【演奏会形式】オペラ合唱総合【演出つき】
歌ったとか、立ってたとか、動いたとか、観たとか、嵌まったとか。
この総合芸術にとって合唱とは?
>>41
> パヴァロッティはヘタレだ。
一度引退した人だからね。
かつては出ていたハイCが出なくなって、半音下げた話は有名だが、
今回の開会式では、さらに半音、つまり1音下げていたね。しかも髪を
染めているのが一目で分かる。でも、やはり三大テノールの一人だけ
あって、けっこう聴けたと思うよ。
半音しか下げてねーぞ。
原調も知らずに下げた下げた言うなよ。 >>43
原調では最高音はハイCだったと思うけど?
楽譜は見ていないが、漏れの持っているCDで、三大テノールの誰かが歌っていたのは、
間違いなくハイCまで出している。
テレビで見た開会式では、B♭だったよ。
>>44 ×
HiCに聞こえたとしたら、そりゃ勢い余って上ずったんだろ。
そういうライブ感もいいけどね。
>>45 ○ >>46
> HiCに聞こえたとしたら、そりゃ勢い余って上ずったんだろ。
この音域で上ずるなんて、並みの歌手では考えられん。
カルーソーではパヴァロッティは軽くC出しているのにね。
>>50
昔の声楽家の名前でもあり、彼のことを歌った曲名でもある。
49はその曲名を言っていると思われ。
分類としちゃ「カルーソー」は歌曲よりポップスだよな >29
岩田演出の中で一番つまらなかったのが「地獄のオルフェ」
だと思うけどなぁ・・・セットや衣装の豪華さに目を奪われて
いるだけじゃないですか?構成も悪かったし。
「カルメル会〜」のキャストの内因表現、すばらしかった。
岩田氏の要求だけでなく、作品そのもの(歴史などの背景も
含めて)を如実に全員が受け止め、消化し、伝えていた。
装置はなくとも、あれは岩田演出の中でも突出していると
思いますね。 >>53
オペラの演出で最も難しいのは、出てくる音は一切いじれないトコだろうね。
演出家は目に見えるものにしか働きかけられない。セットや衣装を作り、
歌手の動きを決めるだけだ。でも「地獄のオルフェ」の場合は、
台詞作っちゃったからね。それは全面的に「第三舞台」出身の岩田君の手柄だ。
「カルメル会修道女の対話」は少なくとも私には、演出家の新鮮な視点・発想が
全く見えて来なかった。そもそも、あの曲をフランス語でやらないという時点で、
「内因表現」なんて期待できないんだけどね。 だれか「ごんぎつね」やったことのある香具師いない? 誰も寝てはならぬ、高校生の時にピース(楽譜)買ったんですが、
その時依頼、”びんちぇろ”の部分の最高音、あれは【H】だと
認識しておりますです。はい。 千葉県東葛飾地区で、オペラの合唱を歌える場所はありますか?
ただし、我孫子は除く。 日本のアマチュア合唱団が、もっとオペラの合唱曲を取り上げてくれればいいのに、と思う。
邦人作品や宗教曲ばかりでなく。
発声とかの問題があるのかな…
>>60
昔はけっこうとり上げられてた。
だから、カワイのリーダーシャッツにもオペラの合唱曲がある。 >>60,61
合唱板がクラシック板から分離した事の一環として
合唱愛好家のオペラ離れがあるような気がする。 こんにゃく座オペラなどでうたわれる「ソング」の合唱編曲とか、
三木稔オペラの劇中歌として用いられる合唱曲の抜粋なんてのもありだと思う。
でも今の日本の合唱界ではそのアプローチで取り上げられることすら少ない。 このあいだ、某金賞団体の責任者兼指揮者と話したけど、
エエエエッ!!オペラだって??
という感じだった。 西宮でのメトの「椿姫」、ヴィオレッタのフレミングは一幕のアリア最後の高音
(譜面見てないので実音は知らない)下げてた。あんなの始めて聴いたし、
テンポ遅くてルバートするのが楽しくない。
アルフレードのヴァルガスは可もなく不可もなし。
ジェルモンのホロストフスキーは美声にして大声、あんまり味わいはないけど。
ドン・ジョヴァンニはドンナ・アンナのネトレプコは美声だが上も下も、
同じ音色で聴いていてあまり面白くない。ツェルリーナのコジェナーは魅力的、
でもこれは個人的な趣味かな。タイトル・ロールのシュロットと
レポレロのパーぺは真面目すぎ。ドン・オッターヴィオのテナーは全く平板。
指揮は違う人なのに両日同じようにテンポ遅く、
ピアニッシモでのテンションが低い印象。
歌手が思い入れたっぷりなのはしょうがないが、
指揮者はもっとテキパキやるべきだと思う。 66さんはプロの演出家か本番の指揮者かと思ったんですけど・・。
オペラの合唱は難しいです。
数年前にイベントでやったのは、
まず、合唱が上手い人というふれこみで集めて、
3ヶ月間基礎練習
6ヶ月間練習しました。
暗譜、演技ありで、大変でした!
楽しかったけれどね!!
オペラの合唱曲を、振りとか演出とかなしで、単なる「合唱曲集」として演奏するなら、
外国語の発音という壁さえクリアできれば、短時間で仕上げることもそう難しくはないかと。 単純に、今日本の合唱界は、オペラの発声法とは違うから、
そのまんまオペラをやると、オペラっぽくなくなってしまう気がする。
だから、そう簡単とは言えない気がする。
ヴェルディとかは、確かに比較的オーソドックスな和声だし、
音を取るのはそんなに大変ではないけれど。。 そうですね。
オペラの発声方法と現在の合唱界の発声方法は、たしかに違いますね。
でも、それが合唱界が袋小路に陥ってる原因かも。 モーツァルト、プッチーニ、ヴェルディというような作曲家の有名なオペラは、経験済みだが、ロシアものの経験がありません。
一度は、演じてみたい。 なんか兵庫の大学がやるみたい→ぼくたちのオペラハウス オペラのコーラスマスターの仕事内容も判らずに、引き受けるんじゃねえぞ。
テンポ間違って振ってるし、音楽のマトマリもついていないジャマイカ。
せめて、稽古の入り時間ぐらい自分で積極的にプロデューサーに聞きに行け。 同情サンクス。
とうとう副指揮者が取って替わりますた。
ご本人は、何故に替わられたのか自覚ないようなんだがw
自分はオペラも並んだだけの合唱も両方やりますが、いつも謎なのは何故、合唱畑の人はオペラ方面の人に敵対的なのでしょうか。
ギャラがいいとか思ってるようなんですが、メイクや着替えや立ち稽古等、普通の合唱の方がコストパフォーマンスは断然いいんですが… 某区組織の事務担当??公演助成金申請の裏話はnetに書かない方が…
同業者だけに肝が冷える アマで声楽やっているけど、オーディションに受かって、役をゲットできた。
で、自分が出ない幕の時は、着替えて合唱に加わったのだけど、
監督でも指揮者でもない人たちが先輩面するのが、とてもウザかった。 アマチュア・オペラって、よく日本語で公演したがるのが、イマイチ納得できない。
邦人作品の日本語のオペラだって、ついつい字幕は見てしまうのに。
そんなに、明瞭で聞きとりやすい日本語を綺麗な響きで歌うのは、
原語で歌う以上に難しいことなのに、その安直さが気に入らない
声にうるさいこのスレの住人様に答えをお伺いしたく、アイドル板から来ました
この子は身長146cmの小柄な中学1年生女子です
正式な歌のレッスン歴4か月、音程は不安定ですが、太くて響きがあって良く伸びる声だと思います
また、ブレスも少なくて歌がスムーズに歌えてるように思えます
この子は歌の才能ありますか?
声は俗にいう「良い声」といえますか?
・最近の動画(一番左の背が小さい子です。ソロパートは最初だけ)
http://www.youtube.com/watch?v=FDKTYIGbJsM&t=24m25s
・去年の動画(小学6年生時。ピンクのスカートの女子)
http://www.youtube.com/watch?v=oZaTOV-o530 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 日本のカクブソウは絶対に必須です ☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の『憲法改正国民投票法』のURLです。
ゝン〈(つY_i(つ http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ ◆60代〜70代の団塊世代はなぜこんなに嫌われたのか 付き合いにくい理由が今、明らかに!
第1回目のテーマは、戦後生まれの第1世代である「団塊世代」。
あなたはこう感じたことがないだろうか?
「なぜ団塊世代は、あんなに『激しく嫌われた』のか?」と。
◇「団塊世代が歩いた後は、ペンペン草も生えない」
昔、職場や居酒屋では、よくそんな言葉が交わされたものです。
もちろん、団塊世代が席を外したその後で。「目障りなあの世代」を
揶揄する言葉として。
その意味するところは、こんな感じでしょうか。
「団塊世代は、いつも自己中心でわがままで独善的だ。
他を圧して自分ばかり主張する。人の意見に耳を貸さない。
ほとほと暑苦しい。彼らが通り抜けた後にはペンペン草も生えない――」
団塊世代とは、1947〜1951年に生まれた世代で、
現在60歳代の中心を構成している人たちのことです。
日本にはおよそ1000万人もの団塊世代がいると言われ、
そのボリューム感は突出しています。
30代、40代の読者の中にも
「親や上司が『団塊世代』だ」という人も多いかもしれません。
今回は、団塊世代の特徴の中から3つを取り上げ、
彼らが身近な人、特に若い世代から「激しく嫌われた理由」を探ります。
団塊世代を考える際に「時代背景」として重要なのは、
彼らが「終戦直後に生まれている」ということです。
◇団塊世代の「3つの特徴」を知る
●特徴1 戦前からの「封建性」を引きずっている
1947〜1951年に生まれている団塊世代は、
戦前からの「古い価値観」を引きずっています。
ただ、彼らが「戦前世代」と異なる点は、
「古い価値観」を引きずっていると同時に、
戦後の「新しい価値観」も併せ持っているということです。
終戦直後という「時代の変わり目」に生まれ、
幼い頃から民主主義教育や欧米のカルチャーに囲まれて成長した世代のため、
戦前の「封建性」と、戦後民主主義による「革新性」という、
相矛盾する要素がひとりの中に共存しているのです。
「封建性」が前面に押し出されると、「ペンペン草も生えない」ことになります。
「革新性」が家庭に持ち込まれると、「私生活」を大切にする新たな生活スタイルを
生み出すことになります。
東洋経済オンライン 2015/10/09
http://toyokeizai.net/articles/-/87417
http://toyokeizai.net/articles/-/87417?page=2
http://toyokeizai.net/articles/-/87417?page=3