五胡十六国南北朝を語るスレ20
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五胡十六国南北朝を語るスレ19
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>825
「中国語で猪はイノシシではなくブタを意味する漢字で豚は可愛らしいコブタを意味する漢字。
つまり君の親は君を目に入れても可愛くないから豚という名前を付けたのだよ。」 >>824
そりゃ漢民族自体が姫姓からの分岐だからそうなる 漢民族が姫姓の分岐は言い過ぎやろ
女為とか女吉とか女似とか姚とかある >>824
逆に名前に男偏の漢字はほとんど無いな。 >>828
女偏ばっかりだから古代中国は母系社会だった説とか見たことあるな 一時前の金持ち中国人や韓国人が日本の若い女を囲いたがった理由が
「自国の女は性格がきつ過ぎて嫌、日本の若い女は大人しい」 だったから
向こうの女性は儒教なんかで雁字絡めに抑え込まないと普通に男勝りな性質になるんだろう。 >>833
日本の女も八百屋お七とか阿部定とか引けを取っていないな。
>>834
中国ドラマ『大明皇妃』で永楽帝の次男・漢王(朱高煦)がバナナ食う場面あったな。 バナナと書くと美味そうだが芭蕉と書くと…うーん
南朝時代のバナナだとキャベンディッシュ種みたいな甘さは期待できない… 松尾ばなな「おくの細道」
漢王って狂暴極まりなくて最後は焼き殺されたあいつか・・・・wなかなかなギャップだな
とはいえバナナって基本スイカみたいにゲリラ的な種の入り方しているらしいから、その種をかみ砕く、という光景は目に浮かぶw
とりあえず種なしの突然変異種に期待したんだろうなあ、3~5世紀あたりでも 後廃帝「(こいつらしょーもない事言うとるけど腹切り裂いたらバナナ臭いんやろか…?)」 >>839
赫連勃勃「まずは貴様が手本を見せよ。おい、叱干阿利。こやつの腹をかっさばいてやれ」 赫連勃勃でのオヌヌメは「マグロ中落ち」と「とん平焼き」
「ポテサラ」や「ネギ入りだし巻き」も美味い >>842
美味しいんだろうけど店名の時点で食欲が落ちるんだよなあ…
髑髏台のことを考えながら食べる飯は味がしなさそうだ >>843
蕭鸞「アハハハハハ!食欲がないだってぇ?じゃあ、僕が君のために献立を考えてやるよ……」 >>846
蕭鸞「これは河豚というものだ、半生くらいの肝臓が特に旨い・・・( ;∀;)・・食べてね( ;∀;)」 >>847
汲桑「成都王殿下、お喜び下さいませ。盗んできた河豚の肝臓を殿下に捧げます。どうか、我らに殿下のご加護を……」
汲桑「皆の者、成都王殿下よりお告げを賜ったぞ!殿下は河豚の肝臓が殊の外珍味であるとお喜びだ!大いに略奪に励めと仰せだ!」 顧栄が焼肉パーティーでもの欲しそうに見ていた給仕人に「自分は肉を配るばかりで食べられないとかかわいそうやん」と肉を食べさせてあげた後日、都から脱出する時にその給仕人だった男が何度もピンチから救って恩を返したエピソードすき 顧栄の父顧裕は史書に「不治の病を患っていたので家督を継げなかった。しかし、実家に後継者がいなくて断絶したため、勅命により急遽継いだ」と書かれちゃうほど虚弱体質だったんだよな 石宣「たまにはぶっかけ飯以外のものが食いたいよぉ…アゴがいてぇよぉ…」 >>852
顧裕は不治の病なのに子供作れて太守勤められるので
重度でないパーキンソン病とかなのかな
顧栄は顧雍の孫なのに従兄弟の顧譚や顧承とは同世代にみえない 『北斉書』を編纂した李百薬も幼い頃は身体が極度に弱くて何度も死にかけていた
心配した祖母が無病息災を祈願して「百薬」と名付けたってエピソードがある 中国史によくある悪いことを否定=いい意味みたいな二重否定みたいな名前
悪いことを否定する過程で悪字を使うやつ
また見つけた王鎮悪
王猛の孫は南朝で活躍したんだな、しかし最後はやはり良くない >>856
実は王猛の子孫は北魏でも大貴族として優遇されてたりする 王猛の人気凄かったんだろうな
王鎮悪は褒められるような人格ではないけど人気はあったぽい >>855
霍去病みたいな名前の由来で面白いが
霍去病は早死なのに李百薬は長寿
何が違うのか気になる 沈田子を検索してたら現代の中国の教授がヒット
偶然ってことはない名だと思う
現代のあやかり名があるくらいだから中国ではいいやつと思われてるんだろうな
この吳興沈氏、武闘派が多い士族だな
隋のときの沈光、遼東城の戦いのときの身のこなしが
韓ドラの「淵蓋蘇文」に描かれてたりする 確か昔はスペインを中心としたカスティージャ地方は「ここはムスリムやなくカトリックや。豚肉を食べて改宗を証明してみろ」ってことで豚肉料理が発達したんだよなあ・・・
中華料理も豚肉がメインだが理由はよく分からない >>864
他にも沈勁、沈林子、沈慶之、沈客卿などなど中々濃いメンツが揃ってる印象
当たりとハズレの差がかなりデカい 沈光、中国の牛若丸みたいなやっちゃな
劉裕タイプの豪傑はよくあるがこの身軽さはあんまり中国史では見ない気がする >>865
豚肉は極初期の儒教儀礼の供物に余り使われず(牛羊が最上級、次ぐのが犬など)
漢代では人糞など不浄なモノで飼う食糧、以降は儒教・道教祭祀の供物に段々採用されだしたが
宋代になってすら「庶民というか貧乏人のやっすい食い物」扱いだった。
ただそれ以降はその安価な生産性の高さから一般人の食糧として盛んに使われるようになり
旨い肉として祭祀の必須供物にして貴賤問わず皆の大好物食材化した。
それからやっと中華料理のマスト材料になったので、中華のメイン食材としての歴史は結構浅い。
ここでいう五胡時代だと、豚は余り料理のメイン食材なんかではなく
漢人も胡人も「羊サイコー!!!羊しか勝たん」時代。因みに牛は天子と神専用食材で別格、魚や鶏なんかは最低ランク食材。 >>868
沈光も任侠っぽい出自だけどよく調べると没落した士大夫の子弟なんよな
凌煙閣二十四功臣も11位の劉弘基(馬泥棒)あたりから柴紹(太原では名の知られた侠客で平陽公主の夫。なお平陽公主も山賊の女ボス)程知節(隋唐演義では張飛や黒旋風の鉄牛と同じトンパチ枠)李勣(ローティーンの頃からシリアルキラー)と前漢の功臣とタメを張るトンパチ揃いだけど李勣除くとみんな士大夫の出自 李勣も家は豊かだって史書にあるね。親兄弟が結構生き残ってるし本当かも
だとしたら相当グレたことになる 李勣の子孫は吐蕃に仕えたんだよな
そして、李勣の来孫・徐舎人は吐蕃の将軍にまで出世して、唐軍を大いに撃破して延州を占拠する大功を立てた >>871
後漢の初期に西域で活躍した軍人の班超も父が『漢書』を著した班彪、兄が歴史家として有名な班個、
妹が女流文人として名高い班昭という文人一家だったので、その家風を嫌って軍人となったと言われる。
>>872
唐の開国の功臣の李の子孫がなぜ吐番に仕えたかというと、李勣の孫の徐敬業が武則天を討とうとして
失敗し、その報復による族滅を避けるため吐番に亡命したから。 よく中国史上最高の名君といえば李世民か康熙帝の名前が挙がるけど、五胡スレ住人的にはどっち推し? 「謀反を起こした事実はないが、謀反の心を抱かなかったことはないとはいえない」
これより酷い言い掛かりあると思う? 「思えば機会はあったのに爺さんになった今になって謀反起こすのか?」って論破されちゃったからね 三藩の乱は無理ゲーだな
自分らが殺しまくった以上、明の皇室の生き残りのカードは使えないし、
復明を叫んでも辛亥革命の時と違ってこの時代はまだ明の悪政を民衆は覚えてるし、
しかも相手は康熙帝
ジュンガル部やロシアと一緒に三方面から攻めるしか勝つ手段なさそう スレチの質問を…と思ったけど
このスレの住民≒中国史全体的に精通してる、だろうな
いちばん青いのが三国だとしたら、どういう順番でマニアを移動していくんだろう
おれは三国→秦→楚漢→春秋戦国→前漢→後漢(黄巾以前)→商周→隋唐→北宋、南宋(水滸伝から発展)
モンゴル、元→明→遼金→清→五胡南北朝
後になるほど面白い
清だと皇帝一人一人の個性だな
まるで太陽が昇って南中して沈んでいくよう、清でも最後は嘉慶帝にたどり着く 合従(秦vs燕・韓・魏・趙・斉・楚)
反董卓連合軍(袁紹・曹操・孫堅・劉備・公孫瓚・孔融・袁術・劉表)
北魏包囲網(劉宋・夏・北涼・北燕・高句麗・吐谷渾・柔然)
信長包囲網(武田・本願寺・浅井・朝倉・毛利)
戦力は上なのになんで連合軍いつも負けてしまうんや… >>879
そんなの連合軍側が負けてる戦役を並べてるだけで
普通に連合軍側が勝ってる戦役もたくさんあるだろ
例えば春秋戦国時代なら斉の湣王に対する連合軍が勝利してるし
楚漢なら項羽に対する連合軍が一度大敗したけど最終的には垓下で勝ってる >>874
その康煕帝と父の順治帝が史上最高の皇帝と讃えていたのが洪武帝。 >>879
合従:そもそも蘇秦の実在すら微妙なくらいの戦略
反董卓:家臣団すらまとめられない袁紹が頭目の時点で・・・
北魏:劉裕とボーボーが周囲に敵を作りすぎ
信長:提議したのが実権のほぼない義昭
つまりリーダーの問題 >>881
これ言われたら臣下震え上がるしかないな >>878
三国から始まったら五胡南北朝は比較的前の方だと思うが
最初の長期統一帝国漢の終了の成れの果てが
五胡十六国南北朝時代だと思うとマニア的には興味沸騰 >>882
今川義元や北条氏政は再評価進んでるけど、朝倉義景は愚鈍過ぎて良い部分がまるで見つからない…
武田と一緒に織田を挟撃する機会をみすみす逃すわ、姉川みたいな一大決戦で自ら出陣せんわで素人目で見ても酷い
そもそもせっかく義昭を奉じて上洛する絶好のチャンスすら不意にして、呆れた義昭に織田に行かれてるのがもうね… >>884
日本ですら「漢」と「唐」で分けるくらい別物だと肌で感じてたからな
漢のシステムが通用しなくなった末路が西晋の腐敗と混乱であり、そこから唐に変わるまでの試行錯誤がこの時代って視点でも面白い 個人的にこの時代を「華麗なる暗黒時代」と称するのが大好き 中世ヨーロッパは文字通り文明崩壊してるからなぁ…
ようやくローマ帝国の生活レベルに戻るのが1000年後のルネサンスという 五胡十六国時代に捏ねられた具材が隋で成形、空気抜きされ唐代に美味しいハンバーグが焼きあがったみたいなかんじかな >>890
後趙、前後燕、北周が別の料理になる可能性あったけど
諸事情により原型留められないミンチになったせいで隋唐にはハンバーグ以外の献立にできなくなってたって感じ
ハンバーグに限って言えば
北魏がタマネギやスパイス等の使う具材決めて、隋がミンチに上手く混ぜ合わせて形を作った
(唐が丁度いいグリルなのは同意) >>883
順治帝は臣下達と秦から明までの中華王朝で最も優れた皇帝は誰かと語り合った際、臣下達は唐の太宗ではないでしょうかといったところ順治帝は「朕が思うには明の太祖(洪武帝)こそ最も優れた皇帝である」と言ったのだった。 李世民は漢族と匈奴のハーフ
趙匡胤はテュルク系の沙陀族出身説もある
半島だと李成桂の女真族説あるね 南北朝末期くらいの独孤氏って匈奴としてのアイデンティティどこまで残ってたんだろうか
通婚で鮮卑と大差無くなってそう そら唐の皇室には独孤氏(李淵の母親が独孤信の娘)の血が流れとるからな >>894
僕たち光武帝の子孫でーすとか言い出す始末だからな 東匈奴は中華化、西匈奴は匈奴らしさを残してヨーロッパでヒャッハーした感じかな? >>893
明で漢時代を持ち出して歴史の上書きと衆愚化を試みたあたり、宋が突厥王朝なのはほぼ確実だろう
朱元璋の正当化だけなら演義はあまりにもお粗末な仕事だが、漢民族全体という括りなら劉備以外の臣下の描写も納得いく
それに対して晋書は鮮卑をはじめとした北朝側が本来のルーツというしがらみから、異民族王朝でもメタメタにこき下ろせない所に人間くささと味わいがある 韓国人が日本に来ると街中にお寺があり不思議がるみたい
あっちは李氏朝鮮の時代に仏教が徹底的に弾圧されたから基本的にお寺は山奥にしかない
中国は韓国ほどではないが仏教弾圧が唐代にあってそれから下火になり五代十国を経て次の統一王朝の宋は中華思想ガチガチの儒教国家 中国人に好きな王朝は?と聞くと唐を答える人多いな
宋は異民族に押されまくりで弱いし、明は腐ってるし、元や清は強大だが異民族だから嫌って感じ 日本人でも中国史といえば漢か唐ってイメージが強いと思うわ
人気だと三国志だと思うけど 日本でも中国でも三国志は人気やね
あちらでは水滸伝も人気 >>901
〇淵「唐ってそもそも私と同じ名前の奴だって漢民族か怪しいだろw」 戦前日本は散逸前の蔵書も豊富でオブラートに包む必要もなかったから
「今日において隋唐が拓跋国家であるというのは明白であり、これを容れられないのは中華民国くらいであろう」とセメント発言してたからな >>900
儒教を信仰していたのは支配階級で庶民が信仰していたのは道教。 >>902
漢字、唐物、等で考えると
呉服などある呉は漢、唐と同等
統一帝国建ててない地方政権なのに日本への影響大 >>908
表の歴史に載らないだけで呉の海洋支配は洒落にならん大きさだったからな
統一後の西晋があっという間に腐ったり、南朝が長持ちしつつ贅沢三昧なのも、呉の海洋支配を引き継いだのが理由
珊瑚の逸話が出来るのも無理はない 孫呉の時点でガラス器とか発掘されてるから相当経済的には裕福な地域だった可能性が高い
人口がまだ少ないから軍事的な動員力が低かったり農業生産力は低かったりするけど >>910
動員数少ないのは貴族の私兵が大半って要因がデカい
国家謹製の軍が少ないから貴族が幅を利かせるし、儲けにならない戦争はやる気がない
既得権益守るために守勢は強かったが、孫皓が国を見捨てた後はボロボロで、私兵ごと降伏するなんて事例が多発して滅亡よ それは南北朝時代の南朝にも受け継がれてるのか
いつも北朝側が数十万の大軍で、南朝側は数万程度の寡兵で対抗するよな
瓜歩、鍾離とか
防御には強く、大軍を殲滅することもあるが大局的には領土は削られる方向で
楊堅の南伐をむかえる
陳慶之北伐とか絶好機なのに支援軍をまったく派遣してくれないしな >>904
???「あなたは何人か?と聞かれて即座に中国人と答えたらもう中国人アルヨー」 漢民族「夷狄のくせに…」
雍正帝「それ言ったら周も西戎やんw徳のある者が天子になれるんやで」 >>911
孫権をイジりまくって流罪になった虞翻の孫の虞潭も王敦の乱の時に万単位の私兵動員してるんよな
学者としても孔融や曹丕から認められる碩学でなおかつ万単位の動員力もってる大豪族ならそらうかつに粛清できず流罪にするのがやっとですわ
江南の政権は日本やヨーロッパと同じく封建制度が近く一般的なイメージの中華王朝(皇帝専制の中央集権的国家)とは別物よな 虞翻と虞潭との活躍期間を比較すると約百年の差が
一世代三十年だとすると千葉真一や藤岡弘。みたいに
虞翻か息子虞忠のどちらかで晩婚アラ還で
子供こさえてないと計算が合わない
ここまで極端では無いが顧雍と孫顧栄も世代間距離離れているので
孫呉系南朝貴族の中には晩婚晩産が意外と多いのは不思議 蕭道成は拓跋氏並みのローティーンで子作り…
そして蕭賾は堅実なキャラで国造りが進むと思われたのに
もともと武をもって出てきた蘭陵蕭氏が南朝文化の代表みたいに
よくなれたもんだな >>917
蕭何に先祖返りだと思えば南朝文化の代表でも違和感ない 劉裕の4世孫と拓跋珪の7世孫が
同世代で皇帝とかもうね… >>920
北魏皇帝とかいう修羅の世界
どいつもこいつも早死すぎるんだよなあ >>920
劉裕は拓跋珪よりも年上だとはわけわかめ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。