★外国語曲宗教曲ばかりやる奴って馬鹿ぁ?★
詩の意味完全に分かってんの?
そのバックグラウンドも?
発音は完璧に出来てるの?
まず作曲家が歌われる言語の民族にある程度合わせた音域も想定してあると思うんだけど…。
我々日本民族の体躯には不向きというのも中にはあるだろう。
外国語曲宗教曲ばかり歌いたがる(或いは振りたがる)のは、
インテリぶった人が陥りやすい盲目的な西洋偏重主義と言わざるを得ない。 >>1
合唱の歌い手は、「俳優」なんだよ。それを「演じている」だけ。
だから、宗教が違おうが、バックグラウンドがなかろうが関係ない。
それを理解しておく方が良いのは確かだが。
1は下手に煽ったせいで墓穴を掘っちゃったな。
>>271
「様々な理由でやむをえず」ではなく、最初からヴォーカリーズでの演奏を前提に書かれた曲はたくさんあるわけで。
合唱曲で有名どころだと、シェーファー「Magic Songs」とか、木下牧子「五つの祈り」とか。 聴いてる方は意味不明だろうから、バカというか思いやりに欠ける選曲だと思う 正直、ろくな邦人曲が無いから仕方ない。
武満レベルでも賛否両論だろう?
これは、リズム感の無い日本語という言語に問題があるのでは、と。
近現代の邦人曲は、その点みんな無理がある。
日本語を素直に音楽にすると、雅楽か演歌みたいなものしか作れないのかも。
詩の意味などわからなくとも不要
音楽ですべて通じるゆえ 逆にいえば日本の合唱曲に音楽だけで鑑賞に堪えうるものはほとんどない 外国語曲を批判する訳ではないけど(まあ大して好きでもないけど)
今年のG1の曲、糞だな。
基地外音楽なんて聴きたくも歌いたくもない。
選曲したのはどこのどいつだ? 外国語アレルギーが昔よりひどくなってる。
数十年前はもっと歌われていた。 そのうち日本語の歌詞でもアレルギーが起こるようになる >>294
「仰げば尊し」さえ文語で分かりにくいとか言われてるしな。 結局、自分が好きな曲に出会えるかどうかだとおもう
ブストーとか佐藤賢太郎とかラターとか英語やラテン語の曲は素敵だと思うから
日本語じゃないけどがんばってみよう!という気になる
>>1
残念ながら、郡山第二中学校合唱部の生徒は完全に理解しております。 電磁波犯罪は確かに存在しています。精神病と誤認されるのは
加害者側の策略に過ぎないし、技術的に可能であることは知識
のある人なら分かっている事なんです。
その気になれば全国民をマインドコントロールできるぐらいの
技術は10年前には完成しており、既に実行されている可能性
は極めて高いと言えます。
こうした犯罪に使われている技術の一般的な認知度の異常な低
さは、政府やマスコミの報道規制だけで成しうるとは考えにく
いですし、国民に対して何らかの電磁的思考操作が行われてい
ると考えるべきではないでしょうか。
全国民にとって自分達もこの問題の当事者であるという事を自
覚する事が重要だと思われます。
合唱団の「グロ〜」とか「クロ〜」の発音が気になる。
普通に言えないのか? なんか表現がおかしいな
拍の打点が一致するのはglじゃなくてoの方 gもlも有声の子音だからグロ〜となるのが当然なんだが
それをやたら嫌う合唱指導者がいるよな
まあ程度の問題もあるが glicoをgloriaの要領で発音したら大受けだった 京都のアルティ声楽アンサンブルフェスティバルで、ラテン語ミサの歌詞に、きいたことのない作曲家(妹尾哲巳)の委嘱作品があった。
gloriaもあった。sanctusが悲愴なのはありえんけど、カッチーニのアベマリアみたいな低音オスティナートの上で椅音が解決するのは心が揺さぶられた。しかしながら、テンポが速くて、ノンレガートにしたのは作曲家or指揮者どっちの意図なんだろう?
□□中国・・・オワタ□□
のでみんなどうするワタシは
マスコミは騒ぐのが仕事、トラブルイベント飯の種、興味関心注目を集める為なら誇張扇動捏造もする。十分なリテラシー教育を受けていない者ほど偏向思想デマ宗教エセ科学に感化洗脳される。史上最大のトンデモ本は新約聖書/感情自己責任論 日本語という言語には日本人にしか感じ取れない(感じ取りづらい)ニュアンスがあり、一方で外国語にも日本人には感じ取りづらいニュアンスがあるだろう
そういうのを下調べせずに曲を歌うのはおこがましいと思う
感じ取りづらくとも、歌に対して自分なりの意見を持って歌わないとダメだと思うな
個人的にはドイツ語で子音を飛ばすのが好きです 演奏するために、きちんと予習すべきってのはどの曲でも変わらない。
日本語の曲でも、たとえば宮沢賢治の詩で、となるとバックグラウンドまで検討する必要がある。
というか、現代詩でも現代というバックグラウンドは洗いなおすべきだろうしね。
だからぶっちゃけ、フォーマットがしっかりしてる外国語宗教曲の方が楽な気がする。
正直、宮沢賢治の詩を洗うよりは楽じゃなかろうか。イミフな言葉はないし。 合唱祭に聴きに行ったら、とても綺麗だけどカタカナでしか歌詞が聞こえてこない団があった。
残念だ。 >308
ラテン語、ドイツ語あたりだと原体剣舞連より簡単かもね。 西洋の発声で日本語を歌うことのほうがチャレンジなのでは。 ていうか
「合唱」そのものが西洋の文化だから仕方ないと思うんが。
まともな邦人曲って少なすぎる。 >>312
あなたが「まともな邦人曲」と評価する合唱曲をいくつか挙げてみていただけますでしょうか。 >>313
正直、中学か高校レベルまでだろ。
典型的に言えば「大地讃頌」くらいなもんだろ。
あとは、武満だろうが木下牧子だろうが
まあ、その辺は、まだましなのだが
現代音楽を気取った、
音楽じゃなく「音苦」だよね。 どれだけもっともらしい話をされてもしらける
仏教徒がなにほざいてる! 聴いてる方は意味不明だろうから、バカというか思いやりに欠ける選曲だと思う 詩の意味完全に分かってんの?
そのバックグラウンドも?
発音は完璧に出来てるの?
まず作曲家が歌われる言語の民族にある程度合わせた音域も想定してあると思うんだけど…。
我々日本民族の体躯には不向きというのも中にはあるだろう。
外国語曲宗教曲ばかり歌いたがる(或いは振りたがる)のは、
インテリぶった人が陥りやすい盲目的な西洋偏重主義と言わざるを得ない。 とりあえずU母音をなんとかしろ
国内のかなり上手いところでもUだけモロ日本語ってのが多すぎ
外人がさくらさくら歌うみたいに歌えよ オイラのいく銭湯にはグレゴリオ聖歌を歌うおっさんがいる。 歌いたい曲が外国語の場合、勿論歌詞の意味は勉強してそれなりに歌おうとするけど、
攻めの旋律がついた母音と子音の連なりが快感とか、歌ってる時はそんなことを感じてるな。
もっと古い時代の派手な旋律が無い宗教曲は、響きの変化を楽しんでるな。
日本で声のいいお坊さん達の読経を聴いているのと似たものがあるかな。 お前ら前提からして間違っている。
「外国語宗教曲をやってる奴が馬鹿」ではない。
そもそも馬鹿がやるのが合唱。 ◆60代〜70代の団塊世代はなぜこんなに嫌われたのか 付き合いにくい理由が今、明らかに!
第1回目のテーマは、戦後生まれの第1世代である「団塊世代」。
あなたはこう感じたことがないだろうか?
「なぜ団塊世代は、あんなに『激しく嫌われた』のか?」と。
◇「団塊世代が歩いた後は、ペンペン草も生えない」
昔、職場や居酒屋では、よくそんな言葉が交わされたものです。
もちろん、団塊世代が席を外したその後で。「目障りなあの世代」を
揶揄する言葉として。
その意味するところは、こんな感じでしょうか。
「団塊世代は、いつも自己中心でわがままで独善的だ。
他を圧して自分ばかり主張する。人の意見に耳を貸さない。
ほとほと暑苦しい。彼らが通り抜けた後にはペンペン草も生えない――」
団塊世代とは、1947〜1951年に生まれた世代で、
現在60歳代の中心を構成している人たちのことです。
日本にはおよそ1000万人もの団塊世代がいると言われ、
そのボリューム感は突出しています。
30代、40代の読者の中にも
「親や上司が『団塊世代』だ」という人も多いかもしれません。
今回は、団塊世代の特徴の中から3つを取り上げ、
彼らが身近な人、特に若い世代から「激しく嫌われた理由」を探ります。
団塊世代を考える際に「時代背景」として重要なのは、
彼らが「終戦直後に生まれている」ということです。
◇団塊世代の「3つの特徴」を知る
●特徴1 戦前からの「封建性」を引きずっている
1947〜1951年に生まれている団塊世代は、
戦前からの「古い価値観」を引きずっています。
ただ、彼らが「戦前世代」と異なる点は、
「古い価値観」を引きずっていると同時に、
戦後の「新しい価値観」も併せ持っているということです。
終戦直後という「時代の変わり目」に生まれ、
幼い頃から民主主義教育や欧米のカルチャーに囲まれて成長した世代のため、
戦前の「封建性」と、戦後民主主義による「革新性」という、
相矛盾する要素がひとりの中に共存しているのです。
「封建性」が前面に押し出されると、「ペンペン草も生えない」ことになります。
「革新性」が家庭に持ち込まれると、「私生活」を大切にする新たな生活スタイルを
生み出すことになります。
東洋経済オンライン 2015/10/09
http://toyokeizai.net/articles/-/87417
http://toyokeizai.net/articles/-/87417?page=2
http://toyokeizai.net/articles/-/87417?page=3