なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
名将の子で、幼い頃から兵法を学び、議論すれば父をも論破する。
そんな天才児がどうしてこうなった…… そういうのってやっぱ人材登用のセンスの問題なのかなw 君主が変われば取り巻きも変わるっていう
今のアメリカ大統領もそうだけど 廉頗や蘭少女みたいな名将がいたのは逆に無様に寿命を伸ばしてしまった感じかね趙は どの国にでも人材はあるってことでしょ
廉頗の後の李牧とか
斉も田単居なかったら滅亡してたんだし
今の世界ってそれこそ能力ある奴らは毛公、薛公みたいに腐ってる感じがする 最強の秦を除くと趙が一番名将に恵まれてるのになぁ戦国の末期は・・・
王もボンクラだけど王族もボンクラだよな特に平原君 趙括の評判が高かったのは趙奢や一族が宣伝したんだろう
当時は世間の評判が出世の可否を大きく左右したのと
趙奢が死んだ後は息子が出世しないと一族が食っていけなくなるからね
ところがその宣伝工作が上手く行きすぎていきなり大将軍なんて地位に抜擢されてびびった
敗戦すればその罪が一族にまで及ぶから母親はその免罪を先に申し出た
こんなとこだと思う >>106
平原君の場合は食客の毛遂や部下の李同の方が有能だったね 孟嘗君「平原君がやられたようだな」
信陵君「ククク・・・奴は戦国四君の中でも最弱」
春申君「白起ごときに敗れるとは戦国四君の面汚しよ」 こちら側の手の内を読まれたら勝てるわけ無いよな
韓信ですら相手の手の内を読んだから劣勢で大勝を挙げられたんだし 韓信は股夫というレッテルのお陰で相手が油断した恩恵も初期はあった気がする 戦いでは少し有利だろうが、自分の出世には逆効果だろうから自分で流布するのは下策だろう。 しかし韓信が楚王になった時に婆さんが生きてたことや、
股を潜らせた男が生きてて、なおかつ楚にいたのがうさんくさい。
町のチンピラなんて真っ先に従軍してたんじゃないかなと思う。 項羽反秦挙兵から10年にも満たないうちに楚漢戦争が終結してたから
まだギリギリ生きてたのかもしれない >>118
町のチンピラはあんまり従軍しないだろ。
韓非子によれば、この時代の主力は平時は農業やって戦時に徴兵される「耕戦の士」らしい。
チンピラは一見すると威勢はいいが、土地に縛られてないし不真面目で愛国心もないから、
戦争になるとあんまり役に立たない。国のために死なない。 韓信に股くぐりさせた犬肉屋ってシンプヨウみたいなチンカス野郎でしょ >>120
国の為には働かないけど立身出世のチャンスでは有ろう。
腕に覚えが有ればだが。 >>118
楚本国は一時期以外戦乱で荒れなかっただろうのと戦場で死ぬのも一部だったんだろう いきなり趙括を総指揮官に任命して廉頗と交代したのがまずかった
趙括が指揮を執ってもせめて廉頗が副将として留まって補佐するなら
まだ被害は抑えられていたかもしれない それまでの功績考えれば趙括の下に廉頗は格的に無理でしょ
そんな事したらこの時点で趙括切って魏に亡命してたかも知れんぞw 趙括が日頃から謙虚で廉頗をたてる行動していれば、この時は廉頗ただ離任しただけだから実質大将で残ったかもしれんね。
ただ趙括の日頃から傲慢ぶりは親からも指摘されているぐらいだし、王が積極策をすすめたのもあるだろうが陣形変えたり無理だな。 なんか趙括さんの悪いイメージって大敗したから尾ひれついてるような気がするんだよなぁ
珍平が言ってたみたいに役職につくならそれに見合った金が無いと必要な人材を養えない
だから王から頂いた金は全てもらってたがそれが周りの嫉妬から家や土地を買い漁ってる
みたいな悪評にすり替えられたとか
確かに趙括が総大将なんて断るべきだったんだろうが王の命令だし趙奢の息子だから断れなかったのかもよ つか失敗者に対するステレオタイプの批判だし
廉頗が連戦連敗でやばかったとはいえ
国家の命運をかけた一大決戦の主将に任命された人物だしな 趙も廉頗が亡命しても李牧が出てきたり人材がないわけではなかった
結局秦の工作に対して対処し国内を統制できる藺相如みたいな人材がなかったことが敗因だろうね
残念ながら武将だけが優秀でも国は保たない
燕が奸臣のせいで樂毅を失ったように 情報操作、君臣民の離間工作は凄そう
廉頗や奸臣とされた人たちも利用されたんだろうな そのへんはまさに中国の伝統だな。
秦の時代にやってたことを現代でも変わらずやってる。 鳩山由紀夫や小沢一郎を操ってたもんなぁ
今は朴槿恵を上手く操って韓国を柵封国にしたしw >>131
というか趙の重臣の大半が秦に寝返ってて自分以外は信用できない、と思ってたところに
藺相如のあの発言だから廉頗は感動したのかもね 情報操作っていつも秦がしかけて他が踊らされるのばっかやなwww 廉頗に限らず奸臣や間者の放った工作で失脚する人が春秋戦国時代には多すぎるね
伍子胥も奸臣の伯嚭のせいで殺されたようなものだし
孟嘗君も信陵君も間者の離間工作で失脚した 廉頗が趙で失脚したのは寧ろ親秦派だったからだと思うよ
秦の情報操作も君主sage対立する臣下に重点が置かれていただろうし
対秦戦の消極性が散見される 趙括は初陣だし相手は最強クラスの名将だし
愚将と呼ぶには可哀想な気がする 相手から指名が来る程度には凡将で国内で賛同が得られる程度には良将だった、それが趙括さん 突き詰めると一番悪いのは王様なんだよな。
歴戦の名将が消極的な作戦をとってるのに、現場のこと知らないで攻撃しろと命令してあぼーん。 そんなのは2000年後の沖縄戦でも起きてる話だからなぁ
飛行場に突撃しろとか上級司令部が督戦してたし 趙括については>>141に尽きる
孝成王の積極策の是非は難しい。戦国後期はどの国も対秦消極策でジリ貧に陥り滅亡へ加速してるし
趙は上党郡を秦に渡さない守り抜く為に大軍を差し向けた筈だったが
防衛線を下げて秦側の支配地整備・増強増援を許した上に防衛拠点もガタガタ…
最初から廉頗を外して親征or積極派の将軍を使った方が戦略と一致して良かったのかも 前哨戦で斬られた副将の茄って廉頗の一族かなんか?
廉茄とか? さあ分からんな
廉頗は四十万以上の兵で守りに入っていたのに茄が斬られた途端
王コツに砦陣地を次々に陥されてるし廉頗にとって重要な人物だったのかもね 廉頗の連戦連敗、劣勢の長期篭城で戦力低下してたとしても
趙括軍の攻撃を完封した白起軍・昭襄王の援軍
秦軍やばすぎる そもそも秦の倍以上の兵力でなぜ負ける?
王が趙括起用したくなる気持ちもわかる
俺達は後世から見てるから廉頗に任せとけばって思うけど 趙の次の代の悼襄王はその長平の合戦の失敗を生かしてなかったんだよな
廉頗と実戦経験の無い楽乗を交代させる辺りが長平での趙括との交代と似ている 楽乗って実戦経験ないどころか、長平の惨敗以降に攻めてきた
数倍の燕軍を大破してたりはするはず
閼与の前にも廉頗に次いで諮問されてたりで、趙奢の台頭以前から趙では
軍事の枢要に関わってたと思うんだけど 恵文王も廉頗(或いは楽乗)の意見を無視して
趙奢を起用、秦との決戦に臨んだわけだし
対秦関係を巡る趙国内の主戦非戦論の対立は代々根深そう 藺相如やお父さんは息子が使えねー奴なことを見抜いていたがそれ以外では国内でも評判がよかったのに
敵国の秦はどうやって超括が使えないことを見抜けたのだろうか 趙括が親父を兵法論でやりこめたって部分じゃね?
趙では「これは天才だ!」となったんだろうが秦では
「ねーよw戦場で何度もやりあったチョウシャがそんなガキに負けるわけがねぇ。
ただの理屈っぽいガキが揚げ足取っただけだろう」的な
後は廉頗の陣を全て兵法書通りに変更させた部分かな あの手の逸話は信用ならん
が、趙括の父君趙奢は田単に対して
時代錯誤な事言ってんじゃねーよ
って大軍を積極的に運用する事を正当化してる
ある意味息子に引き継がれている気がする まぁ人物評価に長けたスパイというか、懇意の識者とかがいたんじゃね? 後に郭開に賄賂を贈って李牧を殺させたし
秦の間者が暗躍してたんじゃないかな 毎回、「あの手の信用ならん逸話」とレスする同じ人だと思うけれど
田単のその話だって同じように信用ならん逸話ではないかと 田単の逸話についても
同様に信用ならんが
という意味だったり あまりにも史料が少ないから、名のある将(名将愚将)の実像に迫ろうにも、
僅かに残された、怪しげな逸話に頼らざるをえないからねぇ……戦国時代は
有名人の名前(字)すらわからないし 春秋より戦国の方が史料が少ない理由って、単に戦乱で史料が散失したからって事でいいのかな ・秦が一生懸命、七雄時代の痕跡を潰して回った事
・一応周王朝を正統に掲げた春秋の史料は後世の儒者の保護を受けた
・戦国はどうしようもない時代と考えられていたので寧ろ抹殺対象 散失と言うよりむしろ最初から記録自体されてなかったのでは 今から見返すと戦国のほうが面白くて春秋は微妙なんだがな・・・ 面白さは人それぞれだがネタの濃度ががなー
戦国時代は歴史スカスカ、宮城谷小説とか読めばわかるけど
史記読んでもネタ少ないから苦労してはる 春秋時代はまだ周の諸侯だからなんかガチで戦ってない感じが漂う
戦国時代は領土拡大のために情けや容赦の一切ない本気モードなのがしびれるあこがれる 途中までは斉も東帝を称する勢いだったし、趙も武霊王の時代は良かった。 秦以外は有能な王や部下が出てきて1代限りの興隆って感じだけど
秦は商鞅は失脚したがその後も改革の中身は継承したのが違いだろうね 恵文王は結構色々やってきたイメージがあるのに
孝成王は長平で負けたことしか功績が思いつかない 斉は楽毅にやられる直前まで歴代の君主が勢力拡大、まさに富国強兵
楚も春秋後期の不振を脱して懐王が秦に大敗するまで衝天の勢い、東西南北いずれも国土を大幅に広げた
韓魏は秦に近かったため調子良かったのは戦国前期だが中期以降百数十年粘った
趙は恵文后孝成王の初期が全盛、北方西方の民族を制し巨大な版図を誇る、上党郡さえ保持できていれば…
燕は良く分からん。ただ北方民族との戦線を押し上げ朝鮮半島に勢力を拡大した国力はなかなか
宋もわりと頑張った
総評:秦ほどではないが、どの国も進化しており他の六国とは互角に、中小国and蛮族相手ならどんどん侵略できる 七雄は春秋から順調に発展してきて
都市の大きさ兵力多さ桁違いだからね
長きに渡り興隆している印象がある
ただ秦が強すぎたんだ・・・ 連合軍で秦を攻めても函谷関まで行くと
同盟軍は帰るってパターンだよね?
結局秦以外は春秋的な考え方引きずってて
滅亡させて領土を取り込むって所までやりきれない感があるんだが 確かに領土化支配を徹底的にやる秦と比べると他国は及ばないかもな
しかし函谷関まで行く→帰るパターンはしゃーない
函谷関までは秦の植民地だが進めば本国、守りの堅さ背後を取られる危険性が段違い
合従軍は秦軍の東進を抑えて占領された旧自国領の回復するのが精一杯 vs秦限定だと力不足の一言に尽きる(秦が比較的強くない頃は楚や魏が首都近郊まで迫ったが)
六国も七雄以外の勢力に対しては滅亡併呑を平気でやってるし
まあ秦もいにしえからの大国蜀の併合は鮮やかだったけど六国併呑はてこずったけど まぁそう言うの全部含めてやっぱり「戦国時代」なんだなぁと 趙括は初陣がもっと簡単だったら名将に育ったかもしれないが
どの立場でどういう戦場に出るのが良かったのだろう 親父の戦いで副将とかじゃね?
理論と実践の違いをおやじの下で学べればだいぶ違っただろうね 北方に覇を唱えた最盛期
強大なる趙と恐れられ精兵数十万を易々と繰り出す国力を誇った訳だし
秦以外なら押し潰せるだろうな
でも趙括さん元帥はやった事無くても従軍経験はあったんじゃね?
実際そんなに若くないだろうし 従軍してたときは上官とか大将の文句ばっかり言ってたんだろうな そう考えると三国に別れる前の晋ってどんだけの強国だったんだって感じだな むしろ晋分裂後に知伯が統一したほうが強国になったよね 当時は才能は外見に表れるってまだ信じてた頃だし
趙括も見栄えは良かったのかな 朱元璋さんがこのスレを監視しています
今すぐに逃げてください >>6
記憶力抜群で戦争シュミレーションゲームの天才だから現代社会だったら東大主席合格+世界的天才ゲーマーだったかもなw
今川氏真も現代社会に生まれてればサッカー日本代表+天才芸術家
こいつらは生まれる時代を間違えたw ルール上で動くのならば優秀
ルール無視の喧嘩ではフルボッコ
そういう存在なんだろうな 世界的天才ゲーマーかと思いきや、データ分析で机上の理論考えるのだけ得意で、
実践の成績では微妙っぽい 経済学者としては優秀だが、いざ金を与えて株取引任せたら大損した
こういう事だね それは結果論だからなぁ
趙括が駄目だった訳じゃなく、白起が凄すぎただけじゃないの 実際秦側からすれば廉頗でさえなければ誰が来てもなんとかなるくらいの感じだったんだろうなとは思う 少し違うだろう廉頗のままでも相手はジリ貧でなんとかなるが
動いてほしかった動いてくれれば天才白起さんが働きやすい
それと長平より南方にいた白起が来たということは
それなりに秦に援軍がきて戦力が上がった可能性大 用兵の問題だけじゃないよなあ
どうみても兵の質事態が段違い
故服騎射の趙兵30人と、モノホンの故そのものの秦兵一人で互角ぐらいじゃないかい
戦績から見るに 王コツを舐めたらあかんな
長平の秦軍大勝利は王コツが廉頗軍ボコってる間に
上党郡の大半を秦が確保したことがでかい