なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
中国史の研究をするなら春秋戦国時代がいいなあ
もっとも東大とかに受かれるわけがないし
研究者には最初からなれなかったんだ 西門慶の逸話も韓非子も
評判の良い人物ほどろくなもんじゃないってね バショクもチョウカツも逸話を見ると優秀だと感じさせらる
両者ともリュウビやチョウシャには評価されていなかったが 徳川家康や劉邦でも愚かな行動をして失敗したことはある
両者は運良くそれが致命的な結果にはならなかったけど、趙括は歴史に残るレベルで致命的な結果になってしまったわけだ >>444劉邦は割と致命的な大敗を何回かやってるよ
それで滅びずに立ち直れたのが劉邦と劉邦家臣団の凄いとこだと思う 劉邦は命こそ失ってないが匈奴戦の完敗はある意味長平をはるかに凌ぐ歴史的な敗北ですね
その後の中華帝国と漢民族の基となった大漢が長期間草原の民の履を舐め続けていたという事実は重い >>446
趙無恤の事を言ってるんならもっと前の文公(重耳)に仕えた趙衰からして狄人を嫁にしている。
即位前の重耳が諸国を放浪していた時に狄で叔隗を嫁にして息子(趙盾)ができた。
晋に戻った重耳が即位すると趙衰は文公の娘の趙姫を娶り子供もできた。
趙衰は狄の地に置いてきた母子の事はほったらかすつもりだったが趙姫が二人を呼べと言って
譲らないので仕方なく呼んだ。趙姫はさらに叔隗を正夫人、趙盾を跡継ぎにしろと言った。
趙盾はこのことで趙姫に生涯感謝して異母兄弟に当たる趙姫の子供たちの処遇にも配慮した。
かくて趙氏の嫡流には狄の血が流れている。 >>448
そう、趙衰のこと 今、宮城谷さんの重耳を読んでいる最中 そうか。俺は重耳は読んでないんだけど「孟夏の太陽」という趙衰に始まる趙氏を扱う一連の短編集は読んだ。
趙氏関連では趙氏族滅から復活する話と趙襄子(趙無恤)が智伯に水攻めにされて滅亡寸前から大逆転で
智伯を滅ぼす話とそのあとで智伯の敵討ちを企てる豫譲の話が好きだ。豫譲は厚遇してくれた智伯が趙襄子に
殺されると「士は己を知る者の為に死し、女は己を悦ぶ者のために容づくる」と言って敵討ちを誓った。
「己を知る者のために死ぬ」はいまでも使われるフレーズだが豫譲の言葉が原点である。 >>450
趙括が駄目なやつだと分かってるなら別の息子を跡継ぎにしろって話だよな 相手が超悪すぎただけでそこそこやれたかもってのは無いの? 趙の国運をかけた戦争の司令官に
抜擢されるんだから、史料が残っていないだけでかなりの実績があったんじゃないだろうか >>355
楚の項羽は鉅鹿救援後、秦兵をたくさん殺した時に、
河岸段丘の崖に追い詰めて、崖から転落させて20万人殺したといわれている。
穴は掘らなくともいいわけだ。
長平の場合もそのために掘ったものではなく、土塁に攻城装置を寄せ付けないようにする空堀に、
降兵を集め土塁を崩して埋めた模様。
これ以外にも、戦国期の中国の城砦には長期に籠城できるように、
黄土の地面に地下に直径十数メートル深さ20メートル程度の穴をいくつも掘ってそれを穀物で満たし、
これに屋根をかけ穀物倉庫とした。
中国の城砦が数年の籠城に耐えられるのはこれのせいなんだよね。
瞬間最大風速みたいに徴兵限界を超えて徴兵できるのも、数年耕作せずとも食うに困らないこれのせいだしね。
で、籠城が長期になるとそれらが空になるため穴埋めで大変重宝しただろうw >>456
長平の戦いの後、韓が滅亡するまでに30年かかっとるがな。
これ、何気に時間稼ぎとしては成功じゃね? 損失(死傷者・捕虜、逃散、秦に帰属)の設定を趙軍5万+上党の人口40万くらいにしたら理解できそう。 >>457
模様って、なぜお主に長平の場合がわかるんだよw
可能性がないとは言わんが想像を事実の如く書いたらいかん >>453
名将の息子で口先だけ優秀な奴は
廃嫡しても君主が勝手に重宝するから無理
似たような例で三国時代の呉の諸葛瑾の息子の諸葛恪も趙括と似たタイプ
こちらは諸葛瑾健在の頃に諸葛恪は既に卿になっているから
諸葛瑾の跡継ぎは諸葛恪ではなく弟の諸葛融
しかし諸葛融は諸葛恪より人望あるが無能で遊び好きという凡将
諸葛恪が滅ぼされた時に諸葛融も一緒にも誅殺されている
まあ名将の息子で親と同じレベルのケースは少ないので求めるのが間違い >>458
韓って南北に分断されて
最終的には新鄭だけになったのか
韓非子が言うに秦に労役と納税を提供して郡県と変わらないとか
実質滅びていたんじゃね
衛も名目上は続いていても魏が滅んだ時に一緒にだし
モナコみたいなものかねえ
フランスに納税しているしフランス人がモナコは国じゃないと言ってた 韓は秦が恵文王の時代、早くも西部の大都市だった宜陽を奪われて洛水北岸を殆ど
失ってしまい、長平の戦いの時期に成皋ら黄河南岸の主要都市を奪われて黄河以北の
上党が孤立して後にほぼほぼ秦に奪われたって感じ
韓の首都である新鄭って韓の領土のかなり東端にあるんで、どれだけ領土を奪われても
不幸中の幸いか首都が最後まで残れたのかな
そこに至るまでにもあちらこちらを奪われたり奪い返したり、割譲したり返還されたりで
いろいろあるけど最後は新鄭周辺しか残ってなかったっていうからなあ 戦国時代は領邑の奪ったり奪い返したりの繰り返しが多くて良く分かんねー!ってなる事が多い 七雄というけど末期の韓って兵力どれぐらいいたんだ?
もう秦の領主程度の力しかなかったんじゃないか 韓は姫姓だし、周を名乗っても良かったんじゃねえの? 史料上の領域変遷ならば日本戦国とか中世近世ヨーロッパ史の方がよほど複雑
戦国時代は領邑争奪の繰り返しが多くてよく分からない
というよりは史料がクソ雑魚ナメクジすぎて全般的に何も分からん 周を完全に滅ぼしたのは確か呂不イだからなあ
無力だけど魏とかも滅ぼそうとしないのは抵抗があったのでは 東周公を滅ぼしたのは呂不韋だけどこれは分家です。(あ、だから「完全に」なのか)
本家は昭襄王の時に秦の保護下に入って赧王の崩御を持って秦が九鼎を接収して滅亡だ。 西周は既に昭王の時代に滅びているし
東周君は王を名乗った説もあるし
そうでなくても周で残っているのはここだけだし 紀元前487年 曹滅亡
紀元前478年 陳滅亡
紀元前447年 蔡滅亡
紀元前445年 杞滅亡
紀元前375年 鄭滅亡
紀元前296年 中山滅亡
紀元前286年 宋滅亡
紀元前256年 西周滅亡
紀元前249年 東周滅亡
紀元前230年 韓滅亡
紀元前209年 衛滅亡 珍しくそこそこレスがあっても、大雑把に歴史の流れや人物を紹介する程度で終わるのがこの時代の弱点だな。
>>467
正しく推測できる人は存在しないでしょう。末期の兵力や人口に関する資料が圧倒的に足りない、というか無い。
まだ雄国の一つと言える版図を(たぶん)有していたBC275頃なら、(たぶん)韓の権臣暴子率いる韓軍が、(たぶん)野戦で秦軍に敗れ4万人やられた紀年記事がある。(たぶん)数万人規模の野戦軍を組織できたはず。
……織豊期の有力大名とか蜀漢くらいのパワーかね? 韓は「戦国策」などに依るなら、蘇秦が遊説した時代ですら数十万ってくらいだから、
猛威にさらされ続けた秦の昭襄王時代以降なんて韓一国で秦と真っ向から戦争できる
軍事力なんてなかったんだろうな
韓は兵器だけは優秀だった様だけど ざっと史記で韓の最盛期とされる時代を確認しても、10万未満っぽい魏軍に連敗している。
当時でも攻勢に使える兵はせいぜい5万、首都や宜陽クラスの都市に立て籠もり根こそぎ動員かけてやっと防衛戦力10万ってイメージ。 衛とかって軍隊がいたかも怪しいよね
末期の方の君主が意味も不明で魏に殺されたり 三国志の蜀も総兵力9万で遠征に使えるの5万ぐらいだとられていたよね
劉備が呉を攻めたのも4万だとか 誰も言わないけど王族だったのだろうか
趙姓が気になる 趙活君は以前何やってたかわからないんだよね?
いきなり無経験の人間を国家の存亡掛けた戦いに引っ張り出すとは思えないし副将はやってたのかな 初めての経験で無理だっていさめられていなかったっけ
実戦経験があったら良くも悪くも実力がばれていたような 「王族?」って言ってる人は最近どこかで見たような。
私も恵文王代の後半から孝成王代の政権構造(特に公子層の動向)について考えた際に想定した覚えがある。もちろん史料の裏付けはない。 同じ趙氏でも王族と何の関係も確認できない人物はけっこういるけどね そもそも確認のしようがない。
誰も答えられないのがわかりきってるから誰も言わないのだろう。 >>475
同年なら東周と魯はどっちが先に滅亡したのか >>485
趙姓以外に王姓っていつ誕生したんだろう 斉の田単みたいに下役人といいながら一応王族なのだろうか >>480
後漢末って中国の歴史のなかでもかなり人口が減った時期 今の中国人は当時の中国人が野蛮人だとみなしていた北方民族の子孫だよね 趙括さんは最期をみても覚悟はあったんだろうし親父や廉頗の副将として実戦積ませれば良かったのにね おそらく秦軍に半ば包囲された状況で将軍に就任したんだし
副将格の一人として戦場に居た可能性もあんじゃね? 作戦参謀官が適任で、将軍適正じゃなかったんだろうね。そういう人少なくない。 そもそも馬謖さんは参謀として功績も(襄陽記の怪しげな記述のみ) 趙括は武帝に寵愛されず衛青という師も居なかった 霍去病や(暴論 人をなめすぎなんだよ無能アホルサンチマンチョン晋三 世界中に大恥さらさせるぞ薬物中毒無礼雑魚 まぁその後も李牧が出て来て粘るんだから趙の国力はこの時代としてはかなり強大だったのは確か
まぁ国王とその取り巻きが馬鹿だとどんな優れた将軍がいても誅殺されて終わるよね
燕の楽毅ですら誅殺されそうになったし 白起「国王と取り巻きが中華戦国時代屈指の君主と名臣でも将軍を〆る事はよくあるゾ」
何度もフルボッコにされてる上に趙と違って地の利となる険阻な地形が乏しい
秦の圧力を真正面から受けながら存続している魏とかいう国を趙よりも評価すべき >>513
蕭何「キミ誰だっけ? 韓王の人かな?」 韓王信と韓信って同一人物じゃないの(´・ω・`)? 別人やぞ。韓王信の「王」ってのはあくまでも韓信と識別するための仮称で本名は韓信か姫信 >>516
そう言われているんだけど
実は同一人物説がないかと期待している
というか庶民だと学問も学べないよね?
韓信は元名門じゃないのか?
別人なら王族と同じ名前ってことだし そもそも史記に韓信は「淮陰侯列伝」として韓王信は「韓信盧綰列伝」としてそれぞれに
列伝が立ってるのに何で別人で有り得ると思うの? 項羽が韓王成を処刑すると張良は庶民となっていた成の親族である韓信(韓王信)を
劉邦に推薦して成信侯にしてもらった。その後、上将軍韓信が韓王鄭昌を降すと劉邦は
成信侯を韓王にした。
同一人物だと庶民から取り立てられて成信侯になって韓王として劉邦に従った流れと
項羽の軍から逃げてきて蕭何の引き立てで上将軍になり趙だの斉だの切り取っていく流れと
両立しないだろ。
それに盧綰と並べられてるのは漢帝国の諸侯王から匈奴に降った裏切り者という括りなので
淮陰侯に失礼だろ。 なんか当たり前のことここまで説明しないとわからないバカいるんだな
そいつに丁寧に教えてやってる奴凄いわw たとえば同時代に趙王歇っているけど、これも趙(国の王である)歇って事で、
韓王成や韓王信も同じだと思えば、わかりやすいのかね 廉頗は勝つ必要がなく、維持で長引かせれば良かった。
趙括は堂々と戦った。
基本どおりの事は出来ても、臨機応変は知らなかった。
兵法は読んでも学者でしかなかったんだろう。 白起は「兵法に通じているとうぬぼれているからこそ趙括を打ち破るのはたやすい」
と言ったんだっけか
親父のチョウシャが「あいつにだけは軍を任せてはいけない」って言ってたらしいし マジレスすると
見ず知らずに等しいであろう外国の新星を、「自惚れているから打ち破るのは容易い」と侮るのは愚将っぽい
>>525
勝つ必要はあったのでは?
趙国の意思が「長引かせれば良い」、であったならば廉頗は非難されんだろう 確かに無名の新人韓信を侮った陳余は愚将と呼ばれ続けてるもんなぁ。 >>527
1戦での勝ち負けではなく、長い目で見ての勝ちを狙ったんだと思うよ。
廉頗は前半で負けた結果、持久戦に持ちこんで守っていたからでは?
趙本国では戦って短期間で勝つことを望んでいたから非難したんでしょ。
秦はどんなに戦力つぎ込んでも、長くは滞在出来ないんだから。
趙兵を殺したのも兵糧の問題もあるから。 >>529
いや、そういうことではなく
本国が短期決戦を想定していたのなら作戦を遂行する将軍のタスクは決戦になる
仮に体力で上回る超大国に勝つべく大戦力を動員し短期決着を狙う計画であったならば
一将軍の勝手な戦術変更は許されないだろう 途中で戦術変更することは有り得ると思うけど。
臨機応変な将軍なら状況で変える事はおかしくない。
最初に作戦が決まったら何があっても作戦通りとは限らない。
状況も考えなければいけないのに。
忠実に任務をこなすだけの無能な司令官ならそうだろうけど
名将と言われる将軍が何も考えもなしにああいう戦法をとるかね?
結局守るだけで戦わなかったから批判されてるだけでしょ。
本国と廉頗とで違うだけの事。
趙括に代えて致命的な大敗したのは、廉頗が正しかったという証明。
秦は廉頗が守りに入ってからは攻めあぐねていたからね。
最初に短期決戦で出陣して、負けが続いても決戦に拘る?
名将と言われる人が、そんな事考えるのかね?
本国との考えの違いから叩かれて代えられたんでしょ。 長平の戦いの結果、秦はその後30年間中原進出ができなかった。
秦に充分なダメージを趙括は与えた。
白起だって趙括の本陣を落とせなかったのだから。 >>531
証明なんて出来ないと思うよ、絶対的情報不足の時代なので俺にしろ貴方にしろ憶測しかできん
実際の兵力はどれだけか、双方の兵站はどうなっていたか、両軍の位置関係、当時の地形・・・
ほとんど分からないのだから
あと名のある将軍だから状況を正しく捉えている、とは限らないよ
調子が悪かったりすると目先の失敗を懼れて展望のないまま引きこもって自滅するパターンもありえる
結果論で言えば廉頗は長平の10年前に状況判断を誤っている(廉頗の発言が事実であればの話だが) 状況しか知らないからね。
廉頗は失敗した経験を生かしてるんじゃない?
失敗したらそれで終わりじゃない。
失敗することも有れば成功することもある。
リスクはあって当然だろうし。
でも代えたのが失敗だったとは考えられるよ。
廉頗は状況判断できているよ。
趙括は勇んで出て行って大敗。
出てくる敵と守る敵。
秦にとってどちらが難しいか。
将の差だと思うけどね。 >>531
いや、短期決戦か長期戦かの選択は戦術じゃなくて戦略だ
戦略レベルだと戦争にどれだけの人民を徴兵したり国家予算を費やすか等が関わってくるから、現場の将軍が勝手に変更していいものじゃない
あと趙括が失敗したからといって廉頗だったら成功していたということにはならんよ
秦との国力差を考えたら、交代が無かったら廉頗が負けるかその前に国が破綻して、趙括に交代させていれば勝てたのにとか言われてたんじゃないかな 秦には大規模な増援を送る余裕があり、やろうと思えば更に遠方の邯鄲を攻囲することも可能。
この差がある限り、「廉頗ならいけてた!」にはならないのよな。
趙括は負けた、という事実が残るのみ……。 勝てば官軍って本当だよね。
織田信長とかも桶狭間ところか家督争いで敗れてたら無能扱いだっただろうし。 >>528旧秦の領土侵攻に貢献した韓信は無名の新人じゃないでしょ 諸侯は漢王の軍が章邯を破ったという認識で韓信のことは無関心では。 >>537
まあ・・・本邦の戦国くらい一次史料が豊富な時代ならまだマシなんだけどね。
別の角度からの再検討が困難なこちらの戦国は人物・事件の再評価ほぼ不可能やから。 廉頗が他国へ亡命してもまだ李牧が出てくるあたりが趙の国力だわな
まぁ奸臣とバカ国王のせいで滅亡したけど >>540
ほぼ史記の記述だけで能力が確定してる奴多いしな 白起が趙括の軍を包囲したところで、昭襄王自身が河内まで出向いて15歳以上の
民を挑発して趙の糧道を絶つべく動いてたはずなんだけどさ…
これって秦国内の壮丁をほぼ外征につぎ込んだために余力がなかったための
緊急の処置とみるか、まだ制圧間もない地域からも兵を出せるほどの底力とみるか、
どうなんだろうね >>535
それは無能な将軍なだけ。
被害しか生まないよ。 >>541そこらへんは武霊王と恵文王の遺産だなって思うわ >>543
白起の合流で弾が尽きた可能はあるかもね
が、秦国内の壮丁をすべてVS廉頗・趙括につぎ込んだってのはなさそう
そこに河内の根こそぎ動員加えた秦軍は趙軍の兵力を大きく上回る可能性が高い…
鉄道でも使って補給しないと趙括包囲している秦軍が飲まず食わずで自爆するw
戦地に近い諸侯、地域に兵を出させるやり方は古今東西よくあるし秦もやっている
>>545
李牧とその二王はそこまで関係ないんじゃ、少なくとも史料には見えない おそらく河内の一部はBC280年代には秦の支配下に入ってる、徴発はわりと普通のことなのかもしれん。
・・・長平に近い河内が戦力として計算できる時点で勝てる気がしない。 確かに秦軍を撃破するのは不可能じゃない
いくら相対的に強いと言っても前近代の軍、たとえ名将が指揮していても隙はいくらでもあるだろう >>548
それ長平から15年近くも後の事じゃないの >>550
長平から30年間東進できなかったわけですが? 優秀な将軍がいくら頑張ったところで
すぐに内部から足引っ張る奴(秦に賄賂貰ってる奴)が出て来て
謀反人にされるからなw 廉頗や李牧みたく失脚する側に、弱腰や寝返りの疑惑を払拭できない弱さがあったとも言える
臣下の足の引っ張り合い説話なんて古今東西どこにでもある
戦国時代は他人を誹謗中傷し失脚させれる奴が名臣や!(例:張儀) >>551
秦にとっても長平の戦いは、マクロ戦略の失敗だよな。
趙攻略に入る前に、
10年ぐらい戦争を避けて国力の充実に邁進していれば、統一はもっと早まっただろう。 秦は1国ずつ時間かけて滅ぼして、安定させてから次を滅ぼせば短命で終わらなかったのに。 >>556
秦がマクロ戦略を失敗してたってのはそうかもしれんが
溜めた国力を使い現実より早い六国併合を実現すると違う形で同じ失敗をすることになるんじゃ?
戦国後期の諸侯には秦を脅かす実力は既になかったので対外進出を急ぐ理由はあまりないはず
557氏が言ってるように時間をかけて占領地の不安要素を徹底的に排除し支配体制を強固にしないと危うい 秦も新興国ではないけど、古い国は体質も古いから、今の発展途上国みたいに王族と貴族ははんぱない特権階級だっただろうし、そういう足の引っ張り合いをなくして他国の人間をどんどん採用したのは大きいと思う。
外国人官僚、最高権力者が外国人。
既得権益者からしたら邪魔者でしかないし、国民感情だってよくない うーん、言いたいことは分からんでもないが
むしろ新興勢力の他国人が権益を巡る臣下同士の足の引っ張り合いを激化させたことを示唆するエピソードが多いので… 商鞅を切り捨てたけど商鞅の政策は引き継いだ恵文王と
呉起の改革を無に帰した楚の粛王という対比はよく言われるよね。 秦って中原の諸国に較べると内乱というか、臣下が君主を脅かす例が
目立って少ない様な気もする
君主が追放されただの亡命しただの弑されたのなんていまいち思いつかないし さては宮城谷ファンだな?
たしかに春秋期は少ないけど戦国期は六国と比べて目立って少ないというほど少なくは無い
懐公、少子、昭王、秦王政の時代に内乱がある、商鞅の挙兵も含めると恵文王期も >>546
武霊王が胡服騎射で趙の武の土壌を作り
恵文王が名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作ったのではないかなと思って ・胡服騎射→尚武の土壌(わかる)
・名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作った(わからない)
恵文王体制の人材登用傾向が全体的にどうであったか?李牧の出身階層は?
これが明らかでない以上なんとも 宦官の客だった蘭相如や田部の吏だった趙奢を引き上げたあたり、
そこまで門閥重視の登用に偏ってる感じでもないけど、どうなんかな
楽乗なんかも代々趙に仕えた系列じゃないだろうけど 趙は人材を登用するところまでは良かったと思うよ。
生かせなかっただけで。
三晋の中じゃ一番優れた人物が多い。
魏は序盤だけだし、韓は居たの?としか思えない。 そこは国(時代)ごとの情報の偏在という要素が大きいので優劣断言はいささか早計かと
>>567
寵臣らしき宦官のコネがあるとはいえ藺相如は抜擢と言えるでしょうね
ただ公族ないし公族の可能性がある趙氏がなかなか多いし
早くから将軍に起用され長年枢要の地位を占めてたと思われる廉頗や
戦国初期or中期から趙及びその近隣での活動が見られる楽氏は有力世族かもしれません 燕の楽毅、趙の李牧
他にもたくさんいるけど結局は王の信任がないと能力があっても活躍できないのを示してるな
逆に言えばチョウカツみたいな大した能力無くても王に気に入られれば出世する
まぁこんなのは今の日本でも一緒だし結局は人間の性なんだろう 優れた人物に仕えないと大変。
愚かと言われた景公は晏嬰を信用して、諌言も聞き入れた。
ほんとに愚かではなかった。
李牧や楽毅は恵まれなかった。 それは少々稚拙な理屈でござろう
君に異なる背景・得手不得手・山あり谷ありの臣下多数と付き合っていく能力(努力)が必要とされるように
臣には君主や他の臣下、つまり社会と良いお付き合いをする能力(努力)が必要とされる
信任や諫言の成否は君主の能力依存じゃないよ
>>572
世評に名高い頭脳派エリート趙括さんは今風に言えば
超名門校を首席で卒業、その優れた学説と鋭い舌鋒で老害を一蹴、権威ある賞を総ナメ→ノーベル兵学賞授賞
若くして国民の期待を集めるくらいの有能やぞたぶん 口だけの御用学者
って言われて終わり
職歴もない世襲の学者が労働者の現状を語るようなもん 学者ってのは議論で勝負するもの故それで無双状態だったのならば諸子百家としては有能だろう
将としては無敵に近い秦軍相手に一戦一敗するよくある記録しかないから何とも言えない感じ 父親のチョウシャと兵法論議して打ち負かしたと自慢してたって書いてるしな
要するにああ言えばこう言うって感じの今で言えばディベートだけは達者な実務経験ゼロの学者や政治家ってところだな >>574
能力だと思うが・・・。
暗君は聞き入れる耳は持たない。
自身の政治能力が低くても、聞く耳持つ人間は、結構成功する。
現代でも一緒だよ。
自分が能力あるか、臣下を見極め能力ある人物に託す。
それも才能の一つ・
聞き入れて信頼すると言うのは無能には出来ないこと。 そういう無能が部下に良い様に利用されて滅亡する例もたくさんあるわけだが
今で言えば安倍晋三とか 斉の桓公も本人は大したことないけど管仲を信頼して全て任せてたから覇者になれた。
管仲が死んだら遺言を守らずに佞臣に任せて最後は死体から蛆虫が湧くありさまだった。 >>579
あのさ、国家は賢君と賢臣の二人でやるお芝居じゃないんよ
現代? 賢人政治は結局のところ国家社会を停滞させ、悪くすると崩壊ってのが近現代的じゃないかね?
優れた知識人の意見によく耳を傾け本人も高性能のオバマ流より、有能をクビにし続けるトランプ流が成功している世界だぜ
古代中国に話を戻すと
自身に政治力がないのに聞き耳はある・託す・信頼するってことは権臣を作るということ
亡国によくみられる事例の一つでもある >>582
トランプ成功してると思ってるんだ。
目先だとそう見えるよね。
何を見てきたか知らないけど。 >>583
そりゃそうよ、未来ではなく現在の話ですからね
古代中国大陸など足元にも及ばん地球の覇者をやってる男を成功者と言わずして何と言う
貴方が何を見てきたかは知らないけれど、
著名人数名の進退(説話)のみで古代国家の興亡を説明するのは危険だと思うよ 何も成功してないでしょ。
だから何を見てきたのか?と言ってるんだけど。 現状成功してるぞ、まず遠慮なく大暴れしてるのに権勢を維持している
権力を維持する力こそ為政者の最も偉大な資質
そして公約通りアメリカファースト実施中、各所で摩擦を起こしているがアメリカ経済は好調である
なかでも最も手強い敵であり近年急速に強大国化しつつあった中共に圧倒的な国力差を見せつけその拡大を抑えた
これはまさに覇者の仕事であり歴史的偉業に成り得る、楚の台頭を抑え込んだ晋覇に勝るとも劣らない快挙かと なかなか面白い流れだが諸兄の考える「賢」とは投資家のことだったのか笑
いやまあ古代中国人など前近代の人間と比べたら断然頭は良いだろうけどね…。
という冗談は置いて話を先秦に戻すが
管仲って後世の評価的には早く死んで良かったんじゃないか?
桓公晩年〜死後の混乱という歴史を変える能力を管仲は持ち合わせてない。
李斯枠になってしまう希ガス 混乱の原因が管仲の死なんだから管仲が生きてれば混乱しない。 管仲は鮑叔を指名しなかったらしいので多分健在だろう
なにぶん古代の事なので確たることはいえないけど
管仲には桓公に倣って贅沢をしたという批判がある
混乱の原因である体制の緩みを綱紀粛正できたかどうか・・ >>581桓公は軍事は自分でやってるぞ
桓公は数々の軍事行動を成功させて斉を覇者の国にした
もちろん管仲のサポートあってのものだが桓公自身も能力のある英雄だ 確かに軍事は出来るし管仲の矢で死んだふりをして油断させるという機転も利くが
管仲のサポートが無かったら色々やらかして悪名を残しただけに終わってただろう。 >管仲は鮑叔を指名しなかったらしいので多分健在だろう
意味が分からない
普通指名しない方が死んでる確率高いと判断する場合多いだろ
まあ鮑叔は管仲の死の1年後に死んでるらしいが
その頃は鮑叔の存在感無いので引退もしくは病気で政務に関わってないんだろうな あれ?
何かで桓公が枕頭の管仲に後継を鮑叔ではどうかって訊いてたりしてたのを
見かけた様にも思うんだけど、もしそうなら現役ってことかね
出典も思い出せないし単なる虚構かもしれんけど >>595
ああすまん、596氏が言ってる荘子にある逸話のことです
桓公が鮑叔を後継候補に挙げたのに管仲は指名せず鮑叔を外した 荘子にあるけど荘子の話はどこまで本当か判らないようなエピソードが多くて信頼性に欠ける。
易牙・豎刁と並べてあるけど史記ではこの二人は公子開方という人物と三人並べて三貴と呼んでいる。
荘子には公子開方は出てこない。代わりに鮑叔牙になってる。 まー史記とかも説話部分は荘子レベルの信頼性かもだし無視は出来ないかと。
例えばその管仲の先見性を示す三貴排除の説話はなんかは相当怪しい、諫言内容が中傷・讒言の類でちと拙劣な気がする。
覇権崩壊の核心は覇者桓公や管仲が推す大本命の公子昭に国内の支持が集まっていない点だろうに…
いつの間にか外国の介入を恃むところまで桓公-管仲体制が追い込まれている謎。 とりあえず 3 が好きなのはわかる
我らが趙括さんの長平の戦いも一番詳細な白起伝見る限り長平での対峙は半年ほどなのに3年扱い
どちらも後代の作り話では?
大貴族の寡頭政治が伝統っぽい斉国に彗星の如く現れ公子を擁立し
その後諸侯の軍事介入を一度は退ける料理人一党とか鬼才すぎるw 料理人舐めんな
伊尹とか知らんのか
今はともあれ昔は料理人は優秀な人材の象徴最高級の職業
戦で捕虜になっても斬られず厚遇される >>603
まあ神話の世界に片足突っ込んでる伊尹が実際料理人だったかは怪しいものだが(笑)
・・・彼にも君主の世代交代でやらかした説がありますよね、、、、アレ?これもしかして・・・・ 恐らく任用してはいけない人物説話には第三の男(公子開方、鮑叔)が異なるパターンが数多く存在したんだろう
リアルタイム斉で生きてない人間には降って湧いて来た五公子とその支持者勢力とか国氏高氏鮑氏の動向とかよくわからんからしゃーないね 新年迎える前に戦死して遺体だけになってたんだろうな。 馬謖さんの場合そもそも街亭に押し寄せた魏軍の数が尋常な数ではなかったって説も。 後の結果も含めた結果論だけど、皮肉にも副将の王平は大軍相手だろうと名将相手だろうとまともに戦えたわけだからな
王平個人は上手く壊滅しない様に退却させた事も含めて完璧に立ち回ってたから個人の資質の問題
経験を積めばいい指揮官になった可能性が無いわけではないけど、この段階では力量不足で話にならない でも韓信みたいな例もあるからな
股くぐりなんて馬鹿にされてるやつを大元帥に抜擢するのは頭がおかしいとしか >>620
韓信は実際は没落した名家の出とか、どっかの庶子の子孫とかじゃないの?
家柄至上主義ではなくても、ある程度の家柄がないと読み書きすらできないし、書物を読むなんてレベルなら尚更。 劉邦以前にそれなりの地位に登用されているし
上から数えた方が早い家系の可能性は十分にあるでしょうね なぜ趙佶さんは名君になれなかったのか
すまん何となしに言いたくなっただけなんだ反省してる 馬謖の相手だった張郃って名将なの?
ゲームだと馬謖より知力低いよね? >>626
劉備と諸葛亮が魏の最大の敵と評価してる記述が残る程度には名将
有名な劉備の言葉として
「夏侯淵を倒した?そんな雑魚はいい、張コウを殺せ」
みたいな事言うぐらい警戒されてた
劉備の人を見る評価は確かだしね 諸葛亮は別に張コウを魏の最大の敵と評したなんて記述無いぞ
劉備も張コウ>夏侯淵と言っただけ 劉備も本心で夏侯淵<張郃と思ったのではなく、夏侯淵を討って浮かれる自軍を戒める意味で言ったかもしれないけど
そういうハッタリが通用するぐらいには張郃は強敵って劉備軍には浸透してたって証明にもなるね 達人伝の趙括は無駄にカリスマだけはあるから
みんなこいつに賭けてみようって思うし被害を大きくしたって感じがするなぁ 南京、慰安所に群がりはしゃぐ日本兵。
://twitter.com/Ah5000m/status/1253680429032333315?s=20
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>6
日本の軍エリートや官僚の無能さに比べたら趙括さんはまだマシ
ムダグチよりも趙括がいれば良かった >>72
むしろ逆に趙高が李斯を説得したように
秦には二代続いた丞相はおりません
皆、罪をでっち上げられて処刑されました
将軍も同様で、手柄を立てすぎた将軍は死に追いやられています >>607
でも、うまいから毎日のように食っていたはないな
綏靖天皇は毎日何人も食べていたらしいけど 日本を見ると戦前も戦後も試験で選ばれた奴等は恐ろしいぐらい頭が悪い 前近代社会の人類の平均寿命はおおむね二十歳代であり、子供を5人生んでも大人まで育つのは2人か3人というのが普通だった。 >>621
あの時代だと紙が無くて竹簡だしね、兵法書なんて宝物扱いでしょ。
現代の感覚なら数百万円って感じの兵法書暗記するぐらい読み込んでたって没落貴族の
息子だと思ったほうが自然ですよね。
張良だって韓の宰相の息子だし、諸葛亮だって出師の表では「自称南陽の耕夫」ですが
琅邪郡の豪族の一族だったらしいしね。
又潜りの逸話も、名門の御曹司が没落してチンピラに絡まれたって方が正しい気がする やたら生活力がないのもボンボンだったからと考えると納得感ある 秦の昭王というテレビを見ている。(だいぶ前銀河チャンネルで放送されたやつ) 趙括さん、かわいそ過ぎる。 全く無能。 登山家は擁護できないけど、超カツは本人の人間性に問題があったとはいえ、ちょっと可哀想だよね 馬謖が山に登ったのに理由があるとか言っている人があるけど
一応頭のいい奴が考えてやったんだから理由はあるだろって
それが水のことを考えていなかっただけで
兵法書に水は大切だと書いていない 司馬遼太郎も「項羽と劉邦」で項羽について書いてたけど、
いい生まれの人ほど人に世話されることに慣れてるから、
兵の食い物とか、寝るところとか、休息に神経が行かないんだってね
兵糧については兵法書に必ず書かれてるから考えたかもしれないけど
飲み水に関しては馬謖くん、下々がよきに計らうものぐらいに
軽視してたかもね あさま山荘の時も、実は隊員の水分補給が考えられてなくて、渇きに耐えられなくなった応援の警視庁や神奈川県警の隊員が雪を口にするって事態になった
幸い重大な事故にはならなかったけど
長野県警の隊員はさすがにこういう場面に慣れてて、のどが渇いても雪に手を出すことはなかったそうだ 休元は敵を軽んじたため、国家に損失を与え死を招き、文進は奮闘して、共にこの敗北で命を失った。
災難は一人から生まれ、広大な影響を与えた。
馮休元・張文進を賛える 張コウ軍って何万人ぐらいだったか判明してるんだっけ?
10万の蜀漢軍をボコりに来たんだから、諸葛亮本軍が攻撃してた隴西にもある程度の戦力はあるとはいえ、やっぱり10万前後の戦力はあったって考えるべき? >>617
読める字は十字もないとされているから
馬謖以外もよく見ていなかったのでは
おそらく読める文字の内、2つは王と平だろうし >>649
戦前の陸軍のむだぐちと同じ
勉強はできてもちょっとしたことに気がつかないし
後で分かっても失敗を認められないから問題ないと言い張る 、曹操は、袁紹の戦略を横取りした。
ノープランの曹操は、袁紹が死んだのをいいことに、
「河北を平定して元手とし、中原を制覇する」
を踏襲した。 張郃という武力統率が90台のまずまずの戦争屋に、 文官の馬謖をぶつけた孔明のミス
いくら知力が圧倒しても無理ゲーでしょう まあ、実際は経験値・引き出しの数を含めた頭脳で、張コウが馬謖を圧倒したわけだが 知力は馬謖が87で張郃は69、馬謖の方がずっと高いぞ それは小説をベースにしたコーエー三国志のデータっしょ
短気で、張飛との知恵比べでも負けた経緯で低めにされてるというが、
現実の張コウは呂蒙に近い司令官タイプの切れ者で
そっち基準で考えれば知力は80台後半はあってもおかしくない
逆に馬謖は気のきいたセリフで孔明を感心させたぐらいで、
実務では知力の高さを示す機会はなかったと言っていい
太守としては硬直思考で失敗してるし 一体いつから劉備が弱いと錯覚していた?
曹仁や陸遜にここぞってところで負けたうえ、小説では戦下手に書かれてるせいで弱い印象があるのかもしれないが、実際はあの時代最強クラスの戦争屋だわ。逆張りでなく 趙括の起用については、いくつかの伝承が存在してたんじゃないかな
それを因果応報譚の好きな司馬遷が、自分好みの劇的なお話を採用しただけな気がする
廉頗解任から趙括起用までの背景は、実際にはもう少し深刻でおごそかだったと思うんだが… 趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
范雎の謀略により廉頗を更迭させたのは事実かもしれんが
趙括に交代させるように仕向けたのは後から作られた話だと思う それねー>趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
この辺が寓話っぽいというか、かえって現実味が乏しく感じられる点だよね
てかこの戦いは趙と秦のがっぷり四つじゃない点が、結構忘れられてる気がする
虞卿列伝に書かれているように、魏と楚を引き込む外交的な駆け引きがあったわけで、
廉頗→趙括の交代は、この辺の外交も絡んだ政治的な事情があったんだろうな、と思う
少なくとも、
「マヌケな国王と側近がお馬鹿なボンボンを起用して、たいへん無惨な結果を招きました」
という単純な構図ではなかっただろうなあ、と でも両親と藺相如が反対してるからな
この辺まで創作とすると、趙括に関する記述ゼロにならないか? >>667
そういう親しい者だけが趙括の実態が分かっていたというのはまだ現実味があるんだよ
秦の首脳部にまでバレてたってのが怪しい 敵対してても使節の遣り取りはある
貴族間での婚姻等で国を超えた繋がりもある
秦に限らず全く諜報に無関心であるはずもない
捕虜から情報を聞き出す等もある
他国の貴族を宰相に迎えるもしくはその逆もある
史料から他国の貴族の性格や噂を伺える記述は趙括以外にもある
趙括の評判を趙が秘匿しているという様子は覗えない
勘繰り過ぎにも思うけど ここらの時代だと当時の重要人物でも記述ゼロなるのはよくあること
逆に言えばそういう時代にも拘わらず妙に詳しい説話は要注意
范雎や趙正書の件がそこそこ知られて来た昨今だし
史記ほかの趙括説話もそろそろ鵜呑みから離れるべきかもね
タイムマシンでもない限り答えは出ないけど… どっちかというと母親が息子使わないように王に進言のほうが胡散臭いエピソードだと思う
藺相如が廉頗擁護するのは理解できるが 藺相如の反対論は、たぶん廉頗を解任するやり方がまずい点を批判したんじゃないかと想像する
楽乗を攻撃した話からして、廉頗が相当の激情家だったことがうかがえるし 司令官が廉頗のままだったとしても当時の状況だと趙の敗北は変わらなかったと思うけどな
その場合は秦が趙括に司令官が交代することを恐れて宮廷工作して交代を妨げたというエピソードが残っていたかも >>672
その趙の重臣廉頗が同じく趙の重臣かつ楽毅の縁者である楽乗を攻撃するとかいうヤベー不祥事
もっと様々な説話が作られてもよさそうな事件なのに原因も経過も淡白な記述しかないよな >>673
同感>趙の敗北
というか三年も戦争してる割には、趙の首脳部がどこを落とし所にするつもりだったのかが書いてないんだよね
まさか、「上党全部いただいて、ウチがまるっとボロ儲けェ!!」なんて都合のよすぎる考え方をしてたはずがないし
もし首尾よく上党郡を総取りしたとしても、その場合秦だけじゃなく魏も黙ってないだろうしなぁ
趙と関係の深い魏の信陵君だって、さすがに国内の反趙派を抑えきれなくなると思う
個人的には、趙の孝成王が「戦後」に目の届かない、愚かしい王様だったとは考えにくいけど… この時代、勝つ&成功する以外の落としどころが提示されてないって割と普通では?
上党争奪以上の期間、斉攻撃してた燕の昭王と楽毅とかも軍事的勝利以外の方法による決着は最後まで出来てないし
強大化によって内外が動揺・緊張することの心配やその対応策を事前に用意した話も特にない 大体戦国策etcのせいで行き当たりばったり感がものすごい時代
たとえなんか理屈捏ねてても3日くらいで変節しそう 阿解又宮於然矩丹而居。曰叙圖耶。是爲離京。阿解生而異相。頭有刄角。好捉鬼[鬼+居]。乃頒蘇命遮似ァ桿禁呪二十四般之法。于今有驗也。 2012/07/21(土) 05:59:32.51 2012/07/21(土) 05:59:32.51 頭いい無能は時代問わずいるが
腸活さんは歴史のはじめの方に生まれてしまったばかりに有名になってしまったのだ 名将は負けた時のことを考えて逃げ道を確保しながら戦うから大敗はしない
その差や 秦末楚漢を経験した百戦錬磨の劉邦と漢軍すら逃げ道失って完敗するという大ポカが歴史に刻まれてる
古代中国において比類なき勝者といえる者どもでも大敗する時は大敗する、難しいものよ 白起持ってきて昭襄王が援軍持ってくるぐらいだから趙括さん秦が思ってたよりは有能だった説 「六朝時代」というと、華北と華南では別の時間が流れていたようである。しかし、密接に関わっている。 あの被災地の状況、ハワイのマウイ島にそっくりですよね...DEW? 監視社会を作る目的だけでなく、緊急事態条項を作るため、改憲(憲法改正)のためでもあります! 自由と民主主義と言っとけば全体主義にも気が付かないという 国民が馬鹿であればあるほど支配側としては楽に人々を動かせることができるとは思いますが、実際のところどうなんでしょう。