【マイコン】→【パソコン】変遷はいつ?
俺はなんとなくMS-DOSあたりからと思ってたが、
↓で話してるうちにわからなくなってしまった。
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1091090981/
一般的に「マイコン」と呼ばれてたのは何年頃までで、
いつから「パソコン」が市民権を得たのだ? あっ、ご免
1981〜1982年より前のことだとは思うのだけども・・
に訂正ね
俺たちマイコン研究会ってのを作ってたんだけど、今ググルと
「日本マイコン研究会」てのがヒットしたんだが、
ttp://www.jca.apc.org/~resqjw/
マインドコントロールの略なんだよ、やだねえ。
しばらくマイコンとパソコンの両方で呼ばれていた時期があったよなぁ。
『「マイコン」と「パソコン」どっちが正しい呼び方か?』論争もあったし。
MSX登場あたりでほぼパソコンに移った希ガス。 「パソコン」というと「Personal Computer」の略から来たって
直ぐにわけるけど
「マイコン」というと「My Computer」「Micro-Computer」「μ-Computer」
色々出てきそう・・・ うちにコモドールのCBM4032があるけど、すでに
Personal Computerって表記があるなあ。 >>MZ80Kは最初「マイコン博士MZ80」って言っていた。マイコン博士はその前に
「マイコン博士4004」と言うのも出ていたらしいが未確認。8801辺りが出始めた頃
つまり、一部のマニアだけではなく一般の人もコンピューターを使い始めた頃、
マイコン派、パソコン派に分かれ論争も有ったが、マイコンは自然淘汰されていった。
「マイコン」と聞いてあらぬ言葉を想像してしまう、折れのようなやつが他にも
居たため と分析するのは折れぐらいかもしれん (藁 FM-8のときには伊藤麻衣子に「麻衣子のマイコン」
なんて言わせていたっけ。
あの超縦長ポスターを何バージョン
も持っていた漏れ・・水着バージョンのときに乳首のあたりが
微妙にポコッとしているのにドキドキしたあの頃・・・
自分でソフトを作る頃 = マイコン
ソフトは買ってくるもの = パソコン
( ´,_ゝ`)プッ必死だな = ナイコン マイコン博士 (うわぁ恥ずかしい語感) は MZ-40K ですね。
NEC TK-80、日立 H68/TR、東芝 TLCS-12A、パナソニック Lkit-16 のような
ワンボードマイコン (正確には、「ワンボード」じゃないものも含まれていますが) です。
「マイコン」という呼称は業界サイドの略語で、勿論 Microcomputer から来ていますが
マスコミは My Computer とかけたかったようです。
「パソコン」も確かマスコミが使うようになって定着したと記憶しています。
'80〜'81 辺りに新聞等で散見されていました。 MZ40Kって見た目は当時のワンボードマイコンに似ているけど
プログラムを組めなかったって本当なの?あらかじめ入れられて
いるプログラムを操作するしかなかったとかどっかで読んだ記憶がある。 >>78 79 80
失礼しました。確かにMZ40Kでした。4004では
インテルの8008の前の世代の4bitCPUなってしまいますもんね。
俺が持っている装置には、
HITACHI MICRO COMPUTER BASIC MASTER
と書いてある。 【PJ】ポケコン総合スレッドPart4【BASIC】
http://bubble3.2ch.net/test/read.cgi/i4004/1106276458/
91 :ナイコンさん :05/01/25 01:07:50
お前もゴキブリじゃん。
てか、ゴキブリがそんなに好きなら食えよ。俺は食ったことあるぞ。
味はしなかった。なんせアイスクリームの中に入ってたからな。
参考文献↓
http://images.google.com/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E3%82%B4%E3%82%AD%E3%83%96%E3%83%AA
こんな煽り野郎が住人にいる限り、まだまだ荒れそうだなww
>>80
MZ-40Kはプログラムは組めなかったよ。
出た時期はTK-80Eくらいの頃じゃなかったかな。とりあえず、PC8001よりは前だったと記憶している。
MZ-40Kのキーボードは、後に買ったMZ-80Cの自作16進入力キーとして活用しました。
そういえば、似たようなやつで松下のパナキットなんてのもありましたな。 制御チップとしてのマイコンが
家電製品にとりこまれて
盛んに宣伝されるようになってから
まぎらわしいから自分はなるべく
「パソコン」を使うようにしていた。 1980年か1981年にNHK教育でやってた
「マイコン入門」って番組ではPC-8001を
「機種X」(特定の商品名は出せないため。
ロゴもビニールテープみたいなので隠
してた)という名で教材として使って
たけど、「パーソナル」だったな。
納富くんage スマン、最後は
「パーソナル」じゃなかったな。
の間違い。鬱氏 古いベーマガの広告を見た感じでは
MZ80、PC6001、VIC1001、ベーシックマスターJr.、ZX81
いずれも「パーソナルコンピュータ」と書かれていたよ。
どうも筐体(ガワ)があると「パソコン」、ボードむき出し型は「マイコン」って
分かれている様子。
>>89
その番組は、1982年4月からですよ。自分はその番組がきっかけなので
懐かしいです。 東大工学部の森口繁一先生が講師で、アナウンサーが須磨佳津江さんでした。
須磨アナウンサーがずっと後の番組に出演されていたときにたまたまパソコンが
出てきて、「昔マイコンの番組を担当したことがあるので」というようなことを一言
懐かしそうにおっしゃったのを今でも覚えています。
自分も、>>59 さんの「1983年を半々」と見る印象に近いです。
まさに「マイコン」が「パソコン」に向けて急速に変化していくその時期に
ASCIIにコラムを連載されていたのが「Yoのけそうぶみ」でおなじみの
鷹野陽子さんで、彼女のコラムを読むと、人とコンピュータの関係が
「マイコン」と呼ばれた最後の時代の熱い息吹、急速に「パソコン」に
進化していくことへの期待と一抹の寂しさが伝わってきて、今読み返し
ても胸にこみ上げるものがあります。(スレ「Yoのけそうぶみ」参照)
2004年3月にASCIIから出た「蘇るPC-9801伝説 永久保存版―月刊アスキー別冊」
時の流れの中で、コンピュータそのものは、特別な夢の宝箱でなくなって
しまったのかもしれません。「趣味はマイコン」という人は、Yoの周りを
見渡しても一人もいません。「趣味はパソコン」という人はかなり多そう
ですが、それはコンピュータが好きというよりは、PCで何かをするのが好き、
なのではないかしら。ちょっぴり甘酸っぱい想いもあるけれど、Yoはこれで
良かったのだという気がします。
http://keinsweb.zive.net/~keins/kesou/image/Yo04i.jpg
1983年という時代は、前年(1982年)の秋に発売された初代PC-9801が軌道に
乗り始め、PC-8801からPC-9801へのなだらかな移行が始まった年です。
PC-9801という機種自体がNECの事業戦略が「マイコン」から「パソコン」に舵を
切った象徴的な機種ですね。NECは16ビット機を展開するにあたり、それまで
TK-80からPC-8001、PC-8801の成功を通じてNECのマイコン事業を生み育てて
きた後藤さんたちの電子デバイス事業グループ(マイコン屋)から、情報処理事業
グループ(オフィスコンピュータ屋)に事業移管を行っています。
パソコン創世記
http://aozora.gr.jp/cards/000055/card365.html
スレタイの問いに対して、「1983年は象徴的な年だった」と言えると思います。 >93
須磨佳津江さん、今はラジオ深夜便やってますね。 >>95
あの移行ではいろいろあったみたいねー
ようやく育てた子宝をいきなり取り上げられたようなものだし。
(サルカニ合戦みたいだなや) MZ-80B,PC-9801,PC-8801,PC-6001の頃からパソコンって呼び始めた覚えがある。
PC-8001,MZ-80K2の頃はマイコンっていってたな、7セグメントからディスプレイ
キーボード付きベーシック付きの時代になってもしばらくマイコンといっていたよ。
だから81〜82年だと思う。 83年頃かなぁ。友達の一人が”マイコン”と
呼び続けていたことに違和感を感じていた。
セパレートタイプが主流になってきてから
”パソコン”になった気がする。 '81後期頃が境目あたりでしょうネ。(ちょうど初代PC-8801発売時期)
「マイコン」呼称から「パーコン」「パソコン」の2派が混在していました。
最終的にはマスコミの影響で「パソコン」が定着した様です。
(パーなコンピュータでは語呂が悪いので使われなくなっていく)
(当時I/O誌でも欄外で論争が繰り替えさています。「パーコン」優勢だったけど)
以前から「PersonalComputer」と書いてあるが「パソコン」とは呼称していません。
「パーソナルコンピュータ」と言っていたはずです。
しかし、そんな長い名称を何度も繰り返すのは面倒なので短縮するために
2つ派生しています。(日本人って4文字熟語好きなので・・「機動戦士」とか)
電波新聞のマイコン誌は創刊が古いため当時の呼称である「マイコン」を掲げ続ける。
いかんせん雑誌の名称なのでおいそれと変更できなかったんですネ。
(日経パソコンは既に定着していたので問題なし)
マイコン誌がそのまま健在だったらPICやH8系の書籍と間違ってしまいそう。
(現在では「マイコン」は1Chip系の呼称となっています) 昔(1980年ごろ)は音楽用のテープでデータ保存してたって知ってる? (;´Д`)ハァハァ パーコンはどこに逝ったでちゅか? パソコン派は、オーラスを「オルラス」と言ってるようなものだ。
・・・と、I/Oの欄外で吠えている人がいたな。 >>104
「データレコーダー」とかいう名前だったっけ? まとめ
Micro computer → マイコン → My Com. → Personal Computer → パソコン ノストラダムスの予言によると
このスレが1000行く頃には再びパソコンからマイコンと呼ばれるようになるだろう MSXはMSXパソコンと言われていたし、ぴゅう太の広告にも「パソコンは過激なおもちゃじゃ」
というフレーズが入っていた。M5は「ゲームパソコン」だし、PCやMZにもPrersonal Computerという
表記が入っていた。
高橋はるみはしばらく「マイコンくん」と言っていたな。
思い出した。82年の時に友人と「マイコン」だっけか「パソコン」だっけか?
と言った覚えがあるので82年まではおそらく並存
83年あたりから「パソコン」がメジャーになってきたはず 80年代なかばにもまだマイコン派とパソコン派が争っていて、パーコンて呼んでる人もいた。
びゅうたがチラシにのっていた時すでにパソコンかかれていたと思う。それが82年前後。
それ売り切れで買えなかった当時小学生のおれ涙目。
なんせ1/4世紀前の事だから記憶違いは勘弁。 マイコン→パーコン→パソコンって流れじゃなかったかな?
パーコン呼称をパソコンが浸食してきて違和感をもったの覚えてる。
パソコンはマイコン時代を知らない新しい人から普及したような。 自分の記憶は103と一致する。
確か、新聞社等で用語を統一する団体があって、そこでパーソナルコンピュ
ータの略語はパソコンとしましょう、と取り決められた。それ以後、マスコ
ミの表記はみんなパソコンになったので、パーコンという表現は消えてしま
った。
パーソナルコンピュータという言葉はかなり昔からあった。実は、本当に
パソコン(Apple2やコモドールのPETのような)が出現する以前から、そう
いう概念はあった。
昔々、コンピュータといえばメインフレームやミニコンピュータ(死語)し
かなく、高価で大型で個人で所有できるようなものではなかった。しかし、
将来は個人で所有できる小型コンピュータが普及するだろうと予想され、既
にパーソナルコンピュータという言葉が使われていた。 ゲーム機でゲームウォッチが出たころにLSIゲームとかマイコンとか
聞いた気がします。4004のようなモノリシックが登場したころに
マイコンという呼称が定着していた気がします。
(当時、安田先生の著作にマイ・コンピュータという呼称もあったご存知ですか?)
その後、80年代にMSXが出た当時にパソコンという呼称が定着した気がします。
もしかするとファミコンが登録商標だったのが影響しているのではないでしょうか? パーコンはソードがそう呼んでたよ。カタログにも書いてある。
パーソナルコンピュータと言う文字自体はすでにNECのPC-8001の本体にも書いてあった。
まっ、PC-2001もパーソナルコンピュータと言ってたのは愛嬌。
そう言えばカシオもPB-300をパソコンって言ってた。 商品名で初めて『パソコン』の名称を使ったのは、タカラの『ゲームパソコン』。
本体はソードのM5のOEM。82年の発売で83年のMSXの前。
広告でも、『パーソナルコンピュータ』ではなく『パソコン』を使ったのは
これが最初だと思われるが、記憶だけなのでソース無し。
当時から『パーコン』と呼ぶのは少数派で雑誌記事でも見るのは皆無
だったが、タカラ ゲームパソコンで死滅、パソコンの名称が一般化したと
思われ パソコンは商標取らなかったのかな。
ラジコンもプラモデルも商標なのに(プラモデルは会社が倒産して協会が所持してる)
もっとも、ハチミツレモンが取れなかったり(単なる普通名詞の羅列)、ウォークマンがオーストリアで取れなかったり(こちらは出願が遅くなり、普通名詞化したため)
いろいろ有るようだし。
リモコンもされてないようだ。
スレ違、失礼。 ゲームセンターあらし派生のあらしマイコン百科では、途中からパソコン表記に
なってるな。マイコンとは・・パソコンとは・・という説明も入ってる。
コミックでは昭和59年に初版発行だから、一般人にとってはその頃が転換期か。
自分の周囲でも、84年〜85年くらいまではマイコンと呼ぶ人間がいた。 「マイコン入門」ってこれですよね。司会の須磨さん、若い!
ttp://bbs83.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/1980s/1232466010/l50 MZ-80B、ベイシックマスターLevel3 Mark5は「マイコン」もちろんmz-2000も!
FM-7の外付け3.5FDD 10万は悲しい遺産 ort MZはかなり後期にならないとバソコンって言わなかった。
ずっとクリーンコンピュータって言ってた。
でも、クリコンとは言わなかったな(+_+) MZクリーンコンピュータが、
真のパーソナルユーザーのためのパソコンとして
圧倒的な支持を得ているその理由は
MZ−80Bの広告より
「マイコン」著者の川合さんにハガキ書いて聞かなくちゃ http://members3.jcom.home.ne.jp/k.katagiri/novel_text_2/p2_c06/p2_c06.htm
>1981年――。
>結局、僕の考えでは、パソコンという言葉が日本で完全に定着したのは、この年のことであったと思う。
>そして、この年以降、パソコンという言葉が急速な勢いで市民権を獲得していったのだと思う。 東京は81年くらいだったかもしれないが、埼玉では84年頃だ。 そうだ。俺も埼玉県南地区だったが84年頃からと記憶している。 FDDが内蔵されたモデルが出だしたあたりからパソコンって新しい意見を言ってみる。
ある意味パソコン自体が好きでない人にも使い物になるようになったのがそのあたりな気がする。
記憶装置が外付けで本体より高いってのは一般人は手が出ない感じで。 ビジネス系のパソコンは1980年以前からFDDは付いてたなあ。 >>109
遷移は違うと思う。
英語圏では当時、Personal Computerは常用する語であり
遷移の系列上にはない。
当時、我々日本人は
1.Micro computer(を持つコンポーネント)
2.My Com.
3.Personal Computer
を、総じて、日本語の語彙として「マイコン」と呼んでいただけである。
この場合、1.の解釈は広いので、体系的な話をする上では
当時、いろいろ誤解を生じたのではないか。
外人に「ふぁみこん」はあまり通じなく、外人には「にんてんどう」と
いわないと、「ふぁみこん」含めて家庭用ゲーがイメージできない。
日本人にとって「にんてんどう」は、単なる企業名であるが
外人にとっては、家庭用ゲー(PSも含めた)の総称なのである。
だからニンテンドーはスレチ。
繰り返してる奴は同じ奴? 「パソコン」という造語を作ったのはNEC。宣伝において「パソコン」の
意味説明を行い、NECの提案として「パソコン」と呼称するよう訴えていた。
そして呪文のように繰り返す。
「パソコンはNEC」
「パソコンはNEC」
「パソコンはNECだけ!」
まるでパソコンがマイコンより優れているかのごとく。
そしてそのもくろみは成功を見せる。
A君:「マイコンをパソコンってどう違うの?」
B君:「たぶんパソコンのほうが使いやすくて便利なんだよ」
A君:「そっか〜じゃあパソコン買おう」
A君:「すいませ〜ん、パソコンください」
店員:「はいパソコンですね。NECになりますが。」
A君:「え?NECだけなの?あれは?」
店員:「他社のものはマイコンになります。パソコンはNECだけです。」
A君:「じゃあそれください。」
昔はコンピュータの知識なんか誰も持ってなかったからこれで十分
騙せたのである。かくしてNECは日本一のシェアを獲得するに至った。 呼び方の論争があった頃が懐かしい…
月刊I/Oでだったか
パソコンって呼び方はオカシイだろ?
マージャンのオールラストはオーラスで、オルラスって言うか?と言う意見が
あったねぇ…
まぁオレは、未だにパソコンって呼び方には引っかかるモノがあるから
パソとかPCとか呼んでる APPLE ][の最初期のポスターにはpersonal computerと書いてあった。
ATARIとかゲーム色の強いコンピュータはHOME computerと呼ばれていた。 ’81(S56)にFM-8買ったときは「マイコン」。名前の由来からして「富士通マイクロエイト」。
「パソコン」どころか「パーソナルコンピュータ」という言葉が目に付き始めたのは翌年あたり(s57)。
雑誌名も「月刊マイコン」、「マイコンライフ」など。
83年は完全に「パソコン」が一般的だった。
82年以前に両方の呼称が並立していた。 >>140
ちょっと2011年の書き込みはあなただけ? 30 名前:ナイコンさん[] 投稿日:02/08/30(金) 20:22
実際にマイコンをいじってたマニアはマイコンとしか言わなかった。
「パソコン」は実際にはマイコンになんか触ったこともないようなオッサン連中が使いはじめて
主として「ビジネス系」のマスコミが広めた言葉。
だからマニア達はオッサン臭い「パソコン」には抵抗を感じたし、
当時からの人は今にいたるまでどうしても必要な時以外は「パソコン」はできるだけ使わないようにして抵抗した。
「パーコン」も「パソコン」に抵抗するために苦肉の策でできた言葉だよ。
今更「パーソナルコンピュータ」を否定するわけにはいかないのでせめて略し方を変えたわけだ。
さすがに今のPCは「マイコン」とは呼びにくいので代わりに「PC」と呼んでる。 まだ高価だったころでも、パソコンは、税務署で通じたよ。減価償却費を計算してた PCは、IBM PCのことだ。NEC PC-98もMacもPCといわない。 NEC PC-98は、NEC PC-98
Macは、Mac
IBM PCは、IBM PC
PCは、PC 年賀状の配達は無事すんだかどうかわかりますでしょうか。 80年代といえば、まさに電子立国華やかなりし頃ですね。 NECが PC-8001を出し始めた頃から
パソコンと言い出し始めました 1982年になんかテレビ番組始まってたねぇ。
マイコンサンデーだったっけ? 159>>たぶんパソコンサンデーじゃない?
ggってもそれしか出ないし。 そうだ、パソコンサンデーだ。
てことは、これが始まった1982年はすでに
パソコンに変わっちゃってたんだな。
1979年の8001も、ロゴのプレートに
「Personal Computer」って書かれてたから、
1980年頃にはもうパソコンになってたわけだな。
マイコンってったらTK-80などの、
チップがむき出しになってるCPUキットの類か。 82年だと半々〜マイコンが若干優勢くらい、80年だとほぼマイコンって言ってたよ。
Personal Computer、Micro Computerについては概念的な言葉として、
実用化のはるか以前から存在してたんじゃないかな。
個人用コンピュータ、超小型コンピュータなんて集積回路が登場した時点で、
安直に予想できそうな未来技術だったろうし。 個人用コンピュータの概念は1972年にアラン・ケイが提唱したダイナブックや1975年にコンピュートピア誌上で
安田氏がマイ・コンピュータの記事を連載したりしていたので概念そのものは既に1970年代からあったようですね。 FM-7(1982年11月)はタモリのCMで既に
「パソコン」として紹介しているんだが、
これはたぶん「マイコン→パソコンに変えた」のではなく、
「マイコンの仲間」としてもうひとつの名前をもらった感じなんだろうな。 生き物で言ったら、
「デジタル界コンピュータ門マイコン綱パソコン目Fujitsu科6809属FM-7種」
みたいなもんか。 PC-8001が出た1979年まではほぼマイコン、1982年まで併用が続いて、1983年からはほぼパソコン。 子供の頃を思い出すと、マイクロコンピュータが仕込んである電子制御装置は押並べて「マイコン」だったんだよね。
だから電子ジャーも楽器もパーソナルコンピュータもマイコンと称するのに違和感なかった。そう言うモノだと思っていたから。
何でもかんでもマイコンと称するようになってから、耳馴染みのワードに引っ掛けて作られた言葉だと思うよ。マイコンピュータは。流石に電子ジャーとパソコンを混同されるのは避けたい、だけどパソコンでは意味が通らないみたいな時期。
1982年後半頃から84年前半ぐらいじゃない?端境期は。 >>169
安田寿明氏のベストセラー「マイ・コンピュータ入門」は1977年の発行ですよ