしまいました これは宗教だけではなく政治や企業などでも起こってる事でして 必ず悪玉が入り込んでくるという悲しい宿命(悪貨が良貨を駆逐する) 大集経の三災がすべて発生している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%81%BD%E4%B8%83%E9%9B%A3 穀貴:飢饉等が起こり穀物等食糧の価格が高騰し品切れしたりする。 兵革:戦乱や革命がおこり社会が乱れる。 疫病:伝染病等が流行する。 立正安国論でも同じ事が記されている https://ameblo.jp/nichirendaisyounin-gosyo/entry-10301155342.html?frm=theme もし、無量の過去世において、布施や持戒や智慧を修行した功徳を積んだ結果、国王の身となったとしても、仏法が滅亡することを見ておきながら、放置して擁護しなかったならば、 無量の過去世に種を下した善根は、皆、悉く滅失して、その国には、まさに、三つの不祥事が起こる。 その三つの不祥事とは、第一に穀貴(飢饉による物価の騰貴)、第二に兵革(戦乱)、第三に疫病である。 一切の諸天善神は、悉く、その国を捨てて、離れてしまうために、たとえ、その国王が命令を下したとしても、人民は随従しなくなり、常に、隣国から侵略されるであろう。 暴火が頻繁に起こり、悪風や大雨が多くなるために、洪水が増長して、人民が吹き流される。そのため、内外の国王の親戚から、謀叛が起こるであろう。 スレ違いの書き込みばかりしているのに、「スレ違いだから」と唯一神にこだわる理由を答えないのは何故ですか? >>332 つづき 舟山市 https://pbs.twimg.com/media/FSTsPWgaAAAQJES.jpg 5月9日(月)午後3時23分 台湾でM6.1の地震、台北でも揺れ 現時点で被害情報なし https://jp.reuters.com/article/idJPT9N2BU01X 5月9日(月)15時23分頃、沖縄・与那国島近海でM6.6の地震 与那国町で震度3 https://weathernews.jp/s/topics/202205/091523quake/ 伊勢湾震源で「異常震域」 深さ340キロ、M5・1 9日午後5時33分 https://kahoku.news/articles/knp2022050901000879.html 過去の「赤い光」と地震が前後した事例 ↓ https://www.aozora.gr.jp/cards/001748/files/55796_69556.html (9) 昭和二十一年十二月二十一日南海道地震の発光 紀伊半島の九鬼では、地震の直後、西方の山地に赤い御光の如き光を数回見た。 http://www.cneas.tohoku.ac.jp/labs/geo/10oldpage/ishiwata/PrecursorExpl.htm 8.発光現象(光りもの) 1751年の越後高田の地震では,夕暮れから海に出た名立の漁師が沖でボラやカレイを釣っていたが,名立の村の方向が一面に赤くなり,火事だと思って急いで帰ったところ,何事もなかった. しかし,夜半過ぎになって大地震が起こり,裏山が崩れて海になだれ込んだため,名立の村は全滅した(これは海を漂流していて救助された村の主婦の話).つまり,この時の赤い光は,地震の数時間前に発生したことになる 俺、>>257 だけど、前言撤回するわ。 日月神示も新約聖書も三神教なのに、どうして唯一神にこだわるんだ? 「スレ違いだから答えない」と言うなら、スレ違いな書き込み禁止する。 >>337 >>214 をしっかり読みましょう 日月神示は「三証」を満たしているので、正しい経典と判断できる その日月神示でイスラム教や大本教などの一神教を祀るようにと記されている つまりは万教帰一・万教同根が正しいということ 「仏教や日本神道が多神論だから、一神教が間違っている」と頑固に意見を変えないあなたは、ただの勉強不足です >>337 コーラン各所には自重するべき行為が複数記されている コーラン 第三章イムラーン家章 65-66節 http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran003-2.htm 啓典の民よ、何故あなたがたは、イブラーヒームのことで論争するのか。律法と福音とは、かれ以後に下されたのではないか。あなたがたは理解しないのか。 本当にあなたがたは、(いくらか)知識のあることに就いて(さえ)論争に陥るのに、どうしてあなたがたは、知識のないことに就いて論争するのか。 コーラン 第五章食卓章 101-102節 信仰する者よ、いろいろと尋ねてはならない。もしあなたがたに明白に示されると、かえって悩まされることもある。 ただしクルアーンが啓示されている時、それに就いて問えば、あなたがたに明白に示されるであろう。アッラーはそれを許される。アッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。 あなたがた以前の民も(このことに就いて)尋ねた。そしてそのことのために、不信心者となった。 コーラン 第五章食卓章 104節 かれらに向かって、「アッラーが下されたもの、ならびに使徒の許に来なさい。」と言えば、かれらは「わたしたちには祖先が伝えたもので十分です」と言う。 何と、かれらの祖先は全く知識もなく、また(正しく)導かれなかったではないか。 「古すぎる問題に執着する」 「過去の教えを頑なに変えない」 「しつこい論争をふっかけてくる」 こういった心境に落ちていないか熟考したほうがいい >>338 日月神示は三神教だという事が、まだ理解出来てないようですね。勉強不足なのはあなたの方ではないですか? 神道だって多神教なのは表向きだけです。秦氏系の神道は三神教だと以前書いていたはずです。 日月神示にも「三位一体は三位三体」と書いてあるはずです。 >>338 「冴え渡る《ASUKAのスーパー・インスピレーション》 日月神示ファイナル・シークレット1 上つ巻、下つ巻、富士の巻、天つ巻のCracking the Code」 を読む事をおすすめする、と言ったのに、読んでいないんだな。 それに「仏教や日本神道が多神論だから、一神教が間違っている」なんて誰が言った?あなたが単に勘違いしているだけだろ。 俺はあんたより、>>218 や>>300 の主張を信じている方だからね。 >>338 日月神示は正しい経典です、ですがあなたの解釈は間違っています。 米伝道師、ウクライナ侵攻はイエス・キリスト再臨の兆しと主張 3/9(水) 6:45配信 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/37304 数千年にわたり、キリスト教終末論の信者たちは、かなり強引な方法で時事問題とキリストの再臨が近い証を結びつけてきた。 彼らは、『エゼキエル書』、『ダニエル書』、『マタイによる福音書』といった旧約聖書の預言書や新約聖書の『ヨハネの黙示録』の預言的なことばを引き合いに出しては、ありとあらゆる理論を構築した。 ↓ この記事が配信される以前から上記の全ての書名の内容がまとめ上げられていたスレ ↓ 聖書の記述と近年の出来事の一致点まとめ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/shugi/1627904338/ 日経平均株価にアララト山の山頂が描画されている http://egg.5ch.net/test/read.cgi/shugi/1576318170/ 聖書以外の経典も含めた凶兆まとめ http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1620970690/ 068 >>343 「日月神示という神道の預言書を強くオススメします」が聞いて呆れる、結局あなただって日月神示を理解していない。 学習しないのはあなただって同じだ、日月神示には「神」が複数形で書かれているし、 イスラム教の大元となった旧約聖書にも「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。」等、神が複数形になっている箇所がある。 それと「>>○○を読みましょう」はあなたの口癖か? 人が読んでいないかのように言わないで欲しい。 まずこの画像見ようか https://pbs.twimg.com/media/FTAbfsaakAAq_iO.jpg あなたは太陽ビールという組織の最下層にいる「営業所」のいち社員になったと考えましょう その社員が 「ウチの会社のトップは社長だ」 「いや会長が一番偉い」 「違う取締役会の複数人体制だ」 「それも違う。一番権力があるのは監査役だから、そこの主張に従うべきだ」 「おまえら全員間違っている。会社は株主のものであり、株主総会を最重視したほうがいい」 などとくだらない論争に夢中になり、社員の仕事を放置して、組織全体に迷惑をかけている このような者がいずれクビになるのは想像できるよね 営業所の社員は営業所の仕事を堅実にこなすことが最優先であり、 組織図全体の正しい名称を丸暗記したり、各部署のパワーバランスを論じ合うことは、総務部や企業文化部の仕事です このことをじっくり腹に入れるべきだね あと>>339 読もう >>346 あなたには「五十歩百歩」という言葉をお送りする。 天然痘に似た「サル痘」、欧米で相次ぎ確認…子どもは重症化しやすく 2022/05/20 https://www.yomiuri.co.jp/world/20220520-OYT1T50225/ 「サル痘」の感染報告、欧米などで相次ぐ 保健当局が調査 2022年5月20日 https://www.bbc.com/japanese/61518234 サル痘は非常にまれなウイルス性感染症で、天然痘などと同じ科に属する。 第113代天皇 東山天皇 1687年5月6日 - 1709年7月27日 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87 宝永4年(1707年)3月、長宮慶仁親王を儲君と定め、翌年立太子させた。 宝永6年(1709年)6月、譲位を行い、長宮が即位した(中御門天皇)。自ら院政を開始する意向があったと見られるが、 1710年1月16日(宝永6年12月17日)天然痘にかかって崩御 宝永大噴火 1707年12月16日 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%B0%B8%E5%A4%A7%E5%99%B4%E7%81%AB 宝永大噴火は、江戸時代中期の1707年に起きた富士山の噴火である 聖書以外の経典も含めた凶兆まとめ ←レス番号9-11に注目。肺病と天然痘の同時発生は富士山噴火の危機 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1620970690/ >>346 で言ってるのと同じで、スレ違いばかり書き込んでるとどうなるかはわかるよね? 二度と俺の立てたスレに関係無い書き込みしないでくれますか? >>349 こちらは神様仏様の実在を知るために有益な情報を書き込んでいるだけなのだが まあ人もいないようだし、もう書き込まないよ 理解してもらえなくて非常に残念です 日月神示をまるで一神教であるかのような思想を広げてもらっては困るんだよ。 少しは三神教について勉強して欲しい。 創造、維持、破壊そして再生。 最近の若い者は創造性がなく情緒を維持できず、世の中を破壊こそするが再生することについては不可能・・・とでも言いたいのかしら? ヒンドゥー教のシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーですか? >>27 >自分は密教(真言宗)を通じて、真我の存在や観念を得たので。 この辺りは 宜しければ 詳しくお話して頂きたいです >>27 >自分は密教(真言宗)を通じて、真我の存在や観念を得たので。 この辺りは 宜しければ 詳しくお話して頂きたいです 面倒なことや生産活動を他人に押し付けて 世間の苦労から逃げて 修行ばっかりしていた昔の乞食を神格化して仏や菩薩や聖者にするな! 日月神示を信じてると言っておきながら「唯一神様」とか、勉強不足なのはどっちでしょうね? > > 仏様は何も禁止なんかしてない > 愛してる 愛してる > > > 仏様は何も禁止なんかしてない > > 愛してる > 愛してる 愛してる >>338 イスラム教は偶像崇拝を禁止していますが、自分が言ってる事と矛盾してませんか? 釈尊の言葉は口承で伝えられ、後に文字で書き写されるようになり、また経典にある各名場面は絵、また像で表されるようになった 釈迦涅槃図、住立空中尊、誕生仏、阿弥陀来迎図、仏像や絵像のほとんどは仏典からの引用、つまり絵解きの仏典であることは周知の事実であるが、このスレの人には分からないようだ 絵像、名号と真如や法性との関係は曇鸞なんかが詳しく突き詰めてるでしょ 不立文字と言いながら文字で物を考えて文字を喋り日本語JISでレスしまくるような訳のわからないことをしてる、みたいなもんですよこれだと >>208 お釈迦様は「人は死んだ後、復活する」と教えたそうです。 それが「人は死んだ後、生まれ変わる」と間違って伝えられたというのが真相らしいです。 「シン・竹内文書」という本に、>>8 とほぼ同じ事が書いてあった キリスト教徒もマリア像等を作ったり、偶像崇拝におちいっている 仏教も同じ、どうして教祖の教えを守れないのか? >>214 確かに涅槃経の中で仏陀は 「私の死後 もし欲するなら些細な規則は廃止してもよい」 とおっしゃっている それでも仏陀の死後約500年間、仏像は造られなかった これからも「些細な規則」ではなかったという事が分かる 第一日月神示の解釈が全くなってない、日月神示のどこに仏像を拝んで良いと書いてあるのか って言うか「仏像は偶像ではない」って考えはおかしいだろ >>338 イスラム教は、仏像を拝めとでも教えているのですか? 偶像崇拝は原理主義的な宗教では嫌がられる それは像を作った人の思想が見た目やポーズとして現れるから また素材に関しても何かしらの意味があり、 ブッダやムハンマドを示す物として作ったとしても、本来の意味とはずれる それゆえに、当時の人と同じように伝え聞いた事のみが重要となる ただ、現代の伝統宗教と言うのは、ブッダやイエスの教えをすべて守ってるわけじゃない ああいうありがたい人とそれを信じてる人がいた、自分たちは彼らの教えをさらに便利に変えてしまおうと言う形で改変されたものが 現代の仏教なりキリスト教だ >>373 仏陀は、自分の姿を拝むことを禁止していたのでは? >>208 「チベット仏教」は隣接する「ボン教」の影響を受けて「輪廻転生」を唱えているのだそうです。したがって輪廻転生はお釈迦様の教えではありません。 僕の実家の仏壇に阿弥陀如来様があるんですが、拝んでもいいのですか? > 曹洞宗の僧侶でインド哲学の研究者であった宇井伯はく壽じゅ氏(1882年(明治15年)6月1日 ~1963年)に依れば > 大乗、上座部を問わず釈迦の教えと証明出来る経典は存在しないと言う、 > 最古の経典と言われる阿含経ですら伝承の教えであり疑問視されている 鎌倉時代からその手の研究はあったよ インドまで遡れる経典はこれとこれ、あとは偽経とかこの経典は12の王朝で同じ経典が王朝別の各中国語に訳されて、そのうち5つが日本に届いているとか、玄奘これ作ったんじゃね、とか 仏縁に礼拝すりゃあよろし 日本まで仏教が届けられるのに法性報身や方便報身の話もできないとは 釈尊在世の仏教では、過去六仏といって釋尊が聖人と認める六人の仏陀がいて、それぞれストゥーパが建っていた 彼らのストゥーパに礼拝することを釋尊は在家信者に勧めている。釋尊のようになりたいと考える弟子たちは釋尊と同じように出家し、成道のヒントやきっかけとなったこれら六人の仏陀の思想や教えに学んでいけばいつか釋尊と同じ目覚めを得られるはず、というのが当時のメソッドで、多くの経典に人が仏となる道として説かれている 釈迦滅後、仏陀は1人とする部派仏教が過去六仏の教えを丁寧に消し去っていく。他の仏陀も大事だと主張した提婆達多の伝承を全て書き換え、貶めるということも彼らは行なっている ストゥーパに礼拝することは、仏陀の行実、またその説かれた経、教えに対し礼拝することである。例えばボロブドゥールのレリーフは文字の読めない者に対し説かれた、絵解きの経典である。また説く、三十二相八十随形好。仏像や絵像というのは、敦煌などの彫刻群を見れば分かるが、あれらは全て絵解きの経典なのである。奈良の大仏なども、周囲の仏像の配置を見ればどの経典のどの部分の映像化なのか、分かる人にはすぐ分かるようになっている。分からないのは不勉強な者だけである また説く、方便法身と法性法身。これはガンダーラなどにおいてギリシャ思想のイデア論などの影響を受けて生まれた考え方である。月指の例えというのがあるが、文字、声や経典と、その意味内容を別のものとして考える思考法である。月という言葉は月ではないが、月を示すことができる。経典も釋尊の肉声ではないが、その教えを示すことができる。ちゃんとした仏像絵像には、裏書きや中に必ず方便法身尊像という言葉が収められている。方便法身尊像を礼拝する者は偶像を崇拝しているのでなく、仏の説く法を礼拝しているのである。知らないのは不勉強な者だけである。 釋尊はストゥーパ、仏陀の教え(を示すもの)に礼拝せよと勧めている。これは三帰依を構成する大事な要件で、また、仏像も絵像も絵解きの経典として、仏陀の教えを象徴するものなのである。 そしてこの言説の言い出しっぺがよく自灯明法灯明の部分を引用するが、自身を足がかりにせよ法を足がかりにせよと書いてあるのであって、ましてや三十二相八十種好を礼拝するな、とはどこにも一言も書かれてねえ 同意できるとしたら偶像崇拝、意味も分からず崇拝すんな、という一点のみだわ 意味が分かっていれば仏像を拝んでも良い、とでも言いたいの? > 意味が分かっていれば仏像を拝んでも良い おっいいね、端的に言い表した。 ガンダーラ美術において仏足石なんかで表現してた仏の像がめっちゃリアルな美しい像になったのはギリシャ彫刻、ギリシャ思想と出会ったからだ。彼らはギリシャの神を石から掘り出すけど、彼らは元より神と掘り出した神像を同一視するような阿呆じゃない ギリシャ哲学のイデア論は分かるっしょ?文字や絵には意味内容があるけど、意味内容とは文字や絵ではない、ってやつ。仏像は仏ということを表現したものであるが、仏そのものではない 仏像じゃなくて、仏、悟りということについて礼拝してるんですよ それに、ほとんどの仏像が経典の各場面を絵解き化して作られてるものだってのは分かるでしょ?誕生仏にしても修行中の釋尊にしてもみんなそうでしょ またその姿も釈迦如来も阿弥陀如来も薬師如来も違うのは印相と光背だけ、全て三十二相八十種好という教典にある仏の姿を厳密に守っている 仏像ってのは見る教典、釈迦の説法を絵解き、図像化したものなんです 教典、仏法が我らに示されたということについて皆礼拝していたんですよ。少なくとも意味の分かってる人は 仏像は仏ではないから、拝んではいけない。 釈迦の教えを本当に分かっていれば、拝んだりしないはず。 そもそも教えを広める為なら手段を選ばない、という考え方が間違っている。 釈迦の言ったことを破って仏像を作ってまで、教えを広める行為が正しいのか? 仏像には悪霊が宿るから 仏像を拝む者は悪霊を拝んでいる、という考えも存在する。 NHKスペシャルの「ブッダ・大いなる旅路」(3),,- 仏像 誕生と流転~ガンダーラ・バーミヤン -,, を見ると、>>382 の意見がいかに間違っているかが分かる >NHKスペシャルの「ブッダ・大いなる旅路」(3),,- 仏像 誕生と流転~ガンダーラ・バーミヤン -,, >を見ると、>>382 の意見がいかに間違っているかが分かる 釋尊は仏像を禁止しました、というその番組のナレーション自体が釈迦滅後にできた仏教の主張なんだって話 ていうかもし実際に説得力を持って禁止されたものだったんなら、仏像を嬉々として作る宗派がいたならその動きに当時反対する宗派がいたんじゃないの?仏像を作らない宗派はその時どんな動きをしてたの?経に対し論や釈は常に作られてるんだし、 なんで寺院に仏像があんだよ 教えはどうなってんだ教えは お前ら禁じられた仏像を平気で使ってんじゃねえか 分かってんのか!? という活動の痕跡が当時の主流派でなくてもあってしかるべきじゃない? >>388 仏像は文字が分からない人にも教えを広める為のもの、というのがそもそも間違い、 人間の欲望が仏像を作り出したに過ぎない。 釈迦が仏像を造る事を禁じたという話自体が後の世に作られた? 証拠はあるの? 最近の研究では、釈迦が仏像を造る事を禁じていたのは本当だったらしい、って結果になったんじゃないの?それは無視? >活動の痕跡が当時の主流派でなくてもあってしかるべきじゃない? 釈迦の時代から500年も仏像は造られなかったんだぞ? その事実も無視? それこそ文字も分からない人達が、偉い(?)坊さんが仏像を拝んでいる姿を見て「お釈迦の教えを破っている」なんて言えると思う? >>388 仏教じゃないけど、旧約聖書に偶像崇拝の禁止ってのがハッキリ書かれているのに なんで教会にキリスト像やマリア像があんだよ 教えはどうなってんだ教えは お前ら禁じられた偶像を平気で使ってんじゃねえか 分かってんのか!? という活動の痕跡が過去に主流派でなくてもあってしかるべきだけど無かったよね? それと同じじゃないの? >最近の研究では、釈迦が仏像を造る事を禁じていたのは本当だったらしい、って結果になったんじゃないの?それは無視? それ、「私の姿を拝んでどうしようというのか」という一文からの連想しか無くね そしてこれは釈尊の似姿について出された言葉でなくて、釈尊の姿を見て礼拝した者について出された言葉じゃんよ? 応供、ということは供養される側が言う言葉じゃ無いんだよ 構造としては月指の教えに近い、私でなく仏法に礼拝せよという話だから 法を姿にすることが禁止されてたのなら同じように仏典を文章化、経典化することも禁止されてたはずだよ 人知の及ばない姿ということで絵解きに描かれなかった釋尊の姿も、三十二相八十種好という教典の姿で描かれるようになる ここの移行はスムースで、禁止されていたんじゃなくて、記す言葉を持ってなかったんだということが分かるわね >>390 偶像崇拝はカトリックでプロテスタント他は偶像無しだよ。カトリックはローマ帝国が民衆を管理する為に始めたから、まー目に見えないと説得出来なかったんでしょ。江戸時代に始まった檀家制度もマイナカードみたいなもんだし。仏像見るのは好きだけどあくまで美術。心は神道(神社)ですスマセン >>392 プロテスタントが成立したのは何世紀かって計算にいれてる? カトリックが偶像崇拝始めた時に、止めようとした勢力はあったの? 1054年頃から内部で揉めて1517年の免罪符制度でブチ切れて完全分裂したみたいね。それ以前に東方教会ってのが分裂してるみたいですね。仏教は布教中に随分変化したみたいだけどオリジナルに近いモノは現存してないんですかね? >>382 最近の研究は無視して、仏像を拝む事を正当化するための言い訳だけ信じている人がいる様だな 釈尊は仏像をつくることを禁止していない 初期の仏教徒が仏像をつくらなかった理由は以下に詳しい 田辺 理(2016)「見えない仏陀から見える仏陀へ -仏陀可視化と仏像の起源について- 」 https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282677459821312 >>396 それ、仏像を造る事を正当化しているだけだよ? 造寺、造仏は功徳にあらず 真仏無形 愚者は理解出来ないので形あるもので化導する いわゆる仏教は釈迦の思想じゃない 釈迦の死後100年も経ってから、つまり釈迦と直接会ったこともないような奴らが勝手に仏典作ったのが始まりで、さらに何百年もかけて後の奴らが釈迦をダシにして勝手に作っていったもの そもそも最初の仏典だって釈迦の教えに忠実かなんてわかったもんじゃない だって釈迦の容姿をまるで化け物のように記している >>400 >そもそも最初の仏典だって釈迦の教えに忠実かなんてわかったもんじゃない >だって釈迦の容姿をまるで化け物のように記している 仏像は口伝仏教の釈迦などの姿をできるだけ正確に絵解き化しただけのものだよ 三十二相八十種好ってあるでしょ 仏典そのものが捏造つってんならそうですかとしか言えないけど 釈迦も阿弥陀も薬師も仏陀はみんな同じ姿で描かれるでしょ、あれはお経、悟りを絵にかける姿で表す時の約束事なんだよ、大日だけは菩薩であり仏であるっていう表現で両方の特徴を表現してるけど 【3レス用】 インターネット上の配信見て楽器始めたりはしょちゅうだ 「音沙汰がない…」対馬盗難仏像の所有権は日本との韓国判決から半年 観音寺前住職の胸中 ★2 [4/25] [ばーど★] ps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1714040690/ read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる