9801が発売されなかったらこうなっていたっ!Part2
ひょんなことから、PC-9801が無い世界を想像して創造して下さい
是非、西◯彦氏に逝ってほしいと、願っております。
西氏に関連するマシンなら、他のでも可
前スレ
9801が発売されなかったらこうなっていたっ!
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/i4004/1009616193/ 98以前って、640×200がグラフィックのピクセル数として一般的だった。(カラー表示として)
98はそこを640×400カラーにブレークスルーして来たんだよな。 カラーで縦400出せるマシンがなかったんだ。
98はそこをブレークスルーした。
グラフィックでもテキストでも縦400がベースとなった。
日本語を完全に英文字と同じように使えるようになったんだけど、
そのためにも必要なことだった。 >>1
PC-9801が西和彦とどう関係あるんだ? >>4
三菱パーソナルコンピュータMULTI 16ですでに640×400で8色カラーでしたよ
98が凄かったのは漢字表示はグラフィック画面に書き込むのが当然であって、いかに速く描けるようにするかって時代に、
漢字テキストVRAMで漢字ROMを直接画面表示するようにした事 日本語をグラフィックで処理するという方法は今でこそ完全勝利したが、あの時代の処理能力ではやはり無理があった。
テキストVRAMの方式があの時代では唯一の正解。 富士通機は昔から一貫してグラフィックVRAMしか持ってなくて、テキストとグラフィックの重ね合わせに難儀したな
TOWNSはスプライトもグラフィックVRAMに書き込んでいたが、当時としてはそれを実現するにはまだまだ性能不足だった 当時、16ビットは業務用というような空気があった。
PC-9801が個人用途に16ビットをもたらしたと思う。 VAがダメダメなのを察知した88ユーザーが、業務用として普及していてスペックも似通っていた98に移っただけ 初期はfm11が8bitよりだったのでまともな8086+msdosは98しか選択肢がなかったな PC-9801は英数字と同じように手軽に日本語を画面表示出来た。そのおかげで日本語ソフトが充実したんだよな。
ワープロ、表計算、データベース他。これらから、個人で事務処理をするという用途が広がった。
業務でなく、ゲームでもなく、個人で事務処理。それがPC-9801の本質だと思う。 PC-100が存続して、
FM音源追加されて
88VA2相当に昇華したに違いない。 98は初代からμPD7220というチップを積んでグラフィックの描画をやらせてた。
グラフィックアクセラレーターのはしりだな。 98のBASICって、88と互換性あったけど、MS製じゃなく日本製だったんだよな。
だから高性能だった。 98以外でテキスト画面に漢字を使えたのはここら辺?
1983年 マルチステーション5550
1984年 X1turbo、FM-16β
1985年 MZ-2500
1986年 J-3100
1987年 MZ-2861
1988年 各社AX DOS/V機に押しまくられて、右ハンドルパソコンとか宣伝してたけど時すでに遅し。
IBMに媚びてたらパックリ食われたと。
独自性の追求が弱かった。
極端な話、縦書きOSとか、独自の日本語プログラミング言語とか。
海外勢が追随できないくらいにぶっ飛ぶべきだった。 世界標準OSじゃなく、日本独自OSで国内を席捲出来なかった時点で世界標準機に価格競争力で負けるのは必至だった。 NECが教育パソコンでのBtron採用反対派だったのが皮肉
世界で主流なMS-DOSじゃないと子供が社会に出てから困るなんて言ってた
98で日本のソフト産業が困ったとは >>16
J-3100は漢字VRAMは搭載していない
一部の機種で搭載してたけど(ビデオモード75h)対応ソフトは見たことがない >>19
搬送隊事業部はVシリーズの基盤をTRON規定で導入推進派だったけどね。
9801の情報処理事業部はその場選びな能天気でWINTELしていただけ。
浮草稼業の故か日電のパソコン事業はすでに消滅しちゃっているしw なんか、えらいさんが「勝負は性能ではなく互換性で決まる」という信念を持っていたと聞いた。 >>17
漢字TVRAMなんだから、表示アドレス順序変えて、縦書きテキスト表示や高速横スクロールも簡単だったよな
DOS/VのV-TEXTでの縦書き表示のように横書き当たり前になってて今更な話になる前に
パソコンならワープロよりもテキストエディタとして高速って売りに出来たろうに
縦書き文化残して、Windows時代にも一部マニアがやってたように縦書きWindows化してれば独自性も残せてたか Windows 1だか2はタイルパターンのウィンドウでしかも、640x400では解像度荒すぎで使えたもんじゃなかったな Windows Ver.1は、OSがメモリ領域の管理をしていたんだが、いかんせん、8086のリアルモードで動いて
いるんで、OSの管理を無視したメモリの使い方が何でも出来てしまう。
ユーザーのモラルに任せるしかないんだが、ユーザープログラムのバグでOSが死ぬという悲惨な代物だった。 NEC、PCIeカード型ベクトルエンジンを単体販売。2.45TFLOPSでメモリ帯域1.53TB/s
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1290368.html
悪くない。
これを上手に活かせるリファレンスPCをNEC自身が出しても良いんじゃないか。
PC-9801の時代にこれくらいぶっ飛んでほしかったが。 そもそも、PC-9801の企画自体がIBMのパソコンのパクリ企画だったんだから、
独自性の主張なんて無理。
上層部に互換性命という考えがあったようだが、敵は完全な互換機だった
わけで、分が悪かったな。 >>1
80年代はX68000の前に68000搭載のPC-68VAが登場して全国統一
90年代には、NEC主導で68040/60搭載PC-6821が発売され、その互換機が世界標準機になってたかもね PC-100でなくPC-9801を選んでしまうところがNECの限界。 PC-100が主力マシンになったところで、海外勢に勝てたとは思えんが。 当時、NEC内部で68000を使ったPCの企画があったそうだ。
企画はそこそこ進んだんだが、結局、没になった。
NECの器がそれだけでしかなかったってこと。 N5200シリーズがモデルチェンジを繰返して主流になっていた? まあ、日本の個人レベルでのITの発展そのものが遅れていただろうな。
それくらい、98の果たした役割は大きかった。 PC-100はもうちょっとホビー寄りだと思う。
N5200から続くような分野はやはりPC-9801なのでは。 N5200からの連続性というのはNECとしては望ましいことだったろうけど、
西和彦は絶対受け入れなかっただろうな N5200
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PC-9801
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PC-8801
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PC-8001
という流れが出来たからな。
PC-100はその流れから外れていた。 68000は、機械語レベルでプログラミングにものすごいわかりやすさと柔軟性があって
CPU界のエリート視がされていたんだけど、その柔軟性があだとなって、その後の高速化
で行き詰ってしまった。インテルの方が、プログラミングが不自由であった分、
動作予測がしやすく、ハードの最適化がやりやすかった。皮肉なもんだ。 実際、モトローラは68040で互換性問題を起こしたあげく、最後には
68000シリーズを放棄してしまったな。 >>44
最適化って言うより力づくだよね。複雑な分、力づくでやろうとすると、回路の規模が
爆発的なことになる。 >>44
一方でインテルは特権モードが後付けで、更に投機的実行とのすり合わせを考えていなかった為に、
Meltdown/Spectreが発生する事に今まで全然気が付かなかったという
68000みたいに最初からユーザー/スーパーバイザモードというのを念頭に置いておけば、
こういう事が起こり得ると予測出来てたかも知れないのに 68000系が死んで、8086系が発展してるのは、世の中何が有利になるかわからんもんだと思う。 その 8086系が伸び悩んで 6809末裔とも言える ARMに喰われつつあるなんて想定外 ARMも苦肉の策な短縮命令で生き残ったもんだし、綺麗ごとは基本失敗する >>50
ARMは6809末裔とは言わないと思うぞ。
6502のシンプルさを等という話もあるが、こじつけみたいなもの。
>>51
x86系が微細化含め昨今停滞してしまったからね。
停滞が速度アップや効率化の為にも綺麗ごとを通し始めた。 よくわからんが98無かったら、88シリーズのひとつとして日電株から82年ごろに16ビット機出ていたんじゃないか? PC-88VAとかな。この頃のNECは自社でCPUを作ってたから何でもアリだったな。 >>53
82年だと88の初期だから、88シリーズの一つとしては出ないだろう
元々μPD8086と、μPD7220を作っていて使いたいので名前は違っても98に近いモノが出たのでは。
NECがμPD8086やμPD7220を作っていない世界でないと98は必然かな
>>54
88VAは、98があったから、98に被らない様に作られたので全く違うものになる。
PC-100の延長路線になったのだろうか? >>55
9801ではなくてもけっきょく日電株は8086機出すだろうと思い
テキトーに88シリーズに寄せただけなんで深い意味ねーです(汗; >>55
PC-100はソフト付きだったと記憶してるが、そういう路線てこと?
ずっと後年だがValueStar出してた感じで。
もしコンパクトな筐体と2D FDDという意味なら、日電はそちらには向かわないと思う。
薄いだけで大してコンパクトでないUV2見てると >>57
画面解像度とか、シリーズ後継にも引きずる基本部分ね。
98が無い世界なので、社内内ゲバ無くなって
2DD→2HDへの進化も順当にできただろう。 パソコンのカラーグラフィックの解像度がそれまでは640×200が普通だったんだよな。
一般向けのカラーとしてはPC98が640×400に先鞭をつけた。
PC98が無かったとしたらどうなっていたんだろう。 PC-100の720×512ドットが標準になってたんだろう
H98シリーズでも24ドット漢字に文字間4ドット行間6ドット開けて28×30ドットテキストにしてたように、
JIS16ドット漢字を行間1ドット開けるため無理矢理圧縮して16×15ドット漢字にした汚い表示よりも文字間2ドット行間4ドット開けた18×20ドットテキストにした方が良いと >>59
640x200のマシンが沢山あって、その歪な縦長ドット解消で640x400が出た様に
640x400の出現は98関係なく当然の成り行き。
16bit機の日本でのデファクトスタンダードを取ったマシンの解像度が標準になった可能性があるが
モニタ側の都合で640x400の可能性も高い。
VGAの640x480になった可能性も0ではない 640 x 200って家庭用TV流用を意識した解像度だろ
NTSCモノクロTVの実用限界の解像度ってどれ位だったんだろう >>62
TVを使うには640は当時非現実的、RGB21ピンTVなら良い値段するので
ブラウン管のみTV流用という意味?
PC-6001系の横320でも結構酷いし色ずれあり、
MSX2やPCEの横512までがギリ現実的かと
88末期FEの時代でも、TV出力利用者の話はかなり酷かったらしいので
FM TOWNS MARTY時代まで待つ必要が(TV側が良くなったと言うべきか)
前にTV表示出はどれくらいが現実的か調べる為に検索して見つけた以下が参考になるかと
http://www.nahitech.com/nahitafu/mame/mame6/dotclock.html
横640だと色が微妙になるらしいです。 PC-9801が無かったとしても88初代機に既に640x400モノクログラフィックモードがあったわけで >>63
色が微妙になる12.272725MHzの場合(正方形ピクセル)のインターフェース640×480ドットは、専用ディスプレイを使った場合の見える範囲であって、
当時のオーバースキャン表示な家庭用テレビで表示すると512×384ドットしか使えない表示方法ですよ >>65 はインターレースの間違い
14.31818MHzの場合(色重視)を使ってインターレース縦長ドット620×400表示が綺麗になるのでそれで良いとも言える
MARTYが過剰に高評価のような感じもするが640×480をデジタル縮小表示するってのがMARTYの方法
3Dゲームでアンチエイリアスを強くかけず一回り大きな仮想画面を縮小表示すると綺麗になるってのを使ってるのと同じだな
iPhoneでもドットパイドットではなくあえて縮小してたりするし
NTSCとしては最適な解像度を使ってるだけで特別な信号ではない
最初から最適な解像度をドットパイドットで表示しても、表示内容が綺麗なら綺麗に映し出される
あえて縮小表示で潰して綺麗ってのを過大評価しすぎのような >>64
有ったけど、その解像度を十分扱える速度のものは16bit機位からなので
16bit機のデファクトが何になるかで決まると言う意味言ってた。
ただ、640x200が沢山存在して640x400が既にあったので640x400の可能性が高いと
>>65
だから、TV前提では640は当時苦しいとして横512までの256、320、336
縦は192、200、212、240(表示は実質224まで)等が出てきたわけで。
>>66
620だと足りないのが辛いですね。
MARTYのは縦方向に縮めてるだけで横はやってなかったかと。
TVでは480は表示しきれないですよね。インターレースなしの240でも
MARTYは多分横640を表示しきれてない場合も少なくなかったと思うが元が縦480でなければ
400を綺麗に表示出来てたであろう例として出しただけ。
年代的にコレが横640をそれなりにTVに表示できた最初ではないかとしてね。 本家IBMがCPUに8088を採用してたんだよな。
それで、16ビットは8088みたいな空気が出来つつあったところに、
NECが8086のPC-9801を出した。
これはオタク心をよくわかってたと思う。 >>69
IBMはまだ8bit隆盛の時代だし、コスパで8bitバスのCPUだけ強化したのを出した。
NECは8bitは88があるし、高価格で出す上、自社生産の8086が有るので
差別化の為にも16bitバスの8086使ったと見るべきじゃないかな。
クロックが8bitと大差ないのであればデータバス8bitじゃねえ。
NECのが1年後というのも大きい IBMが8088を採用したことで、一気にインテルの流れになった。
8ビット機ではザイログのZ80が主流だったんだっけ。
ザイログはあっという間に消えていったな。 アメリカやヨーロッパだと6502が主流だったし、日本だとNECはZ80互換CPUでZ80は使わなかったし富士通は6809だったしでそこまでZ80主流でもない >>72
6502は登場が早い上に安くて速かったから8bit先行してた米国等で先行普及した。
日本はZ80とその互換品が安く手に入るから癖の強い6502より流行った。
NECの互換品は実際完全互換なのでZ80に数えないというのはおかしい。
MSXもZ80だったので数的には主流だと思うよ。 >>73
>ザイログはあっという間に消えていったな。
って論旨なんだからザイログのZ80にNECのは入らんだろ
AMDばかりになってインテル消えても、インテルのCPU主流とは言わん >>71
ザイログ Z8000は産業機器で良く見かけたぞ、特に MIL認証が早かったからレイセオンのミサイルとかレーダー機器で定番CPUだ ザイログは16ビット以降は組み込み用に力を入れていたんだっけ。 >>74
昔のPCのZ80はセカンドソースばかりだっつーの
純正ザイログ版Z80はメガドライブでしか見たことないわ >>73
海外でもCP/Mがあったから普通に普及してたぞ
AppleII用のZ80カードもバカ売れしてマイクロソフトが潤ったりしてるし あとザイログはまだ生きてるからね
Z800,Z8000,Z80000といったPCやワークステーション用のCPUは失敗したが組み込み用のZ8はそこそこだったはず
その後eZ80というZ80後継CPUが成功して何処かの子会社としていまだに至っている >>77
NECのはセカンドソースでは無い互換CPUだったんだよ Z80ってCPU(およびその互換CPU)の話なのか
ザイログって会社の話なのか
ザイログ社が消えたって話なら他社の互換CPUは関係ないよな
(ザイログ社は生きてるけどざ) >>80
NECは訴えられて和解してるからセカンドソースみたいなもの
単にデッドコピーだったという話もあるし
ピンアサインも互換で命令も互換で特にNECのZ80で問題があったという話もない
今のIntelとAMDは動画支援系の命令に互換性がないしソケットも異なるので事情が異なる
CPU引っこ抜いて差し替えとか出来ないでしょ >>81
そもそもザイログのZ80が搭載されている日本のPCがないので日本でザイログは始まっていないともいえる
実際はセカンドソースで完全互換品を使っていたのでザイログのCPUといってもいいと思う
Intelも80286まではセカンドソース許可していてAMDも出してたけど普通にIntelの80286といってたでしょ
あとIBM PCは1981年でX1turboZIIIが1988年、PC-8801FE2が1989年なのですぐにZ80が駆逐されたとは言えない >>81
セカンドソースだけしか売れなくてもザイログ社が消えたりしないが、
他社の互換CPUしか売れなかったら関係ないからザイログ社消えるもんな >>82
自分で互換と言っておいてなんだが、
https://ja.wikipedia.org/wiki/Z80
NEC「μPD70008」、シャープ「LH5080」、東芝「TMPZ84C00」など、独自にCMOSプロセス化し消費電力の低減を図った製品
とあるように同じではないと見ることも出来るかな、
Z80EやZ80HはM1サイクルがメモリ系に厳しいのもあってか別設計という話もあるようですし
88FH/MH以降での8Mhz動作のμPD70008等も違ったのかな。
でも4MHz動作は完全互換動作?
ちょっと板違いの話にずれたがZ80系後継がマシなら88後継が98の代わりになった未来も有ったのかな >>82
日立の Z80モドキ CPU、良い出来だった
中味は 68000で OPコードが Z80互換でバンク切り替えで 1Mbyte対応のだった Z80自体が8085を魔改造、魔拡張したみたいな感じだったけど、それよりすごいのか。 >>87
Z80は8080の拡張版な、一部の設計者が同じ、そして8085は8080の会社の後継CPU
ついでに8086もな
https://ja.wikipedia.org/wiki/Intel_8086
8086は8ビットアーキテクチャであった8080を16ビットに拡張し、乗除算などの命令を強化したCPUである。
トランジスタ
6502:3510
6800:4100
8080:6000
8085:6500
Z80 :8200
6809:9000
8086:29000
68000:68000 >>85
PC98は情報処理部門の製品だったが、PC88は半導体部門の製品。
98が無ければ半導体部門がPC事業を続けていただろう。98みたいな
保守的な設計じゃなく、もっと革新的な設計のPCが出ていたかも。 ハイローミックス構想的に、互換性や共通性を持たせつつホビー向けローエンドモデルでPC8801、ビジネス向けエントリーモデルとしてPC9801、趣味向けハイエンドモデルでPC98/PC88の「01なし」型番・・・ぐらいにシステマチックだったらもっと攻めたPCが出てただろう・・・と思ったことは何度かある。 >Z80は使わなかったし
ザイログは規模小さかったし、自前で作るよりセカンドソーサ増やす方向だったんだろな。
私も正規セカンドソーサのシャープ製Z80,Z8000持ってる。 >>87
64180はZ80や8085よりもずっと新しい(つまり時期が遅い)ので性能上がってても不思議はないんよ。 ハイパー98がもっと安い値段で出ていれば違った未来があったのかもしれないが、あの値段ではな。
バブルの崩壊とともに消えた。 98が出たのは偶然ではなく必然
98がなくても16bitでN88-BASICの98と名前が異なるだけのPCが出ただけだろう >>94
どうなんだろうね、8086系で各社が出したマシンの何れかが98相当になって覇権を取る事になるのかね?
買わせる関連会社を持っている事他などから売れるかも左右されるし、
当時の考えからNも同類出さねばとなってやっぱり98相当が発売されることになるのか。 富士通が主流になってた未来はないのかね。
6809とOS-9の後継路線で。 6809だろうが68000だろうが開発したモトローラが見捨てるCPUでしかない
富士通がAT互換機全市場以上に売るなんて有り得ない想定でないと無理 富士通だったら FACOM 9450 になっていたんじゃない? 当時一強だった88ユーザーが
VAがクソ過ぎたため
68と98に分かれてただけ
98無かったら68一色になって
TOWNへ移行って感じかな? >>100
それはない、アクションや色数を求めるユーザーのみ68
16色でもいい、動きもアバウトで良いようなゲームは98
68はCPUが遅いのと割高。
VAは68並みに出来ていたとしても68よりも続かなかっただろう。
上に98が居て社内政治的にも失敗が約束されていたようなもん。 VAのクソさって
ゲームセンタ行って無くて、コンシューマを知らない
ガチPCユーザーほど分かんないんだよな・・・・・
スプライト機能有ってあれは無い
これはソフトの話かw >>102
おっと、98が無い前提だった。
だったらVAの名前で98っぽいものが出来るような気がする 半導体部門系という意味ではPC-100があった。
PC-100とPC-8801との関係がある。 半導体部門系的には
PC-100はPC-10000
こっちがどう伸びていったかのifは気になる PC-8086
で良かったのに・・・・・
エプソン「それワシらの名前の付け方!」 他社の品番そのものはさすがにプライドがなさすぎるだろ
80→88→98と来たもともとの80は品番由来かもしれんが… 8っていうのはもっと一般的に8ビットアーキテクチャの8だと思うが。 TK-80 から来てるんだから、更に遡ると8080からだろ
TK-80からPC-8001
8086なんだからPC-8601って命名でも良かったろう 98の前に8801があるから8601にはできなかったよね 8088を使ってたのだと勘違いされるから?
88なら8bitだな、86のら16bitだな、って思われて問題無いのでは 60, 80, 88の時点で数字が大きい方が上位機種になったんだから
そのルールを崩せないでしょってこと
こんなの基本中の基本だと思うけど PC-100は元々PC-10000だった
それを略しただけ 普通にPC-100チームの商品が流行ってほしかった PC-100がヒットしていたら、それに影響を受けたマシンが
色々出てきていただろうな PC-100がいまいちぱっとしなかったのはNECがやる気なかったから。
98がなかったらNECとしてはPC-100に本気出してただろうし、
違った未来があっただろう。 PC-100には夢があった・・・・
PC-9801FXには笑いがあった
NEC色々てんこ盛りなNEC時代でした なんで98なんだろうな
66、88ときたんだから9901となるのが普通な気ガス 98がなかったら営業下手な富士通でもFM-11や16β、FMRがもっと善戦できてたのかな 16β以降の路線って98を意識したものだから、
98がなかったとしたら、富士通は全然違った道を行っていたかもしれん。
メインOSがMS-DOSじゃなく、CP/M86になってたかも。 調べてみたらFM-11って同じシリーズなのに6809と8088を搭載した機種が混在してたんだな
6809べったりだと思ってたのに、いつの間にインテルアーキテクチャベースに変わったのかって疑問に思ってたが、随分と無茶な事を それまで、業界では16ビットは業務用で、家庭用は8ビットという空気があった。
その常識をぶっ壊したのが98だったんだが、98がなかったら8ビットの全盛期
がもうしばらく続いていたんじゃないか。 >>125
そんなことは無いと思うよ、640x400が欲しくなってそれでいて16色以上
これ等を扱うのに8bitCPUには荷が重すぎた。 16ビットになったとは言え、今度はアドレス空間1MBでのやりくりに苦労させられる事になったという
8ビットCPUでひたすらバンク切り替えしまくって1MBまで拡張とかやったら使い物になったんだろうか 確かにVAうんこなのは認めるがわりと速かったし98の周辺機器も使えたしで悪くは無かった。へたな286よりもよかったかもしれない。 当時、他のマシンは日本語をグラフィック画面で取り扱ってた。当時のマシン性能的にこれはイマイチだったんだよな。
テキスト画面で日本語を取り扱うようになったのがブレイクスルーだったと思う。これで日本語が一気に身近になった。 88~98がヒットしてしまって、そのマネをしても勝てない状況だったから、
他社から個性的なマシンが出た。
98がなかったらなかったで、その代わりに他社が保守的なマシンを出していただろう。 遅レスだが
>>121
>>66、88ときたんだから9901となるのが普通な気ガス
66、88なんて順番できていない
66シリーズは98よりも後だよ
シリーズ順だと
80、60、88、98、66 の順だよ
8801のさらなる上位機種だから1000足した、てとこじゃね
66が一番後なんだから66の名前の付け方は98の時点じゃ関係がない 互換性がすべて。互換性さえあれば勝てる。NECの偉い人がそういう考えだったそうで。
だからIBMのパクリみたいな98が出た。
98がなかったら、というかNECが出さなかったら、という意味では、日本のPCがもっと
面白いものになっていたかも。
まあ、それでもいずれウィンテル機との対決があっただろうけど。 >>133
98は最初から8086だったからIBMのパクリと言うのはどうなん?
日米半導体協定とCPUの選択肢からして8086採用の富士通とかのマシンが98の代わりになっただけだろう。
面白いものになった可能性はとても低いと思う。
まあ8086系統のライバルCPUが微妙だったのが全て PC-98とIBM-PCのメモリ容量が両方とも640KBだったのは偶然の一致? 基本、今はIBM-PCから始まった互換機が全ての世の中だからわからないかも知れないが、
昔は色んなPCがあったからね。そういうのの中では、98はIBMの影響を受けていたと言える。 IBM PC用に作られたMS-DOSが扱える空間が640KBでそのMS-DOSが動く98もOSに合わせてって感じだったのかなあ DOSの制約じゃないっぽいよ
なぜIBM PCと98で同じなのかは何でだろうね
8086のリファレンス的な使い方があったのか、
VRAMやIOなどに割り当てていくと自ずとその数字になったのか 富士通FM-11のMS-DOSモデルは1MBフルに積めて使えたそうだ。 FM-RとハイレゾのPC-98は768K使える
IBM PCもPC-9801も最初は128Kくらいしかメモリ載せてない
BASICも載ってたし最大640Kで十分だと考えたのでは
あとどちらも拡張基板用のROM領域が多めに確保されててVRAMが前のほうに配置されてる IBM PCは最低限の最大メインメモリが640KBだっただけで、
A0000hからのグラフィックメモリを使わずメインメモリとして使ってメインメモリを広げる事もできてたがな
テキストVRAM兼ローレゾグラフィックがB8000hからだったから
連続して00000h~B7FFFhの736KBなメインメモリ環境も作れてた
EGAで直接VRAMがメモリマップされるのではなく割り振られるようになったし、EGA互換カードはVRAM256KB搭載がデファクト化して余ってたし PC-98もVX2やVM21登場から640KBをフル実装したうえでハードウェアとして内蔵の8-9バンク殺して
そこにリアルモードのRAM増設をバンク切り替えでアクセスするという観念で3rdパーティとも連携取ってたし
致命的な悪手打ったとは思わんな。
昔の技術をチープな対応だったとかいうのは、未来人の俺たちの傲慢だよ。 アイ・オー・データが「バンクメモリシステム」とかで売り出していたな。 アイオーのメモリボードを使うための仕様がPC98に組み込まれていたんだよね。
たかがサードパーティーのためにそこまでするんだと思ったな。 当時は8ビットCPUのマシンがほとんど。
インテルの16ビットというだけでパクリと言われる状況だった。 ビルゲイツ 「PCのメモリは640KBを超えることはないだろう」
つくづくイマジネーションの貧困なやつだ PC98のMS-DOS上でのメモリ増設については、アイオーデータの始めた方式がデファクトスタンダードになった。
後に、NECがPC98のメモリをフル実装した際、アイオーデータ式メモリのために必要な領域を開けておける
仕掛けにした。 NECのPC事業がPC98ほどうまく行ってないとは言うが、IBMですらPCをやめたんだぞ。もう世の中全体がそうなんだよ。 しかし、DELLはやめていない
IBMが根性無しなだけ DELLは官公庁に薄利多売して生き残っていってる感じ いずれ社会はスマホ、タブレットに移行する
コモディティとしてのPCに先は無い パーソナルな物は性能さえ満たせば携帯品になって当然だからな
R2D2が理想のパソコンと言われたように自走するロボットにでもすれば携帯しなくても良くなるが
イマイチバッテリーが進歩しなかった 逆に言うと、PCは大きいことによるメリットを追求するしかないだろう。大きい画面とか。
小ささではスマホに勝てないんだから。