>>123
征服王朝は、支配者(異民族)と被支配者(漢族)が明確に峻別されてたからね。
元の治世では、純粋な漢族はカーストの最下層に追いやられ、「蛮子」と呼ばれて蔑視されてたし、
清の治世では、満族に忠誠を誓えば漢族も優遇されたが、そもそも服従の証として辮髪胡服を強制され、民族のアイデンティティをぶっ壊されていた。

そこへいくと五胡や北朝・隋唐は、異民族ながら早くから漢族と同化する傾向があったし
隋唐に至っては、創業者自らが「オレは漢族だ」と言い放っている。
この時代で征服王朝的な性格があるのは、やや鮮卑民族主義に回帰した北周・北斉くらいか。

この時代の胡族がいずれも漢族王朝を模倣したのは、五胡十六国時代のスタートを切った匈奴の劉淵が
自らは遊牧民で歴代単于の末裔でありながら、建国にあたって父祖の宿敵であるはずの劉邦を祀り、
自らを漢の後継者と位置づけ、中華の天子たらんとした。
最初の胡の王からして漢化してたから、その後の歴代胡族政権も漢族の王朝を模倣することになった。

そこが征服王朝との違い。遼金元清は
「オレはお前ら(漢族)とは違う。お前らはいくら多数派でも所詮は未開な被征服民なんだから、そこをわきまえろ」
というスタンス。