劉備が天下統一できなかった最大の原因その5
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実際のところ、まずは弱い奴を潰して併呑して強くなるのは当たり前の戦略
漢の復興という建前がなければ、諸葛亮だって荊州奪還を目指したはずだ その手が使えるのは一強ができる前まで
秦相手に他六国が互いに争うというのか? まぁ、関羽が荊州失う大失態犯さなきゃワンチャンどころか逆転で天下が転がりこんでた可能性は高いよな 漢中失陥、魏フウ・侯音の叛乱、于禁の大敗、孫狼などの群盗の一斉蜂起、
曹操の遷都検討からも、魏でも劉備にワンチャンありと見ていたことは間違いない
もったいないことした ずっと項羽に押されっぱなしだったのにあるとき瞬間最大風速で一気に天下に駆け上がるとか、まさに高祖劉邦の再来として以後400年祭られる皇帝になったろうな
ただ、関羽は楚王にされて淮陰侯にされたあと諸葛亮に呼び出されたところを外戚の糜竺の手の者に刺殺されるし
諸葛亮は故郷の隆中に3000戸をもらえば満足ですと早々に引退するし
張飛はずっと劉備の弟分だったのに外征中に謀反疑われて召喚されて本当に叛逆、劉備は直々に軍を率いて張飛を討伐するし
曹操は烏丸鮮卑に逃げ込もうとするも易京楼で四面魏歌に囲まれて夏侯惇や夏侯淵にも見捨てられて五体バラバラにされるしで
そんな三国志は講談としても人気出ないんだろうな 劉備 たけのこ派
諸葛亮 きのこ派
ホウ統 たけのこ派
許靖 きのこ派
法正 たけのこ派
李厳 たけのこ派
黄権 きのこ派
馬良 きのこ派 キノコ派・タケノコ派、どっちかはともかく劉備には清濁併せ?む器量があったけど、諸葛亮にそれはなかった
法正も諸葛亮政権下で蜀に参加していたら出世しなかっただろうな もし、諸葛亮が魏の軍師だったら、赤壁で負けずに呉を降伏させてそのまた漢中と益州も併合して40年早く三国終了、曹氏が八王の乱で滅んだのかな 諸葛亮が孫権を焚き付けなければ赤壁の戦い自体が発生しない。 軍権が中央にある限り魏は八王の乱のような崩壊はしないんじゃないかな
そして司馬懿が出世する機会もなかったかも 新野で劉備降伏
襄陽で劉表(宗)降伏
赤壁せず孫権降伏
史実より簡単に張魯降伏
劉章当然何もせず降伏
馬超韓遂だけは頑迷に戦い続けそうだな 曹操が漢中で引き返して益州に行かなかったのは、たぶん飯が不味そうだからだろうな
四川麻婆とか四川担担とかナニが美味いのかまったくわからん
法正や孟達あたりはまだしも諸葛亮や張飛あたりは劉備に付いてきたことを公開しなかったのか 劉備についてきて1番後悔したのは糜芳だろう
味の問題じゃなく 麻辣味(まーらーあじ、マーラーウェイ)とは
麻辣味は花椒(かしょう、ホアジャオ、中華山椒)と唐辛子による中華料理の味付け。
四川料理では麻婆豆腐など多くの料理に使われている。
舌がヒリヒリするような唐辛子の辛さである「辣味」(らつみ、ラーウェイ)と、
花椒の舌が痺れるような辛さである「麻味」(まみ、マーウェイ)の二種類の
異なった「辛さ」により構成される。
味を形容する漢字が異なるように、中国語で「麻味」というと日本語の辛いを
意味する「辣味」と区別される。
麻味は五味には数えられていないが、中華料理で重要な位置を占める味付けである。
花椒の風味や辛味は日本の山椒と異なるため、山椒での代用は香りの面で難しいが
痺れに注目すると実山椒を多目に使うことで代用できる。
中国料理、台湾料理で広く使われる味付けだが、特に四川料理の特徴とされる。 劉封にしてみれば不運だよな
関羽救援の問題はあったにせよ、孟達の裏切りの勧めは撥ね退けて戦った
「劉禅には劉封を抑えきれないかも」と、まだ犯してもいない罪で処刑するように進言するとか、明らかに諸葛亮はやりすぎ
自分が独裁権を握るうえで邪魔者を排除したとしか思えない でもあの時劉備から魏に寝返ってたら呂布みたいな書かれ方したんだろうな 演義には悪評書かれちゃうだろうね
でもちゃんと身を慎んで仕事すれば、正史に悪評は描かれないだろう(季漢輔臣賛除く) 糜芳「パワハラ部長の専制に逆らったら事情もよくわかってない社長が激怒して部長の息子の若造に乗り込まれて殴られた上に首に(文字通り)された件について」 横光三国志の書き方がすごいご都合だったなあ
斬れっ!→あ、やっぱ待て、、、→もう斬りました→かわいそうなことをしたのう、、、→たぶん諸葛亮にんまり 義親子や義兄弟の寝返りて三国志には呂布しかおらんたぉた ほんと劉封を殺すように進言した諸葛亮の行為だけはわけわからんわ 劉磐って最後どうなったんだろ
劉備にも劉キにも劉ソウにも合流しなかったんだよね?
それから、黄忠は黄祖の同族だよね? >>884
黄忠、黄蓋、黄権が南陽黄氏
黄祖は江夏黄氏
黄承彦は黄祖を頼ったならたぶん江夏黄氏の流れ ややこしいよな
葛と葛でややこしいから片方諸葛にしたように
南黄とか江黄とかに変えたら良いなに >>860
諸葛亮は羌族への親善外交を継続的にやっているから法正、孟達はその近く出身で事情に通じているからやっぱり出世したと思う
北伐時の孟達の帰参失敗はそういう意味では大打撃だったかと >>886
長いと言いにくいからかね
何とか将軍とかなんとか県の長官とかも
なんとかの部分を名前のように呼んでいたし
日本だと小池東京都知事というのを小池東京というような感じで >>888
そこは小池知事やろ
地名は大体上に付く
加賀の藤原が加藤
近江の藤原は近藤
ってな具合に トリンドル玲奈とか
池田エライザとか
藤田ニコルとか? >>889
劉予州とか言ったりで姓に官職名で長いのか州牧とかの地位よりも地域名が重要か
姓地名(刺史とか太守とかを省略して)呼ぶ
官職も付けると劉予州牧というのが長くなるからだろうけど
劉州牧だとどこの州牧か分からないからかね >>891
西欧風に言うとルイ・フランスとかウィリアム・イングランドみたいな言い方
劉備だけでなく曹安民とかも名前じゃなくて県令としての県名って説もあるらしい
日本でも長いのを省略するけどその長い名前と感じる感覚が日本より短いような >>889
日本と違う感覚で省略するからね
英語でもパソコンだと分からん、PCだと分かるみたいなので
敬称としては諸葛亮が孫権を将軍と呼んだりしているけど
孫将軍だと複数いるから区別する場合に〇〇将軍の〇〇で呼ぶみたい 紀伊の国を紀州と言ったり
京都のことを洛陽と言って上京を上洛とか言う日本人の朴李根性が同じ日本人として恥ずかしい 本家名乗るわけでもなく隠れてやってるわけでもない
パクリじゃなくて真似 京都のことを洛陽はね、、、
どうでもいいけど司馬懿の長男がいたから
京師から京都になった(「師」という名前の文字を使えないから)
これは戻らなかったのかな 夏(惇)前 → 張(遼)前 → 満(寵)前
于(禁)左 → 張(コウ)左 → 郭(淮)左
楽(進)右 → 徐(晃)右
朱(霊)後 → 文(ペイ)後 → 曹(洪)後 前後左右将軍も前とかで呼ぶのかね
序列は前、左、右、後だと言われるけど
前将軍の董卓を左将軍の皇甫嵩が監督したりで
左の方が上なのか?
袁術も最終官位は後将軍を、懐柔のために左将軍だし
関羽が馬超にやたらこだわったのも
前将軍が筆頭と言われるけど左将軍を馬超に取られたからかな
>>904
蜀にショウカイが出した文書でも姓氏を書かず
鎮西、征西と〇〇将軍の〇〇の部分だけで書いている
古代だけど春秋時代で王の左卿士の鄭の荘公のことを
左卿と呼んでいて、どうも3文字は長いから省略って感覚なのかな? >>904
その官職が変わるんですよ
出世とか左遷とかで 董卓も清盛も、
自分が操りやすい幼帝を立てた。清盛は、自分の孫・安徳天皇を立てた。董卓は、董太后の孫・献帝を立てた。
それから、敵対勢力を根絶やしにせず、地方に遠ざけるに留まった。旧敵への制裁が、徹底しなかったのだ。平清盛は源頼朝を許し、伊豆に流しただけで満足した。源義経を見落とした。董卓は、袁紹が渤海に逃亡したのを、追認してしまった。
(源頼朝も袁紹も、反対勢力の旗頭として、東方で挙兵した)
また、董卓は名士に遠慮したし、清盛は寺社勢力に遠慮したようだ。
董卓も清盛も、
東方がやばくなると、本拠地に近い西方に遷都した。清盛は福原に、董卓は長安に移動した。 梁冀の敵は、上疏など、文化的な手段で梁冀と戦った。最後は桓帝が宦官をつかい、梁冀から印綬を奪った。これは、王朝の命令系統を前提とし、秩序の内側で戦うやり方だ。
だが、
董卓に敵対した袁紹たちは、腕づくに訴えた。野蛮である。 遷都せざるを得ない。洛陽よりも、長安が守りやすいのは、自明のことだ。 関羽じゃなくて張飛を荊州都督にしてれば天下統一できた
惜しかったな 都督は関羽でいい
副将・参謀・留守役といった周辺の人物に誰を置くかの問題じゃないか 甘寧が劉表机下にいたまま劉備の幕下に入っていたら、制蜀や北伐に大活躍したかしら >>913
もともと蜀の反逆者だから、劉備がまだ劉璋と有効状態での入蜀時には同行させられない
劉璋手切れ後に合流するか、第二陣の諸葛亮に従って蜀の制圧には活躍しただろう
甘寧の死は215年、関羽と魯粛の単刀赴会の後の冬と言われているので、北伐どころか関羽よりも先に死んでいる >>911
むしろ裏切られやすいかと
劉備も建前はともかく曹豹の件の後に張飛に任せなくなったし 馬謖の初陣がアレだったのは、こういう頃から経験を積ませてれば防げたんじゃないか?
つまり、関羽副将として苑攻めか、留守意訳として対呂蒙陸遜 >>916
そもそも劉備麾下に収まったのが20そこそこで何の仕事もしてなかったと思われるから付けてやれる職が相当限られてると思うけどな
劉備漢中王就任前後に南蛮地域と近い後方の太守にしてもらっても治安悪化したら自分1人逃げ帰ってきている有様
兄馬良は劉備の蜀取りの時は荊州で事務方をやっていたようでその後劉備が漢中王になると成都に招集されて事務方を担当していたようだけど
夷陵の戦いの時は荊州南部の異民族の誘降工作で成果を挙げたものの敗死
兄の馬良ですらこれからというぐらいの年齢とキャリアで馬謖が荊州いても地方の事務方以外何も任せられないと思うぞ 馬謖の再評価する人とかも
そりゃ机上で考えて良いと思って失敗したんだから
馬謖は間違えていなかったとなるのもあるけど
水がないと4日でを考えると
陸軍の無駄口を優秀と言うのと変わらないと思う
計算上は良かったんだろうけど 諸葛亮 東大卒(就職浪人で農業バイト)
馬良 東大卒
馬謖 東大卒
ホウ統 早稲田卒
法正 京大卒
李厳 東北大卒
黄権 慶応卒
劉備 高校中退
張飛 中卒
馬兄弟の抜擢は学閥コネみたいなもの ホウトウも李厳も諸葛亮と同じ学閥だぞ
と自分で言って気づいたが、李厳も魏延と同じく、荊州陥落時に他国に身を寄せて仕えてるんだな
そしたら諸葛亮は李厳にも魏延と同じく「自分の都合で主君を変えてる」批判せにゃならんのじゃないかねえ >>919
夷陵での将軍、司馬クラスの戦死率
劉備は晩年に自ら全力で蜀を潰しに掛かった悪魔
荊州陥落の時より酷い人材大量喪失
荊州陥落で蜀の趨勢が決まったんじゃなくて夷陵の敗戦で経験値の高い有能な人材がいなくなったから大事な街亭でほぼ経験値ゼロの馬謖起用になった >>921
蒋琬とかもな
諸葛亮と共に劉禅を支えた大官のほとんどは何だかんだで入蜀前に劉備に帰参した人材 諸葛亮が馬謖に箔を付けさせようとしたからちゃうの? 夷陵に張飛が参戦できてれば呉併呑して天下取れたのにな
惜しい人材を惜しいタイミングで亡くした >>925
張飛がいたらあの戦いはどうなっていたのか
勝ったのか、負けたのか
負けたけど盛り返すことができたのか
興味は尽きない 張飛・・・
ククク、奴は関馬張黄四天王の中で最弱(知力が) 張飛にないのは部下への情け
曹洪(曹休)には戦略負けしたけど、部下の裏切り以外じゃ負けなしだからな
夷陵に張飛がいたら黄権と二枚看板で長江両岸から侵攻できる
これで持久戦に持ち込まれずにすむかどうか 張飛は軍師に近い智将なんだけどな
なぜか脳筋の猛将扱いされてて可哀相 >>939
県の下っ端役人にはなれるかも
読み書き算盤はどんな時代も官吏や市井のまとめ役には必要 こんな俺でも曹操軍で治粟都尉できるぐらいの学があるってことだな >>936
コーエー三国志14における魏呉蜀主要武将の知力
78張遼
79程普
76甘寧
76趙雲
75関羽
75夏侯尚
74徐晃
72于禁
69張コウ
68曹真
68黄蓋
63黄忠
62曹休
60夏侯惇
59韓当
58曹仁
58凌統
55夏侯淵
53楽進
53ショウ欽
48周泰
44曹洪
44馬超
43陳武
33張飛 歴史は常に勝者によって改竄されている。例えば、日本では明治時代より、天皇の神格化と国民教育のため、
当初は天皇を守り立てていたため天下統一目前まで迫ったが、その後朝廷をないがしろにしたゆえ部下に撃たれた
「織田信長」という武将や、勤勉に働き天皇を敬って天下人に至った「木下藤吉郎」という農民を作り上げた。
こうした実在しない人物の多くは今でも、堂々と教科書に載り続けている。 程昱・郭嘉・劉曄の評価を見ても、張飛はただの脳筋じゃなくて武将として抜群の人物
魏の名将張コウを策をもって破るなど、武将としての知謀・戦術能力は決して低くない
身を滅ぼしたのは、性格・人格に問題はあっただけだ
粗暴で残忍でたびたび人を殺したり痛めつけたのは、甘寧だって同じだ
それなのに三国志平話・三国志演義が、張飛をおバカちゃんに描写し、それを後世の
小説家やゲームメーカーが取り入れて、「バカ張飛」のイメージを再生産していく
その結果が、知力33の張飛と76の甘寧になった 平話は張飛が主人公だし、張郃を破った件は演義の創作じゃなかった? 張飛は統治者としても有能で中国でも知将として再評価の動きが高まっている
張飛が荊州を治めていれば蜀が天下統一できたという説が最有力になっている >>947
漢中の山道において、各個撃破戦術により張コウを大敗させたのは史実 >>944
人の心に創出された時点でその人物は存在するからな
後はそれを入れる入れ物を作ればいい
そうすれば架空の人物は実在することになる
三国演義の周倉や貂蝉らも同じだな
実在って言葉の意味を理解できない連中は大抵歴オタ 転生したら周倉だった。足の裏の3本の毛で超加速、赤兎馬と同じ速度で疾駆し関羽様にどこまでもついていく。黄巾軍に戻ってくれと言われてももう遅い。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。