>>6の続き)
前置きはこれくらいにして、本題に入ろう。
もったいぶるほどの長編スペクタクルな話ではない。

【前編】
それは、いつものように家族が揃って夕餉の支度が
始まる時間だった(午後6時半前〜7時か)。
居間の掘ごたつで、小学生高学年の私はTVを正面に
見る位置に座り、隣に座る父は、台所から母が運ん
でくる料理や食器の配膳を始めていた。
放映中の某番組を見終わって間もなく、私はふと、
隣の部屋と仕切る障子戸の40 p四方ほどの障子紙の
部分(ご想像通り垂直に立った平面である。)に目
が止まった。
障子紙だから、そこは単なる白色の平面、である。

ところが、そのときは、何か模様のような像が見え
たのである。白地に青っぽい色の陰影。
何だろうと思って目を凝らしていると、模様などと
いうレベルを完全に超えて、ほとんど実写か写実画
に見える、とある一つの光景が見えてきた。白地に
青っぽい色の陰影で、いわゆる多色カラー映像では
ない。
映像中のなにものも微動だにせず、全体として一つ
の静止映像に見えた。

記憶が古くてハッキリしない点は、一つの光景とは
いうものの、《中心被写体》の背景に見える複数の
場面が個々に拡大されて見えたように思えることだ。
しかしコラージュのようにバラバラな映像ではなく、
《中心被写体》とその背景に散らばる被写体群、と
いう関係で、一つの光景を成していたと思う。

【余談】
その光景の内容こそ、この話のもっとも脅威で唖然
たるものである。
それは後日、スケッチに描き留めていて、今も実家
に眠っているはずだ。物証とはいえないだろうが、
記憶以外に残存する、唯一の(個人的)証である。

以上に>>1のキーワードの一つ「リモートビューイ
ング又はテレパス(?)」を登場させたつもりだが、
「映っているものを肉眼で見た」という記憶だから、
そんな科学的に認められていないキーワードが果し
て妥当なのか、私は知らない。
むしろ「錯覚、幻視、白昼夢」と理解した方がマシ
だ、と思うのが当然だ。
ただ、そのあまりにも具体的で写実的、そして意味
深な光景の内容に、錯覚等科学用語の現実逃避的な
当て嵌めで、自分を納得できたことはない。

●その光景とは一体どんなものだったのか。
●残るキーワードとの関連がどうあるのか。
●フラッシュバックして思わず身が震えたという、
数年後の後日談。とある「写真」に映っていた姿は、
あの《中心被写体》を思い浮かべざるを得なかった。

もったいぶるようだが、今日はここまでにしよう。

(つづ…けるのは、何事もないときだけ)