ドストエフスキー「地下室の手記」
ぼくには何のかかわりもないことなのさ、きみがあそこで身を滅ぼそうが、滅ぼすまいが。

サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」
「そいつはおまえ次第さ。おまえが自分の生涯をどうしようと、おれの知ったこっちゃないからな」

ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」
「わたしのまわりには、いつもひとり余分の者がいる。」――独り住む隠遁者は、そう考える。
「孤独はいつも1かける1だが――長いあいだには、それが2になってくる。」
「わたし」は「わたし」を相手にして、いつも対話に熱中しすぎる。
もしさらにひとりの友がいなかったら、どうしてそれに堪えられようか?
隠遁者にとっては、友はつねに第三の者である。

佐藤聡「生きる技術は名作に学べ」
アンネが、キティーという架空の宛先人に向けたメッセージとして、この日記を書いていたことには、
おそらく重要な意味がある。
アンネは、周囲にいる家族や友人ではなく、この世界のどこかにきっといるであろう、ひとりの
理解者を想定し、その人ならば、彼女の考えをきちんと評価してくれるだろうという信頼を込めて、
この日記を書いていく。日記帳につけられたキティーという名前は、アンネにとって、いつか
出会うはずの、いまだ見ぬ最良の理解者につけられた名前にもおもえる。

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」
私もまた、すぐとなりにいる本物のフランシス・クリックに何も話しかけることができなかった。
ただ、その場に居合わせた不思議な偶然を幸いに感じた。