9801が発売されなかったらこうなっていたっ!Part2
ひょんなことから、PC-9801が無い世界を想像して創造して下さい
是非、西◯彦氏に逝ってほしいと、願っております。
西氏に関連するマシンなら、他のでも可
前スレ
9801が発売されなかったらこうなっていたっ!
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/i4004/1009616193/ >>102
おっと、98が無い前提だった。
だったらVAの名前で98っぽいものが出来るような気がする 半導体部門系という意味ではPC-100があった。
PC-100とPC-8801との関係がある。 半導体部門系的には
PC-100はPC-10000
こっちがどう伸びていったかのifは気になる PC-8086
で良かったのに・・・・・
エプソン「それワシらの名前の付け方!」 他社の品番そのものはさすがにプライドがなさすぎるだろ
80→88→98と来たもともとの80は品番由来かもしれんが… 8っていうのはもっと一般的に8ビットアーキテクチャの8だと思うが。 TK-80 から来てるんだから、更に遡ると8080からだろ
TK-80からPC-8001
8086なんだからPC-8601って命名でも良かったろう 98の前に8801があるから8601にはできなかったよね 8088を使ってたのだと勘違いされるから?
88なら8bitだな、86のら16bitだな、って思われて問題無いのでは 60, 80, 88の時点で数字が大きい方が上位機種になったんだから
そのルールを崩せないでしょってこと
こんなの基本中の基本だと思うけど PC-100は元々PC-10000だった
それを略しただけ 普通にPC-100チームの商品が流行ってほしかった PC-100がヒットしていたら、それに影響を受けたマシンが
色々出てきていただろうな PC-100がいまいちぱっとしなかったのはNECがやる気なかったから。
98がなかったらNECとしてはPC-100に本気出してただろうし、
違った未来があっただろう。 PC-100には夢があった・・・・
PC-9801FXには笑いがあった
NEC色々てんこ盛りなNEC時代でした なんで98なんだろうな
66、88ときたんだから9901となるのが普通な気ガス 98がなかったら営業下手な富士通でもFM-11や16β、FMRがもっと善戦できてたのかな 16β以降の路線って98を意識したものだから、
98がなかったとしたら、富士通は全然違った道を行っていたかもしれん。
メインOSがMS-DOSじゃなく、CP/M86になってたかも。 調べてみたらFM-11って同じシリーズなのに6809と8088を搭載した機種が混在してたんだな
6809べったりだと思ってたのに、いつの間にインテルアーキテクチャベースに変わったのかって疑問に思ってたが、随分と無茶な事を それまで、業界では16ビットは業務用で、家庭用は8ビットという空気があった。
その常識をぶっ壊したのが98だったんだが、98がなかったら8ビットの全盛期
がもうしばらく続いていたんじゃないか。 >>125
そんなことは無いと思うよ、640x400が欲しくなってそれでいて16色以上
これ等を扱うのに8bitCPUには荷が重すぎた。 16ビットになったとは言え、今度はアドレス空間1MBでのやりくりに苦労させられる事になったという
8ビットCPUでひたすらバンク切り替えしまくって1MBまで拡張とかやったら使い物になったんだろうか 確かにVAうんこなのは認めるがわりと速かったし98の周辺機器も使えたしで悪くは無かった。へたな286よりもよかったかもしれない。 当時、他のマシンは日本語をグラフィック画面で取り扱ってた。当時のマシン性能的にこれはイマイチだったんだよな。
テキスト画面で日本語を取り扱うようになったのがブレイクスルーだったと思う。これで日本語が一気に身近になった。 88~98がヒットしてしまって、そのマネをしても勝てない状況だったから、
他社から個性的なマシンが出た。
98がなかったらなかったで、その代わりに他社が保守的なマシンを出していただろう。 遅レスだが
>>121
>>66、88ときたんだから9901となるのが普通な気ガス
66、88なんて順番できていない
66シリーズは98よりも後だよ
シリーズ順だと
80、60、88、98、66 の順だよ
8801のさらなる上位機種だから1000足した、てとこじゃね
66が一番後なんだから66の名前の付け方は98の時点じゃ関係がない 互換性がすべて。互換性さえあれば勝てる。NECの偉い人がそういう考えだったそうで。
だからIBMのパクリみたいな98が出た。
98がなかったら、というかNECが出さなかったら、という意味では、日本のPCがもっと
面白いものになっていたかも。
まあ、それでもいずれウィンテル機との対決があっただろうけど。 >>133
98は最初から8086だったからIBMのパクリと言うのはどうなん?
日米半導体協定とCPUの選択肢からして8086採用の富士通とかのマシンが98の代わりになっただけだろう。
面白いものになった可能性はとても低いと思う。
まあ8086系統のライバルCPUが微妙だったのが全て PC-98とIBM-PCのメモリ容量が両方とも640KBだったのは偶然の一致? 基本、今はIBM-PCから始まった互換機が全ての世の中だからわからないかも知れないが、
昔は色んなPCがあったからね。そういうのの中では、98はIBMの影響を受けていたと言える。 IBM PC用に作られたMS-DOSが扱える空間が640KBでそのMS-DOSが動く98もOSに合わせてって感じだったのかなあ DOSの制約じゃないっぽいよ
なぜIBM PCと98で同じなのかは何でだろうね
8086のリファレンス的な使い方があったのか、
VRAMやIOなどに割り当てていくと自ずとその数字になったのか 富士通FM-11のMS-DOSモデルは1MBフルに積めて使えたそうだ。 FM-RとハイレゾのPC-98は768K使える
IBM PCもPC-9801も最初は128Kくらいしかメモリ載せてない
BASICも載ってたし最大640Kで十分だと考えたのでは
あとどちらも拡張基板用のROM領域が多めに確保されててVRAMが前のほうに配置されてる IBM PCは最低限の最大メインメモリが640KBだっただけで、
A0000hからのグラフィックメモリを使わずメインメモリとして使ってメインメモリを広げる事もできてたがな
テキストVRAM兼ローレゾグラフィックがB8000hからだったから
連続して00000h~B7FFFhの736KBなメインメモリ環境も作れてた
EGAで直接VRAMがメモリマップされるのではなく割り振られるようになったし、EGA互換カードはVRAM256KB搭載がデファクト化して余ってたし PC-98もVX2やVM21登場から640KBをフル実装したうえでハードウェアとして内蔵の8-9バンク殺して
そこにリアルモードのRAM増設をバンク切り替えでアクセスするという観念で3rdパーティとも連携取ってたし
致命的な悪手打ったとは思わんな。
昔の技術をチープな対応だったとかいうのは、未来人の俺たちの傲慢だよ。 アイ・オー・データが「バンクメモリシステム」とかで売り出していたな。 アイオーのメモリボードを使うための仕様がPC98に組み込まれていたんだよね。
たかがサードパーティーのためにそこまでするんだと思ったな。 当時は8ビットCPUのマシンがほとんど。
インテルの16ビットというだけでパクリと言われる状況だった。 ビルゲイツ 「PCのメモリは640KBを超えることはないだろう」
つくづくイマジネーションの貧困なやつだ PC98のMS-DOS上でのメモリ増設については、アイオーデータの始めた方式がデファクトスタンダードになった。
後に、NECがPC98のメモリをフル実装した際、アイオーデータ式メモリのために必要な領域を開けておける
仕掛けにした。 NECのPC事業がPC98ほどうまく行ってないとは言うが、IBMですらPCをやめたんだぞ。もう世の中全体がそうなんだよ。 しかし、DELLはやめていない
IBMが根性無しなだけ DELLは官公庁に薄利多売して生き残っていってる感じ いずれ社会はスマホ、タブレットに移行する
コモディティとしてのPCに先は無い パーソナルな物は性能さえ満たせば携帯品になって当然だからな
R2D2が理想のパソコンと言われたように自走するロボットにでもすれば携帯しなくても良くなるが
イマイチバッテリーが進歩しなかった