なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
名将の子で、幼い頃から兵法を学び、議論すれば父をも論破する。
そんな天才児がどうしてこうなった…… >>327
推察の通りだと思う。
藺相如はこんな感じだと思う。
…完璧のエピソードや、秦の昭王(昭襄王)に酒器をたたかせて趙の面目を保ったエピソードが燦然と輝いているけれど、
商鞅⇒張儀⇒甘茂⇒穣侯(そして長平の戦いのB.C.260年には范雎もいる)と、敵ながら秦の脅威を十分理解していた賢者。
実際、完璧のエピの前後はいくつか城を攻略されていたから、十五城との交換を断るのを得策じゃないと考えた現実主義者ってところ。
廉頗は、秦にはからきし勝てていないイメージが強いが、燕や魏には勝ち続けている。相性もあるのかな。
長平の戦いは2年の長期戦で、逸を以って労を待つといった感じで語られることも多いけれど、秦はすでに遠征に耐えられる領土を確保しつつあったし、
趙本拠から地理的にも離れていることもあって、籠城するしか手はなく白起とガチンコで戦ったらどうなっていただろう…、分が悪かったかなとも思う。
(趙括が45万の犠牲者を出して惨敗したから、廉頗の持久戦が評価されてしまった感はあるかも。)
平原君。戦国四君でも抗秦姿勢を貫いたのは確かだろうけど、司馬遷も言う通り時勢を見極める眼は持たなかったというのが当たっているだろう。
食客の数あるエピソードも残念賞ばかりだ。
>>323のエピに加えて、脚を悪くして歩き方を平原君の愛妾に笑われた男に対する態度も、あれじゃいかんよね。 趙って国自体に問題があるよなぁ
廉頗は追放
李牧は処刑
救いようがない 統一した秦だって始皇帝死後は
李斯、蒙恬処刑して滅亡に向かってるしね
人間のやることだから完璧な国家なんてないよ >>338
楽乗「廉頗=サン、貴方は追放じゃなくて自業自得の出奔ですよ!」
>>337
平原君「食客とかいう金の亡者ロビイスト連中のオナニーエピソードを真に受けてはならぬ」 平原君さんの評価はともかく
食客、遊説家age逸話は信憑性ないっすね 廉頗も最後まで趙にいたら暗殺されてたかもしれんし案外他国に亡命して正解かもな >>337
郭開「現実主義者か、ワイと藺相如は同類やな」
>>343
まあ説客の説客による説客のためのプロパガンダ逸話集が基本資料の時代だからね仕方ないね 秦檜夫妻「同じことやったら何故か五百年以上も民衆(主に南中国の漢族)に唾吐かれ足蹴にされた…」 趙括「みんなで白い悪魔を凌遅三千刀、滅九族の刑に処して白起肉喰おうな!」 そもそもあんな史実あったのかという点からいけば擁護できるんじゃね 発掘で長平でマジで趙軍が大敗して生き埋めにされたのが証明されたってニュースあったけど
趙括さんむしろ戦死してよかったんじゃないかな? >>351
逃げ帰っていたら、母親や一族の命は助かっても、本人は処刑の憂き目に合うか、秦との戦いでは使えないと対燕戦へと配置替えだったかもな。
45万の趙兵が、数百の年少さんだけ帰らされて、あとは穴埋めでほぼ全滅だもん。
藺相如も重い病がさらに悪化して、多くの兵士とともに亡くなったような感じだろう…。
そんな中でも、趙の衰退を目にしながら、さらに10年余りも戦い続けた廉頗と楽乗などは大した人物だよな。 数字は確実に盛ってる。
白骨は40万生き埋めを裏付けるわけでも何でもないし。 常識かな。東京ドーム満員で5万人だっけ?それ8個。
重機もねえのに穴だけでどんな労力とか史記の信憑性とか兵数自体「号す」とか「証明された」肝心の白骨はいくつ出たのとか
生産人口40万も一挙に死んでよく国家崩壊しなかったねとか
並べると切りない。が、実際見てきたわけではないから絶対否定はできない。
悪魔の証明だけど。
「絶対に違う」証拠、というのはないよ。
確実な証拠もなく盛ってると言ったお前は嘘吐きだ、と思うのもまあ自由。
これよく議論になるがある種信仰で水掛け論だし、無理に否定する気はないよ。
信じるものを信じればいい。 先に「確実」って言ったのはそっちなのにそれを証明できないっていうのを恥ずかしげもなく大上段から高説ぶちかませるっていうのはある意味感心する ここから西側日本人のプロパガンダ
なんか王朝権力が弱体化したら総人口の九割が消滅したり
人口20万の南京で30万殺は有り得ないけど
人口100万のチベットで200万殺は有り得たり
徒手空拳の若者が文化大革命の青春に燃えたら推定1億人が消える
推定45万が行方不明になるくらいは造作もない、なぜ信じぬ? さすがに今はほぼ大丈夫だが20世紀までの中国の死者数はまったく当てにならんよ
南京は極東軍事裁判の数字だし他のは死者じゃなくてただの批判用の数字でしかない
義務逃れの逃散、都市への移動、ちょろましかしの戸口隠し
総人口や人口移動を把握できてない時期だし 良いことでも悪いことでも大概の人間は誇張して伝言ゲームするから当てにならん
まして紀元前 人口スケール十分の一かつ島国で管理しやすい、しかも1世紀先んじて19世紀に近代国家になった日本ですら地域によっちゃ昭和の半ばまできっちり把握できてなかったからな。>人口 >古代の軍制がどんなものかわ分からないけど
>日本の戦国時代や現代でいうと、人口の2%くらいが純然とした動員力としては
>相応しい数字みたいね
>以下、どっかのサイトに書いてあったことだけど
>当時の趙の人口は220万
>その2%が大目に見て5万
>全兵力を1か所に集めているわけもないので、長平の捕虜はどんなに多く見ても2〜3万
>兵士の数でいうとこれくらい
>非戦闘員も込みだと、増えるのかもしれないけど
>秦兵ももちろん書物よりは少ないわけだけど、
>数十万も上回ってるというのはさすがに中国流の誇張だと思う
>実際はどれくらいだったんだろうね >古代から現代まで中国に関する数字は全部10分の1にして考えるといい
>人は顕示欲強く一個人から組織まで(犠牲者)数を大袈裟に表現しがちだからな
>もう二度と来ないでいいぞ
ファイナルアンサー >>349
趙括の悪評は,藺相如&趙括母の趙括評・范雎の謀略という要素を否定できれば半ば払拭される。
長平之戦・惨敗という史実は崩せそうにないので上記の説話を攻めたい,武霊王の胡服説話みたくわかりやすいウソがあるかもしれん。
なお,自らやる気はない模様。 違う時代のエピソードと被ってるとかか?
確かに無能感がなくなれば擁護する人は増えそうだが誰得って気もする笑 毎度同じような展開で趙の名将がダメになるがあれは信憑性怪しい、安っぽい創作な気がする
>>366
・趙括有能説が台頭すれば有能率いる大軍を殲滅した白起の株がさらに上がる
負かした相手が雑魚モブばかりってのは哀しい
・孝成王が平均点以上の君主になる
こんなもんか 実際滅亡する国ってあんなもんじゃね?
例えば魏も呉起を放逐したり >>366
そうですね
楚荘王と斉威王の「三年不蜚不鳴」,《韓非子/初見秦》と《秦策一/張儀説秦王》,など
出土文献の登場で信憑性が揺らいだ范雎蔡澤説話のような例もあります 重要人物や重大事件がパクりエピソードで構成されてる
それが古代中国クオリティ
郭開が廉頗の帰還を阻止した話とかは明らかに潤色じゃろう
>>368
呉起の移籍と魏の滅亡はまったく関係なかろう 戦国策のせいか説客謀臣タイプはどこかで見たような類似逸話を持っている場合が多いね 史記の考証は全然わかんないけど確かレンパVS燕で唐突に出てくる燕軍70万みたいな数字出てくるじゃん?(wiki知識)
レンパの伝記ってかなり講談感あると思う つまり息子にして趙家当主である趙括を叩いて賢婦人ポジgetしたクソBBAの嘘を暴いて趙括タソの汚名を晴らせばいいんだな? 趙括って今の日本で例えれば大塚久美子みたいなもんだろw というか趙活についてはまだ誰も本気で突っ込んでないから根拠以前の話じゃな
類似エピソードの後代性についてならよく言われることだしちゃんと根拠示してる人いるけど >呉起の移籍と魏の滅亡はまったく関係なかろう
これも妥当かな? >>357
ぼく「幽霊なんか確実にいねーよ。常識で考えろ」
きみ「いやいる!絶対いないって言うなら証明してみろ」
ぼく「それは無理。まあ信じたきゃ信じれば」
きみ「先に「確実」って言ったのはそっちなのにそれを証明できないっていうのを恥ずかしげもなく大上段から高説ぶちかませるっていうのはある意味感心する」
こうすると分かる?きみがどんな無茶苦茶言ってるか。
そもそも強調の言葉尻とらえた低能な言いがかりだけどね。
そこにしか噛みつけないのが、肯定派の痛いとこな証明かな。
古代中国の数字を信じる者としては不快だが、40万あったという根拠は何もなく、ないという根拠はやたらある。
となるとまあ、揚げ足とりとか煽りとかで苦しく戦うしかない >>379
その「きみ」は「いる」とは言ってないんだよなぁ…
しかもその例えで言うなら「いる」と書かれていてそれが公式に認められているのに何の根拠もなく一個人の「常識」とやらだけで「いない」って言うからツッコまれてるわけで まず自分が悪魔の証明をしなきゃならない立場にあるということが全く分かってなくてわろた
「ないという根拠はやたらある」のならそれをひとつひとつ挙げれば誰も文句は無いのに(俺様の)常識とかいうなんの根拠にもならないものしか今のところ提示してないよな そもそも証明もできないのに軽々しく確実なんて言葉を使うからこうなる 期待の新人がデビュー戦でいきなり世界チャンプと戦うようなもの
でも実際はそれなりに実績を積んだ上での抜擢だったのではと思うけどね しかも手持ちの兵力が消耗した大軍とかいう死亡フラグ 消耗とはいうけど、決戦を回避してる以上は主力は温存されてるわけで
なによりまずいのは廉頗が更迭されるや軍法からなにから変更させてるところかなとも
それまで慣れていた兵士も居心地の悪さや動揺はあったろうし 昔の大軍勢ってのは逼塞したらみるみるモラル低下するから危うい衛生環境最悪だし
近代の国民革命軍すら主力温存図って退却しまくってたら将兵が美帝最新兵器担いで逃亡が仕事の無能と化した
廉頗軍の死者と逃亡者の多さは重臣廉頗の信用を失墜させるレベルなので軽視はできない >>363
古代の動員兵力って、補給とかをどの程度重視するかで大分変る気がするんだよね。
日本だと、江戸初期で10万石の大名の軍役が2150人だったりするんで、一万石で250人ってのが
大体正しいって事にされてる。
でも、これは軍事にどれだけのコストを掛けるかって事で変わると思うし、この動員率はちゃんと
領地の守備なんかを考慮した数ですよね。
中国だと、戦乱の時代は大抵飢餓が起こってるし、籠城中に子供を食ったとか普通に記録に
有りますからね。
だから、流石に45万とかは法螺でも、10〜15万程度なら有りうるんじゃないかな?
趙軍は守備側なんで、兵糧とかも補給基地に蓄えてる奴で良いんだしね。 趙は準備万端整った領土内で戦ったわけじゃないし備蓄は微妙かも ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ >>368
その出来事単体なら関係なさそうだが、魏特有の有能人物が次々どっか行ってしまう体質が表れた一例なわけで……
孫ピンと商オウがほぼ同時期の人物なの笑える 達人伝での趙括さんのダメダメっぷりの描き方は素晴らしかった レンパから引き継いだあの状況から趙を勝たせられる将なんて、項羽ぐらいしかいない気がする 趙自体が切羽詰まってる上にその相手は当時の最強国
野球でいえば今年のドラ1のピッチャーがいきなりソフトバンクの打線押さえろと言ってるようなもんか
失敗したら齋藤(趙括)コースだし成功したら韓信(田中将)コース gdgdになった中国兵の大群が壊滅する話はままあるが立て直して逆転大勝利する話はきいたことがない…
項羽でも韓信でも無理やろな
秦vs趙は米ソと枢軸国くらいの差がありそう >>352
廉頗結構高齢の割には黄忠ビックリの老いてますます盛んの老将
刎頸の交わりの時には藺相如が先に逝くとか想像できん >>368
呉起の放逐が魏の滅亡に関連するわけではないが
戦国初期の最強国魏が最強から滑り落ちることにはつながってると思われる 政治力に不安がある呉起じゃ周辺国の台頭と魏の相対的弱体化という歴史は変えられないと思う 古代中国の秀才は単に文系の丸暗記だから、兵法書丸暗記してても優秀とは限らないし、親子で兵法論議というのも尾ひれが付いてるだけで、実際はより丸暗記できてただけかも知れないし。
韓信も丸暗記出来てたらしいけど、用兵の巧みさとかは完全にセンス。 そもそも馬謖さんは実務経験自体あったのかどうか怪しいから。
最終的な地位は丞相府の参軍(参謀スタッフの1人)でしかなかったし 趙括は能力云々よりも
人望が無かったんだろ
野村克也の息子みたいなもんだ >>403
野村克也の息子は能力はイマイチだけど人望厚いからコーチとして有能 >>338
武霊王の時がピークだったんだろ
達人伝とかキングダム見ると武霊王の後の王様は暗君ばかり >>405武霊王の息子、恵文王は名君だぞ
藺相如・廉頗・趙奢を抜擢して活用し趙を守った
趙が暗君だらけになるのは恵文王の後 >>402
いやいやいや、馬謖は郡太守の経験があるから
実務経験ちゃんとあるから
その上で劉備が孔明に注意したという話よ?
それはともかく、長平の戦いは趙が魏・楚を味方に引き込もうとしてたことを
勘案しなきゃダメなんじゃね?
一度は魏・楚を引き込むのに失敗したけど、それで両国と没交渉になることは
ありえないわけで
「趙一国でも勝てる!」と行く訳ないから味方増やしたいんだしね
個人的には、特に魏に対する交渉材料を作るために、帥将交代があった可能性を
疑ってる
廉頗の戦功って魏相手が大半なのよ
魏からすれば、そんな大将と共同戦線張るのは難しいでしょ
まあ、これが交代の理由のすべてということは絶対にありえんけども、
理由のひとつとして考えるのはアリだと思う その考え方だと廉頗が合従で秦に対抗する策に反対した→更迭の方が辻褄が合うような 史記その他の数字を信じる(なお信じてない)なら
廉頗くん四十万の大軍を擁しながら無策、後手後手で一方的に嬲られる愚鈍な采配
無能どころじゃない、臆病者と謗られて交代は残当 前近代の軍隊が山間部に40万集結、長期戦やったら、糞まみれ
間違いなく自滅するw 廉頗は負けなければいいとわかってた
趙括は勝つことしか考えてなかった
戦の駆け引きを経験で理解してるかどうかの差だね 山岳地帯は守戦に強いというか、勝てなくても負けないという側面があるから、小国のくせに滅ぼすまで被害も大きく時間がかかったり、侵略を諦めらてほっとかれる事が多いけど、中国ではそういうのはなかったのかな。そもそも山岳地帯がどこに該当するかよくしらないけど 守備に徹していると際限無く食糧と金を消費していくから、趙の上層部が指揮官を交代してでも秦軍を攻めたかったのも仕方がない 険阻な山や丘陵地帯に築いた要塞で守り切るのはテンプレだが数が多いと逆効果なんだよね
補給出来ない上に本国から援軍を送りにくい
長引くと確実に物資が枯渇するのでタイミングを見て撃って出る必要がある
>>414
殷周は明らかに北西部の山地を拠点とする異文化勢力に手こずった
押し込まれることもしばしば
あとチベットに広大な異文化圏が存在することからわかるように
中華王朝は西部の山岳を拠点とする勢力に代々苦戦しているよ
攻め切れないだけでなく大敗することも多かった(唐vs吐蕃とか)
朝鮮もその類いで侵攻しても結局征服できず撤退に追い込まれがち >>414三国志の蜀がもろにそれだな
山岳地帯を活かして何回か魏軍を撃退している 蜀は昔から「蜀の桟道」と言って断崖に木材を打ち込んだ桟橋みたいな道しかない難所で知られた。
劉邦も漢中に籠もる条件で項羽と和睦した後、桟道を焼き払って中原に戻らない意思を示して
項羽を油断させたうえで取って返して項羽を打ち滅ぼし天下統一を果たした。 趙軍45万の指揮を初陣でやるってのは仮に天才でも無理だったんじゃね
これで国軍の大半を失ったわけだし
燕や魏とかの国境の守備隊も必要だし
もうまともに秦と戦えないよな 各国の人口
楚国有500万,
魏有300万〜400万,
秦趙两国合計500万〜600万,
斉国300万〜400万,
燕韓合計300万
趙の人口が250万だと仮定すると45万の死はとんでもねえ 指揮を言うなら廉頗の時点でなぁ……史料上に大軍を有効活用した形跡がない
250万の人口に45万の軍を維持する力はない、織豊期の日本並みの人口が必要だろう
加えて長平は遠征と言っていい場所にある、つまり趙軍の兵数は出鱈目 楚漢戦争時は徴兵限界を超えてさらに徴兵したらしいからなあ
老人も子供も女性も徴兵したらしいし
国がめちゃくちゃになるのを無視すれば250万〜300万の人口で
45万は無理だけど不可能ではないかと
だからこそ趙の首脳部は防衛で長期戦を狙ったレンパに切れたのかも >>!
将棋は命令通りに動いてくれるけど
実際は命令通りに動かなかったり
(命令違反ではなく能力的に)
布陣とか正確に把握できないし >>423
百歩譲って仮に可能であったとしても不可能と思いたい件
動員かけた趙の政治家と将軍が信じ難いアホになるぞ
趙の敗北は戦う前に決していた事になる 兵法で馬服君趙奢を言い負かしたというのも
東大法学部卒とかが机上の空論でやって現実には上手くいかないようなものかな
>>421
動かせないから、徹底的の防衛に徹したんじゃないの
基本、まともに戦ったら勝てないと判断して
理想は大軍を駆使して秦を破ることだろうけど
それが実質不可能なのだから
司馬法でも真の名将は無名のまま終わったと言われているし
名将は分かりやすい手柄を立てないからなあ
会社で無能だと思って退職に追い込んだら
業務上不都合が生じるように >>425
その頃には秦の一強状態で他の国が合従しても勝てない状態だから、趙なんとかさんの奇跡に期待するしかなかったんじゃないかな?
趙の敗北は戦う前に決まっていたってのには同意 ふと妄想してみると。
趙王をだまして無能な趙活を将軍にさせるはずが、
だまされたのは白起や昭襄王のほうではなかったのか?
わざわざ藺相如や母親まで出した工作に乗せられたような気がしてならない。
長平の戦いは前260年、
秦軍は勝つには勝ったが、結果としてその後10年以上にわたり中原進出できなかったから、
負ったダメージは深刻でないはずがない、
つまり趙活は有能だった。
戦後処理が過酷だったのは、秦軍が深手を負ったからだと容易に想像できる。
ちっとも大勝利じゃない。
昭襄王は秦の中原進出を見ることなく前242年に没している、
秦が再び中原を攻略にかかるのは前249年に韓の?陽と成皋を取った所から、
ところが2年後には、信陵君の軍に、函谷関までまたまた押し戻されてしまう。
ようやく韓が滅亡するのが、前230年、長平の戦いから30年もかかっている。 >>426
拠点防衛に徹していい兵力じゃないんだよなぁ。国力で秦に劣る以上相手より先に崩れるのは目に見えている
名将論については同意する…が、古代中国の名将はわかりやすい手柄を立てた輩なので真の名将じゃないな(´・ω・`) >>429
記録でも国家総動員したらしいし
長平は戦国時代最大の合戦と言われている
楚を滅ぼす時の60万の兵を出した時は言われていないのに
怪しいウィキペディアの記述で65万とか
勝っても国力のダメージは大きいでしょう
和議になったけど秦側もこれ以上の戦争は無理だったっぽい
>>430
もし太平洋戦争で日本が降伏しなければ
本土にあった400万の兵で戦って敗れたんだろうなあ 不止50萬/約65萬(全國軍隊及後勤)
全程包括初期攻防戰共近20-25萬人陣亡
とあるから怪しいけど事実なら20〜25万の兵を失って秦もこの後軍事力がかなり低下したんじゃないかな 英語版だと55万の兵で15万失ったことになっている
ドイツ語版だと50万の兵で25万を失ったことになっている
いずれにしろ勝ったけど大きな被害を受けたってことかな wikiの先秦史は中文も日文も信用しない方がいい
日本語版の残念さは有名だが中国語版もヤヴァイ、日本語版以上にアレなところも多々ある
中国からの孫引きで埋めてる箇所が散見される日英も当然アレ
名が通ってるわりに書くべき内容のない人物・事件が多いから
俗説…いや俗説未満のドラマとかブログとか学説(小説)のコピペがネットをグルグル 趙の人口は200〜250万だと推定されている
これが男だけなのか女も含むのかは不明だけど
趙の総兵力がいくらかは数十万と曖昧だが
45万の兵を失ったらもうまともに機能しないだろうなあ
秦が後に60万が全軍に近いなら趙に60万や70万いたとは思えない
残る兵力は多く見積もっても10万もいないだろう
燕とかに攻められることもあるし全軍を秦に向かえない
ああ過去の真実を知りたい 統一間近の全盛期戦国秦で60万ならば趙(最盛期)は全力動員で30万いたらええ方でしょう
つか200〜250万ぽっちしか養えない生産力じゃ野戦軍はせいぜい10万…