何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか5
世界有数の穀倉地帯捕まえて鶏肋とかほざいてんのマジウケる >>492
その穀倉地帯の源泉チェルノーゼムあるのが東部地域(ドンバス)
ウクライナのGDP押し上げてる工業地帯もドンバス(マリウリポリ)と黒海沿岸
輸出入のルートが黒海、そこらへんのライフライン支えてる要衝がヘルソン
残りはおんぶだっこの地域だから民族主義でどうにか支えていた >>485
司馬懿と諸葛亮と同じで名手同士だと迂闊に手が出せず硬直のまま終わった可能性が高いな 三方面の戦いが魏と呉のオールスター戦で最高に面白かったわ
三国志で一番盛り上がったのは官渡でも赤壁でも無い >>494満寵相手だと陸遜も膠着状態に終わったしな >>496
陸遜は北条氏康と同様に「負けない戦」を志向するからなあ。 状況によるだろうけど呉蜀が争って漁夫の利を得るのが魏だという時点で両者睨み合いだけして終戦協定を結んで終わるだろうね
大勝を望めない相手に消耗戦をしてその後の国力が続かない未来を望みはしない >>498
諸葛亮は蜀随一の親呉派なので呉と事構える事はしない
呉と事構えるぐらいならジャンピング土下座や
孫権の尻舐めるぐらいはしてもおかしくないw
劉備死んで諸葛亮が蜀最高権力者の時代は
蜀は呉の従属勢力と言っても過言でないぐらい呉に忠実
孫権の皇帝就位も諸手を挙げて歓迎するぐらいだからな 5chの人間に比べたらマシと擁護される皇帝は曹丕だけ へー、おれらってあんなパワハラ常習犯より人格が劣るんか。戦争に関しても何晏を「おい継子野郎!」呼ばわりして部隊運営の生贄にしてた節があるし、そっかー、そんなのより下なんだ(棒 >>500
おまけに呉の記録を読むと諸葛亮は呉の人事に普通に口を出しているんだよな >>502
あなたが言ったかはともかく
日本人には
平気で大学どこ?とか職業何?とか聞くにんげんのくずがおおいんだよなあ >>503
諸葛亮が呉の人事に口出ししたのは諸葛恪とかの件だと思うが
諸葛亮の口出しが呉の人事に効いてる感は無いな…
それよりも魯粛が劉備の人事に口出しした件の方が遥かに権力あるな
魯粛の口出しのおかげで龐統は県令クビからいきなり軍師中郎将へ出世 他国の重臣やってる兄貴から養子貰えるってかなり呉との関係良いよね諸葛亮
同じ蜀に使えてた弟は子供いなかったのかな >>506
諸葛亮の弟諸葛均には諸葛望という息子が居たらしい
しかしどうせなら息子3人居る兄貴から養子貰った方が色々メリットありそう
それはともかくWikipediaでは諸葛均の生年が何故か189年になっているが
諸葛均の父諸葛珪は187年に亡くなってる説なので
どうやったら諸葛均が189年に生まれるのか四六時中問い詰めたい >>507
年号でやると数年間違えるんだよ
今年を令和2年と間違えたり
曹叡とかも年齢おかしいとかあるけど
それは今の感覚で西暦で簡単に計算できるからだよ
甲子とかの計算も普段は三年とか五年とか年号就けずに年いうからごっちゃになる >>505
諸葛なんとかが丞相の言葉で云々みたいな記録があって
これは呉の丞相か蜀の丞相か明記されていない
まあ、95%諸葛亮だろうけど 明治大正昭和平成令和が数年ずつで変わったらごっちゃになるでしょ? >>509
張悌の件なら丞相は諸葛亮でなく諸葛恪らしい
張悌は荊州襄陽郡の人だが世代が違い過ぎて諸葛亮と接点ない 諸葛亮なんて50年前に死んだ人だからな
しかも晩年は北伐三昧だし呉の人材抜擢してる余裕はとてもじゃないがなさそう >>508
今でも昭和や平成や令和で比較する時は西暦に直して何年かで計算しているし
それがない当時は、特に何々何年と言わず、元年とか三年とかだけで
元号は普通使っていない
建安とか一部長いのもあるけど元々年号は武帝が六年おきとかに変えていたものだしごっちゃになってもおかしくない
正式文書で間違えるわけないだろは今の感覚で
生没年不明が大量にいるし、本人が年齢数年間違えるのはよくありそう >>513
荊州義陽郡(新野県辺り)出身で202年生まれのケ艾も
幼少時に劉備がその界隈で駐屯してたのに全く接点ないからな
張悌と諸葛亮も普通に考えて接点ないだろうな >>517
自己レス
ケ艾は195年生まれ説が有力だな
どちらにせよケ艾と劉備や諸葛亮らに接点が無いのは確か 張悌は孫休が皇帝の時代に屯騎校尉になった以前の詳しい事績が残ってない
どうみても諸葛亮に抜擢されたと思えない出世具合
丞相は諸葛亮でなく諸葛恪で間違いないだろう
あと胡散臭いが張悌236年生まれ説もあるので >>512
あれもちくまの有名な誤訳だから勘違いする人が出てきてもおかしくないが
まとめサイトでも誤訳鵜呑みで間違えたまま載せてるところあるのは脳味噌ヤバい
呉人(張悌)と旧魏の呉人(諸葛靚)との会話で
何の脈絡もなく蜀人(諸葛亮)が出てくるのに疑問を懐かないのは相当ヤバい
諸葛丞相が諸葛亮しか居ないなら仕方ないが呉に諸葛丞相(諸葛恪)居るんだからさ スレタイに戻るが魏が呉と蜀に苦戦したのは
後漢末の混乱で人口が減って天下統一どころでないぐらい余力無かったから
なので曹操は赤壁以後天下統一よりも人攫い(人材確保)の方が熱心だったり
魏に天下統一できる余力が出てくるのはケ艾の献策の屯田&運河が成功して兵糧充実して以降
そういやケ艾も曹操の人攫いの被害者wなので曹操の方針はある意味間違ってなかった >>520
諸葛恪は三国志の本文とそれに付随する裴松之の注でも丞相にはなってなかったはず
建康実録ではなってるようだが、作者は唐代の人間なので
そりゃ裴松之も注訳のための史料として採用できんからな 諸葛亮だったらあなたの同族で丞相になった人物なんて濁す意味ないのでは
その末路から名前出せない人物(諸葛恪)で、諸葛一族かつ名前出せないということで誰のことか諸葛靚にも通じるからそういう言い方したんでしょ
そもそも襄陽記出典だから逸話の信憑性自体アレだが
ドラマチックにするためにいろいろ盛ってそうだし >>517
>>518
庶民みたいな者だから
俺らが安倍晋三と選挙演説の時に見かけるぐらいしか接点ないようなもんじゃね >>519
孫休の時代に諸葛恪の政敵の孫綝(孫峻)派閥が葬られて
諸葛恪の名誉回復されてるから
張悌が孫休に取り立てられたのは
張悌が諸葛恪の派閥だったのが推測できるな 三国志の本文の元ネタの呉書(韋昭著)でも初代丞相の孫邵がハブられてたり
呉一番の臣張昭が丞相に推挙されても厚遇した事にならないと輔呉将軍にされたり
許沇みたいに史書で一切見られず石碑でしか存在知られていない丞相が居たり
呉では丞相はある意味忌諱される存在なのかもしれない 呉は世兵制で、各豪族が兵を各領地にて兵を養い、
皇帝の指示に従って兵を動かすというやり方を持つ。
この兵は各豪族で世襲される。
各豪族が兵を直接掌握することになり、
孫権存命時はまだまとまりがあったが、孫権晩年の二宮の乱に始まる
派閥争いのため、バラバラになっていった。 この府をそれぞれ統括するのが、
八柱国・十二将軍である。
全体を統括するのは当然丞相宇文泰である。
兵戸、鎮が今度は府という単位に変わり、
それぞれ八柱国・十二将軍が管理。
強力な軍権を掌握することになる。
後に十二将軍から隋の楊氏、
八柱国から唐の李氏が出たのはよく知られることである。 しかし>>503みたいに張悌の件の誤認識で諸葛亮が呉の人事に口出ししてるとか
妄想(願望?)で根本から考察大きく間違えてるのに気づいてないのは末恐ろしいな
諸葛亮が同盟国呉に嘆願して何とか共同作戦取り付けても
一度として諸葛亮の思い通りに呉との共同作戦が進まない件みても
どう考えても諸葛亮が呉の人事に介入する影響力ないのは明らかなのに
しかし呉も共同作戦に付き合ったりでイメージよりも結構義理堅い
蜀滅亡の時も間に合わなかったけど援軍出してるしな >>531
結構手紙でいろいろ書いているらしいし人事に口出しはしているみたい >>532
そうなんだけど諸葛亮の意見はほとんど呉の人事に響いてないのがな・・・
夷陵の戦いの「もし法正が居たら・・・」と同じで単なる願望にしかなってない 要するに諸葛亮の手紙とか残ってて史書の中で現世に伝わったのが多かっただけで
それが当時の歴史上に反映されてないので結局はガヤの戯言レベルでしかない
日本でいえば清少納言みたいな仇敵や和泉式部や赤染衛門などの同僚までdisりまくった
チラシの裏日記が後世に伝わってしまいそれを読んだ奴らが鵜呑みにしてしまった
紫式部日記みたいなもんだな あの国かなり無理して経済回してるしいつ崩壊してもおかしくない
不動産業とか政府の権限強くなかったら潰れてたし 人権無視で子供産ませたチャウシェスクがどうなったかを考えたらなあ
ぶっちゃけ正解ねえぞ 話が通じないし、自己正当化しかしない
父親も頭がおかしいけど そうだね中国はゴミだから永遠に侮ってればいいよ
恃交援而簡近隣、怙強大之救而侮所迫之國者、可亡也(韓非子、亡徴)
交援を恃みて近隣を簡(あなど)り、強大の救を怙(たよ)りて迫る所の国を侮る者は、亡ぶべきなり。
友好国の援助をあてにして近隣の国をないがしろにし、強大国の救援をたよりにして、迫って来る国を侮るものは、滅びる可能性がある。
あとお前は自分を絶対正当化したことないって言うんやねw 夏侯嬰は自分が守った恵帝の息子達が始末されるのをどう見ていたのだろう 神々によって魔界に押込められた魔族を救わんと侵攻していた 世界の危機にだけ現れ、世界を救い去っていく勇者は人間にとって都合がいいだけの存在であり、平時には疎まれる >>541
まあ太平洋戦争とか正に強大なドイツとの同盟や日ソ不可侵条約を当てにして無駄に近隣国家に戦線を広げてしまったから日本は正に敗戦から学ぶ必要はあるわな >>529
正直陸家や呂家が孫家を脅かしかねないくらい力持ってたから二宮事件の頃には孫権の皇帝としての権力はまあ怪しいもんだよな
陸遜の憤死とかももとを辿れば孫権の部下に対する不信感が来るとこまで来ちゃったんやろし 敵は3国の他2国以外にもあるから、そっち方面の戦力も必要だしな
内部や周辺の異民族とか >>563
陸遜を憤死させ、多くの豪族たちを処刑・流刑できるぐらいの力があったのだから、全然怪しくはないだろ > 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
>
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
>
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。 >>565
歴代の皇帝もソ連のスターリンも常に反逆を恐れていたし
処刑や投獄も実は日常に潜んでいるからね >>564
三国志で残る敵は呉だけと言っている時ですら
関中の10の軍閥の合計で10万、迎え撃つ曹操ですら10万だから
遠征に出せる軍と同等の兵を出せる勢力が普通に残っているんだよね
漢中も蜀も弱いとはいえ数万以上の軍は出せるし
呉蜀以上の大乱と言われたとくはつじゅきのうもいるし 呉は兵士人民が豪族についているし皇帝と言っても盟主に近い >>562
ロシアは平気で裏切るのを繰り返しているのだから不可侵条約なんて
信用する方がおかしい >>531
習鑿歯は襄陽出身だけど蜀臣の子孫。
このエピソードとしては大人物に見出だされた方が箔が付くので諸葛亮じゃね また侯 国で は現在 の君主 に対 して 「侯 」,既 に死去 した君主 に 「公」 を用いる例 も王世 民は報告 している。 爵号 として 「公」 を用 いるのは,西 周期は王の卿士 であ り,春秋期 になる と宋 ・秦以外 は小 国が用いてい るという。 そ スレタイ読めないバカがメモ代わりに使うスレはここですか? 魏って、呉攻め、けっこう失敗してるよね。川のせいか >>579
親も阿呆なら子はもっと阿呆だったという話でしょ >>571
>>512にもあるように張悌と諸葛亮は接点ないので
ロジックに無理がある REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 あれ?実際に皇帝になっていない人物に「皇帝」号を贈った最初って曹丕だったりする?
哀帝・桓帝・霊帝の父などには「恭皇」などの号を贈られているが、「皇帝」ではなかったようだからな・・・。
ちゃんと調べてないから違うかもしれない。 >>587
劉邦の父の劉太公は太上皇(太上皇帝)になってるので
これを皇帝扱いするならこちらの方が先では >>588
前漢・後漢ともになんとか皇にして、帝はつけていない
やはりつけられない事情があったのか
求盗みたいな役人みたいに盗賊を求めるの省略なのか 魏から錦旗もらってきたらたちどころに邪馬台国が有利になるほど合戦はナイーブなものでもないと思うがいかがですか? 孫権の呉王は魏ないし漢のどちらに由来するものか、と書きましたが、どうやら蜀漢的には、孫権は漢王朝によって呉王に封建されていたようです。