五胡十六国南北朝を語るスレ16
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五胡十六国南北朝を語るスレ15
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1628202812/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc 吐谷渾阿豺も子が20人いたそうだしネズミか何かかな >>851
慕容部だからで大体説明できてしまうというかなしみ
奴隷制においては五胡随一の力量
一夫多妻で娯楽がなく子育てに困らない環境だと、そこまで珍しくはない
姚弋仲みたいに息子が揃いも揃って優秀というのはさすがに珍しいけど 赫連勃勃。サラリーマンのように適当に攻めたり攻められたりする君主 >>853
・平民からの叩き上げ
・個人的武勇抜群
・政敵は全て排除もしくは飼い犬化
・多くの他勢力から蜥蜴のように嫌われる
・娘に近づく悪い虫(チョンみたいな)はポア
うーん
全て条件満たすのはどの時代でも至難の業 >>857
タイプ的には石勒やティムールだけど、文学を側近に頼らずにやれる点が二者と明確に異なるのがね
昔は貴族に生まれるか拾われないと文学を身に付けられないのを差し引いても、類似となる対象が少なすぎる >>858
朱元璋「朕も乞食坊主とはいえ寺で文字を習わなければ無学文盲のまま野垂れ死にしていただろう。」 陳安の壮士の歌の中身が晋書と十六国春秋(屠喬孫)で違うんだけど十六国春秋の出典どこだろ? 後來唐朝的大詩人李白,也做了一首詩−《雜歌謠辭.司馬將軍歌(代隴上健兒陳安)》來讚美陳安:
“狂風吹古月,竊弄章華台。
北落明星動光彩,南征猛將如雲雷。手中電曳倚天劍,直斬長鯨海水開。
我見樓船壯心目,頗似龍驤下三蜀。揚兵習戰張虎旗,江中白浪如銀屋。
身居玉帳臨河魁,紫髯若戟冠崔嵬。細柳開營揖天子,始知灞上為嬰孩。
羌笛吹阿嚲回,向月樓中吹落梅。將軍自起舞長劍,壯士呼聲動九垓。
功成獻凱見明主,丹青畫像麒麟台。”
↑李白の詩は知ってるが壮士の歌の詳細は知らん 晋書ver.
隴上壯士有陳安、驅幹雖小腹中ェ、愛養將士同心肝、聶驄父馬鐵瑕鞍
七尺大刀奮如湍、丈八蛇矛左右盤、十蕩十決無當前、戰始三交失蛇矛
棄我聶驄竄嚴幽、為我外援而懸頭、西流之水東流河、一去不還奈子何
十六国春秋ver.
隴上徤兒曰陳安、軀幹雖小腹中寛、愛養將士同心肝、騄驄駿馬鐵瑕鞍
七尺寳刀配齊環、丈八虵矛左右盤、十盪十决無當前、百騎俱出如雲浮
追者千萬騎悠悠、戰始三交失虵矛、十騎俱盪九騎留、棄我騄驄竄巖幽
大雨降後追者休、為我外援而懸頭、西河之水東河流、阿呵嗚呼奈子何、嗚呼阿呵奈子何 『晋書』: 648年に唐の太宗・房玄齢・李延寿らによって編纂
『十六国春秋』: 522年に北魏の崔鴻が編纂したが北宋時代に散逸で明代に偽作が編纂
壮士の歌はどちらかがどちらかをパクってると思うが
どちらも信憑性の怪しい書物なので五十歩百歩 陳安のためにわざわざ歌なんて作らねーだろうしなんか元ネタはあると思うんだよね >>863
楽府詩集
隴上徤兒有陳安 軀幹雖小腹中寛 愛養將士同心肝 䯀驄父馬鐵瑖鞍
七尺大刀奮如湍 丈八蛇矛左右盤 十盪十決無當前 戰始三交失蛇矛
棄我䯀驄竄巖幽 爲我外援而懸頭 西流之水東流河 一去不還奈子何
太平御覧
隴上健兒曰陳安 軀�雖小腹中ェ 愛養將士同心肝 �驄馬鐵瑕鞍
七尺大刀配齊鈈 丈八蛇矛左右盤 十蕩十决無當前 百騎俱出如�浮
追者千萬騎悠悠 戰始三交失蛇矛 十騎俱蕩九騎留 弃我�驄攀岩悲
天降雨 迨者休 阿呵嗚乎奈子乎 嗚乎阿呵奈子何
太平御覧の出典が、それこそ崔鴻の十六国春秋になってるね。
屠喬孫が晋書+太平御覧でマッシュアップしたのではないかと。 陳安の癖に壮士の歌あるとは
まぁ現代でも香川真司がドルトムント所属時代に
香川専用チャントあったからそんなものかな この期に及んで吉川先生のご著作が復刊するのって、
つまり現代に至るまでその辺を補完出来なかったって
証明でもあるんやけどな? 吉川先生と書くと
吉川英治だと思う奴う多いぐらい
この時代の認知度が低いので仕方ない >>872
一般の知名度は実父で中国文学者の吉川幸次郎の方が高いだろうし。 >>871
小前氏の小説が吉川氏の本から一切逸脱できてなくて、
「それを今更やるんだ……」みたいに絶望したものよ もう蜀は存在しないから言っても大丈夫だと思うけど、当時現場に居合わせたけど王平が山の上に陣取ることを主張してたよ
でも諸葛亮が馬謖さんを斬りたくてウズウズしてたから馬謖さんの責任になった 学者じゃなくて小説家なんだから別によくね?
小説家に何求めてるんだよ >>874
小前氏(多分小前亮)は大学院で中央アジアイスラム史専攻してたのに
何故中華史に目覚めたのかの経緯は小説よりも気になる 中国史面白いからね
自分も西洋史面白いと思ったけど冷めた >>880
陳舜臣も大阪外国語大学の印度語学科で印度語(ヒンディー語)とペルシャ語を専攻している。 でも陳舜臣先生は秘本三国志読んでても他の三国志もの比較しても西アジアや中央アジアっぽい感じ 中国史研究家小説家の多くが他山之石で
まるで五胡のようなカオス お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ 五胡十六国南北朝時代関連の著者(学者、小説家問わず)
を当時の時代の人物に当てはめるとどういう格付けになるか
気になる >>886
残念ながら歴史上最高位やそれに継ぐはいないと思う
日本で唯一の歴史家と呼ばれる人で
思いっきり緩く評価して
羅漢中レベルかな、、、 羅漢中の時点でオツムが知れるな
文盲の石勒よりも知性を感じない 羅貫中までの才能はないが
それをもじった程度の能力はあるとか
山上たつひこを真似て山止たつひこというペンネームにしたように >>890
大陸の人名等は返還ですぐに出ないから他の字で代用することは多い
項羽とかは出るけど項伯を紅白で代用すると桓 >>891
まぁ司馬遼太郎のペンネームの由来も”司馬遷には遼かに及ばない”という思いからだからな。 >>891
羅貫中てそこまで実力ないけど極大評価されてる人だからな・・・
「水滸伝」「三國演義」は施耐庵が執筆して羅貫中が校正しているのに
知らぬ間に「三國演義」は羅貫中が執筆した事になってるw
「水滸伝」は施耐庵が書いた前半部分は面白くて
後で羅貫中が付け足した後半は酷評で読むに堪えない
あと現代において「三國演義」が面白く読めるのは毛宗崗のおかげなのに
その業績は全て羅貫中に帰結されて毛宗崗完全無視状態だからな・・・
羅貫中の他の作品「三遂平妖伝」「残唐五代史演義」「隋唐両朝志話」
などを面白いと語る人を未だ見掛けたことは無い
羅貫中は五胡十六国南北朝時代でいえば符堅なんだろうね
ほぼ全ての業績は他力本願で凄いと云われているのに
化けの皮が剝がれると悲惨な実態 >>891
剛竜馬より竜剛馬のほうがインテリなのを思い出した >>894
なるほど水滸伝は後半人気ないらしいよね
でも宋を滅ぼすとか書けないだろうし >>894
金聖嘆先生、こんなところで何をされているのですか?
時代を間違えておられますよ >>896
では官軍が梁山泊を滅ぼしてはどうだろうか >>896
そら新撰組が幕府に見切りつける話が描けないのと同じ >>899
新撰組(というか土方歳三一派)は最後まで幕臣と共に
蝦夷共和国滅亡まで殉じたぞ
少なくとも慕容垂並みに義理ある 学校図書館にあった豊臣秀吉の伝記漫画が光秀討伐以降打ち切り漫画のごとく年表羅列みたいになってたの思い出した ああいうの意味わからんよな
堕ちていくとこまで含めての偉人だろうに センゴクスレとか見ると「堕ちた英雄は見たくない」って奴の方が多いんじゃね
小前亮の苻堅の小説だって慕容垂離反が最後で後の鮮卑生き埋めや下手打ちまくって捕虜→処刑のバッドエンドは書かなかった >>894
梁山泊よりも爾朱栄軍団の方が英傑揃い感が
施耐庵には水滸伝や三国演義の他に
五胡や南北朝時代の奇書執筆してくれれば
現代での五胡十六国や南北朝時代の扱い違ってただろうな
羅貫中には期待しないw
日本では水滸伝は日本人の感性に合わないのか西遊記や三国演義よりも人気無いけど
四大奇書の1つに水滸伝のスピンオフ作品金瓶梅が加えられたり
水滸伝にインスパイアされて日本の南総里見八犬伝書かれたり
実は四大奇書の筆頭格が水滸伝なのではと思う >>903
仙石秀久は小諸佐久方面で酷政で農民虐めて一郡離散
逆に腰斬ぐらいのバッドエンドで書いてほしい >>905
ああ言ったのって連綿と引き継がれた伝承の上にしか存在しないからな?
個人if語っても仕方ないぞ。 >>902
まさに今のプーチンやんけ
秀吉の唐入りより酷いからな
秀吉は4月12日に開戦で5月2日に京城(ソウル)占領、6月15日に平壌占領、7月23日に二王子捕虜、7月下旬から鬼上官オランカイ(女真族の領地)に侵攻
開戦(2月24日)して3週間以上たつのに未だにキエフはおろかハリコフやクルスクと占領できてないプーチンって末期の秀吉以下
ブッシュ・ジュニアでさえイラクに攻める時に「大量破壊兵器あるやろ?」って理由(これもヤクザの因縁に近いけど)つけとるけどプーチンは「ウクライナ国内の問題を理由に攻め込んだ」と言う意味ではブッシュ・ジュニアにも劣ると言う >>908
王浚や北斉ってこう油断したんだろうな、と感じる思考 むしろ苻堅の転落をリアルタイムで見せられてるような
プーチンが後ろ盾に期待してた中国も引き気味でいつ見限られるかわからんし >>908
さすがにウクライナと李氏朝鮮とを一緒にするのは酷
単独(支援はあるが)でロシアの侵攻に抗しているウクライナと
ロシアの属国ベラルーシはおろかチェチェンにも劣る弱さで
宗主国居なければ交戦も交渉もまともにできない李氏朝鮮とでは月と鼈
確か休戦交渉したのは秀吉と明との間で李氏朝鮮は蚊帳の外だったようなw
プーチンでなくても高緯や陳叔宝でも秀吉の代わりに唐入りしても
秀吉と同じく2ヶ月余りで李氏朝鮮蹂躙してもおかしくない(明が出てくる迄だが)
むしろロシアは将校約20人のうち既に4人も死んでるのは正直ヤバい
秀吉の唐入り最後の決戦露梁海戦で殿の日本軍相手に
李舜臣はじめ将官死にまくり(日本の将官被害0)で
包囲してた小西行長にもあっさり逃げられたぐらいの酷い状況で
正直今のロシアは国力兵力数十倍の李氏朝鮮みたいな弱さ >>910
中国はイギリスとのパイプ役の李克強が退くから、ロシアと手を切る場合はおそらく内戦になる
これ以上は脱線し過ぎるから控えるけど、想像以上に状況が深刻かつ大規模 犬嫌いのメルケルにわざわざ自分の愛犬けしかけるとことな劉聡とか高洋みたいな陰キャ暴君テイストなプーチン
https://i.imgur.com/Yk8hFVE.jpg >>911
軍幹部の7割を処刑したスターリンもいるから ウクライナの橋爆破でロシアの侵攻が遅滞してるのみて河川防衛ラインってほんますごいんやなって
長江の頼もしさよ 長江バリアーってすげえわ
そら末期孫呉や末期陳ですら攻略に慎重になるわけだ。 それどころか情報網の発展で
偽情報も通用しなくなるどころか
作戦行動も筒抜けになってしまってるし
スレタイ当時のみならず
通信手段が限られた時代の戦争で
偽情報で戦局が大きく変わったのが
今は昔になってしまった >>915
>>916
北と南では気候が違い過ぎるからな・・・
騎馬民族でも黄河は易々と渡ってくるのに
長江になるとインサーマウンタブルなのは残当
馬は寒冷地の生物で北アメリカ原産で後にユーラシア大陸へ広がり
ウクライナの遺跡から紀元前4000年前に家畜化と推測されて比較的遅い人類の友
(ヤギ・ブタ・ヒツジは紀元前8000年前、ウシは紀元前6000年前に家畜化)
北米の原産種はネイティブアメリカンに狩られて喰われてその頃ほぼ絶滅
実は五胡よりもネイティブアメリカンの方が野蛮だったりする 言い訳の天才慕容暐
処刑直前も慕容粛が何も言わなかったら切り抜けられた可能性が微レ
某国の主にしてはそこそこ有能 >>918
モヒカン自体アメリカ原産だし、最近はそのせいか北米原住民国家が西欧を蹂躙するゲームがあったりする この時代に幽と諡されたのは慕容暐と李期の二人かな? この時代のゲームがあれば・・・
北 いかにして中国化を防ぐか すればするほど軍事力低下
でも中国化しないと領土が物凄く不安定
南 北伐提案をことごとく政府に拒否
独断出兵したら反乱軍扱い >>922
例えばコーエーの「三國志」とかで
グラフィックとかシステムとか昔のでいいから
隠れシナリオで隋唐成立ぐらいのボリューム盛り込めば可能
但し武将は数千〜数万は盛り込まないと厳しいが
昔のシステムを今のPCでなら容量可能だろうな
ちなみに昔「信長の野望 全国版」を
死亡即リセットで強制プレイし続けたら
他の大名全員死にながらも「いしきし」「かねきし」
とか変な名前の大名湧きながら1953年までプレイできたが
飼い猫アタックでデータ飛んで消えてしまった・・・orz >>919
慕容垂・慕容泓・慕容沖らが暴れてたので
慕容粛関係なく慕容暐は何れ処刑されてたと思うぞ
慕容暐残念なのは西燕勢力と後燕勢力とを融合させれなかった事
両者が相討たねば北魏も易々と中原で台頭できなかったと思われ
まあ慕容垂が居るので慕容暐には無理だっただろうが 陳慶之は馬に乗るの下手っていうけど、それであのごり押し戦法無理なんじゃないですかね… 鍾離の戦いの韋叡であるとかもともと文官なのにいざ兵を率いて
名将になるってパターンいいな
南北朝にちらほら見かけられる
全くの専門外なのに、臨機応変の才を発揮する
他の時代なら秦の章邯とか好き >>928
民を治めるのと軍を治めるのは違うようで
実は結構似てたりする
民の心を掴むのが上手いと兵士の心も掴めたりするので
良治の文官が兵を率いて名将というのはあり得る >>928
韋叡って宋のころから軍務に関わってるからそんなイメージないなあ 韋叡の子孫か知らんけど
京兆韋氏から唐の皇后出てるんだな
名族だと大抵どこかしらで外戚のチャンスありそう 中宗韋皇后は韋叡とも韋孝寛とも別系統
京兆韋氏は南北朝から隋を通して多数の系統を輩出し、10近い系統から唐の宰相を輩出している
韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
やばい 京兆韋氏は前漢から著名な人物輩出してるけど
韋賢・韋玄成が親子二代で丞相になってるのな
他の例は周勃・周亜夫と曹操・曹丕だけなので
何気に凄い京兆韋氏 >>925
西燕は「アンチ慕容垂」の面が強いから、後燕と発展的統合みたいな展開は無理だったんじゃないかな… >>938
アンチ慕容垂は慕容評かと思ったら慕容儁が諸悪の根源ぽい
慕容氏全員慕容恪だったらとか慕容垂が慕容覇のままだったらとか
慕容氏関係はタラレバばかり思い浮かぶが
やはり慕容廆と慕容吐谷渾の喧嘩別れが無ければのタラレバが一番上
慕容氏は創成期から同族相容れない血の民族なのかもしれない >>936
>韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
韋説だったっけ?
まぁ李嗣源に賜死されて馮道が宰相になって
馮道の時代に伝玉璽が失われて秦から続く
伝玉璽と貴族の時代終了と考えると
五胡十六国南北朝時代の真の終焉は五代十国とも解釈出来る >>939
拓跋だって似たようなもんやろ
つーか冒頓単于のエピソードだってアレだし
あっちじゃより強いやつが
より強いことを示さなきゃ
舐められるってだけじゃねーの? 慕容氏における同族の殺しあいやいがみ合いを決定づけたのは、個人的には慕容皝かな
慕容廆の死後に慕容翰を出奔させて同母弟の慕容仁と争うわ、どう考えても忠実かつ有用だった慕容翰を結局自殺させるわ、
慕容儁を世嗣に定めておいて慕容垂を溺愛するわ、慕容恪にも十五歳までロクに目をかけてこないわ、
正直、慕容皝って暗君じゃないけど名君でもないよなと思う
特に慕容儁と慕容垂の件、おまえは自分が兄弟と殺しあった過去を忘れたんかい、とツッコミたくなる >>940
禅譲による王朝交代も後周から北宋が最後になったし五代十国は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから、五胡十六国南北朝から続いた中国の中世は五代十国で終わったと言えるだろう。 >>943に自己レス
✕五代十国は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから
○五代十国から後は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから >>941
匈奴は北匈奴と南匈奴に分裂して衰退
鮮卑は北魏から西魏と東魏に分裂して乗っ取られ
突厥は西突厥と東突厥に分裂して滅亡
etc...
モンゴル帝国とかもっと細かく分裂してそれぞれ消滅
慕容氏だけじゃなくどうみても騎馬民族のDNAがそうさせてるとしか
なので>>941氏の通り弱肉強食が自然の摂理なんだろな
中華からみると蛮族でしかないけどw
しかし現代のモンゴル国が分裂する気配ないのは謎
まあ国連加盟国で人口密度が1番低い国だからなのかもしれないが >>942
慕容翰が出奔したのは親の世代の慕容吐谷渾と同じで庶長子なので運命
しかしまた前燕に戻って勢力拡大に貢献したのと
高句麗遠征で青年の慕容覇(慕容垂)と轡を並べて遠征して
自身の強さを若き慕容垂に伝授したのは評価したい
慕容皝は名君ではないのには同意だけど
慕容皝だけでなく各世代同族相争ってるので
慕容氏に生まれた以上こうなるのは運命でどうにもならないんだろうな >>943
https://www.petitmonte.com/contents/rekishi/china/kodai.html
これみると五胡十六国時代は古代
南北朝時代は中世だったりする
何故476年迄が古代で1453年迄が中世なのか一瞬謎だが
476年が西ローマ帝国滅亡で1453年が東ローマ帝国(ビザンティン帝国)滅亡で西洋基準なのな
当然中国史では違和感しかないので五代十国で一区切りに同意
しかし京都学派では後漢の中期までを上古、魏晋南北朝時代から唐中期までを中古、宋以降を近世
東京学派では唐の中期までを古代、宋以降を中世なので
とっとと論争決着させて見解統一してくれよと思う >>945
現時点でモンゴルにいるモンゴル人より内モンゴル自治区にいるモンゴル人の方が多いくらいの分裂状態だもの 身内が殺しあうのが慕容部だから遊牧民だからってのが意味不明
このスレに居て八王の乱や劉宋・簫斉の殺し合い、侯景の乱の梁王室なんかをどう思っているんだ
日本史の源平合戦や南北朝も知らないんだろうか? >>949
劉徹「朕は息子を自殺させ孫を処刑したぞ」
李世民「朕は兄と弟を殺したぞ」
趙匡義「朕は甥を自殺させたぞ」
朱贍基「朕は叔父を煮殺したぞ」 北族って残忍だな〜って思ってて
それなら劉宋や南斉はどうなの、皇族生活を謳歌して平和だったんだろうな
ところが北もドン引きするような陰湿な皇族抹殺でびっくり
ってのは南北朝をかじるときの様式美みたいなもん レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。