「二礼二拍手」という大ウソ
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そんなの伊藤が吹いたうっかり発言、
昭和からやりだしたニワカだから。 長〜〜い神道の歴史や作法から言えば、
二回繰り返す作法は簡略式。(神さまには失礼な作法)
二拝を繰り返す両断再拝=四拝。
祝詞の常套句の一つにも、謹上再拝再拝、、、(両断再拝に同じ)
四起拝。
立拝と座拝を四段。(伊勢神宮に残る)
拍手も四を最小単位(長拍手)とし、それを複数回(段)。
八開手+短手一拍。(伊勢神宮に残る)
その極みは、古式に於いて天皇即位の大礼(大嘗祭)に於ける天八開手。
四拍手を繰り返し8拍を一段(八開手)として、それを四段。都合32拍手を新皇太子の先導で大極殿に参集した文武百官が新天皇に奉る
伊勢神宮に於いても一般参宮者の古式作法(伊勢神官流)は、
二拝(立礼)。蹲踞礼。更に傾首(鵜が首を傾けた風情ににて鵜自物突抜け等と祝詞にも表現してきた重儀)して四拍手。一拝(立礼)
と非常に慇懃かつ丁重なもの。
タレントで映画監督ほかの北野たけし氏がテレビ番組の企画で
伊勢神宮に公報担当のご神職(それなりに高い位階)と共に誘われ大御前に特別な拝礼場所(総理大臣クラス)で特別参宮した際に特別に指導教示された作法もこれ。
(カメラは場所柄、謝絶されてオミット。音声のみ) おれはね、
拝っていうのは宮中のもんだとおもってる。
再拝ならなおさらね。
しかもそういうのは本来は、屋内か、屋外ならゴザしいてやるものだよ。
伊勢は今もゴザ出してやってる。
柏手も、元々は何度でも打ったし、打ったほうが手厚いのに、
外交上、向こうに合わないからって省いたりしてきた。
ほんとは何度打ってもいいし、逆に、民間だったら1拍手とかでもいいはず。
まぁ当然、合掌の影響もあったんだろうけど。 ほんとは大相撲の伝達式みたいに、
両手を置いて「声をきく」っていうのが大事な礼法だとおもうよ。
でも。今は簡略化されてしょぼいのになっちまった。
あれはよくないよ。
力士がやるみたいに、きちんと手を置くようにしてやるべきだよ。
もしも立ってても、少し膝かがめば出来る。
おれは神前では、それをやったほうがいいとおもう。とくに昇殿とか。 神社神職としての礼法は、柏手なのか、拝をするのか、
意味的に分けたほうがいい。
役割として分けるでもいいし、
場所的な表現として分けるでもいいし。 民間というか素人なら、それこそ手を合わせるだけでもいいとおもう。
そういう意識のほうが普及してるんだろうし、
ただ、まぁ合掌とはやりかた的にも区別はしてほしいけどね。
本場的なインドっぽい合掌とはちょっと感覚ちがうしね。 よし。決めよう。
・宮中祭祀は度拝のみ
・神社神職は柏手のみ
・民間は拝も拍手もしなくてよい(自由) まーしかし、
昇殿なんかの座の礼法では手をついて、
屋外で立ってる時の礼法は柏手っていう分け方でやってもいいかな、民間。 柏手はたくさん打ったほうがいいはずだからたくさん打つことにしよう。 十人いれば十通りでいいけどな
それこそ舞を舞ったって構わない
マナー的な事を言うならお祈り時間が過度に長く無ければいい なんでもいいかんじが本来の神人和楽だよな。
時間的には、さすがに10分以上なら場所とってそこでどうぞってかんじかな。
まーそーなると奉納ってやつになるのか。 >>13
三礼な。
神道とは違うけど、要件としては起拝(立って一拝。座って一拝)に当たる行為。
、、、いわゆる、五体投置礼
それを極々簡略したものが合掌して膝を軽く三度折る作法。
神道の一拝(礼)一拍手は礼手と言って、食前、食後や、正式参拝して御下がりの御神酒を頂く際等の作法。
拝や拍手が当たり前に教え込まれていますが、
拍手を伴わない作法。旋回したり、蹲踞礼を取ったり、、、
、、、人を卑下した際に言われる、三回回って(チンチンして)ワンといえ!の元来(元ネタ)は重要な某皇大神宮(現神社)の一社の故事による神拝作法。
船舶の最敬礼は対象の神さまにまず舳先を正対した後に、通常は右に三旋回(お神楽舞も右三回回って拝礼)。
稀に?左に三旋回(淡路島の南の離島、沼島(オノコロ島の候補の一つ)の祭礼では沖合いの三つの神岩(イザナギ、イザナミ、ほか)の周りを左に三旋回。) 起拝とかからもうダメなんだよ。神道も半分はかぶれの作法だってこと。
大事なのはわれわれ日本人が、神に対する心のありようを今の礼法で表せているかってこと。
二拝二拍手だなんてこりゃウソだね。実際に参拝してるみんなにアンケートとりゃ一発さ。
「それってマジでやってます?」どう答えるだろうね、それが実情さ。 おれは、拝とかは宮中がやればいいとおもうし、
神職はむしろ、柏手のみを跪座になって、たくさん打つべきだとおもうね。
んで、民間はほんとなんでもいいとおもう。
自分の手でも握って黙々とすごしていれば、それでじゅうぶんなんじゃないかな。 京都のひとは合掌も柏手も拝もしないよ。
「さ手」に近いけどちょっとちがう、胸の前で手を重ねるようなのをする。
大昔の長い着物から生まれた仕草らしいけど、民間だけがやってきた独特な作法。
神仏が多すぎて毎日忙しいから合掌とか柏手とか選んでられないなかで便利だろうね。 石川五右衛門みたいな見栄を切ったら神様藁ってくれるんじゃね
数人でフォーチュンクッキーとかもね
ピンクレディーは玉石が後ろから飛んで来るのでヤバいよ 祈りのかたちは迷わないできちっともったほうがいいよ >>5
それが一番いいとおもう、神前でも仏前でも。 手をおける場所があるんだったらそうすればいいしなければ挨拶だけでもいい >>5
現在でも石上神宮の神職たち…特に物部連氏の御当主でもあらせらる森宮司さんなんかは、ふわりと掌を打ち重ねた後、一間、音を聞き奉ってるね。
ああいう振る舞いは、ウンコみたいな苗字の犬神人総長にはできないものだ。 そういえば、ビートたけしが伊勢神宮参拝したとき、
付き添いの神職が略式を教えていて、
かがんで柏手を4つ打つとき二拍のところで少しじっとしていたな。
あれも聞いてる感じに近いんだろうか。 神職の柏手は間をきちんととっているが、氏子総代みたいな人でもパシパシって人が多いし、手をクロスさせて空間を作るカポーンみたいな人もいる
神社とそれなりに関わってるのに教えてもらえないのかな >>3
律令制以前の社にそういう中国風の作法はあったんだろうか 神拝作法(昭和度)
(社頭に至り先ず一礼(揖))。
二拝。
祈念(黙祷や祝詞はこのタイミング)。
二拍手。
一拝。
(一礼(揖))退下。
但し、より丁重なもの、一社の故実に基づくもの等はこの儀に在らず。 拝と柏手っていうのは、ミックスなんだよ。
足し算。とりあえず足したってやつ。
きちんと整理しないといい礼法にならないよ。
神事としての人工的なミックスよりもっと面白いのは、
民間が柏手+合掌+お辞儀と上手く融合してること。
こっちのほうが説得力あるよ。江戸時代には出来上がってたし。 この程度の基本作法すら決まってない神道ってほんと歴史ないんだね。神仏分離から150年の節目だけど、それまでは儀礼だけじゃなく思想まで仏教におんぶに抱っこしてもらってただけある。今の神道って日本で最も成功した新興宗教だよね。 手を合わせるっていうのは大昔からやってるのに、
明治のニワカ礼法のせいで、神社でやらなくなってしまった。
ほんとによけいなことしてくれたよ。 薩長土人や町人上がりの国学者のオツムなんてパープーだからなあ 二礼二拍手とかなんとなく納得してないけど周りに人がいるとき
自分だけ違うこともできないし時間を食うようなこともできないから
ペコペコパンパンペコッとしてそそくさ帰るしかない >>40
自信をもって正道を為せば威光は凡愚の他を圧する
迷いがあるから誤解を招く >>40
気にしないで、好き勝手したほうがいいぜ。 合掌して般若心経を唱えた後に二拍手
これが本来の神社 そうそう山と炊けるの時代からあったんだよね
タテマエではw 神祇信仰派の物部氏が仏教導入を巡って蘇我氏と対立したので
仏教が入る前に八百万の神祀りが文化的に形を整えていたのは確かだよ
祭殿の常設化がいつから一般的になったかはよくわからないけど >>48
白鳳から奈良時代にかけての著名な僧侶…玄ボウ、道鏡、ついでに言えば空海の母方もそうだ…が悉く物部氏出身であることなど記紀に不都合な事実が指摘され、物部氏が仏教排斥した云々の与太話自体、現在では疑問視されているんだが。 >>48
疑問視してるのはごく一部のカルト的な変わった人だけ
常識人は神社があってその隣に坊さんが寺建てて習合の形で広めたって知ってる
インドはもちろん東南アジアや中国でも元からある宗教と仏教が混ざることで広まった >>50
今の神社は仏教との折り合いや対比で整った部分あるだろうけど、
仏教が来るまで大和朝廷が祭祀施設を持たなかったとは考えにくいよね >>45
神前で読経する際、何故御神前で読経するのかを説明した所謂、前経を唱える慣わしだったかと。
例えば真言宗では、天下が疫病で大変疲弊しているのを時の天皇が憂いて、空海に如何したものか?とお尋ねに為られ、
空海は天下万民のために天皇(帝王)御自ら筆を取って般若心経を写経遊ばせば忽ち天下は平安になる云々。
それを天皇が御嘉納有って(紺の紙に金の墨で(要するにとってもあり得ない位に貴重なで高価な物))写経を終えられて、
空海が般若心経の功徳を解説し始めてまもなく、早々と天下は穏やかに平安と成った云々。
天皇がすがりその功徳により天下大平と成ったんだぞ?それくらい凄いんだそ?ごら!文句あっか?みたいな文言。
を唱えてから。 ID:X3Eog+p20が朝鮮人なのは分かったからまずは日本語を学んでくれ 曽我氏と物部氏の対立は存在した事は事実だろうが疑問視されるレベルとは知らなかった。
神道の礼拝の作法は魏志倭人伝にも書かれている。それによると元々手を叩く習慣は
目上の人と接見する時の作法。神社は古代古墳だった場所もあるから元々上位に位置
する人々を敬う作法が古墳で行われ、神社になっても続けられたという話はあるだろう。
紙祀りが古いとはいうが、自然崇拝であればそのルーツは先住民の沖縄北海道の人々
ということになるが、現実は神道は色々と変わっているから信用できない部分はある。
日本の古墳時代の習慣が古代中国の殷の時代の影響を受けているという人は多い。
そうなると神道すら日本固有とはいえなくなる。 >>50
そんな話じゃないと思いますよ。
神道が仏教かは時の政権と天皇がどのように関わるかという問題と表裏一体なのであって
さまざまな争いがあった。長い歴史のなかでは修験道すらミックスされたというのはある。
ちなみに修験道の開祖は時の政権によって逮捕され島流しされているが、そのような人物
であるようです。何が正しいのかはいえないと思います。
曽我氏と物部氏の対立は確かに存在しそれによって時代は大きく動いた。物部氏は
立場的先住民系なので、蘇我氏との関係では移民対先住民という争いの構図が背景に
あることは確かでしょう。これは宗教の問題ではない。
そこに百済や朝鮮と天皇(朝鮮半島由来の移民)の問題も関係するのだから。
明治政府時代にやってはいけない神仏分離をおこなったことは政治的な宗教改ざんでもある
のでこれは悪です。やるべきではないことをした。 >>46
糊でパリパリに固めた冠袍袴をつけた神主と
抜けるような白衣と緋袴をつけた巫女がでむかえてくれるんですね
洗濯機もないのに わからないとすぐ「日本語で」とかいうのは朝鮮人だなw 朝鮮人が悪口として利くと思っているのが案外朝鮮人であろう 再拝は宮中のものだし、柏手は神職のものであって、
民間はお辞儀したり手をこすったりそんなものじゃないの。 んなーこたーない
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|/ | 拝はしなくてもいいかも。
柏手を略式しないでしっかり打つとかでもいい。
合掌をどう考えるかは、人次第かな。 多くの神社の賽銭箱の所に二礼二拍手一拝って書いてある
別のことしてる時点で周りの人から変な目で見られてるのは確実 周りの人からよく思われたいので
二礼二拍手一拝します 周りの人から普通に思われたいので
二礼二拍手一拝します 「和を以て尊しと為す」
と言えば美徳にも聞こえるが上例だと
「長い物には巻かれる」悪霊・祟り神でも祀る
んー将に日本的 近年とうとう、神職のお偉いさんまでが、二拝二拍手を「奨められない」と述べだしている。
よくよく調べていくとやはりそういうものらしい。将来的には撤廃されるかもな。 寺で拝礼のできそこないみたいな土下座してる人見ると悲しくなる 土下座は座敷文化からなのでけっこう後年。しかも実は中国所作の影響でもある。
本物の日本人なら力士のような万歳。 マジレスするが、崇め尊ぶ先方様に対し、90度のお辞儀=「礼」をすると、
その先方様の優れたよりも気を受け取る事ができる。
二礼二拍手一拝は、二度もその良い気を受け取る事ができ、
尚且つその気を最後の45度の「拝」の動作で、
己の身体に固着させられる。
現状ではもはや、このやり方に勝る礼拝作法はない。
ただ、その受けた良い気そのものは、一日か二日位で消えてしまうので、
そこの神社仏閣の事をなるべく頻繁に思い出すようにする事。
思い出せばまた、自分の身体で再生できる。 いや立礼ってのはそういうのじゃないよ
足をかがめるのよ >>78
あきらかにカルト。おかしな考えしちゃいけないよ。 実際に、>>78に書いた通りの事になっているんだから仕方ない。
ちょっと霊感や、氣の流れが分かる人なら、そういう事も普通に分かるはず。 正に気のせいやなw
と言っても二礼二拍手は一礼はやってるが 出雲や伊勢神宮みたいな特殊な所除けば、3礼(一回目90度)2拍2拝でFAだよ
221は略式
巫女が帰る時によく遭遇するけど、322だよ 本気にお願いすがるときってどうする?
それをすればいいんだよ。 本気にお願いすると大体聞いてくれないよ
人事を尽くして天命を待つって知らない? >>88
それは「三宝」から思いついた坂本家の捏造 >>86
3礼。
実際(現在の制式)は、
一揖。再拝(二拝)。祈念(黙祷や祝詞)。二拍手。一拝。一揖。
「揖」と「拝」の差違を知らない人には最初は三礼に、最後は二礼に見えるかも。
又は、まず神前に一礼(揖)。杓(代用で扇子。更にそれも無い場合は拝神印を組む)を掲げ一拝(腰を90度屈める最敬礼)。座して一拝。 伊勢神宮の一般参宮者の古式作法(伊勢神官流)では、
一揖。二拝。蹲踞(踵を地面に接地したまま両膝をピッタリ合わして屈み込む。(絶対服従を現す?))しつつ、更に傾首(頭を下げ)。四拍手。一拝(立礼)。一揖。
某両皇大神宮では、
先ず一揖。右旋三回。蹲踞二。祈念。左旋三回。一揖。
(巫女の鈴降り神楽と同じ?)
船舶に於ける神拝作法は、
神前(/立神岩)に先ずは舳先を向けた後、通常は自船舶を右に三旋回。
(安芸の宮島、厳島神社の例大祭のクライマックスは頭屋が手繰り舟を所定の舟溜まりに漕ぎ入れた後、自舟を自ら揺らして右三旋回(最敬礼))
希に左三旋回をする場合も。
、、、淡路島の南、沼島の春祭は大漁旗他でめかし込んだ船団が御神体の神岩群(イザナギ、イザナミ、二神のお床岩)を左に三旋回。
大阪のナニワ手打ち。(天神祭や契約成立ほか祝い事)
打ちましょ!パンパン。
もひとつセ!パンパン。
祝うて三度!パパン・パン
、、、おめでとうございます。
(これは略式で、更に)
めでたいな!パンパン。
本決まり!パンパン。
\(^^)/おお!!
元は生国魂神社(元は大阪城天守閣の場所に創建より鎮座)から。
住吉大社の例大祭、神輿渡禦でもナニワ打ちを神に捧げます? 伊勢神宮のやりかたはものすごく中国だな。
今の時代にはもうやりたくないかも。 大きな神社の前なのか、
町に点々とある小さな祠なのか、
それによっても違ってくるよね。 今日、出雲大社相模分祀にお詣りしてきた。
二礼四拍手一拝をしてきたよ。 拝っていうのは座でやるものなんだけどね。
そのへんが変だよね。 そもそも日本人は拝礼する代わりに拍手を打っていた
中国人がヘンな日本の風習として魏志倭人伝に記録している
それが自虐感を刺激され拝礼してから拍手を打つみたいなことに変化した
神代の習慣に基づけば拝礼はしなくてよい 拝は宮中がやりはじめたものであって外交上のもの。だから宮中は柏手は打たない。
ようするに、足し算したんだよね。 礼は90度、拝は45度、体を傾けるお辞儀の事だよ。
普通は賽銭箱の前で、立ってやってるだろ。 普通は本殿に上がって屋内で参拝する
今みたいに外から何かすると言うのも
明治以降の習慣
そもそも「45度」なんて江戸時代には意味不明 数字角度でいうようなものじゃないんだよね。
そういうのさえ分からなくなってるから危ないよ。 >>100
賽銭箱の前でとかいうのはもうやめにしないか
このままだと小さな賽銭箱が10コぐらい設置されて
レジみたいになるぞ >>101
昇殿といっても上がれるのは拝殿までだからね
本殿は入れないよ
本殿が神社の中で一番力あるけどね >>10
拍手みたいだよね!
神様から拍手されてるみたいで縁起良い >>79
ちょっと昔の礼儀(今放送中のNHKの朝ドラの時代等(戦前))だと、
礼をする際には膝を少し屈めつつお辞儀していたかと思います >>101
江戸時代の日本人は世界最高水準の高等数学(算用)を一般民衆がお遊び感覚で有した稀有な国。
なんしか、ど田舎のお百姓さんらにしてからが趣味で高等数学をやっていた等は全国どこでも有った日常茶飯事
自ら考えた高等試問を神社や仏閣に掲示して、
オマエラに回答できるか?と >>109
本来、意味的には現代でいう拍手と違わないものらしい。
祝いというか、ありがたいもの貴いものを前にしてめでたいめでたいという感情。
打つテンポは大きくゆっくりとするそうだけど。
>>110
立った姿勢で、膝を少し落として、手を添えることで、座礼を略式表現した。
それがのちの時代いつのまにか動作が崩れていって、今の変なのに陥った。
最近では会社の影響なのか、コンス風のお辞儀してたりする。 よーぉ、ポンっ!の一本締め。
しゃしゃシャン、しゃしゃシャン、しゃしゃシャンシャンの三本締め。
めでたい晴れの日のこれのアレンジ的なものだと考えちゃってOK? >>113
人と人とのあいだでとるならそれでいいだろう。 神仏と接近したいなら
二礼二拍手一拝以外に
良い方法はないね 神仏と接したいなら好きにやれば良い
神社で二礼二拍手一拝するのは人との接し方のため
近所の神社で変な参拝してると○○さんおかしくなっちゃったって噂が流れるぞ 二拝二柏手してるのって関東人だよね
自前の習慣がないから昭和カルトに騙されてやんの 最近参拝で土下座したいんだよね
膝汚れるからゴザ敷こうかって感じだけど
それなら拝殿行けよってことだけど >>119
個人的に鎮守さま、一宮さまには、
略儀では両断再拝。蹲踞。四拍手。一拝。
懇ろには、
一揖。再拝。副掌
祓い(色々)
再拝。副掌。一拝。
次、神拝。
一揖。四起拝。八開手(一、三、四)。単手一段。一段拝。
神恩奉賛詞。
神拝詞奏上。
神言、称賛詞。
四起拝。八開手。単手一段。一拝。一揖。
お寺さんでは、オンサラバ タタギャタ ハンナマノキャロミを唱えつつデコを床にこすりつけ三礼(三跪拝) >>120
拝礼の際には神拝印を、
祈念の際には天諸手結び/叉手 >>119
伊勢の神職はゴザ広げてやってるね。
一般的には拝殿に上がらないとむずかしいとおもう。 本来拝殿なんてものはないから
各自敷物を持参するのが普通 >>122
そうなんだよね 土下座は神主がしてる
>>120
おっ 本格的ですね
この流れを参拝者がいるとこですると
以外と流されてあたふたする
以前本当に自分の世界に入って大祓詞を >>123
いいね
神様がどこにいるのかを考えると
→本殿→拝殿→どこにでもいるよ→家でやる
なら神社境内でゴザ敷くのもありかなと
>>124続き
大祓詞も他に迷惑にならないように
端っこでやったけど
やっぱ自分の流れを保ててるから実感ある
普段の参拝でさえ
他の参拝者に呑まれたり意識をしてしまう・・
無難に家でやるのが一番かも 稲荷信仰とかだと社のとこに石台みたいのあって膝をつけるようになってる。
できるけど時期によってはちょっと冷たいよね。
場所によっては石台にワラ座布団も置いてあることもある。
そういうのをみると、もともとは座ってゆっくり拝んだんだなーとおもうね。 >>125
呉座を敷けない場合(神宮の大御前bニか)が、多分、、、蹲踞礼 >>126
ちょっと趣旨はズレますが、神戸の諏訪山(観光名所のヴィーナスブリッジ)に鎮座の諏訪神社(諏訪明神さまですが、お稲荷さん連合大集合)は、
幕末以降、何故か(この丘に登って遥かに望郷の念を募るばかり?)、たまたまか中国人(華轎)のいわゆる氏神社として深く信仰されて来ました。(関帝廟が出来てからはいささか収まり気味?)
それゆえに中国式の拝礼作法に神社側が便宜、融通を図る等で
ちょっと異国情緒が漂う神社。 寅さんみたいなヨス元気か労働者諸君!的な挨拶でも
いや、御前様相手位の態度がよろしいか もともとの日本人の所作としては、
しゃがんで祈るっていうのもよくあったんだよね。
大正時代くらいまででも映像で確認できる。 例えばなので定かではないけど
野良仕事後に寄って参拝お祈りも
信仰として当たり前なんだけど
手水のようにまずは身が汚れてたら
神様に合うものではないという考えもある
そこは感覚なんだろうけど
仕事で穢れを浴びたのか
はたまた仕事で穢れを祓ったのか
など 関連して
自分は土下座の行脚なるものを展開したら
まさにずたぼろで神様にお会いするわけだから
それは良くないと思ったり
はたまた信仰だから良いのか
など 私の子供の頃は墓参りや屋敷神に御挨拶するのを立って済まそうとすると、失礼だぞ、ちゃんと座りなさいと祖父に叱られたものだった。しゃがんで手を合わせて頭も下げていたな。
そういえば、日航機墜落事故で生き残った川上慶子さんが墓参りするのを昔ニュースで見たが、やはりしゃがんで手を合わせていた。
時代かな。 >>134
多分、、、DNAに刷り込まれた慣習かも。
魏史倭人伝等には貴人に遭遇したらその場にしゃがみこみ拍手を奉っていた云々
また、日本書記?には
この度、かの渤海(パレ)国(高句麗の最後の王の娘婿の将軍が建てた国(高句麗の後裔/唐書には、、、「渤海国は高句麗の別種なり」云々と書かれた。(日本国は倭国の別種なり?と同じ表現))。唐からは東海の盛国と称えられた)
の使節が来朝しているから、拝礼作法はかねてより通達の通り、中国式の立礼を厳守するべし云々
、、、先祖代々伝わる拍手や跪拝礼の習慣はなかなか革まらなかったようです) そもそも墓参りで立って90度のお辞儀wとか45度のお辞儀wとかするか >>131
一揖。右三旋回。蹲踞2。(祈念)。左三旋回。一揖。
(都の両皇太神宮の宮司の正月社参における一社の故実)
葵祭等で勅使からお告文(天皇からの祭文)
が宮司に渡される際も宮司は蹲踞。
これらが、(都人らに)捩られて 、、、ゴラ!!三回廻って(チンチンして)ワン!と哭け!
に。 >>137
オンサラバータタギャターハンナマンナノウキャロミー
の真言と共に印を組みながら、三跪叩頭拝礼。(五体倒置礼の略儀?)
ウチはしています。 起拝。って、元来は儒教(中国)からの礼法ではないか?
韓流時代劇で下位の者が王族や貴人に対してご挨拶/拝礼する光景が良く見られますが、
若干の所作は異なりますが、まんま起拝です。
その際、生者には一度拝。死者には複数回を作法とするようです
やっぱり?徐福さま(皇祖高宗/イザナギ/スサノオ/天照皇大神、、、)絡みではないのか? 「立ってやってるか?」の問いに「座ってやってます」って答えでいいんだよな? 大昔ですら、時代に応じて「立つように」だのと改めてきたのに、
最近は昭和式をなぞることしかしないでいる。これは、
一個人的にやり方が実感としてよくわからなくなってきた証左なんだろう。
んで、
ある意味ではこういう時こそ改めるに絶好の時期なんだよね。
ところが知識人にも関係者にも肝心の“知恵”がない笑 「あらひと」といった貴人のまえではしゃがむことをしただろうが、
現在の神社の神前には合わないのだろう。建物に向かってやるわけだから。
そうなると、屋外で立ちの場合は、手を合わせることくらいしか方法ないんでないか。
手を合わせるといっても仏教ではないので合掌でないものでいいが。 いやお辞儀でしょ
しゃがんでお辞儀はできないよ
完全に座るか立ってないと >>143
手を合わせるから合掌なんですがw
平成になってからかな「拝んじゃダメ〜仏様じゃありませーん」とかアホなこと言い始めたのは
日常の立ち挨拶でもお辞儀とかやめて合掌一本に揃えればよい
境内で坊主に会ったときはお互いに合掌して会釈するし
それで形は整う 「合掌」というのは仏式の作法を言う。そのくらい知って書けよ。 仏式とか言う言い方も戦後からのもの。そのくらい知って書けよ。 >>143
天の宝結び。諸手結び。
鎮魂印。拝神印。(ドラマ?やマンガで忍者が両手を結んで人差し指を突き立てるような形。左右の手のどちらかを上にするかで忌み相が(鎮魂、拝神)全く異なる) 自分が良いと思うやり方でやればよい
他人のやり方にケチ付けるのは野暮 【悲報】自称ネット行者の極楽金剛が豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)住職の本宮顯道にガチで否定されるw Hey Guys, Clap your Hands Okay! 現実問題、お寺とかお宮とかでやりわけたりするのは無理があるので、
どっちもまぁまぁこのへんでいいでしょという線をとると、拍手+合掌といったところになる。
江戸時代にはすでにこのスタイルだったそうだよ。 國學院大學の教授も二礼二拍手のあと手合わせてから一礼してた 寺でも積極的にやってみたら良い
合掌よりも「氣」を受け取りやすいんだよ
このやり方は >>159
明治度の作法で一時期、「押し合わせ」と言った所作が国からの通達で正式採用されていました。
しかし、この「押し合わせ(お幸せ?)」の所作が現場の神主/神職には全く分からず混乱、物議を醸した末に廃止とっています。 >>162
ひょっとしたら、拍手の後の合掌を神道的に「押し合わせ」と言い替えしたのかも? >>161
>このやり方
が何を指すのかわからんけど
合掌して精神統一した後に拍手そして読経
これが神社でも寺院でもよいな >>164
神仏混合/習合の精華である密教/修験道の所作、祭式がヒント。
仏には三礼。神には再拝複掌(二拝二拍手) 古くからの所作「もみ手」があったのに、
大相撲には用いられてるのに、神道には無くなってる。
元々は仏教と茶からきた清める仕草だそう。
参拝では手水を使うから要らなかったのかな。 内の人間やったら鳥居は味方の印やし、普通に入るで。お辞儀なんてせんもんや。一礼はニワカ。神と一体になってないやんそれ。 浅草寺で二拍する人が多く
細かい所作より祈りの心が大切、と観音様も思ってるんじゃないかと >>170
あそこ、本尊から末端の祠に至るまで全部抜かれちゃって、
もぬけの殻じゃん。 千日回峰行の僧侶は道中の神仏にふつうに二拍手してる。 観音様網で引き上げた由緒からして>>172のウソも失礼だが隣の浅草神社が・・・ 浅草神社は由緒の仏像が引きあげられた
駒形にも堂が建ってるんだけどそこも良いよ 真言の僧侶が修法の中でやる印の一つ、柏掌(はくしょう)は、ある真言と共に手を三度叩く
空海の頃からあるし、もとはインドの作法
もちろん、それだけ取り出して単独でやっても無意味なんでお勧めはしないが、神社の柏手なんて所詮ここらのパクリ >>178
通低性、という言葉を知っているか?
人間というものはある一定の水準に到達すると、根源的に同じもしくは類似の形態の文化を形成するものだと考えたことはないのだろうか。 つうてい【通底】
( 名 ) スル
表面上異なって見える事柄や思想などが、根底において通ずるところをもつこと。
いいことばだな。 アルマーニ着せるんだったら特攻服やスカジャンとか全学連ヘルメット通学もありじゃね 建国記念日盛り上がってないな、かく言う俺もオリンピックのモーグル見てるが 中国の民間信仰に乗せられて決まった記念日なんかいらんわw >>111
算額とかあるよね。
私は数学アレルギーなので冷や汗が出るだけだがw ヨーロッパの数学が360度法を使っていることと
日本の数学が難しい問題を作って神社に奉納していることは
まったく関係がない その千日回峰行みてみたけど二拍手合掌だな
便利なんだろうな >>191
修験系の略式礼らしいね。
金峰山時でも同じ方法だった。
たくさん礼拝する石仏が10個とか並んでるんで略式じゃないと大変なんだろう 神道的には古くは手を握るような合掌だったはず
仏教が日本人に定着する以前はね 本山から「大師教会教使」の資格を経て、晴れて一人前に自立を目指す中村泰教。
しかし、諸事情から四度加行、伝法灌頂を受けることができないため、正式に虚空蔵求聞持法を伝授されることはなかった。
しかし、拙僧がある日眠っていると「お前も私と同じように虚空蔵求聞持法を修するとよい。何、私だって私度僧の時にやったのだ。問題はないさ。」とお大師様が仰った。
そこで、拙僧は毎日ひたすら虚空蔵求聞持法を修することにした。
「ノウボウアキャシャ・・・」お大師様と一体となるべく、朝起きたとき、食前食後、信者の相談・加持祈祷の合間、寝る前に、1日1000回は唱えることを目標に頑張った。
ある日、電話で信者から葬儀の導師の依頼が来た。本山はしてはならないと言っているのだが、何、拙僧は真言九祖だ。断る理由はない。
そして、いつもの虚空蔵求聞持法を修してから、タクシーで葬儀に行くことにした。
そこで拙僧は小腹を満たすためにタクシー乗る前に買ったマックを食べることにした。
ガサゴソと包装紙からメガマックを取り出し口いっぱいにほおばる。たまらない。
ポテトの塩が濃かったのと車内が乾燥してるせいもあってLサイズのコーラはあっという間に空になった。
そして、葬儀の導師をしていると、経が長いことに気づき、ここでひそかに求聞持をすることにした。「なあに、虚空蔵菩薩の真言は万能だ。そうすれば今日のノルマは達成できる。」そう思い、さっそく途中で、求聞持を始めた。
「ノウボウアキャシャキャラバヤ・・・」
50回ほど唱え続けると、会場がざわめきだした。
しまった、熱心な真言宗の信者がいたのか。落ち着け、自分は真言九祖だ。こいつらとは違う。
そう思い不安をかき消したが、その瞬間拙僧にすさまじい便意と、かつてない尿意に降りかかった。
「ノウボウアキャシャ・・・もぉダメェ!!我慢できないナリ!!漏れちゃうナリィィィィィ!!(ブリブリブリドバドビュパッブブブブゥ!!!!!ジョボボボボジョボボボ!!!!!!!ブバッババブッチッパッパッパパ!!!!!」
高野山真言宗から独立しようとしている真言九祖の奇声が葬儀場の一室でこだました。 横浜中華街の関帝廟に行ってきたが
ここではクッションの上にひざまづいて
合掌して頭を下げるんだが
このやり方でもちゃんと気を頂けるね いや、だから「気をいただける」とかおかしいって。
そこからオカルトだから。 伊勢神宮の公式ビデオにあるんだけど
神職さんがゴザに座って頭下げたまま
4回手を鳴らしてるのに伝統や格式感じてしまうな 柏手のときに体を屈められるのは、膝が着いているからであるし、それはゴザがあるから出来ることなんだよね
理にかなった作法だと思うよ >>206
蓙等がないとき、、、の略式が蹲踞礼?
伊勢神宮の古式参宮作法(伊勢神官)では蹲踞礼してから四拍手。
また、京都の上下の賀茂社の葵祭等でも宮司は蹲踞して天皇からの祭文を勅使より拝受しています。
ところで、いわゆる正座 って歴史的にはかなり新しい作法です。 日本の神は慈悲心もなく横暴で気まぐれで迷惑ばっかりかけるからね
仏道に帰依して人間らしい心を持ってほしいよ >>210
略式だろうね。しかし伊勢の蹲踞はとても古いものらしいよ。
足のうらをベタに踏んだままかがむかたち。
お相撲さんの言う蹲踞は「跪坐」という両膝を着く礼法をラフにしたもので、厳密にいうと同じではない。
正座が新しいのはそのとおり。そして正しいものではない。芸事での利便性から発達したもの。 >>191
厳密にいうと、合掌から手をすって二拍手。
「合掌+手すり+二拍手」というもの。 >>214
そうそう
手を合わせずに頭だけ下げるってのがすごい違和感なのよね
「拝むんじゃない!」とか言うやついるけど
なんで拝まれるのが嫌なのか理解できない >>213
いわゆる「正座」は、胡座や安座に比べて直ぐに立ち上がり攻撃/反撃に移り難いため新たに「採用」された。
といいます。 >>213
蹲踞礼に際しては足裏を全面着地させた上、両膝をぴったり合わせ(開かない)たママで屈みみんだ姿勢。
さらに、傾首して頭を下げる(垂れる))
この姿が恰も鵜が首を垂れた姿と似ている事から、
祝詞の最敬礼した表現に、「鵜自物宇奈根突抜け」(蹲踞して鵜が頭を突出した(下げた)ような姿勢)云々の定型句に成ったかと。
これは実際、文字通りにかなり「窮屈」な姿勢です。
上位の対象に何をされても受容する完全服従を体現した姿勢に感じます 鎌倉前期までの
足の裏を合わせて座る(最名寺入道像など)方法は
やってみるとわかりますが
完全な平地だとやりにくいですが
尻の下に段があるとこれ以上座りやすい方式はありません
どのような体型で座るかだけではなく
どのような地面に座るかについても
より着目した方がよさそうです お賽銭したあと土下座してる人いたがあれはなんだ?
ああいうお祈りの仕方があるのか? 五体投地は大陸西方へいくと腹も胸もべたーっと着けるみたいね。 今でいうウンコ座りが古代はじめの蹲踞だったんだよ。 両膝を付けて、足裏を全部接地したまましゃがみ込むのが出来ない人多すぎ 若い人でも
足首硬すぎだろ、それで急に走ったりするとアキレス腱切る 踵がつかない人は退化している
猿も二足歩行することはあるが、人と人以外の二足歩行の違いは踵がつくかつかないかだ
幼稚園児は踵をみれば精神的に安定している子供かどうかすぐわかる 足裏の全体でしっかり踏めてる姿勢はきれいだね。立っててもかがんでてもきれい。 >>223
ググったわ
そういうお祈りの仕方があるのは知らなんだ
教えてくれてありがとう 近古の伊勢神職はみんな立っている(歩かない)ときはうんこ座り「こごむ」だったらしい。
最近では省略してるらしく、立ったままでこごまないそうだが。
でも見ては棒立ちしてるより格好いいとは思う。
それとは別に、うんこ座りは実は腰にもすごくいい姿勢らしい。
ほとんどの座り方は腰が苦しくなるものだけど、
うんこ座りはむしろ腰が伸びる姿勢で、
すこぶる健康的なものらしい。
学校教育は近代ドイツ式の体育座りを教えてきたけど、
あの姿勢よりうんこ座りのほうが出来る人にはずっと健康的だよ。
たまにできない人がいて、それはしょうがないけど。 自分は外で社寺を拝むときは、立って一度かるく膝をまげて腰を落とす所作をする
それして「蹲踞を略式しました」っとしてる 神職が礼法の手本にならないとむずかしいでしょ
蹲踞礼だと周知でないと人が体調不良になったように見えて心配されるんだよ じゃあすしざんまいの社長みたいなポーズして参拝してみな じゃ(ぢゃ)
〔接続〕(接続詞「では」のくだけたいい方)
1 前の事柄を受けて、そう仮定すると後の事柄が起こるということを示す。それなら。「じゃ、私がいけないっていうの?」
2 前の事柄とのはっきりした関係がなくてことばを続けたり、話題を転換したりする時に用いる。それでは。「じゃ、またね」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988 >>232
伊勢神宮に残る?4起拝は、立礼と座礼(土下座)の一セットを4セット行います。
立礼と座礼を併せて8度拝礼する最高レベルの礼法?。コレを祈祷の前後二度(最初と最後)行います。(伊勢神宮に参宮して(チャリンコ参りではなくて、初穂五千円以上(御食殿)/15000円以上(神楽殿)を奉納して)御食殿/神楽殿に昇殿参拝すれば所在を拝見できます?) >>236
それ、関西で近代まで商人ら他がフツーにやっていました。
先の朝ドラ(明治〜戦後迄の京都、大阪が舞台) でもちゃんと再現していましたよ?
あと、祝い事での大阪(ナニワ)手打ちもちゃんとやっていたのにはほっとした(大阪手打ちの元々の出所は生国魂神社(伝説では、神武天皇御自ら創建為さった。大阪城天守閣のあの場所が元来の鎮座地)や住吉大社)。
大阪商人たちが商談成立と内容の遵守をお互いに神に誓約した。
ヨーォ打ちましょ。〇〇
も一つセ。〇〇
祝うて三度。〇〇・〇
おめでとうございます‼
(実はこれは略式。更に) # 「よーお」(パンパン)
# 「も一つっしょ」(パンパン)
# 「よーと三度」(パパンパン) 平田篤胤
「どのようにして神を拝むのか。柏手をうつのか」
寅吉
「柏手をうつときは、『天の御柱(あめのみはしら)』と言って大きく一つうち、
『国の御柱』と言って小さく一つうち、それから『八百万(やおろず)神たち、これにより給え』
と唱えて祈願します。祈願が終わった後に、また『国の御柱』と言って小さく一つうち、
『天の御柱(あめのみはしら)』と言って大きく一つうって、『八百万(やおろず)神、、もとの宮へ帰り給え』と唱えます。
神を拝むにあたって、『天の御柱(あめのみはしら)』『国の御柱』と言うと、
神々に祈願がよく届き、聞き入れてくださるものです。
ネタ元は平田篤胤著「仙境異聞」 232 名前:名無しさん@京都板じゃないよ[sage] 投稿日:2018/07/31(火) 11:27:43.19 ID:WSodc8fo0
今神社って柏手二回とか言ってるけど
そのうち初めの柏手は強く後の柏手は弱くとか
変なしきたり足していくよね
そんな気がする https://books.google.co.jp/books?id=-rEUGHc9c34C&pg=PA26&lpg=PA26&dq=
%E4%BB%8F%E6%95%99+%E6%8B%9D%E3%81%BF%E6%96%B9&source=
bl&ots=rogDN6j0sP&sig=epSRP8CQnl6dWgcKUtIsgg62pdM&hl=ja&sa=X&ved=
2ahUKEwje0PeA6__eAhUTM94KHeWQAWc4ChDoATAJegQICBAB#v=onepage&q=
%E4%BB%8F%E6%95%99%20%E6%8B%9D%E3%81%BF%E6%96%B9&f=false
(コピーして繋げてぐぐってね)
おもしろい。
北方と南方は、柏手をせず、掌を上に向けて掲げるような礼法だったという。
そのやりかたはアイヌと同じだそうだ。
そして、柏手を意識的に定めたのは仏教への抵抗からだったという。 >>249
寅吉って平田国学を権威づけるための傀儡だよね >>250
今日のパチパチ拍手っていうのは祝福を表すもので、これはキリスト教圏社会の習慣。
日本の柏手は、尊いことや厳かであることへの感動を表すものだった。
しかし、もうその感覚のある人はそういないとおもうね。 >>253
柏手だろうと合掌してるのはインド文化の影響だろうね
ただ古来の拝み方はこうだといっても日本人にとって方法なんてどうでも良かったって話にしかならないと思うけど
これを古神道だ、本来の拝み方だってするには文献的な証拠もないといけないし難しいでしょ 大祓上げるのに賽銭わきでやってたけど
最近は境内のどっかで社に向かってあげるので満足してる アイヌは両手を前に出して掌を擦るという礼法があります。
そして掌を上にして何度か仰ぐようにする。 >>258
ヤーヤーヤーヤー
ヤヤヤー
かーならーず手ーに入ーれたいもーのーはー そもそも恋愛のご縁にうたう神社なら
境内で男女は挨拶するくらいの和合があって良いとは思うが
その場じゃなくて願いは他の場で叶うというもんか https://artworks-inter.net/ebook/?p=2780
こちらも面白い。中国でとうに廃れた柏手が朝鮮経由で後年の日本で見つかっている説。
柏手=オリジナルではない。 手と手をすりすりするのは、礼っていうより、
日本人の癖としてもあるんじゃないの。それが作法化したってのはあるとおもう。 民謡が何時代からあるのか分からないけど
一拍目と三拍目に手を打って二拍目と四拍目に揉み手をするのは日本発祥なのかな?
そういう歌も元は大陸から来てそうに思うけど 日本のなかでも地域差あるだろう
京都人は神社でも柏手しないと言うし なにそれ人種が違うの?
明治に二礼二拍手は大抵の神社に適用されちゃったのに? 土地の信仰が長いからじゃないかな
たとえ明治政府の作為があっても
暮らしのしきたりには影響しなかったのでしょう
神仏についての知識があるというのも強かったのかもしれない 横着な神職により神様と参拝者の関わり方が
今以上に取り上げられないんだよな
そして深い示唆や変化も学びも今以上にないということなんだ
本当に神職の怠慢だと思うよ 民意が所作を発達させるのでなくて、神社側というか本庁側が、ハゥトゥ的にやりかた指示してるのがよくないんだよ。
神社の職員が立つ時、両手の指を前で揃えて立つっていうのが、神職本来の立ち方ではないって非難してる人いるけど、
そんなの日本人なら誰でも何処でもやってる癖なんだから、それでいいし、そういう日常習慣が所作になっていくんだからさ。 尊敬してますよー畏敬してますよーが伝わればいいんだろうね、パパンがパン >>222
それ、仏教の三礼拝の略式です。
また、ちょっと昔迄は関西の商家の礼がそれ、
両手を両の膝頭あたりに合わせて膝を軽く折って腰を屈める礼。の姿勢 柏手も拝もしたくない
だから手を合わせるだけ
でも合掌もちがうから
手を握ってる そこに神様がおられるなら何か神様が喜びそうなことは何だろうかと気に留めたら分かることもあるかと思いますよ >>274
拒絶する気持ちが良く分からないけど、そういう謎のポーズ神社でしてる人を見かけたら新興宗教みたいで恐いから神社に行けなくなりそう
すみませんけど人目は気にしてくださいお願いします >>276
すまないけど
二拝二拍手してるひと見ると
こいつこれだとかおもってるんだ
と 柄杓で手と口をすすぐやり方が気になるんだけど
昔は柄杓に口つけてたりしてたんじゃないかな〜 そりゃそうだ
昔は
おまいりする前に手を洗いましょう
だけだったよ
平成になってから色々ルールが増えていった >>276
おれは常々に思うのだが
神社参拝者が神道を理解していないなら
いくら神道の作法をしてても参拝者は新興宗教と変わりはないと感じるけどね
そういう意味で神職からじかに学べてる参拝者がどれほどいるだろうか
おのおのが勝手にやってるだけだ
神道という形だけで新興宗教と変わりはない 言われてることよく分かります。
形をせっせとやってることのほうがカルトっぽいんですよね。
変なはなし、ほんとにそうなの?と思ってるくらいのひとのほうが、
神道というものをまともに捉えようとしているのでは、
と思うところあります。 神社からすれば
お祭りでもないのにわざわざやって来てなんかお祈りする奴はみんなカルトだよ
うわーなんかパンパンやってるよーみたいな感じ そんなこと思うんですか、それはご自分がおかしいだけです。 >>277
人とは違う自分に酔う時期の中学生みたい >>284
すまんけど本当にそう見えてしまう
そのくらい不細工なことやってるというか
もう奇形だな
と 祈りって何だろうね
代表格にすでに神主が配置してるならいつも神主がやれば良いんだからね
参拝者が行くのもやっぱり御利益があるのが分かってるからで
願望もそれなりに通じる験が出るんだろ
それか参拝者ってのは願望があろうがなかろうが
神様の手元に呼び集められて本質的な祈りがすでに現されてるのだな がんばって二拝二拍手一拝していってほしい
こっちは見てることしかできないわ まぁ、たしかに立ってて、へこへこ繰り返して、
ぱんぱん無意味に二回で、最後のへこも謎っていうのはあるわな。
略礼のつもりで色々作りこんで失敗した例だな。 地域によって
地方によって
宗派によって
「違う」と言えばいいわさ
形式にこだわる必要なんてない
と言えばいいわさ
第一、こんなフラフラした考えで
何が形式は重要ではない心なんやろ
こんな奴に限って恋人には
高額なプレゼンをしてふられる
はさ、考え方がご都合主義だから
現代人の得意技 魏志倭人伝に当時の人が貴人への挨拶で手を打っているとあるようだ
神前で柏手はおそらくその習慣から来たもの
だけど全国的に二拝ニ拍手一拝の統一強制は明治からなんだよね >>292
古代すでに外交などで柏手を取りやめている。
だから天皇は宮中祭祀で柏手を一切打たない。
各地の神社神職だけが作法として打つものだった。
民間人は当然やらない。
神社本庁の前身が221をまき散らした。 鈴も吊るしたものじゃなくて
巫女が手に持って振って鳴らすのを賽銭のとこにおいてる地域あったけど
ありゃいい音色だ
あと賽銭のとこに大麻おいてあるとこも良いよね >>293
でも昔は柏手の数が違ったという地域もあると聞いたから
221前はまったく参拝作法にないかと言えばそうではないのでは
出雲大社の四拍手なんか江戸時代からこれではないの? 大体の違いとしてそうだとしても、ただし神職の業務的規定だぞ。
そして、ここまで同調化したのは明治期のテコだろう。もっと違ってたはず。 そこだね。「数は違ってます」なんてのは、すでにかなり同調化してる証拠。
ほんとなら、国津神の出雲族末裔と、大和のそれとでももっと違うはずだし、
九州や関東なんて異民族のはずなのに完全に飲まれている。 信仰は自由なんだから、自由に勝手に各々やればいいんじゃないの?二拝二拍手の方も含めてね
他人の信仰にギャーギャー言ってる暇あるなら自分のために拝んできなよと思う 今や慣習になってるんだから嘘も何もって感じ
歴史として古くを語るなら面白いスレになるのに、ただ今を否定して文句を言うのは情けないというか何というか 江戸時代のことすらわからなくなってるのに
もっと古くなんてますますわからんよ 問題は世間一般人が二拝二拍手一拝に違和感を感じてるってこと。 二礼二拍手一礼にしないと
元旦正月シーズン
本殿前とか混雑に拍車
がかかりまーす
そんな事も考えや!
元旦、雪降ったら足元も
危ないんやで そんなことを言ったら、並ぶ癖からどうにかすべきこと。
本来は神前は並ぶ必要ないんだから。 並ぶも何も
大晦日からカウントダウン
が初まるんやから
一気に参拝客が流れ込んで混んで
危ないよーだ 並んでるから前がつかえて混雑おきるんだよ。
前のひとも後続気になるし。並ばないことが良いケースもあるだろう。 参道も参拝客が一杯で
下がれませんから
並ぶ以前の問題やからね 参拝は作法だけなら願いはないわけで
いわずもがな神様には願いを言おう
感謝が良いっていうけど感謝や作法って神様もすでに分かってるわけだから
「何々お願いします‼」見たいに三秒くらいで端的に願いだけでも良いとは思う 並ばないでくださいって拡声器使われてるのも気づかないの
空いてるとこどこからでもお参りできますので云々聞こえないの 柏手打ちたいなら、柏手だけを好きなだけ打ったらいい。 神道は創唱宗教じゃなくて自然宗教なんだからどれか一つの作法に決めること自体がおかしいのでは この村が信じてる神様は記紀に載ってないので今後はこの神様を祀るように 関東人だけ221してればいいよ
そういうのすきだろう >>316
明治政府が国家神道の大号令(じつは徳川幕府が進めた国民皆仏教徒、皆どこかの寺院の檀家(寺請)制度の焼直し)
の下、それまでは神社の出自に係わる作法がバラバラだった(当然の事ですが)拝礼作法を
統一、画一化したのが二拝二拍一拝。
この二拝二拍一拝にしてもずーっと同じだった訳ではなく(お国からの通達等で)若干(かなり)紆余曲折(困惑、混乱)が有って、
敗戦後、GHQにより国家による神社の管理が消失(と同時に公務員で有った神職たちの地位や給料も消失)
(国から見放された全国の神社の宮司/神職らが善後策として集まって設立した宗教法人の)神社庁に参集してあれやこれやと話し合いの結果、
戦前の拝礼作法をほぼ踏襲した二拝二拍一拝の神拝作法を採択。これを以降正式な作法として公に伝播したもの。
それに反発した一部の神社は古来の作法?を一社の故実として黙認させたのが、
出雲大社、宇佐神宮、弥彦神社他の少数の神社。
京都の上下賀茂社(賀茂(鴨)皇大神宮)は表向きは二拝二拍一拝。ですが、重要な祭儀では古来の作法を守っているようです。(三回廻ってチンチンしてワンと鳴け!の元ネタは賀茂社の最も重儀の拝礼作法)
海上、船舶の拝礼作法も神様に奉り乗船を三旋回(通常は右旋回)。
日本連合艦隊(日本海軍)〜海上自衛隊にも伝承 ざっと見たがほとんどにわか知識を動員したサヨ系のでたらめで
訳知り顔で書き込みしているのがイタイ おれは鈴が気になるな…ないとこもある
そして鳴りも色々… >>292
様式として統一されたものがあった方がわかりやすいから
それだけのこと。
強制ってどういうことですか?べつにあなたが好きなように
参拝しても逮捕も連行もされませんよ。ご自由な方法で参拝したら
どうですか? >>323
神前で巫女さん等が鈴を鳴らして祓い清め、、、を簡略化したモノ。(鈴祓い)
ルーツを妄想すると、古代出雲王国時代に用いていた銅鐸=「サナグ(古代の正式な名称)」に行き着くかも? 「あめのみみ、こまのみみ
ふりたてて」きこしめせと申す
「もうす」じゃなくて「まおすぅー」
と聞こえるけどね
椿大神社では
GHQに、ここの部分も抹消されてるでしょう 祓詞なら息継ぎなしで言える…
しかし祓詞じたいで本当に祓戸神が祓えてくれてるのか疑問ちゃあ疑問だな…
巫女や神主が祓詞や鈴を鳴らせば格好はつくが…
そもそもおれはタバコきらいだからたまに神主でタバコ吸ってたり酒池肉林なら祈祷を受けたくなく効かないんじゃないのと思ったり… 明治以前は神前でも読経だったからな
仏式厳禁で何すればいいのかわかんなくなった神職が急遽でっち上げたもの >>334
>>333
いや違うだろ見てもないこと言うなよ
明確に指摘してるサイトあったら貼りなよ
神道と仏教はまったくの別物 >>335
おまえすごいレベルのバカだわ
もちろん低いほうね >>334
へえ〜
明治になる前の神仏集合とか本地衰弱とか(どちらも正しく変換されないw)、その時代で体感してみたかったわ >>328
単に日本人の発音の変遷なんじゃなくて?
けふ(今日)、てふてふ(蝶々)、も昔はマジでケフとかテフテフとか読んだって聞いたような気がするけど気のせいかもごめん >>334
たしかに神前読経が行われていた神社もあるが、これは仏教側のパフォーマンス
ですね。神もお経で救われる、聞きたがっている、という。たしかに霊格の
低い神ならありうるかもしれませんが、そのような一例をもってすべてを
語るというのは間違いでしょう。 >>334
後半の
>仏式厳禁で何すればいいのかわかんなくなった神職が急遽でっち上げたもの
という文章は、この文章自体がでっちあげです。書き込み者のレベルの
低さを露呈していますよ。
以下、神職がでっち上げたわけではない根拠
鎌倉期以降の宮中祭祀のうち重要視
される祭祀は天皇自身が行幸して儀礼を
整える 天皇親祭であり、
仏教に関係するものは
他の場所に移し、僧侶たちの供物は
神饌に供してはならないなど、
完全に仏事を 分離・隔離した神事優先・仏事排除の純神道が行われていたのである。
また、民の負担を避けるために
夜の行幸が行われるなどの民への配慮が
見られる。
大化年代には蘇我石川麻呂が
「神祇を祭鎮し、然る後に応に政事を
議すべし」と孝徳天皇に奉答した
ことなど古代、中世に仏事を制限して
神事を実行している神事優先の歴史的
事実がある。これをはじめて指摘したのは
成蹊大学名誉教授だった小島氏であり、
従来の神仏習合論一辺倒の左翼歴史学会に
一石を投じたのであった。
明治以前が神仏習合一辺倒だったという左傾歴史観はもう古いんですよ。 >>341
認めたくない事情の人ね、悪いけどそれ隠された事実なんだ。
本庁かなんか?言うと怒るんだよねー。 先日初詣で何社か回った時に空いてるとこで人がおれと前に家族連れがいてな…
長いからゆっくり絵馬見てたら一人の男が家族連れのあとに入ったわけよ
「いい子でいられますように!」みたいな内容を八つくらい言ってたかな
声出した時点でおれは「‼…」でさ…しかも内容が可愛いいよね…
しかも声も可愛いくて大きくてさ…何しろ願意が多いんだ…
でさ…実はおれは願いごともどうでも良い感じなんだよな…
それに回り気にしてまず声出さないよな…
ちょっとそいつから気付きを得たわけよ…
だからおれは次は明治神宮に行ったら「神様‼この参拝者たちの願いを叶えてください!」って大声で言おうと思う…
「恋人ください…!」「お金ください…」「平和をください…」みたいなのって本当にどうでも良いよね…
でもあからさまにそいつがやったのは何か巧妙が見えたな…アイツは正しい >>1
そろそろこの幼稚園児のような妄説を得意げに話すことは
かなり恥ずかしい赤っ恥だと知ったほうがいいですよ。
完全に左翼の作った妄説ですから。 ださすぎるんだよ、ださいやつだけやってりゃいいんだよ。 >>345
中高年以上、崇敬心はなし、常に不平不満をつぶやいている >>343
男をかわいいって、ホモか、お前は
川脇太一かよ >>348
【2ちゃんねる史上最強最悪の異常者である基地害さんこと川西貴明まとめ】
※2016年時点
[名前]
川西貴明
[住所・電話番号]
和歌山県和歌山市三葛83-5
080-4011-1669
[略歴]
・性別 男(ホモ)
・年齢 35歳
・実家暮らし
・新今宮-紀三井寺間でのキセル行為
・ホモ歴約10年
・20代後半からニート喧嘩師TAKAを名乗りネット上で喧嘩相手を募集し暴れ回る。
・飲酒運転での逮捕歴あり
・専門学校で問題を起こし3校とも強制退学
・退学された大阪メディカル専門学校の男子生徒(川脇太一)に対してストーカー行為あり。
・振られた相手の川脇太一を『大阪』と称し複数の板に渡って荒らす、その際、川脇太一の性別を婆と表現。男の振りをしてる女と表現してる。 大分市に住む66歳の男性が侮辱罪で科料9千円の略式命令を受けていたことが、1月16日わかった。
「日本国内に『生息』している在日」「おまエラ不逞朝鮮人」「チョーセン・ヒトモドキ」
「通名か本名に統一しろよ」などという言葉を並べていたという。 >>355
神道。は、
古代出雲時代からの幸の神三神+龍蛇神信仰をベースに物部(シナから渡来)の道教や宇佐の月神信仰ほかを混ぜ込んだモノ。
幸の神信仰は出雲王国時代は国教。
出雲王国が滅んだ(いわゆる神武東征と同時進行で壊滅的打撃を受けて王国は滅亡/しかしかろうじて王家(宗家)は残った)後も
〜古事記、日本書紀が編纂される迄の長きにわたり深く信仰されていた。
現在の我々の習俗や習慣、信仰も古代出雲王国時代から受け継いだモノが根強くあります。 出雲王国って紀元前13世紀頃に東アジア全土を支配していたやつ? >>358
出雲王国はBC-660年頃に成立。
17代にわたり主副二人の王により約700年の命脈を保ちました。 記録には「再拝拍手」としかなかったので、伊藤博文が勝手に決めた。
伊勢のと出雲のとどちらがという問題があって、どちらかでなくてよりインスタントなものにしようと意図したらしい。
あと、外国に対応するための立礼が必要だった。 立ってるので、手をつかないから、二拝とか四拝は変だし、不恰好でばかばかしい。
柏手も、拝をしてない時代のなのに、拝したあとに打つのは礼がかぶってる。
お祈りしたいなら両手を合わせて目を閉じるほうが自然だよ。 へんなスレが立っているので、既出だとして一度あげます。 地方や流儀でバラバラ
だった参拝作法を
わかりやく統一して
示したのが現行の参拝作法
なぜいちいちつっかって
殊更異議を唱えるのか
のが意味不明
集団参拝した時にバラバラの
ことしてる方のが変では? シロートが決めちゃったから。
しかもそれがダサいやりかたでお寒いから。
へんなものは淘汰されて当然。 >>365
歴史的根拠なく、便宜的に定められた、新しい形式を、
あたかも、原初からのものであるかのように・正当正統な伝統であるかのように扱い、
且つ、それ以外を、邪・錯誤として排除糾弾するような姿勢への苛立ちかと。
たとえばもし、
木片を火にくべて高らかに真言を唱え上げる護摩法要を、
お釈迦様以来の正当な修行法祈願法だと言ったなら、
滑稽極まりない発言となるが如く。 「初詣」は
「年籠り」や「恵方参り」
「氏神参り」の伝統を
受け継いで今の形になった
ことを無視してさも最近創作
されたかのようにのたまう
三流学者島田裕巳とその信者に
神社を語る資格はないだろう >>366 >>367
あなたはそうやって世の中のあらゆるものに
文句を垂れて一生を過ごすんですか? >>362
別に強制されてるわけでもないから
自分だけそうやって好きにやればよろしいやろ >>369
たった今おたくが文句たれてるんじゃないの?
上でも言われてるけどこういうのはやりたいやつがやればいいわけで、
やりたいんだろうからおたくがひとりその真似してればいいんだよ。
がんばってね。 その時々でいきなり誰かが左方決めたり、伝えられて調和したり、再度変更や分岐したり。
それを繰り返して今にいたるだけだから。
昔のはあってるが、今のは間違ってるとか、
そんなこと自体ありえねぇよ。
その昔とやらもさらなる昔とは異なるし。
上から広めても、下から広まっても、全てはあるがまま。 問題なのは正しいかどうかではなく
いつからそう決めたかを常に偽ろうとするその姿勢にある
戦後に決めたのなら戦後に決めたとはっきりそう言うべき
それを神代以来の伝統などと言い張るのが問題 何度も合わせた手を斜め下に払うように(人の字を何度も書くように)変な拝み方してる人いた
あれ何だろう
修験者系かな >>365
まあわかる
でも、幕府から金を支援してもらうために祭神を書き変えたり、寺系が無理に祭神を書き変えて神社を装わなければならなくなったり、神社庁に登録しろというシステムができたり、そういうの残念だなと思う気持ちは私もある >>327
>ルーツを妄想すると、古代出雲王国時代に用いていた銅鐸=「サナグ(古代の正式な名称)」に行き着くかも?
なにそれ面白そう
>>301
わかる この問題は、二拝二拍手をやるのをおかしいと思っている参拝者が多いこと。
おかしいと思って調べたら近代にうやむやに決められた所作であったことが判った。
変わっていかなくては伝統ではないのは勿論なので、
このような作法じみたことをもっともらしく語るやからは喝ということだ。
まぁ、
ださくていいなら是非やってなよ? >ださくていいなら是非やってなよ?
いや、みんなやってるじゃんw
初詣で周り見てみなよw >>379
いいよ?ずっとやってなよ。やりたいんでしょ?全然いいから。 バラバラにあった所作を最大公約数的にまとめた
指針にすぎないんだから嫌ならやらなくていいよ。
誰も強制はしていません。
むしろ、「二拍手は違うんだぜ」とか言いながら
意味不明な動作を推奨するアンチのが気持ち悪い気はするが >>382
出来が良いものと思うならやりなよ?ずっとやってなよ? プリクラと略されることが気に入らなくて「ちがうプリント倶楽部だから!」と突っかかってきたアスペみたいだ
時代錯誤は恥ずかしいよ
昔はこうだったらしいねーという話で盛り上がるなら理解できるけど、みんなやってる今のやり方に突っかかるのはアスペとしか思えない まぁでも現実問題、神社のつくったやりかたってお寺ではないものだったりするから、
そうなっちゃうとやりにくいっていうのはあるんだよね
一番いいのはお寺でも神社でもかまわずにできるような所作で、
それができれば神仏分離令以前の自然なかんじは出てくるんだろうね 二礼二拍手か
何の意味も無いよなw
右へ習えの日本人なだけ 毎年違う神社で初詣してるけど
行列の先頭を見てると皆スレタイしかしてないよ
貼り紙や立て札に書かれてるからね
神社側から提示されてるんだから従おうと思うのは当たり前でしょ
そういうのを破っちゃうオレみたいなのが好きな自己愛なのかな 実際ちょっとむずむずしてるひとも多くない?
たぶんおじぎよりも合掌をしたいひとが多くいてどの時にやればいいのか戸惑っちゃうんだろう >>374
おもしろそう
それ何だろう
>>391
慣れ親しんだ慣習を急に変えられるのは嫌だが
小さい頃からやってるし結局合掌も含まれるし別に気にならんけど 前も書いたけど
平泳ぎのリカバリーのように
合わせた手を前につきだして合掌するのが
スピ女の間で流行っている 正式な(儀式・儀礼としての)祈願・拝礼でないなら、
合掌一礼で良くね? 一人でやりたいようにやればいいのに
なんで皆を巻き込もうとするのか謎 ずっと被害者妄想的なこと言ってるのって1人じゃない?二礼二拍手一礼以外の拝み方が禁止されてるわけでもないんだから、気に入らないなら1人で勝手にしたらいいだけなのに頭大丈夫か?
各神社ごとに以前どんな拝み方だったのかは興味あるけど、ここそういう具体例ほとんど出て来てないし不毛なスレだな 神社がよくなかったっていうのはあるかもね
だって参拝者一般は経験的に良い形をつくっていたわけで、
神社でもお寺でもその形でやっていた便利なものだったのに、
本庁が二拝拍手と言い出してから変だなって思っているわけだから
そのせいでお寺のほうに参拝しにくくなっちゃうのはよくない事だよね レストランの緩いドレスコードのようなもんか
入店を断りはしないけどウチの基準はコレです
知っておいて下さいね、と そういえば、、
お寺さんはそういうこと言わないよね
柏手はしませんとか、合掌しましょうとも言ってない
やりようは違ってもみんなの信心を迎えような
人にどうしなさいとか変なの無いよね 客に強制する神社より
カスタマーファーストの寺の方がいいや 既レスにもあるけど東京の人間だけがこんなことやってる
カルト化しやすいんだね 全国結構いったが、神社はほほ同じだったぞ。
伊勢も4回手叩いてる人、皆無。 比叡山の修行者さんは柏手も打つんですよね
つまり「仏教なんだから仏教式だ」なんて断じておられない
なぜか神社組織のやからは仏教由来を嫌いたがる
ぶっちゃけ「のりと」だって読教のパクリなのにねー >>404
昔からの東京人は合掌しているんですよね
根なし草みたいな連中がそういうのにハマるんですよ
まぁ二拝二拍手なんてオカルトかもしれないですね >>405
うちも父の転勤や夫の転勤で全国あちこち行ってるけど、どこの神社にも「二拝二拍手一拝」って書かれてるし初詣客もそれに倣ってるね
だいたい東京で暮らす殆どは地方出身者なんだけど「東京人」て誰をさしてるんだか…
上でも言われてるけど、現実社会を知らない引きこもりなんじゃないのかな 昔は道徳観念として神道の敬神尊祖があった
国が、親や先祖=日本人の祖先=天皇に繋がる神々を敬って崇めるという風習を作りたかったから
もちろん最近の教科書には載らなくなった言葉
明治の終わりごろ、神道と仏教とキリスト教とで会議があった
その時に、仏教を政府公認の宗教にする代わりに仏教が神道の敬神尊祖を引き継がなければならなくなったという経緯がある、先祖を拝みましょうという布教
今でも敬神尊祖とか敬神崇祖とか刻まれた石碑のある神社が存在するのはそういうことらしい
>>407が何をディスりたいのか解らないけど、神道由来の寺はあるし仏教由来の神社はあるし、互いに交わってきた歴史があるのだから、パクりというワードは正しくないと思うよ >>407
仏壇の前で手を叩いちゃう系の人?何がしたいんだ一体 >>365
参りかた分からないから行かないって気持ちになられるよりは、参りかた示して誰でも来られるよってしたほうが参拝されやすいもんな
神社は間口が広いけど、逆に寺は参拝しづらい >>414
あー知らないんですね。地方と教養、ここですねー。 ひとのやってるの見るとほとんどが二拝二拍手でないんだが 参拝で並んでる人たちが看板の二拝二拍手一拝しますっていう図の説明を読んで
「二拝、二拍手、一拝、え?どこでお祈りするの、、」と言うのをよく耳にする そんなこと言ってる人みたことないな。
前の人がやってるの見りゃわかるだろう。
神社ほとんど行ったことない人が、
普段から全く人居ないような神社にいくわけもないだろうし。 ぶっちゃけに拍手に文句言ってる奴はいないと思う
問題は2礼
日本人はお辞儀の文化とかいうが
実際にはお辞儀のマナーwを何回も説明しなきゃいけないほど
立礼は日常生活であまり使わない
神仏に対しても同じで
本当に敬うなら「膝をつく」(←この表現自体に意味がある)
立ったままで「礼」なんてありえないこと
なので受け手の側も「立ってお辞儀」されてもしっくりこず
粗探しをして文句をつけることになる >>427
惜しいとこ言ってる、ちょっと違う。
おじぎは座礼が元なのは事実そうで、
ただ、それは座敷(インテリア)の所作だった。
おじぎは本来は座敷で手を置く所作だった。
で、手を置くのは屋外でやるのはできないから、
江戸時代頃には膝に手を付くことで略礼になった。
つまり膝は関係ない。膝を付くことが礼だというのは中国の蹲踞。
にほんの場合は膝は関係なく、手を置くのが基本。
ちなみに大相撲の膝浮かして蹲踞したりその時柏手の後に手を左右に広げて落とすのは、
昔は土に膝ついてきざ立ちになって手を広げて土に付けた礼を省略したもの。 伊勢神職はゴザしいて手をついてるがあれはイスラム教の拝礼にそっくりだよな
元々そういうももだったのを立ってやろうとしたから変になったんだろう
そもそも一般人はそんなことしないしな 知らずに、ただ合掌するとか頭を下げるとかそういうのはいいと思う。
でも、一応決まりを知ってしまったからには
それに何の意味があるのか?効果があるのか?は はなはだ疑問なんだけど
とりあえず俺は二礼二拍一礼はするね。
大げさにオーバーアクションではなく、あくまでも控えめに。
仰々しく所作を正してお詣りすることこそが神様に対する礼儀だという考え方もあるだろう。
でも俺は控えめでいいや。 そんなの人それぞれでいいでしょ
分からない人に対してのガイドが二礼云々なだけで まあ、
仏式でも、寺院でなく会葬や法要の参列で
線香の本数とか焼香の回数とかお鈴の叩き方とかそもそも叩くか叩かないかとか
細かいこと言い出すとキリないしね 道行きのそこらへんのお地蔵さんに二拝二拍手一拝するんだろうね凄い 高野山の弥勒石を持ち上げたときは
お礼にパンパンって打った
ここは打つしかないと思った 阪神大震災の追悼でもみんな拝もしないし柏手もしないよ >>437
え?普通に仏壇やお墓に手を合わすでしょ? >>438
どう言い訳してみても、二拝二拍手にはならないからね? >>439
そりゃ神社だからだろ?
お前バカだろ。 >>437
阪神阪神って最近になってやたらうるさいけど
これって震災=東北なのに、「うちやって震災やで」とか言いたいからだろ
ぶっちゃけ
列車脱線事故の方が大事件なのにな(しかも人災w) 針のついてない釣り竿垂らしてんじゃねーよw >>441 >>440
神社でしか通用しない二拝二拍手。
お寺以外もどこでも通用する合掌。 >>443
両掌を組んでから胸元で十字を切る。
キリスト教限定の作法なんだろうけど、これに対してあなたはどう思いますか? >>444
いつどんなタイミングでするんだろう
いつでもどこでもなのか
教会でだけなのか
朝とか夜とか関係あるのか
懺悔するときなのか祈願するときなのか
逆になんとなくでやってもよいのか
一つだけ言えることは
よくわかってないことをよくわからないままに
他の何かに対する例として挙げるのはよくないということ >>445
よくわかっていないのは自分だけじゃない?
普通、十字切るシチュエーションって洋画などで触れている。
それが外国の日常を正しく表現しているかどうかは別として。 >>446
> それが外国の日常を正しく表現しているかどうかは別として。
いやいや
それが問題なんじゃないのw
映画とかドラマ見てそれが向こうの習慣を正しく表してるとか思わんだろ
あくまでその作品の設定
で?その十字を切るってのは
カソリック、プロテスタント、英国教会、東方正教会の諸派で同じなの?
その礼は略式だと思うけどどこまでのシーンなら許容されるの?
よくわかってる>>446さん教えて > それが外国の日常を正しく表現しているかどうかは別として
こうは書いているものの
向こうの映画やドラマでそれが普遍的な日常の光景・慣習として描かれているんだから
そういうことなんだろうなあと思うよ。
そこに突っ込んだら負けだろう。他に突っ込むところないの?って感じ。
日本の映画やドラマで日常の光景として仏壇に手を合わせる、神棚に柏手を打つなんてのを描くのと一緒。
神棚に関して言えば、このスレの議論の的となる二礼二拍一礼ならずとも
とにかくお辞儀してポンと手を叩く。ことだね。
イスラムの礼拝の地べたにひれ伏す型ってのは、昔からのどの宗教にも共通する仕草でもありそうだ。 >>448
> そこに突っ込んだら負けだろう。他に突っ込むところないの?って感じ
いやいや
下の質問に答えてよ
前にした質問にもw
イスラムに関しても
一つだけ言えることは
よくわかってないことをよくわからないままに
例として挙げるのはよくないねw 座の礼法だったものを外国人の手前あるからどうしよう言って
てきとーに二拝二拍手で済ましとこうよみたいな
しかも決定したのが政治家で国学にも礼法にも素人だった
一般人は合掌したいのに看板の説明読んで困っている
並びながら「あれどうしよ。やる?」とか相談始めるほど
「どこで手を合わせるんだろうね」「なんか分かんないからいいや」
鈴ガラガラー顔の前でぱしっと合掌
背後の列(あっそうだよねそれでいいのよ自分らもそうしよっと) 適当なデマばっかりだな。
二拍手かどうかはともかく柏手は打っていた。
神仏混淆系の密教や修験系でも行っていて今でも
残っているところがあるのだが、これも明治の強制なのか? 2例2拍手(←出ないw)が問題なのに
拍手だけ取り上げてぐちゃぐちゃ言う奴って
問題の筋が理解できないのかな >>451
やっててね?これからも?
うちらはみんなやらないから? 贔屓目なしの中立に見れば、明治の分離は文革並だよな・・・ 神社「ブッキョーはきらい!シントーはこうだもん!ねっ!」
一般「え、なんだろあれ、二拝?二拍手?やばい無理ゲーかも」
ある日「さぁ皆さん、震災の慰問しましょう。」
一般「さぁお祈りしなきゃね」
神社「いやシントーだからそんなの」 ひどいのは
「神様とは個人の願いを叶えてくれると言った俗な存在ではありません。
私たちは感謝の心をささげるだけです。」
って奴なんだけど
これっていつごろから言い出したんだろうね
21世紀なってからだと思うんだけどw 戦後の宗教学者。
現世利益は迷信で本来の宗教の精神から離れているとする思想から
啓蒙を重んずる現代人(←ここ大事)は信じるべきではなとする説。 じぶんらは神道だとして独自のやりかたを持ったものの、
そのやりかたは限られた神式でしか通用せず、
生活の様々なところで支障をきたすことに気づいた。
しかし礼法を定めてしまった手前それを認めることができずに、
御祝いの場や慰問の場はバックレて、人の集まりの席でも神道無関係のふりをきめこむ。
結局こそこそと神道OKのところをネズミのようにちょろつくことしか出来なくなった。
現実の日本社会にすら不適合な輩どもとなってしまった哀しき二拝二拍手。 >>459
いやいや、神前では神式の、仏前では仏式の作法を以って対応しますけど。
どこぞの国とは違って、日本人はそういう作法に柔軟に対応できるのが良いところ。
神道ガチガチで教義や作法に縛られてなんて人、ごく一部にしかいないでしょうに。
神職の方でもお寺さんに行ったらその作法を尊重して受け入れると思うよ。
日本人は、なんて言ったけど、外国人観光客を見ていても
彼ら国の違う人たちも柏手を打ったり合掌したり
日本の宗教の作法を受け入れようと努力してくれている姿をよく見るよね。
仏像盗んだり火をつけたり油まいたりするような国の人(韓国人)もいるみたいだけど。
あんたは神道を叩きたいだけで、単にいちゃもんつけているだけ。
知能も低いように見受けられる。
このスレにはふさわしくないので他のスレ・他の板に場を移した方がいいと思うよ。 >>460
神職連れて行って地方の古くある祠へ行って、
どんなご挨拶をするのか楽しみでならないね? >>461
そんなのその祠次第・その人次第だろ。
それが庚申塚だったらどうお詣りするのが正式なの?
神仏習合ってのが日本の特徴だし、お詣りお参りの仕方の定型などない。
それぞれの思うように気持ちを込めて手を叩くなり合掌するなりすればいい。
慰霊の意味の祠・道中安全の祠、祠のそれぞれにそれぞれの意味があるんだよ。
お前、一丁前に色々突くけど、一々筋からズレてるんだよね。 神職だからって二礼二拍一礼しか許されない。
頑なにそれを守ることしかしないって思っているの?
そうだとしたら相当の馬鹿。若しくはチョーセン人だろ。 >>463
おやおやだったら神社で合掌してもかまいませんね?
合掌しますよいいですね?参拝1000人きて1000人合掌してしまうかもしれないけども? >>464
神社で合掌してもいいんじゃないの?
誰もダメだとは言っていませんよ。
一応の決まりはありますけど、お詣りの仕方は個人の自由であって
気持ちがこもってさえいれば細かい作法など気にしないという所がほとんどなのでは?
逆に、お寺さんに行くと、ここは仏様にお参りする場所なので柏手は打たないでください
なんて注意書きが貼られていることは良くありますけどね。
これに対してはどうお思いですか? >>465
看板、どうします?二拝?二拍手?
お寺さんは修行僧ですら柏手も握り手もしておられますね? 昔は(ドラマや映画の影響かしらんけど)
パンパン、合掌
だったようなイメージ。 駄目な理由は何だろう? 亡くなった方のお墓もあるから
それに向かって拍手、柏手はふさわしくないってことだね。
柏手なんかはめでたいお祝いの席なんかで打たれるものという性質もあるので。 やりたいでしょうか。
やりたい人はがんばってやっていてください。 >日本人はそういう作法に柔軟に対応できるのが良いところ
常に時の権力の言いなりと乗っ取りの歴史が日本の宗教だと思うけど何を言ってるんだ 民衆は柔軟も何も「ご先祖様神様仏様」と一緒くたに拝んでいただけだよね… 東京の移民だけが二拝二拍手をやる。
つまり移民を見分けるのに使えるね。 宗教も何も持たない人が勝手に言いたい放題。信じるものがないのだから何でも言ったら。
どうでも良いって結論で良いんだろう。 おそらくこれらのスレを書いているのは50〜60歳の方々。あまりにも詳細に詳しすぎます。
宗教に批判的になるのは理解できます。おそらく色々お調べになったのでしょう?
でもご自身にはなんの役にも立たなかったでは?文書等の入手があまりにも簡単なので
教えなんか直ぐ分かりますものね。それで良いんじゃないですか? 良スレだとおもう
政府の分離令でむりやり造った事だったのとか知らなかったから自分も危うく騙されるところだった >>473
こういうコピペの人って何なんだろう
さんざんレス貰っているのに 昔から土地のものを信仰してきた歴史がある地方のひとは二拝二拍手とかやらないっていうのは
実際そうなんだろうというのは分かる よく地方に転勤するけど、どこの初詣もニ礼ニ拍手しか見ないぞ こいつ自演だろ
東京はこうって決めつけて同じ事ずっと言ってる奴 自演とかじゃないよ
ここに書かれてることを読んで納得したことを書いてるだけ 少なくとも神社庁に属しているところは2.2.1って賽銭箱の所に表示してあるな。 >>486
上でも言われてるけど、それを見たことがない引きこもりなんだろうよ 上でも書かれてるけど神社が特定の礼法を書いちゃったから失敗したのかなって思う >>483
どういう意味
どんな都会にも僻地にも転勤場所あるけど
>>489
何が失敗なんだ
下記に同意で寺の方が失敗してるように見えるけど
>参りかた分からないから行かないって気持ちになられるよりは、参りかた示して誰でも来られるよってしたほうが参拝されやすいもんな
>神社は間口が広いけど、逆に寺は参拝しづらい 日本人は右ならえだから何かしらの例を示されてるほうが参加しやすい
それに信仰心のない時代だから自由に思うままにと言われてもかえって困るんだろ 正直ID:3FdvQbCE0が何を言いたいのか全く解らない
ただ神社に悪意があるだけのようにしか見えない なんか今もそうやって二拝二拍手はおかしくないんだって言うのも無理してるように見える 昨日ニュースになってたような、勝手に色々と変えたりプライベート費用を経費で落としたりして町人から非難されてるような神主はウワッて思うけど
ニ礼〜については氏子や参拝客が納得してるんだからそれでいいでしょうに >>494
おかしくないって言ってるんじゃなくて、それでいいと思ってやってる人はそれでいいだろうし、嫌なら思うようにお参りすればいいだけの話
あなたはあなたのやりたいようにやればいい
そういう時代
他人を変えさせようとするのは余計なお世話 思うんだけど自分の生活の感覚のなかから221とか絶対でてこないってこと >無理をしてる気がする
>無理してるように見える
その思い込み何なの… もう風習になっちゃってるんだから仕方ないじゃん
本でもテレビでもスタンダードの参拝方法として案内してるくらいに一般化してるんだから それって変なことをしてるんじゃないのかなって心配になる >>497
神社に行ったことある?
無理しないお参りってどうやるの? NGID:3FdvQbCE0
会話も成り立たないし主張が謎 そうじゃないよおかしくないよって言うひとも自分で気づいてることだと思う 謎主張ばかりしてる人、他人のレスは読めないのかも
同じ事を繰り返しすぎだしアスペルガーの疑い とにかく二拝二拍手とかちょっとなって思うからここに書かれてあることは大事だなって思った 江戸城の鬼門封じである神田明神くらい伝統ある神社ですら庶民どころか氏子みずからニ礼ニ拍手一礼だけど?
東京は東京はって東京批判してるやつ東京を知らずに何を言ってるんだ?
都民じゃない自分でさえ分かることなのに、どんだけヒキなんだよ? 東京でも昔のひとはそんなことしてないんだよね
二拝して二拍手して一拝とかもう怖すぎてホラー映画見てるみたい そもそも神社はまともな作法や教義もないのを、
それぞれの時代の仏教や寺を参考に、
政治的強化、民族支配強化を狙って天皇を中核に思惑で各種定義してきたものなんだから
昔は、とか、政治が、とか言うのが変だろう。
そもそも神社はあるいみ、
最初から、出発からしても、
政治的に古事記使って、
上から下にむけたナショナリズムの道具なんだから。
習合や分離、長い時とGHQの日本のナショナリズム否定の思惑とのブレンドで、
実態も、向いてる方向もわからん、
ぼんやりしたものに拝んでる、
といった文化とも習慣ともつかない不思議な状態になってるだけなんだから。 数日前に伊勢神宮の内宮で御垣内参拝してきたけど、神職さんに御垣内で、二礼二拍手一礼をして下さいと言われて、神職さんと一緒にしてきたよ。 ここずっと時代錯誤なやつが現状批判してるけど、そんなに気に入らないなら自分の好きなようにすればいいだけだろ?いつまでも同じことグチッて痴呆なのか? 個人的には、二拍一礼ぐらいがテンポがいい感じがするね。
二礼二拍でそのまま手を合わせて頑張ります。もリズミカルでいいかも。 リズムとか考えるなら
2例の時に縦長の楕円を描くようにするとよい
右回り、左回り、パンパン、フーン 考えてみれば
拍手ってのは踊りの一環なんだから
前後もそれに合わせないとだな
二拝とか一番不適w ダサいし気持ち悪い様子だと思う
好きなひとがやってたらひくかな 外国のひとのブログとかでもあれださいって書かれてる ただ、
「動作的に」「お辞儀を連続二回」ってのは、やり難いのも事実(^^;
流れが悪いというか、体操みたいというか、むず痒いというか だから体操みたいにすればいいんだよ
手を頭の上にグッと伸ばしてから
グルッ、グルッ、パンパン、フハー 祈念とか感謝の心とかから普通あのようなプレーが生じることはないよ
気持ちと所作が一致してない
分裂症みたい ID:HGZs0HrT0
普通じゃない言いぐさだな
戦後の神社に親でも殺されたのか うん、いろんな呪いの言葉を小出しに執拗に吐いてる人は気持ち悪い >>529
相手にするだけ不毛なのでNGして相手にしないこと >>527
>>529
なんでそういう哀れな育ちかたしたのか背景が気になるわw このスレの書かれた知識をよく読めば史実としてもおかしいことが判るんですが みそぎ祓の後、大祓の後、その他あらゆる神事で
神職が普通にニ礼二拍手一礼をしている
立て札にも書かれている
それに文句があるなら神社に直接提言すればいい
こそこそアングラで参拝客をグチグチ貶して毒を吐いて何がしたいのか謎 神職ですら変な作法だなと思いながらやってるわけだからね
でも神職自身では辞めたりできないし
このままこんな作法やっていたら神社とか神道は疑われていくよね
近づきたくもない存在になってきませんか お稲荷さんを例に挙げるとして
勧進して社を建てたらそこが神社になっちゃうし、家の神棚も聖域になっちゃう。
お稲荷さんには神道系も仏教系もある。
神様だから、仏様だからという区別での議論をまず封じることのできる存在。
他の神社やお寺さんでも
御眷属を拝借したり、お札や掛け軸の書(天照大神と書かれていたり、南無妙法蓮華経と書かれていたり)
偶像崇拝ダメゼッタイの代わりに掛け軸に書かれたお経拝むって面白いよね。
年取ってる・足が悪い・体が弱い。遠出するのが難しい人用に近所に呼んで社立てて拝む。
富士山に登れないからミニチュアの富士山作って登拝して、ご利益いただいて満足して帰って幸せ満載。
こういう大衆の思いを漏らさず全てを許容するようなルーズさ・曖昧さ、最高だと思うね。
日本だけじゃない。
キリスト教だったらロザリオを胸で握りしめたりとか、協会のイエス像・マリア像。
信教の強さ、厳格に教義・儀礼を守るだけではないという所が素晴らしい。 >>536
>神職ですら変な作法だなと思いながらやってるわけだからね
思い込みw
>お稲荷さんには神道系も仏教系もある。
残念、それは表向きw
神仏習合の時代にごった煮になってる
あと人それぞれ自由にすればいいってずーっと言われてるのに何がしたいわけ? >>537
封じるって何を封じてるのかまったく意味不明
まず問題提起からしてエラー
わかったことはお前のオツムのバカなことだけw >>538
>残念、それは表向きw
>神仏習合の時代にごった煮になってる
馬鹿だなぁ。
神仏習合のごった煮が先にあって、明治時代に分離されたんだろ?
その前提をそもそも理解していないんだったらこの板に来るなよ。
>>539
問題提起など一つもしていないけど・・・
ただ自分の感想をつらつらと書き綴っただけだぞ。 なんか思いついたらしいけど
なにも中身がないってことなんだがw
やっぱり「お前はバカ」なことが全世界に知れ渡っただけで終わったね また?誰かにそう言われたの?
当たってるよその人w >>540
>馬鹿だなぁ。
>神仏習合のごった煮が先にあって、明治時代に分離されたんだろ?
だから分離は表向きで
実際まつってるご神体は変わってない
文盲なのか だれも二拝二拍手なんてしてなかったんだよ
でもずっと神さまは拝んできていた
そのやり方を作為的につくりこんだことで失敗したお恥ずかしい作法
知らずに二拝二拍手がんばってるひと見るとカルトを感じるわ >>544
智○ガー智○ガーは休憩かい?
まあお前はこれからもっと忙しくなるんだけどな めちゃくちゃ機能してますね
ここ読んだらどれほどおかしい事か明らかになりますよ
識者かたがたよくぞ書いてくれたものです
こいつらのおかしさがあらわになって >>547
アスペみたいな一辺倒の主張で凝り固まってるやついるけど、不都合なレスは知らないフリして逃げるんだよ
だから初期にマトモな会話できてた人がいなくなる なんか話の一つでも出来てるひとはおられるんですかね
わたし以外に お前が一番できてないんだから
その基準は全部逆なんだろうなw 訪日した外国人のブログみましたか
散々な書かれようだったけど >>555
デマじゃなければその外国人のブログのリンク貼ってよ。
まさかその外国人ってのが韓国人だったとかいうオチじゃないよね?
俺が見ているに、外国人も見よう見まねでパンパン手を叩いて文化を理解しようという人多いけどね。
あと、中国人かな?絵馬に願い事書いて奉納している人がかなり多い。 他国の宗教施設に観光に行って
そこでの儀礼や慣習に文句垂れたり叩いたりするような奴は
日本人であっても、国籍関係なく狂ってるというか
他国の宗教・文化を尊重することが出来ないちょっと頭の弱い人じゃないの?
韓国人とか日本の宗教施設に油まいたり火をつけたりとキチガイがデフォだけど
それと一緒に考えてそれがごく普通な価値観だと捉えて物事を語っちゃいかんよ。 >ちょっと頭の弱い人じゃないの?
かなり透明あぼんされてるから誰に言ってるのか分からんけど、同じ事ばかりオウムみたいに繰り返してる人は頭が弱いというかASDだと思われてるよ
話にならないから相手にしなくていい 古くは神によってどういう拝み方をしたのか、地方史や民俗学の面白いところを語れたら良スレなのにね 埼玉の坂戸に聖天宮という道教の豪華絢爛で見事なお宮さんがあるんだけど
そこはおみくじを引くのにもお祈りをするのにもお供えをするのにも
様々な儀礼があって超複雑。
でも説明書きに沿って、説明役の方の教えに従って
見よう見まねでその儀礼をやってみるってのがすごく楽しいしいい経験になる。
ここ超おススメ。一度はおまいりに行ってみるといいよ。
向こうのジュースなどのお土産の自販機もある。おもろい。 いやすでに貴重なスレだよ
書いてある事はかなり精査に秀れている
神職とかその手のはバカだし研究してないから分かってない
ていうか分かってしまったら苦痛だろうね
こんな馬鹿げたことしなきゃいけなんだから
あ、でもバカに馬鹿な作法はぴったりか キチガイとか頭が弱いとか、おたくらそんなこと言ってるだけじゃないですか
勝っちゃったかな 元々なんか言い始めたら神社自体、政府が側からの操作でしょ?
1500年前からずっと。 大昔の政府が示したことは、マンセーするが、
100年前の政府が示したことはイヤとか笑いますよ。 大昔の政府は日本人がやっていたが、100年前の政府は田布施の朝鮮人が穢多・非人引き連れてやらかしてたものだから、我々日本人にはそぐわない。 1000年前から神事の専門家というか本物がやってきたわけでそれは正しい
100年前につくったのはまったくのシロートの無い知恵さらした愚策 政治家が首つっこんで決定したのがよくなかったんだよね
神道だというなら神道家の連中で考えればよい
よってクソ作法 正統なる祭祀血統の方々以外のエッタや非人がこしらえたのが現行の神社本庁教。 祝詞とかも始まりは仏教の読経の真似事だったのに、
いつからか白を切って神道独自のものだって言うよね。
建物のなかで拝礼するのだって仏教のお堂の真似だったのに、
神社本庁は仏式を悪い事のように扱おうとする。
合掌はダメどころか最近では、
「神道は手を前で合わせない、手を合わせるのは中国韓国のせいだ」
とかバカげたことを抜かしてる。中国人も韓国人もそんな習慣ないのに。
そんなことぬかしてるから今では日本人からも「神道の考えや行いはカルトっぽい危ない」と意識されるように。
いいザマだと思うよ、二拝二拍手みたらこいつカルトだと指差して嘲笑ってやろう。 これだけ様々な意見が書き込まれていて無かったことにしたいですか ぼくはスレ主ではないが事実として共感したと言っているんだよ >>570
では一つ問うが
神道そのものを信仰することに関しては否定しないのかな?
神道そのもの、それをありがたく思う人々の思いに関してはカルト認定はしないということでいいんだよな?
単純に明治時代以降に作られた二礼二拍一礼に従う人だけをカルトとして認識すると。
あなたの今までの書き込みからは神道そのものに対する病的に異常な嫌悪感がにじみ出てきているけど
神道そのものを否定する気はないの?あるの?まずそれをはっきりさせましょう。 >>574
複数人が書いていると思うんだが、オレに関してはそれでOKだよ。
明治の薩長土人教=現行の神社本庁教だけは、日本人の自分には許容しがたい。朝鮮かどっかいってやってくれ、って話。 >>574
少なくともぼくじゃないですよ
嫌悪感とかはぼくが知らしめたからかもしれませんが 明治以降の国家神道は
村に何代も言い伝えられてきた素朴なカミガミの伝承をすべて破棄し
記紀に記載された天皇を中心とするカミに塗り替えた
廃仏毀釈なだけではない
およそ2/3のヤシロがそれにより破壊された
神道を騙る神道破壊
それが今の神社 >村に何代も言い伝えられてきた素朴なカミガミの伝承をすべて破棄し
>記紀に記載された天皇を中心とするカミに塗り替えた
これはあるよなぁ・・・ 当時の合祀政策は、明治39年(1906年)8月10日の勅令第220号
「神社寺院仏堂合併跡地の譲与に関する件」を受けた同月14日の内務省通牒に基づき、
「府県社以下神社ノ総数十九万三千有余中由緒ナキ矮小ノ村社無格社夥キニ居リ其ノ数十八万九千余ニ達」するので、
その中から「神社ノ体裁備ハラス神職ノ常置ナク祭祀行ハレス崇敬ノ実挙ラサルモノ」を対象として、
神社の「設備ヲ完全ナラシムル」と同時に「資産ヲ増加シ、維持ニ困難ナカラシメ」「尊厳ヲ計」るという名目の下[1]、
1村に鎮座する神社を基本的に1社にするという神社の整理を目的に行われた政策であるが、
その結果氏子の地域や信仰の有無、由緒、規模に関わりなく、
複数の神社の祭神を1つの神社に合祀して元の神社を廃したため、
通牒前に190,265社あった神社は同42年には147,270社に減少、
僅か3年間でおよそ43,000社の神社が取り潰された[2]。 >>580
その作法が作られるにあたってその時代に何が起きていたかを検証するのはスレ違いではないぞ。 >>580
神社を統合する過程で「作法」wとやらも統一されていったんだろうが >>570
日本人が立っているときに手を前で結ぶように立つのを神道的に許せないと言いだした
それで小笠原流とか持ち出してきて伝統的じゃないとか言いつけて韓国のせいにした
日本人はなにも韓国のコンスの影響なんかまったく受けず自発的に身につけたのに
現代神道は狂っている みんなすごい詳しいな。二拝二拍手は嫌かな。二拝は動きがめんどーで、二拍は二がしっくりこない。たくさん打つか、でなければ一でいい。
自分の場合は手を一度叩いてそのまま合わせて、気持ち入れて、終わったらおじぎ。小さい頃からそうしてきたな。 よくある「海外の反応ブログ」から
魏志倭人伝の頃の中国から見た日本の記事。
https://kaigaino.net/archives/4830
その中に
>人々は父子、男女にかかわらず同じ態度で接しており、酒を好んだ。敬意を示す際には拍手をした。
とあって、拍手なんてのは大陸にも通じるものだと思っていたけど
古来からの日本独自のものだったと知ってちょっと驚き。
父子、男女にかかわらず同じ態度で接しているにもかかわらず、敬意を示す存在。
同じ立場であってもその生活の中でで功績を立てたものなのか、ムラのオサなのか、「神」と言われる存在のものがいたのか。
二礼二拍一礼という作法がどうこう以前に
「拍手」「柏手」というものが魏志倭人伝以前の古来から日本にあったということを知れたことに感動した。 当時の中国に無かったというわけで、その柏手も元は朝鮮のものらしいですよ 日本に独自のものなんてないんだからw
新しく何か始めようとすると
そんなの聞いたことない
普通はそんなことしない
とか大ブーイング
ところが他ではこんなことやってるとか聞くと
うちもやる自分もやる
それが日本の文化なんだから
まずそれを受け入れないとダメ みなさん二拝二拍手にだまされなくなって嬉しいですよぼくは うちの父が二拝二拍手って書いてあってもそれに沿わずに、
パンって手を合わせて握って祈願していたのを見て、
それでいいよなーとは思っていた。 ぼくはそういうものこそ何より正しいんだと言いたいんですよ これで神社本庁の浅ましい工作は一網打尽となりました 神道は宗教ではないってのは
個人で「私は○○宗です」とか勝手に選べる対象じゃなくて
日本人なら誰でも崇拝するべき対象(ただし中身は政府が決める)ってことでしょ 天皇ですら仏になりたがっていたという事実は隠したいですね。 2例2拍手(←出ないw)が問題なのに
拍手だけ取り上げてぐちゃぐちゃ言う奴って
問題の筋が理解できないのかな いやむしろ二拝のほうがおかしく思ってるだろみんな
元々は座礼で両手をつきながら再拝するっていう所作なのに
立って腰からカクカクするのがおかしすぎるってことだよ 作法を気にしないでやると
まず「○○神社の神様」と言って一礼
「何々を御守り下さりありがとうございます」と言って一礼
まだ何か言いたくて「何々をよろしくお願いしますね」でまた一礼
何か言うたびに一礼 そして去り際に一礼
一礼というのは作法関係なく自然にしてるよね
パンパン拍手と鈴はやらない 笑
昇殿参拝なら合わせてやるけど まぁ、ふつうに人と接するようにやっているわけだな。
それはいいことだな。 問題なのは一礼のとき
手をどうしてるかなんだけどな
手は横にピシッと伸ばして!ってのが明治軍隊流で
今では社会のマナーwになってるわけだけど
合掌した方が形としてはサマになるのよね
誰だろうね一番初めに「拝むな!」とか言い始めた明治バカはw それは思うな。
手を前に出さないのに屈体するのはかなり変。
いつからか手を横でぴんと伸ばすのが出はじめたが、
そんな姿勢になることはおじぎの仕来たりからしてありえない。 >手を横でぴんと伸ばすのが出はじめたが
想像だが、これは軍隊から来たものじゃないだろうか?
西洋式軍隊を取り入れた明治の頃からだと思うな。
軍隊では直立で手を体の横で真っすぐに保ち→敬礼 となるけど
これを神式に当てはめた時に、その形でのそのまま体を前に傾けての礼。となったと。
というか、学校教育での 気をつけ→礼 もこれだな。
まぁ、目上の者(神様・先生)に対する作法としてこの流れが定められたんじゃないかと。 つまり日本人じゃなくて薩摩穢多や長州非人が始めたこと。
日本人の我々が従うべき次元のことではない。
鮮人か大阪人にでもやらせとけ。 大阪人は薩長を嫌う側の人らだぞ。基本関西はみんな薩長嫌いだ。 >>612
学校教育の形式ですら軍隊のを転用したものだからな。
やっぱり明治期というのはいろいろと間違いはじめた、今では負の遺産だな。 いやぁみなさんよくお分かりですね
そういうことですよ
二拝二拍手なんてクソカルトです
指さしてやりましょう 明治神宮で薄手のじゅうたんを敷いて、拝礼している外国人女性がおられたが、
その様子はなるほどという説得力があったな。
膝ついて、手を仰いで、伏すような拝礼。なにか言葉を唱えながら続けていた様子だった。
大昔は日本もこういうやり方に近しいものだったとすると、
今の221とか見れば馬鹿げているのはよく分かるし、
それを見た旅行者がブログにシントーの作法ダサすぎと書くのも当然といえるだろうな。 >>617
△拝礼している外国人女性がおられた
○拝礼している外国人女性がいらっしゃった(いらせられた) 二拝二拍手などというものに染まってしまった我が人生を悔いてやみませんか で、二拝二拍一礼に従わないという人は
お詣りするときにどのような作法でお詣りしますか?
作法は個人個人で自由だと思うけど
実はお詣りする気なんかそもそも欠片もないけど、とりあえず何でもかんでも批判して
日本の神道下げに必死になっているような人がこのスレには多くいるように感じるのは俺の錯覚ではないはず。 おててのしわとしわを合わせて〜って聞いたことないの >>623
それは一般的には仏様を拝むときの作法だな。
まぁ神様にお詣りするときにそれでも問題はないとは思うが。 >>622
おやおや
このスレの有識なかたがたが神社にお詣りする気がないだなんて
俺はずいぶんな物言いはじめましたね
なんなら口喧嘩でもしましょうか おてての節と節を合わせて不幸せ〜
って言葉もあるから要注意。 >>626
俺は?一体?どんな作法とってるんでしょうねー >>627
そんなのは長谷川のCMがまずないと出てこない言葉だよねw ふつうそこでそんなレスしないですよね
やっぱちょっとあれなひとなのかな 基礎の基礎。仏教と神道の違いがわかってない。
このスレにいる資格ないんじゃない? ちょっと前読めば神前でも挨拶でも合掌って話になってるのわかるのにな
インドタイネパールでは日常の動作だろ
現代日本(明治以降日本)だけ
なぜか「仏でもないのに拝むな!」とか言われる
ナマステ (サンスクリット語: ??????, namaste) は、
インドやネパールで交わされる挨拶の言葉である。会ったときだけでなく、別れの挨拶もナマステである。
https://yoga-lifestyle.net/wp-content/uploads/2019/02/8025524493_1f49c7696b_o-227x300.jpg
動作
この挨拶をするときは、合掌(胸の前で両手を合わせること)し、多くの場合は軽くお辞儀をする。
仏教と共に、ほとんど同じ動作がインド文化圏の外に広がった。
タイではインド同様に挨拶でおこなわれ、ワイと呼ばれる(ただし挨拶の言葉はサワッディーである)。
日本でも仏前でなされる。 お仏壇の長谷川のcmから引用しといてそりゃないわ。
議論する気ならばもっと真面目にやれ。 >>610のどこにお仏壇の長谷川が?
目が見えないのは知ってたけど自覚してないとは思わなかったよw まぁ、完全にブッディムのように行う必要もあらないわけですよね
カミっぽく表現できればいいわけですから >>633
せっかく拾って来て引用したまではいいのだが
その最後の一行に
>日本でも仏前でなされる。
なんて出てきて自分の主張を自分で潰す結果となっていてずっこけた。 ちなみにインド中心に広がる挨拶の礼は
合掌+お辞儀ではなくて合掌+眼を閉じることのようです
まぁ、眼を閉じれば自然とお辞儀に近いものになるのでしょうけれども >>637
現代日本(明治以降日本)だけ
なぜか「仏でもないのに拝むな!」とか言われる
ってちゃんと書きましたけどw
現代日本の日常生活で合掌とかしたら変人扱いされるよ
それも明治政府の仕業だけどね まったくそのとおりで、シントーは合掌を排除しましたけど、
さて、果たしてシントーどもは今日頃どんな暮らしを迫られているんでしょうね? >>638
>まぁ、眼を閉じれば自然とお辞儀に近いものになるのでしょうけれども
合掌した手を顔前に持ってくるか胸元に持ってくるかで違いが生じると思う
日本ではお辞儀を考慮してなのか
親指を顎の位置に持ってくるような合掌をする >>642
本場の仏教の国では思想の表現が合掌なので
そういうところでは眼の高さで掌を合わせる
日本ではそこまでのことはされないかな
やっぱりお辞儀がしたくなるし 核心突いて悪いが、在日チョーセン人の嫉妬と
そこからくる劣等感、憎しみに溢れてるよな。
日本には世界に誇れる歴史と文化が残っているのに
優れた朝鮮民族にはなぜそのようなものがないのか?
どんなに歯ぎしりして悔しがってもどうにもならない。
で、必死に神社を叩いて気を紛らわす。と。 違う違う神社が朝鮮なんだよ
正確には江戸時代までの神社を明治に朝鮮流にしたというかな
忘れてる人いるけど明治日本は朝鮮大好きだよ
自分の国にしちゃおうと思うぐらい
そもそも戦前のウヨサヨと今のウヨサヨの立場が逆転しちゃってるのを見ればわかるが 朝鮮人部落である長州・田布施の連中がこしらえたのが明治以降のシントー。
日本人には到底受け容れ難い新興宗教。 映画の寅さんみたいにパンパン合掌が多かった気がする >>644
>本場の仏教の国では思想の表現が合掌なので
>そういうところでは眼の高さで掌を合わせる
左手が仏で右手が人、つまり合掌とは仏と人が合わさるという意味で
これはインドでも日本でも宗教上の理論では変わらない
問題はその位置で
眉間の白毫(第三の目)が仏性の覚醒に重要な部位ということで
眼前に合掌を持ってくるのも頷けるが
であるのなら首を垂れるのは腑に落ちない
しかしいわゆる小乗仏教の様に
俗人が僧侶に対する儀礼として合掌の上お辞儀をするのなら
あり得るが、この場合掌は胸元の方でも構わないことになる > 左手が仏で右手が人
もうこの時点で何言っても説得力は皆無だわ
神道大全でも読んでろよ朝鮮豚w ま、話は通るようにしてくださいね
立て直しますけど二拝二拍手なんてきもちわるいですよね どーしたんですかー
逃げちゃうんじゃーないでしょーねー 気持ち悪いかどうかはその人の感じ方次第だからなぁ。
人それぞれだとしか言いようがない。 でもほら、外国人旅行者にもブログに書かれてしまうくらいなんですから >>650
>神道大全でも読んでろよ朝鮮豚w
合掌は仏教あるいはインドの風習なので
さしあたって神道は関係ありません
意味不明の事を言わないでください
柏手と合掌は別ものなんですけどね そういえば、手を合わせるとき下に向いたままで合わせる人もよく見ますね あれは合掌と礼拝がセットになっているのかも
仏像と相対するばあいは首を垂れるとか なるほど
または、手は合わせたいけれど仏教のような教養はもたないというとこの素直な所作かもしれません >>657
その外国人旅行者っての、コリアンなんだろ? >>658
何言ってんの
数珠を左手で持つ意味知らないのか
エセ仏教徒は半島にお帰り バカチョン(おそらく女)大人しくなったな。
どうした?効いてるのか? ちょっとカルトっぽかったですからね
まぁ分かったんでしょう 二拍手はなぜ2?と思う
二拝は大変そうだなって思う
最後の1拝しかやった気がしない でも、昔から
ドラマ、映画、リポート、バラエティ等での描写は
「パン、パン、一礼」 だったような気がする(´・ω・`) 制作のかかるものでは一応ひな型っぽくやってるのかも まあ、思い込みのステレオタイプってこともあるかもけど。
坊さんだって、
刑事や登場人物が話を聞きに行ったときとか、
何日でも何時でも、掃除してるしねw
んな一日中外掃除ばかりのわけねーだろ、とw
しかも、お経読む格好で掃除や庭仕事してたり。 二拝二拍手は嫌なんですよ
見てやるぶんにはまぁご勝手ですけど 見てがきもちわるい上に、実際おかしいことも史実で明らかですからね。全ムリですよ。 チョーセン人には受け付けられない作法なんだろうな。わかりますよ。 なにか他のもののせいにしたって、どうにもなりませんよ。 どこかおかしな会館とかでやっててほしいものですよ。 創価学会の犯罪者達
●池田大作『信平信子レイプ訴訟』
●池田大作『月刊ペン事件』
●池田大作『大阪事件』選挙違反で逮捕
●藤原弘達『創価学会を斬る』の出版を巡り創価学会と公明党による言論・出版の弾圧と嫌がらせ
●藤原弘達の葬式に祝電を贈る嫌がらせを行なった創価学会員
●創価学会による日本共産党委員長・宮本顕治宅電話盗聴事件
●創価学会による新宿替え玉投票事件
●創価学会副支部長 木村昌幸 強制猥褻事件
●迷惑電話3000回の地区部長 谷口博司 実刑判決
●NTTドコモ事件 福原由紀子さんに対する集団ストーカー事件で創価大学卒 嘉村英二に実刑判決
●元公明党委員長の矢野絢也氏への創価学会幹部による脅迫と言論弾圧事件
●公明党江戸川区議・松本弘芳(江戸川区文教委員)児童売春で実刑判決
●公明市議の赤井良一。妻を餓死させ実刑判決
●ジェイフロンティア株式会社
●中村 篤弘
●元公明党市議の山田喜八郎。道交法違反(轢き逃げ)逮捕
●覚醒剤取締法違反、公明党市議・大石尚雄。逮捕
●公明党参議院議員・片上公人セクハラ最高裁敗訴
●聖教新聞配達員 硲篤代 寺のお供え物を盗み窃盗罪で逮捕 >>684
また自己紹介?
カルトと言えば在日チョンのコミュニティ&アカ・反日サヨクのことだろ?
これはカルト化しているというレベルではなく、確実にカルトそのもの。
これ以上日本を腐らせないためにも、一刻も早く日本から追い出さねばならん。 例えば両手ともカバンとか持ってるときに
挨拶しなきゃいけなくなったら
荷物降ろすよな
でも荷物降ろして手を横に揃えてお辞儀するなら
別に荷物持っててもできるし
降ろす意味ない
だから両手に持ってるものを放すなら
合掌して挨拶するのが自然だ
https://yoga-lifestyle.net/wp-content/uploads/2019/02/8025524493_1f49c7696b_o.jpg
それを拝むなとか言い始めたから
きょーつけでお辞儀=礼とか変なことになってる この島田説、完全に間違っているのだが、
神社アンチの左翼連中がそう思いたいのならば
そのままどうぞ。
ちょっと自分で歴史調べればわかることなんだがな 誰が間違っている、ということにして火消ししたいのは分かりますが、
しかし二拝二拍手がきしょくのわるいものである事実は覆りませんよ。 https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/sanpai
>神社に参拝する場合、どうしても形にとらわれてしまい、
>終始形式的になりがちです。参拝作法は、
>永い間の変遷を経て現在、
>「二拝二拍手一拝」の作法がその基本形となっています。
>永い間の変遷を経て
https://www.yoriso.com/sogi/nireinihakuichirei/
>作法としては前述の通り、神社祭式に記載された
>「再拝拍手」の考え方から始まっているようです。
>ただ、当時の人々は、それだけではどのタイミングで「再拝拍手」を行うのか、
>具体的な作法が分からなかったと言われています。
>かつて内務卿を担当していた伊藤博文から
「一揖(いちゆう・浅い礼)、再拝、二拍手、一揖が正式な作法である」と語られたところから、
その当時は「一揖、再拝、二拍手、一揖」が正しい作法として、世間に広まったのではないでしょうか
>その後、1882年8月に明治政府から、神道政策の一環として、
>「皇典講究所」が設立され
>そこでは「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」という内容で、指導が行われ、世間にも
>その後、「再拝→二拍手→押し合せ→祝詞奏上→押し合せ→二拍手→再拝」など、
>従来の作法を基本として、動作の追加も見られたようですが、
>昭和23年に神社祭式行事作法が改訂され、現在の「二礼二拍手一礼」になったと言われています。
>一時期は「一拝」がなかった時期もあったようですが、皇典講究所から
>「終わりの一拝がないと締まらない」という指導があったとされています。
>いろいろな経緯を巡りながら、参拝の形式は「二礼二拍手一礼」へと昇華されていきました。
>さまざまな事柄や人物、機関が長い年月をかけて定めた作法ですが、
>実はそれでもすべての神社で行われているわけではありません。 だからどうぞご勝手に二拍手なしの無言合掌しててください。
神社側からはアンチの要注意人物だとわかりやすくてちょうど
いいですから >いろいろな経緯を巡りながら、参拝の形式は「二礼二拍手一礼」へと昇華されて
>さまざまな事柄や人物、機関が長い年月をかけて 家では家族相手に二拝二拍手とか言っているんでしょうか。
合掌はいけないと言っては世間に背を向けて暮らす毎日でしょうか。 まあとりあえず統一の作法作るのはいいじゃないか
日本の神社なんて創建の頃の形(有形無形限らず)をそのまま維持してるとこなんかほとんどありゃしないんだから 博識な皆さんのレスを読んでくださいね。
再拝というのは座で手を着いてからの所作であって、
柏手も大きく打って尊さを表現します。
それを馬鹿が二拝と思い込んで決めつけ、
外国に対応するとかぬかして立位でやるだのと迷いだし、
結局あのへんな格好を世間にさらすどころか、
外国の人にまで勧めているという間抜けっぷり。
外国人のブログには「日本シントーの作法ださすぎ」とボロクソに書かれ、
昨今では神社本庁のカルト化の疑いすらもたれている二拝二拍手。
しまいには合掌する人々を怪訝にするような精神状態、
狂気の沙汰、現代神道二拝二拍手! 明治いせ、伊勢神宮の御師(神官)が伝授していた
所謂、伊勢神官流の
二拝。蹲踞。四拍手。一拝。
から
現在の
二拝。二拍手。一拝。
明らかに尊敬、崇拝の形としては劣化、劣悪化しているやろ。
蹲踞はいわば絶対服従を体現した重儀の礼法。(一社の故実?で行っているのは京都の上下の鴨皇大神宮。葵祭で宮司が勅使から勅書を拝受する際。正月の両宮司がお互いに社参の際ほか) 古来が良い、戻せば良い、というわけでもないんですよ。
そこは難しいんですね。 >>709
しかし、日本人ならばやはり日本人の伝統にならうべきだろう。
薩摩穢多や長州鮮人のこしらえたカルト宗教に従う道理はない。 >>710
いやね、
柏手も借用したもの、拝とかも真似事したものなんですよ。
なので「これがベストな日本の作法」とは思えないわけです。
改めて、いまこれからの時代のベストな、
人々の感性にじゅうぶんに満足するような礼法を見直さなくてはならないんです。
説明書なんか要らない、我々のセンスの課題なんですよ。 >>712
おたくは二拝二拍手してればいいです。ずっとしててください。 まあ宗教だから。統一性ないとってな感じじゃないのかしら。そうするといつしか神様よりも人間を拝むようになっていくんじょないかしら。それを偶像崇拝と思ってますが
あと感謝でも拝礼でも拝む人がみんな自分はどこどこのだれだれとちゃんと伝えようとしてるのか興味ありますね ○一拝。三拍手。祈願(荒神真言)。三拍手。一拝。
○二拝。三拍手。有言祈願(黙祷では神さまは聞こえない)。四拍手。一拝。(古式出雲臣(幸の神)作法)
○二拝。蹲踞。四拍手。一拝。(伊勢神官流)
○四起拝。八開手。単手一段。一度拝。
○一拝。右三旋回。蹲踞二。祈願。左三旋回。一拝。(「三回回ってワンと哭け」の元々)
○浪花手打ち(生国魂神社や住吉大社等が出所)
打ちましょ。○○
もひとつセ。○○
祝うて三度。○○ ○
略式はここまでで「おめでとうございます」オッ\(^^)/
住吉大社は六拍手? >>716
よく考えたら、中世ごろには日本もだいぶオカルトだったのかもしれませんね。
近世に入ってましになったとか。 いや二拝二拍手が素人の考えたインスタントなのは事実だろ
失敗だったっていうところまでは論ずる価値ある まったくですよ、こんなぎこい障害者みたいなマネできませんね。
きさまらやってていいですよ?ずっとやっててね?遠くで見てますから。 提案、目の前の台に「手を置く」というのはどうでしょう。
台は腰高くらいだとちょうど良いと思います。
それならば座敷に上がることなく、立位でも座の所作に近いものが出来る。 >>727
いいんだよ、二礼二拍手なら二礼二拍手でさ
問題は、それを日本古来だとか伝統だとか思わされてること
天皇制や神社全般についてもそうだし、もっといえば「日本人」の成立も本当のとこ教えないからな いやでも、二拝二拍手がきしょくわるいというのは事実思うんですよね。 神社で柏手打たないやついたらこのスレか島田の信者ということか いやそもそも金刀比羅宮自体が
江戸時代までの祭神を捨てた不敬極まりない存在なんだけどね
金比羅大権現はふもとの松尾寺で祀られてる しかし今回の金刀比羅宮の決断は良識ありましたね。
いかに神社本庁が腐ったカルト団体かということです。
こいつらが神札(よく分からない立て型の紙の札)や奇形極まりない参拝作法をでっちあげました。
だんだんと気味が悪くなって日本人は神社から足が遠退いてしまっています。
神社はけっして教派にしてはいけない、作法化することでカルトが起きるんです。
もともと、神棚も要りませんし、神棚専用のソレを買い替える必要もない。
お賽銭でなくてもお供物はなんでも良い。
巫女さんの手を前で合わせて立つこともなんにも悪くない、むしろ素直。
神社をカルト化する昭和の危険分子、神社本庁が日本の神道を壊そうとしています! 二拝二拍手なんてまさに神社本庁のやらかした恥部、日本人を狂わせる元凶ですね。 >>737
神仏習合なんて中世からだろよ
象頭山自体が神奈比でなかったら寺も神社もできてねーよ 神代の昔に帰るなら
今後は金比羅さんじゃなくて
ゾウズさんって呼ばないとな
金比羅さんなんて中世以降なんだから 現在の金刀比羅教
宗教者の活動・布教・教化
金刀比羅信仰の宣揚に従事し、祭典、礼典を行なう。
信者の家庭での日常的な信仰生活(儀礼・修行など)
・信者→本教を信奉するも、家宗が他宗教であるもの。
・信徒、教徒→本教を信奉し、家宗も本教に改宗したもの。金刀比羅本教を信奉する。
信者の宗教施設での活動
信者の宗教施設での活動 朝夕の拝礼、家庭祭祀(霊祭)
幽深殿(祖霊社)への春、秋の祭典参列。
参加・所属について
参加・所属の手続き 信徒になるには改宗が必要、他はなし
参加・所属の単位 家族単位
他宗教との重複 できない いちいち細かいことにネチネチとイチャモンつけてる神社アンチと
その賛同者の性根を疑う
やってることはただのクレーマーだろ >>743
もともと象頭の神様のガネーシャ=サルタ彦大神を鎮祭したから象頭山。
また、大物主神にされた御祖神様をも併せ祭った。
コンピラはワニのクビラの転化。
インドの川ワニとコブラがそれぞれ神格化して習合したのか龍蛇神。
以上は出雲族が信奉する神。「幸の神信仰」という。
祭ったのは出雲族の讃岐忌部かと。
時期は3000年前には大物主神様になられた出雲王国の副王、富王家の八重波津身命(事代主命)は生まれていないので
早くても2200年前以降。但し、出雲族が四国地方を領したのは三千年より古いかもしれません。(出雲王国(BC-660年〜約700年間)の直轄領だった) 明治政府が流布したルールだから、俺は1礼でいいと思っていつも1礼のみにしてるわ。2礼ってヘンテコだよね 手を着くことが拝礼なのにそれを無くして立ったままでどうにかしようとするところに無理が起きたわけ そもそも、この問題を自慢げに取り上げた島田裕巳氏の説の起点が
根本的に間違っているのだから、それを鵜呑みにして二礼二拍を
批判している時点で随分と恥ずかしいことをしているわけですが・・ そもそも、この問題の起点として島田裕巳氏の説と自慢げに取り上げることが
根本的に間違っているのだから、それを鵜呑みにして二礼二拍を
賛美している時点で随分と恥ずかしいことをしているわけですが・・ そんなやつ誰も知らないしここのやつも一度も名を挙げていないぞ
あるとしたら小笠原流を持ち出して巫女の立ち姿勢すら文句つけた件だ とりあえず二拝二拍手はクソださでいいよ。
外国人も失笑物。 ちょっと違うんだよね
例えば源氏に出てくる六条御息所だけど
彼女は斎宮になった娘にくっついて伊勢に下り
物語の後半で戻ってきたときに言うことは
「罪深き所ほとりに年経つるもいみじう思し」(澪標)
つまり長い間神宮にいることは、御仏の加護から離れ罪深いことと
紫式部と、その当時の読者たち(貴族層)は思っているわけ
現代では伊勢斎宮=穢れなく清らか、みたいな発想になってしまうが
穢れは神社に近づいてはいけない、というよりも
穢れないように神社に隔離されている斎宮の方が罪深いという認識は
現代の神社感のままでは理解できないんじゃないかな >>756
おまえら、これを言い出した学者の名前も知らないで
あーだこーだ言ってたの?
レベル低すぎ! まぁそういうわけで二拝二拍手はきもいということで。 >>513
それに違和感です。
神職は最高儀礼の四起拝。八開手。一拝。
しもじもの庶民には劣悪化した二拝二拍手一拝。
なのか?
論理的な説明会を希望。
明治以前、伊勢の御師(神官)が参拝者に伝授したのは、
二拝(立礼)。蹲踞。傾首して四拍手。一拝(立礼)
蹲踞礼は地べたに平伏しないけども、絶対服従を体現した最敬礼 。
多分、魏史倭人伝にも記述されている作法かと。 このまえきちっと二拝、二拍手、てやってるひとがいて
こうやってカルトってできていくんだろうな怖いなーって
思っちゃった 酒池肉林、バスタードのまんが、むちゃくちゃになるとか、東条家がこんな感じとか、ほっといたんやろ。酒ようのむ子な、酒池肉林。俺、のみたいなで、俺は健康がいいで。そんに、酒豪はだれ お釈迦さんは酒池肉林の世界に生まれ育ったが、長じてからその境遇に嫌気がさして出奔しちゃったんだ
虚しくなったんだろな >>768
そのうち物事が正されるのを期待するしかないでしょうね そもそも日本の神道は二拝二拍手一拝であって、二拝二拍手などという話は日本の神道では聞いたことがない。少なくとも>>1が日本人でないことは明らか。どこの国なのかはお察し。 私は、神社参拝と三拝を掛けて
天津神をお詣りする時は二拝二拍手一拝
国津神をお詣りする時は三拝三拍手一拝
例外として菅原道真公は二拝二拍手一拝 __、
,r´⌒ヽ,⌒ヽ,ヽ
(⌒)、 .人 λ\、 .___
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| \ \ / (__人__) \ 二礼二拍手
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(__ノ ヽ、__つ 医師とか自衛隊が優遇されないのはおかしいだろ?医師や自衛隊とヒキニートを平等にするのは間違っている。 運転手あの世に出ていないと言われてたよね
まぁJOはショーだし客入りに関係ないし
だから実際は毎回エッッッッッて実況してほしい 霊感商法のターゲットが若者が四十代以上のもんてないんじゃないかな…今年ワールドで金取ってたらさ
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