【空想】もしあの機種がもっと続いていたら【妄想】
いまや、WindowsPCとなったAT互換機とPowerMacだけになってしまった
このご時世ですが、あの機種に後継機が出ていたら、
あのシリーズが今も続いていたら、そんな妄想をしてみるスレ。
ただし、86系のCPUを使ったシリーズの現在のAT互換機的進化を
遂げた書き込み(Pentium4搭載PC-9821RvIV等)はやるなとは言わないけど、
きっと食傷気味になると思うので、控えましょう。(藁 >>180
ROMさえ何とかなれば多分大丈夫。Plus以前ならSCSIもないので、もっとも難
しいのはApple独自のFDDのドライバーだろう。次がサウンド(PCM)かな。中で
シリアルポートの受信処理をしているので、ごちゃごちゃしている。
えー普通に考えると一番難しいのはGUI辺りのような気がするんだけど。。
互換APIがそんなに簡単にそろえられるとも思えん。
つーか当時のマックって頑なに固定DPIだったと思うんだけど
その辺どうするんだろう。
それにマックOSってハードの抽象化なんて不完全にしかしてないような気がする。
アプリで勝手にハードにアクセスしてくれと。。
そんな調子じゃ当然バイナリレベルの互換性なんてないわけで。
まあ当時のマシンで完全にそんなことしたら実用になる速度でないだろうけど。 X68000でMac OS動いてたけど…。68ユーザーなら大抵知ってると
思うけど、68ユーザーが少ないスレなのかな? >>184
知ってはいるんだけど、実際のを見たことはないんだよなぁ。
一度実機で動いてるのを見てみたいものだ。 >>183
GUIつってもあの頃のOSはまだ充分小さいし、Inside Macにすべて公開されて
いるので手間をかければできるんでない? QuickDrawの美しさを一度見ておく
べし。
解像度については本物はその通りだが、それはX68側でモードをいじれば解決
できる話だと思う。
抽象化は、うーんMac OSって「GUIなアプリのためのプラットフォーム」とい
う作りになっていて、学校で習うようなOSとは違うよね。それにメモリー保護
のないスーパーバイザーモード爆走OSじゃ、アプリが何をやらかしても止める
手段がない。Motorolaの人が嘆いていたという話を聞いたことがある。
68kって、メモリー空間がユーザのデータとプログラム、スーパバイザの
データとプログラム、などと、メモリー空間が四つに分かれているなんて
書いてあるのをどこかで見たことあったが、メモリー空間を4倍取れるの
かしら。それとも、一本のメモリーを四種類に分けて使うのか。
でもそんな正しい設計してるハードなんて知らないが。
ナイコンこそが世界を制する。まだ戦いは終わっちゃいない。
紙に書かれたキーボード、シャドウプログラミング。
これら究極のデバイスが進化を遂げて、人体と一体化したインターナルコンピューターの時代が到来する。 1000 DATA 0000000000000000,0000022200000000,0002222200000000,0022222222000000
1010 DATA 0222222222220000,0222888808080000,0222888808080000,0222288888800000
1020 DATA 0008822222001000,0028822222201100,0111888811111110,0002288822201100
1030 DATA 0022222222001000,0022000220000000,0022220222200000,0000000000000000 ↑↑↑
こういうつまんないことするヤツの方が、よほど性格悪い&頭悪い。 >>184
68020に68451(セグメントMMU)をつけると実現できるんじゃなかったかな
スーパーバイザとユーザ,インストラクションとデータで別セグメントにすることが出来たはず
確かセグメントごとに4GBの空間があるはずでMMUのピン配置見るとSSELで4空間は
分離してそれぞれ4GBの物理メモリに入れられるんじゃないかな
まぁ空間を完全無欠に分けると使い物になりそうも無いけどw ここは旧8,16ビットパソコンなど、
Windows以前の古いパソコンの専門板です。
【話題のボーダーライン】
・PC/AT互換機については、だいたい1995年ぐらいまでが限度とお考えください。
・Macについては、PowerPC搭載機以降は新・Mac板でお願いします。
・Windows関連の話題はWin3.1までとします。PC-UNIXの話題はUNIX板でお願いします。 あの機種がもっと続いていたら、というか、
Linuxがもっと昔から普及していたら・・・
とは思う。
吸血鬼Microsoftはもう消えてほしい・・・
>>198
ってことはリーナスが史実より早く生まれてないとダメだな。 >>198
それを言うなら、TRONがアメリカでも普及していたら、
じゃないの?
日本人としては。 というより、ゲイツがPCに興味を持たない世界であったなら。 前の流れ無視して書くけど。
もし、シャープが天下を取っていたら?
国民機パソコンと言えばMZの世界だったら。
…今頃どうなっていただろうか? MZ以外のPCについていたROM-BASICや国民機パソコンの
特徴だった漢字対応ハードウェアがなくなった今の状況を考えると、
あまり違わないのではないかな。
Linuxは、Minixを元に作られた。 そしてインターネット。
なんとも素晴らしい幸運が重なったから出来上がった。 X68000の新機種を作る事が現実に可能だと思う
MC68000の200MHz版もあるし、
ドラゴンボールを使えばポータブル版も出来る。
きっとシャープも許可してくれるだろう
下地は出来ている
マザーボードだけつくれば良い
今からでも遅くは無いR800+V9990を搭載した
正真正銘のMSX3を出してくれ >>209
DragonBallではないのがミソか。
機種じゃないけど トロンというOSだかプログラム
米にけちつけられて消えてしまったが、残っていれば今の日本のOSは
トロン系統になっていたかもしれん IBM-PCでよかったと思うよ
まがりなりにも、世界共通の位置に着いた。
セカンドマシンが何になるかは自由だが >>211
今でも自販機や家電などの組み込み用OSとしては健在ですよ。
PC用にも超漢字と名を変えて生きてはいますが
こちらは健在というよりは何とか生き延びている、という感じですかね。 パソピア7
パソピアnew7
パソピア77
パソピア77AV
パソピア77AV40SX
パソピアTOWNS
パソピアTOWNSmarty
パソピアV
パソピアV DESKPOWER
パソピアV BIBLO FX-990PとかPC-U8000とか、32bitのポケコンがあったら面白いんだがなぁ MSXはMS-DOS(ひいてはWindows)互換を保ちながらX68kのようなゲームPCに進化していただろうか SMC-777
SMC-new777
SMC-777777
SMC-777777AV
以下略
>>221
もう今のWindowsマシンがそれなんじゃないの >>221
X68をゲームPCとは…w
>>222
今更ながら何て読むんだろな。SMC-777。
スリーセブンで正しいのかなぁ… 88VAが98事業部を無視して勝手に高性能化していったら・・
88VA4 98互換機能付きで98ソフトの98%以上動作可。98に対して10万円のアドバンテージ。当然バカ売れ。
88VA5 EPSON98互換機登場。コレに対抗してクロック競争に入る。もう98の存在意義無し。
10年は戦えるマシンになったな。
夢の無い合体マシンでした・・あまりにも中途半端・・。
後悔の嵐だたね。 Windowsが動いた(普及した)時点で、日本独自アーキテクチャーのPCは終焉することが目に見えていた。
日本独自アーキテクチャーのPCが残存したとすれば、MS-DOSを使わない独自OSの機種が市場を席巻した場合だ。
(CPUもインテルでない?) VAは肝心の強化された表示周りがいまいち。
使いづらい事この上ない糞仕様。 >>229
外圧に屈せずTRONが学校からオフィスまで国家指導により浸透した場合ってことですね。 だが、そのWindowsとて盤石ではないぞ
90年代末期にもっと他のOSが頑張っていれば結果も違ったかもしれん。
BeOS入りベーシックマスターレベル11とか、Solaris入りパソピア64とかな。
OS/2が入ってたIBM機もあったのにな。 OS/2はIBMが開発してたんだからOS/2入りIBM機は当たり前なんでは。
でもBeOSに日立は噛んでないし、Solarisに東芝は噛んでないからなあ。
> Solaris入りパソピア64とかな。
その64はKBじゃなくてbitなのか。 BeとWinのデュアルブートマシンって日立だったような? ゲーム機は結構頑張ってたんだけど、皆一世代でドボンしちゃうからなぁ。
ファミコンからずっと互換性が継続してたら、一大帝国を築けていたかも。 BANDAI/NAMCO
GAT-X105(a.k.a. NC-2)
CPU eZ80 50MHz
MEM 128MB(BANK SELECT方式:16MB単位)
SND CS4231+OPX+C130
CMT,USB,CDROM(RW対応),HDD(1TB,iV)標準装備 >>229
もっと古い話をするなら、Nの関本が9801VXの時点で、インテルCPU(80286)を正式採用したのが大間違い。
ゲッパート上院議員とインテル・R・ノイス率いる米国商工委員会がスーパー301片手に痛産・国産電算企業
相手に、貿易規制で脅して米国製半導体の国産製品での採用率30%を迫った、そんな外圧に負けたのが、
日本製オリジナルPCを人工開発中絶させた。当時、NはVシリーズの32bit版へとロードマップを描いていたのに。
なぜ、80286が採用されたかといえば、85〜86年頃のパソコン用半導体はすべて国産で供給可能で、CPUでも
買わなければ30%の目標値を達成できなかったから。
関本の鶴の一声が日本のオリジナルPCの成長発展の息の根を止めた。
それと、なんといっても、国産PC各社が独自OS開発をほとんどやらなかったこと。これも大きいね。
80年代パソで国産独自OSを搭載していたのはSORDと日電N5200のPTOS位なもの。あとX68Kのアレ。
日立・富士通はそもそもIBM追従伝統で論外。それと、M$のセールスマン西和彦の有能さも阻害要因。
西がエストリッジみたいに70年代に飛行機事故とかで逝ってたら、SORDは潰れず独自OSな国産PC
が群雄割拠して、もっと違った未来があったかもしれない。ASCII各誌はポシャるまでずっとM$マンセな
プロパガンダを止めなかった。こんな売国雑誌社の罪は大きい。
X68Kのアレとかでさえ、外注OS。Nも85年前後GUI-OS開発を計画して、外注先に見積もりとってた
時期がある。PC-100がポシャったちょっと後くらい。しかし、外注だし。
83〜84年頃のPC-100の開発に関わった、Justやダイナウェアが結局アプリ会社で終わったのも残念。
1人月OSと揶揄されてたCP/Mとか、その焼き直しに過ぎないDOSレベルなら、80年代のいくつかのゲーム
系開発会社でさえ互換DOS作って実装してた。あの頃ならまだ間に合った。しかし、どこもOSを育て続ける
ようなブレない経営を維持できたところはない。それができていればね。Appleみたいな会社の1社くらい、
日本に居残れたかもしれないのにね。とか思うね。 >>237-238
まあ間違ってはいないような気もするが、
世界中で、本家のIBMですらAT互換機+MicrosoftOSに飲み込まれるわけで
日本の特殊事情じゃないぞ
>>239
>世界中で、本家のIBMですらAT互換機+MicrosoftOSに飲み込まれるわけで
>日本の特殊事情じゃないぞ
事実記述としては、正しくて、そうなのかもしれないけど、90〜95年という時期は
そのM$社すら、ある意味、存亡の危機を抱えていたのであって、その危機
を乗り越えて生き残ったら結果、勝ち残った。というのが実際だと思う。
ちょうどネットが商業化・普及しつつあった時期、最も脚光を浴びていたのが
ネットスケープで、HTMLブラウザであったNCSA Mosaicをベースにしたブラウザ
の機能拡張版を無料で提供しつつサーバーソフトで収益を上げるというビジネス
モデル。しかもHTMLでは非力な動的クライアント処理をJavaScriptで補完すると
いう実装で敷居を高くすることで、ブラウザ市場への参入を困難にしてた。
結果、CommodoreやAtari 等々NetScapeがサポートしていないプラットフォームは
即死したし、OS/2 Warp/IBMは独自ブラウザの開発を放棄。AppleやM$は恩恵に与って
プラットフォーム的に主流を維持できた。だけども、NetScape依存では軒先貸して
母屋を盗られると危機感を抱いたM$が IEの無料配布とJavaScriptなどの機能強化を
しつつ、NetScape対抗でWindowsデフォルトブラウザをIE設定にするなどの我田引水
を行うなどして駆逐して、勝ち残った。もし、NetScapeがWWWサーバーの販売じゃなく
Windows2000レベルの独自NetOSの開発販売を主力に据えてたら、今の状況はもっと
違っていたと思うな。現時点は、Googleがそれをやろうとしているわけで、しかも
M$の支配力が弱いモバイル市場をとっかかりにしてる。
Windows7が示したのは皮肉にも、現在のPCユーザの大半は[XP互換OSで十分]。という
ことだから、PC世界のM$帝国主義が駆逐されてしまう可能性や余地は十分あると思う。
その変化を起こすには、高機能でセキュリティに問題がないブラウザとメーラーと
それらのためのハードやOS的基盤が必要だけれども。市場がオンライン化しつつある
今では、情報のチャネルの太さ如何で、シェア逆転は実に簡単に起こし得るかもしれないし。 PC互換機が他のオリジナル系パソコンを駆逐したのはネット対応なプラットフォームへ
と進化できなかったから。AtariやCommodoreが端的な例だと思う。
ネット以前であればPC-Jr. も 5550も、PS2も、EGAなAXも、国内シェアを大きく取った
ことはないわけで、唯一、J-3100がNoteBookの市場でそこそこ売れてたくらい。
俺の周りにもJ3100ユーザはけっこういた。互換機が互換機として売れるようになったのは、
それこそ、AT互換機として機能しなくなってからの最近の話だとオモ。
互換機をイーサ対応へと牽引したのは、IBMというより、ノベル。そのノベルも、ハード的には
台湾系互換機メーカに喰われたし、ネットOSではWin95のMS-Networkの一般化で主役引退。
ASUSやAcerなどの台湾系PC互換機メーカーが躍進した時期、なぜ日本のメーカーがその
受け皿になり得なかったのは、謎だけども。技術力というより、販路の問題だったのかな。と。
90年代はじめ、386〜486の時代のComputerShopper誌は洋書屋とかで買ってよく読んでいたが、
カリフォルニア・ベイエリアの安物互換機SHOPの広告には、そうした台湾系の互換板やら互換箱の
広告がいっぱい。個人輸入で取り寄せてみると、後々では、ASUSの板であったとわかるのだが、
当時はノーブランド扱いでマニュアルにも製造者名の記載がなかったりしていた。華僑ネットワーク
で売りさばいていたんだろうな。と想像してたりしてた。日本だと校人社=総鉄屑とかが同業だった
んだろうけど、知る限りでいえば、日本のメーカーはOEM製造が中心で、発注先のスペック事大。
そういう点で、台湾メーカーほど足回りが良いわけでなかったはず。486DX/50MHzの基板とかだと
動作不安定でも、50MHz板ですとかで売りまくってたし。そういう危うさというか、チャイナクオリィティ
が魅力でもあったけど、品質より、商品提供の速度で台湾メーカーは抜群であったのは確か。
そういう危うさを含んだ商品でもいいから、開発速度を重視で、国産PCが提供されていたら
どんなにか、面白かっただろうに。と思うけれども、国内のパソコンメーカーは大企業ばかりだから
そうもいかなかったのだろうな。残念だな。
あと、ブラウザの実装開発力が、とりあえず、パソコン延命の雌雄を決する鍵になってたことが重要で
これは昔も今もさらに将来へと痕を引くことになると思う。たとえば、近頃はやりつつある、複合携帯端末
とかでは、ブラウザをローダー・コアとしたUIとかネットサービスの多様性が売りになるだろうから。
ブラウザは、HTML/XML/Java-Script/Java/Style-Sheet等々の多様なスクリプトの
インタプリタでもあるけど、日本のソフト/PC系会社はこうしたパーサー的言語処理がまったくもって不得手。
言語処理の技術蓄積や知識伝授の伝統を欠いている。という点は、システム・プログラミング的基盤開発が
そもそも成立しない。という点で致命的だったと思う。M$はそういう点ではその道のプロであり続けてる。
大昔、某社開発から「3000万出すからC言語の実装一式をソースコード丸ごとで調達してきて」
とか打診されたことがあるけど、国内調達はほとんどムリだった。大学工学部系でも、そうした技術
で名の知れたところって、あるんだろうか? 今ならあっても不思議じゃないけど。逆に無かったら亡国だな。と。 ネット対応なプラットフォームへ と進化できなかったから。 →
AtariやCommodofreなどの非互換系PCがネット対応なプラットフォームへと進化できなかったから。
糞文・駄文で荒らしてスマソ。 まー、今AppleなんかがやってるiPadみたいなタブレットPCだって、
PenPointやPenDOSなんかがスタンダードになってれば違う世界があったわけだ。
携帯電話だって、世界市場を牛耳れる技術や機会があったにも関わらず、
一般紙にすら、ガラパゴスと言われてしまった。
結局は政治力や発言力がないから、こうなったんだよ。 米国で売れないのは主流にはなれないと早々に悟らないとガラパゴスになる アタリやコモドールもアップルくらいの企業体力があったらなあ。 FALCON 030て実は非常に高性能なのに残念な機種だ。
56001でMPEGのリアルタイムデコードも可能なんだし残念だ。
Acornも高性能だな。
TOSもGEMも非常に柔軟性が高いからAMD CPU向けに移植して欲しいな。
コンパクトで軽いし、エミュレーションしてもWIN上で動くわけじゃないからオリジナル同様軽いはず。
Motorola 56001はGPUでエミュレーションすれば良い。
幾つかの機能をモジュール形式にして、スキンを用意すれば十分売れるOSになるよ。
現実にはエミュレーション部分と混在したハイブリッド型にした方が旧ユーザー向けには良いんじゃないかな?
PLDにアーキテクチャを実装して、ボードをPCI Expressに挿して使うタイプにしても良い。
>>247
両方ともDOS/Vで失敗・・・。
AMIGAは組み込みOSとして生き長らえる・・・。 >>245
> 携帯電話だって、世界市場を牛耳れる技術や機会があったにも関わらず、
> 一般紙にすら、ガラパゴスと言われてしまった。
iPadの技術の多くが日本人技術者の手によるものだという事実は悲しいね >>248
アタリやコモドールのスマートフォンやタブレットをみたかった…。 m5の[SHIFT]+[任意のキー]でBASIC命令がカキコ出来る機能、好きだったな〜
m5の
“C言語教育版”とか“Python教育版”みたいなのが出てくれると嬉しいんだが MSXマガジンで
HDDつんでメモリを1メガとかにした
特集があったのを思い出した TOWNSマーティミレニアムが世界のゲーム機の標準となる。 PC88VAの失敗でNECのホビーパソコン事業は、スプライトを持たない
ゲームにはこの上ない貧弱でゴミ同然なPC-9801にシフトしていく方針が固められた。
かにみえたが、結果を急いでばかりのNEC首脳陣がある事件で芋づる式に逮捕。
無能なゼネラリストが一掃されたNECは現場主導で盛り上がる。
何故かハドソンの首脳部が相談役に就任。
急遽、PC88VA後継機PC88WAが発売。
CPUにV60、メインRAMは標準で1MB。
表示機能は最低640x480 1677万7216色中16色、最大1677万7216同時発色が可能。スプライトは512色。
現状存在するマシンの中でスプライト機能が飛び抜けて高く、サウンドはSB2にOPNAを1個追加したSB3が標準搭載。
専用ディスプレイが付いて10万円を切る低価格と、VAより2回りコンパクトになった筐体は
バンドルされた沙羅曼蛇完全移植版の完成度と相まって生産が追いつかないほどの大ブレイク。
NECの技術陣がかねてより作りたかった「究極のマシン」が完成する。
EPSONもこの流れに追従し、キューハチ互換事業から撤退し、PC88WAの発売の翌月早速互換機を発表。
ソフトハウスはこれまで実現に困難だったゲームデザインの可能性が広がったことでPC-98から一斉に鞍替えを行う。
それまで殿様商売をしていたPC-98事業部は本来の目的であるビジネス用途に特化せざるを得なかったが、
PC88WAに一太郎・花子・Lotus123が発売されると、1世代古いAT互換機程度の性能やEPSON不在を良い事に
価格を釣り上げていたことが災いし、大赤字を抱え消滅した。
それ以後、PC88XA、YA、ZAとシリーズが続き、SEGAの参入もあり海外でもミリオンヒット。
PC88とMacintoshの二強時代が始まるのだった。 かつてNECと訴訟問題に発展したEPSONだったが、
各種カスタムチップのライセンスを握っていたハドソンの助言もあり、
主要部品の提供を条件に互換事業が公認された。
ハドソンの株価は急上昇した。
これを皮切りにPC88WA以降はMSXのような共通規格となり、各社からPC88WA互換機が生まれることになる。
NECはソフトハウスの囲い込みに専念するようになったが、かつてのAtariショックの教訓から
一定水準以上の品質が守られるよう、ソフトウェア品質監査専門の子会社を設立。
「売れればそれでいい」かつてのNECの首脳陣を彷彿とさせる哲学もなく技術力の低いソフトハウスを市場から追放する一方で、
NECはソフトウェアハウスの育成にも力を入れる。
一方で、エロゲは「存在しないもの」として取り扱われたため、エロゲの世界は品質においてカオスな状況となった。
左派PTAとマスコミからしばしば槍玉に挙げられ、番組の後には「健全!健全!」を連呼する韓国製ゲーム機の宣伝が流れた。
そう、家庭用ゲーム機市場はPC88WAの登場でファミコンとPCEの時代から全く進化していなかったのだ。
ここでもまたまたハドソンが活躍する。
かつて子供に人気だった高橋名人を、次世代機PC-FXの宣伝担当に起用。
PC-FXはこれまでのPCEやPC88WA以降で培ったノウハウとハドソンの謎の先進テクノロジーが詰め込まれ、
任天堂ソニーの共同開発したFC後継64bitマシン、PLAYSTATIONと二強時代を築き上げるのだった。 PC88WAシリーズは大人の玩具、子供はPC-FX という後付の大義名分とイメージを得たNECは
マスコミによる避難を回避することができるようになり、PC88シリーズをビジネス面にも展開していくことになる。
それまでSilicon Graphics, Incがシェアを獲得していた3DCGと大規模コンピューティング分野に参入。
ここでのノウハウは後のスパコン「SP88」に引き継がれることになる。
1990年代末、まだまだバブル景気が続く日本は経済・科学技術共に世界第一位の座を揺るぎないものとするのだった。 VAが88mk2→SRの時を遙かに超えるスペックアップと大幅なコストダウンをしていれば
88の天下は揺るぎないものになってたかもな
>16
一般販売はされてないけど、TK-V30はありましたよ。
アルミトランクに入ったやつね。 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
「暴力とイジメと口裏合わせと口封じ」の町やそういう町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・
いじめっ子・殺人鬼・ダニ・ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ >>257
SEGA、富士通よりホビー部門を買収、V-TOWNSはテラドライブの新機種として専用ゲームと共に発表された。
マイクロソフトにOEM互換機T-BOXを提供し、windowsの優先供給権獲得、
AT汎用版より半年前に発売というのが恒例となり、自作機にも互換ボードを搭載するのが常識となった。
今ではチップセットに統合され、互換機能がないマザーボードを見つける方が困難だろう。 X68000の後継機種がマッキントッシュ互換機で出ていたかも?
(これは又聞きですが鳥居さんがそうおっしゃっていたそうです もう時効でしょうからいいでしょう)
うまく行っていれば、X68000ユーザーはマックユーザーになれたかも? PC-8001
Z80A CPU,32KB RAM,40*25テキスト,テンキー
VIC-1001
PCG,PSG*3,JOY-STICK,ROMカセット,家庭用TV対応
両方のいいとこ取りしたホビーパソコンを1981年末に128,000円で発売 後継機種妄想スレより
新機種妄想スレの方が伸びる気がする MSXが8088でハードウェア自体はPC-XT互換だったらとは思ったな
で、1984年の発売時にはV20にしてNECを引き込んでれば FDDは1MBで、グラフィックスは4096色中16色になっていたであろう。 そこでOSをWindowsにしちゃだめなんだよ。
差別化できなくなって消えるしかない。