【空想】もしあの機種がもっと続いていたら【妄想】
いまや、WindowsPCとなったAT互換機とPowerMacだけになってしまった
このご時世ですが、あの機種に後継機が出ていたら、
あのシリーズが今も続いていたら、そんな妄想をしてみるスレ。
ただし、86系のCPUを使ったシリーズの現在のAT互換機的進化を
遂げた書き込み(Pentium4搭載PC-9821RvIV等)はやるなとは言わないけど、
きっと食傷気味になると思うので、控えましょう。(藁 ぴぴん@あっとまーくストライク
・ブロードバンド対応
・DVD-ROMドライブ標準装備
・IBM社製PowerPC G5搭載
・ストライカーパック(オプション)の交換によって、様々な状況に適応できる
汎用性と拡張性を重視したモデル
なお、同時発売モデルとして
ぴぴん@あっとまーくイージス
ぴぴん@あっとまーくブリッツ
ぴぴん@あっとまーくバスター
ぴぴん@あっとまーくデュエル
もありまつ。 >>42
製品じゃないけど1チップMSXが存在します。
>>72
それに加えゼビウス他一連のものが初期にでていたら
1年くらいは延命できたろうとは思う。 西暦2XXX年。
プロサイドの椎名氏が東芝パソコンシステムと協議し、
パソコン事業の節目として旧Mシリーズの後継機を数量限定生産の上
東芝パソコンシステムのサイトでオンライン販売することが決定した。
また、SORDのブランドを復活させることも検討中だ。
現在判明している機種名は
M2000
ハードウェア的には現在のWindowsパソコンをベースとしながら、
新開発のエミュレータと専用チップの追加により
M200、M100、M223、M243、M23、M416、M343、M685、M68、
さらにはM5を含め全てのMシリーズに対し互換性を持たせる
コンプリート仕様を目指す。
CP/M、CP/M-68などのOS、旧PIPSの各バージョンと
新バージョンであるPIPS-21th centuryが同梱される。
過去の資産を活用するため5.25'FDDと3.5'FDDを1基づつ内蔵、
新PIPSではVisiCalc、dBASE、1-2-3、Excelのデータを読むことができる。
ナムコ、コナミ、HAL研、タカラ他各社の協力によりM5の全ソフトも同梱され、
コアなM5ファンの期待に応える内容となっている。
CMには森尾由美を採用。
2004年1月1日に一斉にweb上で予約を開始する。 つうか、QD以外はMZ1500の状態で最初から出ていれば、
時代の一角くらいは占められたと思うけどね。
そろばんが、5000桁くらい計算できるようになっていたら。。。
一人じゃなく、何人も並んで、号令(クロック)に合わせて、
一斉に玉をはじく。。。
中国やインドになら、実際にあったりしてな。 >>86
人がひとり増えるたびに、エラーが出る確率が高くなる。
RAIDみたいだな。 冗長性を持たせるために、複数セットの演算機(この場合は算盤)を並列に
設置して、一つの命令を同時演算してたり。
暗算天才少年が一人ついてるECC機能付きはうん十倍の価格(&ランニング
コスト)で運用されてたり。
名前はMSX-Windows。
「X」がつくだけか… MSX-VIEWだけじゃなく、HALNOTEのソフトも動きまつ 昔はいろんな機種を妄想したものだが、年食って夢がなくなったか・・・ 夢はあるんだが実現可能かどうか考えてしまう・・・
資金調達と人材確保さえ出来れば・・・
ATARI FALCONをPowerPCで復活させたい ATARI800 SUPER
CPU 65C816S 20Mhz Dual
Graphics RADEON9600 128Mbyet Memory
DSP ADSP-21061 Dula (音源部のエミュレートとCPUの補完的役割
インターフェイスはUSB、IEEE1394、ROMカートリッジスロット
ATARI800自体はソフトウエアエミュレーション
新世代ATARI800は究極のゲームマシンになる
ていうか思いっきり妄想過ぎるww
無茶苦茶な発想で考えてみた 当時のハ−ドが1チップでできるなら、
PCIボ−ドとして出してくれないかな。
1万ぐらいなら買うぞ。 もしIBM互換機ではなくPC-9800(と互換機)が世界規格になっていたら。
それはPC氾濫時代が訪れようとしていた矢先のこと。
IBMがNECとの汎用機戦争に破れ、遂に不渡りを出してしまった。
PC/AT互換機の株は下がり、ビル・ゲイツはますます日本製PCに熱を入れる。
何よりACOSが世界基準となったことにより、それと連動するPCとして、
PC-9800シリーズは国民機から世界標準機へと躍進した。
一方、国内でこそNECでの苦闘は続く。
宿敵富士通が送りだす、同じIntel製CPUとそのx86ベースOSをそろえ
かつ表現能力に優れたFM-TOWNSは最大の敵として立ちはだかり、
また純正98と互換しながらWindows3.0で256色表示可能としたEPSON互換機の
存在が、遂にPC-98GSからPC-9821シリーズの登場へと繋がって行く。
各社がEPSONに続けと次々PC-9800互換機のラインアップを始める。
NECは当初これを良しとしなかったが、CPUとOSの供給源がそれを
望んだ為、応じざるを得なかった。
(それでも、一度はEPSON相手に民事訴訟を起こしたが、当時の日本の司法の
コンピュータープログラムに対する意識の低さが結果的にEPSONを救った)
IBMのスピンアウトによりPowerPC路線に座礁したAppleはMC68000系で細々と
Macを続けて行くが、世界の主流には程遠く、世界皆PCユーザー時代は
PC-9800シリーズが世界の8割を握り、残りのうち1割弱を富士通FMシリーズが
占め、残りを雑多なメーカーが奪い合う形となった。
ただし、NECが持つシェアはその20%に満たない。 いや、そのPC全然昔のPCじゃないし・・・。
質問とその答えにワロタ 「壊れたPCを3万で売ります
直して返却してくれてもいいです」
・・・。 セガの究極のつなぎマシン、X32。メガドライブにX32を差し込んで拡張するセット。
さらにY64、Z128、ZZ256と次々に前の機種に差し込み拡張していく。 X68kの後継は、PowerPC搭載の"XP"だろう。
もちろんOSは"XP-windows"ってことで。
零式ってどうなったの? X68kの後継は、PowerPC搭載の"XP"だろう。
もちろんOSは"XP-windows"ってことで。
零式ってどうなったの? 昔、AVコンポやビデオデッキまで全て繋いで
コントロールできるようにならんかと思ってた。
ビデオテープやMDも記録媒体として利用可能に。
今やUSBやIEEE1394で実現可能なんだが・・・。
>>113
「ビデオテープにバックアップ取る」つーのは3〜4年前に製品として出てたなぁ。
秋葉で見かけたよ。120分テープで2GBだったかな。 >115
あのスレは"データの書き出し"じゃなくて、"映像の書き出し"のスレだろう。
途中からクソになってるが。
ところで、BD-ROM標準搭載のTowns、ってのはダメ?
DVD-RAMの方が、消し書きできて便利かなぁ…。 大人の科学シリーズで、電子ブロックやメカモが復刻されてるけど、
学研・シャープのコラボレートでMZ−80C(自作PCのはしり)
を販売というのも、まんざら有り得てもおかしくないかも。 MZ-80Kじゃねーの?
80Cといえばワインレッドの完成機体じゃん。 PC-8201の後継機として、640x200ドット1bpp/80文字x12行の漢字テキストVRAMを搭載し、
メインメモリ64KB、RAMディスク128〜256KB、3.5インチ2D/2DDドライブを搭載した
CP/Mマシンとして発展していてくれれば、モバイル環境として重宝しただろうなぁ…。
富士通のFM-77は、大ヒットした先代FM-7とソフトの互換性がほぼ100%確保されてい
たにも関わらず、記録メディアの互換性がなかったため、せっかく獲得したFM-7ユーザを
みすみす他社パソコンへと奪われることになった。。。
そんな富士通が、もしもFM-77用の5インチフロッピードライブを発売していたら。。。
5インチフロッピードライブのI/Fを自作しなくてもFM-7のソフトがFM-77で動かせるようになり、
ハード改造まで手が出せなかったFM-7のユーザが次々とFM-77に買い換える。
一部のユーザはOS-9を使い始め、その流れはFM-11からFM-11AD,FM-11EXへと受け
継がれ、ついにFM-16βでは68000CPU搭載の16ビット機となりシャープのX68000と共に
OS-9の市場を拡げていく。
「OS-9はミニコンの流れを汲むOS。電卓の親玉のx86とは格がちがうぜ」というOS-9ユーザ
の意見は、一部に反論はあったものの、数の論理でじっくりと時間をかけて世間に浸透していく。
NECから8088CPU搭載のPC-9801が発売されるが、68系のCPUが装備できず、OS-9が
動かないという理由から、いつしか人々は98のことを忘れていった。。
海外でIBM PCがヒットしているころ、日本ではOS-9が大ブレイク。アスキーの西社長が
日本ではx86CPUの市場が無い事をMS社のビルゲイツに切々と訴えかけ、ついにWindowsは
68000CPUにも移植され、OS-9のライバルとして発売されることとなったが、時すでに遅し、
日本ではすでにOS-9が市場を握っており、Windowsが普及する余地などどこにもなかった
のでした。。。
>>121
「もしあのOSがもっと続いていたら」ですな・・・。
OS−9(の直系後継OS)も、GUI化されてたでしょうね。 FM-7ユーザーで5インチドライブ持っていた人は
そんなに多かったですかね?
FM-77が5インチだったとしてもFM-7,FM-77両方買う
人も多いとも思えません >>123
当時、FM-7の資産をFM-77へ簡単に移行できるメディアがなかったことが
問題だったと思います。
そこでFM-7ユーザは手持ちのソフト資産をFM-77へ移行するチャンスを
失ってしまったと言うことです。
反面、NECはその点商売が上手でしたね。
PC-8001で獲得したユーザを、機械語レベルではほとんど互換性のない
8088マシンのPC-98へ、ベーシックレベルの互換性だけで誘導していった
のですから。
1970年代後半からのLSI集積度の向上は、多くの人々の予想を遥かに上回る
勢いで進んだため、1980年代前半には68020と1MBのメモリを積んだ
個人用コンピュータ、俗にいうパソコンが多数のメーカーから発売されました。
このとき、ほとんどのメーカーが採用したOSがバークレーUNIXです。
本家AT&T UNIXからコードが全面的に書き換えられ、ライセンスフリーの
バークレーUNIXが、パソコンの標準に採用されたことは当然のことだったと言えます。
この黎明期のパソコン市場をリードしたのが、IBM、SUN、DEC、NEC、富士通でした。
中でもDECは、他社がモトローラ製の68020又は68030を採用したなか、
唯一VAXにこだわり、エレガントなバイナリコードから一部の熱狂的な
ユーザーに支持されました。
80年代に入ると二つの変化が訪れます。
ひとつはウィンドウマネージャの乱立と、RISCプロセッサの台頭です。
ありあまるCPUパワー、高解像度ディスプレイを、セマンティックギャップを埋めることに費やすのは
当然の帰結です。各社は80年代半ばから、パソコンにGUIを搭載しはじめました。
各社が異なったウィンドウマネージャを搭載したため、それまでバークレーUNIXによって
もたらせた高い互換性が崩れ始めたのがこの頃です。
またSUNのSPARCやMIPSテクノロジーのR3000によって、68030やVAXは
CISCと揶揄され衰退していきました。
初期のRISCチップは、多くの処理で旧来のCISICと変わらないパフォーマンスしか
発揮できなかったのですが、GUIを軽快に動かすこととエンジニアリングユーズには
優れた性能を発揮したため、1990年前後にはCISCを駆逐しました。
そして、モトローラは88000、IBMはpower、DECはalphaを開発し
これまで680X0が圧倒的シェアを誇っていたCPU市場は、戦国時代を迎えます。
いや、FM-7<->FM-77でそんなに性能差があったのかなあ
ということが言いたかったんですが。。
調べてみたら77で機能が上がったのは+3.5FD、漢字ROM
ぐらいでしたので。買い替えの動機には至らなかったのではと。 >>127
その他にもたしか、サブCPUのクロックが倍速になっで画面の描画性能がアップしたと
記憶しているのですが、違ったかな?
NeXTかなあ。
当時、高校の下駄箱を見て
「キューブのラックマウントってこんな感じかな?」
って妄想してたな >>127
やっぱ知らない人は知らないのだなあ_| ̄|○
>>128の言う通りで、速度が激しくアップしてます。
またスロット数の関係で、FM−7にはFDDと漢字ROMを
つけたらFM音源カードがささりません。
7に5インチドライブをつけてる人は結構いましたよ。
別にFM−7が特別売れたとかそんなことを言うつもりはなく
88(元祖)やX1に外付けドライブをつけるがごとく、普通に。
富士通純正のほか、エプソンのTF−10とかいうのが売れ線だったかと。
ただFM−77に5インチドライブをつけられないわけではないので
移行しようと思えばできるけど、本体が2ドライブ内蔵しているのに
さらにFDDを外付けでつけるのは確かに不自然ですな。 OS-9が浸透する前に、UNIX系OSが浸透してたんじゃあ?
FM-77に5インチFDDを繋げるためのケーブルもオプションで
存在していたな。ただしTF-10はスロットの形状不一致のため
不可、自分でスロット変換してくれと(笑)。
TF-20等、そのほかの純正&サードパーティ製では使えた。
描画性能がアップしたのはたしかだが、それはサイクルスチールのせいで
CPUクロックはあがってない。
富士通は最高2倍といっていたが、メインは変わらんから平均1.5倍も
速くなってなかったと記憶。メインの介在が少ない処理ほど速くなる。
スロット数についていえば、他社製でスロット拡張カードもあったな。
FM77のフロント部には、リセットボタンの横に謎のボタンがあって、押すと
描画速度がFM7と同じになったのだが…あれはどういう場面で使うのですか?
やはり5インチ対策でしょうか? OS-9→OS-9000(マルチプラットフォーム)→OS-9(マルチプラットフォーム)
OS-9はPC用のOSというよりは組み込み用のリアルタイムマルチタスクモニタ
だったりする。高度にモジュール化されているのでソースコードがなくても
不要なモジュールを外して最小限の小さなカーネルを生成できたりするし。
それに案外コンピュータの形をしていない物(自動販売機等)として普及して
いる。
少し前ぐらいだったらITRON,OS-9あたりが「ほとんど全ての人が世話になっ
たことのあるOS」だったのじゃないか?
ttp://www.radisys.com/RSYSKK/templates/base.cfm?dir=products/software&fname=index.cfm
もれもFM-7用のOS-9のマニュアルを読んで妙な感じを受けた程度だったの
だが、10年近く後になって仕事でOS-9に再会したときに「こういう事だっ
たのか」とおもたよ X68が続いてたら新世代のXが出てたかも。
PPCでAIXベースのやつが。
8'フポッピーが存続していたら、3.5ベイなんてなかったんだろうな 近頃のMSXはものすごく早い。
アクセス速度が一桁の超高速SRAMでメインメモリとVRAM
が構成されている。2D画像の単純転送速度は最新のAT互
換機でも足元にもおよばない。
小規模システムの利点ですな。
メモリ関係は全部オンチップのほうがはやいかな。 V9958完全上位互換の新型VDP
VDPからみたVRAMは64ビット幅のバスでつながれ
異なるページ間のVRAM-VRAM転送は4-1-1-1サ
イクルで行われる。
AMIGA-G5
数字は60000くらいでいかが? バン○イとナ○コの共同開発で
GAT-X105(ストライクガンダム)
CPU Cell改 GPU ATI製改 VRAM 128M
XBOX360とPS3のゲームは動かない。 >>146
それは純粋なPCではない。スレ違い。板違い。お前は気違い。 FMの正しい進化としては…
FM-16β with 68000 (真の姿)
FM-TOWNS with 68020 (真の姿)
いずれもCP/M68kとOS9/68000付きで。もしくは
FM-11 DR (doctor)
68020、主記憶256KB、68851で仮想記憶対応。20MB HDD。68881も増設可能。
6809も搭載して7のソフトも完全動作。アップグレードカードで88100。
まさに妄想だ…でも出ていたらいくらでも無理して買ったと思う。あのときが
F社との縁の切れ目だったか。
NeXTみたいにプログラマブルなDSP搭載のPCがあったら面白いよなぁ
ま、GPUがその方向に進化していきそうだが。 欲しかったよ〜。でもビンボ学生だったので買えなかった。結局大学に入って
からMac を買いました。研究室には初代があって、4 人ボンバーマンに皆では
まってました。スト II っぽいゲームなんだっけ?あれには感動しましたよ。
X68って16ビットモードで横768ドット表示できて実メモリがもっと載せられれ
ば、業務用にもかなりいけてたんじゃないかな。SIMMになっていなかったのが
残念です。
PV-2000が続いていたら…、キボードの換装の技術とか…(; ;。 >>151
X68のメモリは充分でしょ
98が640KBの壁にぶつかってる時12MBは苦もなく詰めた。
あ、苦が一つあったな。金だ金。 X68は機能やプログラムのしやすさは当然として、
改造無しで、ちょっと細工すればスペック以外の画面モード。特に1024x848が面白かったな。
チラツキ無くすのに長残光ディスプレイが必要だったけど、シャープが安定装置出してくれれば楽に対応できたんじゃない?
SASIのはずがSCSIに変身できたり、ディスクドライブは1.44フォーマットや720Kフォーマット使えたり
カタログスペックに囚われない周辺の柔軟性が更にナイスだよね。
あんな楽しいマシンは他に無い。 >154
確かに楽しいマシンだと思います。
でも、93年以降のシャープの仕打ちはひどい・・・。あれ以来、
シャープの事は嫌いになりました。シャープ大っ嫌い!!! 93年…
はて?なんの時期だっけ?
インテルのリベートに惑わされなくAMDのCPU選択するところにも好感持てます>シャープ >>152
レストンクス
確かに出た当時は充分だった。でもその後X68030になってからもそのままだっ
たのは辛くなかった? MacはSEまでは4MBで狭くて困ったけど、SE/30・IIcx以
降は最終的に128MBまで載るようになった。128MBそろえたのは去年だけどw
もし88ユーザーが上位機種(高記憶容量モデル)にシフトしていたら・・
VA3--VA21(2TD+2HD*2) |--VC3(2TD+HDD+CD)--VC31-
|-88VA--VA2--VA11(2TD+2HD*1)--VH2(2TD+HDD)---VC2(2TD+HDD)------VC21-
|--MR--MH---MA |-----VA01(2TD+2HD*0)--VH1(2TD)-------VC1(2TD)
SR--FR
と妄想してみた。 X68000は、CRTCのハックがもっと早く進んでいれば、画面モードも柔軟に扱えたんだけどね。
256x192とか512x384でアスペクト比1対1モードとか、320x224や640x448とかも。
序盤で640x400(448)が使えなかったことや、アスペクト比1対1モードが無いと思われていたことは、
後々まで禍根を残したと言えると思う。
それと12dotフォントが主流化していればな。横512モードでも80桁(85桁)表示できたし。
まあX68kの場合はプレーンピクセルで8bit境界だったから、12dotフォントは扱い辛いが。
これも1bppのビットマップからパックドピクセルやプレーンピクセルに高速変換するロジックを
ちょっと付け足してもらえれば、高速なテキスト表示が可能になったと思うのだが。
あとはステレオのリニアPCMを搭載しなかったことが悔やまれるね。
せめて22kHzまで、実質11KHzで扱えればで良いんだけど。
あれこれ拡張する系の妄想は、始めたら留まるところが無いのが実情だけど、
落ち着いて考えてもX68kがあとこれくらい対応していてくれれば、もっといろいろ便利だったなと。
X68kは2005年になっても市販品が出る現役ですが?
とか言ってみる
まぁでもCRTCについては同意。
今年の秋にはPC-8801mk9が出ますけど。
NECパソコンフェアに請うご期待。 例のSHARPのPowerPC載せたXマシンが発売までこぎつけてたら
どうなってただろうか…とちょっと気にはなるなぁ…。 醒めたこというようだけど、まあ何がどう間違っても国産アーキテクチャが
生き残ることはなかっただろうな。
どのみち結局 Made in USAのマシンに席巻されることになったはずだ。
TRONが葬られた経緯知ってれば明らかだろう。
この国の権力者には自分の個人的な利益の為に国を売る売国奴がいるからな。 > TRONが葬られた経緯知ってれば明らかだろう。
詳しく >>162
PC-88VAΩがその後に出るよ
PC-88VAの最終バージョンだってさ。 『iTRON』と『超漢字』が生きているのは知っているけど…
半死半生ってトコかな?
>>159
320x224は24kHzモード対応の68モニタでないとダメだけど
ぷよぷよとかこのモードを搭載してて、
アーケードの移植にはもってこいの解像度だった。
でもあんまり使われなかった…。 >>170
320x224はほぼセガ専用になりますな。
ナムコ用に288x224とかもできたの? X1turboZ3twin
PC-8001mk2srFELLOW
FM77AV40SXfresh PC/AT勢に対抗すべく企業の枠を超えて誕生した国産最強パソコン PC-9868 TOWNS
PC/AT勢に対抗すべく企業の枠を超えて誕生した国産最強パソコン MSX68k TRONもPCではダメな子だったが、組み込みでは出来る子らしいしな。
PC-100の後継でもだして世間の度肝を抜いて欲しい。
NEC独自のUNIXベースのOSでDTPやWeb出版に特化させて。